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先月からぼろ家のあちこちを修理しはじめたので、可なり忙しくしてます。明日から台所のカウンターの入れ替えだというのに、一階の寝室の天井にくっきりとっ水漏れのあと!あわてて、工事やをよんであけてもらったら、水道管など通ってない場所。どうやら、グレッグがシャワーの蛇口を外側にむけてお湯がでるのをまっている間に他のことをしていたらしく、床にびっしょりみずがたまったのが原因ということで、水道屋あけた天井は直しません。。。ということで、明日からの台所工事のまえに、その穴をふせいでもらわなければならなくなったり、泊り客がくるというのに、立ち入り禁止状態。しかたなく二階に泊まってもらったりで、てんやわんや。人生色々ありますね。マルチ介護の二月号がでたのでアップします。
2019.01.28
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貴方の未知の親戚が、あなたに莫大な財産を遺していきました、、、みたいなメ〜ルを受け取った方も多いと思いますが、今朝、こんなメ〜ルがはいってました。誰から日本語習ったのでしょうね。わたしの生徒ならCの成績です。拡大して見てください、私のように笑っちゃうと思います・こんなのでだます事が出来ると思ってるのかしら。こういうのが来たら、絶対にクリックしないで、フィッシングとして通報してくださいね。
2019.01.16
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カメラが日本に上陸したのは明治時代。篤姫のテレビシリーズにでてきたが、私の祖母の兄にあたる大叔父は明治時代にカリフォルニア・テクノロジー一般的にカルテックスと呼ばれてる技術系の大学を卒業し、カメラの技術を日本に紹介した人である。そのおかげで祖母の家には沢山の写真アルバムがあって母や祖母の子供時代から戦争疎開するまでの写真や海軍の写真が沢山はいっていた。 千葉の海水浴場とか、池袋にあった母が通った自由学園の写真、叔母が通った学習院、祖父と母と蔵王で一緒に竹のスキーでスキーをしているものや、モダンバレーの舞台、ピアノを弾いてるもの、慶応大学の演劇部にいた叔父の舞台化粧の顔写真、戦争が始まるころは母の実家の西洋館の方は軍隊の兵隊達の宿舎にしろとの命令で、家の前に番兵が立っている写真とかはいっていた。東京に空襲警報がなった時にもちだしたアルバムが四冊あったのは覚えている。私が日本を離れてからどうなったのか知らないが、一冊だけ母がカリフォルニアの私の家に置いて行った。その中には、祖母の華族女学校時代のものとか祖父の海軍関係が多かったので福岡の東郷神社に納めさせていただいた事は何度も書いた。後に貞明皇后となった九条武子さんの少女時代の写真をはじめとして幕末に活躍した人の娘達の写真が沢山はいっていて歴史的価値があるかもしれないと思ったからである。ただ残念なことに仲良しの名前だけ(九条、西郷、伏見宮)と書いてあって、あとはどれが誰だかわからないが、祖母の学友には勝、西郷、徳川、松平、島津、伊達さん達のように幕末に活躍した人達の子孫がいた。 (明治30年の祖母) (祖母の両親/ひいじいさんの両親の写真まである) (母の子供時代。背の高いのがやがてドイツに留学した叔母で、サンフランシスコで亡くなっている) 母の姉にあたる叔母はドイツの留学が世界大戦で中断されて帰国したが、その時にライカという蛇腹のついたカメラを父への土産に持ってきたので、私の子供時代から家にはカメラがあった。ただし戦後はフィルムを買うのもままならない時代であったから、子供時代から私が自分でカメラを買うまでの期間の写真はたくさんはない。 学校などで記念撮影をするときは、写真屋さんが三脚の上においたカメラを覆った黒い布を獅子舞のように被って手には、フラッシュを持って目のくらむようなフラッシュをたいたから、出来上がった写真ではよく何人かが目を閉じていた。 私の最初のカメラは長方形の箱みたいなもので上からのぞくと被写体が逆さまに見える代物だったが良い写真がとれた。従兄がもっていたのは、隠しカメラ風で手のひらに乗るほどの小さなものだったからフィルムも1センチ四方の物であった。それはポケットにでもバックにでも簡単にはいって便利であった。 私が17,8歳くらいの頃にカラーフィルムが出始めあっという間に流行った。その内に、日本のカメラの機能の良さが世界的に認められるようになって訪日外国人は殆ど誰でもがカメラを買って帰った。 その時代から、デジタルカメラになり、超スピードで進化し現在の携帯に至るのだが、フィルムも売る店がなくなってきてるし、故にプリントする人も減って来てるしで、プロの写真家たちが苦悩した期間があるのを知っている。しかし世の中の進化に逆らうのは急流の川を泳いで登っていくようなもので、どんなに頑張っても殆ど進まず、いつかはくたびれて流れに乗ってしまうのである。ちなみに、もう使ってないビデオやカメラが10個以上ある。一つはNikonの上等なものだったので、フォトグラファーの一人にフィルム等とケースごとあげた。 カメラはこの先、私の生存中にどう変わっていくのだろうか?興味深々である。
2019.01.14
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今月号は私ページの印刷が薄くて肉眼では読みにくいので、スキャン、フォトショップでアジャストしてみました。これが最高度です。。。残念ながら。読めるといいのですが。無料の雑誌ですから文句もいえないし。。。
2019.01.10
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The Best Giftクリスマス数あるギフトもらえども一番うれしい孫らのカードso many presentsI receive on Christmas day opening slowlywhat makes me the happiestis the card from grandchildren2018 Christmas(I make Japanese Tanka in a matter of few minutes, but trying to translate into English matching the 75755 syllable takes time. Sometimes even weeks)
2019.01.09
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お裁縫: 昭和でも最初の頃は学校で着物を裁つのを教えたそうだが、私の時代は家庭科というのがあって、女生徒には料理、赤ん坊の扱いかた、裁縫などを教えてくれた。しかも、ミシンなどない生徒も大勢いたから手縫いだった。 我が家には、足踏みのシンガーのミシンがあったので、何でも試してみる私は5,6歳で自分の水着を作った。軍人だった父が器用な人で古いジャージーのズボンの片足を切って足を入れる所をつくり、首にかけるように絹のロープを縫い付けただけの水着だったが、一部始終みていたので、それが敗れた時にもう片方の足の部分を切っで自分で作った。とても着心地も良かった。 小学校で、何を作ったかというと雑巾とか赤ん坊のおむつで始まり、エプロンにポケットを付けたもの程度で、中学になると、スカートや簡単なブラウスなども作った。 中学では自分のサイズを計って先ず洋服のパターンの作り方から教わったのだが、戦後の物資難で無駄を出さないようにと新聞紙をつかったため普通の鉛筆ではみにくいから、色鉛筆をつかった。新聞紙と言えば、戦後直ぐはトイレや、店やの包装紙、学校でお習字の練習用、折り紙など可なり幅広くつかわれ、その内それをリサイクルするようになって、リヤカーで買いに来る人もいた。それが後にチリ紙交換に変化していった。 新聞紙のパターン作りは、手がインクで黒くなることもあったからその手で布地をさわらないように気を付けた。そのおかげで、私は自分のウエディングドレスまで作ったし、たいていのスカートやブラウスは自分でつくっていた。自分で裁縫する人が多かったから、布地を売る店も沢山あり、渋谷の今の交差点の角に「東亜」という布地のデパートがあって、いつも女性で満員だった。私はそこで生地をみるのが好きだった。 何でも縫う私を見ていた前夫は、結婚後のハワイの生活でも「海水パンツ作ってくれ」『アロハシャツを縫ってくれ」というので、ヨットの部品屋にいってセール(帆)にする生地で海パンを作ったり、彼の好きなアロハの生地でシャツを縫ったから可なり気に入ってボロボロになるまで着ていた。勿論自分のビキニも、ムームーも作った。子供達の服、義両親などの服もぬっていたが、そうちに出来合いの方が自分で作るよりずっと安くなっていったために材料を買う人もいなくなり布を売る店もだんだん無くなって行ったから、ミシンも寄付してしまった。 ところが、この数十年でアジア人が増えたためか、また少しずつ布を売る店もでてきた。メキシコに行くと、まだまだ私の娘時代みたいな生地屋が沢山ある。結局は需要と供給の関係であろう。
2019.01.07
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First Walk of New Year親友と凍てつく朝の初歩きつもる会話で5キロ簡単first walk of new yearin a bone-chilly morningwith my closest friendexchanging endless storiesmakes even three mile seems short1/4/2019
2019.01.06
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知らずとも心咎める踏みつけし咲かずに落ちた蘭の蕾にaccidentallystepped on something on the groundscattered orchid budsthough they fell off on their ownguilty feeling just the same
2019.01.03
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今年も宜しく。。。皆様のご健康をカリフォルニアから祈っています。(我がぼろ家の修理に追われ、クリスマスやら、コンサートやらで楽天ブログを書く時間がちょいとたりないのですが、その内に書きますので忘れないでくださいね)
2019.01.01
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