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2012年02月06日
山本五十六さんは悲劇の元帥であることには変わりありません。その出自、長岡藩の家老の家、祖父は19歳で自刃、生父も戊辰戦争で戦死、そして撃墜された五十六元帥。でも彼をクローズアップして映画化すれば,そこにある歴史認識はみんなが共有するものとなる。間違ったものを今頃作ってはいけない。どこが間違っているか。見逃せない。五十六さんが「一年や一年半は戦って見せます」と言ったこと、それをこの映画はどこにも語っていない、と高山さん。それこそ彼の致命的な欠陥。それを知っていてそう言ったなら、それこそ彼は一命を賭しても戦争を止めるべきだった。松本健一、堤尭、高山正之、それぞれ違った角度からこの映画を憂えていました。一時間半のネット放映の間に5千人を越える人が観た、これから繰り返しまた放映します。事実がどんどん語られる。息もつかせないほど面白かった。ただ今回は堤さんが柄にもなくどうも歯切れが悪い。「俺、池袋に観にいったけれど全然印象に残ってないんだ」あとで高山さん、「堤さんでも気を使う人がまだいるんだなあ」、と。シナリオを書いたのが戦後民主主義礼賛の半藤一利さん、文春の先輩だとか。私が強烈に印象に残ったのは、堤さんの言葉「五十六さんの奥さんは戦後、新橋のガード下で石鹸を売っていた、東条さんの奥さんだって戦後行商をしたというんだ」ということ。女は強いと言うかもしれませんが、女は悲しい。
2012年01月29日
山種美術館館長の山崎妙子さんが自分の言葉を丁寧に選んで謙虚に心をこめてご自分が受け継がれた美術館の名作群、ザ・ベスト・オブ山種コレクションの絵画を一枚一枚紹介されるその姿から自然にその絵の心までよく汲み取ることができました。今はこのようにもう一度どの分野でもすべて原点に、出発点の心に戻って伝える努力をしていくことが一番大事だと思いました。一人の人間が全的に訴える姿そのものに本当の価値があるということにもう一度私は感じ入りました。妙子さんの姿がどんな絵画よりもたおやかで美しく心を打ちます。
2012年01月26日
メディアの役割はいい意見をそのまま伝えることです。賛成・反対の根拠、みんながよく考える材料をまず提供することです。その役割を公平に果たすテレビが少ないと思います。これぞシアター・テレビジョンの出番。中野さんは通産官僚(今は経産省)、今は京都大学の準教授。出身官庁に真っ向から反対の意見を言う人の意見はまず傾聴するべきだと堤さん。中野氏曰く「平成維新だとかみんな維新・維新をいま合言葉にするけれど、維新とは幕藩体制の旧弊を打ち壊して中央集権権力を構築することだった。激動する世界に立ち向かって国として一丸となって戦略的に国家運営も外交も展開することが目的だった。今の状況に似ている。だから求められるのはけして地方分権ではない。通貨発行権もない地方がどうやって民政や財政運営をしていくのか。EUの問題と同じ轍を踏む」
2012年01月26日
第二回目のゲストは谷内正太郎さん、外務次官から普通は駐米大使になるのがコースですがわざわざ東大教授になった。東大定年後は慶応と早稲田で教えて30年後の人材を育てる、と。ちなみに日本メイキングとは、岩見隆夫さんの命名。国づくり、とか日本再生という言葉は使い古されてしまって、かえって志を小さくしてしまう、とタイトルがなかなか浮かばなかったとき岩見さん「要するに日本メイキングっていうことだよね」で決まり、はじめに言葉ありき。岩見隆夫さんと平沢勝栄先生が聞き役に毎月一回じっくりと年齢を問わずとびきりめざましい活躍をされる方の活動、とくにそこから具体的な提言を引き出す番組です。谷内さん曰く「外交には一種に反射神経が必要です。あの中国船のときの日本政府の対応なんて考えられない。送り返すのは送り返すとしても訴追はするべきです」そういう判断を統合して実行するのは結局は政治家、政治家の出番。この番組に平沢先生の存在は大きい。これから政財官学会メディア界から尖った方をどんどんお招きしていきます。いい番組を作ります。
2012年01月26日
大竹英雄棋聖からついに初段をいただいたのです。羽田総理夫人の綏子さん、中山晴美さん方と一緒に、みんな十年目です。こんなに嬉しいとは、いただいてからじわりと熱い思いが心を満たします。ところで中山夫人にお電話でとりあえずご連絡したときは、「私なんてどんでもない!」夜半、中山夫人からお電話、これまでにないことです。何事かと思いました。主人が帰ってきて話したらね、「お前ノーベル賞をやるといわれて断る奴がいるか」っていわれたしまった、と。それで今日は中山正暉先生もエスコートしていらっしゃいました。
2012年01月26日
今年も岩見隆夫さんを相手に「定点観測」、この毎月一時間の収録のために同席できることは私にとって最高の役得です。天の神様とシアターのオーナーの慧眼に感謝。去年の年頭には、中曽根先生は「今は異端と独善が求められる」とおっしゃいました。あらためて感慨深い言葉です。橋下徹大阪市長の出現がさて今年はどう展開するか。「国家の指導者は善人であろうとするよりも悪人と呼ばれることも厭わない覚悟が必要です」とは、今年の中曽根先生の年頭の言葉です。中国はアジア・アフリカの国々をしっかりまとめて注意深く外交戦略を進めているから色々あってもしっかり発展していくでしょう、と。日本は無外交だ、と憂えていらっしゃいます。シアター・テレビジョン、スカパー!262或いはネットではシアターテレビTVでどうぞ。日本の最長老の中曽根先生のこの明確な言葉は驚異です。皆様の生きるヒントになると思います。今年スカパー!に加入される方はアンテナを無料でおつけします。シアター・テレビジョン03-5114-8885までいつでもお電話を。
2012年01月22日
仕事をものすごくよく片付け書類もまとめあげたと思った18日、ちょっとななめにあわててかけた掃除機が命取り、息をつくのもままならない、立つことも座ることも寝返りもうてない酷いぎっくり腰にやられました。救急車をとか、担架でとかいわれても、それもできない。本当に生きていることすら辛い。ようやく主治医の先生がわかってくださって車でいらしてくださった。ブロック注射や点滴で嘘みたいに動けるようになったのです。そして20日、今日は大事な昼食会と中曽根康弘・岩見隆夫「定点観測」にはどうしてもいかなくちゃ、これがあるから治ったようです。念のため朝一番で骨董通りの加藤静雄先生のところに行きました。なにしろご自分でおっしゃるとおり霊験あらたかな治療。東大の外科の先生だったのですが、東大が当時その療法を認めなかったから独立したとおっしゃる。その先生のところにさえ昨日はいけなかった。でもやっぱり東大には優秀な人がいまでも集まるよ、と優しく懐かしむ。小柄でしゃきっとしていられるけれど、この先生は一体おいくつなのだろうかと今日はお年をついうかがってしまった。東大23年卒業だよ、ということでえっと驚く。88歳だよ、と。先生跡継ぎを作ってください!!!と悲鳴を上げました。孫が医者になるってということですが、なんとまだ15歳とのこと。でもきっと大丈夫。ところでさすがに夕方には家で携帯をもって仕事。テレビを見る。なんとなく見たテレビ、5分間でウエスト5センチ痩せる方、とてもよかった。でも注意にあった。腰の痛い人はやらないでくださいって。よし治ったらこれをさっそく実行しようと腰枕は早速作りました。無駄な時間もいいものです。
2012年01月20日
どうだった?と聞けば寒かったですーで「申し訳ない」シアター・テレビジョンの入っている共同通信会館の住人は時間に正確11時30分に集合、ところが他の建物の人たちは時間にルーズで全員が集まるまで本当にかなり待ったそうです。とにかく待たせるより待つほうが人生有利を知る。警察の人は親切だったそう。この違いは何だろうと思いました。とにかくわが社のモットーは「時間を守る、そのまま聞く、返事ははい」です「ものごとは曲げて解釈しないでそのまままず聞く」、反対を言うときもまず「ハイ」と返事をしてから自分の意見を真正面から言う、それがなぜか逆に心の強い独立独歩の人格を養うようです。
2012年01月20日
子供は無限の可能性、言葉なんて使わなくても勝手に仲間の意思が通じる子供たちは楽器も大好き、テレビも大好き。スイッチを入れれば子供たちが喜んで楽しくて世界を学ぶそんな番組を今シアター・テレビジョンは一生懸命作っていますが、どうぞみなさまの希望を私に教えてください。メール・アドレスmakiko413@gmail.com またはFAX03-5114-8887までお願いします。
2012年01月16日
今年みつけた素敵な初釜の箸入れ、こういう日本の文化もシアターでは紹介、掘り起こしていきたいと思っています。
2012年01月16日
シアターネットTVの政治ポータル一号の小野次郎さん新年のメッセージ収録にシアター・テレビジョンをたずねてくださいました。一号とは何を隠そう、たまたま政治ポータルを企画しているころ偶然列車の中で隣あわせになって小野さんが私の顔を覚えていらして声をかけてくださったからです。そこは警察出身の面目躍如。政治ポータルの意味、今はまだ政治家も国民有権者も本当に気がついていませんが、これこそ未来の政治を築くサイトになると私は予言します。それでも日本一のサイトに成長しました。企業もパーティ券を買う余裕が本当に今なくなりました。政治家のパーティの案内がくるたびにうんざりしているのです。よしんば社長がその政治家のファンでたとえ百万円のパーティ券を買ったとしてもその社員が一体何票入れるでしょう。ではそのお金はどこに使われるのか、今の時代そんなことの方に社員の関心はいきます。今では政治に全生命をかけている小野さんですが、夢にも政治家になるなんておもっっていなかったということはとても納得できます。なにしろ警察庁のエリートとして小泉首相の秘書官に出向して、ついに5年近く小泉さんの元で仕事。たまたま生まれ故郷から立候補者が一人もいなかったので「小泉チルドレン」にされてしまった異色の政治家。こういう方こそ本物の政治家になると思っています。シアターの政治ポータルの価値を一瞬で理解。メッセージとそれを見た人との交流が多くなるほど今に有権者をしっかりつかむことになると思います。政治ポータルの良さは、その政治家がみんなに伝えたいことを「そのまま」放映することです。それに反論があれば有権者はいくらでも反論していただきたいのです。それが有権者との本当の交流になります。
2012年01月16日
今注目の携帯書籍やオンライン新聞の技術の90%、ほとんど100%に近くヤッパの技術だといいます。まだ20代の若手実業家の発明。ところでその母上は違う仕事を展開しています。今ブレークしている「イラチュー」、つまり水素水、いらいらしたときには飲んでも効くと評判の面白い目薬サプリの発売元。その売り方のセンスもすばらしい。コンビニのセブン・イレブンでしか売っていない。美肌水もそれで作っているの、ということで送ってくださった。可愛いボトルが一緒に入っていました。よくみたらどうも手て編んだものみたい。電話で早速お礼と一緒にうかがいました。なんと!「ボタン・ホールの糸」でご自分で編んだものとのこと。感激してしまいました。この母にして息子ありの思い新たです。発明と工夫と緻密な積み上げの才能が結晶。
2012年01月13日
作法は忠実に守ってお濃茶をいただいて、その後はわいわいと美味しい食事を楽しんで、それからまた薄茶という形は崩さない。こういうお仲間だけで楽しみながらお茶を続けられることが、本当に良き伝統を守るということだと思います。
2012年01月11日
久方ぶりに故・加藤六月邸、加藤夫人の初釜お茶会に伺いました。かつて私もしばらくお稽古に通わせていただきました。先生も弟子も一緒になってお軸をかけたり、柳の枝ぶりを直したりして準備をして、これが本当のお茶の楽しさのはずです。いまさらたくさんの人が寿司詰めに追い立てられる大茶会、初釜なんて行きたくないと思っていますが、こんな仲間だけのお茶こそ贅沢で本物です。それなのに皆キチンと着物を着ていずまいを正して集まっています。私は? 後に仕事が控えているので今日は洋服、反省。一年に一回お正月にはお仲間にいれていただこうと心に誓って帰りました。
2012年01月11日
若い女性が一番興味があるのはやっぱり「キレイ」と、「モテル」こと。シアター・テレビジョンもその原点に戻ってキレイな番組もたくさん作りたい。こんな写真を見ていて古今東西を問わずそれは大事なことだと思いました。何故って、知らず知らずにそれは自分を磨いていくからです。内容の伴わないおしゃれは人を魅きつけません。
2012年01月10日
この三連休、初めの二日はもう仕事・仕事でした。今年ももう始まりです。三日目は温泉にでも行こうかなと思っていましたら、お昼に彩楽ちゃんが来るということで大急ぎ、タジン鍋を仕込みました。本当に簡単でご馳走。オリーブ・オイルでニンニクを炒め、鳥肉、或いはクミンとコリアンダーを練りこんだひき肉団子を入れて炒め、その上に茄子、パプリカ、ブロッコリー、ニンジンなどある野菜をつめて缶詰めのトマトを加えて弱火にかけて置いておく。とにかくおすすめのモロッコのタジン鍋。寿司太郎を使ってチラシ寿司、金糸卵と紅しょうがを載せて豪華。一日シアター・テレビジョンをつけっ放し。つけっ放しでもいいテレビになってきた。
2012年01月09日
出光美術館の新年のオープニングには館長の出光昭介氏が千恵子夫人を伴って入り口で待っていらっしゃいました。千恵子夫人の和服は格調があります。写真は暮の私の夫の叙勲のお礼の会のときですが、そのときは私も和服を着たのに1月の5日は私は洋服、反省してしまいました。和服を着ると心が正されます。振る舞いも自然に折り目正しく、私が日本人であることを思い出すのです。
2012年01月08日
常滑焼・三代目山田常山さんの作品がすばらしい。いい作品は見るだけで心を洗うものです。龍は瓢箪に吸い込まれるそうです。龍にいつも傍にいてほしいから蓼科の山で私も瓢箪を作ってみましたが、口の所がどうしてもよくおさまらなったのです。これを手本にもう一度作り直そうと思いました。マネこそ学ぶ、マネしても自分というものを通すことで自分にしかできないものができるのです。素直にマネする精神を日本の教育は忘れています。語学だって法律だって初めは学ぶ、それから自分で使いこなす、あらためてこの教育を取り戻さないと、人としての作法も学ばずに大人になるばかり。
2012年01月07日
シアター・テレビジョンで美術館めぐりを担当してくださっている出光美術館の出光佐千子さん今日は年初めの出光美術館のオープニング「英語で落語」を語る会にはいっている佐千子さん、右と左の耳に丸と四角のイヤリング、とてもいいわねと私が眼に留めて申せば、「私の鼻を三角に見立てると出光美術館のシンボル・宇宙を表す丸・三角、四角、にぴったりなのです」と、またユーモアたっぷり。実はこれ母上の千恵子さんと私が立ち寄ったファッション・リングのお店の品。母上が一つ買われたのです。センスだな、と感心。私も買えばよかった!
2012年01月07日
重村知計・早稲田教授がゲストで議論沸騰。最後に日下先生「つまりは備えあれば憂いなし」という心を日本の人は忘れているのですよに納得。わいわいの続きで隣のJTの中華。これがダイニーズ・テーブルの岡田大弐さんのお店でめっぽう安くて美味しい。「ラスト侍」のキャスティングをされた奈良橋陽子さんが飛び入り、今度はマッカーサーの映画を作るそうです。堤さんと高山さんはマッカーサーにもアメリカにも一家言あり。話はとめどない。オークラのバーに場所を移して終わらない。陽子さんも忍耐強くいい聞き役。堤さんの憲法第九条の解説がいい。「戦争に負けた国は、歴史を見れば必ず次の戦争の時は尖兵となって戦わされる。東西冷戦が始まるのが予見されたときだから敵・マッカーサーを手玉にとって戦争放棄で自ら手を縛ってみせたのは日本だ。占領が終わったら憲法改正をすればいいと思っていたのだろうけれど、どっこい日本人がこんなに世間知らずで憲法に振り回されていつまでも自立できない民族だとは吉田茂も思ってなかったんだろうな」ところで今日1月5日は高山正之さんのお誕生日、めでたく古希となりました! シアターの一同でネクタイを選ぶ、70歳の色は何だろう、赤ではなくてトラサルディのゴールドにしました。うん、僕50歳になったって言おうと思っていたんだ、と。
2012年01月05日
淳子さんのご主人・岡田英弘先生はわが国中国学の最高権威その淳子さんは今や暦女の女神を言われます。「世界史はモンゴルに始まった」が彼女の主張です。和歌山のお寺さんで育って京都大学の東洋史。岡田先生とは学生のころ知り合って21歳も歳が離れています。昔はみんな近寄るのも怖いといわれた先生だったそうですが、ひたすら優しい。さて淳子さんは卒倒するほど料理も上手。何事も骨惜しみしない彼女らしい。学問と同様に誠心誠意・全身全霊で何事にも取り組めば疲れを知らない、の良いお手本だなと思います。すばらしいおせち料理は全部手作り。塩見和子、蓮井幹子、私、とにかく美味しいものには眼がない。夫づれで押しかけました。はっと気がついたら4時間も食べつくしていました。シャンパン2本、ワイン3本、そして幹子さんは「百年の孤独」もぐいぐい。岡田先生の大好きなカラヤンを聴きながら。
2012年01月05日
キレイな女の子になってください
2012年01月03日
二人ともご機嫌
2012年01月03日
今年も始まりました。明日はもうないかもと思って今日の一日をよく生きようとあらためて新年に思います。ジョブスも同じことを言っているのですね。と、ついでにジョブスの言葉、「Stay hungry ,stay foolish.」も私の人生そのもの、でも楽しい。
2012年01月03日
モンゴルからアリューナさんと18歳の娘さんオユちゃん、トルコから遊びにきたオルハンさん夫妻、今は日本に帰化してしまったセルダル君、みんなで入沢さんの陶坊に繰り出しました。彼はニット作家から転職したというだけあって教えるシステムを自分で確立しています。みんなもはじめてのことに挑戦。夕食はみんなでイタリアンのマンジャ・タントにしました。イタリア料理は誰の口にも合います。食後はアメリカのこと中国のこと、日本のこと、モンゴル、トルコと話題は果てしない。ここのイタリアンはどこにも負けない。なにしろここのお店では、冬の暇をみてお店を2~3週間クローズして毎年イタリアにみんなで旅行にいく。自分たちが本物の美味しいものを食べなくちゃ駄目だとイタリアの町から町へとひたすら食べ歩くのだそうです。今年はベニスにはじめてフィレンチェなど各地を回ったそうです。ここのイタリアンはどこにも負けていないと思ったでしょうと聞けば「ハイ、そう思いました」、と嬉しそうの店の人。
2012年01月02日
トルコから従兄弟夫婦が遊びに来ているセルダルさんたちが日帰りで合流、黙坊で合流。お蕎麦を食べるのは初めてというオルハンさん夫婦、黙坊なら日本一、絶対に自慢できます。
2012年01月02日
元旦の朝、直人の家では奈巳ちゃんがヒドい風邪、来なくていいというのに朝はやく直人だけで蓼科に来てくれて、いつものお節とお雑煮で祝いました。実は嬉しい。我が家のお雑煮は前の晩から昆布と椎茸を沢山、大鍋にいれて戻しておく。朝に地鶏の肉をいれて、味醂、塩、醤油少々で美味しい出汁。大晦日に茹でておいた里芋、大根、人参、小松菜をいれて丸餅を焼いていれる。私は本当は白味噌と辛子をとき入れたいけれど我が家ではみんな嫌いで駄目。さて夜は入れ違いにモンゴルのアリューナさんとお嬢さんのオユちゃん18歳。モンゴル語ではオユハと呼ぶとオユちゃんという意味になるよう。昼すぎからモロッコのタジン鍋に料理を仕込んでおきました。とても簡単でご馳走、おすすめです。合い挽き肉にクミン、コリアンダー、バジル、塩、胡椒などを入れてよくませ丸い団子にするオリーブ・オイルを熱して叩いたニンニクを炒めて茄子、肉団子、パプリカ、ブロッコリー、ホール・トマトの缶詰二缶あとは本当の弱火にかけて放っておきます。これはメイン・ディッシュ。蓼科の風で干したお米があったので少しもち米を混ぜて炊き、炊きたてのご飯に寿司太郎をたっぷり大目にまぜて、たっぷり金糸卵、紅生姜、いり胡麻、刻み海苔をかけました。オルドブルは竹輪を裂いて平らにして十文字の切れ目を入れて裏返し、山葵づけ、チーズをおいて丸めて楊枝てとめて一口に切る。燻製していないサラミ・ハムを焼く。蓼科の渓流の焼き岩魚を更にあぶって酒と一緒に煮立てる岩魚酒が美味しかった。それからつき立てのお餅に群馬からの手作りアンコをたっぷりかけたいただき、チョコレートとミルク・ティー、私のほうがもう降参でした。アリューナさんはお酒が滅法強い、みんなで岩魚酒一升あけてからシャンパン一本、それから「百年の孤独」を美味しい美味しいと。さすがモスクワ大学に6年いた猛者。モスクワなんてモンゴルに比べたら全然寒くないそうです。今ではモンゴルを代表するファッション・デザイナー。4歳で日本にきたオユちゃんはもっとタフ、小学校を卒業するときに、自分から中学はモンゴルに帰ると言い出して、モンゴルの一番いい高校を卒業して日本にまたきました。
2012年01月01日
日本のお正月これは銀座8丁目の平塚さんの門松と鏡餅、といってもこのミニュテュア、はす向かいの東哉さんの土鈴がこんなに大きく見えるほど小さくて精巧。こんな日本の技を大事にしたい。いまだに父子で昔ながらの店をつづける老舗です。
2012年01月01日
むかし苗場で見つけてすっかり気に入ってたくさんまとめ買いしました。世界中の友人にあげて喜んでもらいましたが、いよいよストックがなくなった。ようやく同じものを蓼科で見つけたのですが、一回り大きい「タバコ取り」しかない。とにかくカラクリ人形そのもので伝統の職人技。全く無愛想なおじいさんが一人でお店番をしていたのですが、大晦日の今日は息子さんらしい。思い切ってタバコではなく「楊枝とり」はないのですかと聞いてみました。なんと! これをつくれる人はたった一人だったそうです。私が30年前に買ったのもその職人さんが作ったはずだとのこと。もう80歳をゆうに越えて作ってくれないので私も困っているのですよと。店番をしていたのは父で94歳で一昨年亡くなくなりました、と。怖い顔をしていたのは耳が遠かったからでしょう。あれからでも、もう二年も時が経っていたのです!その80を越えた職人さんにいくつでもいいですから懐かしい「楊枝取り」を作っていただけないかと聞いてくださいよ、と頼みました。100個でも買います。帰り道に陶芸の釜場にたちよりました。こうしてああしてといつもながら、今日は大ぶりの瓢箪型花入れを作ってもらいました。龍は瓢箪の中に吸い取られると孫悟空にあったのを思い出して。私も陶土を少しもらって帰り、紅白を聞きながら龍の香合二つと瓢箪の文鎮を作りました。さあこれで私も歳を越します。
2011年12月31日
昔ながらの信州人気質がそのまま、零下の風が吹き通る階段を信じて登れば天国の温泉。こんな日本こそみんなに自慢したい。どこにいっても同じようなホテルやケバケバした装飾はいらない。朝は小学生の孫も外階段の掃除、家族全員で働く。この温泉は本当に清潔、溢れる温泉のかけ流し、無駄なものは一つもなく、必要なものはちゃんとそろっています。ここの川魚と野菜の素朴な食事はとても美味しいのだそうです。
2011年12月31日
蓼科の朝は零下4度でした。それでもこの露天風呂は最高。とにかくベニヤ板の囲いのある手作りの階段を登る。これだけで一仕事、でも元気の証拠。体の調子が悪いときな行きたくもない。温まると一日中、体の中からポカポカ。頭は空っぽ。それから朝昼兼用で大好きな手打ち蕎麦屋さんにいきます。冬は投汁蕎麦があるから嬉しい、それでもザル蕎麦と蕎麦ガキもどうしても食べる。皮が真っ黒に熟したバナナが冷蔵庫にあったので中身を手でつぶして、胡桃、アーモンド、ブランデーづけの葡萄、レモンとアゼリアの砂糖づけなどたくさん入れたお菓子を焼きました。バターと卵とホットケーキ・ミックス100グラムづつ、ただしバターと卵はちょっと大目(つまり卵は三個、バターは125グラム一本)にするといい。うっとりするほど美味しかった。お蕎麦屋さんの奥さんに長野のりんごをいただいたのでパイ皮にりんごをスライスしてバターとクラニュー糖をたっぷりおとしたパイも焼きました。これも簡単ですからおすすめ。写真に撮るのを忘れるほど美味しかった。年末は2キロぐらい太るかな。
2011年12月30日
いつもはコツコツと仕事人間の中村江怜乃、わが社の一番若手。今日はロシア大使を訪ねてインタビュー。社命で和服。それがとても似合って可愛く綺麗でした。大使もほっとくつろいでくださったよう。大使の広報官兼通訳をお願いしたタチアナさんは眼もさめるようなスラブ美女、モスクワ大学の博士号を持つ列記とした外交官。彼女も江怜乃さんの和服がキレイと感嘆。
2011年12月27日
今回はロシア共和国大使を訪ねて、狸穴のロシア大使館に伺いました。インタビューワーは加瀬英明先生と中村江怜乃(エレナ)さん。加瀬先生は叔父様の古い写真を持参、「この叔父がその昔ロシアに行ってそこで素敵なバイオリニストに出会って結婚して帰国、彼女が日本にバイオリンを伝えたのです」と。ちなみに加瀬先生は本当に世界に広がる血筋、なにしろあの小野ようこさんがイトコ。日本地図を一人で歩いて作ってしまった伊能忠敬が曽祖父。地図は国を守るために一番大事なもの。漢の劉邦は地図を手に入れようとして暗殺されかかったことで有名。江怜乃さん「大使は亡くなったお母様にもう一度会われたらどんなことをおっしゃりたいですか」江怜乃さんには、大使の子供のころの思い出やどうして大使になったのか、素直に若い女性として聞きたいことを聞いていただきました。大使が「父は1944年から1956年までは一日も休まずに働きました」ということです。そんな親の背中を見て育つことこそ一番の教育なのだと私は思いました。もう一つ、「簡単に大使になったのではありません。大使になるためには本当に大変な勉強と努力をしました」、とおっしゃる大使の人柄がとても印象に残りました。クリスマス・ツリーの飾られた大使の居間でお話を伺うことができて、この様子を皆様にお伝えできることを嬉しく思います。江怜乃さんには大変でしたが、振袖に身を包んでいただいてとてもよかったと思いました。正装するということは心をただし、相手への尊敬の念を伝える一番いい道です。それにやはり日本の良さは日本らしさです。
2011年12月27日
時事通信の鈴木美勝さんがコーディネーターを務める「論を立てる」は静かに注目を集めているようです。政治記者として30余年のキャリアー、実に目配りがいい鈴木さん、政界に知らない人はいない、ヒゲさんがニックネーム。いつもしっかりテーマを抑えています。今月は上山信一慶大教授。この方こそ橋下大阪市長のブレーン。竹本直一衆議院議員は大阪自民党幹事長。そしてレギュラーの平沢勝栄先生、浅尾慶一郎先生、木内孝胤先生。バンバンと本音をぶつける三人の先生に上山先生もびっくりの様子。こんな先生ばっかりだったら日本もいいのにとついに最後に感想。上山先生も橋下市長と同じように突っ張っていて面白い。「橋下さんは次は中央に攻め上ってきて日本を制するつもりではないか」、という質問に、「私たちは中央が地方より上などと思っていません。だから中央に攻め上らなくちゃなんて全く考えてもいません」としれっとおっしゃる。大阪の竹本先生が暖かい見方として「橋下さんは明るく未来の夢を訴えるからいいんですよね」にも、上山先生「大阪知事としても実現できることしか言ってきませんでした。今回も実現できるという確信があるものしか語らないのです。だから大阪の人の信頼を得たのだと思います」と。
2011年12月22日
ちょうどクリスマスのイベントに向けて図工の先生が二人で手作りの壁画を描いていらっしゃいました。私の子供時代も先生はみんな手作りで色々な工夫をしてくださったものです。この手作りの感覚がなくなったら教育も事業も駄目。あらためてシアター・テレビジョンはこの精神を失わないでいかないといけないと心しました。今日のお昼はカデロ大使をはじめにロシアにつづいて訪問させていただくお国の大使方とワーキング・ランチ、インタビュワーの中村えれなさんにも同席してもらう。ちょっと緊張するかなと思いながら、若さの緊張はまた魅力と。ヨーロッパの大使たちの共通語はフランス語なのだと痛感。私だって10年以上はフランス語を勉強したはずなのにしゃべれない!もっと勉強しなくてはと思う。
2011年12月21日
シアターテレビジョンの新番組・第一回目収録。いつもながらセットづくりも全部シアターのスタッフが手作りです。私など口を出さないほうがいいものができます。会長・大塚隆一さんこそ大学時代を振り返れば以来50年、こういう番組を作ることが使命ではありませんか、と、どさくさにまぎれて雑談風景から収録をはじめてしまいました。番組を核となって進めてくださることになった岩見隆夫氏、平沢勝栄先生。こういう番組をつくっていくうちにやるべきこともやるべき方法も固まっていくものですよ、と岩見さん。まず三人の思いを聞かせていただきました。次回は谷内正太郎氏をゲストに日本と世界。イントロのナレーション・日本メイキングこのタイトルの名づけ親は岩見隆夫さんです。岩見さんが「要するにこの番組の目指すところは日本メイキングなのだよね」と、ふと口にされたその言葉です。勿論、日本語になおせば「日本づくり」です。ただし「国づくり」とか「日本再建」、「日本再生」という言葉は使い古されてしまい、かえってその志を小さくしてしまうとネイミングに悩んでいたのです。はじめに言葉ありき、見出しの言葉こそジャーナリズムの真骨頂です。今日、日本の混迷は政界ばかりに留まらないことはあらためて言うこともありません。「道に迷ったときはいつも元に戻りなさい」とは子供のころに親から言われたことです。メディアもメディアの役割を果たしていないといわれて久しいのです。メディアもメディアの原点を見直す必要があります。しかもテレビはみんなが無意識にいつも見ているものです。現代の先端兵器になることを忘れてはいけません。娯楽番組もまた戦略兵器となることは、韓国ドラマの日本攻勢を見てもあきらかです。この番組は岩見隆夫さんと平沢勝栄さんを二本柱に、これからの日本をどう築づいていったらいいか、それをどう実現していったらいいか、政界ばかりでなく財界、官界、学会、メディア界からの意見を糾合していくことが狙いです。第一回目は、ゲストではなく、シアター・テレビジョンの会長・大塚隆一がこの番組をつくろうというその志はどこにあるか、そして岩見さんと平沢さんご自身の国への思いを大塚会長に聞いていただきます。
2011年12月21日
最初は在日外交団長のサンマリノ共和国のマンリオ・カデオ大使を訪問、サンマリノは建国AD301年、いま世界で一番古い共和国です。第二回目はロシア共和国。インタビュワーの中村江怜乃(エレナ)さんも一緒。大使館の中を案内していただいて勉強しました。案内をしてくださったのはタチアナさんという広報官。すらりとしたとても美しく若い女性です。服装のセンスもブーツ姿も抜群。江怜乃さんにも当日はしっかり日本娘らしくと叱咤激励。和服を着た姿は日本人形のような人ですからやっぱり和服をと注文。勿論私が着付けと髪の結い上げは責任持ちます。来年はじめに放映、お楽しみに。シンプルなホールにシャンデリアがとても鮮やか、明るく綺麗に二列に輝いていました。
2011年12月19日
彩楽とクリスマス・ツリー。
2011年12月18日
堤尭さんが古川先生にこれでもかこれでもかというほど突っ込んで話を引き出しました。堤さんの粘りこさがなかったら古川先生とトリウムについてこれだけ詳しく聞けることはなかったでしょう。堤さんにくっついてスタッフと一緒に塩見和子と私は大磯の先生のお宅まで行きました。行ってよかったと思いました。対談のあと、大磯ロングビーチにみんなで行って中華をとても楽しくいただきました。大腸癌をわずらっていらっしゃたとは全くわからないほどお元気でした。思えばすばらしい遺言でした。「私のするべきことはもう全部終わったのです。研究も後は現実に試験炉をつくるだけです」、とおっしゃったことがいまさら思い出されます。25年前にすでに茅東大総長や経団連の土光会長が一生懸命に協力してくださった開発計画になぜ蓋をされてしまったのか、番組をもう一度みなさまにもご覧いただけるように編集いたしました。なぜか、つまるところ日本は独立国でないという結論になりますね。あとは御用学者の問題。ところでまたリチウムのときと同じくですが、お隣りの中国が本格的にリチウム発電の研究体制をつくり出資を決めました。「もう、どこの国が実現しようと人類みんなのためになればいい」と、先生の感想に私も同感する以外にありません。それにても今回は武田邦彦先生はテレビで反対していわく「テレビを使ってこういうことをリードしたり訴えるべきではありませんね」と切捨て。これではコペルニクスが泣いてしまいます。学者はどうも同じ分野の異論に会ったときほど狭くなりがち。自分の手がけていないこと、違う世界、理解を越えるものに出会わすと拒絶反応。それもなぜか官学出身者に多い。こういうことを訴えて考えるきっかけを提供することこそメディアの役割です。長年ジャーナリズムムの世界で生きてきた堤さんがこんなに熱心に古川先生の本を読み込んでいることがその証左、知らないことだからこそ広く知らせて眼を開く。
2011年12月18日
シアター・テレビジョンではようやく揃ってきた番組を紹介するパンフレットを作り直しています。私はパソコンを駆使するスタッフの背後霊、こうしてああしてと注文。何よりも大事なのは、美的なバランスをとりながら大きな字でと!!!
2011年12月16日
鮮やかな正月飾り、まさに文化の伝統シアターです、銀座8丁目の東哉さん。いい日本料理屋さんでふっといい徳利を見つけたと思うと東哉さん、いいデパートでは必ず扱っているのにこの小さな店構え。お正月の飾りもご主人が黙々と。私もいつも何かを学んで帰ります。今年は正面の松、これなら自分でマネできるかな、と。マネしているうちに自分の世界になってきます。翠の松を白米に活けるちょっとしたコツも惜しまずに教えてくださいました。
2011年12月15日
シアター・テレビジョンでお馴染みの江戸千家、家元夫人の翠鶴先生が長年活けてこられたご自分の茶花をお弟子さん方に伝授されるようになりました。シアター・テレビジョンにまた綺麗な絵が増えていきます。その第一回、30人ほどが一つづつの机をいただいて思い思いの花入れを持ち込んで同じ題材の花で茶花を生けました。茶花こそ私も一番本当の日本の花のあり方だと思います。野にあるように、しかも無駄を徹底してはぶいて、美の形を求めます。椿の蕾のありよう、葉の本来の形を求めてそっと手の平や指で矯めていきます。その手の動きが伝授です。翠鶴先生は一人一人すべてのお弟子さんの机を飽きずに回られる。書道の矢萩先生と全く同じその教授ぶりこそ弟子に伝わるものです。一子相伝の心です。教育は一対一でなくては本当の心は伝わらないものです。
2011年12月14日
今年の宝一つ小さな掛け花入れ。箱もいい。箱書きの細川さんの書もいい。こうしてこの焼き物と書を見ていると毀誉褒貶がある方だけどやっぱり天才。総理をやめて十年、本物の陶芸家になっている。
2011年12月13日
三ツ星の懐石料理をいただいた帰り友人が月を見上げました。ちょうど月は覆い尽くされるところでした。真っ暗な夜空、駅の前の大きな木をその人が指して言いました。木の葉が全部落ちているのに、大きなあの木の上の方にはたくさん葉っぱが付いているようでしょう。でもあれはみんな鳥なのよ、って。えっと思って見ていたら、本当にときどき枝から枝に鳥が飛び移っている。不思議な光景でした。ところで三ツ星レストランはどこでも一つうんざり。いちいち料理を説明する。よその国の良いレストランでは、客が聞かなかったら何もいわないものです。日本では客の会話すら中断して説明を優先させる。
2011年12月13日
日本で最初の億ションだったシャトー三田がついに建て直し、それでシャトー飯店の半世紀もこの暮で一旦幕を降ろします。もっとも来年にはシアター・テレビジョンの近くの虎ノ門に再オープンとのことですが、とりあえず忘年会。尾崎がく堂翁の書が私は好き。安倍洋子さんはますます父上の岸信介氏に似ていかにも冴えて華やぎ、いつも美しく老いない。日曜日、全てのテーブルが一杯でした。
2011年12月13日
日米関係はペリー提督が下田にやってきた黒船から読み解いていかないと正しく理解できないと、渡辺惣樹氏「日米関係を読み解く」、「日本開国」渡辺さんのあとがきが格別に印象的だったと堤尭さん「アメリカは中国にアヘン貿易で借りを、日本開国で日本に貸しがあると思っている」という一節です、と。渡辺「それが今回のTPPにも、そしてこれからのアメリカのアジア政策、日米関係にも関係してくるのです」とにかく一時間の予定の対話が二時間半におよび、さらに食事をはさんで三時間。堤さんのこのパラノイアぶりこそ堤さんの凄さ。
2011年12月09日
師走の一日、あるお祝いの宴にて、和服の良さを再認識。私?私も和服なのに写真を撮るのに夢中で入りそこないました。本当にいい物を着て観ていらした方の和服は世界に誇れます。年齢に関係なく綺麗なのは和服だけかもしれません。もしろ年季が入ったほうがすばらしい。若い女性の本物の和服はそれだけでうっとり。それにしても教育はお母さんがいかに子供を育ててくるかにかかっていると再認識。若い男をいくらあわてて教育しても間に合わないかも。佐々木菜穂子さんはNHKに出演の帰りのためにいつもは和服なのに洋服、ただし彼女はアカペラでオペラのアリアを歌ってくださった。芸大声楽科卒業、本物の特技があればどこでも堂々。
2011年12月06日
矢萩春恵先生を師匠とする私たちの書道会・容擁苑、来年は五年ぶりにまた展覧会を開きます。2月20日から銀座並木通りの文春画廊にて。会長の安倍洋子氏は岸元総理のお嬢さん、晋三総理のお母様、岸先生は満州時代に軍部の喧騒を逃れるために書の稽古をよくされたそうです。いつも一つ遺品を飾らせていただきます。綺麗な梅の絵が入っています。絵がついているのは一つしかないそうです。ちなみに前回は巣鴨で出された小さなミカンを上下に身と蓋にして薄く何回もご飯粒をつかって紙を貼った香合でした。書は「梅一輪一輪ほどの暖かさ」 書と絵からお人柄が懐かしい。
2011年12月04日
毎年12月2日は三笠宮様のお誕生日長年続いたオリエント・クラブではネクタイを一本心をこめて選んでお届けします。今年はポール・スチュワートの素敵な縞模様の柔らかいカシミア・ネクタイ。いつもとても美味しいおもてなしがあります。まずお干菓子にお茶、それから大きな紅い漆のお盆にとても美味しいお口とりが色鮮やかに盛られて、銘々のお盆にはお杯とお赤飯、お酒をいただきます。もうお腹が一杯になりますが、後に美味しい和菓子とお茶。家でも習わせていただこうとパチリ。
2011年12月03日
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