JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.10.31
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次


『速須佐之男神社(すさのおじんじゃ)』



参道入口左にあったのが『秋葉山常夜灯』。



石鳥居とその先に参道が。



扁額にも『速須佐之男神社』と。



『拝殿』。
明和7年(1770年)10月9日創建という。
速須佐之男命を祭神とし、例祭日は旧6月15日。



境内には何故か?二宮尊徳像が。



豊川市桜町1丁目、右手広場奥にあったのが『冷泉為村卿御歌碑』。



案内板。



『若宮白鳥神社遥拝所』と刻まれた石柱の横に歌碑が。



藤原定家 を祖にもつ江戸中期の歌人・冷泉為村(れいぜい・ためむら、1712~74年)が、
延享3年(1746)に徳川第9代家重 が将軍継承の際、為村一行が朝廷の使いとして江戸に
下る途中、当時、桜の名所であったという桜町で詠んだ歌碑が旧東海道沿いにあった。
この碑は、2007年3月18日に建てられたもの。
「 散り残る 花もやあると さくら村 青葉の木かげ 立ちぞやすらふ 」



そして豊川市の汚水マンホール蓋。
市内を流れる豊川と奥の山は本宮山。
市の木「クロマツ」と市の花「サツキ」、それに豊川稲荷を連想させる「キツネ」も描かれている。



そして民家の庭に色彩豊かな鶏が数匹放し飼いにされていた。
名古屋コーチンではなさそうだが、昔、熊本で見た「天草大王」か?



『西古瀬川』を渡る。



大型草刈り機で堤防の雑草を一気に除去していた。
川沿いには(株)白鳥生コンが。



更に旧東海道を進む。



可愛らしい『道祖神』、『豊川警察署』の文字も。



この後、東三河環状線の下を潜れないため、右折して国道1号線に合流し
京次西交差点を渡り進む。



名鉄名古屋本線・白鳥路線橋を進む。



名鉄名古屋本線。



周囲の田園風景を楽しみながら。



国道1号線・白鳥交差点を過ぎる。



日本橋から305.5kmと300km超えを再確認。



国府町薮下交差点から旧東海道は左に分岐して県道374号線に。
読みは国府町(こうちょう)と。
名鉄駅・国府は「こう」であった記憶があるが。



旧東海道に入る。



小さな祠が二つ仲良く並んでいた。



『半僧坊大権現』と。



こちらは『国府天神』。



右手に『秋葉山常夜燈』。



『秋葉山 常夜燈』
「型式は御中堅?高さ205cm、造上寛政12庚申(1800)村中安全。
秋葉山
秋葉三尺坊大権現はその昔、越後国蔵山より白狐に乗って遠州の秋葉山に飛来したいといわれ
火防の霊験あらたかと信ぜられ、江戸時代朝庭(廷)、大名、庶民に至るまで奥深い信仰を
あつめられ、国府村民等も村民を火難より守るため秋葉山常夜燈を造りました。」



次に右手には『薬師堂瑠璃殿』。



熊野へ行く途中、国府の郷を通った行基は二人の姉妹が住む家に投宿した。姉妹が死んだ
父母のために仏像を刻んで欲しいと行基に頼み、行基が近くの古木の杉から薬師瑠璃光如来像を
刻むと、姉妹はこれを安置した寺を建立したという。



瑠璃殿の扁額は文政四年(1828年)八幡山巌禅翁の書。



『三河国府中二子寺 薬師如来塁畧縁記』。



『薬師如来像』であろうか?



『薬師如来』の幟が並んでいた。



再び豊川市マンホール蓋。
市の木「クロマツ」の間にキツネが鎮座。



旧東海道と平行に建っていたのが『大社神社』。
愛知県 豊川市 国府町 流霞5に鎮座する神社。
明治5年(1872年)には、大社神社は国府村の総氏神となる。ご祭神は大国主命。



『御神木』。



境内には他に秋葉神社も。御祭神は火之具土(ひのかぐつち)大神(秋葉三尺坊)



『拝殿』。
天元・永観(978~985)の頃、時の国司 大江定基卿が三河守としての在任に際して、
三河国の安泰を祈念して、出雲国大社より大国主命を勧請し、合わせて三河国中の諸社の
神々をも祀られたとあります。



こちらは大社神社忌避期間遙拝所。



『戦死者 玉島好彦のために』碑。
「子を思う 親の心の悲しさよ 孫なき吾子の 名をば止めん」。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.05.01 14:49:33コメント(0) | コメントを書く


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