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幸せ度の高い国ブータンでは、「幸せは物質のみでは得ることはできない。精神的な和=人間関係が大切」との観点から幸せ度の向上を目指しています。鍵山秀三郎さんは、「してもらう幸せ」「できる幸せ」「してあげる幸せ」の三つの幸せがあると言います。小さいうちは、父母の愛に守られて「してもらう幸せ」を一身に受けて育ちます。大きくなっても、「してもらう幸せ」はたくさんあります。やがて歩けるようになり、遊びやスポーツができ、絵や字が書けるようになりと、いろんなことができるようになってきます。当たり前のように思っているこれらも実は大変幸せなことで、体が不自由になってみて「できる幸せ」が初めて分かります。大人になっても、欲しい物が買える、美味しいものが食べられる、仕事がうまくできるなど、「できる幸せ」を一杯味わっています。そして、お手伝いでも何でも良いから他人に何かをしてあげて心から喜ばれた時、何とも言えない喜びを感じたはずです。人は共に喜ぶ時、喜びが人の数だけ増幅され、感動を呼び起こします。これが「してあげる幸せ」です。人に優しくしてもらって幸せになった人が、次の人に優しくする、まさに絆の輪です。そうやって分け合っていくことができれば、誰もが幸せになります。
2013.05.31
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人は争うものではなく、私たちは人の力をもらって生きているのです。仕事に一途なあまり正論を吐いて誰とでも衝突し、『ケンカ鳥』とあだ名を付けられていた佐藤さんが心筋梗塞で倒れた。幸いにも手術はうまくいったが、医者から「あなたの心臓は40%程度しか機能していない」と言われた。それでも仕事が最優先だった佐藤さんは直ぐに仕事に復帰したが、病を抱えているので以前のようにはなかなかいかない。そんなある日、「そうか、心臓が40%機能しているということは、考え方が40%合えばOKということと同じだ。100%合う必要はないのだ」と気づいた。ケンカ鳥と言われていた頃は、自分の持っている力の30%か40%くらいしか使っておらず、残りは他人とのぶつかり合いに使っていたように思えてきた。ところが、相手に心から合わせられるようになってからは、相手の力を分けてもらっているおかげで、自分の力を200%にも300%にも発揮できるのだと実感するようにもなった。同時に、人の話もじっくりと聞くことができるようにもなった。すると不思議なことに、たいていの問題は話を聞くだけで解決してしまうことも体験したそうです。
2013.05.30
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私たちは独りで生きているのではなく、互いに助け合って共存して生きています。だから、自分だけが上手くいくということはまずありません。相手もまた、あなたと同じように自分が上手くいくことを必死に考えているのですから。ところが、自分だけが上手く行くことばかりを考えていませんか?自分が幸せを手に入れるために、自分の安全を確保するために、相手を自分の思う通りに操作したいという気持ちがほんのちょっぴりでもありませんか?そこから、人間関係やコミュニケーションのさまざまな問題が起きます。相手が委縮していたり、攻撃的だったり、素直でなかったり、上の空だったりするのは、あなたのコミュニケーションや行動そのものに対する反応です。人様から戴く縁によって自分の世界が変わるために、誰もが「できるだけ善い縁に巡り合いたいな。できることなら悪い縁は遠慮願いたい」と思って生きています。しかし、考えてみると、他人から縁を戴くという受け身だけでなく、自分そのものが他人にとっては縁になっているわけです。これを忘れてはならないと思います。人に対して、自分が善い縁にならなければなりません。そうすることによって、人様からお返しを戴いているのではないでしょうか?
2013.05.29
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自分がどんなに努力しても、それだけでは結果は生まれません。どうしても、周囲の人の援助が必要です。今こうして生きているのだって、縦横無尽な縁の中で生かされているのです。どうしようもない因縁を感じたとき、人は謙虚に生きられるのではないでしょうか?オリンピックなどで活躍した世界一流の選手たちが集まって、酒を飲みながら食事をしたとき、ある選手が「いや、あのときの演技は、自分がやったのではなく、神か仏か、自分を超えた力が後押ししてくれたとしか感じられなかった。本当にいい演技ができたとき、高得点がでたときというのは、そういうものじゃないのかな」と言うと、全員がその通りだとうなずいたそうです。考えてみると、自分の能力だけで何かを成し得たというのは、ほどほど程度のものでしかないように思われます。本当に素晴らしい成果というものは、何か目には見えない力が背後から後押しをしていてくれるという感覚がなくてはできないものであるかもしれません。「人の行くつくところは、やはり他力という感覚かもしれませんね」と瀬戸寂聴さんも言われたが、仏教だけでなく、すべての宗教はそこから生まれていると思います。
2013.05.28
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物事にはすべて原因があって結果があるが、この世の中のことはそう単純ではありません。それは、原因と結果の間に縁というものが働くからです。一粒の花の種があります。それを、机の上に置いて眺めているだけでは、いつまでたっても花は咲きません。適当な時期に、適当な土の深さに埋めてやり、適当な雨露や陽光に恵まれて、初めて花が咲きます。だが、数粒の種を同じように蒔いたとしても、順調に芽を出し花を咲かるものもあれば、鳥に食べられてしまったり踏み付けられたりして枯れてしまって花を咲かせられものもでます。種があって始めて花が咲くのが因果であり、様々に変化する要因が縁です。人間も、誰でも素晴らしい種子=潜在的な能力を宿しているのだが、能力が幾らあって努力したとしても(スポーツの世界でいう練習は裏切らないも一面だが)、それだけではなかなかよい結果を得ることはできません。因果関係だけでは割り切れないところが面白いところで、因果の中間に「縁」が介在するので、どんな縁に出合ったかで、万華鏡のようにいろんな違った結果が出ます。あらゆる物事は、この縁の力によって縦横無尽に結ばれています。因・縁・果という三段階を十分に認識したとき、物事の見方、考え方が変わります。
2013.05.27
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世の中には、能力もあり努力もしているのに、運に恵まれずにうまくいかない人が沢山います。では、運とは何でしょうか?「運」というのも、宝くじに当たるような単なる暁光ではありません。人と人との出会いから、相手が興味を覚え、「こんなことをやってみる気はない」とチャンスを与えられたり、「この人をなんとかしてあげたい」という気にさせる何かがあることから運は巡ってきます。つまり、人間関係次第と言えます。その志すものが何であれ、自分一人だけの力で大成することは不可能です。大成するには、個人の能力や努力はもちろん大切だが、それだけでは不十分です。どんなに能力があり努力しようとも、一人でやれることには自ずと限界があります。大きな事を成し遂げるには、他人の力を得ることがとても大切です。ある芸能プロモーターが、スターになれるか否かは【能力×性格×運】で、「この人を盛り上げてやりたい」という性格が大切だと言っていました。私は、世の中で成功する秘訣は【能力×努力×運】で、運とは人との縁が運んでくるチャンスだと思っています。だが、普段から努力して能力を磨き続けていないと、その縁によってもたらされたチャンスを生かすことはできません。
2013.05.26
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例えば、私が学卒で就職したメーカーは、山登りから帰ってきたときにたまたま事務局の人に出会って勧められたからです。コンサルタントになったのも、会社を辞めて浪人しているときに、知人が「君がやりたそうな仕事の募集が載っている」と地元紙を持ってきてくれたのが切っ掛けでした。独立したときも、全く面識のない方が「私が相談されたテーマで困り、本屋を覗いたら太田さんの本があった。ピッタリな内容なのでお願いできないか」と大手企業のお客様をお連れいただき、それがご縁で会社の基盤も整いました。たまたま勧められて、たまたま広告や書籍が目に付いてと、最初のきっかけは「運が良かった、悪かった、縁があった」で片付けることもできます。人生は、本人が制御できない「たまたま」の積み重ねともいえるでしょう。でも、そこには必ず人が介在しています。その人との出会いを、どう意識的に創り出すかは、その人との能力と努力、性格に負うところも多く、その人の意識次第という要素も高いと思います。たまたまの確率と精度を上げるには、積極的に外に出て人と会う機会を多くし、自分の魅力を高め広く訴求する手段を持つことです。それを、引き寄せの法則ともいいます。
2013.05.25
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その人が人生を楽しく幸せに過ごせるか否かは、「どういう人」と「どんな時」に巡り会ったかで決まる要素が高いように思います。その巡り会いを人は『出会い』と言うが、出会いとはそもそもどういうことでしょうか?この世の総てのものは、相互に支え合い、関わり合い、助け合って存在しています。人と出会い、ものと出会い、さまざまな状態との出会いによって私どもの一生は織りなされ、その巡り合わせによって人生が展開していきます。ある経済界の重鎮が、「人の生涯は誰と出会ったかで決まる。若い頃は人生に恐いものはなく、自分の力で何でもやれると思い込んでいる。それは若さの特権でもある。そんな若者も結婚し、子供ができると、段々と考え方も変わってくる。世の中、自分の言いたいことを言っていたのでは生きられないことが分かってくる。私は、そこからが本当の人生だと思う」と言われました。親鸞も「遭ひ難くして、今、遭ふことを得たり。聞き難くして、今、聞くことを得たり」と言ったが、そんな真の出会いを得るためには、人生や自分の取り組んでいることについての真摯な問いを持ち、絶えず努力を重ねていることが必要です。それ抜きにしては、所詮『縁なき衆生』に終わると思います。
2013.05.24
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人間の感情には喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、という代表的な4つの感情があります。それらはみな、人と人との関係から生まれます。人との出会いと継続が上手く行けば喜びや楽しみが生まれ、上手く行かなければ怒りや哀しみが生まれます。そんな人と人との関係を繋ぐのが、コミュニケーションです。ところが、この頃では子供も大人もゲームやネットなどの仮想世界に没入して、直接人と接して遊ぶことも少なく、連絡もメールが多くなって、人間関係や直接面と向かっての会話が苦手な人が増えているようです。メールやゲームの中でも人間関係があるとはいえ、現実の人間関係とは大きく違います。仮想世界では、嫌なときには出なければいいし、上手く行かなかったらリセットボタンを押せばいいだけです。だが、現実の人間関係ではそうはいきません。良い関係を続けるには気を遣う必要もあるし、言葉使いにもTPOに応じて注意する必要があります。それが苦手で、内に閉じ籠もる人も多いようです。また、新聞やテレビなどで連日報道されているように、チョットしたことから喧嘩になったり、ときには殺してしまうことが多発しています。最近の日本人は、「怒」の感情ばかりが吹き出しているように思えてなりません。
2013.05.23
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子供たちはよく「自分一人で生きていくから口を出さないで」と言いがちだが、私たちは人により生かされているという感謝の気持ちを常に持つことです。長崎で原爆にあった崎田昭夫さんは、被爆の瞬間に周りに何もなくなってしまい、地球上すべての生物が死に絶えてしまって、自分1人だけが地球上で生き残ったのではないかと思って心細くなり、腹の底から悲痛感や悲壮感、絶望感がこみ上げてきたと言う。そんな体験から、いじめについても語ります。頭が悪いとか、姿勢が悪いとか、気にいらないとか難癖をつけて、大勢で寄って集って一人をいじめ抜いて自殺させてしまうようなことがあるが、いじめている側は鬱憤を晴らすとか苦しがっている姿を見て痛快な気分になるとかで、相手が可哀相とも何とも思わないのだろう。しかし、もし世界で自分たった一人しかいないという状況に置かれたら、自分が喩えどんなにいじめをしていた人間でも、誰か他に生き残って欲しいと思うでしょう。人間は一人では生きていけない。衣食住すべて誰かの手によって生きている。精神的にも、家族や親せき、先生や友達がいるからこそ安心していられる。それで生きているのです。そう考えると、友達をいじめることはできないのじゃないか・・・、と言う。
2013.05.22
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人間は、一人では生きていけないにもかかわらず、人間関係の煩わしさから、時には誰にも干渉されずに一人きりで生きられたらどんなにいいだろうと思うことがあります。でも、周りには誰もいず、他からの干渉が全くなくなったとしたら、人間はどうなるでしょうか?昔、ヨーロッパには厚い壁の部屋に閉じ込めてしまう幽門という刑罰がありました。その中で暮らしている分には、何一つ不自由のないよう調度品も整い、食事もそんなに粗末ではないものが狭い窓から差し入れられます。でも、人との接触を一切絶たれることに耐えられず、ほとんどの人が発狂したそうです。外界と完全に遮断され、全く刺激が与えられない状態に長い間置かれると、人間は異常をきたします。人が人間としての機能を保っていくためには、常に周囲の人や情報との交流が欠かせないことがわかります。自分という存在は、周囲から切り離された存在ではなく、周囲の人や物との関係によって、つまりさまざまな縁をいただいて、「今、ここに」こうして存在しているわけです。だから、冒頭に書いた永六輔さんの詩ではないが、人と共に生き、人と共にこの世の生を楽しむ心を持つことが大切なのです。
2013.05.21
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「人」という字は、人間が二人で支え合っている形からできています。人間とは、お互いに支え合っていかないと倒れてしまう存在だからです。どんなに隠遁生活をしようとも、自分一人で生きていくことは不可能です。無縁社会と言われるが、食べるもの、着るもの、住まい、何処かへ出掛けるとき、遊びや楽しみ、仕事・・・。いつも、誰かのお世話になって私たちは生きています。私たちが食べている肉一つ取ってみても、動物を飼う人、それを運ぶ人、調理をする人、売る人。さらに遡れば、その飼料を作る人、そのまた肥料を作る人、さまざまな道具を作る人・・・、そして太陽、水、空気、草木。あなたが食べている物一つの中に、この宇宙がそっくり関わっているのです。仕事のうえでも、経営にしろ、商品開発にしろ、販売にしろ、マネージメントにしろ、総て人間が対象で、人間関係を無視しては成り立ちません。そればかりか、私がいまここにいるのだって、先祖のご縁があって命のバトンを受け継いだからです。このように、私たちが生まれて死ぬまでも総ての喜びも悲しみも、他人との係わりの中から生まれます。このような関係をはっきりと認識することが、幸せに生きていくためには大切です。
2013.05.20
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戦争末期の1944年、情報収集の任務でルバング島へ派遣された小野田寛郎さんは、戦争が終わったことも知らずにジャングルに潜伏し続け、遭難した日本人冒険家に偶然発見されて1974年に日本に帰還しました。帰国後、ブラジルに渡って牧場を経営し、1984年にはキャンプを通じて日本の子どもの健全育成を図る「小野田自然塾」の活動を始めた。講演で、小野田さんは、破れた服を縫う針を作るため、1日がかりで金属を削ったものの、9本しか作れなかった経験を紹介し、「針1本の値段はごくわずか。一人前のつもりだったが、自分の力はこんなものかと思い知らされた」と語ったが、私たち人間一人が生きていくためには、衣食住を始めさまざまなものが必要で、それに係わった人の数は何千人、何万人ではすまないと思います。このように、人は一人では生きられません。自分だけが幸せになろうと思ってなれるものではなく、誰かを幸せにしてやろうと思ってはじめて自分も幸せになれるものだと思います。それは、観音様の慈悲観(慈観=人の喜びを自分の喜びと感じる心、悲観=人の悲しみを自分の悲しみとする心)にも通じ、現代のボランティアやチャリティーもそんな助け合いの一つの形といえます。
2013.05.19
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釈迦の智慧(仏教)の解説が多いので戸惑われた方も多いと思うが、私は宗教に関しては門外漢で信心も薄く、釈迦の教えとは紀元前の昔から変わらない人間学の神髄だと思って自分なりに学んできました。大学を出て電機メーカーのサラリーマンとなり、人事労務、会社側組合担当だけでなく常任委員も務め、その後マーケティング面から新規事業開発も行い、人の問題に関わってきました。そして、当時では珍しかったコンサル会社に転職して経営や販売、マネージメントの革新のお手伝いをしてきました。そんななかで、公私ともに悩むことも多く、40代中頃から宗教書をよく読むようになりました。メモを整理して体系的に分類してみると、これは「私の仕事にそのまま使えるじゃないか」と気がつきました。経営も販売も、マネージメントも人を相手にしています。お釈迦様の説かれたのも、人の本性を見極めたうえでの「心安らかに生きるための智慧」であり、それらをいろんな局面に当てはめてみるとピッタリと当てはまり納得できます。そんなこともあって、人の生き方や経営と釈迦の教えをミックスした私なりの論理を展開して20年以上が経ちます。この本は、そんな私の考え方の集大成とも言えます。
2013.05.18
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この本に書いたことは私なりの一つの見方にすぎず、誰にも効果があるとは言えないが、自分なりに実践してきたことです。それは、私自身、子供の頃から人見知りをし、初めての人や多数の集まりが苦手だったからです。だが、38歳の時にコンサルタントになって人前で話す必要がうまれ、雑多な聞き手に会わせて話ができるように、予定時間の2,3倍の原稿を作って臨むようにするとともに、最初のうちは録音したものを聞いて口癖を直したりもしました。サラリーマンを辞めて浪人していた時には、多くの友が去っていくなかで、変わらずに付き合ってくれた少数の友に救われ、自分から友を見限ることだけはしないが、「来る者は拒まず、去る者は追わず」を信条に生きてきました。今では「何時も笑顔がいいですね」と言われるが、40代に公私にわたって辛いことがあり顔が曇りがちでした。そんなとき、お釈迦様の「心が沈みそうなとき、心が沈んではいけない。明るく清らかに心を持って、暗い淀みにするな」とか、「人前で話すときは笑顔でなければならない」という言葉に出会い、人にあったら作り笑いでも良いから笑顔でいようと決意しました。そのうちに、それが習い性となって自然と笑顔がでるようになり、人も集まってきました。そんな経験に基づいた話を書いていきたいと思います。
2013.05.17
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人生の最後に「ああ、面白かった」と言えるためには、毎日を面白可笑しく生きていくことが大切です。それには、良い人間関係を築くことが欠かせません。そのための基本は、笑顔と優しい慈愛の籠もった言葉です。笑顔は人を引きつけ、苦しんでいる人をもホッとさせるだけでなく、自分自身にもいろんな効果があります。心地よい繋がりの輪を築き、楽しく生きたいものです。あるテレビ番組で、「笑いは健康によい」というかなり実証的な放映をしていたが、その中から私の気づいたことを書き添えておきます。1.笑うと自律神経のバランスがとれ、活性化する。つまり交感神経と副交感神経が昼の夜と交互に適切に興奮するのです。その結果、ビタミンの吸収がよくなり、ホルモンがたくさん出るようになる。2.笑うときの肉体の運動量はかなり大きいし、カロリーの消費料も大きい。その結果、内臓脂肪がぐんと減る。3.笑うと目じりにしわができると美容上の心配をする人もいますが、かえって魅力たっぷりのえくぼをつくる筋肉ができる。この筋肉ができるのは人間だけで、他の動物は笑えません。笑えるのは動物のなかで人間だけです。
2013.05.16
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人間関係から喜怒哀楽がうまれるので、喜びや安らぎをもたらす反面、様々な軋轢やトラブルを引き起こしてストレスの原因にもなります。内閣府の調査では、人間関係が難しくなったという人が増える傾向にあります。その原因として、モラルの低下・地域の繋がりの希薄化・人間関係を作る力の低下・核家族化・テレビゲームなどの普及・親子関係の希薄化・学校など教育環境の悪化・職場環境の悪化・兄弟姉妹の不在などが上げられています。一人でいれば、煩わしいこともなく、適度に快適に過ごせるという利点はあるが、一人では過ごせないのがこの世です。どうせ逃れないのであれば、少しでも良い人間関係を構築することです。人に関する問題には絶対的な正解はないが、こうした方がより上手く行くというルールはあります。スポーツや芸能と同じで、ルールを覚え、実体験を積むことによって上手く構築することができます。何事でもすぐに上達することはないので、気づいたことから、自分のペースで、毎日意識して行うようにすることが大切だと思います。そうやっているうちに、気づいてみたらいつの間にか人間関係が上手くいっていて、明るく楽しく毎日を過ごしていたということになるのだと思います。
2013.05.15
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家族や会社とのつながりを失い孤立して生きる人たちも増え、いま「無縁社会」とも言える状況に突入しています。家族の替わりに亡くなった後の諸手続きや葬儀、納骨、遺品整理などをおこなうNPOが、ここ数年相次いで設立され、生前契約を結ぶ人が増えています。設立から8年になるあるNPOでは、年々会員が増え続け、いま4千人近くになっています。最近では、定年退職した途端に唯一の社会との接点を失う危機感からか、定年退職前の50代で入会を決める人もいます。全自治体調査の結果、引き取り手がなく、自治体によって火葬・埋葬された人=無縁死した人は、2008年だけで3万2千人にものぼることが分かりました。うち、警察でも自治体でも身元が分からなかった身元不明者は1千人にのぼります。また、「出生動向基本調査」によると、「交際している異性はいない」と回答した男性が61.4%、女性は49.5%という結果がでたそうです。しかも、このうち「特に異性との交際を望んでいない」と答えたのが、男性で45.0%、女性で45.7%ということです。一人カラオケ専門店に転向した店(元々来客する20%から30%が一人客だった)があるが、無縁化・単身化社会の中で、他者とのつながりが益々大切になっているのではないでしょうか?
2013.05.14
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新米新聞記者の力丸祥子さんは、研修を終えて6月に仙台に赴任したが、被災地の取材に行っても、どう対処して良いかもわからず、泣けてきて十分な取材ができなかったと告白しています。だが、彼女が取材中に泣くと、「ゴメンね」と逆に慰められたり、「遠くから大変ね」と帰り際に、お菓子やドリンクをもらったりした。あんなに辛い体験をしたのに、何も知らない新米記者にどうしてこんなに優しくしてくれるのか、とまた泣けてくる。家を流されたというおばあさんは、「仮設住宅の集会所で編み物をするのが楽しみ」と言う。それを記事に載せると、埼玉の読者から毛糸を送りたいという連絡が入る。こんな話を、幾つも聞きました。逆に、地域リーダー的な人たちが、手に入りにくい救援物資を優先的に分けていたという話も聞きました。人間って、弱くて自愛と我欲の塊でもあるが、その反面、強くて優しい存在でもあると、つくづくと感じさせられました。大震災を経験して、家族や職場以外でも積極的に付き合いを広げていきたいという人(2010年国民生活選好度調査では4人に3人)が増え、ボランティア活動やNPO活動に携わる人も増えています。
2013.05.13
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生活全般に関する満足度についての調査では、「どちらかといえば不満」と「不満」と回答した人の合計は、78年15.6%から05年28.3%にまで高まり、人々の生活に対する満足度は低下しています。心の豊かさがより重視される傾向が強まってきていることを勘案すると、生活満足度の低下には、心の豊かさが満たされていないことが影響している可能性があります。つながりには様々な形があるが、内閣府調査では、家族と一緒に過ごす時間が長い人、隣近所と行き来する頻度が多い人、職場の人と行き来する頻度が多い人ほど、精神的なやすらぎを得る傾向にあることが分かります。つながりと生活満足度との関係を統計的に分析してみると、家族と一緒に過ごす時間が長い人、隣近所の人と行き来が多い人、職場・仕事関係の人と行き来が多い人ほど、生活満足度を感じる傾向があります。一方、地域や会社で何かにつけて相談するような全面的な付き合いを望む人の割合は低下し、必要があれば気軽に話し合うような部分的な付き合いや、必要最低限の形式的な付き合いを望む人の割合が高まる傾向にあり、適度に距離を置いた緩やかなつながりを求める意識が強まっていることが読み取れます。
2013.05.12
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いま、国民を幸せにするためには経済の豊かさよりも、人の和を大切にするブータンの政治が注目されているが、身近な人々との間に良い人間関係を築き、付き合いを楽しむことができれば、人生は明るく楽しく過ごせるはずです。6年内閣府調査では、物の豊かさを重視する割合が減り、心の豊かさを重視する人の割合が増加しています。この傾向は、東日本大震災の後、一層高まっています。そして、家族と一緒に過ごす時間や、近所や職場の人との行き来が多い人ほど精神的な安らぎが得られる確率が高いという結果が出ています。無縁社会と言われる今日、人と人との縁を活かし、絆を深めて、明るく、楽しく生きていくことが益々求められているように思います。全国1万人(20代~60代)に震災後の価値観に関する意識調査をした結果から見えてきたのは、大事なのは絆よりも縁という傾向でした。「見知らぬ他者とも協力し合う心が必要か」との質問に、「そう思う」と答えた人の6割近くが「幸せ」と感じていたのに対し、「思わない」と答えた人では僅か約3分の1。家族や友人など身近な人に手助けをするだけでなく、たまたま関わりをもった「多生の縁」の相手に何かをしてあげることが幸福感に繋がるようです。
2013.05.11
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イタリア人は、美味い飯を食って、旨い酒を飲み、大声で歌って、恋をすることが人生にとって一番大切なことだと考え、人生いまわの際にどれだけ「ああ、面白かった」といえるかが人生にとっての最終決算だと考えているという。イギリス人は、あまりゴルフの練習をせず、本番に備えて一生懸命に練習をしてくる日本人を「フェアーじゃない」としかめ面で眺めているという。普段は過密なスケジュールをこなし、家庭サービスもし、教養も磨かなければなない。やり繰りをして、1日仲間とのゴルフを楽しむことにしたのだから、練習などしてくるのではなく、その場を楽しめばいいじゃないかという考えです。あの世には何も持っていけないのだから、「いま」を楽しみ尽くし、最後に「私は面白い人生を送った」と思えるか否かはとても大切なことだと思います。社長や有名人になった、お金を儲けた、勲章もらったとかじゃなくて、いろんなことを通して、あのときにとても楽しい思いをしたとか、いい人と出会って人生の厚みが増したとか、仕事を通してお客様に喜ばれたとか、そういう意味合いでの貯金がどれだけできたかは、幸せを感じるうえでとても大切です。それらは、人と人の繋がりからもたらされ、良い人間関係は欠かせません。
2013.05.10
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思考力は歳を取ってもそう衰えないとは言うが、著名人の一生を遡って検証してみると、少数の例外は別として、一人の人間が際立った能力を発揮し、それによって輝いている年数は意外と短いもので、人の才能には限度があります。運動選手のように体力のピーク時しか現役で通用しない仕事は当然のことだが、作曲家、画家、小説家、評論家といった人は体と頭が元気であるうちはいくらでもやれそうだが、現実はそうはいきません。ヨーロッパの大作曲家かといわれる人の年譜を細かくチェックしみると、質の高い作品が次々と発表された年月は、甘く見ても10年、大体5年くらいの間に集中しています。ということは、その後は実は作曲家というよりは「元作曲家」であって、かっての名声という元本の利子で暮らしている金利生活者のようなものです。映画監督にしても、小説家、画家にしても同じようなもので、その才能がほとばしるように次々と良質の作品を生み出す期間は意外と短く、5年もするとピークを過ぎてしまいます。サラリーマンも同じで、目覚ましい業績を示す充実期は恐らく10年を出ないと思います。だから、才能を磨くことも大切だが、才能がピークを過ぎても慕われる人間性を磨くことがより大切ともいえます。今日で、このテーマを終わりますが、最後に、人間は20代中頃から30代が勝負です。若者達よ、頑張って下さい。参考までに、ノーベル賞受賞者の業績を挙げた年齢を上げておきます。湯川秀樹 28才 江崎玲於奈 32才 福井健一 34才 利根川進 37才 朝永振一郎 40才 白川英樹 41才ということは、発想は20代後半から30代前半だと言うことです。(海外でも同じ)今回のテーマは、私の読者層とはずれていたせいか、読者が最低でしたが、私は沢山の読者が欲しいと思ったことはありません。ほんの一人か二人でも、触発された人が見えれば嬉しい限りです。ありがとうございました。なお、明日からは昨年有料メルマガで配信した「人間関係」に絵を付けたものにします。
2013.05.09
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何事においても、自信が過ぎて慢心になってはダメだが、自信は大切です。人柄もよく、真面目で、才能も実力もあるが、度量が小さいために積極性や勇気に欠けていて、絵に今ひとつ大胆さが足りない画学生に、先生が「啓悠庵を描いてきなさい」と言われてやって来ると、うっすらと被った雪がとても美しい庭でした。すると主人が出てきて、「人間の心にも、常に雪が被っておる。不安という雪じゃ。しかし雪に埋もれたままでは、思うように動きがとれぬ。力も発揮できぬ。心の雪は解かせねばならぬ」と言います。そこで、「解かす方法があるのですか」と聞くと、「地面の雪は春がくれば解ける。心に春の風を吹かすのじゃ。自信という名の温風を。今、お主に一番欠けているものじゃ。自信を持つことも、才能のひとつなのだよ」と諭しました。自分で考え実行して、失敗を恐れずに試行錯誤しながら経験を積み重ねられる強い心の中に自信が芽生え育まれてきます。だが、聞いて参考にするか否かは別にして、人の意見も聞かなくてはなりません。人の意見に左右されてばかりいると自分がなくなってしまうが、逆に人の意見を聞く耳が遠くなると小さく固まってしまいがちです。前者のような生き様と、後者の心構えが大切です。
2013.05.08
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どんなことでもいいから、何かに深く突っ込んで自信を得ることです。坂本竜馬は8歳のとき、当時の習慣に従い寺子屋に通わされた。ところが、あまりにも物覚えが悪いうえに、ひどい泣き虫で他の子供にいじめられることも度重なり、寺子屋の師匠がやって来て「とても預かれない」と断った。そこで、三つ年上の姉乙女が、その後竜馬の師匠になった。乙女は手を取って習字を教えたが、ミミズのはったような不思議な文字を書いた。また彼には寝小便の癖があり、14歳くらいまで夜中にしばしばもらした。このことは近所の評判で、仲間たちから「坂本の寝小便たれ」と呼ばれた。これが、子供のころの竜馬をますます委縮させた。そんな竜馬が、少年期が終わるころに変貌した。14歳のときから城下の剣術道場に通い始めたのだが、意外にその才があり、驚異的な進歩を見せて18歳で目録を得た。一つのことに自信を得ると、少年というものは変わる。この自信が彼を変え、「世の中の人は何とも言はば言え、我なすことは我のみぞ知る」という詩を詠んだ。やがて千葉道場に入門すると、たちまち桶町千葉の塾頭になり、その後の彼の活動はご存じの通りです。
2013.05.07
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とても優秀なのだが、何かにつけて「私にはできません」という孔子の弟子がいた。その弟子に、「お前は、本当は優秀な人間なのだ。しかし、周りに壁を作って自分の可能性に制限を加えている。それは、自分を見放すことと同じだ。自分で自分を見放してしまったら、後は誰が面倒を見るのだ。もっと天を信頼して、自分の可能性を伸ばしなさい」と諭しました。過去の体験と照らして、つい自分の能力の限界を考えてしまいがちだが、自分の能力を制限しているのは自分自身です。自分自身で「やれる」と確信したことはできるものです。小野千代さんは、「私の一番嫌いな人は、“あたし、駄目なんです”という人である。これは恐ろしいことで、本心からそう思って言っていないとしても、自分の言った言葉が自分の耳に反射して、本当に自分のことを自分で駄目だと思うようになるのではないだろうか。嘘でも冗談にでも、自分は駄目だなどと言ってはならない。“自分ならできる”とそう言い切ることである。その言葉の反射によって、思わず“自分はできる”と思い込むようになる」と言う。人は誰でも素晴らしい才能の芽を持っていて、この世の中にダメな人など一人もいません。それが開花するか否かは、あなたの心の持ち方次第です。
2013.05.06
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登山と一緒で、どんな世界でも、自分が高みに昇れば昇るほど、その世界の難しさ、奥深さに気づくものです。人間の持つ限られた時間、限られた能力はあまりにも微力と言わざるを得ず、自分の限界に気づいたり、どうしても勝てないという人が必ず現れるものです。そういう壁にぶち当たった時に、どうするかです。壁にぶち当たるというのは、これまで歩いてきた道が目の前でなくなった、真っすぐに歩いてきたが絶壁にぶち当たって進めなくなったということです。そうなったとき、呆然として立ち尽くしているだけでは道は拓けません。そこで、横に行くか、引き返すかしてルートを変える必要に迫られます。私の経験から言えば、単なる手直しするのではなく、自分がこれまで一番いいと思ってやってきたこととは全く違った道を選ぶのが一番です。ところが、いざ現実となるとなかなか難しいことです。目的は、壁を乗り越えて頂に立つことであって、これまでの自分の歩いてきた道は、そのための一つの方法、手段にしかすぎないのだが、いつの間にか手段が目的になってしまって、手段を変えることを挫折と考えてしまって身動きが取れなくなってしまいがちです。でも、捨てる勇気を持つことです。そこから進歩が生まれます。
2013.05.05
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人間は、何か失敗したり拙いことがあるとつい弁解します。弁解というものは、よく考えてみると、大抵は他のせいにして言い逃れがちです。そのことを、武井哲応老師は次のような例え話で諭されました。自分の着ている白いシャツが何かで灰色になってしまったとき、何とかこの灰色を白く見せたいと思う。そこで、自分の灰色を白く見せる方法として、自分よりも黒いもののところに並べると具合がいい。黒いものに比べれば、灰色は錯覚で白く見えるからだ。そこで、自分と最も近い関係にある相手に泥を塗り、相手の方を黒くしてしまう。自分と並ぶ相手が黒くなってしまえば、それと比べて自分の方は何となく白く見える。だが相手にいくら泥を塗って黒くしたところで、自分の灰色が白くなるわけではなく、根本的な解決にはならない・・・。人間には失敗はつきものだから、失敗すること自体は仕方がありません。その時に愚痴や言い訳をしないで、原因をよく分析して次に生かすことが大切です。それには、「すみません」と素直に謝り、後に続く言い訳を断ち切るのが一番です。他人に責任を転嫁すれば自分は何もしなくても良いが、それでは進歩しません。素直に非を認めて、自分の行いを具体的に改めることこそ大切です。
2013.05.04
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連休明けで、この連載は終わろうと思います。この後は、私たちにとって最も大切なことなのに、殆どの人が真剣に考えたことのないテーマ「生(死)と幸せ」について書こうと思います。また、人気でないだろうな?人生とは、生まれた途端に死に向かって歩き続ける旅のようなものです。誕生と死の間が生=命であり、その間を幸せに生き切ることが私たちの願いです。その旅の様相は人さまざまなうえに、1年に満たない旅で終わる人もいれば、百年を越える長い旅になる人もいます。旅の終わり方も、病気や老衰だけでなく、突然の災害や事故という場合もあり、5分先は分からない命です。私たちに確実に言えることは、「人は必ず死ぬ」ということだけです。だが、私たちは、生や死を深く考えることもなく毎日をうかうかと過ごしがちです。「人は幸せになるために生まれてきた」というのが私の信条だが、あなたはいま死んだとしても、「私の人生は幸せだった」と心から言えますか?坊さんも書かないようなテーマだが、根本的なことを考えてみる機会になれば幸いです。嵯峨野のレンゲ畑で昼寝をしながら決めましta.4日 あれ、でもこれに似たのを今のテーマの前に書いているな。人間関係にするかな?
2013.05.03
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若い頃は気が急いて、できるだけ近道をしたいと思い、失敗を時間のロスと考えがちです。でも、ある程度歳を重ねると、遅滞を避けようとして脇道に入っても、目的地に到着する時間は余り違わないことに気がつくものです。仕事というものは、失敗しないと学びません。私もよく失敗したが、人間は間違えて痛い目にあわないと身につかないものです。例えて言うなら、デッサンのようなもので、何本もの失敗した線、間違った線が重なって一つの輪郭が描かれるように、仕事の要領も失敗を繰り返す中で覚えていきます。「人生、無駄なし」で、頭で考えて近道を選ぶよりも、とにかく歩き始める。そして、間違ったと思ったら、今来た道を素早く引き返す。失敗しないことよりも、失敗したときに戻ってくる体力だけがあればいい。汗をかき、歩き続けること、挑戦し続けること、それが人間力であり、仕事力ではないでしょうか?辰巳琢郎さんは、「目的に向かって一本道をまっしぐらというよりも、脇道にそれてあちこちで楽しいことにぶつかる。何をやっても自分の糧になる。ふとした瞬間に思い出して、役に立つんですね。いつでもどこにでも踏み出せるようにニュートラルを保つ、そんなスタンスを大事にしています」と語る。
2013.05.03
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北京五輪競泳日本代表チーム等のアドバイザーだった林成之日本大学総合科学研究科教授は、「面談をしていて、“私はコツコツ努力するタイプです”と言う人を信用しない。その言葉を聞いた途端、“コイツはダメだな”と思ってしまう。むろん、コツコツ努力するのは、まったく努力をしないよりはるかにいい。しかし、コツコツ努力する人が大きく成長することはないし、一流の人間になることもない。一流の選手の言葉を聞いていると、ある共通項の存在に気づく。“まだまだ努力が足りない;まだまだたくさんの課題がある”というように、一流になればなるほど、自分はまだ目標に到達できていないと、謙虚というより自然に口にする。彼らは、コツコツ努力するとは決して言わない」と語る。つまり、ただコツコツと努力するだけではダメで、その時々の課題を明確にして、その解決のために究極を求めて自分を磨き続ける努力が大切だということです。桑田真澄はベテランになってからトレーニングに古武術を取り入れてきたし、イチローも「バッティングは生き物ですから、その時の体の状態によって変わってくる。例えば、筋肉の付き方によって、当然スイングは変わってきます。つまり、1カ所に止まっていることはできない」と言う。
2013.05.02
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人間には、楽に覚えられること(言葉や人の顔など)と、苦労しないと獲得できないこと(専門知識や思想など)があります。一般的にいうと、目で見て獲得していくのは易しく、耳で聞いて獲得するのはその次に易しい。そこに書いてある字を読んで理解したり記憶したりするのは、もう少し骨が折れる。数式がいっぱい書いてあったら、より一層骨が折れるという特性があります。そこで困ることは、人間は易きにつくということです。現在では、本を読む人が少なくなり、ネットや漫画しか見ない人も増えているが、これも人間の本質にあっているからです。でも、そんなことばかりしていると人間は考えなくなります。この世の中には、苦労しなければ獲得できないことがあります。それを獲得するということも、私たちには非常に大切なことです。その苦労を全部抜きにしては、人間が磨かれないばかりか、自分なりの存在価値を発揮して心豊かに生きていくということは難しいといえます。そうやって苦労して何かを獲得する中に、やり甲斐、生き甲斐も生まれてくるのだと思います。ある医大では問診訓練をするのに「患者ロボット」を使っているそうだが、その訳は「人との対話が得意でない学生もいるので」ということだった。最先端かもしれないが、複雑な人間心理をそれで学べるとは思えません。
2013.05.01
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