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片瀬市民センター前の弁財天道標。

西行がこの松の木の近くで出会った童に「どこへ行く」と問いかけたところ、
「夏枯れて冬ほき草を刈りにいく」という歌を詠んだという。

弁財天道標。

裏面に西行もどり松と刻まれていた。

片瀬3丁目の個人のお宅の敷地内にある寛文庚申供養塔。
下部には3猿が。
日光の3猿は右から 見ざる 言わざる 聞かざる であったと思うが
この石碑の3猿は見ざる 聞かざる 言わざる であった。

日蓮宗龍口山常立寺(じょうりゅうじ)。
元は真言宗回向山(えこうざん)利生寺(りしょうじ)と称していた。
日蓮宗となったのは室町時代から戦国の世となっていく永正年間(1504~1521)。
こちらも龍口寺輪番八箇寺の一つ。
常立寺(日蓮宗)は、龍ノ口処刑場で処刑された者を弔うために建てられた寺。
北条時宗によって処刑された杜世忠ら元の国使もここに葬られたと伝えられている。

山門。

山門を潜ると右手に六地蔵が。

左手に大きな石碑が建つ、元寇使者塚。

石碑のもとには、供養塔と伝わる五輪塔。
文永の役(1274。世にいう元寇の第一弾)ののち、元(げん)の皇帝フビライは、
なおも服従・朝貢を勧告する使者を日本に派遣。
鎌倉幕府第八代執権北条時宗は元には屈せぬという断固たる姿勢を示し、
鎌倉に護送されてきた使者の杜世忠ら五人を龍ノ口刑場で斬首に処した。
杜世忠は己の定めを儚んで辞世の漢詩を残し、龍ノ口の露と消えていった。
そして歴史は二度目の元寇(弘安の役。1281)へとつながっていく。
基の五輪塔は何れも青い幟で包まれていた。
「青い襟巻?」見慣れない光景。

本堂は修復工事中。
真言宗時代の回向山という山号は、龍ノ口(たつのくち)の刑場で処刑された者の
供養がこの地でなされたことによる。

五重石塔。

鐘楼。

前方に湘南モノレールが姿を現した。

湘南モノレールの湘南江の島駅の入ったビルの角っこに道標発見。

この道標には「従是右江嶋道」と刻まれていた。

「左龍口寺」

「願主江戸糀町」と建てた講中の名も。

湘南モノレール 湘南江の島駅入口。

国道467線を渡り江ノ電踏切へ。

江ノ電片瀬江ノ島駅が左手に。

洲鼻通りを江の島に向かって歩く。

洲鼻通りなぎさ整備事務所前に移設された弁財天道標。

「ゑのし満道」 と刻まれた道標。

「ここは すばな通り」 と刻まれた石碑。
周囲の柵は最近設置された?

江の島道も終わる洲鼻通りから江の島が姿を現した。

「ここは 湘南」の石碑。

天女と五頭龍伝説の説明板がこの龍を象った塔の下に。

3時間強の江の島道散策を終え小田急線片瀬江ノ島駅から帰宅の途へ。

この日に歩いた江の島道を一遍上人、西行法師、そして源頼朝や義経、鎌倉攻めの
新田義貞も、そして江戸時代には江の島詣での江戸の老若男女が賑やかに
歩いていたのであった。
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