ラッコの映画生活

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2008.07.02
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カテゴリ: 日本映画
TOKYO STORY

DIE REISE NACH TOKYO
CUENTOS DE TOKYO
VIAGGIO A TOKYO
東京物語
Yasujiro Ozu
白黒136min
(桜坂劇場 ホールAにて)

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尾道に暮らす老夫婦・平山周吉(72才)と とみ(68才)。二人には3男2女の子供がいた。長男・幸一は東京で内科の町医者をしており、結婚して妻と2人の息子がいた。長女・志げは結婚し、東京で美容院を経営。次男・修二は8年前に戦死していたが、未亡人の紀子は今も独身を通し、会社員をしながら東京のアパートで一人暮らしをしている。三男・敬三は国鉄職員で大阪暮らし。末の次女・京子は小学校の教師で、尾道で両親と一緒に暮らしている。1953年夏、周吉/とみの老夫婦は、東京に住む子供達のもとを訪ねる旅に出る。今でこそ新尾道で乗っても、あるいは在来線の尾道で乗っても、新幹線を使えば東京まで5時間はかからないのではないだろうか。でも1953年と言えばまだ在来線の「こだま」もできる前だから、東京⇔大阪間だけでも9時間程度はかかったろう。全部で半日は優に超える15時間といった長旅だ。もちろんブルートレイン等といった優雅な寝台列車ではない。つまりは70才前後の老身の夫婦にとっては一世一代の大事業なのである。

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東京駅に着いた老夫婦(笠智衆/東山千栄子)は長男・幸一(山村聡)と長女・志げに伴われて幸一の診察所を兼ねた住宅にやってくる。迎えるのは幸一の妻・文子(三宅邦子)と2人の息子。やがて戦死した次男・修二の妻・紀子(原節子)がやってきて、仕事で東京駅に出迎えに行かれなかったことを詫びる。夕食は和やかに進むが、それが済んで夜老夫婦2人となったとき、幸一が東京と言っても場末でつまらない町医者をしていることの失望感を周吉は洩らす。翌日の日曜日は幸一が老両親と息子たちを連れて東京見物に出かけるはずだったが、急患で中止せざるを得ない。

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数日後老夫婦は今度は美容院を営む志げ夫妻(杉村春子、中村伸郎)の家に来るが、夫婦は忙しく、両親の相手をしている暇がない。志げは紀子に老夫婦の世話を頼む。小さな会社に勤める紀子は、1日休暇をもらい(その分翌日夜残業をして自分の仕事を片付けなければならないのだが)、義理の両親を東京見物に案内する。彼女の真心のこもった世話で、老夫婦は楽しく、幸せな1日を過ごすことが出来た。老夫婦は義理の娘・紀子に、修二のことは忘れて再婚するなど新しい人生を送ることを願う。この後志げがいわば厄介払い的に幸一と僅かなお金を出して両親を熱海の安旅館へ旅行に出し、また周吉は東京に出ているかつての尾道での旧知と酒を飲むが、その辺の詳細は割愛する。

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自分達は厄介者で居場所がないと感じた老夫婦は尾道に帰ることになる。そんな子供達に腑甲斐無さを感じつつも、「東京は人が多すぎる」とか「私たちはそれでもましな方」、「そう私たちはどちらかと言えば幸せなのだ」と、温厚な老夫婦は怒ることはない。終始表面的にはにこやかだ。しかし帰り道、とみが体調を崩し、大阪で途中下車して三男・敬三(大坂志郎)の家で療養する。いちおう回復して2人は尾道に帰るが、数日して東京の子供たちの元に母・とみが危ないという電報が届く。幸一夫婦、志げ夫婦、紀子は駆け付けるが、出張中で連絡を遅れて知った敬三は母の死に目に会えなかった。葬儀が済むと早々に東京へ帰っていく子供たち。しばらく残ったのは紀子だけだった。そんな兄や姉たち、とりわけ葬儀も終わるや早々に自分の欲しい物を形見分けとして要求した志げに対する不満を、末の京子は紀子に「親子ってそんなものじゃないでしょ」と言って洩らす。紀子は「年を取ると自分の生活の方が大切になるのよ」と京子を慰める。そして「そうはなりたくないけれど、私もきっとそうなるのよ。」と続ける。

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この映画は昔と現在(未来)という時代の対立、若さと老齢の対立、地方と大都市の対立、そういう2項対立をテーマとしている。大都市生活の子供たち若い世代の心にゆとりがなくなり、自分のことしか考えられなくなっている現実の確認が一方にあり、それは正しいとまでは言えないにしても正当な説明のつく状況でもある。そしてその一種のエゴイズムに対する過去の老世代の諦念、その対立とバランスの物語だ。日曜日に急患で出かけられなくなったとき、とみは小さな孫を連れて散歩に出る。祖母は、将来の夢や自分が死んでしまってからのことを孫に尋ねるが、孫は答えることはできない。老夫婦は「自分たちは幸せな方」と考えることで現状としての絆を維持することしか出来ないのだ。各人にはそれぞれの理由を持っている。志げはやや悪者的に描かれてはいるけれど、とみに「昔はあの子ももっと優しかったのに」と言わせているように、戦後期にこうして自営の美容院を構えるまでには色々な苦労があったことが想像される。

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小津の映画を見ていると、この『東京物語』などは特にそうだけれど、社会や人々の変化に対する郷愁と批判、そしてそう感じる自分に対する一種の自己批判があるような気がする。人々が当然に思い、また小津も共感していること、例えば子供に対する期待もそうだ。「人の多すぎる」東京で、場末のしがない町医者である幸一になぜ親は不満、腑甲斐無さを持つのか。その発想自体が既に親の子供に対するエゴではないか?。他の作品でいうなら妻を早く失って娘が父の世話をし、それで嫁に行き遅れるというテーマがある。子供は子供の人生であって、親の所有物ではないのだけれど、ついそこに甘えてしまう親の当然の心情、それに小津も共感をたぶん持っているのだろうが、それは過度な要求だと自覚しなければならないけれど、事実そう感じることの不条理。

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この映画では一方には尾道の老夫婦と京子がいて、一方に東京の子供たちがいる。その中間に位置するのが紀子で、いわば周吉とは別の意味で小津の分身的存在なのだろう。彼女は8年前に夫を失っていながら、前へ進もうとせず、停滞の状態に満足している。しかし「私もきっとそうなるのよ」と言うように、新しく自分の人生を生きることに踏み出さなければならないのだ。そんな紀子が尾道を去るとき、学校の教室の窓から見える線路を紀子を乗せた列車が通っていく。授業中の京子は「時計」を見て通過時間に窓から列車を見送る。一方車中の紀子は義母の形見として周吉にもらった「時計」を取り出して見ている。時間は否応なしに進み、社会も人の心も変化していくのだ。

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この映画についてはアントニオーニを思わせる物や無人の風景の撮り方とか、イマジナリーライン(想定線)を無視したカットバックとか、書きたいことも少なからずあるのですが、なにぶん劇場で見て(3度目?)、手元にDVD等を所有していないので、また別の機会にしようと思います。




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Last updated  2013.05.24 01:13:43
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