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5月22日 フレンチトースト・ピクニック 開催 される。今日の地元新聞に大きく案内が出ていた。写真は300SLガルウイング、本来、フランス車中心のイベントだが、DSや2CVを出しても話題性に欠けるのか、300SLを選んだのだろうと思う。300SLは有名なので別に説明の必要がない、いちばん有名な話は、石原裕次郎が乗っていた車と言えば分かる。300SLはホンダT360と兄弟車と私は勝手に思っている、素となるエンジン、敗戦国自動車エンジニアの精神性など、共通していると思う。明日は昼から金津創作の森にお手伝いに・・・明日はFIAT SIATA 500Sport MMについて。
2005年05月20日
ツインカムと言えばT360とアルファロメオと決まっている。(ほんとうはS5~800なんでしょうが、T360オーナーなので)本田宗一郎は英車好きなのでロータス・エランがS500のお手本?となったのかと思っていたが、エランは1962年発売、この年にはS360はすでに出来ていたので参考にはならなかったのでは?エラン以前はサイドバルブやせいぜいSOHCどまり。そうすると、アルファロメオが近い。何かの本にツインカムはジレラを参考にした、とあった、どちらにしろ、ツインカムはイタリアの血筋かと思う。ツインカムは日記に何回か書いた。アルファロメオと決定的に違うのは、ホンダのツインカムはバイクから発展しているので、回転数は半端じゃない。キャブもジュリエッタは最後まで1キャブだったが?ホンダは一番最初から4キャブとバイク並、当時レーシングカーは別としても市販車で4キャブは前代未聞。整備性を考えると、2キャブや1キャブでも性能はたいして違わないと思うのだが、小排気量車では有利なのかも。これも本田宗一郎のこだわりです。FTP(トップページのリンク)来週あるので、来週にはT360乗車予定。
2005年05月13日
今月号オールドタイマー誌の甲賀さんの記事に商用車特集がある。今までの旧車の分類は大きく別けて、国産か外車、次に年式になる。60年代の車は年式どころか月単位で大きく性能が違ってる。乗用車と商用車では大きく性格が異なる、旧車として括るより分割した方が良い。将来、旧車イベントも商用車だけのイベントが出来ると面白い。甲賀さんの記事では、趣味として、いかに商用車は人気が無く、いかに虐げられたか書いてある。1965年に自家用車としてT360とホンダスポーツでは、どちらが女性にモテルか比べれば、比較にもならない。「この現実に気づいた男たちは、長年愛していた商用車の夢を捨てる。長年愛したダンプや消防車のオモチャを砂場に埋める」と書いてある。間違い無い。旧車専門誌も商用車だけの別冊を出して欲しい、バキュムカー及び特装車特集なんか売れそうだ。もっとも現存数は極めて少ないと思うけど。次に軽商用車特集、三輪車特集など。三輪車は何処でも人気が有るのに、なぜか特集本(ムック)が無い、不思議だ。(自費出版では何種類かある)オールドタイマーに出ていたマツダD1500はゼヒ見てみたい、この頃の商用車は物凄いデザイン、デザイナーが一人かせいぜい数人なので個性が出る。マツダT-1500四輪車
2005年05月06日
本田宗一郎が丸々車1台デザインしたのはT360だけと言われている。ホンダSは出来上がったクレーモデルを本田宗一郎が自分の好み100%に仕上げさせた。N360も造形室でデザイナーが造ったモデルを宗一郎が自分の好みで変更させた。T360はホンダ1号車だし、宗一郎も力が入ってたと思う、デザインにあたり、何かヒントがあったと思う。独創的にしても意識の下には好みの車種が有ったはず。各種図鑑を見るとトヨタのトヨエースが一番近い。トヨエースは売れていた、当時、流線型の時代なのに見事なまでの無骨さ。ヒントはこの車種では?と考える。カッコいい車種はSを造っている、SとTを対比させるなら、絶対無骨が良い。結果的には充分洗練されていて、現在見ても素晴らしいデザインと思う・・・そう感じるのは・・オーナーだけかな~?実動トヨエースはまだ見ていない、博物館には必ず1台は有るがクラッシクカーイベントでは参加が無い、走っている姿を見てみたい。 無骨なデザインだ。鈴鹿サーキットのT360とS、一緒に走る、このミスマッチが面白い。
2005年05月03日
本日発売、ノスヒロは「360ccの饗宴」進化し続けた軽四輪の特集。T360は時速100kmを出す、当時の軽四輪では抜群の性能と独創性がある、と、思っていた。私もT360のオーナーになるまでは、商業軽四輪は良く知らなかった。日本自動車博物舘では見れても、ロープ越しに見るだけなので外見のみ。T360の独創性は素晴らしいと本に書いてあったので、凄いのだろうと・・まず、水冷4気筒オールアルミエンジンはT360の1年前にキャロル360が発売されている。この前もチョット運転させてもらったけど、遅かった。18馬力なら仕方が無いのか? たまたま調子が悪かったのか不明。足回りのダブルウイッシュボーンはホンダSのを使用したと思ったけど、5年前に発売されたコニートラックは軽四輪でダブルウイッシュボーン。愛知工業復元クラブさんのHPの詳しく載ってます。今月号ノスヒロにハイゼットキャブが出ていた、これもウイッシュボーン、61年に発売された、ハイゼットの前身ハイゼット・トラックはFRだけど同じウイッシュボーンを使用している、軽トラでも使っているぐらいなので、それほど高級な方法ではないみたいだ。ホンダT360に特別独創的な仕掛けは無い。なのに、同時代他社の製品に比べてこれほどまでに速いのか?360ccで20馬力前後の時代に30馬力も出せたのか不思議だ。S800まで使えた強力な転がり軸受け(ベアリング)とCVキャブ、蛸足排気管で30馬力出たのかも。軽トラにスポーツカーのエンジンをそのまんま載せる、たしかに独創的です。
2005年05月02日
同じ楽天無料HPを開いているサミーさんから、新作T360・チョロQを送っていただいた。このシリーズはスタンダード、雪だるま、犬、猫の4種類になった。常識的に次回は猿なのでは?パッケージにはシリーズと書いてあるので次々出ると思う。マイナーなT360がなんで? たぶん、たいがいの車種は出してしまい,ネタが無くなってきた、それとT360はデホルメしやすいから、だと思う。どんなに変形させても、ボンネットと正面のHマークだけでT360と判別出来る。また、トラックなので荷台に何か乗せれば新型となり、シリーズ化しやすい。荷台にモンキーを乗せたシリーズ希望、M型~ CZなら、なを素晴らしい。ノンキーさんのHPにも写真でてます。写真は下手なので、鮮明な写真はリンクを見てください。現在、5種類のミニカーがある、何れも今でも買える商品。ブリキのT360オモチャをオークションで見たことがある、あれは高そうだ。
2005年04月28日
仕事レジャーでマイカーに乗っていて、任意保険に入っていないのは考えられない。趣味の旧車となると任意保険に入るかは非常に難しい選択となる。セカンドカーであり、乗る頻度が少ない。年間100km以下の走行はざら、それも何台も所有していたら保険金で破産する?結局、オーナーさんの判断しだい。旧車(1960年代)は故障しても事故の話は聞いた事がない。任意に入ってないと、より安全運転になり、事故は極めて少ない?OT誌安藤編集長の記事に、バイクに乗るとき安全の為、革ツナギを着るとスピードが20%UPするそうだ、20%のUPは2倍の危険性になる。着てない方が安全になる。任意保険も革ツナギに似ているかも。私のマイカーは20等級なので最高ランク、割引率は最高になり保険料は安い。T360はセカンドカーとなり7等級から始まる、対人対物無制限でもっともシンプルな保険で6万円以上になる。それも、T360の場合、保険屋さんが引き受けてくれるかによる。Webの自動車保険では、ホンダの型式はS500までしかない。T360は門前払いになってしまう。T360の任意保険は4万~8万円になる。ミゼットやケサブローで任意保険に入っている方が居るのか?今度聞いてみます。旧車の車輌保険は考えた事もない、保険料は幾らするのか?全損の場合は?趣味で旧車に乗るときは緊張し、絶えず注意している。私のT360は任意に入りましたが、壊れても事故は絶対無い、はずだ。何処かの雑誌で旧車の任意保険特集をしてください。日掛け、せめて月掛け保険ってないのか。
2005年04月15日
名神高速道路開通の1ヶ月後にT360は発売された。もちろん、この日に合わせて発売を急いだと思うので軽トラとしては熟成してない。このオバケ加減が今となっては魅力的だ。始めての高速道路は時速100km制限、巡航で100kmは国産車では無理とまで言われていた。特に軽四輪は80km制限の予定だったが・・・例によって、本田宗一郎が100kmに上げるように運輸省に噛み付いた。当時、時速100kmを出す軽四輪はなかったので、どうしても名神高速に合わせて時速100kmの軽四輪を発売しないとだめだった、大急ぎで造ったのがT360。T360最大の目標は名神高速なので軽く100km以上出る。巡航で時速100kmは現在でも楽勝。今乗ると、高速100km走行は遠出に便利、これは当時の軽四輪には絶対マネできなかった。T500分解修理見学の休憩時間に「T360は最高何キロ出るのか?」聞いたら、名人さんは「160キロは出る」・・信じられん・・360ccですよ。100マイルカーじゃないですか。最終ドリブンギヤを交換し、長い直線と無風状態の時なら可能かも。試してみる気はしません。巡航時速100kmの写真(一般道路ではなく高速です)
2005年03月28日
ホンダスポーツSのエンジンを見ると、このエンジンがどうして軽トラの座席下に納まるのか不思議に思うはずだ。種も仕掛けもある、Sは45°に傾斜させてエンジンルームに設置されている、45度が一番効率が良い形になる。T360はほぼ水平に車体下に設置してある、当然、車体の中心になるのでミッドシップマウントでレーシングカーの設置方法になる。前輪後輪の重量配分は51:49とほぼ中心にエンジンが設置されている。この配分、設計では50:50で計算されたと思う、造ってみたら1%後輪が軽かった、車体設計者は残念がったはずだ、丁度ど真ん中がかっこいいのに、若干ずれた。芸術品のASエンジン。エンジンが全て、実に見栄えが良いし、なおかつ整備もしやすい。T360エンジンは水平に設置される、こんなに薄くなり車体下に収まるが、軽トラは積載量が勝負、エンジンは底しか見えず、整備性はまったく考慮されてない。軽トラには贅沢すぎるエンジン、なにを間違えたのか、日本初のツインカムエンジン搭載車となった。
2005年03月21日
今年最後と思われる冬将軍到来、冬タイヤはもう外してしまった。降雪は有るものの積雪なし。オスプレイ・ミリタリーシリーズ、M3ハーフトラックが発売された。この本にはクローラの歴史などが出るかと思ったが、M3ハーフトラックのバリエーションだけ、AFVマニヤさんの参考書と思う。シリーズではドイツ軍のハーフトラックも出たが、ドイツ式は戦車により近く、M3ハーフトラックはゴム製エンドレスクローラなのでT360に似ている。ドイツ式の組み立て式クローラは故障が多いらしい、アメリカ製M3はM3トラックの後輪にゴム製クローラを取り付けただけなので大量生産が出来た。M3は時速70km以上出たらしいのでアメリカらしい・・・・乗ってる人は恐怖だと思う。T360のクローラ部分はM3ハーフトラックよりもっと複雑に出来ている、よくこんな物を造ったものだと感心する。T360クローラの説明は左の説明欄にある。知らなかったのは、半分だけトラック(TRUCK)だからハーフトラックかと思っていたら、キャタピラの事をトラック(TRACK)と言うので、半分キャタピラの乗り物と言うことになる。下記の写真は超デカイので注意、後で削除します。昔、楽天無料HPは写真無制限だった、大きさも枚数も無制限なので小さくするテクがなく、そのまんま貼り付けていた。楽天さんもたまったもんじゃないな~それでも昔の写真は削除されてません。装着は慣れれば30分で出来た時もあった・・・クローラ本体が重いので楽な作業ではない。
2005年03月13日
本日、天気晴朗なれど風強し、気温低い。今年始めての本格的走行をした。15分程度は走った事があるので、実際は今年2回目の走行になった。1ヶ月エンジンをかけてなかったので、チョークを引かずに長めのクランキング、次にチョーク全開で1っ発始動。長い暖機運転後ユックリ走り出したら、タイヤがゴトゴト言う。なんせ40年前のタイヤなので冬の間タイヤが変形してた、しばらく走ったら円形になった。それにしても、しばらく乗ってなかったらグリスが廻ってない、最初ハブベアリングも変な感じだった。1時間走り回ったら各部がなじんできた、ついでに体もT360になじんできた。今年初の走行は異常なし、市内中心に走ったので最高速は70Kmぐらい。ポルシェがしばらく付いてきた、知ってる方かな?郊外大型電気店にHDDを買いに行った、使用しているパソコンは3年以上使っている、そろそろ壊れそうだ。記憶はフロッピーでしか出来ないので、大量の写真を保存する外部記憶装置が必要になった。店員さんに相談したら、用途としたらCDRが安くて良いらしい、要再検討になった。駐車場にT360を止めて置く、最近の大型1ボックスに囲まれた姿は異常に小さい、確かに注目の的にはなっていた。
2005年03月06日
楽天無料HPは3月より1日に3回日記を書けるらしい。ただでさえネタがないのに1日に3回も書けない、それより写真をもっと増やして欲しいもんだ、最初のころは写真無制限だったのに・・・・始めての1日に2回の日記になった、日に何回も書いたのでは日記じゃないじゃないか。知人より、T360クローラ仕様のプラモデルが発売されたと聞いた。今月のモデルカーに出ているとの話で、さっそく134ページ見てみると、モデルカー編集長が趣味で造ったみたいだ。荷台も三方開きになっていて忠実に作ってある、仕上がりを見ると素人には出来そうもない。1/32プラモデルは持っているが、これの改造は骨が折れる、私には出来ない。クローラを付けて走っている写真はT360ゼロ戦号しか発表されてないので、どうせなら、緑色に塗るのも・・・・
2005年03月03日
T500の生産台数はホンダ公式HPに出ている。1万226台の製造、銘板の消してある部分は最終AKに近い。生産1号車や製造番号の若い車体は、この世界では珍重される。実際、バイクで自分のより若い製造番号が見つかると買い換えるマニアさんは多い。(CB750とかの名車の話)最後の製品はあまり話題にはならないが、確認し辛いだけで貴重な車体と思う。理想は、最初と最後の車体を所有していると自慢できる、こんなマニアさん、今まで見たことも聞いたこともない。昨日紹介した最後期のAKは製造番号銘板から最後のロットだろうと推測できる。メールをいただき、動きそうだと書いたのは、実動、書類もあり未再生原型車、登録すれば何時でも公道を走れるそうだ。これで、S500の部品取り用とはもったいない、オーナーさんの話では部品取りといっても、ほとんどS500とは合わないそうだ。だと思います。T360オーナーからすればT500の部品取りにS500も数台所有している・・・あるわけないか。 最後のロットと思われるAK. T500の製造番号プレート(コーションプレート)は2枚になった。T360は3年で5枚(写真が)たまった。
2005年02月22日
T500最終型(1キャブ)のオーナーさんから、写真を送っていただいた、感謝!S/Nプレートも送っていただいた、現存するT500(T360も含む)でもっとも最終型らしい、これ以上新しいTは見たことないそうだ。つまり、最後のAKになる。以前、書き込みに、1キャブのT500はカタログには有るが、発売されたか分からない、と有った車体。ある所には有るんだ・・・N360と同じセルダイが付いている、これも非常に珍しい、ましてT500となるとT360がシーラカンス(世紀の大発見と騒がれたが調査したら個体数は意外と多かった)ならT500は朱鷺になる。昔、たけしのギャグで「サギかと思って撃ったら朱鷺だった」の超特別天然記念物である。明日も写真をUP、明日はT500車載工具袋。メールには気が付いた点が有ったら教えて下さいと書いてあった、こちらとしては始めてみる写真、まして、T500など全くの未知の世界。詳しい方いたら、書き込みかメールください。 Sオーナーさんには見辛い写真かも、N360オーナーさんだと分かりやすいかも?しかし、随分と違います。状態の良いT500なのですぐにも走り出しそうだ。ラジエターはSに似ている。
2005年02月21日
T360とSは本田宗一郎商店の作品だと思う。その後の車とは何の繋がりもない。以後、(株)ホンダの車になって行く、途中に空冷1300も有るがあれが最後の本田宗一郎かも。T360の後継車種はTN360、これはN360空冷2気筒エンジンなので水冷4気筒から比べると大胆な模様替え。Tとは何の繋がりもない。バイクメーカーHONDAとしたら、最初の車は度肝を抜く車でなくてはならなかった。ホンダSはスポーツカー、元々販売台数は限られている、これでは逃げになる。他社と対決するには、もっとも競争の激しい市場でないとダメだった。T360は「始めから間違っていた軽トラ」と言われている、その通りと思う。各種本や当時の担当者のインタビューを読んでも、何故T360になったかはハッキリしない、一般に言われている「2種類のエンジンを製作出来なかったのでS用エンジンと軽トラを共有した」これが正解のような・・・T360もSも一代限りのエンジンとなった。スポーツカーとして延々と生き延びているのは、スカイラインとフェアレディーだけ、オイルショックや排ガス規制も有ったのに、大したもんだ。トヨタ2000GT、ヨタハチ、コスモスポーツなども一代限り、S800とNSXやS2000と比べても何の脈略もないような?ニューミニやニュービートルは昔の面影を残して結構売れているみたいなので、S800をもう1度復活させれば売れそうだ。T360はデザインの良く似たのは出ても、2度とT360は復活しない。T360は最初で最後、なぜなら、始めから間違ってた車だから。ほとんど、冗談のような軽トラです。
2005年02月15日
T360とSのエンジンはメッサーシュミット戦闘機エンジンDB601(ダイムラーベンツ)が素になっている。今月号の「ミリタリークラシック」にイタリア空軍の話が載っていた。メッサーシュミットは日本では飛燕戦闘機になる、DB601エンジンを完全に複製できなかった日本は、飛べない飛行機を大量に生産した。ゼロ戦に次ぐ生産台数だった。イタリアはDB601エンジンを完全に複製できたそうだ、以前、日記に書いたG55チェンタウロ戦闘機は601高性能版の605エンジンを載せていたらしい。これも完全に複製出来たらしい。601エンジンは「MC,202ファルゴーレ」 飛燕と瓜二つの飛行機に見える。飛燕のエンジンがT360に影響を与えたように、ファルゴーレのエンジンも戦後のイタリア車に影響を与えたと思う。別の本では、イタリアは日本同様、複製は出来なかったのでファルゴーレ、チェンタウロのエンジンはドイツからの直輸入と書いてある、どちらが本当なのか不明。どちらにしろ、日本陸海軍が総力を挙げ完成できなかったエンジンを本田宗一郎が実用品「T360軽トラ」として完成させた。 T500エンジンの分解。飛燕戦闘機エンジンもこのように分解されたと思う?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー結局、三連休は雪でした、今も降っている。今年は15分程度のドライブが1回だけ、T360の本格的稼動は3月からになると思う。この3年で、ほぼ満足な状態までに仕上げた、残るはボディのレストアのみ。
2005年02月13日
T360の重さは一方開き610Kg,三方開き590Kgである。Sは720Kg前後なのでホンダスポーツでは三方開きが一番軽い、Sより130キロも軽量。各種本を見ると700kgと635kgの2種類書いてある。700kgが一般的なのはネコパブリッシングの本は700kgと書いてあるので、この本を参考にした本は700kgとなってるみたいだ。590Kgは当時としても画期的な軽さかと思うと、トンでもない。ホンダT&Sはヘビー級、T360より10年前に発売されたルノー4CVは普通乗用車で580kg、4名乗りで鉄板もT360より厚く頑丈、日野ルノーとしてタクシーにも使われた。トヨタ800スポーツはT360より60cmも長いのに580kg、排気量は2倍以上ある。そうするとT360とSは当時としては重過ぎる、とても軽量スポーツカーとは言えないのでは?ラダーフレームはモノコックに比べると相当重くなるし、ツインカムエンジンは品質過剰なので仕方が無いのかも。T360に似ているコニートラックは450kgと思うので、やっぱし重い。しかし、この重さが軽トラとは思えないハンドリングと高速安定性を生んでいる、運転席の視線は高いが、それ以外はスポーツカー。トヨタS800がゼロ戦式の軽量化によるスピードの向上を目指したのに対して、中村良夫は馬力優先のドイツ式、メッサーシュミット戦闘機型の馬力さえあれば勝てる方式ににてる。本田宗一郎は馬力至上主義、多少の重量オーバーは馬力がカバーしてくれる、馬力が全て。それに、中村は自動車には、あるていどの重さが必要といっているので、とにかく、高回転高馬力のエンジンになった。 クローラ装着した三方開き荷台。
2005年02月09日
昨日のホンダ社内報「FLYING]36号と書いたのは32号のまちがいでした。毎月だと思うので創刊3年目なのか不明です、創刊号を見てみたいが持っている方は非常に少ないと思う。所蔵のマニアさん、表紙の写真だけでも送って下さい。 部品用のマーク。レストア趣味の人にはウイングマークよりHmマークが馴染み深い。この写真もコピー品なので数日で削除します。 23回鈴鹿AHSMに参加していたT360荷台の幌(ターポリン)支柱、オリジナルなのでHmマークが付いている。この手のオリジナルパーツはポイントが高い。それよりも、もっとも錆びやすい部品がよく残っていたもんだ。
2005年02月03日
T360だけとなるとネタは完全に枯渇している。タイミング良く、ホンダ社内報「FLYING」のホンダマーク決定報告の写真をメールで送っていただいた。ホンダマニアにとってホンダ社内報フライングは必須のアイテム、河原田さんも持っている。私は実物を見たことない、雑誌などに載っていたりして存在は知っている。今回、送っていただいたのは32号(1962年12月)この月にウイングマークが正式にホンダマークとして認定された事になる、T360発売の半年前である。下のHマークは部品の包装紙や包装用ポリ袋に今でも?使われている。社員徽章は外周丸を取ったウイングのみとする、書いてある。ちなみに、自動車に使われているHマークはT360が一番最初に使われたはず、当然。最近のホンダバイクは「HONDA」と小さく書いてあるだけ、ウイングマークは少ない。今でも付いているバイクはCB750,CB50ベンリーにFTRとホンダこだわりのバイクと思う。スクーターやアメリカンもどきには付いてない?(確信なし)ホンダ社内規約でウングマークをつけても良いバイクが決まっているのかもしれない? 1962年12月社内報、こんなの勝手にHPに載せてよいのか不明、数日で削除します。紙質は藁半紙? 昨年の鈴鹿AHSMに河原田さんがT500発売時のフライングを持ってきてくれたが、資料が多く、私は見れなかった。さらに、サーキットホテルに忘れてきてしまったらしい、たぶん従業員のおばさんが、汚い雑誌なのでゴミと一緒に捨てたのかも?もったいない。
2005年02月02日
S360は市販されなかったので比べる事は出来ない、したがって、どちらが速いかなど夢にも思った事はなかった。ホンダ公式T360のページでは「荷物を積まなければS360を凌ぐ加速があった」と書いてある、昔、ホンダでは競ったことが有ったのかと感心した。S360の車重は510kgになっているが、これは鋼管フレームFRP張りの重さ、市販車では鋼板製になりS500の725kgに近くなる。T360は610kg、私の三方開きは590kgの重さしかない。S360と比べた場合、T360が加速最高速とも凌駕していると勝手に思っている、なんせS360は存在しない、何とでも言える。では、T500とS500はどちらが速いか?まずS500が速いと思う。500ccになると、ある程度パワーがあり重量UPの影響は少なく、空力やギヤ比が有利に働く。鈴鹿AHSMでもS500は走らないので実際は不明、おそらく過去にも競争した事はないと思う、そんな馬鹿げた事をするオーナーはいない。今、存在してるだけでも素晴らしいのに、無理して走ればエンジンを痛めるだけだ。T360の最高速は何キロ出るのだろうか?ベテランオーナーさんに聞くと、T360は無制限にスピードが出るそうだ、ただし、120km以上からは、何時エンジンが熔けるか分からないらしい、実際熔けた時もあったらしい、恐ろしい事だ。試したくはない。
2005年01月20日
最近、バモスをホンダ・ステップバンに改造するキットが売り出された。T360も出るのでは?と思っていたら、出ました。その名もACT-e660,アクティT360トランスキットバモスのステップバンキットは総額で180万円、この金額なら完全レストアのステップバンが楽に買える、T360キットは136000円意外と安いような。バモスにも当然取り付けできるはずなのでT360バンタイプが出来上がる、面白いとは思うが、本当に売れるのか?バモスのシトロエンHバンは見たことある、非常に良く出来ていてカッコ良い、欲しいと思うが、この手のキットカーはかなりの割高。e-660とT360が並ぶとビックリすると思う、比べるとT360は異常に小さい、現在の軽トラは大きすぎる。今月中には完成写真がUPされると思う、バモスの方が似合いそうな?
2005年01月13日
T500オーナーKさんの年賀状はボンネットのHマークと朱鷺のデザインだった。今年の干支は酉、したがって朱鷺なんですが、補足が必要かと・・・何回か「T360はシーラカンス、T500は朱鷺みたいなもんだ」と書いた。シーラカンスは世紀の発見と騒がれたが調べたら個体数は結構多かった。朱鷺は第一級天然記念物、しかも純粋日本種は最近絶滅した。朱鷺のホームページホンダT500は何台か生存している。何時でも走れる状態では2台確認されている。Kさんのはワンオーナー車、ウエッブで確認されたT500は仮ナンバーだった。T500は兎に角大変、まず、T360やS600は2年車検なのにT500は毎年車検、T360はSより長さで30センチ、幅で10センチ小さいのに、普通車のT500の車体はT360と同じ大きさ、荷台が20センチ長いだけ。こんな普通トラックが本当に売れたのか?当時も少なかったと思うのに現在も走っているとは 「T500は朱鷺」なみ。
2005年01月03日
31日まで仕事です。終わりしだい名古屋の熱田神宮に初詣、名古屋の駅ホテルに宿泊、今年は温泉旅館の予約が遅くなり、とれなかった。ホンダ・ツインカムクラブは東京と大阪にある、北海道にもあるそうだ、ちなみに、当地にも超ローカル・ツインカムクラブがある??鈴鹿AHSM(オールジャパン・ホンダ・スポーツミーティング)は大阪のツインカムクラブが主催している、それも25年の長きにわたり、たいしたものだ。プライベート・ワンメークイベントとしては、もっとも古いイベントの1つと思う。上記ツインカムクラブのHPを見たら・・・インデックスのトップページに我がT360が出ていた、写真だから実物以上に綺麗に見える、美しい(親ばか)。(画像は日替わり)フォトギャラリーは6まで写真が増えた、ページ5にはドライバーズミーティングなどの写真が、女性が写っている写真は、オーナーの女性がホイールキャップを外している写真、サーキット走行ではキャップを外さないと車検合格が出ない。ニュースには今年の活動と忘年会の写真、実は、東京のツインカムクラブのニュースにも忘年会の報告が出ていた。東京のツインカムクラブHPも充実している、情報が多い。 ホンダツインカムは1963年の発売、2013年は発売50周年にあたる。ホンダさんが何かイベントを企画してくれると思う、絶対あるはずだ。日本中からホンダツインカムが集まると思うのでT360で参加したい、問題は鈴鹿か茂木か?
2004年12月30日
雑誌ソロアルファ4を知人に教えてあげたら喜んでいた、トラックマニアさんです、こんな雑誌は見もしないので(趣味が違うから)知らなかったそうだ。伊東さんの記事では、イタリアの主要メーカーは自動車生産4年後に商業車を生産するそうだ。アルファは1910年にトラックを生産、このトラックのフレームを切り詰めてレーシングカーも生産したので、トラックとレーシングカーは姉妹車になるらしい・・・ホンダT360もSの姉妹車、スポーツカーと軽トラでは両極端だが、どこのメーカーも同じ発想、カッコいいスポーツカーは造りたい、それには、まず売れるトラックから。昨日のアルファ・ツインカム・トラック「ロメオ2」を調べても全く資料がない、外車専門雑誌は数が多いが内容は似たり寄った、スポーツカー以外のアルファロメオ特集など面白いのでは?国産旧車マニアさんでも外国トラックには興味のある方が多い。
2004年12月20日
ツインカム・エンジンで世界一のメーカーはアルファロメオだと思う。日本ではトヨタ、ホンダの場合はVテックが一番。日本の元祖ツインカムはT360となっている。昨日発売されたアルファ専門誌『ソロ・アルファ4』を見ていたらアルファのツインカムトラック「ロメオ2」が出ていた。日本に1台入ってきたらしい、初めて見た。ソロアルファのアルファトラック特集の最初に「ホンダがT360軽トラを出したとき「ツインカムエンジン付きのトラックを作るのは世界広しといえども、ほかにはアルファしかない」と、良く引き合いに出されたアレである」(この話聞いた事がある)ロメオトラックはT360より10年前に発売されている、もちろんジュリエッタのツインカムを積んでいるがFF方式、当時としては進んでいる。「アルファはトラックも作っていた」特集はSCG伊東編集長、今年のフレンチトーストピクニックにゲストとして来られた。5月23日フレンチトーストピクニック日記 に書いて有ります。アルファロメオのトラックを書くのは伊東さんぐらいしかないかも。ロメオ2のスペックは書いてないので知らないが、おそらく、実用性重視のもっともなツインカムトラックと思う、比べると、T360は企画がなく、とにかく「度肝を抜く軽トラ」として作ったので・・・・アクセル軽く踏んでも時速100km(時間はかかる)、恐くてアクセル全開できない軽トラとなった。フランス車オーナーさんはトラックにも興味があるのか、実にいろんな商業車が日本に入ってきている、Hバンは有名、ルノーの旧いバンも多い、当地にも2台走っている、カングーなんか田舎の当地でも結構走っている。アルファの商業車はほとんど見ないのはオーナーさんの趣味の違いと思う。
2004年12月19日
T360のミニカーとしてはプラモデル1/32は持っている、このサイズで金属製も有るみたいだが絶版になっている。それ以外でT360はほとんど無いと思う?、T360チョロQはほとんどの車種が出尽くしたので超マイナー車種に移ってきたのか。ミニカーは詳しくない。本で簡単な知識を入れようにも細分化していて大変、この種の本雑誌を買う方はマニアさん、難解に書かないとバカにされると思うのか?そんな中で『ミニカーからすべてを学んだ』は分かり安く ミニカーの歴史も書いてある、チョロQは新しいのか書いてなかった。種類が膨大で、この趣味も大変だ。ミニカーからすべてを学んだでは・・・・行き着く先は資本力、つまり、お金がかかります。タカラ・チョロQのホームページ有名なトミカは1970年に6種類発売される、その中のトヨタ2000GTがもっともレアな車種らしい、お値段も高額らしいので、押入れの奥を探してみるのも良いかも。珍しいのでは、トミー社長の結婚式に参加者だけに配られた特注トミカがあるらしい、マニア垂涎の品なのかも。
2004年12月16日
福井豪雨で完全水没したYさんのS800cが名古屋の工房○○さんから帰ってきた。水没の状況は7月19日から数回書いている、水没したSはどんな修理をするのか興味があるので聞いてみます、オーナーさんのOKが出れば日記のネタにしたい。ただし、一番興味のある料金の事は書けないと思う?ほとんど技術料なので書かない方が良い様な。私もお金の事は聞きませんが。上高地の梓川に落ちたのなら陰干しでも?治るかも知れないが、ガレージに入ったまま屋根以上の泥水に浸かった訳だから、全てを分解清掃しないとダメなはず。メーターや電気系は大変だったと思う、プロでないと修理は無理。当地のYさんのS8は、何やかやと物入りで、水没半年前にピストンピンが折れる非常に珍しい故障の為エンジンの分解組み立てを終えたばかし。とかく、Sは走るとお金がかかりそうだ?T360は基本的に飛ばさないがSオーナーさんは飛ばす、特に峠道が大好きなので故障率も高くなる。Sもガレージで眺めているだけなら お金はかからない。 当地のツインカムは7~8台有るそうだ、日常的に走っているのはこの3台のみ、私の自宅近くにも1台ガレージに寝ている、数十年は動いていない。状態の良い未再生原型車なので貴重な1台、子供が全て片付いたらレストア(走れるように)するらしい。Sを見て何時も思うのは、その車体の小ささ。T360より横幅で10cm、長さで30cmも大きいのにTより小さく見えるのはの車高違いと思う。これでT360の倍以上の排気量、速いはずだ。
2004年12月05日
昨晩のBS2はベトロモンターニャの番組かと思ったら「熱中時間」なる番組の一部だった。始めて見た番組だったが面白かった。高野山の映像だけでなく当地福井の映像や石川県の自動車博物舘の映像もあった。まだ自動車博物舘に行ってない方は是非とも、5月第4週に、あわら市でFTPなる車のイベントが有り、その開催場所からも自動車博物舘は近いです。高野山の映像では知ってる方も何名か写っていた、夏木さんと最初に挨拶していた方はブガッティ35BレーシングのOさん。夏木さんがジャガーSS100のテストをしていた道はT360のテストコースでもある、自宅から15分ぐらい。昨晩の番組に出ていたキャブ調整名人渡辺さん(日本一と言われている)とT360レストア完了後テストした道でもある。渡辺さんは自動車博物舘の修理も担当しているので、360cc軽四輪にも強い。この日記はT360とジャガーSS100にあります。番組は20分程度だった、なんだ~と思って見ていたら次が凄かった。若い女性が趣味で路線バスに乗っていた、驚いた。大型2種免許がいるはずだし、フイットやマーチでなく路線バス、男ならいるかもしれないが、女性だから・・・凄い。BS2はほとんど見ません、熱中時間はなかなか面白い、次回からは見ます。ハイビジョン放送は金曜日の9時から、ただし、同じ番組かも知れない??
2004年11月29日
本日発売のオールドタイマー誌イベント欄その1に「鈴鹿オールジャパン・ホンダスポーツミーティング」の記事あり。参加57台全部が記事になることは無理、岡山の岡崎さんと女性ドライバーは絶対に出ると思った、その通り記事になっていた。岡崎さんのS600は岡シングルナンバー、旧車内では最高の勲章になる、それよりも、服装や雰囲気が良かった、レーシングスーツでは普通、奥様との上品な服装がイベントにマッチしていた。このあたりは貫禄負け、車同様、この世界ではまだまだガキです。T360は参加4台中3台出ていた、もう一台は仕事を抜け出して参加しているので・・T500の河原田さんが雰囲気出ていた、斎藤さんも非常に良い、私のT360は写真写り良すぎ、こんなに綺麗では有りません。しかしオールドタイマーは写真や情報の量は物凄い物がある、これで900円は、持ってけ泥棒、出来たら月刊にしてください。取材で鈴鹿に来られていた甲賀さんの文章炸裂、一番最初の記事、シュビムワーゲン(水泳車とは知らんかった)の長い前振では「希少車の世界では高級車・スポーツカーは大衆車より偉いという、下界の階級制度が通用しない」流石に、オールドタイマーに出ている水泳車や38年雨ざらしサニーに比べるとT360はチョット怪しい・・・(某社の車なら穴だらけになる、ホンダ車のことかも?)イベント報告のタイトルは「40年の時を越え「高周波快音」の祭典」と有る、そのまんまAHSMのサブタイトルになりそうだ。 この4台ともオールドタイマー79号に出ている、左端の茶S600が岡崎さん。
2004年10月27日
T360(500)には1と2と4キャブがある、Sは4キャブのみ。レストアするのにどのキャブレターが良いか?この場合、選べるのは稀、それよりもレストア素材入手出来る事が、極めて稀なので選べない。現存している、T360は4キャブが多いと思う、これは4キャブ=高性能と思えるので(実際は同じです)4キャブがより多く生存できたからだろうと思う。2キャブも台数が少ないが数台は確認されている。問題は1キャブ、これは雑誌でもwebでも見たことない、資料の写真では確かにあるみたいだ。この中でもN360と同じセルダイ(セルとダイナモが一緒になっている)は極めて貴重なエンジン、この1キャブは一度見てみたい。T360は儲からなく故障も多いので、N360が大ヒットすると、N360のエンジンで軽トラ(TN360)生産がきまり、同時に、ホンダはT360後期型の販売を縮小し、売る気がなかった。当然、後期型は販売台数が少ない。これからレストア素材入手希望者は1キャブがお勧めです、実際は選んでなんかいられない、目の前に有ればなんでもOK。
2004年07月09日
本日発売の「ベストカー」に将来名車になれる条件があいてあった。現在の車が数十年後に名車になるには4つの条件が必要と有る、結局は時間が経ってみないと分からない。自動車生活ライター石川真喜照氏は「名車とはヒストリーが重要なんです。そのクルマがどんな人生(車生)を過ごしてきたか。どういう社会環境のなかで、どういうポジションに位置していたか、を検討する必要がある。だから、売っている当時では決められない」T360を見ていくと、現存数、何よりも上記名車の定義に全て当てはまる、特にヒストリーにおいては歴代ホンダ車ではダントツ1位と思う。
2004年04月26日
川本信彦(元社長)はホンダはミステリアスと言っている。T360の生産台数や車体色でさえミステリアスなので、当時のホンダ社内の人間関係はもっとミステリアスな関係だったと思う。兎に角、雑誌のインタビューなどで語るホンダの歴史は一貫性が無いような?久米是志、川本元社長はインタビューなどで中村良夫について一切触れない。T360のエンジン設計図は久米元社長が書いたと誰もが語っている。これは、当時のホンダ社内の派閥?の影響だと思う。河島社長はホンダ(アート商会)の13番目の社員、久米、川本社長もレースがやりたくて迷わずホンダに入社して来た。新卒で入社した社員が親藩か旗本になる。それに対して、中途採用組は外様?筆頭は中村良夫だと思う。中村は筆まめ、インタビューも数多く、ホンダの4輪車は本田宗一郎の下、私が作ったと話す。雑誌などには「中島飛行機の頭脳がホンダを変えた」と、タイトルで出ると、新卒旗本組みはカチンと来るのでは。チョット失礼なタイトルだと思う。ホンダが4輪車生産を計画した時、久米も川本も箱物(車)はどうやって作るのか皆目見当つかなかったと書いている。最初の車は中途採用社員の功績は大きかったと思う。一例として、中村良夫は鈴鹿サーキットをS600で3分切った者には5万円のボーナスを出すと著書で書いている、この発案は自分が思いつきで言ったと書いている。当時の永松テストドライバーは本田宗一郎に直接言われ発奮したと書いている・・・?この話は長くなり不思議な事は山ほどあるけど・・・終わり。T360の日記は中村良夫の著書が中心なので、他の本を読んでから見ると随分と、いい加減です。それでも、S500は皆さん良く語るが、T360の事を多少とも書いているのは中村だけなんです。
2004年04月05日
ホンダスポーツS600のエンジンを載せたホンダ初のライトバンL700をご存知の方は滅多にいない。T360の次にS,その次には商用車としてライトバンとトラックを発売した。この商用車の販売は惨々たる物で、設計者中村良夫も頭を抱えた。L700は10台前後現存してるらしい。L700の詳しいことはオールドタイマー誌67号(2002、12月号)出ている。私もこの記事を読んで感心した記憶がある。ただし、町で出会っても、T360やSのようにはっきり認識できないだろう、それくらい平凡なスタイル。ライトバンやトラックにツインカム・エンジは要らない、おそらく始動性が悪くクレームの連続だったのでは。L700についての記述は何も無い。当時の関係者もこの件だけは触れたくないのでは?唯一、L700に語っているには中村良夫だけ、おそらく責任を感じてだと思う。(著書では終始いい訳でした)ホンダ初の乗用車は、ご存知1967年発売の軽四輪N360。中村良夫としてはシビックのような(まともな)車をもっと早く出したかった、N360が出るまでは高回転高馬力・ツインカムエンジンの呪縛にホンダも縛られていたのでは。中村は乗用車を作りたがった、技術者にとって乗用車は王道で軽トラは安っぽいし、スポーツカーはごまかしが効いた、乗用車となると購入者の目は厳しいし、ライバルも多い。N360の発売で、やっと普通の自動車メーカーになった。ホンダ公式サイト L700の説明
2004年03月12日
このHPを見ていると、それ以前の軽四輪より、いかにT360は複雑高性能な軽四輪かお分かりいただける、と、思う。水冷4気筒ツインカム30馬力エンジンは軽トラ用としては異常な高性能だが、じつは、T360発売中に発売されたN360は空冷2気筒で31馬力だった。T360よりはるかに簡素なエンジンでT360を上回っている。N360のエンジンを搭載したT360の後継車種TN360は30馬力。TN360が発売された時、ホンダ販売店はT360のエンジン修理で散々泣かされてきたのに、空冷2気筒で30馬力も出るので愕然としたらしい。メカの方々は、なら、最初からTN360を出せば、こんな苦労もしなかったのに、と泣けてきたらしい・・・やっぱし、このエンジンはスポーツカーに搭載してこそ素晴らしい。だいたい、スポーツカーと軽トラは性格も住む世界も違う、両極端な車体に共通のエンジンとは。(この次期、ホンダには2種類のエンジンを量産できる工場はまだなかった)「最初から間違っていた軽トラ」と言われても仕方がない。乗ってみるとT360は素晴らしい車なんですが、軽トラって言うだけで・・・
2004年01月29日
大正11年、16歳の本田宗一郎は上京し自動車修理業「アート商会」に見習いとして入社したのは良くご存知のはず。この時期、全国から小学校卒業後(16歳)上京し、自動車会社に見習いとして入社した青年は多い、特に福井県から上京した青年が多い。福井に帰って自動車業を始め、前日日記の自動車草創期の聞き取り調査で思い出を残している。これを読んでいると、本田宗一郎とダブル。大正11年東京に来て本田は自動車の多さに驚く。大正7年上京した本県の菱川氏はヤナセに入社、当時、東京でもタクシーは滅多に走っていなかったと書いている。ヤナセでの自動車修理は部品は何も無いので自作するだけ、パッキングも段ボールをハサミで切って作った。スプリングが折れても、自分で焼入れし作ったらしい。この話で思い出すのは、本田宗一郎の神話に近い修理技術だ、レースの途中でスプリングが折れてリタイヤかと考えた時、社長がガスバーナーと墨(炭素)で修理したなどの話、若い時に何度も修理していたので過熱の炎で炭素含有量と強度が読めた。これを見ていた若い社員が「神がかり」と思ったのも、うなずける。当時の修理工は酸素バーナーと旋盤を使って部品を作った。同時期、上京した福井の時松氏も自動車会社に見習いとして入り、大正11年、石川県知事公用車の運転手として月給100円で雇われる。当時の校長、警察署長が60円の月給の時、20前後の修理工が100円の月給だった。運転できるだけで女性にはムチャクチャもてた時代だった。今のパイロット以上だったらし、本田宗一郎の時代がかった芸者遊びもこの時代の自動車関係者なら当然だったのかも。
2004年01月14日
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