JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.12.14
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カテゴリ: 国内旅行
「本堂(龍護殿)」前の「白鷺」のモニュメントを再び。
その先に石碑も。



「南無阿弥陀仏 金三拾両」と刻まれた石碑。



「本堂(龍護殿)」左の植栽の紅葉。



本堂前の「花供養塔」。
母の日が終わった5月第3日曜日に、ここ浄真寺で花供養が行われると。
戦後から長く続く法要で、花屋さんの有志が1年間花にお世話になった、そして
花の生命を使わせて商売をさせて頂いたことへのご供養であると。



「和」と刻まれた球状の石碑。
平和の塔(へいわのとう)であると。
台座には「超世無倫(ちょうせむりん=世に並ぶ者がない)」と刻まれていた。
昭和四十年(1965)建立と。



「河口慧海師碑




右手に墓石と左手に石仏。



墓石には2名の戒名が。



濡れていたが水かけ地蔵様なのであろうか?



枯れ葉の上を「五社殿」に向かって進むと左に有った石仏。



「五社殿」



淨眞寺の鬼門を守護する御社で、伊勢神宮、呑日大社、石済水八幡宮、住吉大社、熊野大社の
五社の御分身を祀っていると。







左に折れ、再び「本堂(龍護殿)」前に向かって進む。



本堂前の「白鷺像」のモニュメントを見る。



本堂前の紅葉。



陽光が紅葉に差し込んで見事な赤の世界。



「天皇陛下御手植之松」。



「天皇陛下御手植之松」碑。



「仏足石」。



「仏足石
大聖釈尊の御入滅後、仏陀礼拝の形式として、その御足に対して、接足作礼(せっそくさくれい)
により人々は衷心慕情の誠を示した。御人滅後およそ六百年、仏像が創まり、それが広範に
おこなわれるまでの永い年月、仏足石礼拝は重く用いられたのである。
当山の仏足石の中央に千福輪相(法輪)が刻されているが、麾減している。
天保年間のもので、近年その土台を補修した。」



天然記念物にもなっている境内の巨大なイチョウの樹の脇に一つ歌碑が。



『掃きよせて 落ち葉焚く間も銀杏の樹 やまずしこぼす 黄なるその葉を』
植松壽樹歌碑(うえまつひさきかひ)であると。
大正昭和期の歌人。歌誌『沃野(よくや)』を創刊・主宰した。墓所はここ浄真寺。



「都天然記念物 九品仏のイチョウ」碑。



五重石塔。



「本堂(龍護殿)」とその横の枯山水庭園。







本道横に掲げられている「戦捷紀年」。
1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけて大日本帝国と
ロシア帝国との間で行われた日露戦争戦争への玉川村奥澤の従軍者の名前が書かれていた。



手水場。



鷺草を詠んだ鎌倉の物故俳人・吉岡富士洞の句碑があった。

『天碧き日は 鷺草の天に翔つ』。



本堂の裏手に鷺草園が。池には菖蒲や水草が植栽されているのだと。




鷺草園の水の流れ。







「鷺草(さぎそう)について
鷺草(昭和43年8月1日、区の花に指定)=[ラン科]は陽の当たる湿地原野に生える
多年生草本で7~8月頃、高さ20~30センチの茎に純白の花を咲かせ、その形が飛んでいる
鷺の姿に似ているところからこの名前がついたものと思われます。
区内では大正の末頃まで九品仏周辺の奥沢田甫に自生し奥沢には「鷺の谷」・また地続きの
目黒区自由ヶ丘には「鷺草谷」という小字の地名がありました。この鷺草にまつわる悲話も
いくつか伝えられておりますのでその一つを御紹介します。
「室町時代世田谷城主吉良頼康には、家臣の奥沢城主大平出羽守の娘で常盤姫という美しい
側室がいて頼康の愛を一身に受けていたが、古くからいる側室達が、これをねたんで常盤が
不義をしたとあらぬ告げ口をしたので遠ざけられた。悲しんだ常盤は幼い頃から愛育した白鷺の
脚に遺書を結びつけ、両親の住む奥沢城に放った。たまたま奥沢城附近で狩をしていた頼康が
白鷺を射落したところ脚に手紙が結んであったので開いてみると常盤の遺書であった。
頼康は驚いて急いで帰館したがときすでに遅かった。白鷺の射落された場所から一本の草がはえ、
やがて鷺に似た可憐な花をつけたのです………」。



「鷺草園」から「本堂」を見る。



天然の湧水なのであろうか。



多くの水は流れていなかった。



前方に「仁王門」へ通じる道が。



「仁王門」を本堂側から。



「仁王門」の脇には4基の「青面金剛像」が。



その脇には「玻璃摩権現」と刻まれた石碑が。



「青面金剛像」を反対側から。



夜のライトアップも行われているのであろうか?





                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.12.14 12:00:09
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