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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2009.05.05
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カテゴリ: 教育・子育て
『悲鳴をあげる学校』 を読んで、もう2年余り。
 その後「モンスターペアレント」という言葉が登場し、
 同名のテレビドラマが作られるまでに、世間に定着しました。
 そんな世の中の動きに、小野田先生がコメント。

 そう、コメント。
 『悲鳴をあげる学校』ほどに、実例が示されることもなく、
 また、現時点での、小野田先生の研究の詳細が、紹介されるのでもなく、
 とりあえず、「イチャモン」にまつわる事柄についての考えをコメント。


情報が溢れかえる時代の中で、医療現場や福祉の現場でも、
学校で起こっているのと同じことが起こっていると、コメント。
これは、所謂「モンスター・ペイシェント」についてで、特に目新しいものではありません。

第2章「商品化する教育」では、
「満足基準の急上昇」や「顧客満足・商品としての教育」についてコメント。
「消費者」として「教育」をとらえようとする姿勢についての議論は、
もはや、百花繚乱の状況であり、特に目新しいものではありません。

さらに、第3章「強い者が弱い者をたたく社会」や
第5章「保護者と学校はなぜわかりあえないのか」(1)何が伝わっているのか、いないのか?では、
マスコミの報道姿勢や「二分割的発想」の危うさについてコメント。
これらについても、 『幼児化する日本社会』

ほとんどの部分が、何か既視感を覚えるような、定番(?)のコメントで溢れている本著。
「何かで読んだな……」とか「あぁ、あの本と同じことを書いてるなぁ」とか。
まぁ、小野田先生が研究しておられる分野そのものが、
私自身も興味を持ち、色々と本も読んでいるわけですから、それも当然でしょうか……。

それでもなお、小野田先生のコメントは、

私の中での好感度は絶大です!

  財政削減の波をモロに受けて、今の学校には、
  近年の社会の変動や要求の多様化に伴う形で、
  ヒト・モノ・カネが供給されてはいないために
  10年前と同じ水準を維持することすら難しくなっています。(p.55)

確かに、色んなことへの要求度は、日に日に高まってきているにもかかわらず、
要求する側は「声は出すけど、金は出さない」という最悪パターン。
でも、これって、教育の現場だけじゃないと思います……。
やっぱり、不景気の波は、各方面に多大な影響を及ぼしている。

  「教育の顧客は子ども・生徒である!」
  この当たり前のことを肝に銘じることが、いま相当に難しくなっています。
  なにしろ先に述べたように、カスタマー(顧客)を
  子どもではなく保護者(親)だとスリカエる政策が前面に打ち出され、
  かつそれに拍車をかけるように各種のマスコミによって……(後略)(p.60)

なるほど、これは言われてみれば当然のことながら、
かなり「目から鱗が落ちる」ご指摘。

  20年ほど前までは、万引きしたら、親が謝りに来て、
  子どもの頭を下げさせて「申し訳ありません」と言った。
  10年前には「だったら、お金を払えばいいんだろう!」になり、
  今は「盗られるような所に商品を置いておく方が悪い」と言われます、
  と商店主は嘆きます。(p.87)

まぁ、実際、こんな感じじゃないでしょうか。
(もちろん、今でも、ちゃんと謝る親の方が、圧倒的に多いと思いたいですが……)
万引きした子どもを、親が引き取りに行くことを拒否しために、
店や警察から学校に連絡が入り、先生が迎えに行くこともあるとか。

  学校や教師には「向き合うべき課題」と「聞き流すだけでいい話」
  そして「適切な距離を保つ必要がある問題」があるかと思います。
  それを見定めるには、特定の個人に対するラベリングに影響されずに、
  まずは話を聞きながら
  「怒りの源」はどこにあるのかを見て取る姿勢が必要なんだろうと思います。(p.119)

これは、 『クレーム対応のプロが教える心を疲れさせない技術』 の指摘と同一。

  私は「教師が親に注意を促す存在ではない」と断言します。
  教師は子どもを叱ったり褒めたりする存在ですが、
  原則的に保護者にはそのような行為をする立場にはありません。
  授業参観中の行き過ぎた行為を注意し合うのは、やはり「保護者同士」なのです(p.168)

これが可能なコミュニティーを、果たして再構築できるのか?
誰が、どのような形で、それを造りあげていくのか?
それを実現できる可能性が最も高いのは、やっぱり学校?
じゃぁ、やっぱり、とりあえずは、先生が注意するしかないか……。

  近所の人たちからの苦情として
  「自分たちは中学生に注意をしたいと思っても、なかなか通らないから、
  先生からしてくれないか」と言われることが多くなったと中学校教師は言います。
  それは一方では、注意をすること自体を避けて、
  適当な代理人としての学校に依頼する傾向(自分で責任をとらないこと)でもありますが、
  他方では注意をされた中学生たちも
  「何で、そんな人に言われなあかんねん」と言う感覚が生まれ、
  対応が適切になっていないということが同時に起きていることなのでしょう。(p.171)

これも、先のコミュニティー再構築に関わる部分。
「個」の時代となった現在、家庭の中ですら、「個」が過度に尊重され、
その構成員(家族)の結びつきが弱体化しているのに、
崩壊寸前の地域社会の構成員間に、それを求めるのは、酷というものでしょうか……。

何でもかんでも、人任せの他力本願。
自らの権利は声高に主張し、その実現を他者に向かって、強く要求するけれど、
自ら、その当事者となって、共に額に汗しながら、行動しようなんていう気持ちは皆無。
自らの役割や行動責任を果たしてこその権利だということに、気付きもしない厚顔無恥。

自らが行動しないなら、
せめて、他者にそれを期待したり、押しつけるなよと言いたくもなる。
これも、消費社会に、皆でドップリ浸かってしまった弊害か。
まさに、 『大人のいない国』 です。





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Last updated  2009.05.05 13:38:14 コメントを書く
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