ラッコの映画生活

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2008.06.03
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カテゴリ: フランス映画
FAUTE A FIDEL

99min
(桜坂劇場 ホールBにて)

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主人公が9才の少女というのもあるけれど、愛らしい作品。2人のジュリーのこの映画、とっても良かったです。2人のジュリーとは監督のジュリー・ガヴラスと主演格の女優ジュリー・ドパルデュー。1人はフランスの名優ないしフランス映画界を牛耳る俳優ジェラール・ドパルデューの娘。監督の方は1970年前後に『Z氏』、『告白』、『戒厳令』の政治三部作を撮り、その後の『ミッシング』で今の日本の観客にも少し有名なギリシア出身のフランスの映画監督コスタ・ガヴラスの娘。父コスタの作品の優れているところは、政治性のある社会派の映画なのだけれど、非常にエンターテーメント性があって、一般観客が十分に楽しめる作品であること。その意味ではサスペンス性があってストーリー展開から目を離せない『Z氏』はやはり傑作でしょう。イヴ・モンタン、ジャン=ルイ・トランティニャン、ジャック・ペランの名演に加えてラウル・クタールのカメラも素晴らしい。アメリカの(特に南部の)人種差別問題を扱った『背信の日々』というのも良い映画ですね。デブラ・ウィンガー、トム・ベレンジャー主演の米映画で、黒人狩り(黒人を森に逃がして白人が銃で撃つゲーム)など南部アメリカの暗い実態を描いているけれど、ロマンスがらみの物語となっている。娘ジュリー・ガヴラスのこの『ぜんぶ、フィデルのせい』は、扱っているテーマや切り口が違うけれど、やはりエンターテーメント性のある(父以上に)中に社会問題を描いていて、37才という年齢差と男女の違い、そしてギリシア生まれとフランス生まれの差はあるけれど、娘ジュリーは父コスタの跡を継いでいるかも知れない。そしてそのことが、実は結果として、この映画のテーマの一つとも深く関わっていると感じました。

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実はボクはこのコスタ・ガヴラスの最近の作品は見ていないのだけれど、それは一種の世代感覚の問題かも知れない。『Z氏』等政治三部作は1969~1973年で、だからリヴェットやゴダールの作品なんかもそうだけれど、時代に一種政治的雰囲気があった。時代が変化してしまい、だから『Z氏』等の三部作も今観るには、いわば時代遅れ感があるのかも知れない。なのでDVD等も現行盤がなかったりでレアものでプレミアがついてしまっている。例えば2001年の『アーメン』(ホロコースト/アドルフ・ヒットラーの洗礼)など、見れば良い作品なのだろうけれど、ナチによるユダヤ人ショアに対するバチカンの日和見を批判した映画にはあまり積極的に食指が湧かない。真面目な映画だろうけれど、やはり1933年ギリシア生まれで、それこそアンゲロプーロスの『旅芸人の記録』の時代をギリシアで生きてきた人の感覚なんですね。そう思っています。その点で娘は1970年パリ生まれで、ボクよりは少し若いけれど、父コスタよりは時代感覚を共有できる。この『ぜんぶ、フィデルのせい』も1970年頃が舞台だけれど、社会に対する視点は21世紀のジュリーのものなんですね。

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9才のアンナ、父はスペイン貴族出身の弁護士、母はボルドーのワイン農園主のブルジョワの娘で、雑誌『マリークレール』の記者。パリで庭付の家に住んでいるのだから、とっても裕福ですね。通っているのはカトリック系ミッションスクールのお嬢様学校。家にはもちろん住み込みのお手伝いさんがいて、アンナは9才ながらデザートのリンゴやオレンジの1個まるまる皮付きのを、ちゃんとナイフとフォークで皮を剥いて食べる。こういうい「優雅な」生活はアンナにとって当たり前で、彼女はそれを愛し、誇りにも感じている。ところがスペインで反フランコの活動をしていた叔父が殺され、叔母と従姉妹がフランスへ逃げてきた。そんな叔母と従姉妹がアンナは疎ましいのだけれど、叔母の話を聞いた父(ステファノ・アコルシ)は、自分が政治や社会に無関心で過ごしてきたことに自戒の念を持ち、母(ジュリー・ドパルデュー)と民主化で揺れるチリに旅行に出る。そして帰ってきた両親は共産主義者になっていた。17才とか18才の若者が正義に燃えて政治的活動にかぶれるというのはよくあるけれど、この2人にはそれがなかった。2年前の五月革命のときも傍観していただけなのだろう。辛辣に言えば、そういう「経ないできて」大人になってしまった2人の、遅ればせながらの政治かぶれと言っても良いかも知れない。両親は反政府民主化運動で揺れるチリの「同志」への支援の活動に身を投じ始める。家族はもっと質素な家に移り、革命でキューバにいられなくなってフランスに逃げてきた反共のお手伝いさんは解雇し、家は活動家・革命家の活動の場になった。アンナにとっては、今までの弟を含めた家族4人の愛していた生活がなくなってしまう。ミッキーマウスさえアメリカ資本主義の産物として奪われてしまう。解雇される前の会話からアンナが理解したのは、この受け入れ難き状況は「すべて、フィデル(カストロ)のせい」だということだ。自分に突き付けられる両親(大人)の理不尽に対する反抗と、だんだんに色々理解して成長していくアンナを映画は描いているのだけれど、その辺のことはたくさん書かれてもいるようだから、少し別のことを書いてみたい。

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一つは上の方で書いたこと。ジュリー・ガヴラスがこの映画を作ったこと自体がこの映画のテーマと関係しているということだ。1970年生まれのジュリーにとって、『Z氏』等三部作は生まれた頃の過去の父の作品だった。彼女は1982年に『ミッシング』ではじめて父の映画の意味がわかり、インパクトを受けたと言っている。そのとき彼女は11才だった。映画のアンナの物語は監督の物語かと問われた彼女は否定している。家に父が人を匿うことはあったらしいが、家や生活はむしろ良くなったと言っている。しかし彼女は11才でチリのクーデターを描いた父の『ミッシング』を観てインパクトを受け、やがて大人になった彼女は原作小説にはなかったチリ問題を自分の映画に入れることになる。普通の家庭に育てば、11才で『ミッシング』を観るということも稀であろうし、もちろん『ミッシング』という映画を父の生き方との関連で観ることはない。直接、間接、場合によっては逆接的に、子供は一緒に住んだ親の影響を受けるということですね。

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この映画のアンナのあり方は、理解しようとし、納得できないことには反発をする。しかしだんだんに彼女なりの理解をするようになり、学校での従順な羊さん云々のやり取りでシスターの先生の言うことに反発を感じたアンナは退校して普通の小学校に転校することを選ぶ。両親が政治活動を始めていなかったとしたら、そういうアンナはいなかっただろう。同じように父にコスタ・ガヴラスを持たなかったら、こういう映画を作るジュリーはいなかっただろう。だから、ジュリーとアンナの何処が散文的事実として共通しているという意味ではなく、やはりアンナはジュリーの分身でもあると感じる。ミッションスクールでシスターの言うこと、政治運動家の両親が言うこと、そういうことに影響されながらも、自分でものごとを判断していくべきことを語っているように思う。父の出自を知るべくスペインの父の伯爵家への旅行を希望し、アンナは自分の目で見て確かめようとする。

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『ダーウィンの悪夢』 のような問題がある(この映画を素直に受け取るとして)。それはハネケの映画の多くに含意されていることでもあるのだけれど。究極を追求すればパゾリーニの『テオレマ』の父親のようになってしまうのだろうし・・・。

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全くの余談だけれど、桜坂劇場にボクは平日の昼間行くことが多い。それもお客さんが少ないであろうからの会員割り引きデーである月曜日や、スタンプ倍押しデーの水曜日になるべく行く。だから、首都圏のように人口がひしめいている那覇ではないし、たいてい空いていることが多い。ボクの指定席は大中小3つあるどのホールでも最前列の中央の座席。この映画館は最前列からスクリーンまである程度距離があるので、観るにさほど不都合はない。でも最前一列目に相客がいることはほとんどない。ところがこの映画を見たとき、ボクは上映開始ギリギリに行ったのだけれど、最前列中央の席の一つ左隣に先客がいた。ボクは1席空けて中央座席の一つ右隣に座った。帰りに良くその人を見たら25才くらいの小太りのオタッキーな感じの男性だった。これってきっとロリコン系の観客だったんでしょうね。撮影当時8才か9才のニナ・ケルヴェル嬢、そういう目で見てもなかなか魅力的な少女でした。

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Last updated  2008.06.16 02:29:39
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