Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年02月10日
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カテゴリ: 霊魂論



 第1講 ドルナハ  1916年11月8日-8
第3講  中欧ー北方の芸術衝動を理解するための基礎
     中欧ー北方の芸術と南方の芸術の対立と関係
デューラー及びホルバインに至るドイツの彫刻と絵画
 今度はまったく別種の要素に移りましょう、これは比較的力量には乏しいにしても。と言うのはグリューネヴァルトには強固にして偉大な力量があるからですが、私が先ほど、特徴づけにおける革命的なものと呼びました、まさにそういうものを表現しようという試みがなされています。私たちがこれから見ていきますのは、申しましたように力量には乏しいにしても、革命的な衝動の表現のなかに、魂的なもの、つまり魂が外に向かい日常生活のなかから示すような魂的なものを生み出す芸術家です。このようなことが内部で活動している芸術家、つまりルーカス・クラナハ(父)です。「262 ルーカス・クラナハ(父)若返りの泉」「265 ルーカス・クラナハ(父)マリアと幼子」これは聖母であるにしても、このなかにみなさんはまさに最も純粋な宗教改革の気分を得ることでしょう。徹底した宗教改革の気分、すなわち、人間的なものがほかのどんな配慮をもはるかに圧倒しているの
です。母に続いて幼子もじっくりとごらんになってください。「266 ルーカス・クラナハ(父)逃避中の休息」「264 ルーカス・クラナハ(父)聖母」これはクラナハの別の聖母です。「263 ルーカス・クラナハ(父)」 「268 ルーカス・クラナハ(父)磔刑ユーディットとホロフェルネスの首」「269 ルーカス・クラナハ(父)十字架のキリストの前のアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク]
この人が描かれているのは、彼がいかにキリストを敬っているかを示そうとするためです。両足で地に立っている人は、キリスト崇敬のこの魂的な意志衝動を現していますが、この魂がまさしく人間の心情のなかに表現されるように捉えられています。この男、キリストを敬うアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクとは誰かということも知られていると思います。さて今や、まさに厳密な意味での中世的な芸術家、アルブレヒト・デューラーに行き着きました。「270 アルブレヒト・デューラー 自画像 マドリッド」これは若い頃のものです。こちらは後年の自画像です。「271 アルブレヒト・デューラー 自画像 ミュンヘン」ここでもまた手をよく見てください、そしてこの絵においては、まさに明ー暗の作用を特別なしかたで引き出すために頭髪が配置されているようすをじっくりと見てください。「286 アルブレヒト・デューラー  聖三位一体」さてこれはデューラーの「聖三位一体 父、子、および聖霊」です、これはデューラーの解釈ではありますが、もとは時代全体の精神から生み出され、当時の思考のすべてに広く波及しながらも、当時に支配され、或る意味で捉えられた解釈です、ちょうどデューラーがこれを完成させた時代に、事物を線描的に、けれどもいたるところで、みなさんがよく見てみようとなさるなら、線描的なもののなかですら、明ー暗のなかに独特なしかたで働きかけつつ、そして構成的なものを秩序づけつつ捉えていたようにとれます。

参照画:アルブレヒト・デューラー-肖像画




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最終更新日  2024年02月10日 07時51分07秒
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