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9日(土曜日)の夜に日本テレビで放送された『世界一受けたい授業2HSP』を
楽しみました。
その中で武田鉄矢先生の『あの漢字・あの言葉には驚きの意味が!?本当は怖い!?
日本語の由来』が非常に勉強になったので紹介します。
まずは漢字の文字の由来について。
この日は「怖い漢字、言葉」がテーマ。
下記のイラストや写真はネットから転載させて頂きました。
★『久』
この漢字『久』の由来はあるものを棒で支えている様子からと。
あるものとは何か?
正解は『横たわる死体』であると。
死んだ人を木で支えていることから『久』。
死んで『永久の人』になることから『久』の字の由来になったと。
★『柩』
死んだ人(永久の人)を表す『久』を木箱に納めた形から『柩』
★『棺』
中身が入っていないものを棺、遺体が収められたものを「柩」とする説があるのだと。
そして「官」、昔は腰を落ち着けて休むところの意味。すなわち途中この中で休んで
あの世に行くのであると。
★『道』
この『道』という漢字というのは恐ろしい漢字だというのがいろいろな本に書かれていると。
古代において、道には怨念が宿っていたとされ、その怨念をふり払うために、異民族の首を
切って歩き、それでもって悪霊を追い払うことができると信じられていたのだと。
★『東』
日本では東という字は「木」に太陽が掛って日の出を表しているように見えることから、方位の東
を言うといわれている。
しかし甲骨文字と金文の東は本来古代人が常用していた袋を指している。
上古の時代は人は物を運ぶ時、まず地上に一枚の獣の皮を広げ、中に一本の木の棒を置き、
獣の皮の上に物を置き、獣の皮を木の棒に巻きつけるように括るり両端は皮の紐か藤のつるで
結える適当な大きさの袋になる。肩の上に担ぐのに都合がいい。外で野営する時、獣の皮は
床に敷くのに実用的である。甲骨文字の「東」はこの種の袋の描写である。
古代人は太陽が昇った時に起床し、すぐに体の下に敷いてあった皮をまいて、肩にかけ、
木の実を集めたり狩りに出かけたりした。この為「東」は太陽の昇ってくる方向を示す。
これは即ち東が一つの象形造字であるということである。
★『赤』
「赤」の漢字は、中国で「大」とその下の「火」の漢字を組み合わせて作られ、
「大きく燃え上がる火の色」を表している。
★『取』
右の「又」は、手を表す。
古代中国では、討ち取った敵の左耳を切りその戦功を数えたことから、取の字ができたと。
★『最』
戦場で切り取った耳を袋に入れて集め持つ形。
上の『日』はもともとは『月(ぼう)』で頭巾のことであると。
切り取った耳の数が一番の物を『最』と行ったのだと。
最は『とる、あつめる』の意味と『第一、もっとも』の意味になったのだと。
★『教』
教育」の「教」の漢字についてはむちを持って打つ「攵」と、ならう意味の「孝」から
なっていると。
古代中国の学び舎では、言うことをきかない生徒には、先生から容赦なくむちが飛んだと。
スパルタ教育が行われていたことが、「教」の漢字からわかるのだと。
そして言葉の由来も。
★『土壇場』
「土壇」は斬首の刑を行うための、土で築いた台のこと。つまり「土壇場」とは
死刑場そのものみたいなもので、そこに上がればもう死ぬしかないことから、
最終的に追い詰められた状態のたとえに使用するようになったと。
★『濡れ衣』
奈良時代にあった博多の話。
夫と妻と娘の三人家族、妻を亡くした夫が後妻を迎えた。後妻は元妻との娘(春姫)の美しさと、
それを可愛がる夫の姿に、嫉妬した。継母は元妻との娘を「浅ましい娘」dらると父親に思わせるため、
漁師の濡れた衣を春姫の寝入ったところに被せ、 漁師がこれをを盗まれたという噂を流した。
継母からこれを聞いた父親が、 娘の寝床でこの濡れた釣り布を見て、春姫が盗んだものと
思わせられて、春姫は 「無実の罪」で父親にその場で斬って殺されたという説があるのだと。
博多にはこの説に基づき、 「濡衣塚(ぬれぎぬづか)」という石碑があるとのこと。
春姫を殺めた父親の夢の中に、この春姫が現れ、 無実の歌を詠んだ言葉より、無実の罪と知り、
供養の堂を七つ建て、 罪を償うために出家したとされていると。
あっと!!、私が大好きな文字を忘れていましたので最後に。
★『仁』
形声文字です(人+二)。「横から見た人」の象形と「2本の横線」から。
「2本の横線」の「二」は人と人との間に通う「親しみ」、「いつくしみ」、「おもいやり」を
意味するのです。
文字通り「人(ひと)」と「二(ふたり)」で、二人が対等に相親しむことを表しているのです。
私たち日本人の生活になくてはならない漢字。毎日使っていながら、どうしてその形・意味に
なったのかは、なかなか理解していない。
複雑で難しそうに見える世界には、一体何が隠されているか益々興味が増すのであった。
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