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朝日新聞の書評を読んで、本著に興味を持ったにもかかわらず、 結局『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』を読むことにした私は、 しばらく、本著のことは放置したままになっていた。 しかし、やがて「ユニクロ、文芸春秋を提訴」の一報に触れる。 「やはり、これは読んでおかないとダメか」ということで購入、読書。 カスタマーレビュー等でも、肯定的でない意見が目立つ本著だが、 私自身が、アパレルについてはかなり疎いので、 生産・流通・販売についての記述は、結構興味深く読むことが出来た。また、GAPには行ったことがあったけれど、ZARAなんて聞いたこともなかったので、とても勉強になった。さらに、ユニクロ自体の経営についても、正社員の少なさとや定着率の低さ等、そう言われてみれば、店舗から感じる雰囲気から、推し量ることが出来そうな気もした。もちろん、『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』と比べると、その手にしたときの重みの違い同様、質量共に本著はライトである。取材のために掛けた時間や労力、資料の豊富さ、人を描き出す描写表現には雲泥の差がある。だが、『カリスマ』レベルのものを、全ての書籍に求めるのは酷というものであろう。メディアに露出するときは、いつも笑顔で、本当に人の良さそうな柳井さんだが、自ら迎えた玉塚氏をわずか数年で更迭し、一度退いた社長の座に復帰したのも事実。次の社長の座に、いつ誰が就くことになるのかで、ユニクロが個人商店から脱却できるかどうか、見極めることが出来そうな気がする。
2011.06.26
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ロングセラーの名著とされている本著、 やっと機会を得て、今回読んでみた。 父が、17歳の息子に書き始めた手紙。 それが、およそ20年後まで続いたというのだから、それだけでもスゴイ。 最後の手紙は、息子に自分の会社を譲るときに書かれたものだ。 息子が自分と同じ仕事に就き、自分の会社を受け継いでくれる。 それは、実業家である父親にとって、この上ない大きな喜びであろう。 満足感に満ち溢れた手紙で、最後は締めくくられている。自分が築き上げたものを、子供に引き継がせようとする親は多い。しかし、それが思うようにいかないことも多々ある。子供が親の意志を受け継ぐことを拒否し、自分の道を進んでいくこともあれば、親の残したものを受け継ぐだけの器量を、残念ながら子供が持ち合わせていないこともある。また、受け継ぐことが出来る存在が複数いるときは、その継承を巡って争いになることも。歴史を振り返っても、実業家や政治家、その他様々な継承可能な分野において、様々なドラマが、あちこちで繰り広げられ、笑った者もいれば、泣いた者もいる。そして、これからもこういったドラマが、延々と繰り返されていくのだろう。それにしても、父親が息子に口出しすることは難しい。口を出しすぎては、反発を招くうえに、自立の妨げともなりかねない。かと言って放置すると、不安感を与え、しなくていい失敗をさせてしまう危険性がある。本著の手紙に対する息子からの返事が存在するのなら、ぜひ読んでみたいと思った。
2011.06.26
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『阪急電車』を映画館に観に行ったとき、 この『プリンセス・トヨトミ』の宣伝をしていた。 それはそれは、素晴らしい出来映えで、「ぜひ観たい!」と思った。 TVで流れ始めたCMも、鑑賞意欲を大いにそそる出来映えだった。 それでも、私はまず先に原作を読んでみることにした。 原作を読んでから映画を観ると、ガッカリすることも多いのだが、 (『阪急電車』は、そのパターンを覆す珍しい作品に仕上がっていた!) やっぱり、いつも通りに、今回も原作をまず読むことにした。そして、読んでみての感想だが……映画館に行くのは、やめておこうと思った。あまりにも期待しすぎたせいかも知れないが、私にとって、原作はボリュームの割りには、「普通」「まあまあ」の域を出ないものであった。それでも、『告白』などは、原作よりも映画の方が出来が良かったという話も聞くから(私は映画の方はまだ観ていない)、『プリンセス・トヨトミ』も映画館に足を運んでみる価値は、あるかも知れない。まぁ、それより先に『鴨川ホルモー』でも読んで、万城目作品の理解に努める方が得策か?
2011.06.26
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間違いなく、今年になって私が読んだ本の中ではNo.1である。 ノンフィクションと言いながら、他書からの引用や、 わずかな資料からの、著者による推測が大半を占める書籍も時に見られるが、 本著は、そのようなものとはまるでレベルが違っていた。 丁寧な取材の積み重ねと、多くの資料の分析の上に成り立っており、 その密度の濃い記述からは、中内氏の人となりが目に浮かぶ。 また、ダイエーという企業が、いかにして時代の波に乗り、発展していったか、 顧客意識の変化に気付けず、売り場モラールも低下して、低迷していったかも。 ***『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」(上)』の記事もだが、ブログに貼りつけてある画像とリンク先には、実は誤りがある。と言うのは、画像とリンク先は、ちくま文庫の『完本カリスマ』であり、私の手元にあるのは、新潮文庫版だからである。その違いは、出版社の違いだけではない。新潮文庫版は2001年5月1日の発行。その元となった単行本は、1998年7月に日経BP社から刊行されたもので、それに「第6部 懊悩と終焉」を増補したのが、新潮文庫版である。新潮文庫版の第6部とエピローグは、p.353~p.474にも渡る。そして、2009年10月に発行された、ちくま文庫版『完本カリスマ』(下)には、さらに「第7部 終焉と残照」が続く。そこには、ダイエーの産業再生機構入りから解体、中内氏の死までが新たに加えられている。 ***私は、新潮文庫版を読み終えてから、その事実を知った。もちろん、機を改めて『完本カリスマ』の「第7部 終焉と残照」は、読むつもりである。
2011.06.26
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5月1日付朝日新聞の書評を読んで、『ユニクロ帝国の光と影』に興味を持ち、 これを購入すべきかどうかと、ネット上でカスタマーレビューを眺めてみた。 そんな作業の中で、目にとまったのが本著。 『ユニクロ帝国の光と影』を放置し、こちらを先に読んでみることに。 ダイエーは私にとって、その時々の様々な記憶の背景に頻出する企業である。 千林商店街のダイエーには、幼少時、母親に連れられ、よく出かけた。 1960年代の大阪・千林の賑わいは、今思い返しても尋常ではなかった。 あまりに人が多く、私は母親とはぐれ、派出所のお世話になったこともある。学生時代によく出かけた三宮は、まさにダイエー村と呼ぶに相応しい場所だった。ジョイントでジーンズやシャツ、ゼントハウスではジャケットやスラックスをよく買った。また、神戸駅海側にある中内氏の実家周辺、彼の出身高校や大学、学園都市等々、私にとって馴染み深い景色が、本著の中には続々と登場する。そんな私にとっても、本著で紹介される地域情報の中には、これまで知らずにいたことがかなりあり、とても勉強になった。京阪電車は、大阪城から見て丑虎・鬼門の方角を走るため、車両に魔除けの札が貼ってあること、戦後、神戸が日本一の闇市として賑わい、そこにどんな人々が群がっていたか等々。 ***中内氏は、戦後、父・秀雄が経営する神戸の実家「サカエ薬局」での手伝いを皮切りに、元町高架下で、「友愛薬局」を井生春夫と共同経営を始める。その後、井生との間に亀裂が生じると、父が大阪道修町に隣接する平野町に開いた、弟の次男・博が社長を務める「サカエ薬品」に参画し、安売りで名を馳せる。しかし、社長である博と中内氏は、連日衝突。そして、弟の四男・力と「大栄薬品工業」設立すると、半年を経ずして、大阪・千林に「主婦の店・ダイエー薬局」を開店、さらに翌年には、「主婦の店・ダイエー」2号店として神戸・三宮店を開店する。その後、ダイエーは飛躍的に発展していくわけだが、兄弟は骨肉の争いを繰り返す。また、中内氏は、同業他社に対して、異常なまでのライバル心を剥き出しにする。そこには、中内氏の戦争体験に起因する人間不信や、子どもの頃から優秀であった弟たちへの学歴コンプレックスが根底にあると著者は言う。 ***ここまでで463ページ。かなりのボリュームである。しかし、下巻はさらにボリュームがある。「あとがき」までで479ページ、その後、資料が516ページまで続く(新潮文庫版)。それでも、ここで立ち止まるわけにはいかない。さらに読み進めていこう。
2011.06.26
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本著は「あとがき」(p.275)から読み始めた方がいいかもしれない。 特に「文庫版のためのあとがき」(p.279~)に書かれている 本著のタイトルの由来など、最初から知った上で読んだ方が理解が深まる。 もちろん「特別座談会」と「解説」も、先に読んでしまってかまわない。 それらを読んだ上で、最初に戻ってページを繰っていくと、 本著が何を目指して、ブログの中から集められた文章なのかがよく分かる。 もちろん「まえがき」の部分で、ちゃんと本著が何ものなのかについて 内田先生は説明してくれてはいるのだけれど。さて、本著の中で、私が特に印象に残った部分をご紹介。 それは「公的なもの」は盤石であるから、いくら批判しても構わないし、 むしろ無慈悲な批判にさらされることで「公的なもの」はますます強固で 効率的なものに改善されるであろうという楽観です。 私は正直言って、この「楽観」の根拠がわからないのです。 どうしてそんなに気楽に構えていられるのか。 もしかすると、この方々は「公的なもの」を支えてくれる専門家がどこかにいて、 その人に宛てて改善要求をしているつもりでいるのかも知れません。 申し上げておきますけれど、そんな人、どこにもいませんよ。(中略) 学校や役所や企業を批判する人々の怒りを正当化しているのは 「人間というのは批判されればされるほど労働のモチベーションが上がるものだ」という 「無根拠な楽観」です。 わが身を顧みれば、そんなことあるはずがないということは 骨身にしみてわかっているはずです。 それなのに、どういうわけか自分が批判する当の相手に限っては 「自分とは違って、批判を契機として、パフォーマンスを上げてくれる」人種だと 思っていられるのでしょう。(p.12)内田先生も、大学でクレームにずいぶん苦労されている様子が、ひしひしと伝わってくる。 「市場の淘汰圧」にさらされるということは、 言い換えれば読者が「興奮する素材」を絶えず提供しなければ 生き残れないということである。 マスメディアの悲劇的宿命はここにある。 「読者の鎮静」を求める情報をマスメディアは提供することができない。 メディアは「読者を怒らせる」情報 (ともうひとつあるが、これは今回の論件には関係がない)だけを選択的に提供する。 だから、メディアには「正義の名における怒り」を煽る文章が氾濫することになるのである。 「このようなことを許しておいてよいのでしょうか」というのは ニュースショーのアンカーマンの定型句である。(p.143)メディアとはそういうものだということをしっかり理解した上で、相対することが必要なのである
2011.06.12
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春先、本屋さんでたくさん並んでいるのを見かけ、 「たまには、こういうのを読み直すのもいいかも」と購入。 ところが、いざ読み始めると、これまで知っているはずと思っていたことが、 思わぬところで、すっかり間違えてしまっていたこともあり、大いに反省。 特に席次については、座敷、カウンター、レストラン、円卓で異なり、 さらに、会議室や応接室、タクシー、自家用車、飛行機、エレベーターと バリエーションが豊富なので、時々再確認しておく方が良いと感じた。 何より、思い込みが怖い。また、言葉遣いについての記述は、社会人1年生にはとても役立つものだろう。学生時代にはなかった人間関係の中に初めて身を置き、それまで耳にしたこともない言葉を遣う必要に迫られることもあるだろうから。ただ、コートのたたみ方(p.132)に関しては、ここまで必要なのかと感じた。
2011.06.12
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小・中学校、そして高校を、出来る児童・生徒として過ごし、 名門大学卒業後は、一流企業で確実に昇進を続けている。 そんな優等生たちは、自分より強い立場にいる人の心を読むことが得意。 それは、テストで出題者の意図を読みとる力を、しっかりと培ってきたから。 さらに、全ての教科でまんべんなく高得点を取るために、 嫌いな教科も、我慢して勉強を続けてきた彼らは、 好き嫌いを抑制する能力をも、しっかりと身につけ、 社会人となってから、複雑な人間関係の中をうまく立ち回ってきた。ところが、いざリーダーシップを発揮する立場になった時、もはや先生や上司はいない。間違うことを恐れ、嫌われることを恐れる彼らは、そこで、組織全体の空気を必死に読んで行動しようと試みる。結果、あらゆる人の意見を反映させようとして、どっちつかずの状況に陥る。色々な人から色々なことを言われたとき、皆にいい顔をして、全科目合格点を取ろうとして、結局、優柔不断を繰り返す。そして、彼らは自己抑制の連続の中、フラストレーションを溜め込み、不機嫌でつまらない人生を過ごすことになる。現在、社会の変化は激しく、果敢に挑戦し続けねば生きのびることができない。その分失敗も多くなり、常に「出血」を強いられる状況。これまで、優等生として過ごしてきた「調整型」リーダーたちは、修羅場に不慣れで、このような状況に対処することが出来ない。「調整型」リーダーたちが、日々感じている不安・恐れを明快に指摘した著者。そして、著者は続ける。「挫折が人を成長させ、人生を豊かにする」のだと。本著「はじめに」に示されたこの言葉こそが、本著の主題。本著は、まさに『挫折のススメ』といってもいいものである。
2011.06.12
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「下巻」における内田先生の文章は流石、素晴らしい! 「自分らしい勝ち方」にこだわるか否か。 それが「コペルニクス的転回」「ブレークスルー」の可否を決定づける。 そんなルフィーとゾロの比較論には、「なるほど!!」と頷くしかない。 また、ルフィの組織論は『ONE PIECE』という作品を飛び越えた、次元の高いもの。 「自立」した個人の強さの限界についての記述には、思わず納得。 ただ、ウソップの存在を「ストーリーテラー」と位置づけたうえで、 内田先生が思い描く『ONE PIECE』のラストシーンには、少し首を捻った。そして「STRONG WORDS」自体も、「上巻」より「!」なものが多かった気がする。即ち、「上巻」に比して「下巻」の方が、全体の仕上がりがグッと良い。だから、「上巻」を読んで、少しがっかりした人も、気を取り直して、この「下巻」を読んでみることを、ぜひともお勧めしたい。 ***さて、「下巻」の「STRONG WORDS」の中で、私が特に印象深かったのは、 生物は みな生まれながらに 平等じゃねェんだよ シャハハハハハハハ!!というアーロン/巻九 第72話「分相応」における言葉。(p.107)選者のコメントは、最近の社会の風潮を反映して、この言葉に否定的なものとなっている。が、それは本音?(もちろん、こう書かなくては、多方面から非難の的となる可能性大)実はこの言葉に、「真理」を感じる者は、決して少なくないのではなかろうか?そして、もう一つは、 海賊が悪!!? 海軍が正義!!? そんなものは いくらでも 塗り替えられて来た…!!! “平和”を知らねェ子供共(ガキども)と “戦争”を知らねェ子供共との 価値観は違う!!! 頂点に立つ者が 善悪を塗り替える!!! 今 この場所こそ中立だ!!! 正義は勝つって!? そりゃそうだろ 勝者だけが 正義だ!!!!というドンキホーテ・ドフラミンゴ/巻五十七 第556話「正義は勝つ!!」における言葉。(p.129)今も昔も、フィクションでもノンフィクションでも、「勝てば官軍」は、残念ながら世の常なのである。
2011.06.05
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『ONE PIECE』巻一から巻六一までの第一部の中から、 本著「上巻」には、120の「STRONG WORDS」が掲載されている。 ただ、個人的には、より印象的な言葉が、他に数多くあった気がする。 選者と私との間に、若干のフィーリングの違いがあるのを感じた。 ひょっとすると、「下巻」には、「これっ!これですよ!!」と、 私が大きく頷くことができる言葉が、数多く登場するのかも知れないが、 「上巻」に限って言うと、そんなには見当たらない。 ちょっと期待はずれか……。そんな中で、私的に「!」なものを選ぶとすれば、 おいサンジ カゼひくなよ という、ゼフ/巻八 第68話「4人目」における言葉。(p.162)ただこれも、それまでのお話しの経緯を、どの程度承知しているかによって、読む者の心に響く度合いは、全く違ってきてしまう。(私は『ONE PIECE』の中でも、ゼフとサンジのお話しが、一・二を争うぐらい好きである)そして、もう一つ選ぶとすれば、 能力や技じゃない -その場にいる者達を 次々に自分の味方につける この海において あの男は最も恐るべき力を 持っている………!!という、ジュラキュール・ミホーク/巻五十七 第561話「ルフィVSミホーク」の言葉。(p.133)これは、ルフィーというキャラクターの魅力、引いては、『ONE PIECE』という作品の魅力を、一言に凝縮させた珠玉の一語だと言える。 ***ところで、私が本著を購入したのは、これらの言葉を愉しむためでは実はない。それだけのためなら、我が家に全巻揃っている原作を、今一度実際に手にとり、再度読み直せば、十分に事は足りるし、その方が、前後の話の流れから、より感銘を受ける言葉となるだろう。では、なぜ本著購入かと言われれば、もちろん、内田先生の一文が掲載されているからである。しかし、その文章もp.186~205と、そんなに長いものではない。この点も、少々期待はずれ。また、本著をどんな層の読者たちが購入するのかは、よく分からないが、年少者には、本著における内田先生の文章は、かなり難解に感じられるかも知れない。と言うのも、最近発刊されている他の書籍における文章より、一段と思想家・内田樹が感じられる文章に仕上がっているから。さらに、『昭和残侠伝』や『SLAM DANK』といった、『ONE PIECE』の読者層とは、直接結びつかない作品について、導入部でいきなり、そしてかなり突っ込んで語り始めている。そのため、せっかくの内田先生の文章が、受け入れられにくい状況になっている。
2011.06.05
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