PR
Keyword Search
Comments
New!
隠居人はせじぃさん
Gママさん
noahnoahnoahさんCalendar
青森・五所川原事業所に行った折、十三湖近くの現場からの帰路に
高山稲荷神社に立ち寄る。
高山稲荷神社に向かう寂しい道路に、何の前触れもなく大きな大きな鳥居が現れた。

そして高山稲荷神社の案内が。あと1kmと。

そして到着。
高山稲荷神社入口の大鳥居。

旧車力村(現在はつがる市)にある高山稲荷神社は、五穀豊穣、海上安全、商売繁盛の
神様として青森県第一の霊験あらたかな、日本海の海岸に面した神社。
大鳥居をくぐると、大きな社務所が建っていたが、ここには宿泊施設も完備されており、
例大祭には、全国各地から大勢の人々が訪れると。
そして社務所前には馬の象も。

「稲荷大神」を祀るようになったいきさつとして、由緒書きは次のように伝えていると。
【稲荷神社創建の社伝には、江戸時代の元禄十四年(1701)、播磨国赤穂藩主
浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の江戸城内での刃傷事件による
藩取りつぶしの際、赤穂城内に祀っていた稲荷大神の御霊代を藩士の寺坂三五郎が奉載し、
流浪の果て津軽の弘前城下に寓し、その後鯵ヶ沢に移り住み「赤穂屋」と号し、醸造業を
営み栄える。その子孫が渡島に移住するにあたり、この高山の霊地に祀れとのお告げにより
移し祀った、と伝えられる。】と。
忠臣蔵(赤穂事件)の事件がここまでと驚きなのであった。もちろん、にわかには信じられない
伝承であるが、津軽には赤穂とのつながりを物語るいろいろな話も残されているとのことで、
この伝承にも興味を惹かれたのであった。
参集殿とも呼ばれる立派な建物と門かぶりの松。

神札授与所・車祓所。

社殿へと続く参道階段の入口。

稲荷社らしく、一対の「きつね像」が立っていた。

左右ともに子狐を抱え、頬被りしたその姿は印象的。

長い階段の両脇には参道階段の灯籠が。
よく見ると、青森県のみならず秋田県や北海道の方々の寄進と思われるものもあり、
この神社の信仰が遠くまで広がっていることが分かったのであった。

登り詰めたところが分岐点になっているようで、そのまま真っ直ぐ下へ進むと、
この神社のシンボル「千本鳥居」の場所、右側には末社群、そして左側に社殿が。
まずは末社群へ。
三五郎稲荷神社。

大島稲荷神社。

階段の上に拝殿が見えてきた。

拝殿。

巨大なしめ縄の上には見事な透かし彫りが。


作丈一稲荷神社。

三王神社入り口。

高山稲荷神社は境内にあるこの三王神社がその前身で、海路や陸路の「守り神」で
あったとされていると。
朱が輝く。

これが拝殿?

そしてこの奥にある千本鳥居に向かう。

・・・ つづく
・・・
牛久大仏へ(その4) 2025.11.20
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19 コメント(1)
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18