恩田陸の『茶と黒の幻想』を読んだ。幻想的な『三月は深き紅の淵を』『麦の海に沈む果実』の続きと期待して…。(この2作は題名に惹かれたともいえるが)
けれども。
そつがないけれど「それが、なにか…」というのが感想。別に恩田さんがいけないのではなくて、そういう資質の作家さんなので、この口当たりのよさがいいという人も多いと思う。
たまたま一緒に読み始めたのが、D・H・ロレンスの『恋する女たち』だったのが悪かった。おなじ男女4人が織り成す模様が、あっさり味の料理と、こってり味の料理の違いがわかってしまった。
もちろんストーリーはまったく違うので内容がおもしろいとかそうではないとかではなく、例えば人物描写の粘着度がまるでかけはなれているのだ。
現代と20世紀初頭の文学の違いか?どうか。あるいは日本の小説があっさり加減なのか。でも松本清張の小役人や官僚の悪人描写は真に迫っていたが。
トルストイやドストエフスキーの人物描写も時代を超えて、目に浮かぶように描かれている気がしたのだが。
もちろん粘着なリアリズムが文学の本髄とは限らない。
その時代だけにわかる小説というのもある。そんな小説は人物の描写はあっさりでもいいだろう。しかし、後々まで残る文学を志すならば普遍性がどこかになければならない。
同窓会的な小説は同窓会のひとたちにしか必要ないのではないか?ということかもしれない。
『影法師』百田尚樹 2016年12月11日
悲しみよ こんにちわ 2010年08月25日 コメント(9)
PR
カテゴリ
コメント新着
サイド自由欄
フリーページ
カレンダー
キーワードサーチ