JINさんの陽蜂農遠日記

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2015.06.03
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カテゴリ: 国内旅行

出張で羽田空港を利用した日に、早めに家を出て、再び国際線ターミナルに

立ち寄りました。

前回はモロッコ旅行に出発した4月16日の夜、約1ヶ月半ぶり。 

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バスを降りエスカレータで3Fに。 

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3Fは国際線出発ロビー。 

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3Fターミナルの天井を見上げる。

空をテーマにすじ雲のイメージか?

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正面に3F⇒4Fへのエスカレータが 

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エスカレータで4Fに上がると正面に江戸舞台が。

美しい生花の紫陽花でいっぱい。

日本の四季を感じさせる、涼しげな演出。

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そして江戸小路。 

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「和」と「江戸」をテーマにした飲食店とショップが並んでいます。

メインストリートの江戸小路は江戸時代の街並みを再現。 

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江戸時代の歌舞伎演芸場を模した店先。 

今は亡き中村勘三郎さんの「招き看板(まねき)」が飾られていました。

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総檜(そうひのき)づくりの「はねだ日本橋」を下から。 

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ホンモノのひのきで作られた全長25mの「はねだ日本橋」。 

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「はねだ日本橋」への階段。 

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日本橋の横の壁には江戸図屏風が。

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17世紀前半の江戸の町の様子がわかる絵画は、ほとんど残っていないのだと。

江戸図屏風はそのころを知ることができる貴重な資料。

江戸幕府3代将軍徳川家光の行った事を称える為に描かれたと。  

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「はねだ日本橋」の前に立っている看板。昔も今もここから旅がはじまるのです。 

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江戸湊、向井將監武者船懸御目候所。

向井將監(むかいしょうげん)率いる幕府船団が描かれている。

向井家は代々将監(しょうげん)を名乗り船手頭を世襲し、将軍御座船の

指揮をとったのだと。

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芝増上寺、台徳院殿御仏殿、家光御仏殿へ御参詣之所。 

台徳院殿御仏殿は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟建築。芝増上寺に造営された。

江戸時代初期を代表するの豪華な彫刻で飾られ東京を代表する観光地として知られていたが、

東京大空襲で焼失。

向かって左側には台徳院霊廟が。中央から下にかけて御成門、勅額門、そして五重塔が

見えます。この絵の右側に増上寺が描かれています。

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京橋(右)、新橋(左)周辺。

いずいれも太鼓橋を思わせるような、湾曲度の大きい(アーチ型)のもので実物を見て

描いたか疑われますが、当時の認識をうかがわせます。橋脚が三組しかなく、長い橋を

支えられたものとは思えないのだと。(橋はアーチ型で橋脚は三組に描くとの認識かと)

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江戸城。

屏風には、家光の盛時を示す意図から江戸城天守が大きく描き込まれている。

この天守は江戸城としては 3度目のものとして、寛永15年(1638)に完成。

基壇から上端までの高さは、約60m。

しかし、明暦 3年(1657)の大火の折に焼失し、以後再建されることはなかったと。

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日本橋。 

経済の中心地としての町の賑わいが鮮やかに描かれていて、大店が軒をつらね、水陸交通

の中心と多くの人々が行き交い、米や材木などの物資が集散されている様子、橋の下を

通り抜ける屋形船、橋のたもとには魚河岸があり、船から荷を下ろす様子、幕府の重要な

法令を掲示した高札場と、それを見つめる人々、江戸の中心としての活気に満ちた賑わいが

描かれている。

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神田、神田筋違橋。

神田川、筋違橋、吉原(現在の人形町付近)、浜町など。

筋違橋は、「すじかいばし」 と読みます。最近「すじかい」という言葉はあまり聞かれなく

なりましたが、交差するという言う意味で 建築用語としてはかなり使われています。

向かって側には湯島天神が描かれてます。湯島天神を参詣する老若男女や、

参詣客相手の店が描かれています。また境内で弓の練習をする武士の姿も。

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寛永寺。

東叡山寛永寺は、京の比叡山延暦寺にならい、江戸城東北の鬼門を守護するために創建された。

増上寺とともに、徳川将軍家の菩提寺であった。寺院や神社の境内地は、江戸の総面積の

約15%という広大な土地を占めていたと。

五重塔も描かれている。現在の芝公園丸山古墳付近にあったものと推察されるが、 

台座に至るまで全てが灰と化し何も残っていないとのこと。

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浅草、浅草寺、隅田川の渡し、浅草寺門前の露店周辺。

江戸に入府した徳川家康は浅草寺を祈願所と定め、寺領五百石を与えた。

浅草寺の伽藍は中世以前にもたびたび焼失し、近世に入ってからは寛永8年(1631年)、

同19年(1642年)に相次いで焼失したが、3代将軍徳川家光の援助により、

慶安元年(1648年)に五重塔、同2年(1649年)に本堂が再建された。

このように徳川将軍家に重んじられた浅草寺は観音霊場として多くの参詣者を集めたとのこと。

現在の五重塔の位置近くに寛永8年(1631年)に焼失した三重塔が描かれている。 

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日本橋を振り返る。 右手に江戸図屏風が。

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Last updated  2015.06.06 05:25:28
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