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父なしのジョニーは、5歳の時「親の資格がない」精神病の母親をもっていた為に里子に出された。10年間は裁判所の管轄下で転々として育ち15歳の時母と再会した。それからは、ギャングもどきの仲間と悪事や喧嘩に明け暮れ、数え切れないほど警察の世話になっていたが、絵を描くことだけは墓場まで続けるという。30歳の今では、全面的にジョニーが母親の面倒をみなければならならず、パートと母親の世話とで、家庭の味とか、平凡とか、幸せとかいう人生を知らない。数年前からグレッグが、絵のうまい囚人達と文通を始め、彼らの絵を集めだしたころジョニーの絵を発見した。囚人達の絵に似ていた。「いつかメキシコで囚人の絵のショーをやるときに、あいつも入れてやるんだ」と言った。そしてその「いつか」がやって来た。「我々の車で一緒にメキシコに行きたいなら知らせるように」と一月前から言ってあったのに、ギリギリの前日になって、来ると知らせてきた。メキシコ側は、「ホテルは、グレッグ、ヒロコとエドガーの三人分しか予約してない」というので私は、ジョニーが、ギリギリまで母親のケアーテーカーの手配をしていたこと、車もないから、自宅から我が家まで乗せてくれる人を探していた事、お金のない事をディレクターに知らせると、「何とか、手配します」と言ってくれた。グレッグは、「ジョニーのホテル代を出す」とまでいった。エドガーは、時間ぴったりにやってきたが、「すみません、ちょっと渋滞にひっかかって遅れます」と、ジョニーから電話があり、30分遅れてやってきた。ギャング・スタイルのバンダナをし刺青の腕を出し、肩で風を切る感じのジョニーが、ゲートを入ってきたのだが、玄関をあけ「ハイ、ジョニー!ようこそ、皆、待ってたのよ」と私がハグしたとたんに体の力がぬけ、安心した子供のような顔になった。4時間車を走らせ、メキシコの文化会館の画廊に入ったとたんに、ジョニーの目がキラキラとかがやき、急に幸せと優越感の混じった顔つきになった。そこには、彼の作品がプロの手によって展示されていたのだ。開会式には、館長から感謝状までもらい、リボンをカットし、新聞記者にインタビューされ、テレビに写され、見に来ていた子供達から、憧れの目でサインをたのまれ、ジョニーは一晩中恍惚としていた。グレッグは、この場所でこの10余年何度も個展をやっているので次々に顔見知りが挨拶にやってくるから忙しかったので、私がジョニーの案内役になった。「自分は人が信じられない」と、彼のブログに書いてあったので、恐らくこの会場を見るまで、ジョニーは、我々の話も信じていなかったのだとおもう。それゆえに、立派なホテルの一室を与えられ、立派な画廊(メキシコでは文化会館は美術館と同じクラスに入る)に自分の作品が展示され、大勢に写真をとられたからだろう、自然にもれてくる 笑顔を出すまいと必死に我慢してる感じだった。「本当の話だから、おどろいた?グレッグはね、腕があると見た新人をこうやって援助するのよ。メキシコの画家たちも何度もカリフォルニアに招待してるわ。これからもがんばりなさいね」と言ったら、「はい!オレやる気が、出てきました!感謝してます」と、初めて笑顔を見せた。14年前、まったく自信がなかったグレッグの絵の才能を発見した時のことを思い出した。そして今では、ベテランの画家となったグレッグが、あの時の私と同じ事をやり始めたのである。いつかジョニーが悪い仲間から離れて、絵の道で名前をあげるようになって、次ぎの時代の誰かを助けてくれる事を私は祈っている。
2011.01.31
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今、グレッグは6っ箇所で絵を展示してますが、大きなショーのオープニングがメキシコであるので、明日は一泊でいってきます。このサイトでも、みていてください。http://greggstonegallery.blogspot.com/それと、この自閉症の男性の人間カメラを楽しんでいてくださいね。
2011.01.28
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夫のデイブを亡くしてから、ベティー(グレッグの母)は、どんどん痩せるのでどうなる事かと、みなでハラハラしていたのですが、肥満体で10歩、歩いても息をきらしていたのが治って88歳の誕生日を祝うことができました。デイブの生存中は彼に、何から何まで頼り切っていたのが、自分で庭で草花に水をまいたり、食事のしたくをしたり、シャワーを浴びたりするようになって、かえって健康になったようです。そして、「アンとヒロコの誕生日にも、またみなで集まろう」と、もう次の外食を楽しみにしているようです。「希望」は、人の命の支えとなるようです。
2011.01.25
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やっと、新しいといがつきました。(こんな高いところにのぼって・・・・)この板のペンキをぬりかえ、壁をあらったら、もうグレッグには壁をはう植物は おいてもらいたくないです。ガレージの前にもGutter(とい)がつきました。何故さいしょからついてなかったのだろう?前に載せた、根っこの写真と比べてみてください。あとは、ひまなときに、この木のペンキを 塗りなおせば、きれいになります。これからは、雨水がちゃんと流れるでしょう。
2011.01.20
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12月から1月にかけて降り続いた雨で大被害をうけた我が家も、考えてみたらもう33年もたっている訳で、あちこち修理しなければならないのも納得ですが、壁をはう植物があると家の傷みがはやいことを立証してくれました。5.6年前にグレッグが植えた月下美人や、ドラゴン・フルーツのサボテンが壁に根を張り出したときに、「これは、瓦のしたにも、ドアにも軒下にも根を絡ませるから家が傷むから、家から離れたところに植えて」と頼んだのに、「絶対にそんなことない。植物がいえをいためるもんか」と聞く耳もたなかった彼も、建築業のリッチに「こりゃ~家に悪いよ」と太い根っこがかわらを持ち上げ、雨といを支える木にまで巻きついているのをとみせられ、やっとどけてくれました。折角そだてたものを、切るわけですから、もう一日中、すごく機嫌が悪くて私に当り散らして大変だったのです。彼が静まった翌日、「このサボテンほかに植えてね」と言ったら、又、喧嘩になりました。グレッグは、のどもと過ぎれば熱さわすれる・・・タイプですので写真を撮っておきました。忘れたころ彼に見せようと思うのです。ごらんのようにこの根っこがトイにまで入り、流れをとめ、地面に直接雨水がおちるのでこの内側の壁がボロボロになってきてるのです。私は私で、車庫の前の梁のペンキの塗り替えで、昨日はサンディング、今日はペンキの二度塗りで、炎天下30度という中、袖なしに帽子をかぶり終わらせました。ここには最初からトイがなかったので、明日とりつけます。家の周りのトイを全部広い幅のものと取り替えます。それが終わると、今度は、大きな穴のあるバルコニーの修繕がはじまります。その後は、庭の排水溝の入れ替え、そして、ドアや窓を取り替えなければならず、終わるところ知らず、という状態なのですよ。それにしても、蔦などはきれいにみえますが、あれもメンテナンスが大変なのです。家の壁に這い上がる植物だけはもうやめてほしいですね。(やっと、家具をもとに戻しました)
2011.01.19
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家の修理が続いてブログかくひまないので、「つぶやき、Twitter」で書いたものを載せます。現状がわかるとおもいますよ・・・オーストラリアの大洪水のあとは、ブラジルの大洪水、アメリカ東北部の豪雪、中部の時期はずれの竜巻のシリーズ、南カリフォルニアの豪雨(9日にとまったけど)、やっぱり地球はへんね! (01月14日)水漏れが止まり、壁もきれいになり、じゅうたんを元にもどし、今日はそのじゅーたんを きれいにする専門家が来るので、どこにも出られないのよ。家中ほこりだらけなので、一日ふきそうじをするでしょう。(01月15日)雨どいの下の木が腐ってるので、取り替えてもらう工事をはじめたら、大事になり、かわらまで はずしました。グレッグのうえたドラゴンフルーツや、月下美人の根が直径5センチくらいになっていて、かわらを持ち上げてたのです。私が予測したとおりです。(01月16日)クリスマス・ギフトはグレッグとお互いにおすし屋に連れて行くことで、今夜は彼が連れてってくれる番だったのです。それで、たらふく食べてきました!!帰りに必ず、ペット・ショップに寄って魚を見るのも彼のルティーン(定番?)です。(01月16日)朝五時に目が覚めて起きちゃった!まいいでしょ、昨夜は8時にねてしまったから、9時間寝たことになるもの。今日は小売(絵の関係)の税金の計算する日で~す。たいした収入じゃないから、すぐ終わるのよ。(01月16日) 湯沸かし器がだめになって、今水道やが直してくれたところ。。。昔から(30年位)の知り合いなので、40%やすくしてくれたよ!!ラッキー(20時間前) ? 雨といを全部取り替える前に、一番はげてるところのペンキを自分で塗るので、ツールや材料を買いにいかなきゃ。で、はしごにのって、サンディングしてペン キを塗るのですよ。グレッグは月下美人とドラゴン・フルーツを切り捨てたので、もう凄いご機嫌ななめだったわ!瓦を持ち上げちゃうんだもの、仕方ないよ ね。(23秒前)?
2011.01.17
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数日前にわか~い、ボーイフレンドが出来たのです!12月の長雨で水漏れが始まったことは、皆様ご承知のとおり。元旦から、その原因を探していたのですが、やっとコンクリートの下に通ってる水道管が問題だとわかりました。その工事をしている近所の土建業のリッチが、茶の間のじゅうたんをどけ、コンクリートに穴をあけていた時に、私立のユニフォームを着た小さな男の子がやってきました。「おとうさん、お母さんが買い物にいくから・・・・・」と言ったのでリッチの息子だとわかりました。リッチの長男は25歳なので、まさかと思っていたのですが、一番したの子だったのです。名前をロビーといって、9月に二年生になったばかり。「この家は、美術館と博物館と混ぜたような家だよ。見せてもらったらいい」と、リッチが言いましたが、こんな小さな子にはつまらないものばかりだろうと思ったのです。ところがさにあらず、アンティークのバスケットやら、壷、しゃれこうべ、または民芸品でも価値のある物に物凄く興味をみせるのです。「このデザインはすばらしい」とか「こんな細工をするのに、どのくらいの時間がかかるのだろう?」とか「いつごろできたのだろうか?」とか・・・・・・グレッグの絵なども、「あの絵が好き」とか結構意見もいうし、いっぱし歴史の話などをしてから、見せたいものがあるから、持ってくるといって家まで走って行き、木彫りのイグアナと、笛をみせてくれました。「この彫り方が気に入ったから買ったんだよ。おなかのほうを見て?」とひっくり返してなぜ、このイグアナが気に入ったかと、説明してくれたのです。それは7歳の子が買うようなものではなく、グレッグが喜びそうな渋いものでした。「ねえ、僕の部屋にこない?」とまじめな顔でいうので、内心クスクス笑いながら、「いいのかな?」ときいたら、リッチが、「子供の部屋だとは思わないようなものがあるよ。見に行くといい」と言ったので、翌日、めんどくさかったけど遊びにいったのです。 ドアを開けると、もう、大喜びで手をひっぱらんばかりにして自分の部屋につれていってくれました。お母さんは、「どうも、すみません!わざわざ来てくれて、ありがとうございます」と、恐縮気味。「約束したからには、守らないとね」と、ウィンクして、ロビーの部屋に行きました。ウーム!壁には、古い中国のついたてやら、ピラミッドの写真やら、広重のプリントやら、棚には渋い木彫りのコレクション。本物の大きな鮫の口もおいてあったり、アルコール漬けのイグアナの胎児。「ディズニーランドより博物館に行きたがるんですよ」と、お母さんが不思議がってるのです。説明をするとき大人の口調だったロビーが、急に押入れから宝箱をひっぱりだして、「僕の宝物みせてあげるね」とコレクションを見せてくれました。もう、中からはガラクタのようなものがいっぱいでてきて、「これ金塊だよ」と、私の手にのせるので、関心するふりをして「はい、ありがとう」と返そうとすると、「ヒロコにあげる。本物だよ」と、真剣な顔でいったので「やっぱり7歳だった」とほっとしたのですが、「また来てね」と言われてこまってます。あはは。
2011.01.15
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★友達のキャロルから送ってきたものを訳してみました。 A man was exploring caves by the seashore. ある男が浜辺の洞穴を探索していた。In one of the caves he found a canvas bag with a bunch of hardened clay balls. いくつかある洞穴のひとつの中で、沢山の乾いた粘土の玉が入ったキャンバスの袋を見つけた。It was like someone had rolled clay balls and left them out in the sun to bake. それは、誰かが粘土の玉をころがして太陽の下で乾かした物のようであった。They didn’t look like much, but they intrigued the man, so he took the bag out of the cave with him. たいした物でもないと思ったが、興味深かったのでその男はその袋を洞穴から持ち出した。As he strolled along the beach, he would throw the clay balls one at a time out into the ocean as far as he could. 浜辺を歩きながら、男はその粘土のボールをひとつずつ出しては、海に向かって出来るだけ遠くに放り投げた。He thought little about it, until he dropped one of the clay balls and it cracked open on a rock. 男は、そのボールのひとつが石に落ちて割れるまで無意味にその行為を続けていた。Inside was a beautiful, precious stone! すると、中は美しい宝石ではないか!Excited, the man started breaking open the remaining clay balls. 興奮した男は残りの粘土の玉を割ってみた。Each contained a similar treasure. それぞれに、似たような宝石が入っていた。He found thousands of dollars worth of jewels in the 20 or so clay balls he had left. 20個くらい残った粘土の玉は、何千万円もする宝が入っていた。Then it struck him. 突然、男は気づいた。 He had thrown maybe 50 or 60 of the clay balls into the ocean. 5,60個の粘土の玉を海に投げ捨てたことを・・・It’s like that with people. 人間に例えても同じである。It doesn’t look like much from the outside. 外側は何のへんてつもないかもしれない。It isn’t always beautiful or sparkling, so we discount it. 常に美しく輝いているわけではないから、見向きもしない。We see that person as less important than someone more beautiful or stylish or well known or wealthy. ブランド品を着ていないから、有名でないから、富豪でないから大事でない、という風に見がちである。But we have not taken the time to find the treasure hidden inside that person. しかし、時間をかけて、その人の隠れた宝物を見つけようとしないのではないか。May we not come to the end of our lives and find out that we have thrown away a fortune in friendships because the gems were hidden in bits of clay.人生の終わりになるころ、やっと、素晴らしい友達という財産を捨てていたことに気づくようにはならないように、切に願う。 (訳・ヒロコ・ファルケンシュタイン)
2011.01.13
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いや~、まいった、まいった!南カリフォルニアは、年に10日くらいしか雨が降らないので節水、節水で大変だったのに、クリスマス1週間前くらいから、10日も降り続けたために裏庭は池になってしまい、その水が地下に沈んで家の基礎のコンクリートからジワジワと湧き出して、クリスマスの日は、じゅうたんに直径10センチ位の丸だったのが、大晦日には畳4畳くらいに広がってしまい、バキュームで吸い取ってタオルを30枚くらい、とっかえ、ひっかえで、洗濯ドライヤーは一日中まわり、工業用除湿機の化け物のようなのを回し続け、一日に6リッター以上の水を空中から吸い取るというありさま。近所の土建業のリッチが、たまたま我が家に来たときにそれを見て、「壁の外側の水よけに問題がある」というのです。「それもあるけど、グレッグが裏庭の排水溝の穴もなにも全部土と草花で埋めてしまったから水のいくところがなくなって、池になったから家の下に入ったと思う。だから、雨が止むまで待って」というのも、聞かず、「そんなこといったら、次の雨に大変なことになるよ」といって、ちょっと雨の止んだ隙に元旦からドンドン、バリバリ! 壁の絵は落ちるわ、テーブルの上のものが、ガタガタ動くわ、水がこぼれるわで大騒ぎ。「おかしいなあ?水よけには問題がなかった。コンクリートの下の水道管がもれているのに違いない。明日はドリルをもって、穴をあけてみる」「冗談じゃないわ。床に水道管がはいってるって言っても、理屈にあわない場所だから、穴あけて何もなかったら目もあてられないじゃないの。とにかく雨が止むまで待ってよ。工事をはじめて、25万円の見積もりされたって、直してくれないものにお金など払いませんからね!」と、強くでると、「排水でも水道管でも、とにかく水漏れをなおして、10年の保障をする」というからオッケーしました。やっと9日に水が引きはじめ、タオルの濡れ具合も軽くなって来たと思いきや、壁に恐ろしい発見!!家具をどけてぬれてるところを触ってみると、ちょっと押すだけで、壁に穴があいたのです。そこをナイフで切り取ってみました。すると中は木の壁も断熱材もびしょびしょ! 午後には、ピアノの生徒も来きますが、応接間のほうに茶の間の椅子とか絵などを移動させてるので、引越しの最中みたいな感じですけどね、まあありがたいことに、子供たちって、そういうことに無頓着です。最初小さかった穴では分からないので、どんどん、壁を切り取って、大事に なりました。工事には、あと、数日かかりそうです。こんな状態なので、おせち料理なんて作る状態でないから外食ばかりしてます。かまぼこも、アナゴも、黒豆も、きんとんも、お餅も長持ちするでしょうから元にもどったら食べることにしましょう。(水道工事も忘れて、クリスタとイタリアン料理を楽しんできました。娘のような彼女とも、なが~いつきあいです)
2011.01.10
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私の「エッ!もうアメリカに40年!」(白揚社2004年)を読まれた方は覚えていらっしゃるでしょうが、本は三部に分かれていて、最後のチャプターは、当時ユーゴスラビアだった国から留学生としてわが子となったジュリーとその家族の話を書きました。1986年に娘と一緒に高校に通い一緒に卒業しました。帰国した翌年は私はジュリーに会いにユーゴスラビアに行きました。それから数回たずねるごとに、彼女の家族や親戚、友達との知り合いの輪が広がって行き、やがて市民戦争が始まりました。その前に、ジュリーと二人でユーゴスラビア中を旅したのですが、その途中で大勢の人に会うことになりました。中には、ちょこっと一緒に食事をしたとか、挨拶だけとか言う人もいます。戦争が始まって、電話もよくかからず、途中で切れたり、品物を送っても届かない事もあったので、しびれを切らせて、衣料品、食料、化粧品などをぎっしりつめた荷物を両手両肩にかかえ、戦争がちょっと静まった時に、すぐ飛んで行きました。まだ、時々何かがドカーンとか聞こえるような状態で、建物には、弾丸の後などが生々しく残っていた時です。店はもう売るものもなくガラガラの状態でインフレが激しく、昨日$5だったものが、翌日は$10、一週間ないにすごい値上がりをしていたので、私の土産は貴重でたいそう喜ばれました。ジュリーのお母さんはクロアチア系でも、お父さんがセルビア系だったために、クロアチアに住んでた一家は、何かにつけてイジメにあいました。戦前ベルグラードであった、ジュリーの叔父さんストヤンとおばさんのミナとも仲良しになり、一度はとまったり、二度目も飛行場であったりしたのですが、ジュリーにとっても、それが最後だったのです。ミナの兄にあたるジュリーのお父さんでなく、私の方が最後にストヤンにあっているわけです。ストヤンは、心労で心臓麻痺でなくなり、終戦後、ユーゴスラビアからクロアチアに(元の小さな国々に戻った)なった時、ジュリーのお父さんも肺がんでなくなり、それから、20年以上たちますから、大勢の知人が亡くなってしまいました。去年フェイス・ブックに、加入したのですが、つい数週間前に、一通のメールが届きました。「ヒロコ!やっと見つけた!私、ジュリーの親戚のアナです。あのころ小学生だったのですが、ヒロコの笑顔を忘れません。母のエリザベスもあなたのことを良く覚えてます。今、私はベルグラード・シンフォニーでフレンチ・ホーンを吹いています。友達になってください」というものでした。私は、アナという名前はかすかに覚えていたのですが、誰だかさっぱり見当がつかず、ベルグラードでは、誰それと、誰それとあった、とくに懐かしいのは泊めてくださった、ストヤンとミナだ、と返信したのです。すると、「その、ストヤンとミナが私の祖父母です!」と、興奮したメールが戻って来ました。ストヤンはユーゴスラビアで、二番目にジェット・パイロットになり、ユーゴスラビアのパイロットの養成ではかなり有名人で、飛行機ならいつでも、予約なしに無料で乗れる特権を持っていました。アメリカのアリゾナでその訓練をうけたので、英語も流暢で、アメリカびいきだったのです。アナは今では、もう30過ぎでしょう。アナも英語ができるようになっているので、私とのコミュニケーションを楽しんいるようです。あれこれ、思い出話を書いてきて、最後に「いつか、ヒロコと再会したいです。ベルグラードより愛をこめて・・・・アナ」と結んでありました。どこでいつ、誰と再会するかわからないから日頃の行いの大切さを感じます。人生って面白いですね。
2011.01.06
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今時の若い方は、炭火の火鉢というものをご存知じでしょうか? 時代劇の映画など見てると出てきますよね。上等な長方形の どっしりした木で出来ていて、物いれの引き出しなどもついて いたりして、着物の女性が長パイプでタバコを吸っていたりする シーンを見たことがあるでしょう?あの引き出しにタバコとか ソロバンとか、薬とかを入れていたみたいです。 色々な形があるのですが、一番一般的なのは丸いもので、陶器 とか、木で出来ています。私が持ってるのは、祖母が使っていた 桐の火鉢。その中に銅の入れ物がはいっていて、その中に灰をいれ、 炭で火をおこします。今では、火鉢としての使用は出来ないので ダイニングの隅に植木鉢になってます。 あなた方も、もしかしたら、ご両親、おじいさん、おばあさん達の 物置とかに保存されてあるのかもしれません。それとも、お茶をなさる 方だったら、まだ持っていらっしゃるのかしら?炭など、手にはいらない 時代かもしれませんね。兎に角、お正月を過ぎる頃から、火鉢でお餅をやいたり、干し芋を あぶり、ふぅ~ふぅ~と吹きながら、「アフ、アフ、アフ~イ」と 言いながら食べたのを忘れません。何度口の中をやけどした事でしょう。 私の育ったのは、戦争後で東京の食糧難を逃れ疎開先の静岡県の興津と いう漁師町でした。白米など配給でちょこっとしか手にはいらなかった ので、あまり口にはいりませんでしたが薩摩芋はたっぷりあったのです。 人々の創意工夫は、驚くべきもので、薩摩芋は、ただ煮たり蒸かすだけでなく、 きんとんにしたり、大学芋、ようかんのような練り物にしたり、かりんとう みたいに揚げたものも作ってました。中でも、蒸かして薄く切って、太陽で 干したものを、この火鉢であぶるのは、子供心に楽しくて、鉄のお箸でプッと 平面にあぶくのようなものが出来るのをつつきながら、完全に焼きあがるのを 待ちきれずに食べたものです。 こちらの、日本スーパーでも近頃は売ってますが、茨城に住む弟の家で一度 食べたものが忘れられず、「お土産は、何がいい?」と聞かれたら、 一番に「飛田商店の干し芋!!」と言います。全くの無添加で何をどうする のか知りませんが、人生で食べた干し芋の中で一番美味しいと感じたものです。 去年の夏日本に行った時も(夏は手に入りにくいのを弟が拝み倒して買ってきてくれ) 土産に持ち帰えり、大事に食べるつもりでいたら、グレッグが「こんな うまい芋は初めてだ」といって、知らないうちに、食べつくしてしまったの です。無論、火鉢などありませんから、トースター・オーブンであぶったり するのですが、グレッグは、それも待ちきれず、袋からだしてそのまま食べて いました。(まあ、こちらも心得たもので、私用に冷凍庫にいくつか保存して おきましたがね。あはは!) また、その干し芋の恋しい時期になりましたが、茨城はここからは、ちょっと 遠すぎますので、また日本に行くまで我慢するとしましょう。
2011.01.04
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皆様、カリフォルニアもやっと明けました!おめでとうございます。この水晶のうさぎは、母が娘時代からお習字に使っていた文鎮です。戦争で空襲警報がなったときに、手に持てるだけをもって逃げたのですから、大事なもののひとつだったのでしょう。右の後ろ足のあたりが、ちょっと欠けてますが、もしかして慌てて落としたのかもしれません。古くても、かけていても、私は、このうさぎが大好きで、母の遺影の前にかざってあり、時々手にとって太陽の光を通すと見える虹色の光を眺めたり、両手で暖めるように撫でたりして楽しみます。そうしながら、きっと母も同じことをやっていたのではないかと思ったりします。私の誕生石は紫水晶ですが、透き通ったものを見ているとスゥ~っと心が吸い込まれるような錯覚におちいり、血液を洗う透析のように水晶にエネルギーが吸い込まれ、洗われて、きれいになって出て来るような気分になります。クリスタル・パワーとかいうのを信じている人が大勢いますが、クリスタル自身にパワーがあると言うより、私がするように、それをツールとして、心を静めたり、深く考えたり、祈ったりすると頭の中に解決策が浮かんだりするのでしょう。別に、クリスタルでなくても、誰もいない砂漠で無の音を聞きながらでも、静かな海や湖のほとりでも、遠くに見える山々でもねっころがって見る星空でも良いのだと思います。ただし、母の水晶のウサギとか、去年私の胸のあたりからポロリと落ちた不思議なクリスタルの原石とかは、どこに出かけなくても自分の手元にあるので便利ですから、私は心を静める、又は祈りのツールとして利用しています。クリスタルが、エレクトロニックに振動することが発見されてからはレコードの針となったり、今では殆どのコンピューターなどの部品につかわれてますから、懐疑的、科学的な考えの人でもクリスタルがエネルギーに反応するということに反論はしないでしょう。そして人間はエネルギーの塊で、考えや喜怒哀楽はその際たるものです。私自身は祈りの力の強さを信ずるのですが立証されるような結果があったとしても、科学的証明なしには信じられないというのが、懐疑派の考えです。信ずる信じないは別としてクリスタルを見ながら心を落ち着けたり、反省したり、病む人々の為に祈りをささげても別に害はありません。そして、その祈りが届いたとしたら、証明出来なくても、こんなに素晴らしいことはない、というのが私の考えです。卯年にちなみ、今年は母の水晶のウサギを特に念入りに洗いました。そして「皆様にとって、良き年でありますように」とお祈りしておきました。後は、あなた方一人ひとりの努力と腕にかかっています。今年もよろしくお願い申し上げます。
2011.01.01
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