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1995年には3人のお子さんを持つ女性と結婚、人生の転機を迎えられます。画面には結婚式後の会見の様子と5人が並んでいる写真が映し出されました。勝俣さんのお話「『嘘だ』と思いましたね。無理ですね…あの…本当に…何だろう…虎みたいな方なので『誰も手なづけることは出来ないだろう』っていう…一人の女性のために生きるとかじゃなく翔さんは翔さんのために、自分のために戦ってくっていう…イメージの人だったんで…『何故?』と思いましたけど…」国「哀川さんは人生の転機でも『結婚』という言葉が入ってきましたけれども哀「そうですね」国「奥さんとの出会いのきっかけというのは、どんな…」哀「ええっと…ナンパです」国「哀川さんのナンパですか。一目惚れっていうことですか?」哀「そうですね」国「すぐ声をかけられたんですか?」哀「もうすぐですよ。『ちょっと電話番号、渡して来い』って。人を使ったんですけどね☆」国「電話はかかってきたんですか、すぐに?」哀「いや、それでまあ…ちょっとやり取りして…あの…まあ…『そんな紙を渡すの、気に入らない』とかね、何か色々そういうやり取りがあって…」国「あ、それは奥さんからですか?」哀「そうですね」国「その紙を渡したりとか、『そういうのは気に入らない』と」哀「『気に入らない』と。ただ…『まあいいじゃないか』みたいな…それでまた…今度は住所とか全部書いて…『健康』って書いてね」国「『健康』?」哀「『体はまあ大丈夫だ』☆」国「ラブレターに、まず『健康。俺は体は大丈夫だ』と☆」哀「ええ、『大丈夫だ』と☆それで渡したら…ちょっと打ち解けてね☆」国「あ、それで打ち解けたんですか!」哀「ええ、少し…少し会話になりましたね」国「凄いですね…今まで、ラブレターの中に…まず最初に『健康』って書いた人…僕は初めて聞きましたけど☆」哀「大事でしょ?☆」国「大事ですか」哀「大事ですよ。やっぱり健康でしょう」国「でも…先ほど…あの…勝俣さんも言ってました…『虎みたいな性格』」哀「虎って…どうなのか分からないですけど…ただまあ…徘徊はしてましたよ、毎晩…ええ…まあ365日の360日は六本木にいましたから」美「その奥さんとも六本木でお会いになったんですか?」哀「そうです…まあ逢わなかったのが不思議なんですけどね、偶々、その時初めて…それで何か朝まで喋っちゃって…それで…自分はハワイに行くんで…次の日からハワイに行く予定になってて、GWで。『ハワイ行かないか?』なんて話して…」国「え?その次の日、ハワイに…連れて行こうと思ったんですか?」哀「連れて行こうと思ったわけよ。どうせ俺は一人で行くから…『それじゃあ行こうか?』『子供三人いるけど』『また…そんなこと言って…』って☆」国「奥さんの方が子供を…」哀「『子供三人いるけど、いい?』『またまた…』」国「『冗談を』と」哀「『まあでも三人いるんだったらいいよ、三人とも連れて来い』って言ったの。それですぐ旅行会社に電話したんだけど…『ちょっとチケット取れないか?』って☆」国「当日、チケットなんですよね?そうなると…それで、取れたんですか?」哀「いや…『パンパンです』と。『GWパンパンです』☆」国「なりますね☆」哀「それでまた電話して、朝の7時にね…『パンパンらしい』と。そうしたら『可哀想だからおいで、送ってあげるよ』って言ったの。『いや、送ってくれなくても俺、車呼んでるから。じゃあ俺が車で迎えに行くから、じゃあ皆で』って言った。まだ半信半疑だよ、子供いるなんて…で、リムジンでダーッて道路を走って『○○の前』なんて言って…見たら三人…四人いるんだよ」国「はい、四人いたんですか?」哀「だから自分と子供三人で四人いる…『うわ、本当だ…』と思ってね…それで『皆、乗りな』ってリムジンに乗せて、それで成田まで行って…飯食って…『じゃあ行ってくるわ』みたいなね。リムジンの運転手さんに『家まで送り届けて』みたいなね」国「うわ…凄いですね、その行動力は…」哀「行動力っていうか…いや俺がびっくりしたよ☆言われても、ほら…子供三人いるようにも見えなかったし、俺より若いと思っていたし…」美「でも普通、三人…半信半疑のうちはまだしも、実際に見られると普通のそこいら辺の男の人は引いちゃいますよね、そこで」国「うん、引くと思います」哀「いや、俺はびっくりしたね…」美「だから引かなかったっていうのが不思議だわね…何でしょうね、それは」哀「見ちゃったら、かえって凄いなと思ってね…『おお本当にいるね』と思ってね…『じゃあ皆、乗れ。記念写真でも撮っちゃおうか』みたいな…それで撮っちゃったわけ。(再び5人の写真。よく見るとリムジンの前です)あれ、当日なのよ」国「あ、さっきの写真ですか?」哀「そう、その日なのよ。『写真、撮ろうぜ』みたいな☆」国「確かにリムジンでしたね☆」哀「そうなのよ☆俺、着いたらすぐ、ゴルフやろうと思って…もう…要するに、バイザー被ってるでしょ、ね?」美「子供さんがいるっていうことは、ハンディにならなかったんですね」哀「俺にとってハンディは…無いですねえ…」国「結婚を決意したっていうのは…」哀「結婚を決意したのはね…何となく『これじゃまずいな』と思ったのは二ヵ月後位かな」国「『これじゃまずい』というのは…」哀「ハワイから帰ってきて、もう暮し出したんだよ」国「住んだんですか、もう一緒に?」哀「住み出したんだけど、前の家あるよね?子供たちと一緒に住んでいる家。そこから俺の家に通い出してきて、まあ子供の面倒を見ながら俺の家に来て…みたいなそういう生活だったんだけど、途中から面倒くさいから、子供も全部呼んじゃったの、俺が。『いいよ、子供みんなおいでよ』…それでいきなり、一人暮らしから五人の生活になっちゃった」国「それだって…今まで六本木を300日徘徊してたわけでしょう?」哀「それでも徘徊してたよ」国「してたんですか!」哀「それでも徘徊してたよ…徘徊してたんだけど…ある日『これじゃまずいな』と思って…『これは白黒はっきりつけないと、これはまずいぞ』と。で、『まず子供に聞いてくれ』って言ったんだよ。要は『これ、結婚を前提に付き合っているけど、もし結婚ということになっても子供たち、文句ないか?』子供たちが『嫌だ』と言ったら、俺も嫌だからね。まず子供たちの許可を得たわけ。『どう?』『いいんじゃない?』って言うから『よし、まずOK』。次は親じゃない?お父さんは亡くなられてたから『お母さん、ちょっと北海道から呼んで。話をするから』と」国「奥さんの方のお母さんを呼んで…」哀「まあうちは大丈夫だからね…まあそれで、お母さんを呼んで『真面目に考えていますんで』という話をしたら『よろしくお願いします』と言われたから『よし、OK』って。それじゃあ、まあ迎えられるなと…そこからちょっと…ちょっと楽になったね」国「自分の中で、300日六本木で遊んでいる時代、自分が結婚するとか、子供を持つとかそういうことを考えたことってあったんですか?」哀「いつも考えているんだけどね…」国「考えてはいたんですか?」哀「考えているんですよ…ただ、いつもいなくなるんですよ…付き合ってもね」国「あ、今まで…」哀「まあでも、夜な夜な出歩いていたら、そうなるね」国「いやそうなりますよ。それで結婚を決意してから…夜な夜な外へ出ることは…」哀「出てましたよ」国「出てたんですか?」哀「出てましたよ。ただ、かみさんもついてきちゃった☆」国「…あ、面白いですね」江「でも、ずっと徘徊…いや徘徊じゃない☆何て言うんですか…」哀「ええ、出歩いてね☆」江「それまで、奥さんに出会うまでは皆、逃げちゃうっておっしゃるけれども…その時までは本当につかもうと思った人はいなかったですからね」哀「え?そうなんですか?俺、結構マジだったんですけどね…」江「あのね…気の毒と思うべきかどうか分からないけれども、これは哀川さん独自のことだから…あの…全ての神経をね、むき出しにして生きている様な人なんですよね。だから一番最初に、色んな事を全部気づきますでしょう、先に…っていうのはだから、その経験値っていう部分で誤魔化されちゃってる所があるかもしれませんけどその経験値だけではない、常にね、アンテナが体中にあるみたいなもの」美「そうなの。だからやっかいなのよ」江「で、じっとしていられない」哀「そうなんですよ」江「だから気の毒ってさっき言ったのは、安眠も出来ない。だからそうやって常に動いて動いて…それで疲れ果ててパタッて…子供がよく寝るみたいなそういう寝方をしないとならないから」美「ただね、哀川さんの場合はね、もうやっかいなのはね、もう体中がアンテナがあってねだから人を見た時にね、『自分は霊感がない』とか何とかおっしゃったけれども…」江「そうそう…違う」美「色んな所がね、目に付いちゃってね、気になるのね。相手の欠点とかね色んなものや何かがね…綺麗好きだったり神経質だったりなさるから、そういった所がねピッとこうね、来ちゃうのね。それですぐ分かるでしょう?」哀「いや、気がつく…まあしょうがないですよね…」美「相手のことを」江「自分は性分だと思って割り切ってる所があるだろうから」哀「そうですね、それはしょうがないね…」美「だからご本人も大変だけれど、周りはもっと大変」哀「そう思いますね…だから勝俣がさっき言ったのは、要はああいう風に言いましたけどね『(結婚は)無理だ』っていうのはね、この神経だから『こりゃ無理だろう』という…」美「あのね、こういう方はね、女にとっちゃ一番、厄介なの」国「厄介ですか」美「男っぽいから。前から私、しょっちゅう言っているでしょう?男の中の男ほど、神経質で気が小ちゃくて、物凄く繊細でねデリカシーでガラス細工みたいでね…そういった所があるのよ」国「ああ、なるほど…」哀「うちのかみさん…ほら、かみさんが会社をやっているから…だから…『いたか!』っていうね…一人はいると思ったんだよ、そういう人間が。だから自分の中のテーマとしてね、まあ5000万人、女がいるとしたら一人位いるだろうっていう…この気性に合う…」美「同じ波長のね。波長が合う人ね」哀「そうですよ」国「そういうことですか…」続きます。「オーラの泉の日記」
April 15, 2009
数々の武勇伝は幼い時から始まっているようです。哀「俺はね…小学校5年生でちょっと…ま、一回、悟ったんですよ」国「悟りましたか、小学校5年生で。早いですね、結構」哀「ちょっと暴れ過ぎてね…それで…学校に行ったら皆の目が違うんですよ…『ちょっとおかしいな』と」国「『1回、皆で言わなきゃ駄目じゃないか』…」哀「『ちょっとやってやろうか』みたいな目つきを皆がしているわけですよ。これ一人二人だったら良いんだけどね、クラス中がそうなると、ちょっと変な空気ですよ」国「それは『何だよ』みたいなことになったりしないんですか、哀川少年は?」哀「うん…俺はだから…『ちょっとやばい』と思ったから、ちょっと一人ずつ呼び出して…」国「一人ずつ呼び出して…」哀「『何かおかしいんじゃないか?』」国「『どんな空気になってるんだ、今これ?』っていう…」哀「そうそう。『おかしいだろう?』☆」国「『今までの目と違うじゃないか』と☆」哀「『今までと違う』☆もうそれはね、長年のアレで分かるんですよ☆」国「長年の☆」哀「分かるんですよ。踏み入れた瞬間に俺、お店とかでも分かるんですよ。パッと入った瞬間に『ここは帰った方がいい』と☆分かるんですよ、それだけは」国「それは…凄いじゃないですか☆」哀「それはほら…修羅場の潜り方でね☆」美「それで、一人一人呼び出して、その答えは何て言ったんですか?」哀「答えはね…『あまり意気がり過ぎだ』と。『あまり威張り過ぎだ』と。『だからやってやろう』と。『そういう話し合いを昨日したんだ』と…まあしょうがないから、やりましたけどね」国「やりましたか!1対…」哀「1対20何ぼで」国「20何で…」哀「はい」国「それ、どうなったんですか、結果は?」哀「やっちゃいましたよ、全部」国「え?勝っちゃったんですか?」哀「やっちゃいましたよ、全部☆」美「全部、平らげちゃったんですか☆」哀「全部、やっちゃいました、はい…☆」国「それで悟ったんですか☆」哀「それで悟りました☆」美「どういう風に悟ったんですか?」哀「『あんまり威張っちゃいけないなー』と☆」国「その前に気づくと思うんですよ☆やる前に気づきますけど…」哀「だって向こうだってやる気満々なんだもん☆それはもうどうしようも…俺がどうしようという…ことでもなくて、向こうはやる気満々だから…『表へ出ろ!』だもん」国「なるほど」哀「授業中だよ。『外に出ろ』でしょ、5年生が。それ凄くない?」国「授業中は凄いですね」哀「授業中だから…『はー凄いなー』と思ったね、俺☆」国「それは…20何名は『やっぱり哀川くん、強かったな』っていう風に…」哀「まあ俺、足も速かったしね。結構、距離を取りながらやったよね☆」国「距離感の問題は別に気にしないんですけれども☆」哀「距離感の問題があるんですよ。あるんですよ、距離感は。大事なんですよ」1984年には「一世風靡セピア」としてデビューすることに。「劇男 一世風靡」の後輩・勝俣州和さんのお話「僕が最初に『この人すごいな』と思ったのは…腕相撲のゲームありますよね?あの横綱に余裕で勝ちました。普通みんな、横綱だと手首を折ったり…そういう事故もありながら…横綱を瞬殺で…やっつけたという…後は…僕は『新幹線事件』って言ってるんですけれども…翔さんが映画の『極妻』を撮ってる時に、京都―東京間を行き来してた時に…突然駅じゃない所に新幹線が止まって…で、『何だ?』と思ったら『車掌室に男が立て篭もった』と。それをどうにかしないと新幹線が動かないというところで翔さんともう一人、その道のプロ的な感じの人が手を挙げてその男が立て篭もっているという車掌室の前に行き、ドアを開けて中に突っ込んで次の駅で男を警察に渡してっていう…それで翔さんは自分の席に戻り…車掌さんが『ありがとうございました。お名前をお聞かせ下さい』って聞いたときに『眠いからもういいよ』と言って眠りについたという…☆何ともヒーローみたいな話があるんですけれども…それはやっぱり哀川翔というものを見事に物語っている話ですね」国「いや…こんなこと、あるんですか?」哀「いや…俺もびっくりしたのよ。寝てたんだよね、俺。そうしたら車掌さんが『助けて下さい』って。『え?何?』と言ったら『立て篭もってる』と。『しょうがない。じゃあ行くか』って言って…」国「ちょっと待って下さい。なかなかならないと思うんですよ☆」哀「早く帰りたかったのよ☆撮影が終わって東京に帰る日でしょ?もう疲れ果てて新幹線で寝てるのに…止まってるんだもん、だって見たら。『じゃあ俺、行くわ』って立ち上がったら、もう一人立ち上がってくれた。『二人なら良いね』と思って☆で、行ったらさ『じゃあ俺は扉を開けるから、お前は中の奴つかめ』って言うわけ。おかしいだろう?☆」国「おかしい、おかしい☆」哀「『どう見ても、あなたの方が上手そうだよ』みたいな☆」国「その道のプロって言ってましたものね☆」哀「もうね…俺、もうしょうがないから…『まあいいや』と思ってそれはその…距離感だから☆」国「距離感☆」哀「取り合えず、開ける…ちょっと見といて…バッと見た瞬間に手をバーッとつかんでね、そのままバーッと引っ張り出した…そうしたら速かったねえ…そのプロは。カーテンでガーッとグルグル巻きよ。カーテン…速かったねえ…巻き方が☆」国「凄い経験ですよ☆」哀「それで『すいません…』って言われたんだけど、もうクタクタになっちゃって…」国「『ありがとうございます』ってなりますよね?」哀「うん…で、来たんだけど、クタクタで…『もういいよ、俺、眠いから』ってもうそのまま寝ちゃった」国「うわ…これは格好いい話ですけれども」哀「早く帰りたかっただけです☆」国「そんな哀川さん…意外だったのは雑誌のライターだったんですか?」哀「そうなんですね。東京に来て、すぐ編集部に遊びに行って…テーブルにガーンって写真があって、それを見ながら…ブツブツ言ってたんですよ、俺。『ちょっと書いてごらん』って言うから書いたら、それが採用されちゃったんだよね」国「それは何を書いたんですか?」哀「それはね…原宿で遊んでる人たちのスナップ写真なんだけどそれで写真集を作るって言って…『その写真を見て何を思うか』…要するに俺は自分をそこにのせてしゃべったんだね」国「はーなるほど…」哀「うん。一人称で、ずっと綴ったわけ」国「それが『いいな』っていう話に…」哀「『いいねえ』ということになって…それで要するに自分のコーナーのページをもらうようになって…」国「雑誌のライターっていうのは楽しかったんですか?」哀「あんまり面白くなかった☆」国「でも採用されちゃったから…」哀「…されちゃったし、お金も欲しいし…バイトならいいなと思って…だからあの格好で(オールバックに黒皮のジャンパーで煙草をくわえた写真が映りました)バイトしてましたよ(髪をオールバックにする仕草で)こんなんで☆」国「なかなか出来ないですね、あの格好では☆何年位続いたんですか?」哀「ええっと19から…20、21、22、23…四年間位」国「それ、結構やってましたね」哀「デビューしても、やってましたからね」国「あ、『一世風靡』の中でもライターというか、続けてたんですか?」哀「やってました、ずっと。だから色んな雑誌をやるようになりました、それから。自分のページも自分で書いたりしました」国「あ、『一世風靡セピア』の雑誌の部分の…」哀「要するに取材してくれるじゃないですか。原稿、俺が自分で入れたりしてた」美「それまでは文学や何かに、ご縁がおありになったの?」哀「いや、全くないですね。俺ね、本を読んだことが無くて…俺ね、図鑑しか読んだことがない☆」国「昆虫図鑑?☆」哀「ええ、昆虫図鑑☆それしかないですよ」国「わー、いま気持ちいいですね☆『俺、本読んだことが無くてね』って☆図鑑しかないと…でも、なかなか書けないと思うんですよ。本とかを読まないと…」哀「いやでも…自分の思いですからね。要するに取材して、俺がどう思うかじゃないですか」国「なるほど、なるほど」美「感性ですものね」哀「うん…と思いますね」国「その図鑑っていうのは、よーく見てたんですか?」哀「図鑑は半端じゃないね。生物、半分は暗記したね☆」国「読みましたねー☆」哀「読んだね☆六年間で…よく小学校の時、図書館とか行くでしょ?図書の時間ってありますよね、読書の時間。全部、図鑑だから。借りてる本全部、図鑑☆」国「哀川少年は読書時間を使って、図鑑を見ていたと☆」哀「今も全部図鑑だよ、だから。今、俺の本棚、全部図鑑ですよ」国「え?そうですか」美「じゃあ…あれね、前世はファーブルだったんじゃない?☆」国「どうですか、『一世風靡』との出会いっていうのは何だったんですか?」哀「それはね、取材してたんですよね、歩行者天国で…要するに日曜日の渋谷とか原宿とか表参道とか…そこにその集団がいたんですよ。その…要するに『一世風靡』になる前の…軍団がいたんですよね。で、面白いから、俺、編集長に言ってね『ポスター作りませんかね?』みたいな…」国「あ、その『一世風靡』ではないんですよね、まだ」哀「まだ、ないです。その前の、『一世風靡』って会社を作る前ですから。まだそこでバタバタしてる時代ですよ。そうしたら編集長が『作ろう!』っていう話になって…デビュー前からポスター作っちゃったんですね」国「そこに哀川さん、いないんですよね、入ってないですよね?」哀「入りました☆」国「あ、そこにもう入ったんですか?」哀「入って」国「でも皆さんは、もう踊りを踊れてたんですよね?」哀「もう踊ったりしてましたね」国「哀川さんは踊りは出来てなかったんですよね?」哀「俺は踊り、全然苦手で…結構見てました。ただだんだん何かやらなくちゃいけないような状況になってきて…それも不思議なんだけどね…『やんなくちゃいけないな…日曜日、何で踊ってんだろう?』って思った時あったんだよ俺も」国「あ、自分が☆」哀「そうよ。『何で俺、踊ってんだろう?』って思った時あったんだ…麻雀とかしてて雨とかザーザー降ってるのに『さあ、行かなくちゃ』とか誰か言うでしょう?『何で俺、行かなくちゃいけないんだ?』って思ったよ、俺は…しょうがないから…」国「あ、思ったんですか☆」哀「思ったんだよ…だって途中参加だし…ええ☆」国「でも、相当もてたんじゃないですか?」哀「そうでもないですね」国「え、そうですか?だって相当…僕らも子供の頃、真似しましたし、僕達の同級生の女の子も『やっぱり格好いい、一世風靡セピア、格好いい』っていう様な話を…」哀「だから自分も今は喋りますけど、当時は無口でしたから。俺…中学の時のあだ名『無口くん』だもん☆」国「『無口くん』だったんですか?☆」哀「『無口くん』だもん。ほとんど喋らない」国「ライター時代とかも、あまり喋らない…」哀「ライター時代は要するに必要事項はしゃべらなくちゃいけない…」国「その位で?」哀「…ですね」国「勝俣さんは…」哀「勝俣は自分達がデビューしてからですから。あいつらは六期とか…五期とか六期ですね」国「なるほど…」哀「元気ありましたよね、昔から。ほとんど変わってないです」国「変わってないですか」哀「変わってないですよ、距離取って文句を言うとかね☆」国「距離☆」哀「あいつもね、微妙な距離感を持ってるんだね、あれは良く知ってるんだよね」国「距離取って文句を言うタイプなわけですか☆」哀「そう。パッとつかまれない距離感を知ってるんだよね☆」国「距離感がテーマになってますけれどもね☆」続きます。
April 14, 2009
俳優として、5人のお子さんを持つ父親として、男性にも憧れの存在である方がゲスト。【スピリチュアル・チェック】☆ 自分の性格をひと言で→えー…短気ですね。☆ 座右の銘→早寝早起きです☆☆ 生活の中でこだわっていること。→うーん…水?☆ 最近のマイブーム→ええっと…カブトムシ…です。☆ 人生の転機→結婚です。☆ 不思議な体験→不思議というか…心臓が二回ほど止まりました。☆ 将来の夢→長生き!国「いやー、哀川さん☆『オーラの泉』、来ちゃいましたね☆」哀「来ると思わなかったね☆」国「いやー…僕、毎年、夏に一緒にクワガタを探しに行ってるんですよ、番組のロケとかで…行ってるんですけれども、まさかでも、この『オーラの泉』に…僕、一緒にお仕事をすることになるとは思わなかったですけれども」哀「いや…自分も番組は良く観させてもらっているんですけれどもまさかここに座るとは思っていなかったですね」国「どうですか?その、スピリチュアルという、こういう世界というのには興味があったりするんですか?」哀「あのね…観てたら面白いですよ…全く、力無いですから、俺は」国「あ、自分にはそういう力は持っていないと…」哀「持ってないですね」国「そう思っているだけかもしれないですよ。実は持っていて、哀川さんが気づいていないというパターン、この『オーラの泉』で何度もありましたから」哀「無いね☆」国「まあそれは後から色々わかってくると思いますから」哀「はい☆」1967年に徳島で生まれた哀川さんは5歳の時に海上自衛隊のパイロットだったお父さまを亡くされたそう。国「お父さんは事故で亡くなられたんですか?」哀「そうですね、あの…訓練中に」国「訓練中に…当時、5歳?」哀「5歳でしたね」国「その当時の事って、覚えていますか?」哀「よく覚えていますね。朝の7時のニュースに、バーン!と顔写真が出たんですよ…何だか分からなかったんだけど、ドーンとうちの親父の顔写真が出て『あれ?』っと思ったら、(家の中が)バタバタとしてるの。それから15分位で車が迎えに来たんだよね。『現地に行ってくれ』って。で、当時、俺は5歳だったんだけど、うちのお袋が要するに…弟の出産で田舎に帰っていたから動けないんだよね」国「あ、お母さん居なかったんですか、そこには?」哀「お袋はもう、飛行機に乗れなかったんだよ、お腹が大きくて…その10日後に、うちの…11日後に弟が生まれたの」国「そうなんですか…」哀「まあ、そういう時期だったんだよ」国「その…現地へ行って、その…お父さんっていう確認を取るんですか?」哀「確認取りますよ、一週間後に上がったんですけど」国「一週間後に…」哀「ええ、上がったんですよ…ちゃんと、分かりましたね…あの…包帯は巻かれているんですけど…要するに見えている部分で、きっちり分かりましたね。それでまあ、お袋に報告して…『確かにそうだ』と。だから要するに、こう…哀しくも何ともないんですよ」国「哀しくない?」哀「あの…その事故に関して、親父が亡くなったということに関しては寂しくも哀しくも何ともない。『早く家に帰りたい』って俺は。そっちの寂しさの方がデカかったですね。もうホームシックですよ」美「子供って、そうなんですよね。よくね、お葬式で子供がね親が死んだのを理解できなくて…それで走り回ったり、騒ぎ回ったりね…飾ってあるお葬式のお花を『綺麗だな…』と思ってたりね…そういうものなのね…」国「お父さんは、どんな方だったんですか?」哀「まあ、自分の今の趣味ね…釣りにしても虫にしても全部、親父の影響なんですよ、それは」国「あ、そうなんですか」哀「そうなんです。5歳までですけど、釣りも連れて行ってもらったしカブトムシも捕ってきてくれているんですよ…ただ…むちゃくちゃ厳しかったね…」国「厳しかったんですか?」哀「厳しかったね…俺はね…外から帰って来て手を洗わなかったんだよ…で、コタツの上に煎餅があったんだよ、真冬でね…煎餅を取ろうとしたら『手を洗え!』って言われた。で、俺は無視して、それを取って食べた瞬間に首根っこを握られて…まだ沸かす前の風呂だよ…あんなかに頭から突っ込まれたもんね」国「え?水ってことですか?」哀「水だよね。お袋が一生懸命、止めてるのを覚えてるね…物凄く厳しいね、今、考えると」美「そこで(スピリチュアル・チェックの)水が出てきたわけね」哀「あー、そうか…」国「なるほど」哀「俺、小学校の5年生まで物凄く水が嫌だったね」国「あ、その覚えがあるからですか?」哀「いや…それは分からなかったけど…すっごく嫌だったね」国「水が嫌だったんですか?」哀「もう水泳とか大嫌いだったもん。ビート板に乗っても進まないんだから、わかる?」国「…だいたい、進みますよね?」哀「だいたい進むよね?…進まないのよ…『沈むんじゃないか?』みたいな…」国「あ、『怖くて…』っていう…」哀「そうだよ、おっかなくてね…」美「だからそれが、あの…今生でのトラウマにもなっているんでしょうね、水がね…」哀「なっている…ただ、夢を見たんですよ…ボンボン泳いでいるのよ…」国「ほう、子供の頃ですか、それ?」哀「そう、5年生の時…『泳げるな』と思ったんだよ、俺」国「それがきっかけで…っていう?」哀「飛び込んだんだよ、俺」国「はい」哀「泳げたんだよ。50メートル、いきなり」国「え?今まで、ビート板でも進まなかったのに?」哀「ビート板で沈んでたのに…下半身が(プールの底に着かなくて)やばい、やばい…みたいな…それが、夢を見たんだよ、ある日の、夏休みのね」美「夢がきっかけで?」哀「夢がきっかけで。『俺は泳げるんだ』と思って…」国「自信を持ったわけですよね」哀「飛び込んだら…泳げたんだ、50メートル…それはちょっと不思議だよ…」国「一番最初にその『水が怖い』っていうのは、お父さんとの出来事っていうのもあるんですか?それとも…」江「影響が大きいでしょうね、今もお話が出たように、トラウマ…小さいときに…そういうのって、子供の時分って、そういう恐怖って、やっぱりどこかでずーっと維持しちゃうんですよね。だからそれを、ご自身で脱却なさったわけですよね…まあ、それには意味ありますけどね☆」哀「そうなの?☆それが怖いね☆」国「いやいや…良いことじゃないですか」哀「そうかなあ」美「だってほら、さっき霊的なものや何かを全く感じないしね、体験もないし、自分には関係ないっておっしゃっていたけれど、ちゃんとそうやってあるじゃありませんか」哀「それはちょっと…ただ…ほら、何かね…自分でこう…ただ怖がっていたのかな?…位の感じで…」江「でも、些細なことでも自分自身で『あ、これってこうなるな』っていう予感って今まで全部、的中していますでしょう?」哀「ほとんど当たってますね」江「ね?だから…」哀「いやそれは…それは経験で…」江「…と思ってますでしょ?」哀「ええ」江「それだけで出来ない人も一杯いますよ、世の中」哀「ええ…『二度目の過ちは犯さない』みたいな…」国「あ、なるほど…でも子供の頃、5歳の頃は父親が亡くなってしまったことを受け止めることは出来なかったと思うですけども、それからはどうだったんですか?」哀「それからもずっと…別に親父の存在を引き摺らなかったですね…でも俺の中では、凄く良い思い出なんですよ」国「うーん、その5年間…」哀「あの…確かに俺が悪いんだよね、手を洗わないから」国「自分が原因だっていう…」哀「原因はね、無視したと。まあ今、俺もそうだね。やっぱり一番嫌いなのは無視だもんね」美「でもね、『自分が悪いんだから』っておっしゃったでしょう?普通、何でもかんでも人のせいにするじゃないですか。『あいつがこうだったから、こうなった』『あいつがこうしなかったから、こうなんだ』ね?だから自分に、ある程度、非があったり、自分にも責任があったりしててもほとんどの人が自分の非を…」哀「認めない」美「ね?認めない。相手のせいにばっかりするじゃないですか」国「本当にそうですね…」美「その方が楽だと思うのね。で、哀川さんは、その真逆なのよ。何でも自分のせいにしちゃうのね。それで解決しちゃうのよ」哀「だから『火中の栗を拾う(他人のために危険を冒すこと)』って言われるんだけどね、俺はね…いつも…『駄目だ、止めろ』って言われて。『何でそっちばっかりに行くんだ?』ってわけじゃないけれども、自分的にはそっちの方が楽なんだね…まあでも、しょうがないなと思って。だから二度と過ちを犯したくないんですよ。『ここは経験したぞ、俺は』って、バーン!と夢でも見たように…もういきなり、ガッと足を踏み込んだ瞬間に『やばい!』っと思いますよ。『これはやばい…』」続きます。「オーラの泉の日記」
April 13, 2009
4/11(土)は夜7時からの2時間スペシャル。ゲストは哀川翔さん。「街のオーラ」は、芸術と教養 湯島・本郷編だそうです。***最後にお二人が向かわれたのは、縁結びのご利益で話題の神社。江「ほら…『出会うべき人はこれから出会いますよ』」辺「はい…」江「…っていうお話はしたと思うんですよ。その後、少しは予兆、ありました?」辺「あはは…あの…はい…あったっていうか…あの…何ていうんでしょう…うちのお祖父ちゃんがですね、夢に出てきてですね…あの…『そっちじゃない、こっちだろう!』って怒られました☆」江「(手を叩いて)あはは…☆」「オーラの泉・辺見えみりさん」オーラスポット7は、二月の半ばに花をつける河津桜が目印になっている「今戸神社」。辺「わー、いっぱい女の子がいるぞ☆」江「(手を振って)こんにちはー☆」辺「こんにちは☆」「こんにちはー」「高校生でーす」辺「高校生…若いんだね」「大阪から来ました」江「大阪?それは何?お参りしたくて?」「はい!」江「縁結びの?」「はい!!」「お守りも買いましたよ」江「あ、招き猫の…」辺「本当だ…わあ…可愛いね…」縁結びで話題の今戸神社には、二体の招き猫が並ぶお守りやおみくじが並んでいます。さらなる特徴は、美人姉妹の神主さんが迎えて下さること。今戸神社の宮司の家に生まれた市野智絵(32歳)さんと加奈さん(30歳)は小さい頃から神社を手伝いながら育ち、女性では珍しい神職の資格を取られたのだそう。美しい神主姿のご姉妹が並び、にこにこしながら話されます。智恵さん「あの…皆さま、アットホームな下町らしさを求めてくる方が多いので…まあ皆さま、こう…暖かい雰囲気を求めて話したくて来る方が多いので…だから後は、笑い声で元気が出るように、私達、声が大きいんですけど、笑い声で明るく…もう、そういうことしか…ねえ…出来ないんです」江「よく神職は仲取り持ちって言うんだけども、やっぱり(お参りに)いらっしゃる方たちと神さまとの間を自分がちゃんと繋いで、あの…神さまだったらこういう言葉をおっしゃるだろうなっていう言葉を来てくださる方たち、信奉者の方たちに返していらっしゃったり…常に自分達で、真剣に役目をこなしているという思いが、オーラに凄く表れているの…そういうね、金色のね、使命感っていうのが凄くあって…」神社に訪れる人の笑顔が見たくて神主になったというご姉妹に、辺見さんのために縁結びの祝詞をあげていただくことに。(良縁祈願、合格祈願、就職祈願、商売繁盛、交通安全など 5000円~)厳粛な雰囲気の中で神妙に頭を垂れる辺見さんの左斜め後ろに江原さんは座っておられました。加奈さん「では、今戸神社より良き縁がありますことを、心より祈念しております」辺「ありがとうございました」江「ありがとうございました」辺「(いただいた御札をカメラに向けて)何か凄いですね…」江「何か保護者みたい…☆」辺「お父さんが一緒に来たみたいな感じになっちゃいましたけど☆」***国「後半…江原さんがえみりちゃんのお父さんになってましたけどね☆」辺「これはもう…ちゃんとしなきゃと思って…」国「でも、お祖父ちゃんも心配してるんですよね?」辺「あの…この間、夏に出させていただいて(昨年、辺見さんが出演したときお祖父さんは入院中でした)…えっと1月の6日に、亡くなったんですよ。でも、あの…この番組を最期に、観られたんです。あの…1回、あの後に退院して来てで、お家にいる時間が少しだけあったんですよ。で、『この番組に出たんだよ』っていうのを凄く喜んでいて…で、VTRを持って、みんなで観て…それが最期にお家で観れた番組で…」美「良かったわねえ…」辺「もうその後は、あんまりしゃべれなかったりした…でも、本当に喜んでいて、この番組に…」国「感想もあったんですかね?」辺「『あんなに良い子に映っているえみり初めてだ』と☆四十九日の、次の日だったんですよ、ロケが。それで、それも凄くご縁を感じて…」江「お祖父ちゃん、一緒にね、廻ってましたから」国「あ、そうですか!メッセージ的なものとかは…」辺「いや、もうね…絶対、来てると思ってて…☆」江「ああ、そうなの☆」国「どんなメッセージが…」江「最初に言ってきたのは、亡くなった後ね、えみりちゃんが、あの…『お祖父ちゃん、迷わないでね、成仏してね』っていうことをよく言っているから『ああ、ちゃんと聞いてるから大丈夫だよ』っていうことを、まず☆」辺「もうね、そればっかり言ってたんです☆」江「『それよりも、お前が迷うな、人生』というような感じでね☆その声を聞いた後に、今戸神社ですから…だから保護者のような気持ちで『これで良かったね?大丈夫だね?』☆」国「浅草が焼け野原になっていて…五年後の映像を観て…『こんなに早く復興するんだ』っていうのは、本当に驚きましたね」辺「うん…」美「それで私、つくづく思ったのはね…『何て日本人ってしたたかで生命が強いだろう』…生命力」国「はい」美「今、不景気で、世界中そりゃあ不景気で、気の毒な人がたっぷり出てますよ、だけどね、こうやってこういうフィルムを今、見せられるとね…だってね、私、原爆に遭ってきたでしょう?もっと焼け野原ですよ。何にも無くなっちゃったんだから。食べる物も、着る物も、住む所もみんな…全員、ホームレスになったの。南瓜のヘタを食べたりとかおかゆなんて言ったって、お湯だけで米粒が5,6粒浮いてる位のね、そういうおかゆだった…考えてみるとね、今ね…『もう、大変だ、大変だ』…不平、不満を言ってパニックになって…何言ってやがんだいって思っちゃうのね。あの頃の日本人の底力、見てみなよっていうの。だから、これ位のこと、屁の河童ですよ。跳ね除けてね、もっと凄い国になるだけのね凄い力を持っているなって、つくづく…だから私達みたいに、こういう色んなね戦前、戦中、戦後を生き残ってる連中がもっとね、色んな所に出てきてしゃしゃり出てきてね、嫌われても良いから、声を大にして、その経験から…比較論でね、こうやってやるとね、皆さんに勇気を与えることができるし大丈夫っていう風にね、なれるんですよね」「オーラの泉・終戦特別企画 東京大空襲と長崎原爆投下」国「美輪さん、ここ最近、浅草の浅草寺へ入ってゆく間の仲見世なんかは…行ったとかっていうのは…」美「私は好きでね、ブラーッと一人で行くの」国「…それは…それは…凄い…☆」辺「一人で?大丈夫ですか?」美「こんな格好をして行きませんよ。それこそあなた…あの…『笑ゥせぇるすまん』みたいな格好をしてね…」辺「そんな格好なんですか☆」美「全然、変装して行くから、誰にもわからない☆」国「本当ですか?…これはちょっと…美輪さん、僕らもロケ、出ませんか?」美「そうね☆」辺「ここ二人で、ですか☆いいですね」国「二人で…色々と教えてもらって…」読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
April 4, 2009
年間二千万人が訪れる浅草も関東大震災(大正12年)では焼け野原に東京大空襲(昭和20年)では、数多くの焼夷弾が投下され、壊滅的な被害を受けることに。画面には、空襲の直後、一面の焼け野原に、わずかに鉄筋の建物が残っている街や焼け出された家族がひとつ屋根の下で生活する様子が映し出されます。仲見世の人たちは骨組みだけ残った建物で営業を再開、驚くことにわずか5年後の昭和25年の映像では、すっかり復興を遂げ、建物がびっしりと並んでいました。昭和23年には三社祭も復活、その後、浅草寺も再建され、浅草は賑わいを取り戻したそう。「オレンジ通り」にある「喫茶 アンヂェラス」は、戦後間もない昭和21年創業。アンヂェラスとは、平和を祈る聖なる鐘の音という意味。お店の澤田光義さん(65歳)のお話「ここが出来た時…戦後すぐ焼け野原の時、出来たんですが…世間で…やっぱり珈琲を飲むのにお砂糖じゃなくサッカリン(甘味料)を使ってたわけですね。ところが、うちで…あの…珈琲に角砂糖をひとつ付けて…それで出したということが凄くみんなに珍しがられて…」砂糖が貴重だった食糧難の時代に人々の憩いの場として賑わった「喫茶 アンヂェラス」の名物は「アンヂェラス」という甘さを抑えたチョコレートがけのミニロールケーキ(294円)と「ダッチコーヒー」(578円)(氷入りのグラスと珈琲のグラスが一つずつ銀盆に)。「江戸通り」のカフェー「ギャラリー エフ」には、戦災を免れた貴重な建築・江戸時代の材木問屋の蔵(1868年建造)があり、今はギャラリーとして使われているそう。浅草名物・招き猫も戦災を乗り越えたものの一つ。江「(ある建物の玄関の引き戸をカラリと開けて)ごめんください。失礼いたします…ちょっと拝見させていただいていいですか?(通常は見学できないようです。)」オーラスポット6は、「今戸焼き工房」。今戸焼きは500年の歴史があるそう。お二人を迎えられた白井美智子さん(66歳)が今戸焼きの小さな工房で、日本の代表的な縁起物・招き猫をひとつひとつ作っている様子が映し出されました。江「でもやっぱり、味わいがありますね☆」白井さん「あ、そうですか…ありがとうございます」辺「何か…うん…すごくその…お母さんが描いている猫ちゃんっていう…」白「似ちゃうんですよね、困っちゃう…もっと…あの…可愛くなればいいけど☆」辺「可愛い☆」江「可愛い、可愛い☆」白「わあ…☆」江戸時代、浅草の今戸には瓦職人が多く、その傍らで人形を作ったのが招き猫の始まりと言われているそうですが、関東大震災の後は地方に引っ越したり、廃業する職人さんが増え、30軒ほどあった窯元は今ではこの一軒だけになってしまったようです。江「今では貴重な…」辺「そうですよ」江「…存在にね」辺「存在になっているんですものね」白「いや…貴重か何だか分からないんだけど、代々続いてきたから…ここであの…」辺「途切れさせては…」白「途切れさせちゃいけない…」江「もうずっと浅草なんですか?」白「そうなんです…66…」江「ということは、戦争の経験も?空襲を受けた…」白「そうですね…逃げたのも…あの…母親におんぶされて…その時、あの…『雨が降ったのよ』って言うから…あの、『凄い雨が降っていた』って。後から、やっぱりそれを聞いたら…それは油ですよね、焼夷弾の」黒い雨かと思うほど、焼夷弾の油が降り注ぎ、東京は火の海になったのだそう。「オーラの泉・終戦特別企画 東京大空襲と長崎原爆投下」5代目の今戸焼き職人に嫁ぎ、苦しい家計を助けながら3人の子供たちを育てた美智子さんは2008年に今戸焼き最後の職人だったご主人を亡くされた後、招き猫の製作を受け継ぐことに。江「全然、話が違うんですけどね…お母さん、伺っていい?お地蔵さんは作られます?」白「お地蔵さん?…は作ってないんですけど…」江「お地蔵さんが見えるんだけど…さっきからお母さんと話しているとね、お母さんの後ろにね、ずーっとお地蔵さんが見えるの」白「ええ?嬉しい☆」江「お地蔵さんとかを信仰してたってことは、特別ないんですか?」白「そこの聖天さまってあるんですよね。そこで写経をやっていたり…」江「ああ、そこにお地蔵さんがあるんですか?」白「お地蔵さん、いっぱいある」辺「ああ、じゃあそこ…」江「で、お地蔵さんがお母さんのことをね…一生懸命こうね…守ってくれている」白「えーそうですか…」江「じゃあ写経したりとか、お参りしてて…それでお地蔵さんがだからいつも見守ってくれる…」白「私、お地蔵さんに前掛けを、うちの子が二十歳になるまで、三人…」江「『笠地蔵』だ☆」辺「笠地蔵の☆」江「だから守ってくれているんだ☆」白「あー…そう…」3人のお子さんが生まれる度に、お地蔵さんに赤い前掛けを作ってご近所の聖天さまのお地蔵さんに供え、成人されるまでお参りを欠かさなかった白井さんは今もお孫さんたちのためにお参りを続けているそう。工房の奥で静かに座って作業していた方が立ち上がって来られました。辺「息子さんですか?」江「あーこんにちはー☆あ、もう粘土とかやられるんですか?」白「おかげさまで、ありがとうございます」六代目として期待される裕一郎さん、写真のお父さまと風貌がとても似ていらっしゃいます。辺「でもお母さん、息子さんがこう…継ぐって言ってくれた時はやっぱり嬉しかったですか?」白「そうですね…継いでいってくれないとね…」辺「そうですよね…素敵…」江「是非、頑張ってください、ねえ…貴重なものを残していってください」続きます。 「オーラの泉の日記」
April 3, 2009
浅草で忘れてはならないのが、エンターティメントの歴史。渥美清さん、東八郎さん、萩本欽一さんなど、日本を代表する芸能人が浅草から生まれたそうです。大正時代には西洋のオペラをいち早く取り入れ、日本語で歌った「浅草オペラ」、オペラ歌手・田谷力三さん(1899-1988)などのスターを生み、大ブームに。画面には田谷力三さんの「『芽里女』のカルメン」(1982)の舞台の様子が映し出され、美輪さんは一緒に口ずさんでおられました。浅草出身の芸者から、歌手となった方も。昭和の懐メロブームの時にも大活躍された芸者歌手・市丸さん(1906-1997)の面影を偲ぶことができるのが浅草駅から徒歩五分、自宅を改装して造られた「ルーサイトギャラリー」。二階は不定期営業の喫茶室、隅田川を眺めながら市丸さんの思い出にひたれるところ。 エンターティメントの歴史も沢山ある浅草には、江原さんにとって忘れられない場所があるよう。お二人は、浅草駅そばの見上げるような高い建物の横を歩いています。江「これ…『浅草ビューホテル』」辺「有名です」江「ね?ホテルでしょ?だけど、僕にしてみると、ホテル以前の思い出の方が強いんですよ。ここはね、『国際劇場』って言って…SKDって知ってます?」辺「SKD?」江「宝塚みたいな…こう…☆(着物姿で軽やかに足を上げ下げ)」辺「はいはい…☆(一緒にステップを踏みながら)みんなでこう…ラインダンス的なことですよね?」江「そう…で、実はね、僕…ここによくね、母親に連れられてね…」辺「あ、観に来てたんですか?」江「そうなの☆」「浅草国際劇場」は、SKD(松竹歌劇団)の晴れ舞台だった場所。「西の宝塚、東の松竹」と言われ、豪華絢爛なレビューが大人気、中でも幅27メートルの大舞台に踊り子がずらりと並ぶラインダンスは圧巻、画面には赤と銀の衣装に、赤い羽根飾り、銀の靴の踊り子さんたちが並んでステップを踏む様子が映ります。オーラスポット5は、「浅草国際劇場」跡地に建った「浅草ビューホテル」の裏にある「喫茶 シルクロード」。お二人が入ったお店の奥の横並びにソファーが置かれた空間にはポスターや写真が掲げられていて、SKDの思い出コーナーに。ここはSKDの踊り子さんたちの憩いの場だったのだそうです。江「でもこれ、凄いですねー」辺「サインがもう…」壁だけでなく、天井にもびっしりとサイン色紙があり、その日付は全て同じ「1982.4.5」、浅草国際劇場でのSKD最後の公演の日。この日を最後にSKDは浅草を離れ、国際劇場は同じ年に閉鎖。江原さんは、幼い頃にお母様と一緒に見た華麗なダンサーの方々が今どうなっているのか、気になっているようです。江「あの…今でも…OGってやってるんですか?」お店の女性「はい…STASっていう方たち…今でも見えるんですよね…ちょこちょこ…あの方たち…」「Revue Fantasy 2009」と書かれた黄色いポスターがアップになったところで「こんにちはー」という声々と共に四人の女性が現われました。江「(目と口ををまん丸に開いて驚いて)あーそうなんですかー☆あー嬉しいー☆わあ☆はじめましてー☆びっくりー☆」「はじめまして」辺「急の登場でびっくりしました☆」お店に集まられたのは、元SKDのスターの皆さんで千羽ちどりさん、銀(しろがね)ひ乃でさん、高城美輝さん、明石薫さん。辺「お写真は…」千羽さん「私…(赤い縁取りのポスターにタキシードで大きく前面に写った姿を指して)これです…」江「うわあ☆(拍手)」辺「トップスターじゃないですか☆」千羽ちどりさんは男役のトップスター、銀ひ乃でさんは、「いぶし銀のダンサー」だったそう。江「やっぱりこう…情熱を注いだという時代とか…そういう追い求めるもののある方たちはみんな物凄いオーラを持ってる…10代、20代とかの人たちが持つような赤いオーラ(情熱)を持ってる、みんな」辺「いま現在、情熱的になって…私に足りない赤ですね☆みなさん、持っていらっしゃる…」今もなお赤い情熱のオーラを持つ皆さんは現在、STASの名前で浅草を拠点に定期的に公演を行い、SKDの伝統を伝えているそうです。江「あの…あともう一つ、申し上げていいですか?あの…さっきからずっと…四人がいらっしゃってから…女性でね、本当はこうやってお仲間に入りたかったんだけどご病気で亡くなった方がいらっしゃるの…」銀さん「はい、いらっしゃいます…やなちゃんだね…」絵「それで…その人の姿も見えるの。それで『羨ましいな』と思って…」銀「多分、柳さんだと思うよ。うちの女の子たちを教えてねって…」千「ガンで…」江「うん…壮絶で、苦しくって亡くなっている…だから本当はそれを克服して、その…『一緒にもうちょっと何かやりたいな』と思ってた方なんですよ」銀「お見舞いにね、行ったのね…」千「本当は病気が治ったら…私たちの若い子(後輩)を…」銀「教えて下さるって…」千「…っていう先輩だったんですよ」銀「日本舞踊の物凄い名手だったんですよ…(当時の写真の載った本を開いて指して)これこれ、これですよ」画面には、華奢で気品のある美しい舞姿の女性が映りました。江「あー…日舞の名手だからね…その人はお花が好きだったはず…最後までお花をねこう周りで囲って…お花が大好きで『お花を見ていれば落ち着く』って言って…」銀「柳さんしかいないと思う…『やりましょうね』って話してましたから…」千「そうですね…」辺「でも、こうやってみんなが思い出してくれて嬉しいでしょうね」江「ねえ…うん…」銀「そうなんですか…いや言われてね…」***国「浅草って、まあ…芸人さんを見ることができて、劇場も近くてオペラのミュージカルもあったりとかして…歩いて色んな芸術が見れたんですね」江「『花やしき』なんていうね、遊園地もあるし…もう全てがそう…だから『下町の聖地』なんです」国「そうです、本当に聖地ですよね」江「聖地です」美「不思議なのはね…何とも言えない…空気が違うのよ。時間がゆっくり流れてた頃の…ロマンティックな空気があるのよ。何とも懐かしい」辺「私達はその時代は生きてないんだけど、何かそこにヒュッてこう…連れて行ってもらってるような…雰囲気になるんですよね」美「でしょ?だからね、日常で今ね、ビルだらけで無機質でガラスと鉄とコンクリートの中で…(頭を抱えかけて)もうこんなになっている人とかって…そういった方はね、一番…リフレッシュするには一番いいですよ。是非、お越しいただきたいと思う」国「そうですね」続きます。「オーラの泉の日記」
April 2, 2009
縁起ものが沢山ある浅草。雷おこしは「家をおこし、名をおこす」という縁起の良いお菓子なのだそう。「浅草公会堂」前にある創業明治3年の老舗、天ぷらの「中清」の名物は通常の5倍ほどもある大きなかき揚げ。画面に映った雷神揚げ定食は、車海老・青柳・貝柱のかき揚げに味噌椀、ご飯、香の物が付いて3150円。雷神揚げは、雷さまの持つ太鼓に似ている縁起物なのだそうです。子育てのお守りとして人気の「笊(ざる)かぶり犬」。「竹」の下に「犬」を書けば「笑」という文字にさらにカサをのせて「重ね重ねいつもニコニコ健康に」という願いが込められているそう。お二人はさらに縁起物を探して仲見世の近くにある江原さんお奨めのお店に。江「ここ知ってます?」辺「え?手ぬぐい屋さん?」江「ここ、有名な手ぬぐいで『ふじ屋』さんっていって…もうね、僕、一度ね、自分の…あの…手ぬぐいを作りたかったんだけど…なかなかまだ、実現できずにね…あの…ちゃんと自分で出来るんですよ」辺「あ、ここで?」江「こんにちはー、お邪魔します☆」辺「お邪魔します…」江「(お店の中を指して)ほら…素敵でしょう?」辺「可愛い☆」オーラスポット4は、昭和21年創業の染絵手ぬぐい専門店「ふじ屋」。こちらの手ぬぐいは、絵柄が綺麗とのことで、椿、薔薇、桜の花びら、達磨、招き猫など様々な色合いと模様の手ぬぐいが、美しい絵のように額で飾られています。ふじ屋のご主人、川上千尋さんのお話「今で言うタオルのような役割も勿論あったんですけれども飾って楽しむっていうことも江戸時代からありまして…」おしゃれと実用を兼ねた粋な手ぬぐいは、オリジナルの柄が300種以上もあるそう。縁起の良い図柄も多く、画面に映し出されたのは青地に真っ赤な大きな鯛がはみ出すように描かれた手ぬぐいでその名も「めでたい」(1800円)。六つのひょうたんが描かれた語呂合わせの「六瓢息災(無病息災)」(1300円)、真っ赤な日の丸と淡いピンクに照らされた富士山とたなびく雲を描いた「赤富士」(2600円)など、美しく縁起の良い手ぬぐいは、噺家さんや芸人さんにも愛用されているそうです。***国「さあ、ということで…この手ぬぐい、『ふじ屋』さんからですね、ちょっとお借りしてきましたけれども…(鏡獅子、夢二の黒船屋、三社大権現、蝶、紅薔薇などの手ぬぐいは額に入って後ろ側に、「いとし藤」「腰かけ袴」「めで鯛」「こまづくし」「結び文」「玉つなぎ」「百寿百福」「青海波」などをデザインした手ぬぐいは折りたたまれて前方のテーブルに置かれて)色が良いですねえ…(「めで鯛」を広げて)」江「ねえ☆」美「やっぱり日本っていうのは、世界一ね、図案化したもののね、デザインの歴史が一番…世界各国で一番古いんですよ、一番、洗練されている国なの」辺「だってこのバランスでこの鯛を描こうっていう…(ふじ屋さんの「めで鯛」は背びれの一部や、胸びれ、尾びれが手ぬぐいからはみ出して描かれていないほど、目やうろこが大きくクローズアップされたデザイン)」美「それで、目が出ているから『めでたい』でしょう?ユーモアがあるの。例えば、これなんか…(テーブルの手ぬぐいを一つ取って)『かまわぬ』っていう…」辺「あ、鎌が…」美「(縦に並んだ三つのデザインのうち、一番上の『鎌の形』を指して)…があるでしょう?(真ん中の『○』を指して)で、ここは輪っかでしょう?(一番下の『ぬ』とひらがなで描かれた部分を指して)で、『ぬ』でしょう☆だからそれで…」辺「あ、『鎌』『輪』『ぬ』(=かまわぬ)なんだ…可愛い☆」国「ええ?!」美「『かまわぬ、かまわぬ』…有名な話があるの。手ぬぐいを、しょっちゅう持っているお祖母さんがいてね、そこいらを拭いたりなんかしてて(手ぬぐいを持って)いつもこうやっているの。そうしたらね、嫁さんが粗相をしたんだって。粗相をして何か大事な物を割って…そうしたらね、謝りに行ったら…」辺「『かまわぬ』だと☆」美「(手ぬぐいを振って)こうやって☆」辺「それって、今でも使えるじゃないですか…そうしたら、みんな仲良く…」江「みんな楽しくねえ☆」美「ユーモアがあるのよ」辺「ね?何か愛らしいですよね☆」美「だから、それが日本人の資質なのよ」江「ね?やっぱり日常の中で縁起物っていうかね、そういう物を身に付けるってすごく良いと思いません?何かネガティブな気持ちになっても『ああ、めでたい』っていうね…そういった中でね、やっぱり情緒っていうか心をコントロールする…そういう何かを持っていましたね、文化を」辺「ああ…そうね…」続きます。 「オーラの泉の日記」
April 1, 2009
「公園通り」から「雷門通り」に抜けて見えたのは、江原さんお奨めのお店。江「さあ☆『純喫茶』!ねえ☆」辺「わあ☆こういうところ、好き…『純喫茶』…」オーラスポット3は、昭和23年創業の「マウンテン」。浅草には、昔ながらの喫茶店がたくさんあるのだそう。「マウンテン」の一階は、和風照明に映える磨き込まれたシックな木の壁や柱、歌舞伎の役者絵やステンドグラスなどの装飾が施されたレトロな内装の喫茶店。江原さんがこのお店をさらにお奨めする理由は、二階にあるとのこと。辺「(二階に上がって)え?…急に鉄板が…」江「すーてーきーでしょー☆」辺「すーてーきですねーこれ☆」二階は鉄板焼きのテーブルが並ぶ、もんじゃ焼きとお好み焼きのお店に。もんじゃ焼きは月島と並ぶ浅草の名物なのだそうで「マウンテン」の干えび、切イカ、豚肉などが入った五目もんじゃは750円。ここで江原さん、おなじみの着物姿に、たすき掛けを始められました。辺「あれ?シャキーン!☆なになに?どうしたの?☆」江「真剣にあんこ巻きを作ろうと思って☆(白いたすきを結ぼうとして届かず)ちょっと長さがね…短かったね…☆」お奨めのメニューは、抹茶生地のあんこ巻き500円。画面には、表面はこんがり、中はしっとりとした生地にこしあんが巻かれた抹茶色のあんこ巻きが映ります。江原さんは、こちらに来ると必ず注文し、ご自分で作るのだそう。辺見さんの向かい側に座り、鉄板に抹茶生地を二つ分、丸く流し入れて焼こうとする江原さんでしたが…。江「ちょっと…氾濫してるよ、えみりちゃん!」辺「(ヘラで流れ過ぎた生地を真ん中に戻してフォローしながら)江原さん…すごく上手だって聞いてね…今日は食べさせていただくわけですけれども…☆」江「いや、これはね…多分、(鉄板が)水平じゃないからだと思うんだよ…(鉄板にこびり付き始めた生地を剥がそうとしながら)ちょっとちょっと…話が違うじゃない、これ…」辺「大丈夫ですかね、これ…心配な仕上がり…ですけど…」片面が焼けたら、丁寧に裏返すところを、江原さんが一つ目の生地にヘラを入れると生地が大きく破れ、ひっくり返すとボロボロに…辺「あーあ、こっちに賭けましょう…」江「こっちに賭けよう…(もう一つの生地は上手くひっくり返されて)」辺「ほら、こっちは何か…いいんじゃないですか?」江「えみりちゃんにキレイな方を…(ヘラで丁寧に押さえて)」辺「ありがとうございます☆」江「(失敗した方をヘラで隠して)こっちは映さないで下さい☆」辺「クシャクシャですよ、これはもう…でもホットケーキの匂いですね、パンケーキのね…何かお家で作る…」江「(特製の甘さ控えめのこしあんを焼けた生地に載せながら)いやちょっとごめんなさい…僕、いま真剣なんで…」辺「会話しながらやりましょうよ☆無言はまずいですよ…」江「…(真剣な表情であんこを載せた生地をへらで巻いて包み)」辺「あ、そうやって巻くんだ…包むわけですね…」江「…」辺「全く返答返って来ないじゃないですか…これ、ナレーション処理ですよ☆」何とか江原さん特製のあんこ巻きがふたつ完成。辺「いただきます☆」江「いただきます…」辺「(一口食べて)うわ…これ好き…」江「和製クレープ?」辺「うん、うん」江「…だね」味は美味しかったものの、江原さんは仕上がりには大いに不満のご様子です。江「こんなはずじゃないよね?(お店の方に)」「綺麗な人の前だから☆」辺「そう言ってお母さん、そんなところフォローして☆」江「お母さん、良いオーラしてる☆うーん、綺麗なオーラしてる」辺「お母さんはどんなオーラなんですか?」江「お母さん、綺麗な紫(情愛)出てる…」辺「あ、紫なんだ…」江「信仰深いでしょう?」お店の方は、「マウンテン」の女将、三代目の石井瑠見さん。「マウンテン」は戦後の復興に励む浅草に開店、二代目のご主人に嫁いだ瑠見さんは12年前にご主人を亡くされてからは、二人のお子さんを育てながら一日も休まずお店を続けてこられたのだそうです。江「これだけね、お店も歴史があるとね、こちらに来られた方で…もうこの世にいない方もいっぱいいらっしゃるはずじゃないですか」石井さん「そうですね…」江「だからそういう…いっぱいこう…思い出が染み込んでるところって、愛情を感じるのね、ここに居るとね…下のお店の奥の方に、いつもご主人、いらっしゃらなかった?」石「あ、いますね」江「でしょ?今も座ってるのね」石「あーそんな感じします」辺「へえー…常にそういうこと、感じていらっしゃいました?その…下に…『もしかしたら、見守っててくれてるのかな?』っていうのは…石「うーん…そうですね…すごく愛されていたという感じがしますので…」ご主人は今も喫茶店のステンドグラス傍の奥のソファーで女将さんを見守っているそう。石「(CDを手に取られて)まあ浅草ですので、『浅草待ちぼうけ』とか『浅草においでよ』とか…」女将さんは自作の歌で浅草を盛り上げるという夢があるそうで、歌を披露されました。♪今すぐ逢いたい人がいる 会えばときめく街がある それが浅草 街めぐり 下町ぶらり♪(「浅草においでよ」作詞:石井瑠見)人情あふれる浅草のオーラは、下町に生きる人たちの暖かい心が生み出しているのだそうです。***国「何か『日本が、元気が無くなってきている』なんて言うような話も聞きますけど浅草、全然元気に感じますね」江「今回、浅草へ私が伺ったのは…要するに浅草は、震災、空襲…様々なことがありながらも復活し…復活し…っていうね、そのパワー、オーラがみなぎっているところだからです」国「あーなるほどね…」江「それの良さを紹介して、日本の皆さんに元気になっていただきたいなと思って」国「なるほど…ただ、僕らはその…お参りの仕方だったりね…鳥居の前で一礼、そして真ん中を歩いちゃいけない…こんなこと知らなかったですね」辺「知らなかったです…」美「ああいうお寺さんとか神社とか、そういった所や何かはね、あの…もったいぶって儀式ぶっているわけじゃなくて、相手に対する敬意を払うとかね、相手を立てるとか、そういう気持ちを表して形にしたのが作法なんですよ」国「うーん…純喫茶はどうでしたか?」辺「いやもう私…基本的に大好きなんです、ああいう場所が…ちょっともう腰をかけたら立ちたくないな…みたいな喫茶店…」美「窓がね、色ガラスが付いてたりとかね…」辺「ステンドグラスもねえ…」美「磨き込んだ木であるとかね…ああいうのをね、喫茶店で飲んでいるときの思い出に繋がるの」国「『あー、そこにあった、あった』ってなりますよね、確かに」美「絵になるでしょう?ロマンになるのよ。それでまたね、素敵な音楽がかかっていて…その中で別れ話とかね、恋の話とかね、色んな話をして…」江「あの…あそこの喫茶店は、お見合いでよく使われたの。ですから人の出会いとかね、たくさんあったところ…そういった所ってね、やっぱり愛の波動があるんですよ」美「だからあの…情ってものなのね…」江「そうなんですね」美「やっぱり情ってものがね、昔はね、終戦後まであったんですよ、何処へ行っても。フランス映画でも日本映画でも何処でも。だから本当に情味たっぷりに、情緒がね。その情緒や何かを全部、切っちゃうでしょう?だからギスギスしちゃう。でも浅草には、それがありますものね」江「あるんですね☆」続きます。「オーラの泉の日記」
March 31, 2009
オーラの泉の新コーナー「街のオーラ」第一回目。江原さんが浅草の街を辺見えみりさんと訪ねられました。国「さあ、今回はスペシャル企画です。『街のオーラ』と題しまして浅草の元気になれるスポットを紹介したいと思います。今回は辺見えみりちゃんと一緒に…」辺「はい」国「江原さんが…」江「私が出動して参りました☆」辺「ロケに」国「ロケに…あれですか、江原さんが『さあ!というわけでございまして、えー浅草に来ておりますけれども…』みたいな☆」江「そんなプロなことは出来ません☆」美「こちら元々ほら、地元だから、下町でね」江「私は下町の生まれ育ちなんですよ」国「でも、浅草ではないんですよね?」江「浅草ではないですけど、下町に生まれ育っていれば、浅草は聖地ですから」国「聖地?」江「ええ。下町の聖地なんです」辺「なるほど☆」国「ちょっと、どんな風になっているのか楽しみですけれども…さっそくじゃあ、覗いてみましょうか。ご覧下さい」***街のオーラ 元気が出る浅草のオーラスポット7ヶ所巡り。オーラスポット1は、浅草の氏神さま、浅草神社。辺見さんと境内に現われた江原さんが、正しいお作法を教えてくださるそうです。江「ここが…」辺「鳥居ですね…」(そのまま鳥居をくぐろうとした辺見さんに)江「あら?鳥居はくぐる前に一礼。鳥居をくぐるところからまずね、あの…全く違うエナジーになるって思って。ここはね一つのお祓いを、まず第一回目に受けるっていう気持ちで行かないといけません。そうするとね、鳥居のところでは必ず一礼。お辞儀をして、そこから…(参道の中央にいる辺見さんに)えみりちゃんね…そこ…真ん中。『正中』って真ん中はね、神様が通るところ。だから右か左かどっちかに寄って…」正しいお参りの作法鳥居は人間の世界と神さまの世界の境界線なので、くぐる前に一礼すること。鳥居や神社の真ん中は「正中(せいちゅう)」と呼ばれる神様の通り道なので右か左、どちらかに寄って歩くこと。続いて、お二人は社殿前に立たれます。辺「こちらの方を…(投げられたお賽銭がちゃりんと音をたてて入って)」江「ちょっと待って。人に(お金を)投げて渡す人、いる?」辺「いません…」江「ねえ。よくね、『その方が威勢がいい』とかって言う人がいるんだけど…」辺「それを私、聞いたことがありまして…静かに…」江「(頭を下げて、両手を添えてそっとお賽銭を入れて)これが礼儀じゃないですかね…」辺「なるほど」正しいお参りの作法お賽銭は神さまに捧げる気持ちで静かに入れる。続いて、お二人は社殿前に並んでお辞儀をされます。江「お辞儀は2回します。(始めに深く二度のお辞儀、二回の拍手、最後に丁寧に一礼)」正しいお参りの作法二礼二拍手一礼江「あのね、神道とか神社とかは関係がないんだけど『どうして2回、お辞儀するんだろう?』ってね…」辺「そうなんですよね」江「よくね、学校とかではね『1回じゃ足りない。2回位、敬いなさい』っていう風な感じで教えられたりもするんだけど…僕はこう思うの。あのね、やっぱりまずは、自分のご先祖やね、守護霊さんにお辞儀をして…そうして、もう1回は大神(おおがみ)さまに対して…何故かって言うと、大神さまは尊い存在だから、私達の思いは直接、届かないの。だから途中で、守護霊さんとかね、ご先祖さまに聞いていただいてその人が向こうに伝えてくれる…だから下らないことをお願いするとここで却下されて向こうまで届かない」辺「あーなるほどなー…まず、ここで1回、判断されるわけですね?」江「そうそう。だから『それをよろしく伝えて下さい』で1回と(一礼されて)…そして大神さまに『どうぞよろしくお願いいたします』っていうのが2回(もう一礼されて)…まあ、それは私の自論だけど、あくまでも…」辺「うん…でもすごくそれは、何か…『なるほど』と思いました」江「ねー☆」浅草神社にご挨拶された後、お二人は浅草の街へ。江原さんは新仲見世通り入り口の、赤い看板を掲げたお店の前に吸い寄せられてゆかれます。江「今ね、建て直されて綺麗なんだけど、ここね…有名なお店なんですよ」辺「うわ!美味しそう☆」シューマイと肉まんの専門店「セキネ」、お二人が覗き込まれたショーケースには、ふっくらとしたシューマイやあんまん、肉まんなどが並んでいます。江原さんは早速、ラウンドファスナーの黒財布を取り出してシューマイ(10個入り 460円)を購入、その場でお二人は熱いできたてを口にされました。辺「うわ!美味しい☆美味しい…(江原さんを見て)一口でいきましたね☆」江「(箱を抱え、口いっぱいシューマイにして幸せそうに)うん☆」「新仲見世通り」を進み「浅草聚楽(じゅらく)」というお食事処を曲がって…江「(茶色い立て看板に駆け寄って)見て。何て書いてある?」辺「『浅草 浅草たぬき通り商店会』…」江「そう」「浅草商店街地図」オーラスポット2は、「オレンジ通り」と「公園通り」を結ぶ「たぬき通り」。通りの小さな祠の中に鎮座しているのは、銀色の小さなたぬきの像。願いを叶えてくれるという「願掛けたぬき」なのだそうで、それぞれ金運や商売繁盛の「大黒たぬき」、子宝に恵まれる「地蔵たぬき」のほか、「天神たぬき」(合格祈願)、「開運たぬき」(必勝祈願)、「不動たぬき」(家内安全)、「大師たぬき」(厄除け)、「愛情たぬき」(縁結び)、「小町たぬき」(眉目秀麗)、「人情たぬき」(友情)など。お二人は、二匹のたぬきが寄り添った夫婦円満、仲直りをを叶える「夫婦たぬき」に近づいて行かれました。辺「これちょっと…夫婦たぬき…これあの…まだ必要ない…?☆」江「いえいえ…今後もあるから…諦めたの?今後を?」辺「いえ、諦めてないんですけど・・・でも、もっと前に触りたかったな…みたいな☆(二匹のたぬきを撫でて)お願いします…仲良くね」江「そう」辺見さんに必要なのは、愛情たぬき(縁結び)かも…とのこと。さらに「たぬき通り」を進まれる中、たぬきの顔抜きパネルに目を留める江原さん。江「ちょっと…こういうの、楽しくない?☆僕ね、こういうの見ちゃうと…発作的に顔を入れたくなっちゃうの☆」お二人並んで、「浅草たぬき通りはご利益通り 招福開運 良縁長寿」と書かれた二匹のたぬきの顔抜きパネルで記念撮影。少しはにかんだ辺見さんの横で江原さんは物凄く嬉しそうに写っておられました☆どうしても食べ物に惹かれるお二人が、天ぷらなどが並ぶショーウィンドで品定めしていると江原さんの肩をポンッと叩く方が登場。「江原っちゃん!」江「あーびっくりした!(お互い腕を取り合って)うわあ☆!」辺「わーびっくりした!どうしたんですか?」江「あの…ますだ寿司の…」「お友達☆」辺「こんにちはー☆お寿司屋さん?」江「シゲちゃんです☆」辺「(カメラに向かって)シゲルさんです☆」「シゲルさんです、どうもよろしく☆」江原さんのお友達の増田茂さんでした。辺「普段…どのくらいお寿司とか…」増田さん「最近、ダイエット中なんだ。だから…」辺「(上目になってとぼける江原さんを指差して)さっきシューマイをバクバク食べてましたよ☆(辺見さんの指を下げようとする江原さんに抵抗して)さっき、シューマイ…☆(今度は口を手でふさごうとした江原さんにかまわず)シューマイ、食べて…☆」増田さんは、「吉原大門」の近くで昭和33年に創業した「ますだ寿司」の大将とのこと。美味しそうなお寿司を握っている様子が映し出され、にぎりは並1200円、上1600円、開店当初は立ち食いのお店で、渥美清さん、関敬六さんといった浅草の芸人さんにご贔屓が多かったのだそうです。お店のカウンターの天板を外すと、水道の蛇口と流しがあるのは立ち食いの時代にお客さんが手を洗うために作られたもの。元々、屋台から始まった江戸前寿司の歴史を感じさせてくれる貴重なお店のようです。続きます。「オーラの泉の日記」
March 30, 2009
はるな愛さんが苦難の道を歩んで来られたのには、魂の歴史にも理由があるようです。江「この国でね、花魁をなさっていた頃があるのね、あなたが。女の園の中でね、結構闘って、色々してきたでしょう?でね、その時『ああもう、女はうんざり』って凄く思ったんですよ」は「あの…花魁の時ですか?」江「うん。もうね『女はうんざり』って思ってね。でも、じゃあ純粋な女として生まれて来たいとも思わないでしょう?」は「…そうですね」江「今が好きでしょう?男の自分でもある、女の子である自分が一番好きでじゃあ女性になりたいかっていうと、なりたくないでしょう?」は「え?それで私、ニューハーフになったんですか?」江「そう」は「え?!そのとき見たから?その世界を?」江「そう。『女はもう、ほとほと嫌だ』で、実は男相手だったでしょう、その花魁で。『男もまた、ほとほと嫌だ』もうその中で、『自分は自分でありたい』っていう中で自分っていう…だからその、性とかを越えて『自分は自分でありたい』って選んで来ているんですよ」は「はい…はい…」江「だから『何者でもありたくない。男であろうが、女であろうが、何者でもなりたくない。自分は自分になりたい』っていう意志の元に生まれて来ていて。ただその、幼い時は色々とコンプレックスになったでしょうけれどもそれがバネとなったから、今があるんですよね。でなかったらあんなに頑張れなかったかもしれない。上手い具合にちゃんと…『上手く出来てるよな、神様』と思うんですよ」は「へえ…」江「最初に言ったじゃないですか。『今まで色々なことがあっても無駄は無いんですよ』と。ね?愛さんだって、苛められたとか、そういうことはあるけれどもニューハーフの世界に入ったりとか、ね?色んなことをやってもそこでやっぱり上下間とか人間関係とかで、悔し泣きに泣いたこともあるだろうし騙されたこともある、お金も入って来なかったとかね…一杯見えるの」美「だけどね、ニューハーフの世界とかね、ホモセクシャルの世界っていうのはね…あのね、男の良いところと女の良いところの両方を持っている人っていうのもいるのよ。その逆に、男の悪いところと女の悪いところ両方持っている人もいるの。ね?でもね、底知れぬ意地悪で根性が悪くてね、とにかく酷いのがいて…もう徹底的に嫌な奴が結構いるでしょ?やられたでしょ、あなた?ね?名前言ってご覧なさい☆」は「いや…☆そんな☆」美「しかもこういう風に綺麗で、手術に成功しちゃってね、もてはやされたらねそういった人たちの夢なんだから『夢を実現しやがって、この野郎』っていうのでねまあそりゃあ、妬み嫉み僻みが凄いわよ。大変なもの」国「心当たりはありますか?」は「…ございます」美「大ありでしょ」は「大ありです☆」美「でもね、そういう風に、男と女の良いところを持っている人っていうのも数少ないけれどいらっしゃるのよ。あなたは、その1人だからいいじゃないですか」は「ありがとうございます…はー…すごい…」美「それと闘って来たんですものね」国「じゃあ今は『自分は自分だ』っていう考えなんですか?」は「あの…女の子に体も全部変えたんですけど、整形して…でも戸籍は別に変えたくないんです。大西賢示のままでいいんです。何かそういうところまでは女性になりたいとは思わなくて…何か今の姿が私らしくて…はい…何か自分が一番ちょうど好いです、男の部分もあって、女の部分もあるのが」美「だから元来ね、そりゃあね、ギリシア神話の昔からあるの。ヘルマプロディートス(ギリシア神話の両性具有の神。美しい女体を持った美少年)って神さま知ってる?あの…アフロディーテって美の女神の子供なのよ、両性具有の神さま。それはだから、昔からあるんですよ。だからちゃんと『男でもない、女でもない』そういうカテゴリーに属さなくてちゃんと第三の性っていうのがあって、それは認められているの、大昔からね」は「さっき、先が見えないって言ってたじゃないですか、私の…見失っているってお祖母ちゃんが言っているから、この後がちょっと大変みたいなことを…それは私が何を見失っているんですか?」江「要するに守りに入ってるってこと。あのね、同じことをしていてもねお金を考えて仕事をするのと、いい仕事をしてお金が付いてくるのは違うでしょう?」美「(拍手されて)」は「はい…はー…」江「で、あなたはここしばらくはね、ずっといい仕事をしたかったはずなの」は「はい」江「表現したかった。それがね、幸せになっちゃたら…」は「分かりました、言わないでー!もう言わないで下さい☆」国「聞いた割りに、すぐ納得しましたものね☆」は「いや…もう全部、心の中を読まれて…」江「いや私じゃない。お祖母ちゃんが見てるの」は「あ、そうですか…」美「それより人のことばかりじゃなくて、あなたは自分のいい亭主、見つけなさい」国「その辺はどうなんですか?その…いい亭主的な…」は「私はじゃあ、誰か良いパートナーって見つかるんですか?」江「見つけるの」は「見つかるんですか?」美「いや、見つかるんじゃない、見つけるのよ」は「何処に?☆もう、どうしたらいいか…今、おっしゃっていただいたように愛されたくって…いつも愛されてると思っていたら、あの…ちょっとお金のトラブルがあったり…」江「だから『これをやるから愛してね』ってやるから、そういう相手ばっかり見つけちゃうの。『愛して愛して…』って言ったらね、愛されなくなるの、逆に」は「やーだー!☆もうー!」江「だからそこが分かれば、人生全部パーって『モーセの十戒』みたいにパーって道が広がるから、それを申し上げたいって今日あなたが来たのも必然なんですよ、って言ってるでしょ。そこがわかったらバーって全部が変わるんですよ」は「ええー?!どうしよう…」国「考え方ですよ。変えれば」美「あなたね、悪い例を見過ぎたっていうのはね…水商売の人たちでねキャバクラ嬢だとか色々いるじゃない?みんな失敗するのはね自分に、こういう商売をやっているから、私はこういう女だからって…みんな余計な引け目を感じてね、それをお金で購おうとして『貢がなくちゃいけないんだ』って思っちゃうのよ。『車も買ってあげましょう』『着る物も買ってあげましょう』『競輪行くの?競馬行くの?競艇行くの?ああ良いわよ、じゃあお金を持って行きなさい』そうすると、男をどんどん堕落させるのよ、まともな男を」江「『でも自分は役に立つでしょ?』と思ってる」美「それでね『お金を上げていれば絶対に浮気しないし、他の女に取られない』と思っているのよ」国「そんなこと、しました?」は「しました…もうたくさん…プレゼントとか…あの…お店をオープンしたりとか…一杯しました…」美「で、それは全部失敗してるでしょ?」は「はい」国「お店をオープンさせたんですか?」は「あの…『お店をオープンしたい』っていう夢を語られて…『どうしよう?』と思って…そんなにお金もないし…」美「貯金はたいたのよね」は「はい…だからお金をかき集めて…あの…まあ1000万位…」国「うわあ…」江「それは愛じゃないでしょう?」は「でも、愛だと思っていたんです、その時は、好きな人に私が出来る範囲を全て捧げてしまうのが…」江「それじゃあ『はるな愛』じゃなくて『はるか愛』ですね☆」は「言うよね☆」美「それさえしなければ、あなたはね、色女だったかもしれないのよ。ところがね、色女だと思ってたらいつの間にかね、貯金箱だったのよ」は「いつもそういう終わりです…」美「そうでしょ?でも、それはあなただけじゃないの。水商売で生きている女の人達が失敗するのは全部それ」国「それにずーっと気づかなかったんですか、今まで」は「全然、気づかなかったし…あの…凄く喜んでくれる顔を見たら嬉しいじゃないですか、何かプレゼントを渡して…だから何か…その顔を見れたら何か安心して…」江「それは本当の恋愛じゃないですよ。これから」は「え、これからありますか?」江「あります。だから本当にあなたが理解できたら道が拓けます」は「ちょっとまだ理解に苦しむというか…あの…お金じゃないと…人を愛するっていうのは…」美「『借金だらけだ』って言ってね、いつも『お金ない、お金ない』って男を見たら言うのよ。それでも選んでくれれば本物。そういう人もいるのよ」は「はい…」美「はるなちゃんの悪いところはね、いい?これは頭に入れなさい。向こうから追いかけてこられて親切にされると何かね、情熱が消えてゆくのよ、あなたは」江「そう。挙句に女王様みたいにぞんざいな口をきいたりね、いじめるんですよ」は「いやーだ!☆…いやそんな…」美「でしょ☆は「…でも…ごもっともですね☆…何か…叶う恋よりも叶わない恋の方が追いたくなって…」美「凄いの、どんどん、どんどん素敵に思って、作り上げちゃうのよ、相手を」国「今、いくつだよ?」は「もー…」国「もう現実、見よう」は「はい☆本当に私…まさかこんな何か…ここにお父さんとお母さんがいるとは…☆」江「でもたくさんね、人のことを本当に心配してね、良くもしてきたからねそういうチャンスもあり、節目もあり、守ってももらいね、で、これから変われるんですよ」美「ご褒美なのよ。こうなったのは。あなたが今まで小さい頃から色んな思いをしてきたご褒美」江「そうやって色々ご苦労されてきているけれど、その分でも綺麗なオーラしてる…あのね、色だけじゃないの、輝きが綺麗なの。だってねこれだけグリーン(平和主義者)があるってことはやっぱり憩いをずーっと求めてきてるんだなっていう…だからいつも何処かで憩う場が欲しいんだなっていうのがね現われているからみんなに何となく安らぎを与えるんでしょうね、TVから見えてね。それでいてね、黄色(陽気)もある。だから一生懸命、人を笑わせてきたから小さい時から。それをいつもモットーにしているの。『もう自分はいいから、みんなが笑ってくれればいい』っていうのが常にあるからね。それでいて、やっぱり…あの…今日をもってもう少し綺麗になったらいいなと思うんだけど紫(情愛)もあって…だからそれがもっと純粋に『自分を愛して』じゃなくて本当に自分を軸にするようになったら、もっと綺麗になると思う」国「まあでも、本当に見つかったというか、自分のこれからの課題もそうですし…自分が変わるってことですよね、まずはね」は「はい、今日はもう本当に、色々とフタをしていたもの、見たくなかったところを全部言われたので…本当にそこをちゃんと向き合って…」国「そうですね」は「でも今日は私、(ピンクのドレスをつまんで)すごいこんなフリフリで可愛く少女のように演じてるんですけど…もうそれはそれは裸になったら…お金に汚い…何か…☆もう嫌じゃないですか、私?☆」江「そんなこと言ってない☆」美「お金に汚いって言ってないじゃない☆」【スピリチュアル・メッセージ】☆ 親もひとりの人間です。美化したり神格化したりせず等身大で見ることが必要です。親離れ子離れして自立することを忘れずに。【オーラの言葉】☆ 体に悪いものが美味しいように悪い男ほど魅力的。「色女」のつもりが「貯金箱」にならないように。貢がなくても付き合える。そんな男を選ぶこと。読んでいただいてありがとうございました。スペシャルの前半部「街のオーラ 浅草編」は、後日アップする予定です。オーラの泉は、4月から土曜夜7時からの「サタスペ!」の中でさらにパワーアップして放送されるそうです。次回の放送は4月11日(土)夜7時の2時間スペシャル。ゲストは哀川翔さん。「街のオーラ」は「湯島・本郷編」だそうです。
March 19, 2009
はるなさんを見守っているというお祖母さまからのメッセージとは。江「…けど、実は今日、いらっしゃったのには意味があるの。お祖母ちゃんはね『ここまで来てあなたは、ここから先、全く見えなくなっちゃってる』でね、守りに入っちゃってね『あの時のひたむきな気持ちから何となく計算、計画で…店じまいまで考え始めてる』」は「私がですか?」江「うん。色々な…『どういう風に終わってゆくか』そういうことまでね」は「え?店じまいって自分の?」江「要するに、自分の人生の店じまいねは「…はい…」江「あなたの中で今、お金の計算とか、そういったことが凄くあってだから守りに凄く入っていて。その気持ちは分かる、苦労もしてるから。それがいけないわけでもない。いけないわけでもないけれどもちょっといったん、整理しましょうと。気持ちをね。自分のことって、みんな誰でも、一番自分が見えないものですよ。ね?そんなもの。だって私なんかだって、人にはアドバイスするけれど、自分のこと、見えなくなりますよ。主観っていうのが凄く入っちゃうしね。そこで美輪さんもおっしゃったけれども、実は今『中学の時、いじめにあって…』とか、自分のセクシャリティのこととか、色々あったけれどもそうじゃない、その前からであって…はるなさんは凄く孤独でね『孤独でない』って思いたくないっていうところで逃げているだけで…その…『孤独と思え』ということじゃなくて孤独だったことを受け入れて、そこから変えていかなきゃいけないの、また…」は「今?」江「うん」は「はい…」江「でないと、あなたは『愛されたい、愛されたい』が今も、凄くあるの」は「…正直、あります…」江「それでね『愛されたい』で今まで失敗してきてるの」は「はい…」え「でいて、変なお世話、おせっかい…色んなことをして、逆にそれが仇になってあなた自身が悪く言われたり…『ええ?その人のためにやって上げたと思ってたのに…それが何で?』っていうことが…一杯続いてきたと思いますよ」は「はい…本当にそうです」江「それはどうしてかと言うとね、自分のためにやったから。相手のためにやってたつもりだったの。だけど本当は『いい人ね』とか言われたかったり…ね?『それはやっぱり、愛ちゃんのおかげね』って言われたかったり…でも、それが言われたいっていうのが悪い、嫌らしい心って言ってるんじゃないの。本当に相手のことを思うんだったら、必要だと思う人にはやるけど、そうでない人にはやらない。だけど、みんなに対して、まあ…悪く言うと八方美人みたいになっちゃう」は「はい…」江「だってあなたはもう、家庭の中でとにかく…だってお父さん、お母さんのこととかでも、いつも顔色をうかがっていて『どうすれば、ここは仲良くできるんだろうか?どうすれば上手くいくんだろうか?』それでいてね『いつも追われて殺される夢』っていうのは何かいつもそういう強迫観念の中にあって…『怖い、怖い…いつも優しくいて、優しくいて』って思うからいつも笑顔を振りまいて笑わせて…そうしないと怖いから」国「どうですか?」は「…もう本当に…小っちゃい時に思っていた私の気持ちですね。両親、よく夫婦喧嘩してたので…とにかく…そういう争い事とかが嫌で…あと…豊かじゃなかったので、生活も…『だから私がしっかりとしないと』と思ったり…」江「だからね、道化になっていたのね、自分が。道化師みたいに、道化になっていてみんなを笑わせていて…でね、『豊かじゃない』なんて、どうでもいいの。豊かじゃなくたって、心が豊かだったら、みんな楽しいんだもん。そうじゃなくて『揉めてるのが豊かじゃないからだ』って思ってるから、そういう風になっちゃう。『私が何とかしなくちゃ』ね?そうじゃない。豊かじゃなくたってみんなで気持ちを合わせていれば前に向かってゆくんだもん、ポジティブに。だけども、そうじゃなくて『自分のせいだ』と思っている。心の方が女の子だということもあって、そこのせいにまたしてきちゃって…『自分がこうだから、何かみんながまた、不調和になっちゃうんだな』『こんな私はいない方が良かったんだ、生まれて来ない方が良かった、迷惑者なんだ』そういうのが『死にたい、死にたい…』って一時、凄くそっちへ追い詰めていって…『すぐに死んじゃえば楽になれるんだけどな』『どうせ私はいなくなっちゃった方がいいし…』とか。ね?っていうような。でも、それを繋いでこれたのは、お祖母ちゃんから愛情をしっかり込められているからですよね」国「はるなさんにとって、お祖母ちゃんっていうのは、どんな存在だったんですか?」は「…もう小っちゃい時から、家が近くて、お祖母ちゃんの。夜ご飯を一緒に食べたりとか、何かあったらお祖母ちゃんと一緒に旅行に行ったり毎日バスに乗って、ぐるっと周りに行ったりとか…凄く可愛がってもらいました」国「そのお祖母ちゃんには、その…『心は女の子なんだよ』っていうことは言ったんですか?」は「言えなかったですね…お祖母ちゃん、ちょうど私が『ニューハーフで生きてゆく』ってことを決めて働き出した位に…お祖母ちゃんが倒れちゃって…脳の病気だったんですけれどもお見舞いに行ったら私の顔を見て思いっ切り泣き崩れるんですけれども3分位でまた天井を向いてポカンとするんです。それをずっと繰り返すので『お祖母ちゃん、私のこと、多分何も分かっていないんだろうな』と思いながらポカーンと天井を向いている時に『お祖母ちゃん、ごめんね。私、こういう生き方してるけれど幸せだからね』ってよく言ってました」江「お祖母ちゃんが分からないはずないのね☆だから分からないと思い込んでいるのが不思議な位で、あの…お祖母ちゃん、後ろにいるんですよ。『欲しがるものが違った』って言ってるの。おもちゃでもなんでも『こういったものが欲しい』っていうのも、ぬり絵みたいな絵とかそういうのでいつも絵を描いて、何かやるとかね『これが欲しい』っていう物が違うから、もう最初から分かっているんですよ」は「お祖母ちゃんに一杯、着せ替え人形とか、ぬり絵、買ってもらいました」江「でしょ?だからそうやって、男の子よりも女の子の欲しがるおもちゃでしょ?」は「はい…全部そうです」美「だから、お祖母ちゃんにとっては、もう初めから『女の子だ』ということだから『女の子が欲しがる物は当たり前で、この子は女の子なんだから』という風にもう不思議でも何でもありゃしないのよね」江「お祖母ちゃんから言わせたら『どっちでもいいの。あなたなんだから』可愛いのは孫でしょう?男の子だからとか、女の子だからとか、ね?どうだからって選んで好きになるってないでしょう?孫なんだから。どっちでもいいの」美「そんなのは全然、歯牙にもかけていないの」は「あ、本当ですか…」美「うん…ただね…いい?」江「どうぞ」美「あなたの場合、強烈なファザコンであってね、マザコンでもあるのね。だからね、お父さんのことを、恐れて嫌って憎んで…それと同じ分量で愛してるし恋してるのね。それでお母さんのことも、愛してるし大好きだけど、その代わり憎んで恐れて怖がってもいるのよ」江「ズバリでしょう☆」は「…」美「その両方が、愛憎の振幅がはっきりあって両方持っているのね」国「差し支えなければ、今のご両親との関係というのは…」は「あの…うちはもう離婚してまして、あの…それぞれに家庭があるんですけれども、よく…お母さんとも毎日電話しているし、お父さんともお酒を飲んだりとか電話をしたりしてますけれども…あの…お父さんは…つい最近、TVの企画で二人で旅行に行ったんですね。その時に、初めてお父さんとお酒を飲んだ時に…ぽろっとお父さんが『こうやって…』(涙ぐまれて)…すみません…『息子と酒が飲みたかった』って言ったんです。それを聞いた時に何か父のことを腹立たしく思っていた気持ちとか全部…何か忘れちゃう位…」美「スーッと溶けていったのね…そうそう…だから、あなたの中ではそれをずーっと待っていたのね、解決しようと思って。で、お父さんは遊び人でいらっしゃるようだからね、賭け事もそうだし色んな遊びが大好きな方のようなのね」は「はい」美「だから訳知りでね、それだけ月謝を払っているから、色んなことが大人になっているのよ。だからあなたが今更そうなっても『おう、可愛いねえちゃんじゃねえか』みたいなことで話が分かるように成長なさったのよ、お父さん」は「そうですか…本当、いま言われて、そう思いましたけれども、でもそういう部分が私が父の嫌なところだったんですけれども…でも初めて、16歳の時に父にニューハーフっていうか『女の子で生きてゆきたい』っていうことを告白したら…凄く怒られると思ったんです、はじめ。でも30秒位うつむいて…『よし、わかった』すぐ返事してくれて『男やったら、お前とことんやれよ。その代わり、人生は後悔したらあかんぞ』って言ってくれたので…私の予想もしない返事が返ってきたので…」美「いいお父さんじゃない」は「凄い…本当に有り難かったし…」美「だからそれは、江原さんがさっき、お祖母ちゃんが男でも女でもね、同じ。孫は孫なのよ。それと同じように、息子であろうと娘であろうと、親子は親子なのよ。そういうお父さんは、お好きでしょう、あなた」は「大好きです、はい」美「ね?」国「そういった会話をしたのが、ここ最近だったんですか?」は「そうです、父の本音を聞けたのが最近でしたし、父も何か自分のしてきたことに『ごめんな』ってひと言、言ってくれたんですよ…」江「それで救われましたよね。ただね、お父さんがね、いま美輪さんがおっしゃったように『成長なさったのね』と。それでお父さんがね『ごめんな』と言ってくれた。そこで終わっちゃ駄目なの。いま、変わらなきゃいけないっていうのはどういうことかっていうとね、もうね、『親離れ、子離れ』もういい加減、親をね…さっき美輪さんがファザコン、マザコンって言ったけれど引き摺るのをお止しなさいっていうこと。それが実は一番『お会いして言いたいな』と思っていたのはそこなのね」は「引き摺っているんですか、私が?」江「うん。だってね、親子、確かに生まれた順番としては、生まれた順として『生んでくれたりとか育ててくれて、ありがとう』だけれども、人間同士なんですよ。良いところもあれば悪いところもある。ね?『親だから』とか、そう関係ない。1人の男性、1人の女性とかね、そういう意味で人間なんだから人間をしっかり分析して、妙に親を神格化させようとかね、美化したり、関係ない。等身大で見ること。ね?でないといつまでも、どこかで『親から愛されたい自分』で一生懸命、道化をいつまでも繰り返さなくてはいけなくなっちゃう。ね?いい加減、自立しよう」は「私が?」江「そう」続きます。「オーラの泉の日記」
March 18, 2009
学校でひどい苛めを受けていた時、はるなさんはニューハーフの男性と出会い自分らしく生きられる世界があることを知ったのだそうです。は「ニューハーフのお店に初めて連れて行ってもらったんですけど…初めてニューハーフの人と会った時に『あ、こういう世界もあるんだ』と思ってそこでちょっと自分の逃げる世界というか、生きたい世界が見えて…楽になりました」国「でも、苛めは続いているんですか?」は「でも少し、そこから少し減ってゆきましたね」江「だからほら、苛める人は大体『隠そう』みたいにすると、余計にそういうね『暴こう』とか、そういう方へ行くんですよね。だから逆に言うと、そういう『自分の世界が見つかった』って、ある意味での居直りというか、開き直りというかねそうなってくると、あまりそこを突かなくなるものなんですよ」は「あー、そうです、だから本当に、ニューハーフの人と会ってからは…何ですかね…自分も本当に変わったような感じがして…」江「だからほら、覆面レスラーの覆面を取りたいのと一緒でね☆変な願望があるんですよ、そういう下世話な人たちには」国「うわー取りたかったなー☆」美「あの…苛める連中っていうのはね、相手がメソメソすると余計に苛めたくなるのよ。『だから?それがなあに?どうしたの?』って…『私がそうだからって、あんた死にでもするの?何の迷惑をかけたの?』って言われたらぐうの音も出ないの。そうすると攻撃する連中は守りに弱いのよ」国「弱い?」美「弱いから苛めるわけ」江「苛める人は大体、コンプレックスを持っていますから」は「へえ…」江「持っていますよ、持っているから人のことを言うんです。でないと、そこは気にならない。普通はね、気にならない。自分が関心が無いところは気にならないですよ」は「そうなんですか…」美「そう」は「もう、ただ…何も、もう…じっとこらえるしかなかったですね、なにかその時期は…」美「でもね、ちゃんとあなた、生き残ったから偉いわよ」は「はい、もうそれは本当に…」江「それとね、それは辛い経験なんだけど、それらが全部、無駄にならずに今のはるな愛さんがあると思いますよ。ただの明るさとか、それだけじゃない。やっぱりそういう色々な経験と感動が様々あったことが、はるな愛さんという人格を作りそこが多くの人の心にね、響いて、そして慕われるんですよ」は「そうですか…」江「やっぱり『この人は分かってくれるな』とか『苦労が分かる人だな』とかそういうのはね、黙っていても出てしまうんです」高校を中退してニューハーフとなったはるなさんは、アイドルを目指し1998年に上京するも、ブレイクするまでは性別を隠してレースクイーンのアルバイトやイベントの司会をして暮らしていたこともあったそうです。国「え?レースクイーンのバイトですか?」は「バイトをやってたんです。東京に来てから本当にお仕事が無くてスカウトで来たんですけれども…あの…『どうしよう?』と思った時に年齢をサバ読んで、4歳…で、プロフィールを送ったら、たまたま合格しちゃって…」国「それはもう、あれですか、あの…」は「女の子として」美「胸や何かは?」は「胸はもう、ちゃんとあの…体は女の子に全部改造して…」美「改造後だったのね☆」は「改造後でした☆」美「じゃあ、楽だったわね、比較的」は「そうですね…ただ、声がやっぱり人と違う…何かね、雰囲気だったので喉をグッと絞めて高い声を出していたので…『バレたらいけない』と思って…可愛く…(肩を寄せて)みんなよりも1人でぽつんとかしてましたね、ちょこんと座って…」国「結局、バレなかったんですか?」は「一度だけ、危ない時があったんですけど…ドラックレース(直線のコースでスピードを競う自動車レース)ってご存知ですか?あの…ジェットエンジンがボー!と出るレース…丸焦げになっちゃうんです、そのエンジンを浴びちゃうと。でも、ギリギリまで車のところで(腰に手を当てて)こうやってポーズを取って(シグナルが)ピ、ピ、ピ、ビーン!っていう時に、もう逃げておかないと駄目なんですね」国「それはギリギリまでいるんですか?」は「ギリギリまで、一発目のビーン!が点くまでは、笑顔でこうやってポーズを取っているんですけれども、ビーン!ってなった瞬間に思いっ切り逃げないと行けないので、遠いので、その時に歩き方が(立ち上がって)思いっ切り男走りになっちゃったんですよ、私も☆もう、そこは命がかかっているので。その時に初めて『何か…男みたいだけど…何なの?』みたいになってちょっと問題になってバレちゃったんです」国「あ、バレたんですか?」は「はい、ドラックレースで」国「その走り方で。必死過ぎたんですね」は「走り方と…ちょっと『うぉー!』みたいな、低めの声が出て☆それでちょっとバレちゃいましたけどね」国「そのバレた後はどうなったんですか?」は「それでちょっと、お仕事、無くなりましたけどね、それが最後で」国「そうですか…その、レースクイーンって、やっぱりモテると思うんですよ」は「…モテましたねえ…」国「モテましたか」(ここから、一時停止ボタンを数分間、押してしまいましたので、記憶によるメモです。錯誤がありましたらごめんなさい。はるなさんは、かなり有名なレーサーの方にお声をかけられたそうですが相手の方のことを思って深入りはなさらなかったとのこと。はるなさんがよくご覧になる夢は、思い癖の夢とのこと。お仕事をする際、スタイリストさんに「可愛いものを」と頼んだ服をお召しになっているのは小さい頃にできなかったことを今、行っているからということ。はるなさんは幼いときから孤独で、ご両親と折り合いがあまり良くなかったときもお祖母さんがいつも見守って下さり、芸能界で生きてゆくことも支え続けて下さっているとのこと)美「お祖母ちゃんだけが、たった一人の味方で、で、お祖母ちゃんは今でも付いて回っていらしているのね、付き人みたいに」は「マジで…?」江「そう。だってお祖母ちゃんが全部、コーディネイトしてくれて…は「(泣き声になって顔を手で覆われて)ええー!」江「それでいて今ね、『ずーっとこの世界の中で生きていきたい、生きていきたい、どんなに貧しい思いをして、もう食べられない、どうしようって言いながらもその中で生きてゆきたい、生きてゆきたいって…そんなにお前は芸能界で生きてゆきたいのかい?』って言って、事務所まで変えさせてくれたの。そうしたらば、パーッとあなたに道が拓けてきたの。それまでは『やっぱり辛抱しななさい。いまのあなたには時間が必要なんだよ』『それより前に咲いちゃったら、駄目なんだよ』ということで、あの苦労も実はお祖母ちゃん自身は分かっていての苦労で。で、小ちゃい時からあなたが女の子だったというのは、お祖母ちゃんは分かっているんだから」は「ええー!」江「分かっている、分かっていますよ。そんな当たり前のことなの。『この子は女の子なんだな』っていう風に思っているの。そういうあなたが『何があっても、この夢の世界で生きてゆきたい。これをやれたら死んでもいい』っていつもあなたはお祈りしてるの。そうでしょ?それでいて『自分は芸能世界の中で本当に夢を皆さんに分けて、自分も夢を表現してそれさえ出来れば本望で死んでもいい』って、そこまで言うからお祖母ちゃんは『じゃあ、もうちょっと辛抱なさい』って。『もうちょっと大丈夫?我慢できる?本当にこの試練を乗り越えられる?』とことん貧乏までやって、でも何とか自分で食べる道を…そう、芸能だけじゃない、自分自身で地道に食べてゆけるようにお店も考え…ね?『じゃあいざ、これで準備できたな、もうこの子の精神力は大丈夫だな』要するに『芸能の中に入っても自分自身を見失ったり、傲慢な気持ちになったりしないで済むな』っていうところに来て、パッと道を変えてくれたはずなの、大どんでん返しがあったはずなの」は「はい…」江「でしょ?で、それからあなたはパーッと光が当たって今があるはずなんですよ」は「すごい…」続きます。「オーラの泉の日記」
March 17, 2009
松浦亜弥さんを模した芸風で大ブレイクされた方がゲスト。【スピリチュアル・チェック】☆ よく見る夢→人に追われて…追われて追われて…ちょっと殺されちゃったりする時もあります。☆ 最近、恥ずかしかった出来事→新幹線の中で寝ちゃった時に男級のいびきかいちゃって☆…起きたら周りのサラリーマンの方が全部見てました、私の方を☆☆ 苦手なもの→蛇!もう蛇、大ッ嫌いで、蛇を見ていないのに、今ここに来ている感じを想像できて、勝手に想像できて…「うわあ!」ってなるんです、1人で。もうそれ位、大ッ嫌いです。(国「想像しなきゃいいじゃないですか」は「しちゃうよね☆」)☆ 今、一番欲しいもの→レギュラー番組です。☆ 人生で一番辛かったとき→中学生の時に…ちょっといじめにあった時ですかね…☆ 不思議な体験→父方のお祖母ちゃんが亡くなった時に、ちょうど偶然その同じ時間帯に家のチャイムが鳴って…出て行ったらもう誰もいなかったので…「もしかしたらお祖母ちゃんかな?」と今でも思っています。(大階段からはるなさんの手を取って導いてきた太一くん、そのままスタジオの脇の方へ連れていこうとして)国「じゃあ、こちらの方に来てください」は「どこへ?どこへ?…ちょっと、こちらへお座りになるんじゃないんですか?ちょっと初めてじゃないですか、スタジオの外って!☆」国「やります?☆」は「ちょっと☆めちゃめちゃ今日、楽しみにしてきたんですから」国「やります?」は「お願いしますよ、本当に…よろしくお願いします…(太一くんがゲスト席へ座ろうとしたので)ちょっと!こっち、私は!」国「あ、こっちですか☆」は「もう…言うよね☆よろしくお願いします☆」国「来ちゃいましたねー」は「めちゃめちゃ緊張しますね、やっぱり…」国「あ、そうですか。普通の番組とは、やっぱりちょっと違いますか?」は「よくこのテレ朝は来させていただいているんですけれども…今日来たら何かお寺みたいな感じなんですよね、空気が」国「澄んでいるっていうことですよね?綺麗な空気が流れているというか…」は「そうなんですよ、いつものテレ朝とは何か違うんですよ、ここは。可笑しくて☆」国「入った瞬間からお寺に来たような☆」は「はい」はるなさんは、大きなリボンのついた胸からレースが膝まで広がる綺麗なピンクのドレスでふわりと座っていらっしゃいます。国「ちょっとあの…大きくなられました?☆」は「(ご自分の二の腕あたりを抱えて)…いや、本当に…今日はそのこともお聞きしたかった一つなんですけれども、私、本当に食べて太るんですけれども…」国「メタボのマルチーズみたいになってますけど☆」は「どういうことですか!☆」美「可愛いってことなの☆」は「本当ですか?これもしかして、ぽっちゃりの…あの…何か霊が憑いているのかな?と思って☆」国「ぽっちゃり霊が☆」江「ぽっちゃりでいけませんか?☆」は「いや…☆いいんです、いいんですけど…もう…言ったよね☆…江原さんも汗をかいていらっしゃるから…何か私、大変ですか?」江「いえ、そうじゃないですよ。私はね大体、TVとかでもパッと画面を通して見るとね『この方、会うな』っていうのがすぐ分かるんですよ。だから今回ね、お出になるのは『ああ、やっぱり。とうとう来られたな』と思っていたのと共に申し上げたいことは実は一杯あるんですよ」は「えー?!一杯あるんですか?」美「おてんこ盛りですって☆」画面には「徹子の部屋」で「エアあやや」を披露する様子が映し出されました。「ニューハーフアイドル」という新しいジャンルを切り拓きいまTVで最も忙しいタレント・はるな愛さんは、大阪で二人兄弟の長男として誕生。小学校の時は野球少年だったのだそうです。「父の勧めで野球を始めることになった。私は喜んで練習に参加した。大好きなタケシ君も このチームに所属していたからだ」(「はるな愛 自伝 素晴らしき、この人生」より)国「小学校の頃は野球少年?まあ意外だったんですけれども」は「あの…お父さんが私をどうにか男らしくしようと思って少年野球に入れてくれたんですけれども…そのチームの中のキャプテンが初恋の男の子で…それで私、始めは嫌々だったんですけれども練習に行ったら、その好きな子がいるから…もう嬉しくなっちゃって☆毎回、好きな子の横でバットを渡したりグローブを渡したり…もう、ほぼプライベートマネージャーみたいな☆それで夏の合宿では男の子ばっかりのチームメイトじゃないですか。一緒に寝た時に布団の中で、そのキャプテンの子と二人で皆に閉じ込められたんです、何かもう遊びで。『出して、出して、出して~』とか言いながらチュッて初キッスをやっちゃったんです」国「え?自分からしたんですか?」は「いや、これがちょっとね…あの…私は『向こうも』…と思ってるんですけども…いま、ご結婚されているので…言うよね☆…ご結婚されてお子さんがいらっしゃるので…『私から』です☆」国「なるほど☆」美「偉い。偉い、それでいいのよ」は「それでいいんですか?」美「そうです」国「その…レギュラーを目指そうとか、何番バッターになろうとかそういう気持ちは野球では無かったんですか?」は「全然…もう…ボールを投げても届かないし、全然、上達しなかったです」国「その好きなキャプテンがいるというだけで…」は「いるから…はい」小さい頃からアイドルになりたかったというはるなさんは、松田聖子さんにあこがれてTVに出演するも、女の子の姿だったことからいじめを受けるように。「体育館の裏に呼び出され石灰を口一杯に詰め込まれた。彼らが仲間内で回し読みしていた大西日誌と呼ばれるノートには膝が崩れ落ちる位にショックを受ける悪口が書き連ねてあった」(「はるな愛 自伝 素晴らしき、この人生」より)国「一番辛かったことというのが中学校の時にいじめにあったということですけれども」は「そうですね…中学校の時は…ちょっとTVにも出てたりして女の子の格好をしてたのでいじめのターゲットには一番されやすかったんですかね…」国「『あいつ、前、歌ってたやつだぞ』みたいな感じに言われるわけですか?」は「『化粧して、なにTVに出てるんだ』とか…あと、やっぱり自分も女らしい部分を見せたくないっていうので、男っぽく、男らしく演じてそれがまた鼻についたりして…どんどん、どんどん…もう…中学の思い出とか勉強した記憶は本当に、ほとんど…」国「あの…ご両親に相談とか、そういうのは…」は「できなかったです」国「できなかったですか…」美「言えないでしょうねえ…」は「言えないですね…何か親も、やっぱり『いじめられてる』とかで悲しんだり苦しんだりするのも…何か…ねえ、見せたくないというか…」美「人はね、何か自分をまともだと思いたいから、不安なのよ、誰でもが。人をね、非難して苛めることによって自分は『あ、俺は上に立てる』『俺はまともなんだ』『私はまともなのよ』っていう風に確かめたいのよ。そのために苛めるターゲットを常に探している人が多いの。ところが苛められる側はね『私は太っているから』『痩せているから』『器量が悪いから』『足が短いから』『ホモセクシャルで女っぽいから』『ゲイだからだ』とか…みんなね被害妄想で『それだから』という風に思い込んじゃうのよ」は「…なるほどー」美「自分で勝手に原因を作っておいて、それにこだわるの。そこが落とし穴なの」国「なるほどね…」は「追い詰めちゃいました、その時も自分で」美「そうでしょう?そこで追い詰められるの。まあ私の時代はね、戦前、戦中、戦後だからもっとひどかったのね。でも私はめげなかったのは、苛められる側の論理よりも苛める側の方を分析してみたのよ。『どういう心理状態で、こいつらは苛めるんだろう?』そうしたら『劣等感だな』と思ったのよ。僻み、妬み、嫉み。それで苛めない人たちっていうのはね『金持ち喧嘩せず』で豊かな精神の持ち主とかね何か優れたもの、寄りかかるものを持っている人は苛める必要がないからね、苛めないの」は「なるほど…」美「『全部、クズが苛めるんだ』と思ったのよ。だからめげなかった、全然。いくら石つぶてが飛んで来ても平気だったもの。だから色んな意味で苛めにあっている人ね自分の容姿、容貌とか、病気だとか、苛める原因を『これだ、これだ』と思い込んで自分を責めるんですよ、そういう人は。責める必要は全くない。それを私はね、声を大にして、視聴者の皆さんや、現在いじめられている方職場でいじめられたり、いろんな方、たくさんいらっしゃるでしょう?そういう方達に言いたいの」国「どうですか?やっぱり自分を責めていましたか?」は「責めましたね。責めたので…本当に毎日、何のために生きてきたか分からなくて『私って、これやったら生まれて来ない方が良かった』と思って…まあ、いま思ったらそんな、とんでもないことなんですけど…死のうと思って大きな川の橋に行ったりとか…しょっちゅうそういう所に行っていましたね」続きます。「オーラの泉の日記」(申し訳ありません、明日アップさせて戴く予定の部分を数分間、撮り逃してしまいました。お話を聞きながら家事に立ち、一時停止になっていることに気づいた時点で録画を再開、撮り逃した部分は一応、書き留めましたが、記憶している範囲の内容になっています。どうぞご了承くださいませ。)
March 16, 2009
3月14日(土)は夜7時からの2時間スペシャル。ゲストは、はるな愛さんですね。***日本とフランス、どちらで暮らすのか悩んでいるという中村さんに贈られるメッセージとは。江「中村さんは真面目っていうか生真面目」中「自分でもちょっと嫌になるところがありますね」江「すごい…実はね、その迷い、まあもちろん国際結婚っていう形であれば悩むことも良くわかるけれども…何ていうのかな…本当に今日、この言葉だけ貰えればもう良いぐらいっていうかね…中村さんの場合は自分が本当に迷っているわけではないの。要するに背中を押して貰いたいだけなの。要するにね全然、話が変わるんだけれど中村さんと似た人は、この世の中にいるかもしれない、けれども瓜二つの人はいないでしょう?顔かたちから経験から全部…みんなオリジナルなの。いいの、自分のやり方で。自分の子供さんは自分の子供さんの人生でいいの。同じじゃなくていいの。だから何処かでそれが不安になっちゃって。でね『それで大丈夫』っていうね、その言葉が欲しいだけなの。だからそういった意味では『いいじゃないですか。どちらでお勉強なさろうが、途中で3年来ようが5年居ようが自由』ね?そのご自身の経験と感動が、また一杯あるわけだし。ね?その都度その都度、その思いに任せていれば良いんですよ」中「だから頭でっかちに考え過ぎちゃうんですね、眠れないほど考えちゃうのでそれを…」美「それはね、いま江原さんがとっても良いことをおっしゃっていたんだけどね中村さん自身がね、自分を理解していらっしゃらないのね。何でも片付けてきちっと『これはこう、これはこう』何でもきっちり居士でね、全部境界線を設けてね『これはこっち、こっちじゃないと駄目よ』だけど本当は、中村さん自身はきっちり居士っていうのは、これは後天的な性格なのよね。お家の教育によってそうなっちゃったわけ。『これはこうですよ、あれはああですよ、そうじゃないでしょ』お母様とかお父様とかね周りの人とかそういうもので形作られちゃったの。でも生まれた時に、持って生まれた中村さんの性格は、夢見る夢子さんで、妄想族で」中「妄想族です、そうでした」美「ね?それで得体の知れない綺麗なものや色んなものや何かを追い求めて…その中で生きていたいっていうのが本当は、生まれた時の本性なんですよ」中「でも、それは小さい時は特に強くって…もう自分の世界でお城に住んで…じゃないですけれど『こういう物に囲まれて、美しいこういうもの』っていう絶対あり得ない世界を夢描いているのは、今も時々あるんですけれども…」江「その理由が前に対談でも話した前世に関わるんですよ」中「あー」江「あのね、中村さんの前世っていうのはスイスかドイツか、ヨーロッパのあちらの方なんですよ。でいてね、若くして亡くなっているの、女の子なんだけど。だから病弱で、いつも妄想が友達っていうか、想像力でね『こんなことをやってみたら…』とかね、そういう色んなことでいつも見える美しい景色の中にいて、自然が一杯ある…だから、いつもどっちかと言うと今回はザワザワした所に居たいの」中「東京とかパリの方が好きですね」江「時間がピタッて止まった様なところが怖いの」中「あの…長くは居られないです。あまり居心地が良くないリラックスできないです、はい…」江「それとね、物凄くせっかちな理由は、実は幼くして亡くなってるでしょう?『人生って長くない』っていう感覚が物凄くあって、あとは『そこで後悔したくない』とか…だから要するにキチッキチッと自分で腹をくくって決めていかないと嫌なの、子供のことでも何でも。だから何か取り越し苦労。『先へ、先へ…』スケジュールを立ててゆきたい」中「そうです、そうです…」江「だからそれも、実は前世でそういう幼くしてっていうか、そういうところが見えて…で、全然話は違うんだけど、ご主人ってああいう明るい陽気な方じゃないですか。で、さっきね何で『空気みたいだ』って言いましたでしょう?で、こんなことを言ったら何だけれども実はご主人って凄く甘えん坊でしょ?」中「はい…はい…」江「で、中村さんにまとわり付くでしょう?」中「うん、もう…2分見えないと呼んでます、私を」江「弟なのよ」中「ええ?!」江「やっぱり早く姉が先立っちゃってるでしょう?だから何処かで気になっているの、いっつも」中「本当にね…有り難いんですよ、女性としてはあんな風に思いをぶつけて貰えていつも気にして貰えるというのは有り難いんですが、私は割りとさっぱりしてると自分で思っていて『もういいよ、傍に来なくて』って言う位、凄くこう…傍に居ることが多いですね」江「だからね、そういう意味で『空気みたいで、まあ別に籍を入れなくてもねずっと居られるでしょう、一緒に』って思えちゃうのは、実は弟だからなんですよ。だからね、今は夫婦ですよ。感覚的にフッとね『この人、弟じゃないの?』っていう風な雰囲気っていうか、その…じゃれてきたりこう…ツンツンって引っ張ってるようなところがあるというか…『まるでこれって、お姉ちゃんみたいじゃない?』っていう感覚がね、あって…だからね、そういった意味で魂がね、引き合っていた。だからさっきの、最初のお父さんのことじゃないけれども、何でもテレパシーの人でねだから以心伝心っていうのが常に大事にされているそういう質を持っているっていうかね…」中「あ、私自身が…はい…」江「そうです。だからね、常に引いてゆくのね。だから不思議でしょ今まで全然関係のないことでも『こういうことで、こういう専門の人がいたら助かるな』と思うと出会うでしょう?」中「そう…だからすごくいつも『あ、恵まれてるな』と思います」江「で、『何かのことで教えを請いたいな』と思うとパッと会う」中「本当に今、時期的にそうで、本当にこういうお話をいただいたというのも何処かに行って誰かに訊こうとかそういうことはなくて『誰かから背中を押して貰えたらいいな』っていうのを思っていたら本当にお話を頂いて…実は何年か前に、ごめんなさい、頂いた時はスケジュールも合わなくて『ごめんなさい』だったんです。でも今回は『もう何としてでもお目にかかりたい』と思ったんですね。だから多分もしかしたら…」江「だから何となくね、引き寄せられたように思っているかもしれないけれども、私からすれば(釣竿を投げる仕草で)ヒュッて自分でやってるところがあるのね、手繰り寄せてるっていうかそういうところもあって…先々のことなんだけれども、色々とね社会貢献とか色々なことを中村さんは考えると思う。慌てない、急がないことなんですよ。何故かと言うとね…これ、言わない方が良いかどうかなと思ったんだけど、言うとほらかえって何か詰まらなくなっちゃうことってあるから…ある意味で、お母さん自身のやってきたことを引き継ぎますよ、仕事を」中「あ、何かそんな気はでも…してます」江「アーティスティックなことで。でいて、フランスとかに居ながらもちょっとそういう芸術交流的なこととか、色々と関わってくるプランもあるなあって☆いう位に」国「でも『ちょっとそんな気がする』って言ってましたよね?」中「何となく私の中では『家業を…』じゃないんですけれども…何か『自分がやる』ということではなくて『多分私は一生、何かサポートをしてゆくんだろうな』と。今は逆に言うと全く何もしていないですけれども、でも気持ちの中で小っちゃい時からあったんだと思うんですね、長女ということもあって…というのはあるんですけれども…」江「とにもかくにも、今日はこの言葉だけ覚えておいて下さい。『急がない、急がない』急がない、何事も取り越し苦労しない」中「分かりました」美「だって急いだって、まだお子様が小っちゃいでしょう?」中「そうなんです」美「小っちゃいのにね、どうするつもりです?」中「そう、だからどうにも出来なくて、もがいてたんです☆」美「もがく必要ないじゃないですか」江「中村さんはね『早期教育いいかもしれない』とか『いや、もう少し大きくなってからの方がいいかもしれない』とか『でも、やっぱり文化を身に付けるには早い方がいい』もう行ったり来たり」中「そう、日本に来るっていうのは何か頭のいい子になって欲しいとかじゃなくて色んなことを知って欲しいので『それには10歳より前に来た方が多分言葉も覚えるだろうし人との関わりも』とかって思うと『じゃあ娘が10歳になる前の…逆算してそうすると息子が7歳だから』とかっていうのを物凄く」美「余計なお世話ですよ☆」江「それがね、自分で物凄い勢いで『頑張ろう!』と思ってみたと思ったらガガーン!と落ち込んでみたり、また上がってみたりって連続の人なの。常にジェットコースターみたいな人☆」国「どうですか?」中「だから疲れるんですね☆」江「でも、好きで疲れてるの、それ」中「自分で望んでることだっていう…」美「だからね、それをね、今はインターネットの時代でしょう?パリだってアメリカだって離れていても距離はないわけですよ。だからそれは、実際的に体を運ぶとなると12時間13時間かかりますけれどだけど生活の基盤をね…フジコ・ヘミングさんもパリに居て、日本に居て両方行き合っていらしゃる…融通性を持たせた生活、そういうやり方の時代にもう突入しているんですよ。だから江戸時代の方みたいにね『それはこれはこう。東は東、西は西』っていう風にね、それは時代遅れですよ」中「あ、そうですか☆」江「ただね、ちょっとお父様からのメッセージなんだけれども…あのね、お父さんはねさっきも『最期の我がまま』っておっしゃったけれどもね、今日来ていらっしゃってね『実は子供の教育のこともあるんだけれども、やっぱり今の親を思ってる』って。『やっぱりそのことを自分が少しでもやっぱりきちんと面倒を見てあげたい』とか年代と共に1人ずつ去ってゆくわけでしょう?『そういう見送りとか、そういうのをきちんとしたいという気持ちが娘にはある』ってこうお父さん、おっしゃるのね。だけれどもお父さん、これはまたね『古臭く聞こえるかもしれないけれども嫁に出したんだ』と。『昔の感覚かもしれないけれど、嫁に出したということは自分自身の足場を一番大事にしなさい』って言うのね。『だから今の自分の家族を一番大事にしなさい。そこが足元がグラつく様だったら、親のことを色々心配してもらっても嬉しくない』ってそれは」中「はい…」江「うん。『やっぱりそれはきちんとしなさい』と。『だから優しい子だけに、やっぱり親のこと』特にお祖母ちゃまとかでもお年だしだからそれが物凄く心配になっちゃう…ね?」中「もう…それはかなり…かなりのパーセンテージを占めて私の中にあるので」江「…そこと、子供をどこかでこじつけて理由にしたい自分もどこかにあって…だから人間っていうのは単純じゃなくって色んな考える自分があってねでもその全部を叶えるといったら、なかなか難しいことでね…でもこうやって行き来できるわけだし、ね?それで今日のテーマになっているけど自分が望んで引き寄せていれば必ず悔いのない時間を過ごすことができるはずですから、ね?お祖母ちゃまとも」中「はい…ありがとうございます…」江「それが心配だったはずなんですよ」中「はい…」【スピリチュアル・メッセージ】☆ 子育ては日本でもフランスでも大丈夫。子供たちはオリジナル。どちらでもそれぞれ違う経験と感動があります。大事なことは「慌てず急ず」です。【オーラの言葉】☆ どこの国も良いところはあるけれど、海外に出ると日本の良さがわかる。世界の芸術家が認める日本の文化、洗練された美意識は日本だけのもの。読んでいただいてありがとうございました。
February 26, 2009
フランスに拠点を移してからは、日本との違いを様々に感じられることも増えたようです。国「フランスは出生率がヨーロッパで1位(2008年のフランスの出生率は2.02日本は1.34)なんですか?」中「いま、1番みたいですね」美「昔はね、最低だったの」中「そうです、だからバッと上がったというのは聞きました」国「それは何で上がったんですかね?」美「政府ですよ。日本の政府なんて、何もしないでしょ?『少子化、困る、困る』って言ってるじゃない?フランスもね、本当に潰れそうだって言われていたの。少子化で、生まれなくて」国「それはどれくらい前ですか?」美「2,30年前から。それでね、政府が全部、対策立てちゃって、全部ケアするようにしたの」国「ケアというのは?」美「お金を払わなくてもいいように…」中「だから妊娠、出産に関わる費用、基本的には決められた額までは只なわけです(公立病院で出産した場合、出産に関わる費用は100%補助される)。だから普通の病院に行っていれば只なんです。検査費用もエコグラフィも出産費用も入院費も。それからさらにすごいのが出産後の女性の体をケアしてくれるというのも只なんです(運動療法士の治療を10回まで無料で受けることができる)。10回までは、そういうトレーニングを受けるんですけれども、それも只なんです。それからやはり当然、働いている女性が産みやすくしなくてはいけないので法的な制度が整ってきているし、保育所とか託児所というのが充実していたりとか…」美「それはもう、びっくりするくらいの細分化した細かーいことまでね…」中「例えば、やっぱり貧しい方たちもいらっしゃいます。そういう方たちも安心して産めるようなものもあるし、一人目を産んだらいくら、二人目から三人目からいくらっていう補助が国から出るし。それは、ある程度の収入があればそこは出ないけれどそうじゃない人は出るとか…すごく細かーい、細かい…かなり恵まれていると思うんですね」美「そこは本当に見事に徹底してね…もうヨーロッパでも世界中でも最低の方だったのよ。それが今はトップになったんですもの」EUの平均出生率が1.52のなか、フランスが2.02にまで上昇した理由とは。17歳、10歳、8歳、5歳と4人のお子さんを持つ48歳のフランス女性コリーヌ・ミシウさんのお話「政府の支援があるから安心してたくさん産みました。フランス人で本当に良かった」ミシウさんのお家の場合、子供が20歳になるまで支給される家族手当は4人分で月に約6万円、所得税は40%減額になるそう。「子供を2人産んだら3人目を産んだ方が得になります。子供が3人以上いると大家族カードがもらえるんです」大家族カードの特典は、鉄道運賃で国鉄が30~70%、地下鉄が50%割引、パリ市立の美術館、プールなどの公共施設の利用が無料に。公立学校は授業料が無料、公立大学は年間登録料2万円で通える一方で消費税は19.6%(食料品は5.5%)なのだそうです。国「逆に不便なところというのは?」中「不便というのは、サービス大国日本から、サービス後進国フランスに行ってしまったために…もう…イライラすることがとっても多かったですね」国「例えばどんな…」中「日本で皆さんが多分当たり前と思っていることは、あちらではあり得ないわけです。まず、24時間のコンビニエンスストアなんてありませんし宅配が届いて不在通知があって希望の時間を電話して『じゃあ10時から12時に来て下さい』『はい、承りました』って気持ち良く来てくれることなんて向こうではあり得なくって…私なんか一度、日本から書類が届くので、大切な書類だったんですけど不在でいなくて電話をしたら『じゃあ明日届けます』『じゃあ午前中に来ていただけますか?』『何時になるか分からないので、とにかく居てください』『…ええ?』みたいな…でも大切なものだから、もう待つしかないので待ってましたけれども…」国「あーそうか、日本だったら…」中「そういうことが…」美「もう日本はね、まあ居心地が良いっていうか馬鹿みたいに…☆」中「ちょっと居心地が良過ぎちゃいますね。良過ぎて…」美「良過ぎてね、ボケちゃう」中「ボケちゃいますね」美「平和ボケで」国「そうですねー」中「何処に行ってもサービスが…」美「世界一」中「世界一で、こんなに居心地の良いところ無いですよね」美「時間も正確だしね」国「昔、外国人のペーパードライバーを日本で、僕が助手席に乗って教習するっていうコーナーがあったんですよ。片言の英語ですけれども、ガソリンスタンドに寄った時に『オーライ、オーライ』とか、最後に帽子を取って『ありがとうございました』って言うことに『何てこんなに親切なんだ!?』って大爆笑したんですよ。でも面白さが分からないじゃないですか、それが普通だと思っていたから。やっぱりそうなんですね、日本っていうのは」中「窓なんかを拭いて下さっても私なんか『ありがとうございます』って本当に今もう…何をされても『やっぱりこれって普通じゃないんだ』ってことが分かったから…もうタクシーの運転手さんが機嫌よく気持ち良く送って下さったら、もう『ありがとうございました』って…」美「だから本当に日本は住むには極楽」中「もう極楽ですね」美「まあフランスもスペインも、イタリーも英国人も全部、向こうの人はね『自分の国が一番』自分の民族が一番なの」中「はい」美「だから私は、フランス、スペイン、ドイツと演奏旅行で行ったりなんかした時に…スペインに行ったらね、私のプログラムが休憩中に捨ててあるわけ。『失礼ね!』って言っていたら『フランス語で書いてあるからいけない』って言うの。『ここはスペインだからスペイン語で書くべきだ』って言うのよ。ね?『そんなにスペイン語って素晴らしいものなの?』って私が言ったらね『そうだ、世界一だ』って言うの。でね『英語は商人の言葉だ』って言うのね、ビジネスの言葉。『フランス語は?』と言ったら『セックスのための言葉だ』って言うの、愛を語る言葉。『ドイツ語は?』と言ったら『馬の言葉』って言うの。『じゃあイタリー語は?』と訊いたらね『これは詩を語る言葉だ』って言うの。『じゃあスペイン語は?』と訊いたら『神と語る言葉だ』って言うのよ。ところがドイツに行ったらドイツに行ったで同じことを言うの。英国もそうだし…みんながそう。よく『人種差別云々…東洋人だから…』とか色々言うじゃない?白人同士も、もう凄い人種差別なの」国「それはどうですか?」美「そうですよね?」中「それは…私自身は幸い、そこまで感じてはいないんですけれどもやはり同じ陸続きで過去に争いがあったりするわけで、その中で生まれたこう…『私たち日本人には何か分からない微妙な感情というのはあるんだな』と」美「歴史とかね、色んなものを全部、引き摺って生きています…現在に生きていないのよ」中「あの…凄くこう…持続しますよね、気持ちが。だから変な話日本人の方がさっぱりしているというか、上手に忘れると思うんですけれども色んなをこう…長く長く…」美「いや、日本人は忘れちゃいけないことまで忘れちゃうの☆」中「そうだと思います☆」国「お子さんはもう、フランス語を喋られるんですか?」中「二人とも…まだ下の子(長男 1歳)は言葉は喋れないんです、でも日本語もフランス語も100%理解しているのは分かっているんです。娘(長女4歳)の方も理解してて、娘の方は今かなり、日本語の方が物凄いレベルで出来るようになってきていますので、毎日褒めています。『あ、すごいね、そんな単語を言えて!』って言って」国「どうですか、将来的には日本に戻ってこようかなっていうのは…」中「ここが凄く迷うというか、これは私個人だけが迷っていて…ただ…いずれは日本で子供たちは2、3年、3、4年なのかな…何か…」江「今、でも一番悩んでいますでしょう?でいて、住まいのことも悩んでいますでしょう?住むところ」中「はい」江「で、どうしようかっていうこともあるんだけれども、先のプランもあるから…家をちゃんとするべきなのか、それとも日本に来ることも…そうすると何も手につけられなくなっちゃって動けなくなって…」中「もう…疲れちゃいました☆」江「…ストレスになっちゃって…」中「もう凄くストレス…ただ子供のことを考えると、やはり最終的に日本に住みたいかフランスに住みたいかは子供たちの選択だと思うんですね。私たちが決めることじゃないので。ただ、日本という国を今、ずいぶん分かってきてくれてると思うけれどもやっぱり本当に住んで学校に通って漢字を書いて読んで、本を読んで舞台を観て…そういう風にしていかないと本当の日本の文化というのは分かってもらえないから…それはいつか、もうちょっと大きくなったところで、まず絶対にやりたいと思ってるんです。2,3年なのか、3,4年なのかは住みたい、私も一緒に住みたい…(江原さんが笑っているのを見て)え?何で…でも、私個人は、どうなんだろうというのは…凄くフランスが好きですし、でもやっぱり離れちゃってからの方が日本が好きになってしまってるんですね。もう…良い国だなと思うんです…」美「みんなね、それはね、中村さんだけじゃないの。ね?向こうの良いところもありますよ。それは素晴らしいところは。さっき言った美意識だとかね、色んなもの…だけど悪いところも一杯あるわけですよ。ね?それで日本の現代の色んな悪いところも沢山あるけれども、歴史的に見れば、もう日本の素晴らしさったら…もう言葉から何から洗練されてね、もう世界一だと思うのね、文化っていうのは。だからモネもマネも、ゴーギャンもロートレックも日本のことを憬れて憬れて…もうジャン・コクトーにしてもね、めちゃくちゃ憬れて…ピエール・カルダンと話した時でもね『日本のそういうもの、どう?着物や何か、文化、どう思う?』『手がつけられないくらい洗練されている、完璧だ』って言うのね。‘C’est parfait!(完璧だ!)’『完全です』って言うの。だからそういう日本の素晴らしさを引き出して、それを皆さんに再確認していただいてそういう仕事が私には残されてるんじゃないかって思ったのね。で、その中で自分が同志のような人たちと生きていれば…その方が居心地が良いなと思ったんですよ」1987年にヨーロッパで公演を行い現地のマスコミから絶賛、中でもフランスは芸術家を大切にする居心地の良い国だったそうですが『一生住むなら話は別』と思われたという美輪さん。海外に住んで初めて分かった日本の良さが、かえって中村さんを悩ませているようです。中「日本にいた時というのは、やはりどうしても嫌な部分の方が目に入ってきちゃう…日本人の嫌なこととか…でもそれが一歩外に出たことで『何て日本人が持っている美しいものっていうのは尊いもので他の国には無いものなんだろう』ということが分かって…それはだからもう、大切にしてゆきたいって凄く心の中で思っていますし…でも、逆に今すごく日本ブームでもあって、フランスでは。やはり私が日本人というだけで、もう色んな方が本当に好意を持って接して下さるんですね。そういう人たちが周りに一杯来て『日本の人と触れ合いたい』『日本の話を聞きたい』ってすごくやってくれるのも楽しいんですよ。『日本のことを、じゃあ私もまた勉強しよう』と思うし…だからそういう形でフランスでこう…また生きてゆくっていうのもいいのかなと思いながら…何か凄く揺れてます」美「分かります」中「でもやっぱり、家族はフランス、彼はフランス人ですし、彼は当然ずっとフランスで生きてゆく人なので…どうするだろうっていうのが…(江原さんを見て)何か…そんなに笑わないで…☆」続きます。
February 25, 2009
フランスの方とのご結婚には深いご縁が関わっているようです。国「さあ、そして『運面を感じた』というので『ご主人と三回偶然(出会った)』…これはもう偶然じゃないですね。これはどういうようなことだったんですか?」中「あの…実は彼が初めて仕事で、初めて日本、東京に来て目黒の方にあるホテルに滞在していたんですが、私がそこでイベントの司会のために、やはり行っていて控え室が客室だったので着替えてエレベーターに乗ったら、背の大きい人が乗ってたんです。で、『あ、大きい人がいるな』と思って地下の宴会場まで…だから本当に何分もないと思うんですけど、降りていったというのが一回目の出会いだったんですね。で、二回目はそれから私が数ヵ月後に1人でパリに遊びに行った時に、やはり偶然、ブティックの中で会ったんですよ」国「これ…凄いですね」中「で、まあ社交辞令で『是非、次回来た時には食事でも…』というので別に連絡先を交換したわけでもなく、本当に社交辞令で終わってしまって…」美「電話番号、訊かれませんでした?」中「訊かれないで、そのままです、もう。名前も電話番号も何も…」美「フランス人の男にしちゃあ、ずいぶん珍しい…」国「だいたい訊くんですか?二回会ったら」美「うん。私が、パーティなんかでもね、追いかけられてきて『あなたのアドレスを…うちではこういうパーティをやってますからあなたの電話番号とアドレスを教えていただきたい』って言うから、で、私『じゃあ私はお月様に住んでいるからお月様に電話ちょうだい』って言って…☆」中「わあ、すごい☆」国「返しもおしゃれな返ししますねー、それ☆」美「そういうの好きなんですよね、フランス人って」中「多分…☆」美「いや、そういう洒落た会話が」国「あーなるほど」中「それはそう思います。でも私はその時は…」国「二回目もそういうお話もなく…」中「もう本当にご挨拶程度で…三回目にそうでしたね。三回目に日本でまた再会した時に…」美「やられたのね☆」中「あの…電話番号と…立ち上がって『僕のこと、覚えていますか?』って言うから『あ、覚えています』『お名前と電話番号を教えて下さい』」国「三回目の出会いっていうのは何だったんですか?」中「ええっと…東京でパーティがあった…レストランで小っちゃな…で、私も友人に誘われて『何か…えー面倒くさい…』って言いながら行ったら、いたという…」国「凄いですねえ」美「全部仕組まれてるみたいね☆」中「だから『本当にそんなことってあるのかな?』っていうような…」国「それは電話番号を教えて、もうすぐにかかってきたんですか?」中「もちろんすぐかかってきたんですけど、私はドタキャンを何度もしてしまったら彼の人生で初めてだったみたいで、逆に『なにくそ!』っていう…『これは何としてでも!』って燃え上がってしまったみたい…☆かなり失礼なことをしたんですけれども、彼は逆にそれが人生初めての…」美「いや、そこでね、あの…値打ちが決まるんですよ。『この人は安売りをしない人だな』と思うの」国「あ、なるほど…」美「御曹司だとかね、『背が高くて…』色んな条件が揃うと、普通の女の子だったらねすぐ尻尾を振って来るわけですよ」中「尻尾…☆」美「本当に。もうとにかく『愛して、好きよ好きよ』と言って…シンデレラ・コンプレックス(いつか白馬に乗った王子様の様な男性が現れ自分を幸せにしてくれるという女性の幻想)の連中が来るのね…だから、そういうのはもう沢山なのね。一杯来るから」国「あーなるほど」美「だからシンデレラのおねえさんたちは要らないんですよ」国「なるほど☆中村さん、ドタキャンですからね☆」美「そう」国「これは『なにくそ!』ってなりますし…お付き合いになったのは、どのくらいですか?」中「だから出会ってから、そういうのを繰り返し…多分初めてディナーをしたのは…もう三ヶ月位たっていたと思います。その間、こう…色々…電話があっても断ってそれから1人で私がパリに遊びに行って…でも結局、それがきっかけになったんです。『ごめんなさい、パリに行くので夕食はご一緒できません』って断ったら彼はいったいどういうルートか、私のホテルを調べたんです」国「ええ!?」中「で、着いたら花束が届いていたんです」国「うゎ…(椅子で仰け反って)それかぁ…☆」中「…届いてたんです。で、彼の中では賭けで『これで電話を、ありがとうの電話の一本もして来なかったら、これは本当にマナーのない女性だ』という…『ここは賭けだ』って本人の中で思ってたらしく…当然、私はそんなことをしていただいたら高かろうが何だろうが国際電話をかけて☆まず、『ありがとう』『本当に狭い小っちゃなホテルだけれども、お花があるおかげでとっても快適だわ』ってひと言…」国「…言って…」中「と言って…」国「‘Yes!!!’って☆」中「彼は『よし!』ってなったようです、はい☆」国「絶対になるわ、それは…☆それは気持ちいいですね☆」美「彼の言葉の中でね『これは礼儀作法を知らない女だ』っていうこともあるけれども『全く脈がない』っていう風にも取れるわけ」中「そうです」美「『じゃあ、これはもう引いた方がいい。押しても無駄』ということなのね」国「はいはい…おしゃれですねえ…パリでの暮らしの良いところというのはどういうところですか?」中「あの…やはり私自身は…すごく古い建物も多いですし…パリでも地区によって色々違うんですが、私が居る辺りは本当に古い建物があって美しいと思います。緑も多いので…後は、私自身は東京に居るときよりも、やはり時間の流れがゆったりしていてすごく自由な感覚があるんですね。何をしていようと、何を着ていようと自分の責任を持ってやっていれば人からとやかく言われないという…その自由がすごく良いなと思います」美「そうしてね、綺麗なものが一杯あってね、綺麗な…何処で撮っても絵になるんですよ、写真を」中「なるんですよねー本当に…」国「何か高いビルってあまりないようなイメージなんですけど…」中「ちょっと郊外の方とか、あと地区によってはやはり70年代に高層ビルが建ったりしたんですけど、結果的には規制されているので…やっぱりパリは空が大きいんですよ。東京はやっぱりビルが高いのでこう見上げた時に空の分量が凄く少なく感じるんですね、私。でもパリって高さが制限されているから、ブワーンと空が見えるので『すごく開放感があるな』というのを、私の中ですごくパリの印象として強い…」国「あ、それは変わりますね、全然…」中「全然。空がね、大っきいというのは違うと思うんですね」美「それとやっぱりね、段差がすごいのよ、パリは。坂道…」中「…坂道、石畳…」美「ちょっと高い所へ行くとね、物凄く見晴らしが良くてね…」中「穴場が、だから沢山あるんですよ。本当にアパルトマンとアパルトマンの間の『ここから見る○○が綺麗』とか…本当に素敵ですね…」中村さんはパリの16区という高級住宅街にお住まいで歩いて数分のところにバカラ美術館、マルシェ(市場)があるそう。画面にはお気に入りの散歩コースから望むエッフェル塔が映りました。パリでは伝統的な風景を守るために厳しい規則があり建物の高さは37メートルまでと決められているそうです。続きます。「オーラの泉の日記」
February 24, 2009
アナウンサーとして活躍、フランスの実業家と結婚された方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 小さい頃なりたかった職業→自分の好きな物だけを集めた小さなお店をやりたかったです。☆ 毎日欠かさずすること→ゆっくりと丁寧にお茶やカフェを淹れて飲むことです。☆ パリで生活していて一番大変なこと→やはり言葉の問題です。☆ 運命を感じたこと→運命…これは…今の主人、今の主人というのは変な言い方ですけれど主人と三回の偶然の出会いがあって今こうして一緒にいるというのはもしかしたら運命だったのかなと思います。☆ 不思議な体験→実は以前、江原さんと対談をさせていただきまして、その時に「赤ちゃんが見えます」と言っていただいたんですが…その後、妊娠をしました。国「どうぞお座り下さい…今日はパリからですか?」中「そうです」国「パリから!東京までってどのくらいでしたっけ?時間は…」中「12時間です、およそ12時間ですね」国「12時間ですか…僕は今日、15分でここへ着きましたけれども☆…またはるばる…一度お会いされてるわけですか?江原さんとは…」江「雑誌の対談でご一緒させていただきました」国「その時に赤ちゃんが見えると…」中「そうなんです…あの、2006年の多分、春頃だったと思うんですが対談でお会いして、まあ色々なことを言っていただいた中で『赤ちゃんが見えますよ、近いんじゃないですか?』っておっしゃっていただいて…実は本当に二人が凄く望んでいた時だったから、その言葉が物凄く嬉しくてすぐに彼に電話して報告したくらいです」江「あぁそうですか☆」美「いや…大変でいらっしゃると思う…☆ほら、何処の国でも良いところと悪いところがありますけれどね、ご結婚ってうかがった時にね『これは苦労しに行くみたいなものだな』と思って…」中「あ、そうですか…まあ苦労というか、やはりパリとかフランスのイメージって多分日本のメディアのせいと言ってしまってはいけないんですがやはりとても華やかなイメージがあると思うんですね。特に女性は憬れると思うし実際そういう場所だと思うんですよ、美しいし…でも、そこで生活している人たちは質素堅実で、やはり全く…」美「シビアですものね」中「シビアなんですよ。逆に日本って、やっぱり恵まれているので私たちはのほほんと生きていられるけれどもフランスに行ってのほほんと生きていたら生きてゆけないんです。それが行った時というのは無我夢中だから何とかなるんです。でも今、結婚してもう八年目になったんですが、やはりこれぐらいになってくると言葉もわかってきて、色んなことがわかってくると、逆にわかってきたことによって凄くこう…『え?え?』って立ち止まることが多くなってしまったんですね」美「だから見なくてもいいものが見えてきたり、聞こえなくていいことが聞こえてきたり…」中「そうなんです。綺麗なことだけじゃないのは、もちろん生活をするってことでは当たり前なんですが、やっぱり私もまだ友達がいるわけじゃないし、家族もみんな東京で…もちろん彼がいてくれるし、家族はいるけれども、何かやはり急にこう…凄く孤独なんですよ」1969年に東京で生まれた中村さんのご実家は、明治7年創業の日本で最初の西洋楽器店「銀座十字屋」。2005年にお父様が亡くなった後は、お母様が社長となり楽器販売、楽器教室、コンサートなど音楽文化振興に努めておられるそう。国「実家が日本で最初の西洋楽器屋さんだったんですか?」中「そうなんですね。私もあまり自分の実家の歴史というのは詳しくはないんですが明治7年創業ということで…」国「明治7年…今、お母さんが社長と言っていましたけれども…お父さんは…」中「以前は父だったんですが、2005年の5月に父が亡くなって、突然…まあ母もその当時から銀座で、その十字屋っていうところで仕事をしていたんですが母はどちらかというと…あの、ホールを持っているんですね。で、音楽が好きなのでやはり色んな音楽を発信してゆきたいという願いで仕事をしていたのですが父が亡くなって結果的に自分が社長という形で会社の責任者にならなければならなくなり今に至っているんですけれども…」国「中村さんは日本にいたんですか?お父さんが亡くなる時っていうのは…」中「それが不思議だったのが、2005年の5月に亡くなったんですが、まあ詳しく話せば病気が発覚したのが3月だったんです。3月の末に病院に呼ばれて…という状況だったんですけれど、その時もパリに住んでいる私たち、私も主人も娘もいたんです、東京に。だから家族みんなで父の病気を知って『どうやっていこうか』っていう家族会議というのも、そこにも参加して…それからその後は、もちろん彼は仕事があるのでパリに行ってたんですが私はほとんど東京にいて…で、変な話、父が亡くなった日というのも、彼も娘もいたんです。みんな病院に、全員、父が亡くなる瞬間に揃ったんです。だから普通、日本にいても、同じ東京にいても、なかなか身内のそういう場に立ち会えないことってあると思うんですが、全員が病院に集まれて…だから本当に感謝をしました…やっぱり父が亡くなるということは、とても…今もこう…なかなかちょっと自分の中できちんと消化できてないことなんですけど『でも、そこにいられたんだ』っていうことは『これはもう神様がそういう風にして下さったんだ』ということで物凄くそれは家族みんな『感謝しなきゃいけないよね』って言ってるんですね」江「まあ、お父様の望みでもあるしね…でいて、あの…『生涯、悔いとして残るっていうことのないように』っていう…でいてそれはお父様の願いでもあるし、だからやはりそこも以心伝心。だから『偶然はない』…呼び寄せた必然なんです」中「あぁそうですか…」江「だから逆に言うと、あたたかく語れるのは、そのおかげですものね。でなかったら、それは悔いが一杯残ってしまって…」中「そうです、もう…凄く辛い、辛い気持ちばっかりになってたと思うんですが『辛いけど、悲しいけど…あ、一緒にいられた』っていうのがもう本当に大きな救いになっていて…」江「しかも大らかな方ですからね、お父さんって」中「あ、本当ですか?何かもっと…あ、そうですか…」江「何故かというと、どうして大らかって私が言っているかというと何でもかんでも結局、最終的にはいつも家族に対して『いいよ、いいよ…』って言い続ける人なの」中「はい、そうですね」江「だから自分の我がままを言っていないんですよ、実は」中「そうなんですよ」江「だから、それだけですよ、我がまま…」中「あ、そうだ…」江「『自分の最期に居合わせて欲しい』ね?だから最期にできたお父様の我がままなの。それを私は大らかって言う…何でも寛大で『いいよ、いいよ。お前がやりたい様にやりなさい』『お母さんのやりたいようにやりなさい』ね?自分の主張をするのは最期のそれだけだったはずなの」中「あ、そう思います…はい…」江「そう…だからいい親孝行ができたんですよね…」国「そういうお父さんでしたか?」中「はい…」美「でも、お幸せな家庭にお生まれになったのね」中「はい、本当にそう思います…」美「本当に…」人気アナウンサーとして活躍していた中村さんは28歳のときフランス人実業家シャルル・エドワール・バルトさんと出会うも、最初は結婚には乗り気ではなかったそう。画面には2001年に南仏プロヴァンスでの結婚式の様子が映し出されました。結婚式直後のバルトさんの言葉「あなたと結婚したかった、ずっと前から。でもずーっと前から彼女『いいえ』言いました。今日『はい』言いました。私はすごい嬉しいです」「けんかとかはなさそうですね」という質問に中村さんが「けんかしますか?」と伝えると「はい、いつも毎日。ちょっとヘルシーと思うよ…皆さんに言いたい。彼女、すごく大変!(中村さんに軽く叩かれて)見て見て!」***国「元気なご主人ですね☆」中「明るいですよね、今見ても」国「物凄く日本語も上手くて…」中「今はもっと上手ですね」国「あ、そうですか…最初は断ってたんですか?結婚をするというのは…」中「結婚を断っていたというよりも『別に結婚しなくてもいいんじゃない?』って言ってたのは私だったんですね」国「それは何でですか?」中「別にその…フランス式というわけではないんですが私の中でまだ結婚というのは形になって実感がなかったのと『別に結婚しないでも、このままフランスで二人で暮らしていってまあ時期が来たら…という選択もあるんじゃないかな?』というのが私の考えだったんですが、彼はもう『家庭を作りたい』それから『きちんと国にも認めてもらいたい。教会できちんと式を挙げたい。神様にも認めてもらいたい』という思いが強くて…だから『いいえ』と言っていたわけじゃないんですが、でも初めて、この日初めてまあ教会と役所での式で『はい』って…‘Oui’って言ったので凄く嬉しかったみたいです、本人は」国「そのテンションですか☆さっきのは」中「そのテンションです☆嬉しく…☆」江「でも中村さんは、じゃあ誰とでもそういう感覚で恋愛とかをするかっていうとそうじゃないと思うんですよ。彼だけ特別に何となくね『空気みたい…』自然だったと思うんです、最初から」中「あの…そうですね。格好つけるということは…余裕もなく…そうですね、はい…」江「だから『まあ、ずっとこういられるんじゃないの』っていう自信っていうか変な安心感っていうかね。それには理由があるの☆」中「え?何で、何でですか?」国「何か理由がありますか。これは後ほどにしましょうか」江「ええ」続きます。「オーラの泉の日記」
February 23, 2009
2月21日のゲストは中村江里子さんですね。***お話をお聞きしているうちに、奥菜さんの周りに滞っていたものが晴れてきたようです。江「こうやって時間をある程度かけて話していったでしょう?別に何もしなくてもねパラパラ、パラパラ剥がれていっているのよ…あのね、表情が柔らかくなっているでしょ?」国「何かスッキリしている感じはしますよね」 江「あのね…オーラクリーニング成功なんですよ。こうやってキレイになってゆくの。不思議でしょ?あのね…何とかで…ええい!とかってね、ばっかりじゃないの。例えば美輪さんの音楽会とかでもそうだし、後はお話の会とかとかでも話を聞いていって具合が良くなるという人がいっぱいいるの。あれはどうしてかというとね…『美輪さんのおかげ』『江原さんのおかげ』とか、みんな言うんだけど違うの。自分がクリーニングしてるの。それを受けて、ちゃんと真剣に聞いて自分の中でちゃんと反省したりとか…」美「自浄作用」江「そう。そういったことでサーッとキレイになるんですよ。それが本当のヒーリングですね」美「だから『成仏』するっていうことは『仏に成る』と書くでしょう?仏の心に成るということなのよ。仏の心の状態って何かというと、完全なる人格。つまり、強くて優しくて、厳しくて明るくて、清くて正しくて…良いところを全部集めたそういう素晴らしい欠点のない人格になる…これが仏の人格、ね?仏の心に成るということが、成仏するっていうことなの」奥「はい…」美「そうなると、人に甘えたり何かしている暇はないじゃない?そうでしょ?今度は人々をこの人格で助けなくてはいけないっていう風になってゆくのよ」江「でも、ここしばらく、自分の中の孤独感みたいなものが増してね、何かどこかで極端に『自分でやらなきゃいけないんだ』『人なんか頼れないんだ』みたいな気持ちとか湧かなかった?」奥「…あったと思います…」江「それはね、ご自身の気持ちだけじゃないの、それ。それは憑依があってなの。だからお見合いが成立しちゃったのね。ご自身の中にちょびっとそんな感覚でいたら(他人の気持ちを受け取ってしまって)もう増幅しちゃう。だからこうやって影響が出ていたんですよ。だから本当にいま美輪さんがおっしゃったようにそういう風にやって女優さんとして本当に極めていって、自分の能力を女優さんとして一杯使ったり、開花させて。まだお若いんですし…だからそういう風にしてゆけばもっともっと研ぎ澄ます…何というか自分の気持ちに集中できてねピンポイントで充足感を味わえるはずなんですよ」奥「はい…」江「あの…ところでね…また結婚されるおつもりがあるんですか?」奥「いえ…☆ないですけれども…どうしてですか…☆」美「いやだけど、ちょっとロマンスの男の人がちらほらとね☆」奥「本当に…?」江「あのね、だからね…」美「ちょっと気になっている人がいるでしょう?」奥「え…☆」江「笑うしかないですよね☆…ただね、憑依体質の人ってね、惚れっぽくもなるから…」奥「はい…」江「だからきちんとこう…研ぎ澄ませていって、またいくらでも人生を構築すればいいじゃないですか」美「地に足を着けて…」奥「はい…歩いてゆきたいっていう気持ちも…」美「で、現実問題をどうするかって、そっちの方がまず最初」奥「はい」美「ね?それが大変なこと。大変だけれど覚悟すれば、あなたはお出来になる方でしょ?」江「そうですよ…で、いくつになっても『女江原』はできますし☆」美「いや、女江原はもう卒業しないと」奥「はい☆」美「それよりね、普通のね、そういう霊的なものと決別してね、普通の女優さんアーティストとして恋愛もして仕事もして…その現実問題をこれからね肌で実感としてお楽しみになった方がいい。その代わり、楽しみは苦しみも『正負の法則』だから付いてまわります」奥「はい」江「いまは切り替え時ですね」美「大変なのよ。だから私もね、『メケメケ』で一度袋叩きの目に遭って『ヨイトマケ』のシンガーソングライターの元祖をやる時に、本当に八方塞りで業界が全部シャッターが閉まっちゃったんですから。こじ開けるのは大変よ。誰も助けてくれない、自分しかいないの。だから自分でプロデューサーもやらなくてはいけない。切符売るのも誰も売ってくれないから自分で売って歩かなくてはいけない…命がけですよ。それでカムバックしてきた…だからね、本当にこの世界でやっていこうとなったらそれぐらいのことを全部、やっていかないと駄目ですよ。だからそういうことをおやりくださいっていうこと」奥「はい…」美「だからそうやってやるとね、自然と人間の力で良くなってゆくんですよ」江「奥菜さんは珍しくオーラの中でも本当にキレイな金色(崇高 英知)を持っているのね一部分ね。だから本当に研ぎ澄ませたら、本当に美輪さんがおっしゃるように一杯一杯いろんなことができますよ。それこそミドリガメはお嫌だったかもしれないけれど…☆」美「すみません☆」江「いや…☆だけれども、緑(平和主義者)のオーラだって凄くキレイになっているのね。ということは、気持ちは落ち着いたのね、色んな意味で」奥「そうですね…」江「だから心の中での平和はできたんだなあと思って、良かったなあって。前よりね、ずっと自分の時間、自分のやりたいことを自分で出来るんだ…とかっていう気持ちっていうのが凄く出てるから、それは良かったなと思うの」美「だってね私、前回の時、言いましたよね…某TV局で放送していたあなたの舞台のお芝居ね…素晴らしい演技だったの」奥「ありがとうございます」美「これだけの演技ができる女優さんってそうそういないなって思って楽しみだったのね。だから、例えば古今東西のね、大女優、大名優がいますからそれを片っ端から全部チェックしちゃってね、頭に入れといて三味線から日本舞踊からモダンバレエから…とにかく色んなことやることは一杯あるわけでしょう?だからそれを全部やらなくてはいけないから忙しくて神仏どころじゃないですよ。そうでしょう?そういうものができて、初めて一人前の女優になるんですから。だからやることは山のようにありますよ。そう…だからボーイフレンドともねちらほら気になっている人、それもアバンチュール、息抜きで良いんですよロマンはロマンで楽しめばね☆」国「まだまだ勉強することはたくさんありますね、こうやって話を聞いていると…」美「人生は忙しいの☆本当に忙しい」国「でもこうやって、また来て、またご自分の中ですっきりしたっていうことはとっても大事なことですよね」奥「何かすごく心の中がすっきりしました、今日は本当に…迷いもあったし何か無気力というか…気持ちはあるんだけど、気持ちが追いついていかないというか…」美「それは何故かといったら、いまみたいに具体的に何を江原さんがさっきからおっしゃっているように、理論構築していないから。理論的に何をすべきか。ね?じゃあそれに近づくにはどうしたらいいか。『現実的に、まずじゃあこれから。次はこれ…何時から何時まで、何曜日にはこれをやる…』そういう風にしてゆくと、そうすると色んな、どんな役が来たって『はい、できますよ』『これできるか?』『はい、できます』…ね?そうしたら引く手あまたじゃないですか」奥「はい」江「その部分も含めて漂流って言ったんですよ」国「無気力な部分とか…」江「そうそう…それはね、安らぎにも繋がるから緑が多くなったのかもしれないけれど『それだけじゃ駄目だよ』ってミドリガメを一杯見たんじゃないですか☆」美「すいません☆」奥「…はい☆」【スピリチュアル・メッセージ】☆ インスピレーションを研ぎ澄ますのは舞台の上だけにして下さい。女優の道を極めるため、日常生活ではスピリチュアルな関心を断つことも大切です。【オーラの言葉】☆ 何もせず奇跡を待つのは横着。現実に生きてゆく方法を身につけ、実践することが先です。人智を尽くして天命を待つ。(美輪明宏著 「愛の話 幸福の話」より)読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
February 19, 2009
女優としての才能を豊かに持つ奥菜さんに贈られるメッセージとは。江「でも奥菜さん、どうしたいの?」奥「どうしたいっていう…」江「要するに、女優さんとして極めていきたいの?」奥「はい、そうですね」江「…なんだけど、後ろにいらっしゃる方とかね、そう言うと『そう言いながらね、海外に行こうとしてたり、自分の生活土壌を変えようかとか変えたいとか思うことがあったり、と思えば、仕事をこっちでやってゆくと思ったり過去を振り向いてみたり、やっぱり先を転換しなきゃとかって暗中模索っていう状況』っていうことを言っているの」美「どなたがおっしゃっているの?どういう方がおっしゃっているんですか?」江「あのね、前回に出られたその…しずこさん(奥菜さんの亡くなった伯母)という方もそうなんだけれど、その奥にね、あれって何て言うんでしたっけ…(手で大きな頭を描いて)頭がこんな…いるじゃないですか、お爺さん…ふく…」美「福禄寿(ふくろくじゅ 七福神の一人)?」江「福禄寿!…に似た…☆その人が、ある意味で非常にその霊感的なものをね影響を与えている人じゃないかと思うんですよ。その人が凄くそういうことをおっしゃっていてね…だから『今のままで持っていると、ちょっと危ないよ』って…」国「奥菜さん自身は、そういう気持ちを持っているつもりはない?」奥「ないというか、むしろそういう気持ち…あの、前回から多分3年位経ってそういうものをやっぱりコントロールし切れない状態だっておっしゃっていただいてそういうのもあってやはり、あまりそういう方向に…例えば何かあったときにすがりたいとかっていう気持ちがやっぱりどうしてもあったんですけどやっぱり良くないと思って…自分の中ではそういうものから少しずつ自立というか立って意志を固めてきているというような思いは凄くあったんです…」江「これを分かって欲しいのはね、TVを観ていらっしゃる方もそうなんだけれども、一番はねそれをコントロールっていうのはね、何か凄く呪術的にとられるかもしれないけれど違うんですよ。理論構築なの。きちんとそういう理論をね、自分で確立する、学ぶことなんですよ」美「方程式ね」江「うん。さっき言ったみたいにスピリチュアルなことっていうのは、例えば世の中で『スピリチュアル』って言って、私から見たら全然スピリチュアルじゃないことって一杯あるのね。どういうことかと言うと、現世利益を示す人。『こうすれば成功する』『こうすれば儲かるから』ね?これ全然スピリチュアルじゃないんですよ。求めているものは物質だから結局は物質的価値観っていうのね、それ」美「欲」江「欲。で、スピリチュアルなことっていうのは、心だから。ね?見えることは関係ないんですよ。だから『どれだけ充実したか』とか『どれだけ込めたか』とか、自分の中の。例えば『幸せ』っていうこと一つでも幸せって人から決められることとか、外から見えることじゃないでしょう?例えば、憮然とした顔をしている人でも中身はすごく幸せかもしれないの」美「充足感だからね」江「そう。だからそういう意味でも、理論をきちんとね、ご自身の中でもしっかりと分けないと。だから『断つ』なら断つのも一つの道なの。現実に生きる。まずね、身の回りの物からちょっと処分していかないといけないの。何かね、関わった人とか、そういった人から来ているグッズとか物みたいなものとかも見えるのね。だからそういった物もきちんと整理しなくちゃいけないし…」美「そういうもの、持っていらっしゃる?」奥「石とかですか?石は凄く好きで…コレクションというか…」江「ただの石ならいいんだけど、その人が何か『お祈りしたよ』とか何か言ってない?」奥「ああ、そういうのも持ってます」江「でしょ?だからそういうのを処分していかないと…それで私は何が言いたいかというとそれをあなたがそう決めるんだったらば…あの…取るの。掃除しなくちゃいけない」美「処分するってこと」奥「はい」国「今、どのくらいあるんですか、家に」奥「家に…あの…」江「大小合わせたら一杯ありますよね」奥「はい、何個かあります…」美「だからそういうね、祈祷したものであるとかね、御まじないのものとかね『これ、縁起が良いんです』とかね、色んなものや何かを一切、受け取らないこと」奥「わかりました、はい…」江「する?」奥「はい」江「そうしたい?」奥「そうしたいです…何かそこに自分でも自覚がないというか振り回されている自覚が、まず無いということが怖いことだし…」江「だって自覚が無いっておっしゃるけれど、でもそういう風に色々言われたりとかアドバイスを得ることで自分で心揺らいで色んなこと…それで充分振り回されてる…」奥「そうか…そうですね…」美「一般の人はみんなそうよ。ね?一般の人たちは全部そう」国「石とかっていうのは、どうすればいいんですかね…」江「しまっちゃうの。表に出さない」国「表に出さないだけで良いってことですか?」江「そうです」奥「凄くずっと気になってはいて、もう何年も何年も持っているものなので捨てるに捨てられないし…」江「でもね、あなたみたいな敏感な人は、たかがそれかもしれないけれど、振り回されるの」奥「はい…ああ、良かった~」江「あのね、何ていうの…いっぱい電波が来ているラジオ…で、色んなのを拾っちゃうの」美「そうするとね、プラスの役が来なくなるのよ。怨霊の役とかね、貞子の役とかね…」奥「そうかもしれないですね」美「そういうものしか来なくなるの。それは体(たい)を表しちゃってね自分の状態をそのまま表すわけ。だから自分の想念が変わったり周りの守護が変わってくると、一切そういう仕事が来なくなっちゃうの。それで別のまともな仕事が来るようになるの」江「それでね、身近で赤ちゃんが駄目になったりした人がいましたでしょう?」奥「はい」江「その赤ちゃんまで、あなたは背負ってるわけ。だからどこかであなたが何とかしてあげたいとかって色々思ったのかもしれないけれど…」奥「それはどうしたらいいんですか?自分の思考回路というか『もう可哀想って思わない』とか…そういうこと…」江「あのね、いたずらな情とか、後は『自分で何とか』というよりも…もちろん祈ってあげることは悪いことじゃないんですよ、だけど『自分で背負いましょう』みたいな気持ちは止めた方がいいのと…もうね、自分がそういう付着する掃除道具だと思った方がいい。『だから注意しなくちゃ』って。ね?」奥「どういう風に注意してたらいいんですか?」江「簡単な…というか難しいんだけど、理論なの。常に自分自身を律して理性で物事を判断し…美輪さんとかもよくおっしゃっているけれども、哲学書とかそういうものをきちんと自分で読みながら、そして自分を律することなの。『生きるとは何だろうか』そういった中でやってゆくとあなたの良いアンテナが本当に研ぎ澄まされて、良いものだけに通じるようになるんですよ。だから余所見はいらないっていうか、ね?だからそれだけに心がけた生き方をしていたら一番良いの、ひとりスピリチュアルなの」奥「うん…」美「人生術の本があるじゃないですか、物の考え方。だからそういう本を読んだりなんかすると、例えば『あの人、可哀想だから何とかしてあげたい』と思うけれども『でもそうなるには、もっと奥には何か原因があったんだ、その原因は何なんだ』そういう風に考えるということは、ただいたずらに『あ、これは同情するに値しないんだ。この人はこの人でそういう風になったんだから。だからこの人は自分で始末をして手を貸さない方がこの人のためになるんだから』『可愛い子には旅をさせよ、この人の修行を邪魔することになる。今、可哀想って色々やってやったら、この人のカンニングを手伝うことになるから』そうしたら試験の実力が無くなっちゃうんですよ、その人は。だから可哀想だけれど、突っ放すことがこの人のためになると思ったらいたずらに同情しない。『それは自分でおやりなさい』ってピシッと切ってやることがその人のためになるということなのね。だからそういう風なことを一杯学ぶ本をたくさんお読みになったりとかそういう風になさると…情念だとか情感だけで生きるというと、とっ散らかっちゃうから。そうすると整理されてきますよ」続きます。「オーラの泉の日記」
February 18, 2009
前回は「ここしばらくが人生の節目、いろんなことが切り替わる時、ネガティブな感情に振り回されないように」と注意された奥菜さんは出演時と同じ2005年に離婚。何度か一人旅に出るなか訪ねたのは、琉球神話で「沖縄を作った神が最初に降り立った」と言われる神の島で二日間、涙が止まらず、その訪問の直後に事務所を独立することに。国「これ、どんな現象が起きてるんですかね?」江「うん…いくつかのことがあります。ただね、あの…最初のことでちょっと申し上げた…あの、奥菜さんで、そしてそういう旅で、そういう場所に行ったからまだ違和感はないかもしれないけれど、普通…例えばそこでずっと二日間泣き通しとかっていうのは、日常生活の中にいたら、やっぱり異常な人ですよね…そういうことなの。だから感情に振り回されるとか…理性的にしないと日常生活が上手くいかなくなりますよっていう、まあそういうことであってね。私も行きましたけれども、難しいなと思うんです、ああいう場所っていうのは。何故かというと、あそこの場所はやっぱり沖縄の、琉球の信仰の場であるから誰でも彼でも行っていい場所ではないと思うんですよ」国「そういう島だっていうのは、行ってから…」奥「行った時も何も知らなくて、帰って来てその島のことを調べて初めて知って…『あ、こんな場所だったんだ…』っていうので…帰って来て初めて知ったんです」江「あの…逆にちょっと…まあお話が進んでいる中なんだけれども手っ取り早く先に伺っちゃっていいですか?あの…奥菜さん、どうしたいの?どうなりたいの?だから例えば、そういう島に行ったりするのもいいけれどそこまでして行くって何かそういう世界をもっと探求したいんですか?」奥「いや…もうその時はそういう気持ちがあって行ったわけではなく…」江「というか、そういう気持ちが無くして行く場じゃない。ただ、その感性っていうのは、この番組でもいつも申し上げているようにね女優さんとしてはとても必要なことなんですよね、インスピレーションっていうのは。でなかったら、やっぱりその役になれないもの。美輪さんでもそうだし、色んな役者さんでも優れた方を見ていると『ああ、この方じゃなくなってる』ということが凄く多いわけです。今日ね、私はね、奥菜さんは二回目だしね、今日来られる意味っていうのを凄くね…私の中でね、ずーっとこう…煮詰めていったんですよね、先にね。そうしたらばね、やっぱりね『迷いを断ちなさい』っていう言葉が聞こえてきたの。『迷いを断ちなさい』」美「仕事とかね、これからの生き方とかね」奥「でも常に岐路に立たされているっていう感じはありますけど…」江「…なんだけどね、ごめんなさい、言葉が悪くてごめんなさい…あのね、漂流している感じなの」奥「漂流…」江「魂が漂流しちゃっててね、あの…自分で帆を掲げていない。要するに方向を決めていない。帆を掲げていないっていう状況で、仕事にしても自分でどうしたいのか…スピリチュアルなことをどう生かしたいのか…そういった色々なことを一個一個整理しないと…だからそれがずーっと漂流し続けるということが今後あったとしたら、それ自体もう振り回されちゃってるっていうね…何でも言っていいですか?」奥「はい…」江「あのね…あの…生きた人の、そういう…何て言うんだろう…ちょっとスピリチュアルなことのアドバイスも色々受けていますでしょう?」奥「例えば…?」江「特定っていう人じゃなくて、霊感が強いとかいう人の、女の人とか色々見えるのね。で、その人が『こういう所に行ったら?』とか『こうしたら?』とか色んなことを言ったりするのが見えるわけ」美「そういう人、います?」奥「そうですね…ちょっとケンカをしてしまったので最近は連絡を取ってないんですけど…はい、そういう人はいました」江「あのね…自立しなくちゃね…」奥「うん…」江「あのね、ごめんなさい、ちょっとオーラの泉らしくないかもしれないんだけどこういう話って…あのね、まあ私も世の中全般からしたらスピリチュアルな世界のあれじゃないですか。だけど私はねスピリチュアルなことを極めれば極めるほどに、この現世での生き方というものにきちんと前向きに向かい合って、地に足を着けて生きてゆくことだと思うんですよ。要するに僕が言っているのは『この世はスポーツジム。魂を鍛えるスポーツジム』要するに筋肉を鍛えるのと同じで、そういった時には筋肉痛が起きる。だから色々なマシンがある…仕事というマシン、家族というマシンとか色んなマシンがあるんだけど、そういった中で良いことばかりじゃなくて、痛みはある。痛みはあるけれども筋力は高まる。だからそれを『そんなに現実的な暮らしは全ておかしい』なんて言ってね新聞も読みません、社会のことも無関心、それでいて、どこか聖地とかだけでね、何か『自分が気持ち良く生きられれば』みたいな…それも一つの生き方かもしれないけれど私はどうかな?って思うのね。奥菜さんがそうだって言ってるんじゃなくて、あの…どこかでしっかりと理論構築しなくちゃいけないと。何が一番…精神世界にしてもねそういうものをプラスに生かしてゆけるのかなっていう…ここは『郷に入れば郷に従え』で、現世なんですよ」美「現実ね。リアルなの。だからね、私ね、携帯サイトやったり色々なことを何かやったり身の上相談もやってますよ。だけどね、色んなお手紙をいただいたり『助けてください、助けてください』と言われるんだけれども私は別にお助け婆さんじゃないしね☆とにかく私は歌い手であって芝居をやったりして生きてきた人生の実際の現実を切り抜けてきたというノウハウを『こういう方法もあります、ああいう方法もあります』それを人間の先輩として皆さんに伝えているだけであってね…それをね、皆さんが間違えているのはね、現実の初歩問題を置いといてとにかく神社に拝みに行ったり『あそこの神様、こっちの神様』ってあっちもこっちも拝み倒して歩いてね、それで『何か仕事が来ますように』とか何とか…努力しないで、そっちの方ばかりに寄りかかってね、神頼みをして『どうしたらいいでしょう?何か憑いているせいじゃありませんか?』とかねそういう風に何でもかんでもスピリチュアルなものっていうのでね奇跡が起きるっていう…横着なんですよ、それは。私はそういう人は『ご相談にはあずかれません』ってパッと切っちゃうのね。それより現実問題として『人事を尽くして天命を待つ』だから。やらなきゃいけないことは一杯あるでしょうっていうの。だからそれにはどうしたらいいか。技術、知識、教養を身に付けるとか『こっちで駄目ならこっちがあるさ。じゃあこういう方法でやったらどうだろう』現実的な初歩問題で生きてゆくものを、まず方法を身に付けて実践することが先でしょうっていうの。だからね、よく世の中の人って、そういう人をね…何でもかんでも神頼み、不思議なことスピリチュアル、『助けてください』何とか…本当に他力本願でねそういう人は神様、誰も助けませんよ。奥菜さんがね、こうやって一度出たにも関わらずいらっしゃるということはね『大変わりよ』って言ったのは…前はね『漂流してる』って江原さんがしょっちゅうおっしゃってた…」江「ごめんなさいね」美「本当にね、他力本願じゃないけれども、現実に生きていながら現実に生きていなかったみたいなところがおありになるけれども今度は独立なさったでしょう?離婚したわけだし…全く現実の自分に戻ったわけですよ。今度は大地にしっかり足を踏みしめて、今度は普通の職業婦人としてやってゆく時間になったわけですよ」国「その自覚っていうのはどうですか?」奥「そうですね…そういう場所を求めていたっていうのもあっての決断っていうのもあります…」江「もう一歩のところだと思うのね。でないとね、ただの感覚だけで生きてる…ごめんなさいね、精神世界にいがちな『変わり者』みたいになっちゃう」美「でも芸能界っていうのはね、難しいのもよくわかりますよ。奥菜さんだけじゃなくてね、それこそハリウッドの大スター、トム・ハンクスのねインタビュー番組を観ていていてもね『俳優とは何だ?』と言われたのね。『ただ待つことです』って彼は言ってたのね。本当にね、遊郭の遊女たちじゃないけれども、キセルを持ってお客が買ってくれるまで待っているじゃないですか、あれと同じなのよ。だから仕事のオファーがあるまで待ってなきゃいけない商売だから。どれだけ待てるかっていうのが芸能人の資質の一つでもあるのよね。だから『こういう風にやって…ビジョンを持って、こういう風なことをやりたい』っていったらねそりゃあ大変…」続きます。「オーラの泉の日記」
February 17, 2009
3年ぶり2度目のご出演。映画、舞台で活躍される女優さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 前回「自分の性格はマイペース」と答えていましたが、現在、自分の性格をひと言で→はい…マイペースで変わらず、マイペースです。☆ 最近よく見る夢→最近よく見る夢というか、印象に残っている夢が…あの…ミドリガメがたくさん出てくる…気持ち悪い夢を見ました…(美輪さん、ご自分の緑がかった青いドレスをつまんで「ミドリガメ…☆」)☆ 得意料理→はい…得意料理…あの…ひじきの煮物とか、煮物が好きですね、はい。☆ 行くと元気の出る場所→緑の多い場所が好きです。神社とか…あと美術館とか好きです。☆ 幸せを感じる瞬間→最近は寒いので、炬燵に入って温かいお茶を飲んでいるとき、幸せです。(太一くん、「おばあちゃんじゃないですか、もう…☆」)☆ 前回の出演後の最大の転機→やはり16年間お世話になった事務所を辞めたということですね。☆ 前回の出演後の不思議な体験→沖縄のある島に行った時に…島に着いてちょっとしてからずーっと二日間位、涙が止まらなかったことです。☆ 今の心境→ものすごくドキドキしています…手に汗をかいています☆美「ミドリガメでございます☆」奥「ずーっと笑っていらっしゃいましたよね☆」国「『私のこと☆』って言ってたんですよ☆スピリチュアルチェックで『ミドリガメの夢を見る』…『私のこと☆』」美「『それがとっても気持ち悪いんです』って☆」国「今回、奥菜さんはこういう形で出るのは二度目(前回は2005年7月に出演)という…」奥「はい」国「これね、オーラの泉では初めてのことなんですよ…初のことです…前回出たときと、やっぱり心境は違いますか?」奥「…うん、全然違いますね…」美「ご自分のお家に帰って来たみたいでしょ?」奥「そうですね☆はい…」国「ご自分の家にまたミドリガメがいるとは思わなかったですよね☆…もう三年ぶりという部分ですけれども、スピリチュアルチェックとか、そういう…(江原さん、ミドリガメの辺りから笑いが止まらず)ツボに入っているみたいで全然こう…あの…江原さんに聞きたいことがあって今、質問しているんですけれども…もうちょっと待った方がいいですか☆」江「…ちょっとだけ…☆…ごめんなさい…☆」国「チェックって、結構こうやって振り返ってみると『よく見る夢はどんな夢ですか?』っていうのは、三年前は『最近は美輪さんと夢で話した』っていうことを言ってたんですよ、前回は。で、今回も『ミドリガメがたくさん出てくる』という部分があるのでずっと美輪さんは見ているってことなんですね、これね☆…あとまあ『得意料理』、覚えてますか、三年前に言っていた得意料理」奥「ええっと…何ですかね…」国「これはね、驚きです…『豚キムチ鍋』って言ってました…☆これを料理と言っていいのかっていう部分がありますけれども…これは『煮物』に変わってちょっとほっとしましたね。ひじきの煮物…」奥「はい、ひじきとか好きですね」国「今はじゃあ、料理とかは普通にするようになったわけですか?」奥「そうですね、お料理は…はい」国「三年ぶりに…やっぱりメッセージとかは変わってくるものですか?」江「(まだ笑いの余韻が収まらず)そ…そうですね…☆ごめんなさい…☆」美「この人は…☆」国「入りましたねえ☆」美「15、6の小娘みたいにさ☆箸が転がっても笑いが止まらないっていう☆…でも、大変わりよ」国「あ、そうですか!美輪さんから見て変わりましたか?」美「うん、大変わり」江「あのね、ええっと真面目な話…これから先にもうちょっと申し上げますけどね、前回の時もそうだけれども、やっぱりあの…割と霊感質(霊感が強い)な体質の方でいらっしゃるっていうのがね、非常にポイントがあったと思うんですよ。だからその霊感質の部分をね、自分でどのようにコントロールしてゆくのかっていうことっていうのはね、やはり凄く大事なことなんですね」奥「はい。自分の感情なんだけど、その…自分じゃないみたいな状態に陥ることは多々あってそれをコントロールするのが凄く難しいなっていうのを感じること…」江「あとね、自分の言葉と自分でない言葉との差も、ちょっとずれてきたりするんですよ。『何でこんなに強く言っちゃったのかな?』とか…」国「わかりますか?」奥「はい、何となくわかります…」江「ね?『そこまではっきり言う必要なかった』と思うんだけれども、後になってねちょっと悔やんでみたりね…っていうことになると、やっぱりそれをどこまでこう…『自分』という認識を持ちながら、しっかりとコントロールするかっていうことなんですよね」美「コントロールするっていうのはね、憑依体質でしょ、あなた」奥「はい」美「だから憑依体質の人ってね、よほどの修行を積んでいる人でないとねコントロール不可能でね…理性でコントロールできないのよね。『わかっちゃいるけど止められない』みたいなね。だからそういうところをどう処理するかっていうのは、ちょっと大変ね」江「大変ですよね」美「今日はね、霊的な話とか、いつもは徐々にお話しなさるんだけど、今日はもうのっけからねもうそっちの方の霊的な話がポーンと、スピリチュアルな話…でないと時間内に収まり切れないものね」江「うん…」***霊感が強いという奥菜さんが三年前に出演された時のお話中学生で映画のオーディションを受け合格できるかどうか不安で眠れなかった夜、金縛りになり亡くなったお祖母さまが枕元で「大丈夫。見守っているから」と告げられその言葉通り合格されたのだそう。また、魂が体から抜け出すような不思議な体験もあり天井を抜け空を飛ぶような感覚を味わい宇宙から地球を眺めたことや写真撮影でイギリスのお墓を訪れた時には偶然見かけたおじいさんの姿に何かを感じて涙が止まらなくなったことも。江「前世とかのね、関わりの何か、そのイギリス人の方との何かしらのご縁があるかもしれません…」さらに、友人と食事をしていた時、寂しそうな日本人形の姿が見えてそのことを指摘された友達が家に帰ってから確かめると物置の片隅に忘れていた人形が本当にあったのだそうです。美「だから今のところね、お話をうかがっていると、霊感があるんだけどそれが整理されないで体系付けられないで、とっ散らかったままになっているのよ。それを整理する方法が見つかれば、江原さんは仕事を失ってこの人に取って代わられるのよ」***国「最近はその…宇宙に行ったりとか…」奥「いやいや…全くないですね」国「全く…無くなりましたか、逆に」奥「はい」国「でも不思議な体験というのは、あれからもしてきてるわけですよね。先ほども言ってましたけれども『沖縄のある島へ行った時に二日間涙が止まらなかった』っていうような話がありましたけれども」奥「そうですね…」美「どんな島なんです?」奥「あの…沖縄の物凄く小さな島で…あの…TVでその島の名前を言ってしまうと色々影響があるかなと思って伏せますけれども…」江「信仰の島なんですよ。私も行ったことがあるんですけれども」美「ああそう」国「どうやって知ったんですか?そこは」奥「そこも本当に偶然で…私は旅が好き、一人旅とかも好きで、よく旅に出るんですけれどその時に沖縄本島の、ある村に行ったんですけど、そこで『こういう島があるので、そこに行ってみたらちょっと面白いかもよ』っていうのでその島のことは全く知らないで『じゃあ行ってみようかな』っていう感じで行ってみたんですけど…行ってみたら、もう涙が止まらなくなってしまって…もう二日間位ずーっともう…」国「それは日帰りっていう形なんですか?」奥「泊まったんですよ、民宿に泊まって」美「その涙はどういう気持ちになる涙なの?嬉し涙、悲し涙、悔し涙とか色々あるじゃありませんか」奥「あの…悲しいのかな…今まで色々押さえ込んでいた感情のフタが溢れて…ブワーっと出てきてしまったような…自分がそういう状態になったことで『あ、自分はこういうことで悩んでいたんだ』っていうのに向き合えたというか…はい」国「あ、向き合うことができたわけですか」奥「そうですね…まあ『心の叫び』じゃないですけど…そういうのがブワーって出たんだと思うんですね」美「それで何か結論を得ました?」奥「その直後なんですけれど、16年位お世話になった事務所を『辞めます』ということで…」美「そういう結論だったわけね」奥「はい」続きます。「オーラの泉の日記」
February 16, 2009
2月14日のゲストは奥菜恵さんですね☆***幼い頃に体験した現象は、ご家族への気遣いにも関係があるようです。江「それでね、霊的に過敏な人っていうのはね、生きている人、亡くなっている人、どっちも関係なく、全部キャッチするんです…あの、さっきの幽霊屋敷の話が繋がっていて…確かにね、そこの場所で悲しい歴史は…あの、多分、一家が二通りでね、皆がこう…餓死みたいに亡くなっちゃったか、もしくは心中みたいだったか…そうとう古い時代だと思うの…だから僕はね『女の子の声は無かったですか?』って言ったのは、そういうことなのね。それは悪い現象じゃないの。あのね、その当時の自分たち姉妹とかって…ごめんなさいね語弊があったら後でカットしてもらって…あの、親御さんのことでみんな子供はすごく心配して気苦労してたの。だから当時は親のことで心配なことがすごくいっぱいあったと思うのね。今でこそね…だけど、その当時はね。その心に同情して来たの」国「その…鞠みたいなものをついている女の子と、うめき声の人と…」江「それも男の、お父さんとかでしょ?」国「摺り足も…全員、違う人ですか?」江「みんなそう」安「その声を聞いたのが、ちょうどお父さんとお母さんが居なかった時だったんです。子供たち3人でお留守番で、3人だけで寝なきゃいけない時に聞こえた声だったんです。そういうことが起こるのも、両親がいない時に限って起こるんです」江「だから悪意じゃなくって、心配して…『この家族は同じようなことにならないようにね』その苦労した、亡くなった人たちがそうやって…だから、そうやってね普通は聞こえないものが聞こえるから怖いんだと思うけれどもでもそうは言っても、寝れたと思う」安「そうなんです」江「いつの間にやら寝てたりね…だから霊っていうのは、そうやって出てくるのはみんな悪いものではなくってね、要するに人間っていうのは本当に苦しみを味わうと人には同じ思いはさせたくないって思うんです。ね?それが中途半端だと『同じになっちまえ』って思うんですよ。それが本当に苦労して乗り越えた場合は人に対して優しくなるものなのね。だからそういう風にして、その女の子にしても同じ女の子だから気持ちも分かるし、みんなが和合して生きるようにって…だからそこのお家に居たとき、色々な気苦労はあったろうけれどもちゃんと乗り越えたはずなの、そこから後は」安「そうですね…」江「で、今では良い家族っていう風になったと思うんですよ。どこの家だって歴史はあるはずですよ、良いときばかりじゃない、いろいろある。だからそういう意味での歴史、でもそこを乗り越えて来られたかどうかということはすごく重要なことだと思うの…で、さっきのその…詩とかの問題のことで『それも関わりあります』って言いましたでしょう?それでそこでね、前世もそうだし、守護霊さんからもメッセージがあるの。奇しくもさっきスピリチュアルチェックで『ヒット曲が欲しいです』とか何かおっしゃったでしょう?」国「『一つだけ願いが叶うとしたら…』」江「いろんなね、切り替えの時であることは確かなんですよ。そこで言えるのはね『そんな過去のことに変に引き摺られて怯えるのではなく、ご自身で作詞作曲するべき』なのこれから。そのための出会いだったんですよ。全部、クリエイティブな人たちだけなんですよ、出会っているのが。『ここ一連、すごい人と出会っています』とおっしゃるけれども、だからそういった意味でもっと努力して、メロディとかも全部作れる、自分で作曲能力も上げていってそれで自分の作品を作る。ね?だから、どちらかと言うと、失礼な言い方だけれどやっぱりお若いときは何処か作られたアイドル的になってゆくんでしょう?で、そこをいったんご卒業になって、大人になって、で、そこで何かそこで引き摺られた部分での色んなトラブルもあった…だけどもこれからは『はい、自分の素材を充分に活かした人生にしてくださいっていう時に、いま来ていますよ』っていうことで…『さあ、新たな出発だよ、もう後ろを振り返っている暇はないよ』と…」美「だからね、江原さんがおっしゃったけれど…何故『愛の讃歌』を観に来させられたかということ。あのエディット・ピアフという大歌手、主人公だったでしょ?あの『愛の讃歌』の歌詞を作って歌っていたのはエディット・ピアフ自身なのよ。そうでしょ?彼女は『バラ色の人生』っていう有名な曲があるでしょう?あれも彼女の作詞なの。だからそれを江原さんがいみじくもおっしゃったように、ヒントだったの」江「あと美輪さんは、日本で最初のシンガー・ソング・ライター」安「あー…そうなんですか…」美「そう…」安「…すごいですね…全てが本当に繋がるんですね…」美「だから全部繋がっているって、さっきから言っていたのはそのこと」国「すごい…繋がっていて…」美「それと、写経…ね?」江「どうして写経したかっていう話です」美「何故、安部って名前なの?」安「え?…お父さんが…」江「(両手を組んで印を結んで)こういう世界ってあるでしょう?」美「知らない?安部清明(921?-1005 平安貴族に仕えた陰陽師)って」安「…知ってます…」美「ね?結界を全部、結んじゃって…」江「関わりがあるんですよ。だからそういうことを呼び起こさせちゃう、伝えてきているの」安「え?」美「だから、世のため人のため、そういうものが何かだとか、そういうものを全部今度はよく勉強して本を。詩を作るのであれば、文学的に、文芸的なものから宗教哲学から細かく読んでいって、そこの上から立脚した作品を作りなさいということなの。そうするともっと大きな、ちゃんとしたすごい作品ができますよということ、それがあなたのお役目ですよっていうことをおっしゃっているのよ」江「だから『色んな意味での役目を引いていますよ』と」安「本当に今のお話を聞いていても、お墓参りに行ったりお寺に行ったり神社に行ったりすると、気持ちが本当に穏やかな気持ちになって…本当に独特な香りってあるじゃないですか、お寺とか神社の。あの香りって本当に自分にとって安らぐんですね。気持ちが落ち着くし、本当にいつまでも居れるっていうぐらい…何か安心するんですよ」美「だから江原さんがおっしゃったように、前に寺院で暮らしていたから」安「そうなんですね…」美「懐かしいの。だから写経っていうことは、つまり宗教哲学とか、ね?例えば、お経っていうのは身の上相談の『こういう場合は、こう考えなさい』っていう身の上相談の本がお経なんですよ、内容は。ね?だからそういったものを全部網羅していって勉強していって、あなたは頑張り屋さんだから。その中で作り出すと深いものができるの。そういうものは流行は関係ない。永遠に名作として残るものができるんですよ」安「はい…」江「あと、楽器もね☆あなたの中のコンプレックスを取ってゆかなくちゃ。『自分は楽器が…』とかって…(鍵盤を叩く手振りで)やるの」安「ええ?それも…」江「言ってらっしゃるの」国「楽器も何度か挑戦してるんですか?」安「挑戦しようとしてます…けれど…」国「壁にぶつかっている?」安「そうですね…」江「突破しちゃったら、何でもできるようになるんだから。勇気を持って。もうビクビクしない」安「そうですね…はい…」美「まだ20代だもの…私から見れば、生まれたばかりみたいな人だから☆」安「はい☆」国「すごい人たちから背中を押されたものね、今ね」安「そうですねー…もう何か、勇気が湧いてきました。できる気がしてきますね」江「できる、できる…」国「できる気がするっていう言葉がすごいですよね。全国放送ですよ、これ☆」安「ちょっと変えた方がいいですか☆」国「いや、素晴らしいですよ、これ」美「(太一くんを指して)こちらはその先輩よ☆楽器だって全然、触ったこともない人なのにいま弾けるようになっているでしょ?」安「そうだったんですか?」国「全然、触れなかったよ。何か…『何でピアノなの?』みたいな…でも今は、やっぱりピアノで本当に良かったなと思いますね」安「素敵ですね…私もそう思えるように…」国「『楽しい』って思えば、できてくるのかなっていう…まあ先輩から☆言わせてもらえば☆」【エンディングトーク】 国「さあ、お二人の話を聞いていかがでしたか?」安「今まで小さい頃からあった出来事、デビューしてからメンバーとの出会い…もう全てが繋がっていたっていうことを聞いて…」国「家のね…」安「驚きましたね…」国「でも今日、ここで気づけたっていうことは大きいことであり…」安「そうですね…もう本当に大きいです、今日の日が、はい」国「まああの…楽器のことで☆分かんないことがあったら☆いつでも☆相談にのるから☆」安「お願いします☆」国「たまには☆あの二人だけじゃなくて僕に頼ってもいいんだからね☆」【スピリチュアル・メッセージ】☆ 家族のため自分の気持ちを抑えていた人が、唯一わがままを言って選んだ歌手の道。過去にとらわれず自分の作品を作り出すために勇気を出して…今が人生の切り替えの時です。【オーラの言葉】☆ 先のことを考え過ぎると取り越し苦労をしたり誇大妄想に陥ったりして必ず人生に裏切られます。大切なことはひとつだけ。明日の朝もし目が覚めなくても後悔しないと思える毎日が遅れればいいのです。(美輪明宏著 「愛の話 幸福の話」より)読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」「美輪明宏さんの舞台・愛の讃歌1ー5」
January 29, 2009
2004年にモーニング娘。を卒業しソロ活動を開始。ドラマ、舞台、作詞を手がけるなか、写真集やエッセーに綴った詩が盗作と指摘され紅白も辞退、二か月間、芸能活動自粛をすることに。会見で「盗作の自覚というのは?」という質問に答えて「…はい…実は私は…中学生位の時から…大好きな言葉やフレーズや歌をノートに書き留めておいていまして…それが15冊以上あるんですけれども…その中の…言葉たちが…その…人のものと自分のものとの区別が…つかなくなってきてしまいまして…自覚がなかったとしか…申し上げられません、すみません…」***国「ソロデビュー後は本当に色々なことがあったと思うんですけれども…」安「そうですね…」国「どうでした?このぐらいの時期というのは」安「そうですね…本当に多くの方にご迷惑をかけて…心がついていなかったですね…自分の気持ちが…何か世の中で起こっていることと、自分に起きていることに自分がついてゆけていないというか…その自粛していた間も外に出られる状況ではなかったので…もうずっと家に居て…もう家に居ると、ずっと考えてしまうことばかりだったんですけど…」国「外に出られないというのは、もうその自分の…」安「もう出られないです。人の、周りの目も気になりましたし…」美「引っ込みってことね」安「そうですね…もう常に見られているというか、どこに行ってもそういう目で見られているんじゃないかっていうことが、やっぱり怖かったですね」美「でもね、今あなたの言っていることって、物凄くしっかりして的確なことを答えていたわよ。あのね、私、色々な作家の人とか詩人とか、文学者との交流が多かったでしょう?皆さん、そうなのよ。例えば寺山修司さんっていうのも古今東西のあらゆるものを乱読して、まあそれを良く記憶して覚えているの。ね?それが自分の中に詰まっていて、自分が必要な時には、それがポッと出てくるわけよボキャブラリーになってね。つまり表現することっていうのはまあ似たようなものだから、どこかで似てくるのよ。そうでしょう?でもそれを意識しちゃって、商売でね『あ、ここは誰、この詩はいいからじゃあこれとこれを繋ぎ合わせよう』これは盗作ですよ。そうじゃないんでしょ?だからそういうことを、あなたは今、おっしゃっていたから『あ、じゃあ他の文学者や何かと同じだな』と思ったのね。それ以外でね、作品を作れって言うんだったら新しい日本語を作らなきゃしょうがないのよ。言葉を」安「何かそれから、やっぱり自分が発する言葉や…こう…何かを書くっていうことが怖くなってしまいましたね」美「だから鼻という言葉をね、結局使っちゃいけないということ。(鼻を指して)じゃあこの鼻は何て言う、ポンポコピョンとかね☆そういう言葉も自分で新語を作り出さなくちゃいけなくなっちゃうのよ」国「…もっと例えでもあったでしょ☆ポンポコピョンっていう…☆」美「いやだから、そういう風な方法しか無くなっちゃうっていうこと」江「ただ、それにも実は、スピリチュアルな視点では理由があるんです」国「あるんですか?」安「あるんですか…」江「あります」美「理由のないものはないの☆」江「ないんです、そうなんです。だからそういう現実的な『考えてした』とか全く関係のない、意図しない理由があります」国「これは…後ほどに回した方がいいですか☆」江「ですね☆」美「そうですよ☆」安「そうなんですね…☆」国「じゃあ自粛している間は、どんなことをされていたんですか?」安「うーん…写経(仏教の経典を書き写すこと)をしたり…」国「写経…何故また写経を…」安「これはあの…『するといいよ』っていうことを言って下さった知り合いの方がいて…『家に居るだけでしょ』って」国「『写経がいいよ』と?」安「はい。『いいよ』って。『そうなんだ…』と思って、私は…」美「ほら、そこは言わなきゃ☆」国「…これは必然ですよ…このタイミングで良いんですよね?☆」美「必然っていうよりも、そのずーっと、そうなるべくしてなっていたのに気がつかないのよ」国「あー…そっちの言葉だったんですね☆」美「だから、そこに何かがあるということなのよ」国「どうでした?何か落ち着くとか…」安「うーん…気持ちはそうですね…落ち着きましたけれども…はい…去年あたりから、自分が出会ったことのない素晴らしい方だったり後は自分が立ったことのないようなステージに立たせていただく機会が…本当に去年の『トゥーランドット(2008年 演出 宮本亜門 音楽 久石譲 衣装 ワダエミ 出演 岸谷五郎 中村獅童他)』という祝祭音楽劇の時からスタートしていて…もう不思議なんですよ…もう江原さんの出会いもそうなんですけどイルカさんだったり松山千春さんだったり…本当に素晴らしい大先輩の方たちとお話をしたり、一緒にステージに立たせていただく機会が…本当に去年位からです」国「急にですか?」安「急になんですよ。『ええ?!』っていう驚きなんですよね。でも何か意味がある気がしていて…」出会った事全てが繋がっているという安部さんに贈られるメッセージとは。江「じゃあ一通り全部お話しましょう。ええっと…全部が繋がっています、全部が。で、あの…その本当に何か取って付けたように聞こえるかもしれないけれどモー娘。のメンバーとあなたは前世でも一緒ですよ」国「ええ?!」安「全員ですか?」江「いやその…全員じゃない☆最初のメンバー」安「最初のメンバー…」国「5人?」江「5人。ね?最初の初期メンバーが一緒。その前世のことなんだけれども、あのね実は見えてくるのは東南アジアとかの方です…の方の景色でね、あのそれこそ今で言ったら、ベトナムとか、ああいう方の地域じゃないかと…あのね、丸い円錐形の笠(ベトナム衣装)があるじゃないですか…被ってねそういう女性たちが見えるんです。でいて、ちょっと悲しい事情があってね…寺院みたいな綺麗なところに皆、その女の子たちがいるんですよ。ね?で、いるんだけれども皆、実は親を失った人たちなんです、お子さんたちなの。そこで、色んな事情ですよ、病気だとか争いかもしれないけれども…だからある意味で、みんなすごく自立心があると思う、みんな揃って」安「初期のメンバーは特にです、はい」江「でしょ?さっきね『皆がライバルだと思うから』って、要するにね甘いことを考えないんですよ、生ぬるいことは。その前世で、皆がそうやって色んな苦労があって、小さい時に親と死に別れたり生き別れたりで、そういう人たちが来て…だから自分で自分の生きる道をちゃんと決めなければいけないしかと言って家族観みたいな、何というのかな、そこでの家族観新しくできた姉妹みたいな感じで…だから支え合う気持ちでも自分は自分っていう自立しなきゃいけない…そういう誰にもちょっと理解されない不思議な感覚のグループだったと思うんですよ」美「同志愛よね」安「そうです…」美「同志、仲間同志の同志」江「だから何かポワーンと来ちゃったという感じじゃなくて、みんながそれなりに若くても人生に疑問を持ったりして集まっていて、だからあまり生ぬるいことは考えずその…何ていうのかな…『自分で道をちゃんと作らなくてはいけない』っていう…すごく真剣だったと思うんですよ。『何となくアイドルに、ただ憧れて』とかいうもんじゃなかったと思う。ね?そこ(前世)のときも皆そうだけれども異国語として聞こえてくるんだけれどもね、皆の励みは、楽しみは歌なんですよ。お遊びっていうかね、それは全部歌なの。皆で歌っていて、歌っている時は楽しい…そういう時は心一つになる…で、そういうことで一つあるのね、さっきの『角の部分が好きだ』ということもそうなんだけど私は初めて会った時にね、『何て気苦労症の人なんだろう』と思ったのが第一印象なんですよ。そのオーラの大きさとか色合いもそうだしね。どういう色合いかって言うとね、ブルーが強い紫なんですね。意外とね、赤い色もあるんだけれど極端なのね。だから割りと頑張って燃え上がる時もあれば、すごくクールに見るところがあってね…基本的にこういうオーラの人は優しいんだけれども…で、オーラが大きいで、感受性が豊か。だから人の気持ちを完全に汲んじゃうんですよ。だから悪く言うと振り回されるの…それでいて、あの…失礼ながらちょうどあのコンサートの時にご両親がいらっしゃっていたけれどもとってもいい優しいご両親なんだけれども…『今だからそうなんだろうな』と思うの。お小さい時とかはもう、お父さんのことでもお母さんのことでも色いろんな問題があって、ご本人は、安部さんは物凄く気を遣って、親のこと姉妹のこと…だから夢でね、『妹を必死に守って引っ張っている』という夢があったでしょう?あれも、ただの夢じゃなくて二通りあるんですよ。要するに前世でそういうようなところに居たということで『皆で助け合わなくてはいけない時は助け合う』っていうのもあるのとあともう一つは今生の中でも常に姉妹とかを守っていかなくてはいけない。だからよく『子はかすがい』って言うけれども、かすがいの人なんですよ家の中で、ムードメーカー。一生懸命、気を遣ってお父さんのことも気を遣って、お母さんのことも気を遣ってみんなで平和平和…平和になろうね、みんなで仲良くいこうね、っていう気苦労。そういうのがあるから、いつも過敏で結局そういうことで気を遣い過ぎちゃってギクシャクしてきちゃう…空回り空回り…『何でそんなに人のことばっかり気を遣って自分で自滅するのかな?嫌だな…』っていう思い、強くなかった?」安「本当にその通りですね…あの…何なのか分からないんですけど小っちゃい頃から、やっぱり家族が笑顔になることとかが、すごく嬉しくてすごく気を遣っていました」江「前世では親とは縁が薄いでしょう?だから家族であることが物凄く大事だと思っているわけ。でいて、今回もそうやって、皆に気を遣っているんだけど、自分だけで楽しめたのはTVなりで歌手を観ること、音楽を聴くこと、歌を自分が歌うこと…その時だけは誰にも邪魔されないし、誰もが喜んでくれた、一緒に歌っていてもね」安「はい…」江「…っていうことで、そこだけは自分の聖域だったはずなの。『だからこれだけは手放さないぞ。この夢だけは諦めないぞ』」安「そうですね…」江「ね?『他のことは我慢する、お小遣いでも何でも我慢する。自分よりも姉妹のこと、どうぞどうぞ…だけど、ここだけは我慢しない』今までね、家族の中で我がまま言ったことは歌だけじゃない?」安「そうですね…あんまり『こうして欲しい、ああして欲しい』って言わないでいつも親の顔色をうかがって、お母さんが喜ぶことだったり、姉妹が喜ぶことを先に…何か察知してというか予想して、自分の中でいつもやるんですよ。でもやっぱり、悲しい時辛い時、そういう場面に陥った時は、歌に励まされたんですよね物凄く…頑張ろうって…前を向いて生きていかなきゃなと思いました」続きます。「オーラの泉の日記」
January 28, 2009
歌手になることを信じていたという安部さんの夢は実り「モーニング娘。」は一大ブームとなって、オリコンシングルチャート通算10作首位(ピンク・レディーは9作とのこと)を獲得。メンバーの入れ替えが続くためチームワークを大切にする中にも常に緊張感があったのだそう。国「物凄い人気でしたよね、本当に」安「ありがとうございます、本当に」国「まあその後、『モーニング娘。』は色々こう…卒業があったりまた新しく入ってきたりと…本当に色々…それこそ複雑じゃないですか?」安「いやもう…いっぱい不安もありましたし…『もう明日どうなるかわからない』って思う中でした…」国「『なんだよ、つんく♂』でしょ?☆家では」安「もう…そうですね☆」国「『卒業システム、何だよ?』ってことで…」安「そうです、本気で…もう本当に台本とか全くなく突然なんですよ。突然『あ、明日、何人か加入します』と本当に聞かされるんですよ」国「一番最初、加入してきたりとかっていうのは凄く複雑な気分だけれども…」安「嫌でしたよ…はい…」国「…嫌だよね…」安「嫌ですよ…」国「『嫌だ』っていうのが顔に出てたもん☆」安「もう嫌でしたよ☆『この5人で頑張ってきたのに、このままでいいじゃない。どうして?』って…」国「大人って色々なことを考えるよね」美「最終的には何人になったの?」安「ええっと…私が卒業した時が一番多い人数で、15人いました。最多人数でしたね」国「今でも仲の良いメンバーっていうのはいますか?」安「いますね。その卒業したメンバーは仲が良いんですよ、みんな。あの…みんなでお酒を飲んだりとか『最近どうなの?』みたいな話をしたり…何かやっぱり卒業すると、また全然違いますね。あの…私はメンバーにいたときはお食事に行ったりとかしなかったんですよ。やっぱりどんなに年下の子でも常にライバルと思ってやってきたので…」国「うわあ…凄い…」安「『仲が良くなくていい』って…すみません☆」国「素直でいいと思いますよ」安「…って思っていたので、常にライバル視をしていたので、本当の意味で『仲良しこよしじゃなくていい』って」国「なるほど」安「『そうじゃなきゃ勝ち残っていけない』っていうのもありましたし…卒業して、少し経ってからですね、そういう機会が作れて…」国「みんなでご飯を食べられるようになったりしたのも…」安「…そうです」国「そんな中でも運命を感じる人っていうのは…」安「飯田佳織とはですね…実はその二次審査の時に会場で、何千人もいた中で席が隣になっていて、二人とも履歴書を持った状態で。で、プリクラを交換したり会話をしているんですよ、その時に。で、まあ受かっていった過程も一緒で、グループになって活動をし始めるんですけどその途中で気づいたんですが…生まれた病院が一緒だったんですね。しかも誕生日が二日違いで、同い年なんですが…」国「うわあ☆」安「…8月8日が彼女で、私が8月10日なんですが…室蘭で…『お母さんがね、室蘭だから』…私も地元が室蘭なんですけど『病院、一緒だよ』って聞いて『ええ?!』って鳥肌でした」国「お母さんが室蘭なんだ」安「そうなんです、飯田の実家は札幌なんですけど、お母さんの地元が室蘭だったのでそこの病院で…」国「こんなことあるんですね☆」江「ねえ☆ということは、同じ時期に病院にいたってことですよね。新生児室で並んでいたり…」国「並んでいるんですよ☆」美「並んでオムツ替えてもらったのよね☆」メンバーの方のみならず、安部さんに続いて芸能界に進んだ妹の麻美さんに関しても不思議なご縁があるようです。国「…そして夢ですけれども、逃げている夢を…」安「そうなんですよ、あまり見ないんですね、夢は。でも見る時は常に逃げていてシュチュエーションが山だったりとか、すごい…皆が敵だったりするんですよ、槍を持っていたりとか追っ掛け回されていて…で、もう妹が常に私の隣にいて…でも引っ張ろうと思っても重い時もあったり…なかなかついて来れなかったりするんですけれども、必死で命がけで守っていたり…」国「必ず妹がそこにいるんですか?」安「必ず妹がいるんです…」国「この夢自体に何かこうメッセージ的なものっていうのは…」江「うん、あります。後ほど☆」国「あ、後ほどですか」安「やっぱりあるんですか?」江「だってここから言い出すと、全部繋がっていって話しちゃうから☆」国「あら☆そんな夢なんですか?」江「うん、色んなこと☆」国「…で、小さい頃の不思議な体験というのは…これは色んな音を聞いているんですか?」安「これは…ええっと私が小学生の時に住んでいた家なんですけれども…ちょっと不思議なお家なんですね。借りていたお家なんですが、玄関を開けてすぐ階段が13段あって真っ赤な絨毯で…私が居た部屋にお札が貼ってあったんですよ。私は『怖い、怖い』と言って、そのお札を剥がしてしまったんですね。そうしたらお母さんに『何で剥がしたの?』って言われたんですけど…そこからですね、そのお家に住み始めてから結構不思議な体験というか…そういうことが多くて…その廊下で足を摺るような音がしたり姉と一緒に二段ベッドで寝ていた時に、襖があって隣の部屋から声が聞こえてきたんですよ。ずーっと二人でその声を聞いていて、今でもやっぱり耳に残っているんですね。その後にもゴムボール、子供が遊ぶようなゴムボールをついている音がしたりとか…」国「うわあ、怖いねー…それは同じ部屋で?」安「そうなんですよ、同じ部屋と後は廊下みたいな…」江「その聞こえた声は女の子じゃなかったんですか?」安「男の人…」江「ボールとは全然違う…」安「違いますね。男の人のちょっと低いような声で…うめき声ですね」江「で、鞠をついている時には聞こえなかった…鞠の音だけで」安「聞こえなかったですね、鞠の音が…ポンポンってついていたり…」国「それはやっぱり、お札を剥がしたっていうことからですかね?」江「いや、それも後で…繋がりがあるので」安「ええ?!繋がってるんですか?」美「全部☆」江「全部繋がりがある」国「今日は勿体ぶるねー☆」美「みんな繋がってるの、全部答えが出ちゃうから」国「本当ですか、これ全部繋がっているんですか」江「うん、だから後、話が無くなっちゃうじゃない」美「全部答えが出ちゃうのよ、そこで」安「そうですか…」国「凄い☆」安「…私、角が好きでTVを観る時も茶の間の角に背中を付けていつも観ていたりとか…それとドアの間とか、棚と棚の間とか…背中が気になってしょうがないんです、背後が」国「…これは何かありますね☆これは背中を見せたら危険っていうような…」江「関係ないんだけどね☆」国「あれ?☆」江「背中が特別云々ってわけじゃないんだけど、それだけは今、答えられますけどね…あのね、霊的なものの出入り口っていうのは全部、背中なんですよ。だからほら肩が重くなるとかゾクゾクっとするとか、ね?言うでしょう?」美「背筋が寒くなるとか…」江「ね?全部(首の後ろ側を触って)こちらなのね。だからそこを、霊的な部分の弱いところを何か隠そうとする本能がここで働くだけで…だからと言って別にそうやって壁にくっ付いていたからって霊的なものに関係ないじゃない。だってその壁から手が出るかもしれないしね☆なぁんちゃってね☆」国「…怖い冗談を…☆」安「本当に☆」江「だから気分の問題。でも背中っていうのはそういうものです」続きます。「オーラの泉の日記」
January 27, 2009
国民的アイドルグループのメンバーとして活躍された方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 不思議な体験→小さい時、小学校3、4年生位の時に住んでたお家で人の声を聞いたりボールが跳ねてるような音がしたり…そこの部屋には人がいないんですけどそういう音を聞いたりした体験はあります。☆ 人生の転機→15歳の時です。オーディションを受けた時ですね。☆ 生活の中でこだわっていること→仕事上、海外のホテルや地方に泊まることが多いんですが何か周りというか、背中が気になって誰かに見られているような気がするのでいつもベッドに入って寝る時は枕で自分の体を囲ったり…何かこう気になるのでそうして寝るようにしてます。☆ よく見る夢→夢はあんまり見ないんですけれども…見るとしたら逃げる夢ですね、逃げてます、いつも夢の中で。それで妹が必ず逃げてる夢では出てくるんですがいつも命がけで必死で妹を守ってます。☆ ひとつだけ願いが叶うとしたら→ヒット曲が欲しいです☆(「あー、一緒だなー…」と太一くん)国「いや、こうやって見てもそうだけど、大人になったねえ☆」安「ありがとうございます☆」国「今いくつになったの?」安「今…27歳になりました」国「あ、27になったんだ。今日はまだ、なっちって呼んでもいいのかな?」安「はい、全然かまいません、大丈夫です」国「27歳でも?じゃあ今日は、なっちと呼ばせてもらいますので…よろしくお願いします」安「お願いします」国「どうですか?このオーラの泉に出ることになって…」安「もう…何か夢みたいです。今あそこで(中央階段のセットを指して)上がってくるときに何かちょっと泣きそうになってしまって…ずーっとこの番組がスタートした時から観ていたので自分がまさかここに立てるとは思いませんでした。でも、自分の中で、もう本当に一番出たい番組だったんです。でもそういう時が来たらきっと出れるって自分の中で思っていたので『ついにこの時が来た』って何かこう…うるっとしましたね」国「上がってる最中に、そういうことを思い出したりして」安「はい」国「どうですか、美輪さんとは初めましてなんですか?」安「いや、違うんですよ。2年…3年位前に舞台を拝見させてもらったんですけれどもその時に私、友達と行っていたんですね。そうしたら、帰ろうと思っていたらマネージャーさんがこっそり来て『美輪さん本人が是非ということなので』と言って…」国「うわあ、嬉しいね☆」安「『ええ!?まさか、お会いできるんですか?』と思って…」国「舞台で観てたのに実際に楽屋で…」美「いやあの私、『毛皮のマリー』ってお芝居でね、♪日本の未来は…♪っていうのをねあれを使ってたのよ」国「あ、そうなんですか」美「私、大好きだったの、『モーニング娘。』…で、とっても可愛らしいじゃない?そうしたら『来てる』っていうんでね『あ、よろしかったらどうぞ』って言ったの」安「そうなんです。もう本当にどきどきしながら…」美「『愛の讃歌』でしたっけ?」安「そうです。『愛の讃歌』でした」美「ね?で、ちょっとお話させていただいたの」国「江原さんとはどうですか?初めまして…」安「江原さんとは違うんですよ。去年のイルカさんのイベント(2008年9月『イルカ with Friends』)歌のイベントがあるんですけどそこで江原さんと初めて共演させていただいて…」国「これまたオーラの泉を観てたら…」安「そうなんです、そのお話をしたんですね、そうしたら…」江「『絶対出たい、出たい』って言って…『じゃあ、お伝えしますね』って」安「そう。江原さんが『是非おいで』って。『え?』って…」国「江原さん、ブッキングしてるんですか?☆」江「そうでは…☆でも皆さんもありません?よくそうやって…」国「言われます、これは言われます、よく…」江「だから『じゃあ、お伝えします』ってカレーライス食べながら…」安「そう何かもう本当に…カレーライスを、メンチカツを乗っけていただいて…江原さん、おかわりしてて…『あー…』って…」国「江原さん、おかわりしたわけですか、メンチカツを☆」美「おかわりは、ちなみに何杯くらいですか☆」安「結構されてましたよね☆」江「いえいえ、そんなことないですよ!」安「何回食べました?」美「10杯位?☆」北海道・室蘭市出身の安部さんは、高校一年生のときTV番組のオーディションを受けた後「モーニング娘。」を結成し、1998年「モーニングコーヒー」でデビュー。最初のメンバーは、いったんはオーディションに落ちた5人だったのだそうです。国「人生の転機ですけれども『オーディションを15歳の時に受けた』のが人生の転機だと…」安「はい、そうですね…やはりそこから…色んな出来事があったので…やはり自分が『受けよう』って思って…」国「自分が受けようと思ったんですか?」安「そうです、あの…ずっと歌、歌手を。歌いたいって、そういうメッセージを伝える人になりたいっていうのを思っていて…中学生位の時にも『浅ヤン』っていう番組を観ていて、オーディションを受けたいって言っていたんですけれども親や周りの先生が、学校の先生だとか、反対されていて…それでもやっぱり受けたかったので『高校入ってからならいいよ』って言われたので、入ってから一番最初にあったオーディションに『よし、行くぞ』って」国「一番最初で、もう合格したんですか?」安「いえ、違うんですよ。まず9900人の中から1人グランプリが決まって…」国「1人だけだったんだ、最初は…」安「最終的に10人位いたんですけれども、全員落とされて各地、帰らされたんですね、田舎に…」国「その10人の中には入ったんだ」安「はい、入ってて『グランプリ、いけるかな』って、ちょっと正直、思ってたんですけど…落ちました、見事に…もう相当、今まで体験したことがないくらいショックで…『もう人生の終わり』位に感じていて、その時は。でもそこから声がかかったのがまあ5人…全国各地、色んなところから5人が集められて『5日間で5万枚、手売りで売る。売ったらデビューしてもいいですけどそれをやりますか?』と。1人1人に聞かれて皆『やります』『やります』…『やります』みたいな…」美「で、失礼だけど、あの…グランプリで受かった人はどなたなの?」安「ええっと…今でも歌手をやってるのかな…デビューしたんですけれども…」美「そんなものなのよ」安「…そうなんですね…」国「…物凄く重みがありましたよね、今…」美「そんなものなの。落ちた人が残ってて、受かった人が消えてゆくって…世の中ってそういうことがあるのよ」安「でもその、まだデビューが決まる前に私…いま思うと不思議なんですけど学校を辞めたんですよ。先生のところに…」国「それは忙しくなるからっていう…」安「いや違うんです。何か感覚的になんですけど『私はこっちの道だ』って思って親にも言わず…」国「親に言わなかったの!?」安「もう驚かれましたね…『浅ヤン』のスタッフ、その時の番組のスタッフの方にも『何やってんの?』って。『デビューも決まってないのに何してくれたの?保障が無いんだよ』って言われたんですけど、私は全然、そんなことを言われても動じず…いま思うと凄いことですよね…」国「いやいや…凄いよ、それ…お母さんは何て言ったの?」安「『何やってんのさ、あんた?』って言われました。『あんた何してんのさ?』って言われました」国「方言で☆」安「はい☆『何したのさ?』って言われましたね」国「それは…もう覚悟が…」安「ありました。『私はもう此処だな』って」続きます。「オーラの泉の日記」
January 26, 2009
1月24日のゲストは安部なつみさんですね。***地球一周をするという今回の挑戦には、たくさんの理由があるようです。江「それでいてね、あの…実は今回、こうやって周るということもね、幾重にも理由が重なっているんですよ、実は。幾重にも。前世ということではね、あの…ネイティブアメリカン(かつてインディアンと呼ばれたアメリカ先住民)だった頃があります」間「僕?…マジですか?」江「だからあの…寛平さんってね、花というよりも草類を見るのが好きなんです。あのね、薬草とかね、そういうものをずーっとやっていたからなんですよね、ネイティブアメリカンの頃に」間「子供の時、葉っぱを気にしていた…」美「花よりもね」間「花よりも」美「その通りだったのね」間「はい…」江「それはその名残、ネイティブアメリカンだった頃の名残で…でね、さっき言ったようにまるで千日回峰行のようでしょ、あとは行く場所自体も自分の魂のルーツとか、色んなルーツを探す…」間「…びっくりしたのが、インディアンと言われた時に…僕、めちゃめちゃインディアンジュエリー(ネイティブアメリカンが造り始めた装身具 ナバホ族やホピ族が有名)が好きで、いっぱい持っている…」江「それも名残、その時の記憶」美「昔の記憶をそのまま留めているわけ」江「自分で覚えていないだけで、(胸を示して)刻まれているんですよ」国「いつ頃から集められたんですか?」間「もう大分になるけど…」国「いっぱいあるんですか?」間「ホピ族とかズニ族とか…僕、ズニ族が好きで…ズニ族のをずっと持っているの…それで今、走っているから僕、全然着けずに置いていたんですよ…昨日、全部出して磨いたとこや…」国「うわ☆」間「全部、磨いたんですよ」国「何で昨日なんですかね…」間「わからへん、それは…たまたま昨日…」国「思い出したようにですか?」間「うん」美「面白いわね☆」国「うわ、何これ☆」間「何これ…や思うて…」江「だから感覚で生きている人なんですよ、常にね。だから前世でも、いわゆる非常に現実的な世界で生きていないんですよ。修行僧もそうだし、ネイティブアメリカンもそうだし…だからどっちかと言うと自分が自然界の中で本当に生かされていることを理解し、感謝し…とかいうことを…常に感謝したい人なんですよ…それでね、ごめんなさい、ここからもう一つ、大事なことがあるの、ここからがね…あの、寛平さん、オーラね、ずっと見てるんだけれども…美しい紫があるんだけれどもそのオーラをくすませている原因があるんですよ。それは凄く最初から気になって、気になって…私はどうしようかな…と…」美「それで悩んでいらしたの」江「そうなんです…ちょっと二点…実はね、ご存知かな…戦死なさっている方がいるはずなんですよ」美「戦争で亡くなった方…」間「あぁ…」江「それが一つ。後もう一つ…若いのに、割と早くにパッと逝っちゃった…だから陽の目も見ずに終わったみたいなね、『これからだったのに』とかいうような感じでその人のことを物凄く心配して同情して、情を持って…いつも何かといえば思い出せば拝むというかね、手を合わせるような気持ちの方がいらっしゃるはずなんですよ」国「どうですか?」間「居てます…その…若い時に亡くなった子というのは、僕の中学校の同級生なんですけどその子に僕がこういう世界に入れてもらったんですよ。それで僕が吉本興業に入って…一年位かな…経って亡くなっているんですよ」美「何で亡くなったの?病名は」間「あの…ちょっと事故で…だからその子のおかげなんですよ」美「だからその人のことを折に触れて思い出されるわけね」間「そうです」江「なるほど…だから凄く、あっという間の出来事でしたでしょう?その亡くなるまでは」間「そうですね」江「だからどこかでね、命っていうものを自分が何処まで最大限に生かせるかっていうことを常に自分に課している…だから『中途半端に生きていたら申し訳ない』っていう気持ちが強くなっちゃう…で、そこで私は…粋じゃないことをちょっと言っちゃうんですけれども…あの…この旅、行かれることはいいと思うんですけれども、海に関してだけはちょっとあまり賛成…私はできないところがあって。何故かというと、あの…さっきの軍人さんたちの思いが凄く海にあるんですよ…亡くなっている人を見ると…多分、異国の地、海とかに仲間が亡くなってるとか陸での戦いよりも海とかそっちの方で命を落としたり…飛行機でもそういうのありますよね、海軍も空軍もね、あり得るじゃないですか…だからね、その渡る場所が気になるんです、凄く…だから最初の…(太一くんが地球儀の太平洋上の赤いラインを指して)この…」美「最初の部分ね」江「あのね寛平さん、これ理解しにくいかもしれないけれど、煽られるんですよ。自分の正常な信念で『やりたい』という気持ち『修行みたいにしたいんだ』っていうのとさっき言った魂のルーツも探るわけですよね、ネイティブアメリカンもそうだしそういう魂のルーツ、千日回峰行のように行く…そこまでは魂のルーツなんだけれどもそれ以外のところは、ちょっと煽られちゃうところがある。要するにご自身だけじゃない、そういう戦争のときの仲間のこととか、彼(先祖)とかそういった影響でね、何か『ギリギリまで行かないと申し訳がない』みたいに必要以上にいきやすい。だから、それは別。ということは、どういう風にするかというと『行くな』と私は言っているわけじゃないんです」美「それはあなたも予感しているはずですよ、何処かで。水に対してはね。『ちょっとヤバいんではないかな』とフッと。っていうのは行者だったから。自分の霊感でそれを知っているわけですよ。陸にはね、もう死にかけていても絶対に自信がどこかおありだし、絶対に到達できるって確信がおありなんだけど水はちょっとヤバいところがある、ひょっとしたら帰れないかもしれないな…っていうのがおありのはずなのよ」江「あの…そのさっきのね、軍人さんたちの思いが凄く海にあるんですよ」間「ということは、どうしたらいいんですか?」江「だから『今回は供養は別です』ということをね、しっかりお祈りして一生懸命念じるんですよ、その人たちに話しかける…『悪いけれど今回のことは自分の修行なので供養はできないけれど、それはまた後々お寺でも何でもするから、だからそれは邪魔しないでおいてくれ』と念ずる。後は船で行った時に躍起にならない。だからもう絶対に船で行くとするならば何かあったら戻ってでも、すぐ引き戻して飛行機に変える…」美「あの、もしどうしても船ということであればね、もう何かあったらすぐ最寄のところへ一番最寄のところへね。引き返すよりも行っちゃった方が早いって冗談でおっしゃったけれどもそういうことじゃなくて最寄のところで一番近いところで、何処へ逃げ込むかということも計算していらした方がいいということをおっしゃっているのね」間「いや…今更止めるわけにも…はい…」美「ギリギリのところですものね、もうオンエアの時には最中だからね。でもそれをあくまでもアドバイスとして練り直すことがね、できる範囲では練り直したり足したり削ったりなさったらいかが?っていうことなのね」江「ただね『絶対駄目だ』と言っているわけではないので、だからもう慎重に慎重を重ねてそしてすぐに戻る、何かあったら。無理はしない」間「無理はしないように行きます、はい…」江「絶対無理はしない。お墓参りもそうだし、お墓に入っている以外の彼らに対してもちゃんと言って下さいね。『今回は違う』ということ」美「それはね、もう始まった時に、そこにお座りになったときから一番江原さんが言いたかったことなのよ」江「そう…行き過ぎないで下さい。私もお祈りさせていただきます」間「はい、ありがとうございます…ずっとあの…(手を合わせて)お祈りします…」江「でもね寛平さん、守られているから、あの…それが本当に駄目だったら行けないようにされちゃいます。船に乗れないことになってしまう」国「なるほど。怪我とかもそういうことですものね」江「そういうのに逆らわないことなんですよね」間「はい…」国「頑張ってください、本当に…」間「はい…」国「もう今、出ている最中ですからね☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 絶対に海では無理をしない。何かあったら引き返す勇気を。旅の無事を祈っています。【オーラの言葉】☆ 困った時に助けてもらえるのは心が善良な人。傲慢でわがままな人は誰も助けたいとは思わない。最後にものを言うのは人柄。読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
January 22, 2009
寛平さんがマラソンを始めたのは36歳のとき。走り始めてすぐにフルマラソンを完走。1986年 青梅マラソン 第14回ハワイ・ホノルルマラソン 1987年 種子島ロケットマラソン 第15回ハワイ・ホノルルマラソン 1988年 飛騨高山マラソンを完走。1988年・1990年には246・3キロもの距離を走るギリシア・スパルタスロンに挑戦。この挑戦の際、現地でもサポートしてれたのが寛平さんを敬愛する後輩・明石家さんまさんなのだそう。88年、90年は途中棄権したものの、3回目の1991年に完走を果たされたそうです。国「本当にいろんな記録に挑戦してますけれども、そもそもマラソンを始めたきっかけというのは…」間「きっかけはね、あの…もう25、6年前に、もう僕、吉本興業でも駄目な男やったんですよ。アルコールは何ぼでも飲む、もうやんちゃばっかりしていて…それでその時に『もうあかんでこいつ、寛平は』いうてる状態やったんですけれども…池乃めだかちゃんって、あのめだかちゃんと二人で飲みに行ったんですよ。飲んでずーっと話をしていたんですよ。その時に『めだかちゃん…物凄い同じ夢を2回続けて見たんよ』『どんな夢?』『瀬古選手(瀬古利彦さん 福岡国際マラソン ボストンマラソン優勝など日本の長距離界をリードした国民的マラソン選手)とデッドヒートしてる夢を見たんよ』と言ったら『走ってみたら?』って言われたんですよ」国「それまで、一切走ったことないんですか?」間「ないです、ないです」国「瀬古選手には興味はあったんですか?」間「あのね…瀬古選手とイカンガー(シュマ・イカンガー タンザニアのマラソン選手)って凄い、いっつも闘っていた…で、そのイカンガーが僕になったんよ…」国「夢の中では?」間「はい。それでデッドヒートしてる夢を見て『いっぺん走ってみようかな』ってそれで煙草を吸うてたのも『今日で止めやー!』ってバーッて吸って終わりにしたんですよ」国「あ、その日に止めたんですか?話した時にもう止めたんですか」間「はい。それで5キロ程度ですけど、ずーっと走ってたんですよ」国「え?いきなりもう5キロ走るんですか?」間「ええ、5キロとか。それで『あ、5キロも走れるわ』と思って今度は10キロを走ったりとかしてたんですよ。『ええ汗かくなあ、気持ちええなあ』と思って…そうしたら吉本興業の…まあちょっと偉い人が『寛平走ってる?おい、ちょっと寛平!』って呼ばれて『お前、青梅マラソン行け』と。『3時間切ったらギャラ、倍にしてやる!』…多分、僕がええ加減な男やから『無理や』と思ってたから『ギャラ、倍にしてやる』それで僕が2時間26分(30キロ)で走ったんですよ」国「わっ早や!」間「はい、それが2月の16日…」国「あ、覚えていますか…」間「本当に覚えていますわ…」国「それは言った人は後悔したでしょうねえ…本当にギャラは…」間「倍にしました」国「凄いじゃないですか!」間「はい、だから僕が倍にしたから、新喜劇のメンバーとかも…僕を上げて皆を上げへんわけにはいかんから全員、上げたんですよ」国「新喜劇の人たち全員のギャラが上がったわけですか?」間「上げていったんですよ」国「素晴らしい…」美「世のため人のためだわね☆」国「やってるじゃないですか、ちゃんと…」間「そうなんですよ…ま、そこだけやけどね…」国「いや凄いことですよ、それ」人生の転機となったマラソンへの新たな挑戦を控えた寛平さんに贈られるメッセージとは。美「さっきから色んなものが見えて大変でいらっしゃるところ、こちら…悩んでいらっしゃる…」国「はい、どこから…て感じですよね」江「最初に出た…マラソンに向かうってことで申し上げるのは、寛平さんはね、実は『やんちゃしてた』っておっしゃるけれども、何でも一生懸命やりたい人なんですよ。その一生懸命を見つけられなかったから、何か破天荒なことをしちゃったり自暴自棄にも思えてしまうような、そんな保証人になっちゃったり…何でも全力疾走したいんですよね…なんだけど、道が見つからないから今までそういう風な、遊んでたりというだけであって…それがマラソンっていうものが見つかったものだから今度そこに向かっていったらば全部こう…世の中においては地に足ついて非常に良くなったっていうだけのことで…何でも一生懸命やりたいし、そうやって煽られるとすぐにやる人だからそれを夢というものを使って、そういう方向を変えたんですよね」美「それともう一つ。瀬古さんが走っているのでね、あなたがデッドヒートして競り合っているという様な夢ね…あれは、瀬古さんじゃないんですよ。瀬古さんなら一番説得し易いから、瀬古さんの姿を借りて後ろについていらっしゃる方たちが方便(人を正しく導くための便宜的な手段)でもってそれをあなたに見せただけの話なの」間「…瀬古さんじゃないの、あれ…」美「方便なの☆方便で瀬古さんの姿を借りただけ☆」国「なるほど☆」江「それが一番分かりやすいから☆」間「ほな僕がイカンガーでもないわけですね?」美「そうそう☆」国「ある程度デットヒートさせたのは『楽しいよ』って意味もあったんですか?」美「だから指示を与えるのに一番分かりやすい方法、感じやすい方法の方便をね、使うわけよ」江「その人にとって一番刺激のあるところを突っついてくるのが面白いところなんですよね」美「一番分かりやすいところをもって、霊的な世界はそういう方法を使うのよ、いつも」間・国「へえー…」江「それで走るということ自体は、私は全然、不思議じゃないんですよ。何故かと言うと…あの…これ、二通りのことがあって一つには、寛平さんの後ろについていらっしゃる、守っていらっしゃる方、修行僧の人がいるんですよ。昔の修験者ね…あ、全然話が違うんだけれども、寛平さんがお寺に行く姿がよく見えるんですよ、私…で、寛平さんがご自身のことだけじゃない、ご自身の周りの人たちのこともお祈りされてるんですよ…願をかける、お祈りするっていうようなことで行っていてお坊さんに会うとほっとするんですよ」間「はいはい…」江「だからそれは、お坊さんのような格好の人、要するに全然縁のないお寺さんでも行ってお坊さんたちを見るとほっとするというかね…」間「はい、本当にそうです…はい…」江「でしょ?それはスピリチュアルな視点から言うと、寛平さんの守護霊さんでもあり後は元の前世の中にもあるんですけれどね…修験者というか修行僧であった…だからね、あの…これは不思議なことでね、マラソンとかを好む人の中にね、結構そういう昔の修行僧の人、いるんですよ。要するにね、千日回峰行(山谷を1000日間、歩き抜く密教の荒行)に似てるじゃないですか。ある種の修行であり、精神統一…」美「修験者ってね、崖を上ったり下りたりとか、逆さまになってぶら下がって…あれのことでしょ?」江「そうなんです。だってそれじゃあ世界一周、まるで千日回峰行じゃないですか、日数的にも」美「そうね。それのスケールの大きい…」江「一つの山でするんじゃなくて、地球という場所の千日回峰行するわけですよね。でね、さっき美輪さんがおっしゃっていたんですけれども…」美「天狗さん?」江「そうそう。『天狗に力を借りて行かなきゃ駄目ね』って言ったじゃないですか。だからあの…実は天狗信仰って、そういう修験道の中にあるんですよ」美「自然霊のね」江「ええ」現在もこの修行を行っている比叡山延暦寺の場合、7年間に渡り延べ1000日間、念仏を唱えながら山道を歩き続けるのだそう。その距離を合計すると、およそ地球一周分になるようです。江「あの、比企さんってお料理上手じゃないですか?」間「作ってくれます」江「何でも割りと作りますでしょう?男の人だと、割と面倒くさくて作らなかったりとかって多いんだけど、割りと何でも作られる方だと思うんですよ。それはどうしてかと言うとね、あの…修験僧仲間ですよ、昔の…でいて、比企さんの場合は、ご調理担当者だった…」美「お料理担当の修行僧」江「そう。だから要するに精進料理とか、そういうのを担当していた人ですよね」間「コツコツ、コツコツ作ってくれます、僕に…はい」江「だからそこからのご縁はあるんですよ、確かに…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 21, 2009
地球一周を目指す寛平さんには、大きな支えがあるようです。国「でも、これ最悪…死んじゃうかもしれないわけじゃないですか」間「……何てこと言うの…何てこと言うの…☆」美「縁起の悪いこと☆」国「ヨットの経験は本当に無いんですよね?」間「はい、ないです」国「比企さんは経験はあるんですか、ヨットの」間「大学時代にヨット部やったもんで…」国「大学時代、ヨット部…」間「そうなんですよ」国「で、どこか横断したりとか、そういう経験というのは…」間「あの…小笠原まで行ったことがあるけれど、物凄く泣いたらしいです☆『怖い、怖い』言うて…『神様、助けれくれー!』言うて☆」国「何回言うんですか、今回それ☆この(太平洋を渡るルートを指して)60日間の間に☆これだって、1ヵ月で『引き返そう』ってなったって、1ヵ月かかるわけですよね?」間「それやったら、行った方がええやん☆1ヵ月行って引き返すんやったら…」国「これ…過酷ですよね?本当に…二人だけですよね?」間「二人だけです」美「比企さんと二人だけ?」間「はい。60日ずーっと二人っきりでヨットの中に居てるわけだから…」国「ご飯も一緒に食べるわけですよね」間「僕、何にもせえへん人間やから、もう比企に言われたんですよ。『自分が食べたカレーライスの皿は自分で洗うようにしてくれ』と。途中でやっぱり、腹も立ってきたりするやん?喧嘩になるかもわからへんと…」美「で、また愛し合うようになるかもしれないしね」間「抱き合ってですか?」美「はい☆」国「そうですよ☆60日も一緒だったら、それは抱き合う時間も出てくるかもしれないですよ☆」間「絶対、比企はよう抱かんわ☆」美「大丈夫よ、向こうもそう言ってるから☆」間「ということは、僕が抱く方ですか、それとも僕が抱かれる方ですか?」美「そんなのは私は知るわけはない、勝手にすれば☆」間「見て分かりません?見てもらいたいんですが、そこも☆」美「勝手にすれば☆」国「でも、親みたいですね、比企さん」間「そうなんですよ」国「『ちゃんとカレーのお皿は自分で洗って下さいよ』とか、スケジュールも全部組んでくれたりとかっていう…本当に比企さんがいなければ…」間「そうなんです、はい…」比企啓之さんの言葉「まあ僕としては、言いだしっぺは寛平さんで、企画したのが僕なので、もう何が何でも届けないと駄目なので…あの…頑張ります」ヨットの経験が全くない寛平さんの訓練のみならず、2年半の旅にも同行されるのだそうです。国「今どうなんですかね、スタートして1ヵ月経って、比企さんとの関係っていうのは…間違いなく、海ですものね」間「はい…でももう、その時は…もう大変な状態になってると思うんですよ」国「と言いますと、どんな…」間「まあ冬の海ですから、まあ荒いんですよね、やっぱり」国「波が…」間「はい」国「その経験というか、体験はしてきてるんですか?」間「…いいえ…」美「いや、だってあの堀江さん(堀江謙一さん 1962年 太平洋単独横断に成功 1974年 単独無寄航の世界一周を成功)だってね、『もうこれで年貢の納め時で、もう死ぬな…』と思ったことが何度もあるっておっしゃっていた…」国「それだけ過酷なわけですよね…もうすぐ還暦なんですよね?」間「そうなんです。だから還暦はね…(地球儀を回して)多分この…アメリカ大陸を走って、欧州の…この辺…」国「フランス辺りですか?」間「そこ位ですね…」国「…で還暦を迎える?」間「はい…」国「それはそれで、楽しみと言えば楽しみですよね」間「だけど、誰も居てないんやで…」国「『おめでとう』って言ってくれる人が☆…あ、ここはもう比企さんも居ないんですか?」間「居てない…もう比企は…(大西洋から欧州到着地点のリスボンを指して)ここに着いた時点で、もう車で潰れている(解体した)ヨットを陸送して(ユーラシア大陸最終地点である中国の青島を指して)ここに持ってきて(組み立て)直さないかんから…」美「じゃあ比企さんも大変だわね」間「大変なんですよ」美「あーやだやだ☆」国「大変ですよね…」美「でもこれだけ…いま説明していただいたから『大変だな』と分かったけれど説明を聞いていない一般の人たちは『ええ?』って思うでしょうね、これをご覧になった方は」間「はあ…」美「如何に大変かピンとくるんじゃないですか?」間「はい…」国「そのスケジュールっていうのも、ほぼ毎日走っていたり…」間「毎日…そうですね、50キロは…」国「…50キロですか!」間「毎日」国「毎日50キロですか?」間「毎日50キロ走らんと、着かれへんねん」美「でも海も、波もあれば時化もあるし大変でしょう?」国「全然進まない日もあるわけですよね」美「凪なんて言ったら波がそよとも吹かないんですものね」間「そうですね…辛いですね、そういう時は…」美「もう天狗さんに頼んでね、風を吹かせてもらわないと☆」間「そうですね…」国「これは何が起こるか本当に分からないわけですよね」間「本当に何が起こるか分からないですよ」今年1月1日に千葉県の鴨川港を出発した直後、大時化(おおしけ 海がとても荒れること)の予報が入ったため進路を変更、千葉県千倉港に避難し3日に再出発され、1月15日現在、日本から2056キロ進んだ太平洋上を航行中とのこと。順調に進んで60日間、比企さんと二人きりの航海が続くそう。吉本新喜劇の座長として活躍する一方、仕事が終わると朝まで飲み続けたり、借金してギャンブルに熱中したりと、破天荒な生活ぶりだった寛平さんを公私に渡って支え続けてくれたのが比企さん。「歩くハンコ屋」と異名を取るほど人の良さに付け込まれ、他人の借金の保証人となり借金地獄に陥ったのを救ってくれたのもマネージャーだった比企さんだそうです。国「何ですか、この『歩くハンコ屋』というのは…」間「いやまあ…僕もいろいろ借金があって、まあ何て言うんですか…」美「人が良いから騙されちゃうのよ」国「それは…頼まれるんですか?『ちょっと…押してもらっていいかな?』って」間「そうやねん…頼まれんねん…」国「それは断ったことがない感じですか?」間「…断ったこと…ないですね…」国「どこかで『ヤバイかもしれないな』と思いつつも…」間「…いうのもあんねんけど、押してまうん…」美「だって私たちも、こんなにたくさん貰ったわよ」国「何がですか?」美「『アメーマー☆』って、アメマバッチ(10万個生産して約6000万円の借金が発生)☆さんまちゃん達と☆」国「あれも相当な赤字…」間「そうですね…借金を返すために『一発当てたろう』と思ってアメマバッチを作って…」国「そうなんですか、借金が溜まってきたから…」間「アメマバッチでね、当てて…自分で勝手に作って、またどえらい目に遭うとか…『これだけ残ってるから、だからこれだけのお金を払え』って裁判したんですよ。『アメマバッチの契約に判子を押したのだから、アメマバッチのお金を払ってもらわないといけない』僕はやっぱり『いや、アメマバッチに、何でこんなん1個630円かかるねん。こんなもん『ICが入ってる』とかどうのこうの言うてるけどIC入ってへんやん』って言うてたら、裁判官が『アメマとは、どういう意味ですか?』☆」国「そんなことよりも、アメマの方が気になっちゃって☆裁判官は」間「裁判官は、アメマ知らんもん☆」国「大人同士が『アメマ、アメマ』言いながら…☆」間「そうそう☆後ろで、それを見に来てた人、みんな笑ろてたで☆」国「最終的に、借金はどうやって返していったんですか?」間「そうですね…まあ比企が…」国「またここで比企さんが出てくるわけですね」間「そうなんですよ。あの…とりあえず『自分で営業は行くな』と。『この一年後は必ず借金を返せるように僕がしてあげるから』…」国「『僕がスケジュールを組むから』と」間「『組む』って言って…『このままこうして払ってゆけば、何年かで返せるな…』っていうところは、比企が全部、作ってくれたんです」国「これは比企さんがいなかったら、もしかしたら今も借金はたくさん残っている可能性もありますか?」間「あるでしょうねえ…」美「でも素敵な人ね、比企さんてね」国「そうですね」間「『僕が一生懸命頑張って何とかする』と、そういう具合に言うてくれたんですよ…」美「なかなかそんなマネージャーいませんよ」間「はい…」国「比企さんの存在は大きいですね、寛平さんにとって」間「はい…」国「奥さんと結婚されて、それだけ借金が溜まってくると、奥さんから『別れよう』なんて話とかは出ないですか?」間「いや、僕が切り出したんですよ」国「寛平さんの方からですか?」間「はい。『お前にも迷惑がかかるから別れよう』と。そうしたら嫁がね『あんたが緒形拳になったら別れてあげる』と。『今は別れられへん。この状況では』って言われたんですよ。『もしあんたが、ちゃんとできて緒形拳くらいの役者になったら別れてあげる』という風に言われて…」美「粋じゃないの☆ねえ…そのセリフ」間「まあ…『一生懸命…ついてきてくれるんか?こんなに借金あるねんで』って言うて…はい…」国「物凄く周りの人に助けてもらってますね」間「だからすんごい助けられて…もうみんなに…僕、自分の力って何にもないですもん…」国「いや本当だよ、寛平☆」間「…呼び捨てにしてもいいよ…☆もうほんまに…」国「これは凄いですね…こんなに助けてもらって…」美「結局、助けようという気持ちになるような相手だから、助けようという気持ちになるんでご本人が嫌な奴でエゴイストで自分のことばっかりで、本当に欲だらけの人だったら誰も…『こんな奴…』と思うから、みんな逃げて行って放ったらかしますよ。だけどやっぱり、心がちゃんと優しい、善良な人だから皆さん、そういう気持ちになるんですよね」国「なるほど…」間「いやもう…本当にお世話になって皆に…」美「人柄がよろしくていらっしゃるからよ。世の中っていうのは、最後に物を言うのはね、何の商売でも人柄ですよ」続きます。「オーラの泉の日記」
January 20, 2009
地球一周のアースマラソンに挑戦中の方がゲスト。【スピリチュアル・チェック】☆ 自分の性格をひと言で→うーん…弱い。☆ 苦手なもの→人間以外の生き物☆ 好きな言葉→若いとか、青春とか、好きですね。☆ 不思議な体験→夢で見たマラソンですか…☆ アースマラソン出発前の今の心境→まあ不安なんですけど、一歩を踏み出したらがむしゃらにとことんやりたいですね。国「さあ、寛平さん☆何か凄いことをやろうとしてますよね…と言うかこの番組がオンエアされる頃には、もう出ているという状況なんです、寛平さんは(昨年12月のアースマラソン出発の直前に番組は収録されたそうです)」間「はい、そうですね。太平洋…小笠原より…」国「…行ってる感じですか?」間「まあそうでしょうね」国「まだスタートする前に、このオーラの泉ですけれども…本気で相談したいことがあると…」間「誰がモンキィやねん…☆」美「…出た☆」間「ありがとうございます☆」国「本気じゃないじゃないですか☆」間「すみません☆…俺、物凄く真剣な顔していいんかな?こんな真剣な顔したの…何十年ぶりかやねん」国「番組で☆」間「番組で」国「いや、でもまあ、スタート前に、本当にちゃんとね、聞きたいことは聞いてから行った方がいいですものね」間「そうですよ。何かちょっと…この番組が怖くて…何を言われるかっていうのも心配やんか…」国「…ということは、この番組をご覧になられたことはありますか?」間「あります、あります…こうカメラが…ずーっとこの辺、回りながら撮る時あるやん?なあ?ああいう時なんか、怖いよなあ」国「その場所に、今いるわけですよ、寛平さん」間「そうですよね…」国「本気の顔を…」間「誰がモンキィやねん☆誰がモンキィの顔やねん☆」国「…まあ、そのアースマラソンもそうですけれども、それこそ江原さんに見えていること、この挑戦に何の意味があるのかということも、やっぱり気になりますよね」間「あ、そうですね、はい」国「今日は地球儀を用意したんですけれども…これ、寛平さんが通るルートですね」間「そうです」地球儀には日本から太平洋に向かって赤いラインが引かれています。国「ええっと…大阪でしたっけ、一番最初はそうですね」間「まあとりあえず…大阪のNGK(なんばグランド花月)あそこをスタートするんですけれども…舞台から」国「舞台からですか!」間「はい」自分の足と風の力だけで地球を一周するアースマラソンは2008年12月17日に大阪をランニングで出発、14日間をかけて12月30日に千葉県鴨川市に到着、現在はヨットで太平洋を横断中。2009年2月にロサンゼルスに到着した後は、再びランニングで120日間をかけてアメリカ大陸を横断、約4500キロを走破して6月にニューヨークに到着。さらに大西洋を30日間かけてヨットで渡り、7月にポルトガルのリスボンに到着。欧州からアジアへ約14000キロ、400~550日間でユーラシア大陸を走り、2011年2月に中国の青島に到着してヨットで鹿児島へ、最後は約900キロを走って3月に大阪に到着予定。順調に進んでも2年半はかかるとのこと。国「何でこんなことをやろうと思ったんですか?」間「そうですね…あの…今まで、いろいろなきついことをやってきてどんどん歳をとってきたら、もうスピードもないし『もう限界やな』と思ってたんですよ。でも、何か最後に…何かやっぱりやることないかなあ…とかいうのがずーっと頭にあったんですけど…」国「いつ頃からですか?」間「そうですね…もう5年位前から…」国「あ、5年前から?」間「はい…それで、この3年位前ね、何か…バーン!と降りてきてね…この頭のてっぺんの…ペコペコに…」国「てっぺんのペコペコに☆」間「ここ…ペコペコってするとこ、あるやん(頭を指で押さえて)」国「…間さん…今、いくつですか?☆」間「…甘えん坊☆」国「…このペコペコするところに☆…何かが…落ちてきたんですか?」間「そう」国「ドーン!と」間「バーン!と落ちてきて『地球一周や!』と…」国「もうそれが落ちてきたわけですか、ドーン!と」間「はい。『そうや、地球一周や!これやろう!』と思って」美「感触としては、どんな感じの当たり方だったんですか?」間「そうですね…ぺっこーん!と…☆…」壮大な計画を思いついたものの、陸以外の海をどうやって進むかという難題を解決するに当たっては、いつも寛平さんを支えてくれる方の力が大きかったようです。間「『地球一周するのには、どうしたら…そうや、比企(比企啓之さん 現在は『よしもとデベロップメンツ社長』)や!』と思って、20年前に僕のマネージャーをやってくれていた比企に電話を入れたわけです、そこで。比企は、僕がスパルタスロンという長い距離を走る時には『そうするためには、どうすればいいか』というのを考えてくれて…」国「あ、そうなんですか。スケジュールを組んでくれたりしたんですか」間「組んでくれて…乃木坂から富士山のてっぺんまで走らされたりとか乃木坂から大阪まで走ったりとか…その練習をさせるという…きついんですけど…」国「スタートは全て、乃木坂なんですか?☆」間「何か知らないけれど、乃木坂なのよ☆…そういうのをやってくれるんですよ、いつも、組んで…吉本興業というのは、大体3年、マネージャーがついたら離れるんですけどもう離れて17年位になるんですけど、僕は比企に電話を入れたんですよ。『そうや、比企や!』と思って。それで『地球一周をやりたいんだけど…ちょっと話を聞いてくれへんか?』『あ、いいですよー』って言って…」国「あ、冷静なんですか?『そんなことやるんですか!』っていう驚きとかは無く…」間「『はいはい分かりました、いいですよ~』っていう感じだったんですよ」国「もう分かっていたような感じですね、それは…」間「はい。それで『僕が考える』と言ってくれたんですよ、比企が。で、日本というのは北緯35度だと。(地球儀上の赤いルートを示して)北緯35度をこう周ったら、一番皆に分かりやすいやろうと…こう考えてくれたんですよ」美「なるほどね…」国「そういう意味があるんですね」間「北緯35度を周ると、これは海があると。『海は悪いんやけど、手漕ぎで行ってくれへんか?』と☆」国「手漕ぎで☆」間「『手漕ぎでずっと行くんか?』☆」美「それはねえ☆」間「『手漕ぎで行ったら多分…(腕を触って)こっちが足みたいになって(足を示して)こっちは使わへんから細っそうなるぞ』って☆『そんな…(アメリカ大陸を示して)ここへ着いた時に(フラフラと)こんな状態やぞ☆これは無理やぞ』…『それやったら、今はエコの時代だから自然の風と自分の足で周ろう』ってなって…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 19, 2009
1月17日(土)のゲストは間寛平さんですね☆***箱根駅伝に繋がる親子の絆の物語をご覧になったゲストの方々のお話が続きます。つ「羞恥心のメンバーも凄く、何か本当の兄弟みたいで、みんな歳のバランスも性格のバランスも、凄く一緒にいて楽しいし、みんなのことを尊重し合っているんですね。こいつら本当に可愛いなって思うし、本当に一緒にいて楽しいんですよ」美「だから、そういうのを家族っていうの。だから松岡君にしても(太一くんを指して)あなたにしても、まあ生まれの家族はいるでしょうけれどもTOKIO、あれが家族なのよ。家族っていうのは、さっきね、VTRを観ていていみじくもね、ご対面はしたんだけれども、話が無くて所在が無くてそれでマラソンの話だけは共通点があってしたんだけれど、後は何も話すことが無くて…だから、血の繋がりが家族じゃないよってことなの。お互いに手を取り合って、荒波を乗り越えて、試験があって、嵐があってねそれをアップアップして溺れそうになって、また岸まで泳ぎ着いて『ああ、良かったね』…それの繰り返しが人生でしょう?それは共に生きてきて、歳を取った時に『あのとき、こういうことがあったね』…それが家族なの」国「そうですね…船越さん、どうですか?」船「本当に僕はもちろん、それを信じていますし、あの…まだうちは子供も19歳ですけれども、でも、もう振り返れますね。『俺って、お父さんの作品みたいだよね』なんてうちの子供が言ったり…するのよ、最近」国「ドキッとしません?それを言われたとき」船「ドキッとする。俺、泣いたりする、その時☆」国「可愛い☆…なりますよね☆」松「可愛い可愛い☆それはなりますよね☆」国「そんな言葉…もう泣きますよね…今日は絆ということをテーマに色々と観てきましたが…どうでしたか、つるの君」つ「僕はもう本当に凄く有り難いことに、あの…凄く幸せなんです。だからそういったものを何かこう…こういう場で再確認できて明日からまた、今日もですけど『頑張ろう』っていう気になりましたね」国「どうでした、松岡君」松「いや、何か…凄く面白かったですね、色々と」美「でも、番宣の方が頭にずーっと☆」松「いやいや、番宣は別に大丈夫なんです…」美「ご自分の口からおっしゃって☆」国「時代劇を☆」松「そうですか、じゃあここで番宣をさせていただきます☆」「必殺仕事人 2009」の連続ドラマが1月9日金曜夜9時スタートのこと。国「先輩の東山さんと…」松「後輩の大倉と、三人でやってます」美「ぜひ拝見します☆」松「ありがとうございます」国「さあ、櫻井さん、どうでしたか?」櫻「いやもう本当に勉強になりました。母として、はい。本当に今日来て良かったです。ありがとうございました」櫻井さんご出演の連続ドラマ「特命係長 只野仁」は1月8日木曜夜9時スタートのこと。国「さあ船越さん、どうでしたか?」船「改めて、やっぱり原点は家族、そして家族の絆なんだな…まあ色んなニュースがあるっていう…でも、そのねこの一番核になるところが、ちゃんとしてれば、そんなニュースも減ってくるんじゃないかなっていうことを、改めて勉強させてもらったような気がします」国「いやあ、さすが…やっぱりMCも増えるわけですね☆素晴らしいまとめですよ☆」【スピリチュアルメッセージ】 ☆ 2009年は「怒り」に注意。恨みや憎しみの“悪想念”を抑え、いたわり合い助け合う“愛念”を。必要なのは「調和」です。【オーラの言葉】☆ 着るものがある 食べるものがある 雨露をしのげる家がある 愛する家族に愛を伝えることができる すべてに感謝読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
January 8, 2009
自身のがん治療よりもお子さんの命を守った母親の物語を観たゲストの方のお話が続きます。国「そうですね…松岡、どうですか?」松「まあ…どうなんでしょうね…きっと悲しいし大変なんだろうけど…この番組に出てるせいかですけど、きっとよく江原さんとか美輪さんがおっしゃるようにこういうことをきっかけに来世で一緒になったりするんじゃないのかな…みたいなね。もちろん現世で亡くなることは悲しいし、90歳まで生きる方もいらっしゃれば生まれた次の日に亡くなる方もいて、もちろんみんな悲しいんでしょうけど死って一緒だと思うし…そこに取り巻くものが、きっと悲しいんだと思うんですよね。ご本人も、もちろん悔しいだろうし…だから、よくこの番組を観てるとそこが唯一の救いかなって。『実は前の、前世で一緒だったんですよ』みたいなのを聞くと『あ、今、だから幸せなんだね』みたいな。どうしてもハッピーエンドが好きな僕としては、そういう方を願ってしまいますね」美「でも良い視聴者ね☆こういう視聴者…だからね、江原さんもいま観ていてそう思いになったんでしょうけど、あれは死んだんじゃないんです。松岡君が今、いみじくも言ってくれたように、ずーっと子供と共に生き続けるの」松「…そうあって欲しいですしね、やっぱり」国「言葉としてだったり、本としても、ああやってメッセージを残すという晃子さんは素晴らしいですね、本当に…」美「でも、断腸の思いよ。愛している者を残して」江「…本当に松岡さんがおっしゃった通りで、だから取り巻く事柄にいろいろな不幸があって。確かに傍に居られないのは辛いことだし、ご主人だって寂しいだろうし…でも、それ以外のところでは美輪さんがおっしゃったように私はやっぱりずーっと一緒っていう風に思うんですよ。で、私はやっぱり人生で大切なのは『どれだけ長く生きたか』ではなくて『どれだけ(思いを)こめたか』だと思う。こめるって、見えます?」国「見えないですね」江「これがスピリチュアルなんですよ。要するに、お母さんでも『子供とどれだけ接することが出来るか』って言うけれども、そうじゃない。どうしてみんな、時間で計るんだろうかって。要するに『居る間にどれだけこめるか』っていうことをしてるか。それは親子だけじゃないんですよ。こういう場でも、お友達でも、家族でも、会った時間内にどれだけこめているかっていう…」美「密度ね」江「密度。そうするとね、悔いがない。だってあのお母さんがおっしゃっていた。『みんな一人で生まれて 一人で死んで行く』」国「そうなんですね…あの状況で、すごいことを…」江「でもね、国分さんね、私こんなことを言うと、また水を差すようであれなんだけど…たくさんいらっしゃいますよ、こういう人…」国「そうですね…」美「そう」江「たくさんいらっしゃる…みんなそれぞれ、ドラマがあります」国「船越さん、どうでした?」船「いや…やっぱり触れ合っている時間の長さで何が計れるかって言ったら何も計れないような気がするんですよね」美「密度ですよね、愛情の密度」船「密度ですね。だから時間って、僕たちこうやって普通に生きてると時間に感謝することも忘れちゃって無限にあるような気がするんだけど本当は限られているものですからね。だからこういうものを観るにつけ、やっぱり今この瞬間を本当に大切に生きてゆかなきゃなっていうのは、本当に思いますよね。すぐ忘れちゃうんですよね」国「そうなんです。忘れちゃったりするんですよね、これがね…」船「こうやって思い出させてくれる場所があるのは、すごく素敵なことで…」美「忘れるのよね…」国「そうなんですよ。何で何となく生きちゃうんだろう…」美「いや、だからその度々に、この番組をご覧下さい☆」国「そうですよ、本当に…」【スピリチュアルメッセージ】☆ 子育てに必要なのは「お金」や「手間」をかけるよりどれだけ真心を「こめる」かです。***心に響く愛の話 第三話 1975年、第55回箱根駅伝で当時、早稲田大学のエースだった瀬古利彦さんからトップでたすきを受け取った作家・黒木亮さんは数年後、親子の深い絆を知ることになりその体験を自伝的小説「冬の喝采」にまとめられます。黒木さんは北海道出身、生後間もなく両親が離婚。神社の神主さん御夫婦に引き取られるも生みの両親のことは知らないまま。幼い頃から長距離が得意で中学の頃には全国でも指折りの選手になり、受験勉強に励んで早稲田大学へ。入学手続きのため北海道から上京したお父様が持参した戸籍を見て初めて出生について知ることに。生まれてすぐに養子になったことを告げられても、黒木さんは意外なほど冷静だったそう。黒木さん「育ての親が充分、愛情を持って育ててくれてましたし現状に何の不満もなかったですから。『僕のお父さんとお母さんは、お父さんとお母さんしかいないから、よろしくお願いいします』と頭を下げたら、あの…父親は涙を溜めて肯いていましたですね…」早稲田大学で競走部に入った黒木さんは、すでに日本のトップランナーだった瀬古選手と共に箱根駅伝に選ばれ、三年生で往路の三区、四年生で復路の八区という戸塚から平塚までの同じ地点を結ぶ21.5キロを走ることに。卒業後は銀行に就職、30歳でロンドンに赴任することが決まった時「海外では何が起こるかわからない。生みの親に会っておきたい」と住所を探し手紙を書いたのだそうです。黒木さん「あの…返事が来ないかな?と思って出したんですけれども、すぐに返事が来まして…まあ多少、びっくりしたんですけれども、非常に嬉しかったなという気持ちでした」手紙には、自分たちの手で育てられなかったことを詫びる言葉と共に実の父親・田中久夫さんが明治大学生の時に箱根駅伝を、しかも三区、八区と黒田さんと走った区間まで同じ写真が同封されていたのだそう。田中さんは大学卒業後、北海道で教員となり、陸上競技の審判員を務め陸上で活躍する黒木さんが自分の息子であるということにも気づいていたのだそうです。黒木さん「あの…中学校時代とか高校時代の、僕の走る姿を競技場で実の父親が観ていたと。もう本当に、目の前を僕が走り抜けて行ったというのを観ていたそうです」審判員として、また箱根駅伝でも見守り続けてくれていたという30年ぶりに届いた手紙。それでも黒木さんが本に綴られた言葉は「私は冷めた気持ちで手紙を読んだ。自分にすでに30年以上かけて出来上がった親子関係が存在している。養父母は愛情を持って育ててくれ、養母は私が学校を卒業するたびに『こんなに大きくなって』と泣いた。30年の間には、たくさんの涙、喜び、苦労、葛藤、病気があった」40年ぶりに再会したときの素直な気持ちを語る黒木さんは「僕らはその…生後7ヶ月で生き別れになってしまったので、あの…親子の歴史っていうのがないんですよね。ですから、実質的に初めてあった時でも話すことがあんまりなくて、お互いに困っちゃったんです」二人の共通の話題は、やはり陸上競技のこと。箱根駅伝のたすきのように、走る才能を与えてくれた実の父親とその才能を愛情をこめて伸ばしてくれた育ての親という二つの絆で黒木さんの存在は結ばれているようです。***国「熱い絆の話でしたけれども、こんなことがあるんですね…どうでした、つるの君」つ「全く人生の中で接点がないから、お父さんの背中を見ていないまま…こういうところで開花して偶然にも…っていうのは、すごく不思議な気が…」国「同じ区間を走っていて…」つ「親の遺伝子って凄いなと思いましたね」美「まあ…だから江原さんや私たち流に言うと、遺伝子もあるけれどそれはやっぱり前世とか、つまりソウルメイトっていう魂のね、故郷とかそういうものから見ていった方がいいわね」江「それこそ船越さんのところは、むしろお子さんとの方が魂の絆は強いんですよ」船「そうですね、これは間違いないですね☆」美「前世で親子だった、でも今世では親子ではないのよね」船「そうなんです。でも顔も似てますしね…」江「そっくりですね。だからそういった意味では魂の方でむしろそちらの方が絆が強かったりとかね。だから全然、マイナスで『ええ?』って不安に思う人もいるでしょうからね、気にすることは全然ないんですよ」松「それはいいですよね。そう思ってる人、多分いると思いますよ」船「本当にそう思います。もし血だけを信じるなら、俺は…『何なの?僕は』ってことになっちゃいますから☆」国「そういうところで悩んだこともありましたか?」船「悩む暇がなかったですね。最初はやっぱり、一緒になった時はね。あの…『ちゃんと親子としてやってゆけるだろうか』っていう、最初に不安はありましたけど『せーの!』で始まったら、もう息子の方がそんなことを悩ませてくれるような隙を与えませんでしたね、僕に。もう…本当に…『こんなことをしても、お前は俺の親だって言えるか?』とかね、いつも何か僕を試していたし…」国「へえ…」船「だから、あっという間に僕も裸にならなきゃいけない。向こうが裸でぶつかって来てるのに、こっちだけね、洋服着てるわけにはいかないんで。そうした時にフッとこう…僕が想像していたのは『5年かけてゆっくり親子になりましょう』と思っていたんですけど、もう半年とかで…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 7, 2009
Jリーガーから車椅子バスケット選手としてパラリンピックに出場された京谷和幸さんと支え続ける奥さま・陽子さんの物語をご覧になったゲストの方々のお話が続きます。国「どうですか、船越さんは、そういう奥さんの絆とかっていうのを感じる時っていうのはありますか?」船「もう存在自体が僕を支えてくれている感じですからね。これはでもきっとね、人間って自分のために頑張れることってそんなにないんじゃないかって思うんですよね。自分のために本当に100%力を出し切れるかっていうと『どうかな?』って思うんですよ。彼も奥さまがいらっしゃらなくて『自分のために何とかしなきゃ』って思うんだったらパラリンピックまで行かれなかったかもしれないなって…」美「そう」船「やっぱり『それだけ自分を支えてくれたこの人のために、何か僕はしたいんだ』っていう思いが、あそこまで彼を強くしたんじゃないのかなっていう風にはちょっと思いましたね」美「だからこういうのを観るとね『ああ、日本もまだまだ捨てたものじゃないな』と思いますよ」国「櫻井さん、どうですか。妻の立場から、この映像を観るというのは…」櫻「映像を観ていると思ったし、皆様の話を聞いていると本当に自分って未熟だなと思ったんですよね…何でしょうね…自分は支えてもらいたいって思っちゃうんですよね…」国「すごく分かる。僕もそうなっちゃいます」櫻「本当ですか?どっちかっていうと、手の平で転がして欲しい。だから支えてて欲しいっていう感じだったので、私もちょっと…主人を支えてあげなくちゃいけないっていう気持ちになりました…」美「でもそれはね、あの…奥さまの新人だからよ。だんだんね、奥さま業もねプロになっていって古狸になると、そこら辺の加減が分かってきますよ…そう、結婚するのも初めてなんだから。子供を生むのも初めてでしょ子育ても初めてでしょ?初めてだらけだもの。初心者は上手くいかないの…」江「魂の上でも初心者なんですよ」美「あ、そうなの?…始まった☆はじまり、はじまり…☆」櫻「…(右側に座っていた松岡さんが体をずらしたので)何で離れるんですか☆」松「櫻井さん、初心者なんですか☆」櫻「…みたいです☆」江「初産でも、デンと構えている人っているじゃないですか?『あれはどうしてなんだろう?』前の世でも、しっかりそういうことをしてたりするんですよね。でもね、今回が初めての結婚だったり、初めてのお子さんを持つことだったりねそうすると何から何まで分からなくて凄く神経質になってパニックになっちゃうんですよ」美「だから前世も、結婚したり子供を産んだことがなかったのね」江「そう、今回が初めて」松「おめでとうございます☆」櫻「ありがとうございます☆」国「今日、聞けたのは大きいですよね、この話はね」櫻「はい」美「それにしてもいいわねえ、あのご夫婦ね」国「ねえ、本当に」江「ただ一つ、冷たく聞こえたらいけないと思うんですけど、あの…人生ってそういうものなんですね。美輪さんがいつもおっしゃるように何かを失うと何かを得る…だから極端なお話のように見えるかもしれないけれど私、みんなこのご夫妻と同じだと思うんです、どの人も。何かみんなある、どんな人も。この世に生きている人は、みんな何かしらの十字架を背負ってると思うんですよ。それは表面で見えないこともあるじゃないですか、いっぱいで。だから例えば、身体に及ぶ方もあるかもしれないけれども色んな、みんな何かしら持っている。同じなんですよ」美「私ね、今までの人生の中でね、ずーっと色んな人を見てきてね、とにかく羨ましい人って1人も見たことがないの。羨ましいなんて世の中にいませんよ。みんなね、いみじくも江原さんがおっしゃった通り、街を歩いている人たちこのスタジオの中のスタッフの人たち、ゲストの皆さん、何かしらのね大なり小なり痛みや苦しみや、それを抱えていない人はお目にかかったことがないわよ。だから人を見たらね『あぁ、お互いに大変ですね、ご苦労さまですね』初対面の人でも言ってやれば当たっているのよ。そういうことになっているの」江「だから私も必ず言うんですよね。『人を羨む時には、その人の持っている苦労も欲しがって下さい』」松「素晴しい」国「こうやってVTRを観て、僕らがそれに気づくということもとっても大事なことですよね」美「そうそう。だからこれは…☆」国「『必然』なんですよね、観ることは☆」松「ツーと言えばカーですね☆」美「はい☆」国「キューをうってくるんですよね☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 痛み・苦しみ・悩みを抱えていない人はいない。人を羨むならば その人の苦労も欲しがって下さい。***心に響く愛の話、第二話は、ガンで亡くなられた若いお母様の物語。36歳で逝去されたテレニン晃子さんは「自分の命をとるか?赤ちゃんの命をとるか?」という選択を迫られました。晃子さんが残したメッセージ「赤ちゃんがこんなに可愛いとは、ママは知りませんでしたよ。ゆりちかが笑うと本当に可愛くてこっちも幸せになります。その笑顔もこれからもずっと見ていたいのですが何があるか分からないのでママがゆりちかに話したいことを書きます」佐賀県に生まれた晃子さんは、共稼ぎだったご両親に面倒をかけない手のかからないお子さんだったそうです。妹の尚子さん「すごく頼りになるお姉ちゃんでしたね。『お姉ちゃんがいれば大丈夫だ』みたいな感じでした」福岡でウェブデザインの仕事をしていた晃子さんはIT企業で働くロシア出身のレオニド・テレニンさんとお付き合いを始めます。レオニドさん「旅行とか遊びにあちこち…いつも一緒に行きました。結婚の前に普通の生活を一緒にやっていたから楽しかった」2002年4月にご結婚、懐妊されたのは3年後の夏。尚子さん「『なかなかできん』と言っていて、私が先にできたので…そうしたら『できたとよ』って連絡があって、その時はすごく嬉しそうでした」母親になる喜びを味わっていたとき、晃子さんは体に異変を感じたそう。晃子さんのお母様「『お母さん、腰が痛いとよね』って言い始めたんですよ。『妊娠中の腰の痛いのはあまりよくないから、ちゃんと調べてもらいなさいよ』と言ったんですね」病院で検査すると、5年後の生存率が40%という悪性の腫瘍が脊髄にあることが判明。抗がん剤投与、放射線治療は胎児に悪影響を及ぼす恐れがあるため「子供が無事に生まれる保証はない」と告げられます。お母様「子供を産むのは、私は反対だったんですね。『子供のいない夫婦は数多くあるんだから、子供はいなくても夫婦は夫婦なんだから体を、あなたの病気を治しなさい』って言ったんだけど…」「自分の命をとるか?赤ちゃんの命をとるか?」という選択を迫られた晃子さんが「この赤ちゃん、本当に欲しい?」と訊ねると「ごめんね、ママも赤ちゃんも両方欲しい」と泣きながらご主人は答え晃子さんは気持ちを固めたそうです。晃子さんが残したメッセージ「ママはパパに約束したの。パパに健康な赤ちゃんをあげるってね」2006年2月6日、帝王切開で無事に生まれた赤ちゃんは日本でもロシアでも通じる「柚莉亜(ゆりあ)」ちゃんと名付けられ、ロシア語で「ゆりちゃん」という意味の「ゆりちか」という愛称で呼ばれるように。出産後、過酷ながん治療が始まり、足が麻痺した晃子さんは車椅子の生活へ。レオニドさんに支えられながら出来る限り柚莉亜ちゃんと過ごし万が一に備えてメッセージを残すことに。インタビューに応えて「男の人の口からは絶対に出ないようなことってあるでしょ。ね?だからそこは私が言っておかないといけないなあって思うことが多くて…思春期の頃とか、恋に悩む頃とかに、私はもういないかもしれないと思ったら『あ、何か書いておかないと…』」おしゃれ「ゆりあには おしゃれを楽しんで欲しい。たくさん たくさん 可愛くなってほしい アクセサリーも楽しんでほしい ママのがあるから使っていいからね」恋「どっきどきの恋は楽しいよ 相手の気持ちが分かるまでは はらはらどきどきで 相手の反応に一喜一憂で忙しいです」ガンの痛みと闘いながら柚莉亜ちゃんと過ごしていた晃子さんでしたが2007年3月にはガンが脳や首にも転移し脳出血のため再入院。痛みでペンを持てないときはテープにメッセージを残したそう。「パパにはママが必要。それにゆりあにはママが絶対必要。だからママは気持ちでは病気に負けません。今 ママがいなくなったら二人とも本当に困っちゃうもん。いなくなれないもん いなくなれない!だから気持ちでは絶対負けない!」インタビューに応えて「だいぶ片言が出てきたから嬉しいんですけど…パパは言うんですけどね『パパ』って。ママは言ってくれないんですよね。それが今の目標…」柚莉亜ちゃんは歩くまでに成長するも、晃子さんの病状は進行。お母様「あの我慢強い人が…『お母さん、助けて』って言ったんですよ…」晃子さんが残したメッセージ「ママの体はよくなりません。せっかくゆりちかを産んで せっかくこんなに可愛い赤ちゃんを産んで 赤ちゃんにはお母さんが、絶対、絶対、必要なんですけどあなたにいっぱい話したいことがあるんですけどママはあなたと一緒に生きることができないみたいです」残された時間が僅かであることを悟り、柚莉亜ちゃんが『女の子として自分と同じように悩む時が来るはず』とその日のために思いつく限りのメッセージを綴った晃子さん。「人間は一人で生まれて一人で死んで行くんだから さびしいけどさいごのさいごは一人なの。だから生きている間は いっぱい好きな人と一緒にいて 楽しい思いをするのよ」2008年2月25日、柚莉亜ちゃんが2歳になるのを見届けて逝去された晃子さんの思いは今も生き続けています。「ゆりあ あなたはママが生きる目的です」***国「櫻井さん、どうですか?」櫻「…苦しいですね…観ていて…母として傍に居てあげられないっていうのは本当に…でも、何か…妊娠して『自分の命をとるか?子供の命をとるか?』っていう選択を迫られた時に私もきっと晃子さんと同じ選択をするだろうなと思ったんですよね。命ってかけがえのないものですし、自分の体に宿ってくれたってことは本当に有り難いことだしだったら自分の…命よりも、犠牲にしてでも守ろうって…それが母親なのかなっていうのを…まあ初心者ですけど、すごく感じました」美「素敵ですよ」国「つるの君はどうですか?」つ「…うーん…僕はもちろん男性ですから、子供産めませんけれど…柚莉亜ちゃんにとってはすごい…まあお母さんはずっと生き続けているんだろうし…物凄い財産を柚莉亜ちゃんはお母さんから貰ったんだろうなって気はしますね…ちょっと…考えさせられますね…これはね…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 6, 2009
年末に放送されたスペシャル。ゲストは船越英一郎さん、つるの剛士さん、櫻井淳子さん、松岡昌宏さんです。国「さあ、今年もう最後のオーラの泉になりましたけれども(放送は2008年12月)、まあ今日、こんなに豪華なゲストの皆さんに集まっていただきました。まず、船越さん、今年一年、もう本当にいろんな犯人を捕まえてきましたけれども☆」船「ずいぶん捕まえさせていただきました☆」国「でも、こうやってまた今年最後にね、来るっていうことも、これもまた縁なんでしょうね。さあ、そしてつるの君。つるの君はも、今年一年は…」つ「いやー、本当に有り難いことに、突っ走らせていただきましたね、何か本当に…」国「すごく早かったんじゃないですか、一年が」つ「いや、一年が早かったというか、長かったですね、逆に」国「あ、長い?それは何で?」つ「気づいたら、羞恥心も四月なんですよね、デビューしたのが。まだ八ヶ月しか経っていなくて…」国「あ、そうか…元々はピンでずっとやっていたわけだもんね☆」つ「そう、ピンでね☆まあ芸人じゃないんですけど☆」国「さあ、そして櫻井さんは、オーラの泉は初登場ですよね」櫻「初めてです。もう大好きな番組だったので、ここの席に居れるだけで本当に光栄です」国「…こちらも初オーラですけれども☆うちのメンバーの松岡君ですけれども。どうですか、この番組の雰囲気」松「耐えられません☆…何か嫌な汗が手に…☆本当に一緒に出ていただく方が知ってる方ですから本当に助かりますけれども…本当にどうしようかな?という…」国「これね、一時間半後に大抵わかってくる感じですよね」松「これをずっとやってる国分太一の凄さを改めて今!ひしひしと今…今日はよろしくお願いします」***絶望を乗り越え新たな栄光をつかんだ夫婦の愛の物語。2008年に開催されたパラリンピックで日本選手団主将を務められたのは車椅子バスケット代表選手の京谷和幸さん。かつてJリーガーだった京谷さんは15年前、交通事故で脊髄を損傷、下半身不随に。現在は二人のお子さんに恵まれ、奥さまの陽子さんがリフォームしたマンションで家族で暮らし「足がタイヤに変わっただけ」と語る京谷さんは、小学生の時からサッカーに打ち込み名門・室蘭大谷高校へ進学、19歳以下の日本代表にも選出され、JリーグのF・市原と契約する前にチアガールだった当時19歳の陽子さんと出会われます。京谷さん「僕が一方的に、強引に好きになってしまったんですよね」陽子さん「その強引さにだんだん押されて…押されつつ彼の良さが少しずつわかってきて…」20歳で婚約後、1993年にはJリーグが開幕。Jリーガーとして将来を期待され、翌年の一月に結婚も決定。ところが11月末の結婚式の衣装あわせの当日、陽子さんは夜明け前の電話で起こされ京谷さんが交通事故で入院したという知らせを受けます。命は助かったものの、駆けつけたご家族に医師は「今後は車椅子の生活になるかもしれない」と告げたそう。陽子さん「もうね『99%は車椅子になるだろう』って自分の中でも思ってたんですね。99.9%は…でも、残りの0.1%、何があるか分からないから…」「少しでも可能性があるなら諦めたくない」と思い歩けなくなるほどの重症だということは本人には知らせず結婚式は延期するも、京谷さんのご両親からは「こんなことになってしまったから今度の話はなかったことにして欲しい」と婚約解消の申し出があったそうです。陽子さん「多分、主人の両親の優しさだと思うんですけれども…『わざわざ苦労するところに来てもらうのも申し訳ない』っていうことで…まあ私にではなかったんですけれども、主人の両親が私の両親の方にそういう話を持ちかけて下さっていたみたいなんですけど…」陽子さんの気持ちは固まり、病室に婚姻届と結婚指輪を持ってゆき不思議がる京谷さんに半ば強引に判を押してもらって指輪を交換、12月9日に入籍を済ませたのだそう。京谷さん「『入籍しよう』って言ったときの顔は、何て言うんでしょう…必死の形相って言うんでしょうかね…もう何か鬼気迫るような感じだったんで…」陽子さん「彼の家族になることで彼が頑張るっていう気持ちになってくれるんだったらそれが本望かな…という気持ちもあって、大安の日を選んで入籍をさせてもらったんですけれども…」妻として夫を支える日々が始まり、お二人のご家族も協力することを決めるもお正月を過ぎても京谷さんの足は動かず「二度とサッカーは出来ない」と医師は宣告。京谷さん「その日の夜は泣きましたね…泣いて泣いて…もうずっと消灯時間から明け方までずーっと泣いてて…『あ、でも今、俺は1人じゃないんだ』って思った時に初めて、そのときに初めて、彼女が必死の形相で言ってくれた意味…自分が車椅子になるってことが分かっていながら入籍してくれたってことをそのとき初めて気づいて…ありがたかったなって思いますね…」陽子さん「そうですね…何でよりによって足を使うサッカー選手が…どうしてよりによって足を怪我して歩けなくなっちゃうんだろうって、ぽろぽろ涙で…目が自然とね…その時は本当に一年で何か一生分泣いたっていうくらい泣けてきて…でも『私は歩ける。辛いのは主人なんだから、私はここで弱音をはいちゃいけないよな…』っていろいろと自分で言い聞かせながら…『何でこんなことになっちゃたのかな』って…思った時は何度かありましたけどもね…」車椅子に乗る練習から始めて半年に及ぶリハビリを終えて退院、1994年10月に改めて結婚式を挙げて新婚旅行に出かけるもその後は厳しい現実に直面することに。陽子さん「サッカー選手だったものですから職業もなく、家に日々、居る生活で一日中付き合っていると嫌な部分も見えてきたりして…仕事もしていないものですから金銭的にも、だんだん苦しくなってくることもあったりしてよく言い合いになったりしたこともありましたね…」生きがいを失い、仕事も見つからなかったとき、車椅子のバスケットに誘われることに。全国でも指折りの強豪チーム・千葉ホークスの練習に参加した京谷さんは車椅子を自在に操り、激しくぶつかり合うという予想外のハードな競技に驚かされたそう。陽子さん「結構しんどかったみたいで、練習が。で、行かなかったみたいだったんですけどでも私もお尻を叩いて『行ってらっしゃい』と。でも行って来て、帰ってきたら…あの…顔が違うんですよね。楽しそうな、何か凄く満足した顔で帰ってくるのがだんだん行く度に増えてきて…」周囲の真剣さに刺激されてスポーツマン精神が蘇りサッカーに代わる新たなチームメイトに出会った京谷さんは「また少しこう…自分の中で何かが変わり始めたかなっていう…家族っていうのも、もちろん一番なんですけども、まあ…チームメイトとの絆っていうかそういうのもあったから、ここまで来たのかなって気はしますけどね…」バスケット仲間の紹介で新しい仕事も決まり、待望のお子さんも誕生。「この子たちの自慢の父親になりたい」という思いでバスケットに打ち込みシドニー、アテネ、北京とパラリンピックに三大会連続で出場を果たされます。京谷さん「あの…妻に褒めてもらいたくて…それが一番だと思うんですよ…いつまでもやっぱり僕は、妻に認めてもらいたいし、子供たちにも自分の背中を見せ続けて見せた自分を褒めてもらいたいなと思いますけどね…」***国「本当に奥さんの支えがあって、ここまで来たんですよね。どうでした、つるの君」つ「いやー、でも奥さんに褒めてもらいたいって気持ち、僕はすごく分かりますね。僕はもう、何でもそうです。やっぱり全て奥さんに褒められたりとか認められたことは自分でも凄く自信になりますし、自分のことを一番理解してくれていますから…逆に奥さんも、やっぱりそういう風に言ってくれますので…ある歌番組で優勝させてもらって、そういう忙しい中で。それでそのオンエアを奥さんが観て。で、僕に言うわけじゃなくて、僕のお父さんにですね、あるメールをうちの奥さんがあげてて…その内容っていうのが『こういういろんな可能性を持った素敵な息子さんを生んでくれてありがとう』っていうメールをうちのお父さんのところに言ってたんです。お父さん、『すぐに奥さんにメールを返そうと思ったんだけど、涙で返せないからお前に電話した』って僕の方にかかってきたんですよ。『お前は本当に素敵な奥さんをもらったな』って。いやでも本当に、僕はその時すごく…何かこう…何て言うんだろうな…有り難いなと思いましたね」美「素敵なお話ねえ…」国「どうですか、松岡君は今のVTRを観て…」松「いやあの…バスケットをおやりになっているお仲間さんのね、チームメイトとその方たちに支えられているってご本人も言っていましたけれども…実は僕たちよりも、そういう体に障害を持った方の方が凄くメンタルが強かったりして。目の力が、えらい強いじゃないですか、バスケをおやりになっている皆さんの目が」国「そうですね」美「それと連帯感とね、助け合いの精神。情報交換してね、『こうした方がいいよ、ああした方がいいよ』素晴らしいじゃありませんか」松「何で僕ら、こうやって普通に生活している中であの目を持てないのかっていうこともありますよね。あの目をいつも持っていなきゃいけないなって反省させられます」続きます。「オーラの泉の日記」
January 5, 2009
比叡山で独演会をできなかったことにも意味があるようです。江「だからその辺は大変な神秘なところで、何故かというと魂の流れの中での一つの出発点であるわけで、そこからまた今があって。ですから自分自身の魂の歴史を辿るときは必ず来るわけですよ。だけども今までは『それには早過ぎる』ところがあったわけで。先ほどもご自身で『今、節目じゃないか』っておっしゃっていた、まさにそうなんですね。私もね、何も決してお世辞で申し上げるわけじゃなくて、やっぱり芸術的な方、芸術家でいらっしゃって、やっぱり天才なんだなと思うんですね。何故かというと、それはやっぱりオーラの色で言えるのはね…それは全然、あの…ごめんなさい、さっきの変な話とは別なんですよ…本当に金が多いんですよね☆」小「オーラで☆」美「ブタじゃありません☆」江「あれは良くないですね、(ご自分を指して)本当のブタは傷つきました、そういうこと…☆」美「オーラが金なの?☆」江「そうなんです」小「これからは『オーラ金野郎』って言って下さい☆」江「いや金の部分が強いっていうのはね、要するに天性のものなんですよ。で、感覚的なものが凄く強い。もちろんご自身でもいろいろ思慮深く考えられるけれども、でもやっぱり感覚的なもので、いつもその時その時のタイミングをつかんでこられているアンテナは持っているということなんですね。でいて、もちろん金だけなんてことはあり得ないんです。ただ、以前よりは大分違うんだろうなと思うのはね、赤い色を凄く強く持っていらっしゃるんだけど、その赤がね、物凄く柔らかい赤になっている…何ていうか…色の表現は難しいんだけど、赤々と情念みたいな赤じゃないんですよ。でも昔は凄く、もっと強い赤だったんじゃないかと。要するに例えば、自分に対しても短気だったり…『何でできない!』とか、物凄いパッションがね、強かったんじゃないかと。でも最近は、その…さっきの言葉で『ちゃらんぽらんになった』と言うけれどもそれはちゃらんぽらんじゃなくて、そのパッションよりもやっぱり思慮深く…」美「…力が抜けたっていうことね。余計な力が抜けたということ」江「ですから、非常に感覚的なところがあって、で…(スタッフの方に向かって)ここ、ちょっと使わないで下さい…お一人、楽でしょう?あの…というか…あのね本当に今までもそうですけど、人に対しては物凄く気を遣って、気を遣って…っていうかねこれご自身でね、性分として自分の中でね、もう温めてしまっていて、あの…要するに『そんなこと、気苦労だと思わない』ようにしていて。だからあの…前世のことでもお分かりでしょうけれども、孤高が好きなんですよ。僧侶の時もそうだし、だから…」小「すごく楽ですね、確かに」江「相当ね、役目とか人道的とか、そういうことでの、ご自身で無理を重ねて…無理じゃないな…一つの修行と思っていらっしゃったのかもしれないけれども…また、そう思わないと『それは自分の我がままです』という風にも思ってきたりとか、そういう部分もあってで。本来ならば、自分っていうものの時間とかそういうものをもっと大事にしたかったんだけれども…それで逆に言うと、今までやりたかったこともやれなかったっていう部分も結構あって。その節目っていうのがね『これから本当に極めることがこれで出来る』っていうね。もうその関わりとか、いろいろな義理とか、そういうことでの自分っていうことで自分は二の次といったら綺麗事のようだけれども。要するに『自分の時間、もっと欲しい。自分自身を極めたい』それには今までは『何を我がままなことを言ってるんだ。自分自身をこれだけ良くしていただいてこの世界でこれだけ大出世させていただいて、貢献しなければいけない』ということでそこに使命を置いていたんだけれども、でもそろそろ年齢も考えたりもしていて『あ、これからの時間を、やっぱり大事に使わなければいけない』ということになって。で、そういうことが基になって三木助さんも現れているわけですよ」小「…へえ…」江「要するに、どういうことかというと『時間』なんですよ。『人生というのは限りがあるよ』っていうね。だからご自身は早く自分自身で絶たれてしまったけれども、でもやっぱりね…そうは言っても小朝さんが先が短いというんじゃないんですよ。長いと言ったって…」美「百年はね…」江「うん。例えば今、百年経ってたとしても『あっと言う間だったな』と思うはずなんですよ。だから『そういうものの中にあるよ』っていうことでね。あとね、ちょっと言いにくいんですが、いいですか、何でも伝えて」小「はい」江「今後のね、いろいろ…お名前のことなんですけれども『名前には注意した方がいい』と。どの名前を襲名するかどうかっていうことは、やはり自分自身の命自体が変わる」小「おっしゃっていることは、公けにはできませんけれども、非常にわかります、それは」美「慎重に」江「ですからあの…『夜明け前の闇は最も深い』んです」小「はあ…今、そういう感じですか…」江「はい。でも、あれですね…『師匠、気の毒だな』と思うのは事故のような人間関係のトラブルが今までの人生にも多いです」小「ああもう、そんなのばっかりですよ」江「何て言うんだろう、複雑にドロドロとした何とかじゃなくて『あれ?どうして?』というような事故。車で言うと接触事故を起こしちゃったみたいな注意してつもりだったんだけど、どっちがどうとかも両方わからないっていう…何かそういうのありますよね?」小「いま江原さんが『どうして?』ってやったでしょう?あんなことばっかりやってましたよ☆僕自身も『え?どうして?』って、そういう感じでした、本当に」美「それは物事がね、順調に行き始めた時に限ってそうなの。そうでしょ」小「あー…はいはい…」国「今日はもう…やっぱり意味があったんですね」小「凄くクリアになりましたよ」国「クリアになりましたか☆」小「だって分からないじゃないですか。ずーっとその、天気と延暦寺のこととか京都のこととか気になっていたので、水とか、全部繋がりましたね、今」国「お坊さんの名前まで気になって出て『何で気になったんだろう?』というのもありましたしね」小「そうそう…ありましたしねえ…何だろうなあ…怖ろしいですねえ…」国「来年からですよ」50代になった小朝さんの将来は今後の時間の使い方次第、一人になったのは落語に集中し、芸を極めるためのようです。読んでいただいてありがとうございました。船越英一郎さん、櫻井淳子さん、松岡昌宏さん、つるの剛士さんがご出演になった「家族の愛の物語」の様子は、後日アップする予定です。「オーラの泉の日記」
December 25, 2008
俳優としても活躍される小朝さんは、撮影の際に不思議な体験をなさったようです。国「京都でUFOを見たっていう…」小「これは本当に驚きましたね。時代劇の撮影中だったんですよ、河原で。そうしたらね、何だろう…車で言うと、10メートルくらい前に普通の車があるみたいな感覚、それぐらいな大きさですから。で、いわゆる『アダムスキー型』ってあるじゃないですか、あれなんですよ。丸くて下に肉球がいっぱい付いているみたいな…あれがポッて浮かんでいたんですよ。それで見てね、人間、面白いもので、あんまりはっきりしてると、ぼんやりしちゃいますね。『あ、UFOだ』と思って。もう間違いようがないんです、はっきりし過ぎてるから。隣で見てる役者さんもいて『本当だ』と言って…それでスタッフの人に『あの、ちょっと…UFOですけど』と言ったら、東映のスタッフの人、驚かないんですよ。『ああ、しょっちゅう出てますよ』みたいなことを…☆『ええ?!しょっちゅう?』☆」国「手も止めずに☆『しょっしゅう出てますよ』みたいな…」小「『ええ?そうなんですか?』とか言って、それで違う役者さんにね『あ、ちょっと、UFO出てます』ってパッと見たら、もういなくなっていたんですけど。でも、実際に見てる人もいるし…」国「何人か見てるわけですか?」小「そう。もう大道具さんとか『了解、しょっちゅう見てます』はっきり見えましたから。ちゃんとこうなって(UFOの下に付いた丸い肉球に似た形を手で示して)いるんですから、こういう風に…」国「何個位くっ付いているんですか?」小「四つ位だったかな?」国「四つ位☆」小「本当にはっきりしてるんですから」国「何型って言いましたっけ☆」小「アダムスキー型、後で調べたらアダムスキー型ってやつでしょ、ええ」国「不思議な体験をかなりされているというような…」小「不思議な体験というかね、僕は一番伺いたかったのは天気のことなんですけど。僕は年間、250回位独演会をやってるんですど、僕の独演会の会場がまず雨にならないんですね。それが、ただ雨にならないというようなレベルじゃなくて『九州に台風が直撃してます』と、その時に僕がツアーをしてるわけですね。僕の行く会場の周りだけが晴れているわけですよ」国「周りは雨降ってるのに?」小「そうそう。それで、僕が落語をやっている間は本当にすごい雨で、独演会が終わるともう雨が止んでたりとか小雨で帰れるとかいう状態で、もうそういうことを挙げたら切りがないんですけど、天候と僕との関係はいったい何なんだろうか…」国「これも深く関係してそうな感じですよね」小「そうですね。それからもう一つは、僕の大親友で後輩なんですけど、あの…亡くなった三木助(4代目 桂三木助 1957-2001)って方がいらしてあの方は自分で亡くなったんですけどね…で、本当に仲が良くてですねオランダに旅行に行った時にホテルでですね、いきなり『兄さん、僕ね、そんなに長く生きられないと思うんですよ』急に話し始めたんですよ。『何それ?』と言ったら『うちの親父が早死にだったんでね、うちの親父を越えられればもうそれでいいんです、年齢的に』『でもまだ若いじゃないの?』『…兄さん、僕、もし亡くなったら、葬儀委員長やってくれますか?』『…やるけどさ、まだそんなことないんじゃないの?』『それで、実は…』と言って葬儀に呼んで欲しい人と、呼んで欲しくない人を具体的に挙げ始めたんですよ。すごく具体的なプランなんですよ。『何だろう?』と思って…で、それから何年か経って2001年の1月3日ですけど、亡くなったんですね。それで僕が葬儀を仕切らせてもらったんですけど…その後にですね、あの…彼がずーっとやりたかった『芝浜(三木助さんのお父様が得意にしていた演目)』という噺がありまして結果的には僕がプロデュース公演で、彼、やったんですけど、その後、僕がその『芝浜』を手がけるようになったんですね。その噺をやろうとするとね僕の周りにパーッと彼の吸ってた煙草の香りがするんですね。だから『三木助さん来てるな』ってわかるんですけど、そんなことがしばらく続いてたんです。そうしたら最近、うちのね、女性マネージャーが三木助さんと話をするようになっちゃったんですね。その彼女は三木助さんに会ったことがないんですよ。でも、よく話をするんですって。『何を話してるの?』って聞くと『まあ、雑談だ』って言うんですよ。『他愛無い話なんですけど、よく三木助さんが出てきて話をするの』って言うの」国「あ、一回だけじゃなくて…」小「そう。だからね、何か僕に伝えたいこととか、何かあるのかな?と」国「そのマネージャーさんは霊感は強いんですか?」小「強いです。…だからこれもちょっと不思議なことで…」国「なるほど…」不思議な体験を数多くされている小朝さんに伝えられるメッセージとは。江「あの…水のことがありましたでしょう?何故『水だ☆』と言って笑ったかというとあの…前世という中でね、お坊さんの時代があるんですよね。で、修行僧だった。滝行とか、水に行ってて、その前の話にも京都の話、出てましたよね?実は私、ずーっとね、比叡山が見えるんですよ…」小「あの、ちょっといいですか?僕ね、京都って大好きで、本当に疲れるとすぐに京都行くんですけど『ただいま』みたいな感覚で京都の駅に降りるんですね。それで、世界遺産で僕、ずっと独演会をやってまわってるんですけどその中で比叡山があったんですね。比叡山の延暦寺(最澄の開いた天台宗の総本山)で独演会があったんですけど、この時だけ天候が悪くて、中止になったんですよ。これだけの晴れ男で…なのに比叡山だけ、結局、場所を移してやったんですけど…なんで比叡山の時だけが…そんなことが起きたんだろう…」江「できなかったから。そこにもまた、ミソがあって☆で、これからはありますよ」小「あ、そうですか…」江「比叡山が拒んでるわけじゃないです。要するに、そこが最後ですよね、戻るのは。そこでかなりの修行僧だったというのが見えるんですよ、高僧だったろうと…」小「こうそうってバジルとか、そういうんじゃないですよね☆…偉いお坊さん☆」江「そう。そういう方だから絶対、名前が残ってる方だと思うんですよ。歴史の中でね」小「歴史の中に名前が残ってる偉い人?」江「お坊さん」小「…ちょっと質問いいですか?僕ね、天海(1536-1643 江戸時代の天台宗の僧。延暦寺で学び、徳川家康に仕え政務にも参加、上野に寛永寺を創建)っていうお坊さんに異常に惹かれているんですよ。理由がわからないんですけど、もう天海っていうとね何かブルブルっと来るものがあるんですけど…」美「徳川家康の相談相手ね」小「相談相手で…」天海に惹かれることと水への関心には繋がりがあるようです。江「ですから、そういった意味では水にこだわる、要するに水、名水…そうしてまた…あの、昔はやっぱり水っていうのは、薬的にも扱われるんです。あとは穢れ、浄化をするということでもあったり、より神秘的な霊水的なもののとらえ方をしていますから。だからそのこだわりがずっとある。それは今みたいに水ブームだからじゃなくて、お子さんの時から水の味には物凄くこだわってたり…水が軟らかいか硬いか、そういったことを物凄く肌身で敏感に感じるお子さんだったと思うんですよ」小「はい、はい、そうです」美「それともう一つね、『昨日は美味しいと思って、今日は月が替わって不味くなる』とか結局、風水のお水取り(縁起の良い方向の水を飲み、体にパワーを取り入れること)ですよ。風水でね、お水取りっていうのがあるの。自分に合った、つまり磁場のね、湧き出たお水とかそういうものが月によって変わるんですよ。年によっても変わるの、日によっても変わるわけ」小「じゃあやっぱり、自分が『いいな』と思っているのを飲んでもいいんですよね」美「だから東西南北の、自分の今の磁気、体の磁気に合う水を自然と取り入れてたってことですよ。だから天海も風水をやってたわけですからね。天海も上野の寛永寺だとか日光東照宮…ああいうものも全部、天海が風水で調べて『そこにいれば安泰』ということを調べて、風水で建てたと言われているんですよ」天海は江戸の北東の鬼門を守るために上野の寛永寺を開き南西の裏鬼門を守るために日枝神社(山王社)を移したと言われているそうです。続きます。「オーラの泉の日記」
December 24, 2008
寄席では思いもかけない反応が返ってくることもあるようです。国「そうですよね…僕も落語のシーンで、僕の落語が全然うけないというシーンを撮ったんです。ただ僕は真剣に覚えたわけですよ、落語を。でもお芝居で携帯電話でしゃべってるお客さんがいたり空き缶を蹴って帰ったりする人がいるんですよ。本気で腹立って☆芝居なんだけど『なんで?俺、一生懸命覚えたのに』っていうのがありますね」小「空き缶、携帯ぐらい、どうってことないですよ。本当に新聞紙に穴を空けて覗いている人とかね…」国「どういう人ですかね、それは」小「いや、わかんないよね。一番驚いたのは、これは本当の話なんですよ。池袋演芸場っていうところで休憩時間に本当はシンとしてるはずの客席から落語のねテープが流れてきたんですよ。みんながね『え?何かな、どうしたの?』と言ったらそれはね、お客様がデッキを持ってきていましてね、休憩時間中に名人上手のテープを流しているんですよ。それで『皆さん、昔の噺家はこんなに上手かったんですよ』って言ったんです、その方が」国「ええ?!」小「そういう人がいるんですよ」美「営業妨害ね」小「何を考えているんだろうなと思いますけれど。で、人間国宝になった小さん師匠は大阪の寄席で子供が前を走り回ってね、ジュースの缶が転がって大騒ぎですよ、じいちゃん、おばあちゃん、目の前を通って。30分、落語をやらなくちゃいけないんですよ。でね、小さん師匠の声が聞こえないんですね。それなのにマイペースでずっとやっていらっしゃる。で、15分経過した辺りから、だんだんその音が静かになって20分くらいから笑いが起き始めて、25分経過した時から爆笑になって最後は万雷の拍手で下りたんです。僕もう鳥肌がたってね『どういうことなんだ、これは』と思って小さん師匠がお亡くなりになる直前に『どうしても訊きたいことがあるんですけど、師匠、こういうことがあったんですけど…』『ああ、あったかもしれないな』『師匠、ああいう時は、どうなさるんですか?師匠の声は全然聞こえてなかったんですけど』『いや、そんなのは簡単なんだ。話に入っちゃえばいいんだから』」国「話に入る…」 小「噺に入っちゃう。つまり目の前にいる登場人物しか見えていない。だから何にも音が聞こえないんですって」国「あー、なるほど」小「だから誰が騒いでいても何をしていても、何にも見えない。目の前の登場人物だけ。で、スッと話に入って、30分しゃべって、下りてきた。結果的にはお客さんがついてきて、万雷の拍手だったんですよ。だからねえ…凄いですね…」1988年に故・林家三平さんの次女である歌手の泰葉さんと結婚後も銀座博品館劇場での30日連続公演、日本武道館の独演会などで活躍。2003年には笑福亭鶴瓶さん、林家正蔵さんなどと共に「六人の会」を結成する一方昨年11月には離婚へ。国「最近、ちゃらんぽらんになったというようなことを言っていましたけれども…いつ頃からですか?」小「これはですね、やっぱり一連の騒動からでしょうね。僕はね、自分で言うのも何ですけれど、結構大事に育てられてきまして師匠からも一度だけ怒られたことがありますけれど、怒られたこともなくですね本当に大事に育てられてきたんです。それなのにね…それから歴代のガールフレンドを思い出してみても、とっても皆さん優しくて良い子ばっかりだったんです。初めてです『金髪豚野郎』なんて言われたのは☆」国「まさか小朝さんの口から聞けるとは☆」小「いやいや、だってそれは毎日のように言ってるわけでしょ。僕は番組とかは全然観ていないんですよね。そういうものは観たくもないので観なかったんですけども、でも新聞にはそういうのが出るじゃないですか、活字で。そういう風になってくると『もうどうでもいいや』ってなりますね」国「全然、TV観なかったんですか?」小「観ませんよ、そりゃ」国「物凄かったですよ、各局」小「でしょ?だから噂は聞きます、当然。『あんなこと言ってました、こんなこと言ってました』聞きますけれども、僕自身はね、そういうことを言ってる姿も見たくなかったし…あとね…非常に…何ですかね…物事を表面だけで見なくなりましたね。つまり、例えば何か事件が起きましてもね、出ているのは上っ面なんですよ。で、皆さん、上っ面で判断して、やっぱりワイドショーなんかでも結局出てる情報だけで何か処理しなきゃいけないでしょう?」国「はい、そうですね」小「ところが、その下に隠れているものって、いっぱいあるわけですよね。そうすると僕は、誰か他の方が事件を起こしたり、何かスキャンダルがあった時も『この人、言いたいことがあっても言えないんだろうな』とかね『多分、違うことが他にあるな』とか、そういうことを考えるようになりましたね」国「小朝さんにとって、結婚というのはどんな分岐点でしたか?」小「そうですね…僕は楽しかったですよ…うん、あの…良い思い出ばっかりというか…楽しく過ごしていましたから」美「いやだからね、ネタにして申し訳ないんだけれど『別れ上手、恋上手、食べ上手は芸のうち』って言ってね、昔から言われているんだけれども。つまり別れ上手ってね、相手の心に永久に良い姿としてね、一生残してやろうっていう心意気がないっていうんですよね。とにかく惚れて一緒になってある時期暮らした期間があるじゃないですか。それまでね、別れが下手だったら泥まみれにしてね、踏みにじってゴミにしちゃうんですよ。もったいないでしょう?だからやっぱり、せっかくの時期は、綺麗にせめて浪漫の香りでまぶしてしまっておいて70、80になってフッとした時にね、寂しい時、苦しい時、悲しい時に思い出してしみじみと感慨に耽るみたいな…そういう別れ方をすべきなのに、最近は髪振り乱す刃物は振りかざす、泣き喚く…とにかく滅茶苦茶にしちゃうの、自分のせっかくの人生の良いところを。だからね、最近の人って、そういう古いことわざを噛み締めなさいっていうの。だからね、別れる時にね、いかにブレーキを引いて、恨みたい、罵りたいいろいろ言いやりたい…それをグッとこらえてね、それで『お幸せに。よござんしたね』っていうのが…」小「それが良いですね」美「格好良いじゃありませんか」国「やっぱりそう…」小「…だから僕は一切、コメントを出していないっていうのは、それなんです。もうだって、これ以上何かやったって、しょうがないじゃないですか。だからあの…一番は僕が何か発言することで傷つく人が出てくるんですね。僕は守らなきゃいけない人間が何人かいたんです。そんなこともありまして、それで今美輪さんがおっしゃった通り…やっぱり綺麗がいいじゃないですか。ねえ」国「そうですよね」小「ねえ。また喜ぶ人がいるからいけないんでしょうけれど僕は喜ぶ人はね、そんなにいないって判断なんですよ。そんな人ばっかりじゃないと。そんなのいいよっていう人たちがいっぱい居るだろうと。僕はそっちに期待をかけているんですけどね」美「いま大分増えてきましたよ、一頃より。昔はもう『人の不幸は蜜の味』の方でね『他人の幸せ、癪の種』っていう人が多かったんだけど今は随分、変わってきました」国「その…表というか、番組とかではそうやっていろんなことをクローズアップされながら公演に立つという…僕の中では、凄く複雑なんじゃないかなって思うんですけど…」小「それはね、そうなんです。つまりね、お客さんが緊張してるんですよ。『何か言うんだろうか?』とか、言わなきゃ言わないで、ちょっと物足りないような気もするし言わないでほっとしたみたいなのもあるし…あの…ちょっとね、お客さんの緊張感がね…」国「やっぱり見えるわけですか?」小「見える。最近は良くなってきましたけどね」国「小朝さん自体はそんなに揺れなかったですか?精神的なものというか…」小「いやそれは、ピークの時はやっぱり大変ですよ。その時に人を笑わせるって、なかなか…」国「…ですよね」小「大変です」国「そこなんですよ僕、すごく聞きたいのは。自分でも落ち込んでる時にTV番組があっても『やっぱり上手くいかなかったな』ってことがあるんですけれども、そこはどうやって…」小「いやいや、だってそれはお客さんには関係ないことですから、それの一点ですよね」国「はあ…すごく疲れません?」小「疲れます、疲れます」美「でもね、一番いい切り替え方はね、何かって言うとね、さっきいみじくもご本人がおっしゃいましたでしょう、小さんさんの…その人物の中に入ればいいの。関係ないの、そうすると。世の中の諸々の事象…違う次元にスポーンっと入っているわけだから。そうでしょう?そんなのなんか何にも関係のない次元に自分がタイムスリップしてるんだから。だから私はずーっと舞台に出ていて、あの『エディット・ピアフ』をやっている時もその中に入っているから…まあいろんなことがありましたよ。だけど、いつもそこでサッと切り替えるのはそこ。だから小さんさんがおっしゃったのは本当によくわかりますよ」国「そうなんですよね、美輪さんが本当にそういう風に…前も僕、聞いたことありますけれども…なかなかそれが…やっぱり自分が弱いのか…」美「だからね、自分が弱いって、その自分は要らないのよ、お客は。『お前さんは要らない』っていうの。その作品が欲しいわけであって」国「『なに自分を見せようとしてるんだ』って話ですよね、僕は…」美「『あんたは要らないの』☆」小朝さんがこだわっているものには、意味があるようです。国「これ面白いなと思ったのは、こだわっている物が水と炭酸水と入浴…これ…」小「…何でしょう?あのね、すごく水が恋しくなることがあるんですね。それが堪らなくなるとですね、例えば滝を見るとか、水につかるところへ行きたがるんですよ。そういう場所に行くんですね。それと何が好きかって言うとですね、洗車する時にガソリンスタンドで車の中に入ったまま洗ってもらうのが大好きなんです」国「内側から綺麗になってゆく姿を…☆」小「そう。それが何かね、自分が洗われているみたいな気持ちになっちゃって、すごく大好き」国「それ、子供がやることですよね☆」小「そう?大好きなんですよ☆」美「いや、そうじゃないのよ☆」国「…今、お二人が、水のことを話し始めたら、ざわつきましたね☆これは何か…」小「とにかく、水をすごく欲したときは、水を摂る…と」国「そのこだわりというのは、水ひとつひとつにもこだわりがあるんですか?」小「合う水、合わない水がありますから。全国から物凄い数を取り寄せてますから。それでテストして…それでまたね、あの…こないだ合わなかったのに、急に合う…なんていうこともあるでしょ?」国「へえ…何ですかね…」小「どんなに名水だとか言われたって、体が拒否する場合がありますでしょう?その…最初の一口も飲めない時もありますよね」国「へえ…僕はちょっとわからないですけど、あるわけですか」小「あります」続きます。
December 23, 2008
25歳で真打に昇進、落語家として、また俳優としても活躍される方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→甘ったれですかね…☆ 好きな女性のタイプ→深津絵里さん。具体的ですけど☆もうちょっと漠然としてるとそうですね、目がくりくりっとしてですね、多少ファザコン気味の人が好きですね。☆ 生活の中でこだわっていること→水、炭酸水、入浴剤にはこだわりありますね。☆ 人生で最大の転機→これはですね、25歳の時に大勢の先輩を飛び越えて真打に昇進させていただいたんですが、これは大きかったです。☆ 不思議な体験→いっぱいありますけど、一番驚いたのは京都でUFOを見たことでしょうね。ええ、もうすぐそこに、はっきりと。周りにも人がいて間違いなくUFOでした。☆ 最近、自分の中で変わったこと→そうですね…いい意味で少しちゃらんぽらんになってきたことですね。後は物事が起きたときに必ず表面だけじゃなくてもうちょっと深くものを考えるようになったかなという気はしますね。国「さあ、今年最後のゲストが、小朝さんでございます」小「そうですか」国「今年は…どんな年になりましたか?」小「…どんな年だと思います?☆ズタズタですよ☆ただね、物は考えようで、世の中の男性に夢を与えたと思いますね。いや本当にね『うちのかみさんもひどいと思ったけど、あいつのかみさんよりいいよね』っていうねそういう人は結構いるんじゃないかと思うんですよ。いかに自分は恵まれているかと皆さんがね。そういうことではね、世の男性のためになったかなと、思います」国「なるほど☆…まあちょっと笑うことしかできない僕らがいるんですけど☆…あの、美輪さんとはどうですか?」美「はじめまして」小「はじめましてなんです…あの…お芝居を拝見したんです。『エディット・ピアフ(愛の讃歌)』を」美「あ、そうでしたか…」小「オーラの出し方っていうのを、いっぱい見たいなっていうのがやっぱりあるんですよ。例えばね、僕は山田五十鈴先生、大女優さんですけれども、先生と一緒に舞台をやらせていただいたんです。その時に一番最後にですね、カーテンコールをやるんですよ。先生がお隣にお座りになって、僕が座って、それでOKを出して幕がスーッと上がるんですね。で、拍手がバーッと来るんですけど…その時にですね、幕が上がる寸前までスイッチがOFFになってるんです、山田先生。ですから拝見してると『大丈夫かな?』と思う位ちょっと(うつむかれて)こんな感じなんですけど、OKが出た途端にスイッチがONになるとですね…背中から何でしょうか…もう花吹雪とか蝶々とかいっぱい出てくるみたいな…ブワアーっていうのを、僕はここでみたんですよ。その時に本当は僕、お客さんを見なきゃいけないのに『すごい!』と思ってね『何だこりゃ』と思って…だからそういうものを持った方にいっぱい触れたいなと思って。それで美輪さんのステージを」国「同じような感じでしたか?」小「すごかったですよ」国「江原さんとは?」小「はじめまして」江「よろしくお願いします」国「どうですか、どんな印象ですか?」小「何か昔ね、これは噂なんですけど、何処かの神社を取り壊すっていう話になったときに江原さんがそれを見ていて何か『いっぱい泣いている動物たちがいるので止めなさい』って止めたにも関わらず、何かやってしまって変な方向に行ってしまったという話を聞いたんですよ」国「そんなことがありましたか?」江「まあ、そういうのはいくつもありますよね☆」幼い頃から落語に馴染み、視聴者参加の演芸番組では5週連続で勝ち抜き中学卒業後に春風亭柳朝さんに入門、高校に通いながら修行を続けた小朝さんは入門10年目の25歳で36人抜きで真打に昇進、これは故・古今亭志ん朝さん以来のスピード出世なのだそうです。国「元々その、落語の出会いって何ですか?」小「出会いですか?それは一家揃って落語ファンだったんです。普通子供っていうのは、親が一緒に遊ぶようなところに連れてゆくと泣くじゃないですか?ところが僕、寄席に連れて行っても全然泣かない子だったらしいんです」国「寄席デビューは?」小「だからもう、親の膝ですから。膝に乗っかって」国「四歳とか…」小「いや、もっともっとです。その頃から、もう泣かないで観てる子だったらしんです」国「マジですか?だって子供っていったら、戦隊物に憧れたり、野球選手に憧れたり…」小「もちろん憧れてますよ、そういうものにも憧れていますけれど…でも何でしょうか、三味線とかね、提灯とか着物とか、それから何でしょう、そのライブ感。『不思議なところだなあ』と思って」美「雰囲気とか匂いとかね。そういうのがお好きだったのね」小「はい。落語ってことに関しては、かなりませていましたね」国「ですよね。ただ、もう小学校後半くらいになってくると『あの人、あんまり上手くないな』っていう人も出てきたりするわけですか?」小「あのね、その『しろうと寄席』っていう番組ですけれど、僕が茶の間で観てまして大人ですよね?下手なんですよ。『下手だなあ』と思って。『この人がチャンピオンになるなら、僕が出たら間違いないな』と思ってそれで局に自分でハガキを書いて…」国「自分で書いたわけですか?」小「書いたんです。で、予選があるわけですね、200人位来るんです。その中の5人か10人選ばれるんですけど、僕、疑いもせずに『絶対に選ばれる』と思ってました。で、受かるわけですよね。『当たり前だ』と思って。それで本番に出まして『当たり前だ』と思ってますから順調に勝つわけですよね。で、5週勝ち抜いて『名人』というのをもらうんですけど、1回だけねギリギリの得点で合格だったときがあったんですよ。その時にね、僕、中一ですよ、納得がいかないんですよ。『何故ギリギリ?』みたいな」国「ダントツじゃないと…」小「そう。だから物凄く落語に関しては生意気な子供ですよね」国「それで本当の落語家になろうと思い始めたのはもう中学一年生くらいのときなんですか?」小「文楽師匠(8代目 桂文楽 1892-1971)が『噺家におなんなさい』っておっしゃたんで。『これは雲の上の方がそう言うんだから間違いないんだ』と思ったんです。で、入門してわかったんですけど、文楽師匠はお世辞の上手い方でいろんな人に言ってたんですね☆それでね『お前も言われたの?』みたいな人がいっぱいいるわけですよ☆それは大して上手い人じゃなかったりするんですね。だからね『ああ、いい加減なもんだな』と思いましたけど、でもそれは大きかったですよね、やっぱり」国「もし言われなかったら、本気で目指していたかどうかわからない…」小「やっぱり文楽師匠のひと言って、やっぱり褒められて伸びるタイプなのでその勝ち抜いたというのが大きいですね。だから5週勝ち抜けないで3週で落ちてたら『この程度なんだな』と思って多分、ならなかったかもしれないですね」国「人生の転機が25歳で36人抜きの真打と。これは凄いことなんですよね」小「凄いことですよねえ。でも本当に凄いのは、決断を下した方々ですね。その当時、理事の中に談志師匠とか圓楽師匠とかがいらっしゃったんですよ。そういう方々が『どうだ?』って言って下さったらしいんですね。その時の会長が柳家小さん(1915-2002)師匠で、結局は小さん師匠がNOと言ったら成立しなかったんですけど、小さん師匠がまた凄い方で『いってみるか』っておっしゃったんですよ。それで決まったことなんですね」国「先輩からしてみたら『何だよあいつ…俺らを抜きやがって』っていうようなこともたくさんあったんじゃないですか?」小「それは当然あるでしょうね。直談判した方もいたらしいですから。『納得いかない』とか言ってね。それはそうだと思いますよ、その通りだと思います」美「やっぱり妬み嫉み僻みっていうのがあるでしょう?」小「あって当たり前ですものね。それはそうです」国「もう話しててもわかる感じなんですか?『今までとちょっと違うなあ』と」小「一番困ったことは、例えばね、僕が7時上がりだとしますね、7時の高座、持ち時間が15分だとします。そうするとね、前の方たちが時間をどんどん押してっちゃう。で、僕が7時に上がらなきゃいけないのに僕の上がる時点で、もう7時半になってるんですね。そうすると、僕らは時間のことが厳しいですから、そういう時はですね、本当に短くやって下りなくちゃいけないんですね。ところが36人飛び越して真打になってるんで、お客さんは僕目当てでお見えになってるんで上がった途端に『待ってました!』って言われるわけですよ。『待ってました!』って言われたからには何かやらなきゃいけないのに1分2分で下りなきゃいけない。これは本当に辛いんですよね」美「真打なのに」小「そうです。僕だって30分やりたいんですよ。やりたいけど無理なんですよね。例えば僕がそこで長めにやって下りてきたとしますよね、そうするとね、先輩たちが。下りてきて『お先にありがとうございました』って言いますとね、普通『お疲れ様』って言うんだけれども、先輩たちがまず時計をチラッと見るんですよ。それがグサッとくるんですよね。何も言わないけれど『長いね』っていう…もうそれがね、結構きつくてね…。でもね、その時に思ったのは『恵まれてる状況でリスクがない方がおかしい』と思ったんですよ。だって僕、良い目もいっぱい見てるわけですから、そういうことで。当然、嫌なことがあるのは当たり前なんですね。で、逆に言うとですね他の出演者の方たちは、僕を目当てに来てる女の子たちがいるわけですね当時まだ25ですから。そうすると、その女の子たちが2列ぐらい陣取ってるわけですよ。僕が終わった途端に、スコーンとそこが空いてしまうわけですね。それは僕の後に上がる方たちは堪らないですよ。それと僕の前の方たちも『あんたじゃないのよね』みたいな顔をして見ているわけですよねお客さんたちが。『早く小朝出してよ』みたいな。その中でやる辛さってあるわけですよ。だからそういうのは僕だけじゃなくて、他の方たちも嫌な思いをしているわけですよね。それを考えたら、これはもうしょうがない」続きます。「オーラの泉の日記」
December 22, 2008
12月20日(土)は夜7時からの二時間スペシャル。ゲストは春風亭小朝さん。「家族の愛の物語」では泉ピン子さん、船越英一郎さん、櫻井淳子さん、松岡昌宏さん、つるの剛士さんのお話も聞けるようです。***岸部さんを支え続けた奥さまとは、深いご縁があるようです。江「あの…何故こういう風になったのかっていうのは、すごく良くわかるんですね。実はねこれは夢物語、前世っていうところで見ててもそうだけれど、フランスとかの姿が見えてきてやっぱりその時、貴族なのかとってもいいお宅、お坊ちゃんで生まれて育ってでも家が没落しちゃって、全て失っちゃったんですね。だからあれだけ物にこだわったというのはね、美しい物、綺麗な家…何でもそういったものを『取り戻そう、取り戻そう…』って、何かそういう気持ちが凄く強く出たと思うんですよ。『何か取り返さなきゃ』と。あたかもね、自分がそのヨーロッパの貴族のお家か何かに住んでいる生きているかのようにすると幸せを感じたんじゃないかと思うんですよ。だからそれで、そういう風な過去、前世を繰り返すかのような出来事、そしてまた奥さんという出会い。これは本当に救いの神じゃないですか。ね?だってこの人は、前世においても母なんですね。だから息子を助けに来たわけなんだけれどもやっぱり『可愛そうだなあ』と思うんですよ。少しは孝行してあげて欲しい。孝行とは何かというと、感謝という気持ちを取り戻して、一つ一ついただく仕事をこなしてゆくことだと思うんですね。奥さんがおっしゃること、当然だなと思うんだけどね普通ね、会社勤めなりをしていて、同じような出来事や病気があった時いま仕事ができる可能性の方が少ないですよ。要するに奥さんは何が言いたいかというと『普通、一般社会にいるよりも再起できる恵まれた環境にいることに感謝できないんだよね…』っていう言い方をするんですよ」美「あのね、幸、不幸は何処にあるかって言ったら、胸三寸にあるんですよ。『自分は不幸だ』と思うとね、何でも不幸なんですよ。例えば自分が着ている物。『こんな物じゃない、他の人はもっと、時計ひとつでも良いものを持っている。自分はあれ以上の物をするべきだ』そうしたら不幸でしょう?だけど『着る物がある。食べる物がある。雨露のしのげる家がある。何だかんだ言いながらでも面倒をみてくれる人がいる』何でもかんでも全てを感謝することに結びつければねどんなことでも即、幸せになれるんですよ。全部が極楽になるの。だから地獄、極楽にするのは自分の胸三寸で、やり方次第、発想の転換だけ。ところが『あれも不満、これも不満…』ぶつぶつ口から毒ガスばっかり吐いたらその毒ガスが何処にも行かないの。自分の周りにね、全部漂っているんですよ。そうするとね、毒ガスで自分でやられて『痛い、痛い、苦しい、苦しい…』誰のせいでもない。自分の中から出てきているの。そうなると『心臓が痛い、苦しい…』とかって、またそこで『同情を得よう、甘えよう、誰かに同情されよう…』それが結局、自分を駄目にしちゃう。だから『自分が面倒をみてもらう』とかね『元気にしてもらう』とかみんな受け身の人生は駄目で『自分が元気にしてあげる、面倒をみてあげる、尽くしてあげる』ってそういう風にならないと駄目なの」江「『そうでないと、もう死んじゃう』っていうのは、駄々っ子じゃないかな…っていうことを奥さんはおっしゃっているんですね」岸「…どうして自立していいのかが、分からないんですよね…僕は…非常にそういうところが…まだ子供というのか…どういう風にしてこれを切り拓いていったらいいのかっていうのが全くヒントがつかめないんですね…まあ今、いろいろ聞きましたけれども…」江「まず一つ、これだけ思っていてください。ね?『生きることを楽しむこと』感謝することね。それには…」岸「現在のですか?」江「そう。仕事をする。食べる。この暮らしをまず、規則正しく、リズムね。これをやること。まずそれだけでも良いから、それをきちんとやっていけば後はだんだん広がってゆきますから」岸「ふーん…それがなかなか出来ないんですよね…体が…言うことを聞かないんですよね…」美「聞かせないからですよ。そうでしょ?」岸「聞かせようと思えば、聞くものなんですかね…」美「聞かせようと思えば、聞くものですよ。だから、あれをお作りになればいいの、簡単。一日の工程表。朝何時に起きて、何時から何時まで散歩して何時から何時までは為になる生きるためのスキル、ノウハウのねそういう本をちょっと読むとかね。そういう風に時間割りを作るの。誰でもない、自分自身がやれば良いんですよ」国「どうですか?」岸「うーん…」美「やっかいなことにね、この方の人生は、誰かが常に保護してくれたのね。保護してくれる人が誰もいなければ良かったのよ、いっそのこと。あのね、愛の鞭ってあるでしょう?シゴキじゃなくてね。いずれ人間は1人になって死んでゆくんだから、そういった時に1人で生きてゆけるようにって厳しくする。これも一つの愛情なんですよ。だからお兄様は、とにかく耳に痛いようなことを、おっしゃるでしょうけれどもそれが本当は素晴らしい愛情の現われで、一番有り難い愛情のあり方なんですよ。だからそっちの方を疎んじるようなことはしないで、そっちの方を『ああ、有り難い』と思ってね…そういう人が何人かいれば、そうすると自立できてしゃんと自分で歩いていけるようになるんですよ。その力を本当はお持ちなんだもの。本当はその健康のね、体力もお持ちなのよ。ところが『自分は病気、大変、ああ可愛そうなんだ…皆さん同情して下さい…心臓が止まりそうです、ああ死ぬかもしれない、もう死んじゃう…』って言えばみんな優しくしてくれる。その甘えとかね、その見え透いたずるさ。それが無くならなければ駄目なんですよ」岸「やっぱりそうかという感じですね…」美「そうですよ」岸「うん…」美「だから『可愛い子には旅をさせろ』だから自分自身が自分を旅させるようになさればいい」岸「でも…本当に…でも…本当に弱いんですよ…」美「でもも、しかしも無い!☆でもも、しかしもありません。だってその声の力とかね、その肌の色とか、可愛そうぶりたいでしょうけれどちっとも可愛そうな域まで来ていませんのよ☆残念ながら。ご希望に添えませんけれども☆」岸「(初めて微笑まれて)…結構、弱いふりするんですよ」美「弱いふりするの」岸「そうなんです」美「だから、ね?もうその手は通用しません!」岸「そうですかね…ぼちぼち…ぼちぼち通用しないですかね…☆」美「通用しませんよ☆」江「オーラの上からも、まだまだね、動けるはずです。最悪の状況ではないですよ」岸「どうですかね…」美「ほらまた。何てひねくれてる子なの、この子は☆」岸「そうなんです…ひねくれなんです…」国「でも時間割っていうのは良いですね。やってみましょう、明日から」岸「明日からあ?!」美「いや、今日から!」国「今日から。今日書いて、明日それを行動に移して」美「そうですよ」国「これは変わるんじゃないですか?今までやったことが無いことですものね」岸「それはそうです」美「あのね、いろんな人生を愉しむ権利があるんですよ、人間は。破産までしちゃったようなもの、甘え放題でやりたい放題で…そういう人生はもう沢山で『健康的で前向きな人生をこれから味わってみましょう』っていう風にお思いになれば、またね…」岸「良いものでか?別の人生も…」美「そう、良いものですよ。そうしたら、また物好きな人が愛してくれるようになるかもしれませんもの。花嫁さんも出てくるかもしれない」国「それですよ」岸「もうその点は、ちょっと諦めてるんですよ…」国「いやいや…」美「まずそれが、マイナスの毒ガスを口から吐いてるってことになるの」岸「そんなこと考えるだけで、この頃心臓がバクバク…☆」また繰言をつぶやく岸部さんに今度は皆さんの笑い声が上がりました。【スピリチュアルメッセージ】☆ 本当に奥さんを愛しているなら、これ以上心配させないで。仕事ができる環境に感謝して、規則正しいリズムを心がけ、生きることを楽しんで下さい。【オーラの言葉】☆ ひとりになっても生きて行けるように厳しくするのも愛情。可愛い子には旅をさせよ。読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
December 4, 2008
グループサウンズのザ・タイガースに加入して人気を博し、「西遊記」の沙悟浄役で俳優に、ワイドショーの司会も長年務められた岸部さんは、昨年、43歳という若さで妻である小緒理さんが逝去されてから、いまだ立ち直れないとのこと。奥さまとは、ワイドショーの司会で活躍されていた頃に行き着けのブティックで知り合い、1994年にご結婚。ところが金融業者からの借金が総額4億2千万円に膨らみ、1998年に自己破産。結婚後4年で全財産を失われても、奥さまは岸部さんを支え続けたのだそうです。奥さまの言葉「彼を1人にさせる訳にはいかなかった。それは人間は辛い時に1人にしてはいけない。1人にしたら絶対にどうにかなってしまうと思ったからです」(2004年4月7日「婦人公論」より)国「奥さんと結婚された当時は、どんな生活だったんですか?」岸「まあ…物集めに…走り回っていましたね。ブリキのおもちゃから、本類から…骨董品までですね…」国「それは買ったことに満足するわけですか?」岸「まあ…憧れの画家の絵だとかね、そういうものが自分の部屋の壁に飾れた時というのは、何かこう…『やったあ』という感じで…」国「奥さんは借金をして買ってるということは、知ってたんですか?」岸「稼いでもいるけれども、借金も多いということは知ってましたよね」国「途中で止めようとは思わなかったんですか?『もう買うのは止めよう』と」岸「…思わなかったですね…」美「いや、あのね、そういう方っていうのは…ほら、いろんなおもちゃとか、マニアで蒐集癖の方っていらっしゃるじゃない?あの…麻薬や何かと同じように、中毒症状になっちゃうらしいの」国「あーなるほど…」岸「そうですね…」国「僕が考えると、その骨董品をまた売ればいいんじゃないかなと思うんですけども、そうはいかないんですか?」岸「うーん…まあ売るとなると全然…10分の1ぐらいになっちゃうのでね…」美「宝石と同じよ。宝石や骨董品っていうのは、値段があってないようなものだから。だから買うときには、例えば宝石でも二千万くらいの物があるじゃないですか。そうして売るときには、上手くいって10分の1。だから二千万の物が二百万くらいになるんですよ」国「怖いですね」美「骨董品もそうです」国「自己破産してからの生活というのは、ガラッと変わりましたか?」岸「うーん…ちょっと今、心臓を、循環器系を悪くしてるのが…今だにその破産の話題は…非常に苦しいんですよ…破産っていう話題をすると、まず動悸が始まるでしょう…」美「だから心意的なものですよね。精神がもろくなると、肉体ももろくなるし…」岸「その通りだと思いますね…薬じゃ治らないんですよね…」美「何でもかんでも、全て暗示にかかりやすい方だからね。全ての原因はみんな、精神的な脆さだとか、精神的な自己暗示とか、そこから全部、発生しているんですよ。誰のせいでもないのね」国「自分のせい…」美「自分のせいなの。甘えっぱなしなの、全て甘え。あの…普通、収入を考えて、収入に見合っただけの支出。『これは許されるけど、これは買っちゃいけない』とか、普通それで自分の欲望を手綱を引いて、皆さん生活しているわけでしょう?ところが自分の欲望のおもむくまま『あれも欲しい、これも欲しい…』収入とのバランスも考えない、これも甘えですよ。ずーっと甘えの人生でいらしたのね」岸「もう全く…生まれた時から…子供の時からね…」美「だからこれは、もう誰が悪いんでもないですよね。自分自身だから。だから自分がそういう風に追い込んできたんだから、今度は自分が自分を救うこともできるってことですよね、反対に」岸「ふーん…」奥さまの支えもあって岸部さんは仕事に復帰されるも、2003年に脳出血で緊急入院。借金返済と介護に奔走された奥さまは2007年、心臓発作で帰らぬ人に。国「どういう形で亡くなったんですか?」岸「まあ朝起きたら、突然亡くなってたんです…階段から降りてきたら、彼女が台所のところでうつ伏せになって倒れているんですよ。それでびっくりして『どうしたんだ?』と言ったら…もう冷たいんですよ…」国「そこでは会話はできていない…」岸「あ、もうできていないです」国「そうですか…それまではずっと元気だったんですか?」岸「まあ心臓も、犬の散歩してて2回くらい、強力に痛くなってうずくまって倒れかかってベンチに横にならせたことはあったんですよ。でも何か病院嫌いで、とにかく病院に行かないんですよ。『検査すれば悪いところが見つかるから、大変だから、岸部さんが大変になっちゃうから…私はもういいのよ、そんなもの…』と言うんですよね…『もし何かが見つかって、一週間でも二週間でも入院でもしなきゃならないというようなことになったら…』」美「『…岸部さんが自炊もしなきゃいけない、家で自立して生きていかなきゃいけないから、大変なことになるから』って思いやりよね」岸「そうです…」国「今は1人で住まれているわけですか?」岸「そうです…幸いにも姉がいましてね、時々来てくれる…」国「それはご飯を作りにですか?」岸「ご飯を作ったり掃除をしたりですね…」美「お兄さん(俳優 岸部一徳さん)の方は?」岸「お兄さんは…一周忌とか、そういうとこは陣頭指揮を執ってやってくれましたけどね…僕がこういう状態だから芸能界でやっていけるかというのが一番心配だから、それを彼にぶつけたんですよね。そうしたら最初は優しく言ってたんだけど突然…まあ割りと語気が強くですね…『芸能界で、まず病人がタレントをしているということは普通、誰も思わないから、まず体を治せ』と」国「『それからだ』と」岸「『それからだ』と…『そんな元気でない人だったら迷惑をかけるから辞めろ』と言われまして…また心臓がドーン…としてですね…もう、その場にいられなかったですね…でも、そうなんですよね。兄が言うのはもっともな話…」美「当たり前の、普通のことをおっしゃってるだけなのね。別に怒ったわけでも叱ったわけでもなくて、当たり前のことをおっしゃっただけの話なの」奥さまの喪失から今だに立ち直ることのできない岸部さんに届けられるメッセージとは。江「極めて難しいっていうんですかね…岸部さんご自身の問題点、こちらの方が問題が大きいわけで…非常に厳しいことを申し上げますね…もういい加減、奥さんを解放してあげて欲しい。というか、奥さん、ずっといるんですよ、傍に。どうしてかと言うと、やっぱりそれは心配だからです。『もう、早く死にたい、死にたい…』『もう早く向こうへ行ってもいいや…』いつも投げやりな愚痴を言いますでしょう?」岸「うーん…愚痴ってますね…笑ってる写真があるんですよね、それに向かって…僕はしゃべる相手いないですからね…『小緒理さんよ、どうしたらいいのや、俺は…』というところから始まって、ぶつぶつ言うんですよ」江「もうそれが堪らないわけですよ…それでね、解放してあげてって言うのは、本当の愛だったらばね、いつまでも相手に依存したり、すがることじゃないと思うんです。だから、申し訳ないけれど岸辺さん、本当に奥さんを愛して欲しいんですよ。愛するってことはね、相手に心配させないことだと思うんですよね」美「思いやり。気遣い…」江「頼ることが愛なんじゃなくて…」岸「頼ってばっかりですね、僕は…」江「ね?だからそこをね、心配させないこと。これ、TVをご覧になっていらっしゃる方も多くの人がそうだと思うけど、よく亡くなった人に頼るんですよ。『あれも助けて、これもしてちょうだい』ね?でもそれはね、愛情じゃないんですよね」岸「それは駄目なんですか…まあよく手を合わせる時に『願い事をしちゃいかん』という風に言われてて、なるべくそれはしないようにしてるんですけどね」江「あのね、願い事をしてもね、大丈夫だとすれば、奥さんが岸部さんのことを愛していない場合ですね。『もうどうでもいいや』って思える人だったらば、何を頼んだって耳、右から左に聞き流しでしょう?ね?だけれども奥さん自身はやっぱり岸部さんのことをとってもね、もう…我が子のように心配している。だからそういった意味ではね、その言葉はきついわけですよ。だってその、病院が嫌いとかね、どうとかじゃない。奥さんは自分で具合が悪いのを自覚してましたからね、亡くなる前。『このまま病院に行ったら入院になるだろう』っていう風に自分で思っていたんですよ。でもそうしたらば岸部さんは誰が面倒をみるか…だから自分の命を…もうそれこそ引き換えにしてでも守り抜いたわけですよ、岸部さんをね」美「だから生きてる時に散々心配かけてね、それまで愛してもらって甘えっぱなしだったんだから、今度は逆に恩返しをしなきゃいけませんよね。恩返しが何かと言ったら、つまり60年近く甘えっぱなしの人生でだらしなかったのをちゃんとして、今こそ大人になって、そういう風にもうしてお上げになるのが、愛情の恩返しでしょう?ね?『お役目終わってね、楽になって下さい』という風な気持ちにおなりになれば…そうすると奥さまも心配なくスーッと行くところへ行けるし、岸部さん自身がね、スーッと体が楽になってね、病気も治っちゃうんですよ。そういうものなんです」続きます。「オーラの泉の日記」
December 3, 2008
内藤さんが心配性でマイナス思考である一方、奥さまはプラス思考であっけらかんとした性格。お二人は前世でも深いつながりがあったようです。江「美輪さんからも面白い言葉が出てくるし、ご本人からも出てくるし、最初から『どうしよう・・・先に言った方がいいのかな?こじつけるみたいに思われて嫌だな』と思いながらね☆」美「何だったんです?☆」江「キーワードは二つ。一つは美輪さんが武士道という言葉をお使いになった。もう一つは『よくアニメを観ていましたね』と言ったときに、内藤選手が何も考えずに『忍者ハットリくん』と言いました。忍者だったんですね、前世でね。忍者というと、漫画みたいで可笑しい感じがするんですがあれは武術と修験道が交じっているようなものなんです。要するに信仰なんですよ。武士とも言える、武術家とも言える、行者とも言える、そういう人が忍者、本当にいたんですよ。奥さんも一緒だった、いわゆる九ノ一(女性の忍者)というやつですね☆だから、いざというときには奥さんが『行け!』って感じなんです。申し訳ないけど、奥さんの方が雄々しいかな☆」内「・・・おおしい?」美「男っぽい」内「まったくそうですよ!ごめんね☆度胸もすごくいいの☆僕なんかの比じゃないですよ。僕はチキン(臆病)ですけど☆行動は女の子っぽいですけど、度胸は男っぽい」江「特に追い詰められて、ギリギリ駄目ってなると『しょうがない』ってなっちゃうんです。最後の腹くくりが強いの」美「開き直り☆」内「そうそう。すごくわかる・・・」江「今までも、才能もあったけれども、内藤選手はいらぬ心配をいっぱいするんですよね。これがイメージトレーニングが良くなかったかなと。奥さんと出会われてからの方が、よりポジティブシンキングになったはずなんですよ。そういった意味では、出会うべくして出会い、夫婦一体。リングに上がるのは内藤選手だけれども、常にひとつ。それは前世というところからの繋がり、そういう役目を持っていたわけでね」「オーラの泉・内藤大助さん」***元気なパートナーが突然うつ病になったときの夫婦の愛の物語。お話は寿美花代さんです。寿「うつというと、自殺を一番恐れました。まず、包丁とか、凶器は隠してお風呂の水は抜いて。私はそれこそ、夜は2年間はぐっすり寝なかったです。夜中に2回くらいトイレに行くんですが、行くな・・・という頃には目が覚めてじっと寝ているふりをして、ベッドに帰ったかな・・・と思うまで見届けてそれから寝て、主人が起きる前に起きて。それは本当に、地獄でしたね」美「よくなさいましたね・・・」寿「これは本当に使命だと思って、辛くはなかったんです。『この人を助ける人は、私しかいない』」美「生き甲斐でもありますよね」寿「生き甲斐です。生き甲斐というと・・・楽しみじゃないですよね・・・」美「楽しみじゃないけれども、生きるエネルギーにはなりますよね」寿「そうですね。『高島忠夫を助けるのは、私しかこの世にはいない』と、思いました。その間、主人の母が死にました。死んだということを伝えると後追い自殺が多いから『絶対に言っちゃ駄目』と主人に言われました。それを隠すのにどんなに苦労したか。母の日ごとに、政宏や政伸は花束を贈ってくるんですね。その日は門のところに待っていて、花屋さんが来たらそれを隠して外へ置いたまま家に入って、母の日ということは主人には知らせなかった。それが3年、続いたんです。亡くなってから3年も、ものすごく辛かったです、母の日。でも、私自身は、自分でよくやったなとは、今、思いますね」闘病は6年間続いたのだそうです。高島政伸さん「父親本人が一番きつかったと思うんですけれども、母親は常に明るく気丈にね、ユーモアのセンスを忘れずに本当に頑張ってたと言いますかね…そういう印象を持ってますね。母親が何か本当に引っ張っていってくれたような…母がいるから頑張れるというような、母がいるから無い勇気も振り絞れると言いますか…そんな存在でしたね」高島政宏さん「うつの人にはピアノを弾いたり、いわゆる楽器、歌を歌わせたりするのがいいということで『リハビリライブ』というものを開催したんですけれども、これはライブという名前の完全に父を知る僕らの家族、もしくは仲間、親友達の、さらにその親族のみという。全員に始まる前に『とにかく間違っても、野次を飛ばしたり、昔の父を想像しないで欲しい。これはあくまでも治療なんだ』ということで、僕らも必死でしたから、半ば強引に一人一人に確認をとって、一か八かの賭けで、父に無理やりピアノを弾かせて歌わせたんですよ」家族の協力で高島忠夫さんは奇跡的に回復されたのだそうです。江「実はね、このご家族というか、お子さんもそうだし、ご主人もそうだけれども、これ本当に前世からの関わりが深いんです。前世においては、ご夫妻、男女逆だったんですよね。寿美さんて非常に純粋で優しい方だけれども芯の中に凄く強い頑固さとか、男とか女とか言うのも変だけれど…そういう思いというか力、持っていらっしゃいますでしょう?で、ご主人さまの方が可憐な女性でしょう、中身の部分は」美「そうそう」江「凄く紳士な方だけれど、デリケートで全く逆。それが…私、パーッと見えてきたのはね、韓国か中国の、そっちの方の…で、寿美さんがね、皇帝みたいなね、すごく身分の高い…そういうお姿。で、芸術を物凄く愛していたんですよ。歌舞をとにかく。その歌舞を愛していた…やっていた今で言う芸能人、そういう役の人がご主人。それでいて、愛情関係があったんです。やはり昔だから、正妻っていうのと、そういう愛情を持つというのが違っていて…だからそういった意味では…その…女性との間っていうのは、まあ今のご主人なんだけど、実らすことはできなかったんです。だから、本当に家族の絆を学ぶために、何回も生まれ合って家族になっているんです」病を克服されて、夫婦の絆は一段と深まったのだそうです。美「家族というものは、ただ血が繋がっていればいいというものではないんですよ。だた血が繋がっているだけの家族なら、血縁者に過ぎないんですよ。家族というのは、この世の荒波、時化があって、いい天気になって、穏やかな海があってありとあらゆる天候、それにお互いに筏に乗って、手を携えて助け合ったりね。今日は凪だから岸辺に行ってご飯を食べたり。そういうものを共に、苦しみ、悲しみ、いろんなものを潜り抜けてきた思い出を共有したものだけが、家族なんですよ。だから、素晴らしい家族の条件を満たしてきたということなんですよ」寿「主人も元気になったし…今日は幸せだった…」「オーラの泉・寿美花代さん」読んでいただいてありがとうございました。明日からは今回のゲストである岸部四郎さんのお話をアップする予定です。「オーラの泉の日記」
December 2, 2008
夫婦の絆について語られた回を振り返るスペシャル。最初は泉ピン子さんです。***国「人生の転機の中に結婚というのが…出てきましたけれども」泉「結婚は…この局の徹子さんの『徹子の部屋』で…その前の週に『え?結婚なんて全然する気ないです』とかって言って。で、『座頭市(1989 制作・監督・脚本・主演 勝新太郎』という映画が入っていたんですけど勝さんってあのような方ですから、役が無くなっちゃってたんで…『いや(脚本を)切ってたら、お前の役、無くなっちゃった』って言われて☆『カットしてたら、どう見てもお前の役、無いんだ』とかって言われて、『ええ?…そうですか…』みたいな世界で。じゃあ、白血球が前から高かったし、白血病も怖いし…で、検査して入った病院が『ガン研究センター』っていう『ガン研』っていうところで。そこでガラガラ…って『担当です』と入ってきたのが…私は入ってきた瞬間に『この人と結婚するわ』と思った。タイプじゃなかったのよ、はっきり言って。すいません☆」国「どこでじゃあ、結婚するって思ったんですかね?」泉「いや…入ってきた瞬間に『私、この人と結婚するんだ』と思ったの」国「はあ…タイプではないんですよね?」泉「全然タイプじゃない」国「でも、何か感じるものがあったわけですか?」泉「いや…わかんないんだけど…で、その徹子さんの『徹子の部屋』でも『結婚?全然興味ないです』と言っていたのに何で結婚したんだか、これもわからない」国「お付き合いはその後、続くんですか?」泉「1ヵ月くらいに、担当医だったからお礼にお食事を。そのとき主人が『渋谷のハチ公前で待ち合わせしたい』って言われたの。あなたハチ公前よ☆悪いけど、ハチ公前なんて私、悪いけど立っていられないじゃない☆一応、泉ピン子よ☆『そこはちょっと…』と言ったら、『じゃあ、僕が知ってるのは六本木の角のアマンドなら…』そこに入ってるのもね…」国「そうですね、どちらにしても、待ち合わせ場所が派手ですね☆」泉「『じゃあ、人をやりますから』と言ってマネージャーを行かせて、で、食事に行って。そうしたら、やたらと電話がかかってくるようになって。3ヵ月目くらいに『結婚』と言われて『やめなさいよ。だって家に帰ってきて、電気をつけるのは自分よ。夏は暑いのに冷房が入っていないよ』『私ができたら奥さんみたいな人が欲しいのにそんなにしてあげられないんだから。朝起きないよ』って。でも『そんなのは両方が、お互いができる人がやればいい』とか、そのときは上手いこと言って。何にもやりゃしない☆『台所はお互い、立てる方が立てばいい』やらないじゃない!☆」国「でも、人生の転機になっているわけですよね」泉「転機ですよ。そのときに主役はもう来ないと思ったもの」国「でも、その後もどんどん主役がくるわけですものね」美「いや、どんどん上り坂よね」泉「まあ…そうですかね…」江「泉さん、実はね、前に生まれていた時、歌手だったんですよ。で、あの…要するにシャンソンとか、そういう…だからフランス…」泉「え?大好きなの、シャンソン…」江「歌っていらっしゃったんですよ。で、散々ひどい目にも一杯あったんだけどお店や歌う場所とかそういったことで、いろいろな苦労を重ねながら自分自身で歌い続けていった人生なんですよ」泉「私、キャバレー時代も長かったんですけど、現世も。いろんな場所、日本全国」美「それは前世でやったことの続きなの」泉「続きやってたんですか?」江「あの…いまのご主人いらっしゃるでしょう?そのときにずーっと支えてくれた人ですよ」美「前世から」泉「前も一緒だったんですか?」江「一緒じゃなくて、パトロンというか、今で言うスポンサー。そんなに一杯の力があったわけじゃないんだけど、その人は自分の持っているものを全部投げ出してやってくれた人なんですよ。たくさん持っている中の余力でやったんじゃなくて本当に徹底した。だから、尽くさなくちゃいけないんですよ」泉「ガン研時代はお給料が安いから尽くしましたよ。週刊誌には『玉の輿に乗った』と書かれたけれど、私、『逆玉』じゃないかと思いましたよ。黙っていましたけれど、ありとあらゆることを書かれて…」江「大変ですよね、お医者さま。でも、それを言ってはいけないんです。恩返しだから」泉「今、思いました。恩返しなんだ…。そうなんですか、縁ってそういうものなんですか」美「そうですよ」「何でこんな人と結婚したんだろう?」と思うご夫婦ほど不思議な縁で結ばれているのだそうです。「オーラの泉・泉ピン子さん」***今年7月、3度目の防衛に成功した世界フライ級チャンピオン・内藤大助さんは昨年、亀田選手との試合直後にご出演になっていました。江「足の調子がずっとよろしくなかった時代があったんじゃないですか?内「足の調子…」江「うん。要するに怪我をしたか、足が痛んだっていう…内「…前チャンピオンと戦う直前に…」江「あのね、でも回復が早かったはずなんですよ」内「そう!」江「でしょ?ご本人、もしかしたら聞きづらいかもしれないけれど、聞いていただきたいのはもう一人、ご兄弟がいたはずなんですよ」内「あ、あの…今の兄弟以外に?」江「はい」内「そう、そう…」江「この世に生きて…駄目だった…」内「流産しちゃった…」江「そのご兄弟さんが助けてくれた。そのことを忘れないでいてあげて」内「そうですか…」江「だから亡くなったご兄弟が陰ながら、一生懸命応援していて『自分の分も、頑張って生きてくれ』というのもある。そのご兄弟がどうして、足を助けてくれるかというと、お母さんがいつも『頼むよ』という願いがあるからなんです」いじめられっ子だった内藤さんを甘やかさず厳しく育てられたのがお母さま、そしてアルバイトで生活費を稼ぎながら無名時代の内藤選手を支え続けたのが奥さま。内「極端に言えば、世界チャンピオンにならない限りボクシングだけでは食べてゆけないので・・・」国「それが何年も続いていたわけですよね」内「そうですよね、もうギリギリの生活というんですかね・・・僕、日本チャンピオンになって、ファイトマネーが一時的に入ります。それはもちろん、全部使わないですよね。それをちゃんと取っておいて、あとはアルバイト。二人一緒にアルバイトをして。やはりボクシングの方が大事ですから、アルバイトも長い時間やらないわけでだから収入も少ないわけですよ。その収入だけでやっていけないからファイトマネーを切り崩してやっていたという感じですね」美「立ち入ったことを伺ってちょっとはしたないんですけれど、奥さまとお働きになってアルバイトはおいくらぐらいになるんでしょう?」内「王座を獲ったときなんかは、試合の1ヵ月前まで僕、アルバイトをしていたんですけど夫婦合わせて月収12万円、実際は10万前後しか稼いでいなかったですね」美「そこからお家賃を払ったりなんかなさる、光熱費を出したり・・・」内「そうですね。今は世界を獲って、やっと食べていけますけれども・・・」美「大変でしたね・・・」内「本当に、周りの協力なしには、自分はなかったんですよ。本当にそれは、感謝してます、すごく感謝してます」22歳でプロボクサーに。19戦無敗でランキングを上げ、2002年、2005年に世界チャンピオンに挑戦するも敗退。内「あの・・・二回目のチャレンジのときに『負けたら引退』とは決めていましたね」国「奥さんにも『二度目の世界戦を失敗したら引退する』と言っていたんですか?」内「『辞めるよ、俺』とは言っていました」国「三度目に挑戦するときに『やっぱりもう一回、やりたいんだけど・・・』ということを話したとき、奥さんのリアクションってどうだったんですか?」内「『あ、本当』」国「そんな感じですか」江「奥さんって、あっけらかんとしてる人なんです。だからどっちを言っても『ふーん』やるも辞めるも『あ、そう』」内「まったくそうです」江「だって奥さんの力が絶大なんですもん☆」美「でも、それは救いよね。一緒にがっかりしたり『どうしようか・・・』なんて言われたら、真っ暗けよ☆『あ、そう』と言われたら、楽ですよ」内「めちゃくちゃサバサバしてますね」江「ある意味ではよくわかっているというかね『あんまりそこで関わってもしょうがないから、放っておこう』というところもあるんですよね。だから内藤さんが一人でクヨクヨ悩んでいるときでも横でいびきをかいて寝られる人です☆それが腹が立つんでしょ☆」内「そうそう☆試合の前日に☆ごめんね、かみさん☆(この日はスタジオに奥さまもいらしていました)あの・・・僕は二歳の子どもがいるんですけど、かみさんが『ちょっと寝かしてくるね。また起きてくるね』と言ってくれたんですね。『待ってるよー』と言って・・・そうしたら、そのまま寝ちゃって☆辛かったですね、その日はね。『話、聞いてくれないのかなーもう・・・』」美「面白い☆」国「江原さんの言ったようなことが、本当にあるんですね☆」江「だから、いいんですよ☆」内「そういう性格」江「ええ」「オーラの泉・内藤大助さん」続きます。「オーラの泉の日記」
December 1, 2008
29日(土)の放送は夫婦の絆スペシャルですね☆***海老蔵さんには守って下さる大きな存在があるようです。美「あのね、お宅の成田屋さんのね、ご守護でね、よく拝みに行くのは何故お不動様かというんですよ」海「不動ですよね…」美「不動でしょ?動いちゃならない、決定(けつじょう)しちゃって、ね?ビクともしない、何が起ころうと泰然自若、全く揺るぎの無い。それで煩悩だとか、いろいろ邪まな事柄が出てきたり、そうするとそれを剣で断つ。ね?だから揺るぎが無い。そのために、フラフラ…しないために、不動っていうもの不動明王がついているわけだから。それもちゃんと意味があるんですよ」江「だからいろいろ試したりとかっていう、さっき言ったみたいなこともね一見、聞こえがいいかもしれませんけれど、その不動心がちょっと欠けるから…」海「欠けます。明らかに欠けますもん。耐えられなくなる。これ、前世のことなんですかね…その自分自身の個性は、我慢した方がいいんですか?その部分においては、やっぱり…」江「そう…やっぱり『短きは補う(短所は直す)』長きはそのまま、ね?伸ばしていけば良いことであって…」海「結構気に入ってたんですけどね、この性格…」江「でもその割には、だって最初に『もうそろそろ自分も…』」海「それがフラフラ…してね☆さっきは建前も考えた上での発言もあって『言っておかなくちゃいけないかな?』ぐらいな☆でも本能的には、それも思っていてでもやっぱり、これだけ時間を過ごすと…あ、やっぱりこう…ね?『…何かな…』みたいなものもありますよね」美「今、何歳におなりなの?」海「今、30歳です」美「あ、じゃあ無理もないわ。まだ子供ですもの、そりゃしょうがないわよ」海「いや、でもね…そう言われちゃうと、ちょっと悔しいですね☆」国「フラフラしてますね☆フラフラ…どうですか、いずれ…今の話を聞くと團十郎になられるわけじゃないですか」海「だからもう、そういうことを頑張らないといけないですよね。ギリギリまでフラフラしてたいっていうのが、やっぱりどこかにあるんでしょうね。もうだから、分かっているんですよ、あの…おっしゃっていることが。『もう絶対、そうなる』って。でもやっぱり、世というものはね、誘惑が多いというか☆…だんだん逸れていって『あ、フラフラしていても、いけるのかもしれない』とかいうのをちょっと気づくと…それは過ちですね…過ちでしたね」美「いや、勉強ですよ、過ちじゃなくて。だってそれが無ければ『伊左衛門(いざえもん「廓文章(吉田屋)」の主人公。遊女の夕霧のもとに通いつめたため親に勘当されてしまった若旦那)』なんてできませんよ。ね?」海「あー…そうですよね…」美「そうでしょ?」海「まあ…遊んでる役は比較的、今だったらどうにか…なる☆」美「だから、それはそれで一つの勉強なんですよ。いけないことじゃないんですよ。だから世の中ね、人生には無駄なものなんて、何もありゃしないんですよ」海「そうですね…うん…」国「そうなってくると、もちろん、もっともっとこう…團十郎を続けていかないといけないと思うので跡継ぎということもやっぱり…」海「あ、そうだ。今日ですね、父に『こういう方々と会うんですよ。何か訊きたいことはありますか?』『いや、特にない』とまあ、不動でしたね☆それで、母に聞いたらば『お前は結婚はどうなっているんだ』と。『それだけ聞いて来い』と…あ、そうだ、いま思い出した、忘れてた☆俺、結婚するんですかね、やっぱり…どうなんですか?」江「…うーん…まあ、まだいいんじゃないですか、先のことですから」海「あ、そうですか」江「うん…もちろん、しますよ。するけれども、あの…着地してからですね」美「だから、もう少しね、まあ完全にはお出来にはならないでしょうけれど、不動の心のねその不動心がもうちょっとね、面積が広くなった頃になさると、良いご家庭もできるし相手も迷惑しなくて済むんですよ」江「そうですね…」海「もう迷惑かけっ放しですからね」美「だから、あの…もうちょっと自己の確立の方が先決問題でしょうね」江「ただですら、これから…3…4、5年位の間が、物凄い…ある意味での成長期なのでね…物凄く改革がありますよ、いろいろありあます。だから、あの…それで完全着地はすると思いますよ」海「…え?え?…ちょっと言っていいですか?もしここで、この会話をしなかったとしても僕は4、5年後、着地してたんですかね?」美「無理でしょう」海「あ、無理なんだ…☆」美「だって、お耳がふさがってたんですもの、昔は。耳が開いてきたの☆」国「でも、どこかで今日、何かこういうことを言われるんじゃないかなっていうことはちょっと自分の中でも分かってた気が、僕はするんですけれども…」海「どうなんでしょうかね…そうかもしれないけれども…ここまで具体的なことじゃなく…あの、何か潜在意識を…何か手術の時に麻酔されて内臓を触られているような気分ですか…わかんない☆」国「なるほど☆」江「正直だし、素直な方ですからね、だから本当に自分にとって必要だと思ったら受け入れます。だって分かりやすい人なんですよ。部屋の中もそうなんですよ。心が安定している時と安定していない時は。ぐちゃぐちゃっていう時ときちんとしている時と物凄い差じゃないですか?」海「物凄い差です。もうおかしいですよ」江「ね?本当に人が住むところか…みたいに見えますからね」海「だから綺麗な時は何もないですし、きたない時は寝る場所なんてない」国「へえ…」江「さっき言った洞窟の暮らしがあるでしょう?それと似たようになっちゃうんですよだから」海「今、家の日本間で寝てますね。ちょうどお不動様がいるところで寝ているんですけど」江「あ、じゃあ…(美輪さんと顔を見合わせて)」国「それは、そこで寝ようと自分で何となく」海「最近なんですよ」美「ですから、ご自身が意識していらっしゃらない位にね、お不動様の方はね本当にじーっと見て守っていらっしゃいますからね」海「あ…そうなんですよ。それで日本間で寝るようになってからお不動様が目の前にあって、朝起きると何かしゃべっているんですよね。言葉は発するわけはないんだけど『とりあえず、挨拶くらいはしろ』と。一応、毎日お参りをして出てくるんですよ。でも、やっぱりそれは形なんでしょうね」美「心が篭もってないのよ」海「確かにそうなんです。子供の時から、願っちゃいなかったですし思ってもいなかったんですよ」美「ご挨拶もしてなかったのね、形だけそうやってたの」海「そうですね」美「それでもう、心がスッカラカンで、交流が何もなかったから」海「それをしなくちゃ家を出ちゃいけないみたいな、ところがありまして取り合えず(手を合わせて)『うぅ~』って出て行っちゃうような☆もうどうしようもないタイプですか…でも、最近その…何か言われて『まず、窓を開けろ』と。最近は…三日坊主で終わるかなと思ったんですけど…言われているので、何か分からないですけど、窓を開けるんですよ。で、取り合えず、今は落ち着いてる感じなんですけど…どうなんですかね、その辺は」美「いやだから、それは正解ですよね。ちゃんとそれはお不動様の言葉を受け止めていらっしゃるの」国「凄い…」海「有難い感じがしたんですよ。何かよくわからないんですけど…いや最近、ちょっと変わっているんですよ、何か分からないんですけどね」国「でも、それを開けることによって、落ち着いているわけですものね」海「うん…落ち着いていますね…今、開けるだけですよ、窓を」江「それはだから、窓を開けて空気の入れ替えだけだと思うじゃないですか、それだとね。さっき美輪さんが言った言葉で『空を見て、俯瞰して』っていうことの…要するにね、象徴的な意味合いであって『窓を開けろ』というのは『自分の違う視点を持て』という…空気の入れ替えという意味じゃないですよ☆」海「あ、そうか☆」美「グローバルにっていうこと。だから空を見て、世の中全体を見て。地球を見て、地球の中に国が分かれているの。その国の中に県があって、その中に市があってそして町があって、町の中に一軒一軒、家があって、一軒一軒の家の中に部屋があって部屋の中に人間がいて、そうして人間の中に内臓があって、その中にいろんな細胞があってそうやってずーっとミクロの世界を見るようにね、ずーっと俯瞰で見てたものが一つ一つ…それが観世音菩薩なんですよ。世の中を、世の音を観るって書いてあるでしょ観世音っていうのは。だから『この者は悲しんでいる』『この者は苦しんでいる』『この人は悩んでいる』『この人は放埓ばかりしている』そういったものを俯瞰でずーっと観ると、世界全体からずーっと寄っていくわけですよ。だからそれを、自分の私生活にも、舞台にも、役作りにも全てに生かすということなんですよね。そうすると一つの役が、弁慶の役にしても、富樫の役にしても、もう一つ一つの役がね全部もっと奥深く、底知れないものに、物凄く大きくて楽しいものになってくるわけですよ。そういうことをお不動様はおっしゃっているわけですよ…(江原さんを指して)このお不動様も…こちら大黒様もおっしゃっているの☆」【エンディングトーク】国「さあ、お二人の話を聞いていかがでしたか?」海「大変ためになりました。本当に良かったですね」国「でも、お二人が話している時に『絶対、海老蔵さん言われていることは分かっているな』と思ったんですよ。凄いレベルだなと思ったんですよ」海「でも分かってることが分かってる方も凄いじゃないですか」国「あ、俺ですか☆すいません、何か…そうですかね☆これからまた、TVだったり舞台なんかで海老蔵さんを見て『あ、変わってきてるな』ってことを、ちょっと愉しみたいと思いますので」海「そう思われるのは、ちょっと悔しい☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 宿命は素材 運命は料理。持って生まれた才能(素材)を生かすのは料理(努力)の仕方次第です。地に足をつけて、一人前の心づもりを。【オーラの言葉】☆ 情報に惑わされず自分なりの視点を持つには世の中を俯瞰で見ること。そのために必要なのが教養と冷静な知性。(美輪明宏著「愛の話 幸福の話」より)読んでいただいてありがとうございました。************************************************11月28日、午前1時55分より、新月が始まりますね。メールマガジン第82号をお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
November 27, 2008
最近になって、今が人生の大きな転機と思えるようになられたようです。海「30歳っていうことになってきて、まあ『今までにままじゃいけないぞ』と。まあまた突っ込まれると答えに困るんですけど『このままじゃいけない』と。やっぱりもうちょっとしっかりしないといけないのではないかと。人間としても、役者としても。それはやっぱり今まで僕が、今おっしゃったように材料があっても自分の料理の仕方をもう少し工夫するべきではないのかってことを…まあお言葉を借りるようで申し訳ないんですけど、それをこう…ちょっと見直さなきゃいけないかなと」国「じゃあ、早速メッセージの方に…」江「本当に難しい…ねえ?」美「そう☆」海「何か気まずい感じですか?☆」江「…」海「怖え~☆」美「怖え~のよ☆」江「…ちょ、ちょっと遠巻きのところから話しましょうかね…」海「怖え…お茶欲しい、これ…☆」江「それで、夢物語の前世の続きですけどね、いくつかある中の一つってありましたけれどね、その前も結構やっぱりあるんですよね。でね、そこでとっても象徴的に思うのは実はねスコットランドにいらしたことがある。でいてね、剣がとっても得意だった。あの…剣術ですよ。やっぱりその頃も結局はまあ…ある程度の位を持っていらっしゃったというのがあったんだけれども全部、家を捨てたんですよね。何かその時、時代とかの土着(その土地に代々伝わる)の何か宗教的なことじゃないかと思うんだけれども…」海「土着って何ですか?」江「洞穴みたいな…洞窟のようなところ、そういうところに入って中でずっと暮らしたっていう…祈りの日々を送っててね…」海「憧れるとこある…」国「あ、そうですか」海「うん…」江「私は非常に不思議に思うのは、芸術ということに対する才能はもちろんあるけれどもどっちかと言うと海老蔵さんの場合は修行僧なんですよ。だから僧侶に憧れるのも分かる気がする。だから常に自分との自問自答の中で繰り返して…要するに禅問答してるというかね…だから自分は自分の全ての立場、全部捨てて…そういう風にしてますでしょう?だからね、意外と捨てることに対する恐怖心はないんですよ」海「そうなんですよね…今だにやっぱりそこは葛藤があって、例えば市川團十郎家って…辞めてもいい覚悟があるんですよね。全部捨ててもいいって、子供の時から思い続けている。それはあるある…って」江「それがある意味で、すごく危険なところでもあってね…」海「そうなんですよ、危ないんですよ☆それを抑えられない自分が…」江「今ではね、舞台に立っていらっしゃるからお客様のことも考えるんだけど実は自分との闘いのためにやっているところがあるんですよ、常に」海「そういうところがありますね、若い時は特にそうでした」江「だから自分の中の哲学で、それこそ芸術もそうだけれど、人格的なこと、哲学ね。それこそ『自分はこれをやって、これには何の意味があるんだ?』一つ一つの型を見ても『これに何の意味があるのだ?』ということを、常に一個一個、しらみつぶしのようにね、だから尽きることがないわけですよ、毎日、毎日。だから『今日は何も考えることないや』っていうのはないんですよ」海「ないですね」江「元々が…生きる禅問答の人なんですよ」海「ふーん…」江「ね?禅問答の人…で、そういう前世もありますよ。だからそうやって篭もる。また面白いんだけども、この国にいた時もあるんですよ。それは何をやっていたかというと山伏をやっていたんです。だから後もう一つには、火を見るのが好きなはずですよ」海「あ、大好きですね。大好き大好き…」江「で、火を見てると落ち着くはずなんです」海「あ、落ち着く落ち着く…☆」国「あーそうですか☆」江「だから要するに山伏とかの人がやっていた護摩…」海「あー護摩、そうですね」江「焚く…こう…見て落ち着くっていったら火なんですよ」美「そうして、お不動様(不動明王 炎の中に座し剣と縄を持ち心の内外の悪魔・煩悩を祓う)が後ろに火を背負っていらっしゃるの。火焔の中でね。で、あの…團十郎さんのところはお不動様が守っているからそれでしょっちゅう成田山へ行っていらっしゃるでしょ?」海「はい」美「だから『鳴神』なんていうのは、ぴったりなのよ」江「…全然話は違うんですけどね、あのね『子供が親を選んで生まれて来る』と私は言うんです。そこが自分に一番ふさわしいと思うから。お父様自身と一番の違いっていうのは、お父様は常に基本、型の人なんですよ。だけれども海老蔵さんはね、それを全部、壊すタイプなんですよ。壊すっていう言い方は間違いかもしれないんだけれども、その時その時の意味合い理由があるから。その理由に合わせて臨機応変するべきではないかという考え方なんです、元々が。でも、このお父様がいて下さるから常に基本は頭から離さないんです。このお父様でなかったら、逆に言うと、水が氾濫するように訳がわからなくなっちゃう可能性があったの」海「うん…それはあるかもしれない…」江「だからそういった意味では、この家に生まれて来たというのは、敢えて自らが望んでその型というものの中で自分がどのように生かしてゆくかということを自らに課せたんですよね」海「いや…でも凄くその通りだね」国「あ、そうですか、今の話も…」江「(美輪さんと少し小声でお話されて)…で…」海「で…」美「これからが問題☆」江「あのね…実はこれね…非常に…今日やっぱり、お出になられたのは意味があって…何故かというと今よりも少し前なんですけれどね…去年くらいかなあ…またね、いろいろと捨てたくなっちゃってた時期なんですよ」海「うーん…ちょっと待って下さい、ちょっと待って、冷静に考えさせて下さい…去年?…何かを捨てよう…ああ…はいはい…」江「申し訳ないけれど、はっきり言うと強さと弱さとが物凄く共存してるから」海「あーそうですね」江「常にその…『貫こう』という熱意、そして強い意志と、後は不安…誰もがそうかもしれないけれど、特に強い、そのコントラストが。炎のように強い。それが見事にオーラに現れているから。だから非常に赤い強い色もあるんだけれども物凄いブルーもあって、それでいて、紫の部分はとっても大きいんですね。ということは、やっぱり『ああ、優しい人なんだな』ということが分かるんだけれども。だから常に自分が今まで『情に振り回されずにいかなければ』っていうことがいつも闘いだったはずなんですよ。『冷静に、一番良いことをだけを貫く。馴れ合いとか情とかそういったことで答えを出すことだけは止めよう』っていうねここがいつも葛藤だったと思うんですよ。『これを言えば角が立つんだけど、でも言わざるを得ない』とかねそういうことがいろいろと、いっぱい周りにあったと思うんです。で、そこで…最初のお言葉じゃないけれども、本当に一人前という心積もりを持たなければ…なります」美「今、江原さんがおっしゃったことを通訳しますとね…」海「通訳…はい…☆」美「その…英国にいらした頃ね、穴の中でずーっと修行していらしてね今度はそれがあったがために、そこからポーンっと飛躍しちゃって、グローバルに…空を見るっておっしゃったでしょう?空を、その人が見たいのね、大きく…今までこうやって(小さくうつむいて)いたでしょう?だから今度はそれをバーンっと断ち切って、うわあーっと羽ばたいて今度は俯瞰で全てを見るということね。地球規模で、世界規模で、とにかく…今は梨園(歌舞伎役者の世界)というものが、形で、型で『何々家の型』…練り上げられて、そう出来たんだけれども、今度はそれを打ち破ろうと…六代目・菊五郎(1885-1949 初代・中村吉右衛門と共に「菊吉時代」を築いた名優。歌舞伎に近代的な解釈を加えた)と言う方がね、打ち破ろうとしていろんなことをおやりになったでしょう?新しいものをおやりになって、自分で研究したり…何か今までのものをぶち破って…でないと歌舞伎は衰退していって古色蒼然としたものになる…もう言葉が判らないですから、能とか歌舞伎っていうのは。もう個々でしゃべられてますからね、古い言葉で。今は『マジぃ~』とか、今『怖え~』っておっしゃったけれども『怖え~』なんて言葉は昔はなかったんですよ。『怖い』でしょう?だから、そういうものが全部、言葉や何かもズレまくっている…それを、どう昔のものをやりながら接近させて、若い人達が観ても『わあ、面白れえ』っていう風に言えるものをもってゆくか。古いものを残しながら、それを現代風に、現代の人たちに、どう通訳して判らせてゆくか…ってうことが、これからの一つの大きな課題と目的でその責務だということをおっしゃっているわけでしょう?」江「ちょっと余談なんですけど…兎にも角にもね、あの…舞台以外のことで事故、怪我、注意です。時々、気持ちがあまりにも苦しくなった時に割りと無謀な行動を取るんですよ」海「いや、かなり無謀ですね、僕。何か…『よく生きてたな』っていうことが凄く多いです」江「プラスね、自分を試すんですよ。『これに自分は恐怖を抱くか?』とか、後は『これで死んでもいいか?』とか」海「いや、だから『運命が殺すんだったらば死んでしまうだろう』という位の気持ちでやっちゃうことがありますよね」江「さっき言った『素材と料理』、これをよく理解すれば、あの…そんなことで料理を誤ったらいけないんですね」海「そうですね…焦がしちゃいけないですよね…」江「決まってないんですよ、出来は。自分次第」美「あのね、だから何故ね、こういう世界へ自分で選んで来たかって…つまり、責務、義務の勉強のためなんですよ」海「…みたいですね、何か話を全部まとめてみると」美「そうなんですよ。責務、義務を。義務や責務はなくて良かったんですよ、前世は。ね?」海「うん…もう一回位、続いて欲しかったですね☆」美「そうはいかない☆だから、義務も責務も感じなくてね自分勝手に自分の好きなように生きていれば良かったんですよ。ところが結局、歌舞伎になると、あなた自身がいなくなると他の脇役の人たちや他の役者さんたちも相手役の人たちも、皆さんお困りになる。ね?それで歌舞伎全体が困るようになる。例えば劇場の人たちもとにかく数え切れない大勢の人たちが、たった一人の不始末で皆が困るんですよ。だから、それを勉強するために、自分で選んだんだから、覚悟を決めなさい☆」海「覚悟ねえ…☆」江「本当にね、海外とかでも暮らしやすい人です。『もう…向こうで暮らそうかな?』みたいな風になる人です」海「ああもう、全然思ってますね。だからあの…芝居をしている時は、結構芝居ばっかりになるんですけど、ちょっと一度休みに入ると『海外に行こうかな?グリーンカード当たらないかな?』くらいの勢いで…結構考えたりしますよ、普通に…いやさっきも考えてた」国「本当ですか?『海外いいかな?』みたいな…」海「『ハワイとかいいかな、いやヨーロッパもいいよな』…でもやっぱり歌舞伎をし続けるということですよね」美「自分で選んだんですもの」海「もうそうですね、わかってます…でも一応ほら、言われてちょっともう一回確認のために☆」続きます。「オーラの泉の日記」
November 26, 2008
海老蔵さんはパリ・オペラ座で不思議な体験をされたようです。国「旅先に行くと…」海「行くと…っていうか何か…不思議だったのは…そうですね、初めてオペラ座に行った時なんですけども、何歳だったかな…20代ちょっといった時かな…マネージャーと僕と、案内してくれる人で中をいろいろ歩いていたんです。誰もいない時なんですけど、何か明らかに、後ろに人が常に歩いているんですよね。で、黒い人がいて…いやこれ、勝手に自分で考えちゃってることなのかもしれないですけれども何処に行ってもついてくる。『誰かいるでしょ?』と言ったら『誰もいない』と言われて『何なんだろうな?』っていって。でもその人は何かそこで働いてたような人っぽいんですよ。で、その人が『君は絶対この舞台に立つんだよ』と言ったんですよ、何かわからないんですけれども。『立ちたいな』とは思ってましたし『あ、立つんだな…』なんて思ってて、それでそういうお話が来ちゃった。前世とかはよくわからないんですけど、何か関係していたみたいですよ」国「何となく自分で感じるわけですか?」海「何となく僕の前世の何番目かの人が、そこで働いていて凄く貢献していたみたいなんです、そのオペラ座で。分からないですよ、これ☆それで『君はご褒美みたいなところがある』みたいな」国「何ですかね、これは」海「いや、わかんないけど…」江「でも、ご自身でそれを直感的に感じられたってことは、やはり一番の確信だと思いますよね。ただ、まあ夢物語と思ってね、考えていただいていいんですけど、やはり前世っていうのはいくつもありますから。ただ、私自身が今、お話を伺いながら見えてくることで言うとその支配人か何かなさってたっていう…それが前世という風ではちょっと見えない」海「ああ、そうなんですか」江「ただ、そこと関わりがあったということは確かみたいなんですよ。どうしてかと言うとね、あの…ボックスシートあるじゃないですか」海「ボックスシート…はい…」江「ボックス席ってやつですね。ボックス席を持っていらっしゃった方だったっていうのが見えるんですよね」海「へえ…だから結構偉かった、お金持ちだったんですか?」江「お金があった、まあ…もしくは位があったか…」美「貴族…」江「貴族、そう…だから、その支配人だった人にお世話になってた。だからそういう縁はあった。で、『今度はあなたが出る番ですよ』ってその人がおっしゃったわけなんですよね」海「ああ、そういうことなんだ…」江「要するに劇場通いが大変お好きだったというか、そういう時代があるということ」海「そんな感じですね、イメージ的には」江「今でもそれが見えてくるのが、舞台の側から見ると左側の二つ目のブロックの上のボックス」海「あ、オペラ座でですか?ほう…」江「ええ。そこがご自身のボックス…」美「定席だったのね」江「定席…っていうんですか、うん…」国「これ…行かれることはあるんですか、またオペラ座の方には」海「え?出演でですか?…まあ可能性はなくはないんじゃないですかね、はい」国「それは行った時にちょっと見てみると…」海「ああ、いいですね、ドキドキしますね☆」美「めちゃくちゃ豪華ですからね」国「ああ、そうですか…」海「凄い…」美「まあとにかく…だってあらゆる国の国王とか貴族たちが、もう贅沢三昧の連中が来ても恐れをなす位の造りでなければ存在理由がないということで造られた劇場だから」海「吸い込まれる…」美「贅沢ですよ。だって天井だってね…」海「シャガール…」美「普通の物凄く綺麗なデコレーションをしてあったにも関わらずシャガールをその上から張っちゃったんだから。もったいないでしょう?」海「まあ、失礼ですけれど本当は前の方が僕は良いと思うんです☆…あ、そういうことなのか…」美「そうそう☆」海「あ、そうだ!何かね…シャガールの絵って何年前に変わったんですか?」美「もうずいぶん昔ですよ」海「ですよね?僕はね、行った時はやっぱり、シャガールじゃなかったイメージがあるんですよ…あ、だから俺、何か変なことを言ってたんだ…『これ…ちょうど前に来た時は、この絵じゃなかったよね?』って話してた、誰かに」国「あー、そうなんですか」海「でも『何十年も前からそれだ』って言うから…」江「自分の魂の記憶としては違うってこともあるでしょうね。それがフッと何か言うと『おかしいこと言うな…』っていう風になっちゃうだけで、無意識なんですよ、自分自身は」海「嬉しい☆ちょっと見える☆」国「凄いですよね☆」文化大臣アンドレ・マルローに依頼され、ルヌヴの天井画の上にシャガールがオペラ座の天井画を描いたのは1964年なのだそうです。2004年5月、26歳で11代目・市川海老蔵を襲名され、日本のみならずパリ・国立シャイヨー劇場でも襲名披露公演を行い團十郎と海老蔵のみに許される「にらみ」を披露。2007年にはパリ・オペラ座でも公演、演目の「勧進帳(『歌舞伎十八番』のひとつ。義経を守る弁慶と関所の役人・富樫左衛門の緊迫した駆け引きを描く)」は団十郎・海老蔵が弁慶と富樫左衛門を交代で演じる親子ダブルキャストが話題となりその様子を収録した番組はエミー賞にノミネート。その一方で、お父様である團十郎さんは白血病と闘うことに。国「團十郎さんは再入院されて、先日退院されたというお話を聞いたんですけれども」海「はい、そうですね」国「体調の方は…」海「今は一緒に過ごしてますけれども…もう普通の生活は、ほぼできるんですけれどもまあ100%ではないという…」国「あの…どうですか、海老蔵さんにとっては、どんな方ですか?」海「やっぱり…偉大ですね。やっぱり…言葉では、なかなか言い表せないんですけど…今の稽古のことでしたら『見る時も下を向いちゃいけない、こうやって見ないといけない』とか、そういうことを全部…叩き込んでくれたのは…優しくですけれどね…父ですし…やっぱり…悪い子の時もありましたし、まあ悪戯が過ぎることもありましたし、そういうのはまあ…大きな目でよく見ていてくれたな、と…僕が逆だったらば、何か余計なことを言っちゃいそうですけれど、やはりそこら辺、人格がやはりちょっと違うのかな?と」美「まったりしてる方ですからね」海「そう、おおらか。おおらかなんですよね」美「おおらかな方なのよ、本当に。あの…お若い頃から、そうでしたよね」海「うん…」美「やっぱり、歌舞伎っていうのは、王様とかね、強い者だとか、偉い人っていうのを結構、主役ってやらないといけないから。ちまちました育ち方をするとね、やっぱりそれが出るのね。だからおおらかに『ああ、良きにはからえ』みたいな育ち方をするとそれがおおらかな芸風として伝わるんですよ。やはり芸格、品格みたいなものが必要だから」国「今の年齢になると、親父という関係よりも、師匠と弟子じゃないですけれども…」海「いやもう、弟子みたいなものです」国「そういう関係の方が…」海「でも親父ですよ」国「あ、そうですか…」海「うん。それでやっぱりあの…特に今は舞台から父は離れていますし、比較的その…普通の父と息子の関係があって…例えば海外公演とかをやって一緒の舞台に立っているとまあ、僕が生意気なんですけれど…口論になってしまったりとか…」美「どういう口論?」海「あの…位置の話ですとか…例えばオペラ座に出させていただいた時に『勧進帳』という演目がありまして、その時に、最後に見送る形があるんですけれども…その場所を変えた方がより、六方(ろっぽう 歌舞伎で役者が花道を引き上げる時両手両足を大きく振って踊るように進む所作)をして、お幕の方に引っ込む距離が増えるからその方がいいのではないか…というようなことを僕は提案したんです…凄く怒りましたよ」美「あらま、何故?」海「『それはいけない。それは礼儀作法として、上下(かみしも)というものは決まっている。そこでひっくり返しちゃいけないんだ』と」美「飛び六方はどうしたんですか?」海「父はあの…決まった後に、移動してからこっち(下手 舞台に向かって左)に引っ込みました。僕は、またちょっと生意気なんですけど、ちょっと工事をしていただいて客席の方に飛び六方をさせていただいたんですけれど…やはり息子なんですけど父も有難いことにライバルとして認めてくれていますし…」美「それはもう、役者同士ですよね」海「だからちょっとあの…そういう場合は多少、空気感は、家の中では…あんまり、良いというか…☆」美「いや、それは父と子じゃなくて、役者同士のね、素晴らしいことですよ」花道がないオペラ座での公演は、弁慶が去るラストシーンで親子の意見が対立、お父様の團十郎さんは伝統の向きを守って下手へ、海老蔵さんは特別に花道を作らせ、客席中央の通路にはけたのだそうです。続きます。「オーラの泉の日記」
November 25, 2008
最も華のある歌舞伎役者にして自由奔放な行跡が絶えない方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ もし歌舞伎役者でなかったら、やってみたかった職業→いろいろあったんですけれども今はお坊さんですかね…☆ ストレス解消法→最近見つかりまして、空を、天気の良い空を眺めることです。☆ 人生の転機→比較的多く来たと思うんですけれども、大きなのは17歳位の時と最近なのかな?と思ってます。☆ 不思議な体験→そうですね…何か…よく旅に行くと、旅先で不思議な体験はあります。☆ 好きな女性のタイプ→最近は…そうですね…料理が上手くできる優しい方が好きです。国「さあ、海老蔵さん、今の心境っていうのはどんな感じですか?」海「心境ですか?」国「意外と平常心でいられていますか?今のところは」海「そうですね、何かあの…怖いのかな?と思ってたんですけどまあ怖がっても、もうしょうがないですから☆」国「怖いのかな?っていう…」海「あの…ずいぶん前に一回、お話をいただいたことがありまして、その時は『怖いから僕は出れないなあ』なんて思っていたんですけれども。でも『もう、いいかな?』と☆」国「…というのは、それも心境の変化ですか?」海「何か最近、変わりましたね」国「その中のひとつ、『この番組も、もう出るしかねえかな?』みたいな…」海「いや、そういうことじゃないんですけど…いろいろ経験することすることは大事かな?と」国「なるほど…お二人は初めましてになるんですか?」海「あの…いや、美輪さんは、なかにし礼さんとご一緒に舞台を拝見させていただいたことがありまして、その時あの…楽屋の方に一度だけ伺わせて頂きまして…あの、ご挨拶だけですけれども…どうも、お久しぶりでございます…僕、ずいぶん若かったんですね、まだ…10代だったかな?」国「あ、そんな前ですか?」海「はい」美「ずいぶん前でしたよね」国「江原さんとはどうですか?」江「初めまして」海「初めましてですかね…TVで何か…いろいろ拝見していますけれどもお目にかかるのは初めて…よろしくお願いします」国「こういうスピリチュアルな世界っていうのはどうですか、興味ありますか?」海「いや、やっぱり何ですかね…難しいところで、何かこう…上手く例えられないんですけど例えば星があるじゃないですか。何かこう…夜は見えるんですけど昼は見えないじゃないですか。でも、あるわけじゃないですか、実際そこには。そんな様な感じで、こう…『あるな』ってことは感じるんですけど具体的に何かってことは良くわからないので、その辺はだからその…信用もできますし、やっぱり信用もできないところもありますね」国「この番組でもよく出ますけれども、やはり見えるものっていうのはすごく信用しやすいですけれどもね」海「でもそこはね、やっぱり最近、いけないなと思いますね」国「あ、そうですか」海「やっぱりこう…愛情とかね、そういうものは、なかなか形として出さないじゃないですか。そういうのは、やっぱり最近になって…母親の有難みとかは、やっぱり感じるので…」美「心眼でものを見るっていうね」江「で、心も目に見えないものですからね」海「そうですよね」400年の歴史を持つ歌舞伎界において、市川團十郎家は江戸歌舞伎を代表する名門。約300年前の元禄時代、初代・市川團十郎は荒事(あらごと 超人的な力を持つ主人公が派手な衣装やメイク、誇張された演技で大活躍する市川團十郎家のお家芸)や隈取(くまどり 歌舞伎独特の化粧法)、にらみなどの特徴ある演技の型を生み出して市川家の基礎を築き上げ、代々受け継がれているのだそうです。1977年、当時10代目・海老蔵だった現12代目・市川團十郎さんを父として生まれた海老蔵さんは、5歳の時、歌舞伎「源氏物語」の春宮役で初お目得。7歳の時、12代目・市川團十郎を襲名するお父さまと同時に、7代目・市川新之助を襲名。海老蔵さんに大きな影響を与えているのが、生まれた時はすでに亡くなっていらしたお祖父さま、11代目・市川團十郎。国「どうですか、市川家の長男として跡を継がなくてはいけないというプレッシャーみたいなものっていうのは…」海「あー、それは僕、子供の時に物凄く感じていました。もう無意識のうちに…5歳とかから、特に中学生位までに物凄く、重圧っていうものを感じていた時期が…いま思い出すとそういう感じですね」国「チェックの中で『転機は17歳の時』というのがありましたけれども…」海「そうですね。さっき映像にもあったんですけど、11代目・市川團十郎っていう祖父がいたんです。その方が早く亡くなられてしまって…その…亡くなって30年目ということに大役を、初めて『鏡獅子(春興鏡獅子 可憐な女性が豪快な獅子に変身する舞踊の名作)』という踊りをやらせていただくことになりまして…それまではいろんなことがあって、歌舞伎をやるか、やらないか自分自身もよくわからない…その時、初めて祖父に会ったんですね。会ったことはないんですよ、映像で、ですけどね…あまりにも、歌舞伎というものは僕の中では難しいし、言葉もわからないし眠くなってしまうというのが、率直な子供の時の印象だったんですけれどもその…祖父を観た時に『歌舞伎で、こんなに格好いい人がいるんだ』というのを初めて思ったんです。それがたまたま、祖父だった。だから『やろう、こんなに格好いいんだったら』もう、ひと目惚れですね、完全に。おかしいですけれども、自分の祖父にね、ひと目惚れなんて」美「いやあれは美しい…『動く錦絵(多色刷りの浮世絵)』って言われたんだけどね、あの…助六なんかでね、花道からパーッとしちゃってね…まあ美しいこと…あのね、華がね…華がある、ないっていうのがね、やっぱりトップを飾る人のね、条件なんだけど…ちょうどね、『ただ出て来た』というのと『登場』という言葉があるじゃない。『出て来た』っていうのは、素人の代議士が演壇にのこのこ出て来たっていうのを『出て来た』って言うのね。出て来たんじゃなくて『登場!』っていうのはね、『出たー!』って感じがするわけ。それは、持って生まれた天性のものとね、あの…何て言うんでしょうね…あのちょうど上からね、五色のきらきらした花吹雪をうわあーっと撒いたようにね、見えるのと…それと映画スターでも、本物のスターはね、エリザベス・テイラーだとかいろんな人がいたんだけれど、もう画面が、その人が出ただけで一杯になるの、密度が。『後はもう出ません』って感じる。だけど、そうじゃない人が主役やってる場合はね『まだ誰か出てくるだろう、誰か出てくるだろう…出ないうちに終わっちゃった』最近のハリウッドの俳優ってそんなのばっかりだけども…だから、画面が一杯にならないでスカスカしてるのよ。だから、お祖父さんの團十郎さんって私もファンだったんだけど…まあ美しくて、華があってね…だからおっしゃることはよくわかりますよ」56歳という若さで亡くなられたお祖父さまである11代目・市川團十郎さんはその美貌で絶大な人気があり、今の海老蔵さんと同じく「海老さま」と呼ばれていらしたそう。海老蔵さんはそのお祖父さまの生まれ変わりと呼ばれているようです。海「いまお話にあったように、その…祖父ですか…ああいう風になるためには『どういった努力が必要なのかな?』って、いま凄く聞きたいことになっちゃったんですけども。まず稽古とか、そういうものを一生懸命やることはもちろんなんですけどその…スピリチュアルって言うんですか?そういうのではどういうことを意識していかないといけないんですか?」江「…これね、非常に難しくて…だから海老蔵さんだけのことで申し上げれば後からもいろいろとお話しますけれどね、その素材は持っていらっしゃるんですよ。あの…『宿命と運命』という言葉があって、これ意味が違うんですよ。宿命というのは、自分自身がもう備わっているものというか元々、魂の流れで得ているもの。料理で例えれば素材。で、運命というのは料理。だから努力というのは運命のことです。どう料理をするか。でも素材がやっぱり違うと、こういったことを言ったら失礼なんだけれどもどんなに料理していても、やっぱりちょっとできないものはできない…っていうところがあるんですよ」海「ああ…そうでしょうね」江「ね?ですから、そういった意味では、その素材を見極めるというのはとても大事なんですよ、一般的に申し上げれば。で、そこで海老蔵さんに関してはその素材は持っているから。で、持っているから、実は映像を観てもね例えばお祖父さまのね、そこで感じることができる。これね、それがなかったら、シンパシーを何も感じないから『ふーん、凄いな、立派だったな』…だけで終わります」海「ああ…」江「だからそこが分かる。『ああ、そこはそうなのか!』っていう風に気づくわけであって。これ、万人が分かるものでは、残念ながらないんですよね」続きます。「オーラの泉の日記」
November 24, 2008
22日のゲストは市川海老蔵さんですね☆***安めぐみさんには、さらに解決した方がよいことがあるようです。美「男の人自体に対してのね、何かその…バリヤーを張ってるところがあるのね」安「…ありますね」江「だって男の怖いところ、いっぱい見ちゃったからね」国「お兄ちゃんですとか…」美「いや、お兄ちゃんだけでなく…」江「まあ、お父さんもそうだし、いろんな意味でね」安「そうですね、ずーっと怯えていることが多かったですね」江「だからトラブル嫌いだし…」安「大嫌いです」江「人がやり合っているのを聞くだけでも、もうビクビクしちゃう」安「で、それが凄く嫌なのに、そういうことが結構、起こることが多くて…」江「それでお腹にギュルギュルときやすい…あのね、それも一つのシグナルでね消化できない。要するに、それは食べ物だけじゃないんですよ…心。そういう状況も消化できないの。人の気持ちとかも消化し切れない。そういうのがシグナルとして現れるんですよ」安「すごい…ほぼ毎日…そうです…」国「…あの…例の下痢ってやつですか☆」安「すみません☆」国「ほぼ毎日ですか?調子悪いですか」安「ほぼ…何にもない時は、やっぱり何もないんですけど…ちょっと凄く人の言葉がわっと来たりとか、人の感情がわっと来てしまった時に…」美「体に来るのね」安「溜め込んで…」江「それとあと、喉によく来ますでしょう?」安「あ、喉は三回、手術はしているんです」江「来ますよね、オーラの色が。でね、それも一つのシグナルの部分が。病気もあるけれど、シグナルもあるの。どうしてかって言うと『言いたいことが言えない』自分のね。後は腹の中では腹立てるの。『こんなこと!』でも言えなくて、いい子だから『はい』って言っちゃうの。それが詰まる、その…喉にシグナルとして出やすい」安「言葉も…おっしゃる通り、私よく(喉を掻いて)こうやってやちゃうんですよ」国「それは『言いたいけど…』」安「何でなのかは分からず、小っちゃい時からずーっとこうやって掻いているから…」美「そうそう。喉の中がね、むず痒くなってくるのよ」安「いつも収録前とか真っ赤になっちゃって『どうしたの?』とか言われたり。何か(喉を掻いて)ここをいつもこうやっちゃうんですよね…何か争いごとが起きてたりとかすると、こうやっちゃうんですけど…そういうことだったんですね」江「だから物凄く、その…過敏、霊的に敏感。だからその…『予知だけじゃないはず』って言ったのは、そこにあるんですよ」国「あんまりいいことじゃないですよね」江「うん。だから如何にね、だんだんにこれからね、まあねえ…経験が大事なんだけど、もう『ナチュラルに生きてゆけるか』っていうね…」美「難しいわよねえ」国「難しいですね、ナチュラル…」安「どうしていけば良いんですか?」美「あのね、だからね、一番、根本的にね、治療しようと思うんだったら人生哲学の本とかね、まあ昔からいろんなものがあります、先人たちが書いた。そういったものをね、あの…よーく読んで咀嚼してね、それでねそれを自分の細胞にね、全部行き渡らせて、忘れないようにするんですよ。人生哲学っていうのは難しいことじゃないですよ。例えば、悪い人だと思って『嫌な奴だ』…でも嫌な奴だってこの人がいなきゃ生きてゆけないっていう人も他に、この世にいるこの人を生んだ母親もいるんだ…ね?私から見れば嫌な奴でも、母親から見れば『可愛い、可愛い』と思う人かもしれない。そうするとね、ただいたずらに『嫌な奴、憎らしい奴』ってポーンと…という風にはならないのね。だからそれが人生哲学っていって、生きる方法。そうすると自分が楽になるんですよ」江「ごめんなさい、ちょっと余談なんですけれども、女性のね、霊感がある人なのか占いの人なのか…に、たまに話を聞いてもらっているんですか?」安「あ、知り合いでいらっしゃいますね」江「それはそれでね、たまに良いんだけど、いま美輪さんがおっしゃったようにご自身の方の哲学をきちんとしないと、どんなにそれが良い言葉でも振り回されます。だから、しっかりとまず、自分自身の哲学。しっかりと持つことだと思います」安「はい」江「だから私は、美輪さんがおっしゃる通りだと思いますね。これを観ている方もみんなそうだけど、そういうのに頼るのはいいけれどねでもそれで振り回されてもしょうがないでしょう?まず、自分がないと」国「自分の基盤を作ってから…」美「そうするとね、頼る必要がないの。占い屋さんとか、霊能者とか、新興宗教とかそういった所に行く必要がなくなるのよ。全く必要がない、自分自身がそうなっちゃうから。そうしたら、江原さんも私も、クビになっちゃうの☆それは結構なことなの。ね?」江「そうそう。私も失業したいんです」安「何か凄く臆病なくせに、人の言葉は何でも信じちゃうので…そうなんですよね…わかりました」国「何か具体的に、お勧めの本が、こう…言ってもらえると…読みやすいかなと思うんですけれど…」安「そうですね☆」美「それは私たちの本ですよ☆」江「そうですよねー☆何でそんなこと、一々聞くのかなー☆」国「そうですよね☆」【安めぐみさんへのメッセージ】☆ 心のシグナルが体調に表れます。体調が悪い時はお医者さんに診てもらうだけでなく気持ちの中に原因がないか考えてみて下さい。【オーラの言葉】☆ 行き止まりにぶちあたっても もっともっと考えてみる。それが「哲学する」ということ。生活の中で庶民はみんな哲学をして生きてゆくのです。 (美輪明宏著 「愛の話 幸福の話」)次回の放送は11月22日(土)。ゲストはお待ちしておりました、源氏物語千年紀にふさわしい御方、市川海老蔵さんです☆「オーラの泉の日記」
November 7, 2008
男性が選ぶ結婚したいタレントNO.1に選ばれた方がゲスト。安めぐみさんは、たくさんの不思議な体験をされているようです。国「この番組をご覧になったことはありますか?」安「結構ありますねー。で、昨日まで緊張がすごくピークで、朝の4時まで寝付けず今日は朝起きてリラックスした音楽をかけて、落ち着いて来ようと思ったんですけどでも…すごい震えがとまらなくて…」国「やっぱりそれは、この番組はちょっと違いますか?いろんな番組に出てるじゃないですか」安「今までの私じゃないです、もう。普通の私です、今☆」国「今いるのは☆」安「はい、タレントじゃないです☆すみません」国「そんな安さんですけれども、何か不思議な体験をいろいろしてると聞いたんですけれども」安「いろいろ…何か家族のことなんですけれども、何か家族にあると何か感じることが度々ありまして…ちょっと前の話なんですけれも、実家に住んでいる時に用事があって出かけたんですね。で、行くはずの駅に向かっていたはずが、気づいたら全然違う方面に私が歩いていましてパッと思った時に目の前で事故が起きてたんですよ。車が正面衝突していまして、女性の方がうずくまってて『ん?』と思って見たら、うちの母で…」国「その交通事故に遭っているのが?」安「はい。慌てて駆け寄って、父に電話したりとか兄に連絡したり…っていうことがあったんですけど…身内に何かがあると、なんとなくこう…そういうようなことが夢に出てきたりとか、そういう場に出くわしたりとかっていうことがよくあるんですけど…」国「お母さんの交通事故の時は、普段行く道とは、無意識で全然違う方向に行っていたということですか?」安「全然違う駅に、私は向かっていたという…」江「私がいま見てますとね…あの…本当はそれだけじゃないでしょう?もっといっぱい、何ていうか不思議なね、体験とか…ちょっと霊現象みたいなことまでも…本当は盛り沢山でしょう?」安「私ですか?☆」江「うん」安「あー…自分自身、ちょっと怖がりなので、不思議なものを見たり聞いたりしてもちょっと自分でごまかすというか『あ、疲れてるのかな』とか思ったりしてごまかしてるんですけど…」江「お友達とかでもね、見ててフッと『あ、ちょっとこの子いま…』でも自分の中でしまって言わないでいて、後でやっぱり…あの…思ったようなことが起きたりね」安「あー…ありますね☆そうですね、はい」江「今のお話自体は、いわゆる予知、予知能力っていうね、それは虫の知らせとも言うしそういうのを感じる。けれども、それだけじゃないはずなんですよ。だから…あのね、普通の人よりもね、ちょっとオーラが大きいんですよね。大きいというのは、要するに物事をキャッチしやすいんですよ。だからそれは、生きている人の気持ちもそうなの。だからあの…そういう霊とかっていうだけじゃなくてまあ生きてても霊ですから、そういった意味では人の思いとかも『あれ?今あの人、こんなこと思ってるんじゃないかな』とか。だからそれが、すごく単純なことでは、思ってた人から電話をもらうとか、電話をしたらば『ちょうど思ってた』とか言われるとか、そういうようなことも多いっていう…要するにキャッチしやすい、アンテナが割りとこう…大きいっていうか優れてるっていうかね」美「早く言えば、霊媒体質」江「うん」安「あー…いや、あの…おっしゃる通りです☆」江「だからあの…綺麗なタレントさんに、こんなこと申し上げちゃいけないんだけどご自身で気づいているかどうかなんですけどね、その…感じるだけじゃなくて、あの…何ていうんだろう…別に食べ合わせ悪くはなかったのに、突然お腹が痛くなってねあの…下すとか…」安「はい…あ、下痢ですか?」江「そうそう…はっきりおっしゃられても☆私、オブラートに包んだつもりなんですけど☆…あの、元々ね、安さんの場合はどうしてそういう能力があるかというと霊能の強い人っていうのはね…安さんも霊媒体質だから、ある種霊能者的なところがあるんです。そういった方はね、およそ共通して波乱万丈の人生の人なんですよ。ね?だからそれこそ、特に親御さんとかねいろいろと大変だった時期もあるはずなんです。だから家族とか、そういったことの苦難が常にあった方が『みんながちゃんと生きてゆけるように』っていうことを常に意識するからよけいに感度が優れるんですよね、そっちの方へ。だから家族の危機とかそういったことは余計に感じるとかね…で、自分の周り、お友達とか親しい人のことでも感じるとか、『あ、この人いま、私にちょっと嫌な気持ちを持ってるな』っていうのもすごく感じたり…だからそういう身を守る方向にすごく能力を発揮しやすくてね。例えばお腹を下すとかっていうのでも、何か事が起きている時に体の方で反応が起きたりね。『あ、今うまくいってないな』とかっていうことが…平たくざっくばらんに言うと霊能を持っている人っていうのは割と、そういう苦労の多い人生だったという方が多いんですよ」国「どうですか?」安「実際…さっきその、家族の中で何かが起こると、何か感じるって言ったんですけど子供の頃は結構、いろいろあって…まあ特に兄弟、まあ兄がちょっといろいろあったことがきっかけで…まあちょっと中学校くらいまでは家の中が本当に毎日大変な感じで…常にその…顔色をうかがっていたんですよね、大人とかお兄ちゃんとか…それがベースにあるのか、人と会うのが凄くいつも怖くて…」江「でいて、一人ぼっちの気持ちの時が、すごく多かったと思うんですよ、小さい頃」安「多かったです…うん…何かそうですね…あんまりこう…結構トラブルが小さいころ多かったので、何かあまりこう…辛いことがいろいろあったりしたんですけど…すごく今、『幸せに真っ直ぐ育ってきたんでしょうね』と言われたりすると何かいろいろあったりしたから、そう言われる度に…」江「それこそ亡くなったお祖母さまがいらっしゃるじゃないですか。その他の方、守護霊さんとかもそうなんだけど『一つだけ忘れないで。あなたは望まれて生まれてきた人ですよ』ね?あなたがいるから、何かこう…良くないとかね、あなたが自分がいて迷惑かけているとか何か常にどこかでそういうのが、いつもあったりなんかするから。で、いま皮肉にも注目されるお仕事をなさってて、何かね自分が存在していることが良いのかどうかっていう、いつも何処かでその自信のなさは、そこから来ているから」安「いつも自分で、そう訊いてしまいますね。病気勝ちだったので、それでこうちょっと…お兄ちゃんが一人ぼっちになっちゃって、両親を取る形になってしまったりしてちょっとお兄ちゃんがすねちゃったりとか…それで何かまあ、結構病気をしたので金銭的なこととかも迷惑をかけてしまったりとかで、こう…何か好きでそうしたわけじゃないんですけれども…『自分がいるからだ、いるからだ…』って思うところが凄くあったので、いつも…」美「災いの種だったっていうね…」安「…と思ってしまってるんですね。だから何かトラブルが近くで起きると…『あ、いない方がいいかな』って…」江「でも元気でいて欲しいから、みんなそういう風に乗り越えてきたんでしょう?だから、望まれているから、でしょう?」美「今はお兄ちゃんだって問題解決して何でもないじゃありませんか?」安「…ないです…はい…」美「ね?兄弟っていうのはね、どっちかが焼きもち妬くんですよ。ね?それはみんな同じですよ。ですからそんなに気になさらなくていいの」安「あ、わかりました…」江「でも良かった。この時間内でも、すごく綺麗になったの、オーラが」安「えー?この時間でですか?」江「というか、幼い頃云々だけじゃなくって、ここしばらくも、ちょこちょこ…仕事で嫌なこと…ごめんなさい☆ちょっといろいろとね、あったでしょう?」安「…怖いですね☆本当に見えてますね☆汗が…すみません」江「だからそれが全部ね、フーッと出ちゃったのね」国「じゃあ今、もうすっきりしたんじゃないですか?かなり」安「『それでいいんだ』って今、思えました。ありがとうございます」国「それが一番大事ですよね」続きます。「オーラの泉の日記」
November 6, 2008
いま最も写真集の売れる平成生まれのアイドル、南明奈さんは19歳とのこと。国「美輪さんと同い年が☆来ましたねー。平成生まれですよ!…緊張されていますか?」南「はい…かなりしてますね」国「やっぱり普通のバラエティ番組とは違いますか?」南「はい、もう全然…私も観てますし、お母さんもすごくこのオーラの泉のファンでやっぱり一緒に観ているので」国「そのお母さんって今、おいくつなんですか?」南「お母さんは39になりました」国「!(手にしたボードを落として)…びっくりですねー…39っていうとうちのリーダーと変らないですよね☆…さあ、今日はどんな相談があるんですか?」南「はい、あの…小学生の時に亡くなったお祖父ちゃんのお話なんですけど、何か…夢に出てくるんですよ、しょちゅう。あの…それもしかも、毎回、同じなんですよ、内容が。同じところで始まり、同じところで終わる夢なんです」国「へえ…どんな夢なんですか、それは」南「何かあの…実際にお祖父ちゃんが住んでいたお家なんですけどお祖父ちゃんのお部屋で…もう亡くなっているんですけど、お部屋で寝ているんですよ。横になってあおむけで寝てて、でも私は見れないんですよ、やっぱり何となく…」国「もう亡くなってるってわかってるわけですか」南「そう。で、窓が開いていて、こう…首だけ見えるんですよ」国「顔の部分だけが見えると」南「そう。それで何か見れなくて、こう…横を歩いて、何となくフッとお祖父ちゃんを見たら亡くなってて寝てるのに、クッってこっちを見るんですよ、私の方を。で、私は『わあ怖い』って思って…毎回そこで目が覚めるんですよ」国「それは1度切りじゃないんですよね」南「それがもう…何日も連続で見て、いきなり見なくなって、また連続で見て…っていう…」国「ここ最近も?」南「最近も…今は見てない時期なんですけど、ちょっと前はやっぱり見てましたね」国「お祖父ちゃん子だったんですか?」南「…うーん、正直あの…それは、お母さんの方のお祖父さんなんですけど私、どっちかと言うと、お父さんの方のお祖父ちゃんが大好きで、その…そっちのお祖父ちゃんは、正直ちょっと…あんまりなついてなかったですね」美「苦手だったのね」南「そうですね、ちょっと…」国「でも亡くなったお祖父ちゃんが何か夢で出てくるということは…」南「…うーん…で、その毎回、同じっていうのが、やっぱり気になるので何か伝えたいことでもあるのかなって…はい…」国「これは何ですかね…」江「あのね…ええっと…夢って言ってもね、一つの意味だけじゃないと思うんですよね…でね、二つあってね、あの…ちょっと苦手だったということをおっしゃるでしょう?でも、実はその割にはあなたがね、どこかでそのお祖父さんに対して何かもう少し優しくしてあげれば良かったなとか、もう少し会いに行くとかねそういうことをしてあげたら良かったって、あなた、そういう悔やみが本当はあるんじゃない?」南「(涙ぐまれて)…ありますね、それ」江「でしょ?で、その優しいあなたの悔やみっていうのが夢に反映されて…これ『思いぐせ』っていうんだけど、自分の思いがね、そのまま夢として『悪かったな…』っていう半分、苦手だっておっしゃりながらも、あなたは優しいから『本当はいけなかった。もっとしてあげればよかった』っていう悔やみがねそこに現れている、それが一つ。これが『思いぐせの夢』ね。あともう一つはね、実はね『メッセージの夢』もちょっとあるのね。このお祖父ちゃん、どうして苦手だったかっていうとあんまり自分を出さない人だったからなの。要するに普通もっとしゃべったりね人間味があればいいんだけど、何考えてるか分からないお祖父さんだったでしょう?」南「そうですね」江「それが『怖い』っていうか。で、割と頑固だったりっていうのもあるし…なんだけれども、でもね、やっぱり孫は孫で可愛いのね。そこでね…メッセージがあってねどういうメッセージかというと、まあまだお若いけれども、子供の頃は割りにお転婆だったでしょう?」南「はい」江「ね?だからちょこちょことした怪我をしてみたり、男の子みたいな…ちょっとねそういうところがあったと思うんだけれども、そういうことへの心配、注意っていうのがあって…で、いま国分さんがフッと気がついているんだけれどもお祖父さん、来てるのね…動いたでしょう?」国「(南さんの後ろ側を指して)…今、びっくりしたんですけれど…そうなんですか?」江「そう…もう、オーラの泉、三年近くやってて、ようやく国分さんも気がついて☆」国「いや、だってそれが動く…うご…動きましたもん、今!」江「あの…☆言葉が動揺してますよ☆」美「一本だけ、ずーっと揺れっぱなしなのよ、あれが☆」国「ライトの…何て言うんですかね、あれ…」美「シャンデリアの…(南さんの後ろ側にあるセットは、藤棚が長く枝垂れているような花で彩られた床近くまで何本も垂れ下がる淡いピンクのライト)」国「シャンデリアの、そうですね、一番下の方のやつが…」美「で、他は何にも揺れてないのよ、同じシャンデリアでも」江「だけどもね、ここ最近、もう一つちょっと心配なことがあってね、あの…明奈さんとね、お母さんとの関係なの。でね、お母さんととっても仲良しじゃない?仲良しなんだけれども、ここのところ、お忙しいのもあってあまりお話ができないじゃない?」南「(涙を指で押さえながら)そうです、できてないです…」江「いつもどっちかというと、突っ走るタイプなんだけれども、意外と落ち込むじゃない?で、落ち込む時に実は、お友達とか誰よりも、お母さんの言葉で励まされてるのね明奈さんていつも。お母さんが一番の応援団だったり、お母さんが時にお坊さんみたいにねお説教してくれたりね。『こういうもんだよ』とか。それがね、ちょっと得られなくて。ちょっと親子の間が寂しい感じなの」南「そうですね、やっぱり…話す機会も全然なくなっちゃいました…私もすごく寂しい…はい…」江「ね?で、お母さんも寂しいみたいなの。いま便利な時代ですからねそういう風にして欲しいんだよ、っていうことをね、伝えたかったりするの。ただね、今日ここへ来て忘れて欲しくないのは、あの…あなたの気持ちはちゃんとお祖父さんに伝わっているから、悔やむことはないし…ね?で、あの…ちょっとこう…嫌っちゃったり何かしちゃったことも、全く気にしてないから。だから今日ここに来たのもお祖父さんが『何にも気にしてないよっていうことを伝えたい』っていうところもあるの」南「本当ですか?」江「良かったねえ」南「はい、ありがとうございます…」美「可愛らしいわねえ☆なんて可愛らしい…」国「可愛いですねえ」江「ちょっと苦手だったって言いながらも、ご自身の中では、それをすごく悔やんでて『悪いことしちゃったな』って優しさ…」美「優しいのよ」国「何か辛く当たったりとかしたこともあったんですか?お祖父ちゃんに」南「そうですね、何か…ちょっと足があんまり自由に歩ける方じゃなかったので…結構『新聞取って』とか電話が来て、正直『めんどくさい』とかって思いながら無言で渡しに行ったりとか…」美「ちょっときつく当たったのね」南「そうですね…で、本当に亡くなったのがいきなりだったので…何か亡くなってから…本当、そうしてたことに…何か…悔やみましたね…はい…(ハンカチで顔を押さえて)鼻水止まんない…☆」美「可愛らしい☆」国「また同じ夢を見たりしたら、どうしたら…」江「いや、見ないと思いますね」国「もう見ないんですか?」江「それを理解すれば」国「あー、なるほど」江「そう。『別にもう、とがめる必要ないよ』っていうことって、やっぱり若いからね何かこう…そういうことをしたことが、罰が当たるんじゃないかって思うんですよ。ね?もうないから☆」南「はい」江「そうしたら見なくなる」国「お墓参りとかはどうですか、行ってますか?」南「お墓が遠いところなので、あんまり行けてないんですよ」美「でも思ってればいいわよ。それでね、今度もし夢で会ったらね『愛してるよん☆』って言ってればいいの。『アイラヴユー』って言って☆」南「はい☆」江「私たちの夢見ちゃったりしてね☆」美「そりゃあ恐ろしいわよ☆それトラウマになっちゃう☆」【南明奈さんへのメッセージ】☆ 「もっと優しくしてあげれば良かった」という気持ちは おじいちゃんに届いているので心配要りません。それより今お母さんと話し合う時間を大切にして下さい。読んでいただいてありがとうございました。続いて安めぐみさんのお話をアップする予定です。「オーラの泉の日記」
November 5, 2008
幸せなご結婚をされた相田さんですが、少し気になることがあるようです。相「以前、母が亡くなって…そのほんの数日前に家の私が14年間飼っていたワンちゃんが亡くなって、立て続けだったんですけれども。で、付き合えば付き合うほど、すごくその亡くなった…ワンコの、タルコっていうんですけれども、生き写しのような…場面が多々1日に1回以上はあったり…」国「え?」美「ワンちゃんにご主人が似てるって☆」国「似てるっていうのは、行動とかですか?」相「行動も…はい」国「行動?行動が似てるんですか?」相「時々、突然、遠吠えをしたりとか☆」国「え?!ご主人が?」相「はい。必ず、そのワンコがほじってた場所とか、家の中で…あとはドアをカリカリしてた場所とか、丸まってた場所とか、全部…家の中でそこだけに行って、同じポーズをしたりとか…」国「ご主人、カリカリやるんですか?」相「何も言っていないのに、急にそこでカリカリやって、私の顔を見たり…同じ仕草をするんですよ…頼んでもいないのに☆…それで最初は、何か本当に涙が出ちゃって、もうあまりにも似てたので『何でそんなことをするの?』って逆に責めたぐらい、思い出しちゃって悲しくなって…最近は何か本当に、もうあまりにも、同じ場所でいろんなことをやる仕草すべてが同じなので、ちょっとびっくりしていて…そういうのって何か…」江「…(笑いをこらえて)ごめんなさい☆」美「霊的な意味があるのかっていうことでしょ?☆」相「はい☆」江「あのね、ただね、こういうことを良く考えた方がいいですよ。あの、二つ事あってね…あの、全然おかしい話みたいな気がするけれども…ごめんなさい☆…(笑いをこらえ過ぎて話ができなくなってしまわれました☆)」国「…一回…深呼吸しましょうか」江「ええ、はい…(深呼吸されて)…確かにね、あの…そういう、例えば亡くなったワンちゃんなりが寄ってきてね、自分のオーラに接触してそしてそれが念波となってね、そういう行動をとらせることは、確かにあるんです。『自分がいるよ』っていうことで。でも、ごめんなさい、もう一個あってね、あのね…ご主人はそんなことを、そんな行動をとってるつもりはないでしょう?」相「あんまりないです」江「ないでしょう?」相「はい、自然にやってます」江「ね?で、自然にやってるっていうことが、そう伝わって…だから本人がわざと真似してたりとか、奥さんに対して見せ付けてやろうなんてやっているとか、そういうふざけたことも何にもみえない」相「ないですね」江「むしろ本人は『そんなことやってる?』っていうようなところがあるんですよ。それにはね、自分自身の目が、要するに、これは霊眼に近いんだけれどもそういう行動をとっているように映して見ちゃうっていう感じなの」国「相田さんがっていうことですか?」江「本人は全然、そんな行動をとっていない場合もあったりするんです」国「そこにいるだけで?」江「うん。だから妄想との境が非常に難しいけれども…相手が例えば普通に(腕を組んで)こうしているとするでしょう?それを相田さんの目では(手先で腕を引っ掻いて)こんなことをやっている風に見えるかもしれない」国「なるほど。『おーい!』って呼んでいることが遠吠えに聞こえたりとか…」江「そうそう…」相「いや…あれは妄想なんですかね…実際『背中が痒いから掻いて』と言われてかきますよね。そうすると、犬がやるみたいに気持ち良さそうに(後ろ足で脇を引っ掻く仕草をして)ああいう風にやったりとか。あれは妄想なんですか?」江「うん、そう。だから、本人は自然の行動としてやっているけれどもだけど自分はワンちゃんとの思いの中で、そういう映像としてこっちがスイッチして切り替えて見るわけですよ。だから自分から感じる、作り上げる妄想っていうこともあるかもしれないし、後はワンちゃん、実際に亡くなっているわけだから『いるよ』っていう思いの中からね、ある種の霊視かもしれないんだけれどもねそういう風に変換されて見たりとか…っていういくつものことが混ざっていると思うんです」美「重なり合っているのね」江「重なり合ってる。だからご主人に…突然そんな風にしているかっていうとそれは実は、大げさな表現だったり、自分の中でそういう風に見えることだったりね。後は相田さんの中で、時々ね、自分自身をもう少し冷静に抑えるっていうのかな…感情過多になっちゃうでしょう?そういうことを感じるとやっぱり愛着もあるし、寂しさもあるから。そこで『ちょっと待てよ』と、一拍、こう…さっきね、太一さんが『深呼吸しましょう』なんて良いことをおっしゃったけれどもそういう気持ち。いったん、ちょっと深呼吸して、ちょっと冷静になって『あ、これは自分の中で、結構まだそれを望んでいる気持ちが余計に拍車をかけて見せているな』とか『見てるな』とかっていう風におけば。でないと、相手を責めちゃうくらいになっちゃう。ね?『何でそんなことするの?』なんていうとね、お互いに辛くなるから…でもね、時々、確かに相田さんに、念波を送ってくるのね、ワンちゃんが。何故か。『忘れ物をしないこと』」国「忘れ物?」江「忘れ物が多いはずなんです」相「この間…マネージャーさんにあげようと思っていたお菓子を…あげてまた自分で持って帰ってきたことが…☆」国「どういう状況ですか、それは☆あげたつもりだったのに…」相「『はい、これどうぞ』って渡して、またそれを持って帰ってきちゃった☆」美「面白いわね☆」江「後は鍵とかね、閉め忘れとか、そういったことね。こういうのがねやはり一番やっぱりね。不思議なんだけどね、動物っていうのはやはりそういったことをサポートしようという気持ちがあるのね。『何か助けよう、手伝おう』と思うのね」国「そのワンちゃんが、手伝ってくれてるわけですか」江「うん。だからそういったこともしっかりして『もう心配いらないよ』という自分になることも大事」相「はい…そうですね」ご自分の趣味に関してもお尋ねになりたいことがあるようです。相「個人的な趣味で、モデルガンを集めているんですけどそれが家に、あちこちにあるのは大丈夫ですか?」江「あんまりよろしくないですね。やっぱり凶器なのでね」国「だんなさんの趣味ですか?」相「私の…」国「ええ!?そうなんですか?」相「はい」美「銃とかね、その…モデルガンとか、戦い、争いの…そういう名前が付いたり波動を出したりとか、そういう種類のものは、なるべく避けた方がいいんですよ。でないと、身を守るとか、闘争的になるとか、そういう風な心象風景に自分の想念がスーッと、そっちに行っちゃうんですよ。そうすると、誰も入れない人を見た時に、すぐ敵だと思うとかね、そういう風な想念に変っていくんですよ。同じオブジェでもね、いろんなオブジェがあるじゃありませんか」相「オブジェとして飾っておくだけでも…」美「平和な方の、和の方のね、戦いではなくてね和の方のオブジェっていうのがありますね。そういうものをお集めになった方がいいと思うの」江「相田さんのところですと、二人の共通したマイナス点があるんですよ。それはね、割と言葉が単刀直入。ぶっきらぼう、あの…ひどいときは。だから単語だけでポン、ポン…まるでね、今の話でねピストルで撃ち合っているみたいな気分にされる…」相「彼が、とにかくお話好きで、ずーっと1日の出来事を話してくれるんですけどお互いに会話はワーッといっぱい多いんですけど、喧嘩になったときだけは激しい…」江「エスカレートするでしょう?」相「はい、すごいです」江「エスカレートして、お互い戦闘モードに入るじゃないですか。あの…何かお互いが、土嚢にいてパパパン!…ってやり合っている会話なの」国「中に入れないですね、それはもう…」江「だからそういうエナジーっていうもののね…」美「そういう風に、なっちゃうのよね」相「うーん…」江「だから本当にそういったものを片付けてね、ちょっとこう…和の物、平和の和ね…の物に、ハーモニーにしてゆくと、意外とそういったものもね…」相「あ、でも何かすごく…危険な二人みたいなモードになってますけど☆…すごく普段は、のんびりと穏やか…」江「そういうモードに入るとね☆…ただ、いま見ているとまあ所詮、子供の喧嘩みたいな内容だから、どうでもいいんだけど…」相「そう、兄弟喧嘩みたい…」江「…ただ、それが年数が経つと、だんだんエスカレートしてきてね…」国「今のうちに、それを知っておけば…」江「そうそう…」相「そうですね」【相田翔子さんへのメッセージ】☆ 夫婦で過ごす空間には「和のオブジェ」を飾って 言葉が単刀直入になり過ぎないように。他愛無い喧嘩のうちは良いのですが、エスカレートすると 大きな問題が生まれるかもしれません。読んでいただいてありがとうございました。続いて南明奈さんのお話をアップする予定です。「オーラの泉の日記」
November 4, 2008
挙式をされたばかりの方をはじめ、3人の女性タレントさんの悩みに答える「オーラの相談室スペシャル」。トップは相田翔子さんです。国「ごぶさたしてますね。2年前に…」相「あ、もうそんなに経ちますね」国「経ちますね…その間にご結婚された(今年7月)ということで…おめでとうございます」相「ありがとうございます…すごく言っていただいたお言葉には影響を受けて…」国「あ、その時に言われたことをですか?」相「そうですね。『恐れをなくせば、いい出会いがあります』という話をしていただいて…何かその言葉が、すごくこう…何か緊張とかいろんな恐怖とか、心配とかが消えて…何かそんな状態で、フッと出会ったんですよね、その直後に」元衆議院議員の相沢英之さんと女優の司葉子さんのご三男であるお医者さんに嫁がれた相田さんは、2006年5月にご出演になっていました。***当時のやりとり相「正直に話させていただいて、占いとかあまり信じないというか…」美「慎重なのよ、この方」相「すごく慎重だし、なかなか心を開けない…」国「じゃあ、相談事とかも人にはしない感じですか?」相「あの…本当の悩みは人には言えないかもしれないですね」美「それでずいぶん苦しまれたのよね、あなたね」相「あ、そうですか…」江「一番大事なのは、ご家族だから。ご家族のことって、あまりね、人様にそんなね…話すことでもないしっていうところで…お母さまのこともそうだし、みんなそう…芸能界の方は常に華やかに生きてて、ちょっと普通と違うように思われるかもしれないけれど、こうやって番組をさせていただくと、皆やっぱりそれぞれ、当然ながら人の子で、人間なんだなということがよくわかりますよね」江原さんの言葉で相田さん、ぽろぽろと泣き始められました。相「ずるいですよね、その言い方」江「ずるいですか☆」相「そこから来るのはずるいです…」2005年にお母様が他界され、このことが心に引っかかっていたようです。江「『お母さん、お父さんにもう少し優しくしてもらえてたら…』という思いでそれがあなたを遠ざけちゃうの、お父さんから。気持ち、わかってる?自分で」相「はい…厳しかったですね、はい…」江「ただ、お母さんがこう言っているの。いいですか?『お父さんに泣かされてない』って、お母さんは。実はお母さんなりに、お父さんを尊敬している。理不尽、厳しいと思うことはあっても、理にかなっている。そして、お父さんは苦労人。お母さんはお父さんの言わんとすることを必死に受け止めて、『自分を成長させる肥やしにしようと思ってきた』とおっしゃるんです。寂しいと思うこともあったけれど、ねぎらいの言葉もあった。お父さんの心象風景が変わったのは、お母さんに向けての本当の心。そのことを理解すれば、もっとお父さんの懐に飛び込んでゆけるはず、らしいですよ」美「お父さまも許せるしね。お母さまは何をおっしゃっているかわからないけれど、若い頃のお父さまを、出会いの頃のお父さんを、とっても愛していたのね。あなたたちがお生まれになる前の頃の。だからその素敵なお父さんの残像が焼き付いているのね。その愛情がズーッと支えになって、何度も何度も思い直しちゃってそれがズーッと続いていたの。亡くなった今は、もうお父さんも愛しているしあなたも愛しているし、お姉さんも愛してるし、もうそういう風になってらしてだからとても楽になってらしてね…」相「この先、私は一人の女として幸せに…」江「できるんじゃないですか、だってこうやって恐れをなくしてゆくから。だからね、今日こうやっていらっしゃったのだって、一つはこれから未来を作るためにねやはり恐れをなくすこと…だと思うんです。やはり恐れを持っていたら、未来は作れません。ね?」「オーラの泉・相田翔子さん」***このやりとりの直後に、だんな様との出会いがあったようです。相「たまたま、友人に連れて行っていただいた軽井沢のホームパーティのようなところで…」国「たまたま友人に連れて行ってもらった場所が、軽井沢のホームパーティ?!なかなか、たまたまとは言えないですよね?」美「ドラマみたいね☆」国「ドラマですよね」相「まあ『私なんかがお邪魔していいんですか?』という話をしながら『じゃあチラッと一緒に行きましょう』って連れて行っていただいて…その先に、彼と彼のお父様が招待されていらしていて…で、ほとんど話さなかったんですけれども『あまり長居しても申し訳ないので、もう帰りましょう』って、帰ろうと思っていたほんの五分くらいで、フッと彼が現れて。まあ年齢の話とか『同年代ですね』っていう…彼が一つ年下なんですけれどもそういう年齢の話から『結婚されているんですか?』と訊かれて『私はまだです』と言ったら『僕もまだです』って。『じゃあ、お互いの将来の幸せのために、乾杯』って彼が言って…」国「(パン!と膝を叩いて)なんて格好いいこと言う…それは、男としては、使っていい方法でよろしいでしょうか?☆」相「何か…嬉しかったですね…何かでも、すごく真面目な…」美「会った瞬間にプロポーズされたわけね、それはね」相「いや…彼の方も…そこまで深い意味はなかったように思うんですけれども…」美「いや、ありますよ、それは。もう近づいて来る前に、ずーっと目を付けられてたんだと思いますよ、相田さん☆あっちから見たり、こっちから見たり、充分値踏みした上で『あ、これは買いだな』と思ったんだと思うのね」国「なるほど」美「そう。それから、もう会った途端に『結婚してない』と言った…もうそれは全部プロポーズじゃありませんか?いまの言葉はね」国「そうですね、確かに最初に、二言三言の間に『結婚されてますか?』っていうのをもう訊くっていうのは、やはり恋心ありますよね、相手には」美「いや、恋心、下心、全部あるわよ☆…相沢さんのね、お父様の方、とても良い方でしょう?」相「優しいですねー」美「優しい、デリケートなね」相「はい」美「私ね、パーティでね、お隣でね、…司葉子さんも昔から存じ上げてまあ同期の桜みたいなもので…それで司さんの方がお聞きになるんだったら別だけど私がね、エメラルドの垂れているイヤリングしてたんですよ。そうしたら相沢さんの方がね『エメラルドのイヤリング、とっても良くお似合いで素敵ですね』『ええ、これ誕生石なんですよ』っていう話をしてて、それでいろんな話を…ものすごくデリケートで優しい人なのね。だからあの方を見て、お父さんの方を見てね『この方の息子だったら大丈夫だろう』っていう気持ちも少しおありになったんじゃない?」相「はい、あの…実は彼とお話する前に出会った時に、最初にお父様とお話をしていて…その会場の中で、知っている人が誰もいない中で、たまたま隣り合わせになって『今日はどんな方がみえているんですか?』っていう話をしたら優しくいろいろ教えて下さって…その後にお父様のところに、つかつかっと息子さん今の主人が来たので…もうキューピットはお父様かなという…」美「やっぱりそうなの…」相「はい…」美「やっぱりね、ろくでもない親父だったら『こいつの息子なんか、ろくでもないや』って思いますものね☆」相「優しいですね、お話もすごく楽しくて…はい」国「そのパーティ、どうやったら行けるんですか?☆」この出会いの後、お母様が司葉子さんであることを知ったのだそうです。国「緊張しましたか、会った時は…」相「また恋人のときに、お家にお邪魔したときは…もう、緊張、すごくしましたね。もう…やっぱり憧れていたので、女優さんとして。もうオーラがかかって、スーッとお見えになられたときに、何か…きちんと自己紹介できたか覚えていないくらい、緊張しましたけれども…」美「司さん自身がね、サバサバ、サバサバした方でしょう?」相「はい、そうですね」美「ね?しんねりむっつりって方じゃないの。男みたいにサバサバしてる方ですものね」相「すごく気持ちの良い、素敵な女性…」続きます。「オーラの泉の日記」
November 3, 2008
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