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■ボクがいま一番興味のあるプロ野球選手は、日本ハムの大島匠(新島学園高-早稲田大)だ。言わずと知れたソフトボール部出身ながら、ドラフト7位で入団した異色の選手。先日の紅白戦ではプロ初打席でバックスクリーンに本塁打を放ったし、その後の打席では柔らかいスイングで逆方向に安打を放つ巧さも見せた。早稲田大時代は13試合連続本塁打を含む公式戦通算80本塁打を放ったそうだから、ソフトボール界では知らぬ人がいないくらい有名な存在だったらしい。一昨日のスポーツニュースでは大島がインタビューに応えていたが、「プロ野球のスピードに戸惑いはないか?」と聞かれ、「まったく問題ない」と断言していた。その発言を聞いて、ボクは思わず納得してしまった。■なぜなら今から7年ほど前、ボクはあるクラブチームに所属していて、日曜日のたびに練習に参加していた。場所は早稲田大の所沢グラウンド。そのクラブチームはちょっとしたお遊び程度のチームだったけれど、そのすぐ隣には早稲田大・男子ソフトボール部のグラウンドがあった。ボクは自分の練習もそこそこに、ソフトボール部の練習や試合を見て楽しむことが日課だった。理由は競技自体がもつスピード感にあった。投手と打者の距離や塁間の短さは、プロ野球なんて目じゃないほどスリリングなプレーを生みだしていた。特に次の塁を狙う走者の走塁やスライディングはスピード感に溢れ、さらに走者と内野手が接触するシーンはラグビーのタックルシーンにも似ていて、ワクワクしながら見ていたものだった。■大島自身は「ソフトボール出身」という色メガネで見られることを嫌っているらしい。でも逆転の発想で、逆にメディアを利用してソフトボールの面白さを伝えたらどうだろうか。今、ソフトボールの魅力をインパクトをもって伝えられる人は宇津木さんより大島なんだし。今日も1クリックお願いします
2012.02.21
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■香田誉士史さんが今年4月、あらたに創設される西部ガス硬式野球部のコーチに就任した。香田さんといえば2004年夏と05年夏、駒大苫小牧高を甲子園連覇に導いた名将。一方で06年には2度にわたる部員の不祥事を経験するなど辛酸も嘗めた。当時エースだった田中将大(現・楽天)が高校時代を「まるでジェットコースターのようだった」と振り返ったように、香田さんの駒大苫小牧監督時代は頂点とどん底、希望と落胆が目まぐるしく入れ替わる、極めて変化の激しい時間だった。その後、08年には駒大苫小牧高を退職し駒澤大と同じ曹洞宗の鶴見大のコーチに就任したが、専用の野球場なし、予算なし(年間予算はたったの5万円)。高校野球界で頂点を極めた監督にしては、転身先はあまりに劣悪な環境だった。他に条件のよいところはなかったものか?なんてボクは思ったけれど、再度の転身先は香田さんの出身地・佐賀にほど近い西部ガスに決まった。なぜいつも監督ではなくコーチ止まりなのか、そんな疑問も頭をよぎるが、今度は甲子園でも神宮でもない、東京ドーム(都市対抗)出場を目指す新たな挑戦が始まった。※ちなみに現在の駒大苫小牧高の監督は、04年優勝時のキャプテン・佐々木孝介さん。■大越基さんが率いる山口・早鞘高が今春のセンバツ出場を決めた。大越さんは1989年夏、仙台育英高のエースとして甲子園準優勝を果たし輝かしい経歴をもつ。ところが早稲田大に入学後、たった半年で野球部を退部したことで人生が暗転する。米国1A、ダイエーホークスで野球を続けたものの、高校時代に夢見た華々しい野球人生とは大きくかけ離れたものになっていた。その後、高校野球の指導者を目指すようになる。大越さんの指導方針は「野球力は人間力」。即ち、人間を大きく育てることが大切であって、その結果、野球が上手くなりチームが強くなるというもの。ボクが大越さんにもっていたイメージは「人間力」という言葉を口にするイメージとは遠いものだったから、とても意外な印象を受けた。ただ高校時代の名声とその後の人生があったから言えた言葉に違いないと理解した。「今回の甲子園出場を例えるなら、自分自身も基礎や土台を築いているところに家が建ったようなもの。だけど、いま強い風が吹いたらすぐに倒れてしまう。もっと下の部分を強化しないと。何と表現すればいいのか......、とりあえず自分自身が調子に乗らないこと。もちろんそれは、選手たちにも伝えていきたい」 (大越さん)大越さんにとって今回の甲子園出場はただの通過点。新たな挑戦はまだまだ始まったばかりなんだろう、きっと。<資料/大越さんの甲子園戦績>1989年センバツ1回戦 対小松島西高 ○2回戦 対尼崎北高 ○3回戦 対上宮高 ● ※上宮には種田仁、元木大介がいた。1989年夏1回戦 対鹿児島商工高 ○2回戦 対京都西高 ○ 3回戦 対弘前工高 ○準々決勝 対上宮高 ○準決勝 対尽誠学園高 ○ ※尽誠学園には谷佳知、宮地克彦がいた。決勝 帝京高 ● ※帝京には吉岡雄二がいた。 今日も1クリックお願いします
2012.02.18
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