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さらに車を進め、『ひめゆりの塔』 を訪ねる。
ひめゆりの塔は、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ
ひめゆり学徒隊を祀った慰霊碑。

ひめゆりの塔の記。
この石碑はひめゆりの塔の入口に建立されていた。
二十歳にも満たない多くの尊い命が戦場に散ったのだ。『合掌』。

「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と
沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、
もとは「姫百合」であったが、戦後ひらがなで記載されるようになったのだ。
「塔」と名はついているが、実物は高さは1メートルにも満たない。
これは、終戦直後の物資難な時代に建立された事と、アメリカ軍統治下に建立された
という事情によるものであるとのこと。
写真の一番右にあるのが『ひめゆりの塔』。

第三外科壕跡と慰霊碑(納骨堂)。
慰霊塔の前に穴があいている洞窟が沖縄陸軍病院第三外科壕跡。
洞窟や壕のことを沖縄の方言で「ガマ」と呼ばれている。
ひめゆりの塔が建っているガマ ( 写真中央の穴 ) には当時、ひめゆり学徒を含む
病院関係者や住人などおよそ 100 名がいたと。
解散命令後の 6 月 19 日に米軍のガス弾攻撃を受けて 80 人余りが亡くなられたのだと。

ひめゆり平和祈念資料館。
資料館内には、第三外科壕を底から見上げた形で原寸大のジオラマが作られている。
また、同じく館内には南風原陸軍病院壕の一部を再現した原寸大模型があり、
そこで以前は語り部の証言を直接聴くことができたが、語り部の方の高齢化により、
2004年4月のリニューアル以後は証言映像の上映に切り替えられた。
第四展示室は学徒隊の亡くなられた生徒や教員の写真が壁中に貼られており、
また、生前の人柄や亡くなった時の状況が文章で解説されている。
今回は入館せず。

仲宗根正善先生の哀悼の歌『いはまくら碑』
『いわまくら碑』は、学徒隊引率教師であった仲宗根政善氏が、第1回ひめゆりの塔慰霊祭
(1946年4月7日)で、戦死した教え子を悼み霊前に捧げた歌の碑。
いはまくら かたくもあらん やすらかに ねむれぞといのる まなびのともは
『固いごつごつとした岩場で亡くなったのはさぞ無念で辛かったでしょう。
心安らかに眠って欲しいと学友たちは願っています。』という哀悼の歌(現地案内板から)。

ひめゆりの塔前の道路沿いには多くの土産物屋が並んでいた。

平和祈念公園に向かう。
平和祈念公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、
南東側に険しく美しい海岸線を眺望できるのであった。
前方に沖縄平和祈念堂が見えて来た。高さ45m、七角形の堂塔。
第二次世界大戦で最後の激戦地となった沖縄は、軍民合わせて約24万人余もの
尊い人命を失った。この悲惨な戦争を二度と繰り返さぬよう世界の人種や国家、
思想や宗教のすべてを超越した“世界平和のメッカ”として昭和53年10月1日、
この平和祈念堂は開堂。堂内に安置されている高さ12mの平和祈念像は沖縄の人々
あるいは全人類の平和のシンボル。

6月23日の「慰霊の日」の戦後70年 沖縄全戦没者追悼式(沖縄県主催)開催の
準備が行われていた。

式典会場入り口と書かれたの大きな表示板。
金属探知検査を行う模様。ドローン飛行禁止の文字も。

多くのテントが既に設営されていた。

平和祈念公園内の池。
ここ平和祈念公園ではことさら別の意味を持つのだと。
戦争中、傷付き倒れ戦没された方々は水を求めながら亡くなったと。
この場所に池を設け水を湛えることは戦没者の慰霊の意と。

沖縄戦で亡くなった人々の名前が人種、民族、敵・味方に関係なく刻まれた
記念碑 「平和の礎」 。

その氏名の数は実に約24万人。 現在も刻銘は続いていると。

神奈川県出身の戦没者の礎。

外国人の名も。
ここには、日本人だけでなく、朝鮮人やアジアの人々、そして欧米人も含め、
名前が判明している沖縄戦犠牲者のすべてが記録されているのであった。

「平和の礎」内にある広場の中央には「平和の火」が灯されていた。
円錐形に造られた 「平和の火」 は池の地図上で沖縄の位置に建っているのであった。

「平和の火」は、沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と
被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、
1991年から灯し続けた火を1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したもの。

平和祈念公園の海岸。
青い海が広がるそして太平洋を望む断崖絶壁の絶景。

「平和の火」から「平和の礎」を望む。

沖縄県平和祈念資料館。
悲惨な沖縄戦の実相及び教訓を後世に正しく継承するとともに、平和創造のための学習、
研究及び教育の拠点施設。

沖縄平和祈念公園モニュメント。

このモニュメントの前の広場で式典などが行われるのです。

見学を終え駐車場に向かう。

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