JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.03.03
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

『御曹子社』の鳥居の向かいの筋を60m程進むと右手に石薬師の『蒲桜』が。



『石薬師の蒲桜碑』。
右後ろには『可婆左久良碑』も。



『石薬師の蒲ザクラ』
「この桜は、ヤマザクラの一変種として植物学上からも珍しい。赤茶芽、花は一重の五弁、
直径5㎝、白色から淡紅色で、開花時は見事である。
伝説によれば、寿永(1182-84)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、
石薬師寺に戦勝を祈り、 鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿したのが、芽を出して
この桜になったと言われている。 そのため、俗に「逆桜」とも言われている。」



『佐佐木信綱歌碑』
ますらをの 其名止むる 蒲桜 更にかをらむ 八千年の春に



例年の花の見頃の3月下旬~4月上旬になれば。


        【 https://tabi-mag.jp/me0245/ 】より

旧東海道に戻ると、歌碑の番号が44と大きく飛んでいることに気づき、二人で旧東海道を
『石薬師寺』方面にしばし戻り歌碑を撮影する。


41.
どっちにある、こっちといへば 片頬笑み ひらく掌の 赤きさくらんぽ
42. 花さき みのらむは知らず いつくしみ 猶もちいつく 夢の木実を
43. 春ここに 生るる朝の 日をうけて 山河草木 みな光あり
44. ますらをの 其名止むる 蒲桜 更にかをらむ 八千年の春に


そして再び旧東海道のなだらかな坂を下る。



45. かぜにゆらぐ 凌秤花 ゆらゆらと 花ちる門に 庭鳥あそぶ
46. 道とへば ふるさと人は ねもころなり 光太夫の碑に 案内せむといふ
47. 六つに越え 九つにして 蛉鹿山 ふたたび今日は のぼりけるかな(八歳作)
48. 投げし魅の 一つを囲み かたまり寄り おしこりおしもみ 鯉の上に鯉


そして前方に橋が見えて来た。



蒲川橋(かまがわはし) 』。



流れる川は『才石川』。



『蒲川橋
の渡り詰め左手に
「生家にゆくと弱かりし母が我をせおひ徒渉せしか此の甲斐川を」
があった。



そしてその奥にあったのが『石薬師の一里塚阯』碑。
ここは江戸日本橋から数えて102里目の一里塚跡である。



『東海道石薬師宿碑』。



『道標と石薬師案内』。




1.8㌔の間に信綱かるたの短歌50首を掲示している。 途中、石薬師寺(信綱・西行・一休・
芭蕉等の歌碑句碑など)、蒲冠者範頼社・蒲桜、浄福寺(弘綱記念碑・幸綱歌碑)、
佐佐木信綱記念館、本陣跡、地蔵堂などがある。




『佐佐木信綱短歌』の最終50番目。
生家にゆくと 弱かりし母が 我をせおひ 徒渉せしか 此の甲斐川を



49. 呼べど呼べど 遠山彦の かそかなる 声はこたへて 人かへりこず
50. 生家にゆくと 弱かりし母が 我をせおひ 徒渉せしか 此の甲 川を



町内安全と刻まれた『石燈籠』と『石薬師の一里塚阯碑』。



「石薬師の一里塚
信長記には、天文9年(1540)冬、足利将軍が諸国に命じて40町を一里として一里塚を築かせ、
その上に松と榎を植えさせたという。〔一町は約109m〕

家忠日記には、慶長9年2月(1640)秀忠が東海道、東山道、北陸道の三道に一里塚を築かせ、
一里を36町に改めたという。

「くたびれたやつが見つける一里塚」  (江戸時代の川柳) 」 。



蒲川橋の先の直線の道は途中で消滅しているため、一里塚跡前を左折して、
『関西本線のガード
を潜って行く。



一面の田園地帯に出る。



関西本線のガードを潜ると正面に道標があり、庄野宿方面へ左に田圃を見ながら進んで行く。



道なりに進んで行くと、左手に先程あった道標と同じものがあり、ここを右折して
国道1号線の地下道を潜って行く。



国道1号線の地下道を潜り、左折してその先で小川に架かる橋を渡って進んで行く。



そして 国道1号線に合流した。



国道1号線を進む。



更に国道1号線の歩道を『加佐登町』に向かって進む。



この日の『旧東海道を歩く』はここまでとし、国道1号線とは別れ、
『加佐登駅』に向かって『関西本線』の踏切を渡る。







関西本線・名古屋方面の時刻表。昼間は1時間に1本の電車。



加佐登駅周辺の『名所案内』。



『加佐登』。
近くの三重県鈴鹿市にある加佐登神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト) を主祭神とし、

この御笠殿(みかさどの)が『加佐登』の名の由来のようだ。



13:34発の名古屋行きに乗り、JR四日市駅を目指す。



そしてJR四日市駅に20分程で到着。



JR四日市駅周辺の『みなとまち歩きマップ』。



そして、脚の痛みもありバスにて近鉄四日市駅に向かう。
中央通りのバスの車窓からの婦人像は誰?



そしてホテルに戻り、旅友の愛車に乗り、この日のホテルである、近鉄鈴鹿線の終点駅である
『平田町駅』近くにあるホテルに向かう。
途中、若き頃仕事でお世話になった協力会社に立ち寄り、営業担当の方と会長に面会し
しばしの思い出話や現在の工場の仕事の内容についてしばし歓談。
そしてこの夜は、営業担当の方と久しぶりに夕食をご一緒することに。
ホテルに到着し、暫し休憩していると、車で迎えに来てくださったのであった。
そしてこの日の店へ。



平田町にある『焼肉 一升びん』へ。



まずはビールで久しぶりの再会を乾杯。



厚手の松阪牛。



松阪牛の焼き肉を、しこたまご馳走になったのであった。




ホルモンも美味。



仕上げは『ユッケジャンクッパ』をこれでもかと。



ご馳走様でした。

                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.02 16:36:08
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