JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.11
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カテゴリ: JINさんの農園
茅ヶ崎市とNHK横浜局の主催で「大河ドラマ 鎌倉殿の13人 スペシャルトーク in 茅ヶ崎」が
行われることを知り茅ヶ崎に住む旅友が往復はがきで事前に申し込んでくれ、当選したので、
この日6月4日(土)の午後に、茅ヶ崎に向かいました。



「入場整理券」が事前に届きました。



ゲスト出演者は「伊東祐清」役の「竹財耀之助(たけざい てるのすけ)」さんと
「江間次郎」役の「芹澤興人(せりざわ たてと)」さん。



旅友と開催場所の「市民文化会館 大ホール」で14:15の待ち合わせとしてJR茅ヶ崎駅から
徒歩で向かう。
左手にあったのが「茅ヶ崎市役所」。




建設工事が行われていた。



東横インの工事現場は基礎工事、地下工事も完了している模様、1階部分のフロアーを打設も
終わったようであった。



「ふれあい橋」を「市民文化会館」に向かって進む。
「ふれあい橋」は茅ヶ崎駅から国道1号線を越え、市役所手前から、
市民文化会館、中央公園を結ぶ高架の歩道橋。
橋 長 188m
構 造 PC箱桁橋
竣 工 昭和57年。



右手には先日訪ねた「​ 茅ヶ崎 中央公園 ​👈リンク(第一カッターきいろ公園)」が見えた。







「茅ヶ崎中央通り」の北側方向を見る。



そして左側にこの日の目的地が。



「茅ヶ崎市民文化会館」。



旅友と合流し館内に入るとロビーには様々なパネル展示があった。



会場の「大ホール」はまだ入場できなかった。







館内には既に多くの市民が集って、開場を待っていた。



館内ロビーに展示されていた黄金のモニュメント。



源頼朝と茅ヶ崎ゆかりの地
2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」
放送をきっかけに鎌倉幕府初代将軍源頼朝などに関連する茅ヶ崎ゆかりの地を紹介します
頼朝の生きた時代に思いを馳せてみませんか



頼朝と茅ヶ崎
鎌倉幕府は1192年※、源頼朝が創設した武家政権。
1180年、伊豆に流されていた頼朝は。反平家の旗をあげた。
懐嶋(現茅ヶ崎市の円蔵、浜之郷、矢畑付近)の在地の武士・大庭景能は頼朝に味方した。一方、
大庭景親は相模(現神奈川県)の武士を率いて、頼朝と戦い、頼朝は石橋山で敗北した。
頼朝が安房・武蔵を経て鎌倉に入ると、景能は頼朝の新邸や鶴岡八幡宮の造営など鎌倉暮府の
基盤作りに奔走した。景能の懐嶋の館は1190年、頼朝が京に上るときには、宿となった。
頼朝の寵愛を受けた丹後局の兄・比企能員は、「鎌倉殿の13人」の一人として活躍した。
稲毛重成が相模川に架けた橋の落成供養に参列した頼朝は、帰途で弟・義経らの亡霊に会い、
落馬した。それが原因か定かではないが、その後、頼朝は亡くなった。」



「鎌倉殿の13人のパネル展」。



「北条義時」の人気のポスター。



「略年表」---「鎌倉殿の13人」の時代をたどる。1180年 治承4年 8月  源頼朝、伊豆で平家追討の挙兵
              源頼朝、石橋山の戦いで大庭景親らの軍勢に敗れる
          9月   平清盛、源頼朝追討の宣旨
          10月   源頼朝、鎌倉に人府
              富士川の戦い
                                   源頼朝と対峙した平維盛が敗走
            源義経、黄瀬川にて源頼朝と対面を果たす
         11月 平清盛、京へ遷都
         12月  源頼朝、鎌倉殿となる
            平清盛が後白河法皇の幽閉をとく
1181年 治承5年     平清盛死去
     養和元年
1182年 養和2年            源頼朝・北条政子の長男・頼家、誕生
     寿永元年
1183年 寿永2年     5月    倶利伽羅峠の戦い
             木曽義仲が平家軍を破る
          7月  平家一門が三種の神器を伴って都落ち
             木曽義仲と源行家が入京
         閏10月    水島の戦い
                                     木曽義仲、平家軍に敗れる
1184年 寿永3年  1月   宇治川の戦い
    元暦元年      源義経が義仲軍を破る
                                     木曽義仲、粟津原で討ち死に
           2月  一の谷の戦い
              源義経と源範頼が平家軍を破る
1185年 元暦2年       3月  壇ノ浦の戦いで平家滅亡
     文治元年     11月  源頼朝が諸国に守護と地頭を置く
1190年 文治6年     源頼朝、権大納言・右近衛大将任官
      建久元年
1192年  建久3年              源頼朝、征夷大将軍任官



第9回「決戦前夜」
鎌倉に本拠を構えた源頼朝(大泉洋)は、平家方の伊東祐親(浅野和之)討伐を指示。
北条義時(小栗旬)は、祖父・祐親と、義時が思いを寄せる祐親の娘・八重(新垣結衣)を
救うため伊東へ駆けつける。一方、平家の頼朝追悼軍は富士川に到着、源平両軍は川を
挟んでにらみ合った。その夜、北条時政(坂東彌十郎)と三浦義澄(佐藤B作)のささいな
ケンカで、義澄が川に落ら込み、大きな音に驚いた水鳥の群れが一斉に飛びたった。
その羽音を源氏軍の襲来と勘違いした平家軍は戦わずして総崩れに。戦の後、源氏の陣を
訪れた若者がいた。頼朝の弟・源義経(菅田将暉)だ。頼朝と義経は感動の対面を果たす。
第10回「根拠なき自信」
鎌倉に凱旋し、新政権の体制固めを進める頼朝は、阿野全成(新納慎也)や源範頼(迫田孝也)、
源義経ら弟たちを前に「源氏再興には、血を分けたそなたたちが頼り」と喜びを語る。
伊東祐親は助命となり、八重は頼朝を陰から見守ろうと侍女となる。義時はそんな八重の
ことが気になって仕方がない。頼朝は佐竹氏討伐のため常陸に出陣、上総広常(佐藤浩市)を
交渉に遣わすが、戦が始まる。頼朝勢が攻めあぐねる中、実戦経験のない義経が大胆な攻略法を
思いつくが、佐竹勢のあっけない降伏で手柄はおあずけに。勝利した頼朝の前に、新たな弟・
義円(成河)が現れる。
第11回「許されざる嘘」
鎌倉に御所が完成し家人たちを集めた頼朝は、自らが「鎌殿」と宣言。所領を与えて主従の
関係を結んだ。都では平清盛(松平健)が反対勢力一掃のため源義経はすぐに京へ攻め上りたいと
訴えるが、頼朝は動かない。優秀な兄・義円の存在も気に食わない義経は、義円を鎌倉から
追い出そうと画策。頼朝は義経を叱責するが、義円は戦で討死。その冬、頼朝の妻・政子
(小池栄子)が2度目の懐妊。伊東祐親が存命する限り男子は望めないと言われた頼朝は祐親を暗殺、
義時はその冷酷さに戦慄する。
第12回「亀の前事件」
父・伊東祐親の突然の死を受け止め切れない八重は、鎌倉から義時の所領・伊豆の江間に移り住む。
御所には武蔵の比企能員(佐藤二朗)が出仕。都、官療・大江広元(栗原英雄)らも下向し、新たな
人間関係が動き出す。寿永元(1182)年8月、政子は無事、男子・万寿を出産するが、頼朝が愛妾・
亀(江ロのりこ)の館に通っていると知り激怒。仕返しとして、都の「後妻打ち(うわなりうち)」と
いう習わしを真似て、亀の館を形だけ打ら壊すことにするが、源義経の暴走から館は焼失。
頼朝は、政子に浮気を責められるも、立場を理由に非を認めようとしない。そんな頼朝の態度に
父・時政が逆上。故郷の伊豆に帰ってしまう。



第13回「幼なしみの絆」
頼朝に勝るとも劣らない源氏の勢力・信濃の本曽義仲(青本崇高)が平家と通じているという
情報が入る。真偽を問う頼朝は、鎌倉の軍勢を信濃に差し向けるが、源氏同士の争いの駒に
使われているとして、御家人たちの不満は高まっていく。源氏同士の争いを否とする義仲は、
嫡男・源義高(市川染五郎)を人質として差し出すことを決める。一方、鎌倉では時政の不在を
好機と捉えた比企能員が、婚姻で源氏と緊密になった北条に負けじと、娘を源義経に近づける。
それぞれの思惑が交錯する中で奔走する義時。八重は多忙な中でも変らず自身への思いを貫く
義時を慕うようになり・・・。
第14回「都の義仲」
義時と八重はついに夫婦となる。鎌倉入りした源義高は、頼朝の娘・大姫の許嫁(いいなずけ)に。
木曽義仲は京へ進軍し、次々に平家を撃退していく。
義仲を恐れた平清盛の後継者・平宗盛(小泉孝太郎)は帝(みかど)とともに都を落ち延びる。
上洛を果たした義仲だったが、後白河法皇(西田敏行)との関係は次第に悪化していく。この機に
頼朝は法皇に取り入り、法王も頼朝に東海道・東山道の軍事支配権を得ることで義仲を追い込んで
いく。法王から義仲討伐を求められた頼朝は、義経率いる先発隊を京に派遣。しかし鎌倉では
源氏同士の争いを拒む一部の御家人に謀反の動きが!
第15回「足固めの儀式」
寿永2 (1183)年11月、源義経の軍勢が迫る中、木曽義仲は後白河法皇を捕らえ京に籠(こも)る。
鎌倉で頼朝を排除しようとする企てを察知した義時は、官療の大江広元らと奔走。実力者・
上総広常にあえて謀反側に加ってもらい、企てを阻止する。企てに関わった者を処分しようと
する頼朝に対して、義時は必死に広常の寛大な裁きを訴える。しかし広常を関わらせたのは、
強大な力を持つ広常を排除したい頼朝の計略だった。全ての責任を広常に負わせ決着。頼朝は
御家人たちに改めてその権威を示した。一方義時と八重の間には嫡男・後の北条泰時が誕生した。
第16回「伝説の幕開け」
上総広常の命と引き換え、御家人たちをまとめ上げた頼朝。寿永3(1184)年が明け、頼朝は
源範頼を総大将、梶原景時を軍奉行とする本軍を京に派兵。義時も従軍し、源義経の先発隊と
合流する。戦場の義経は、軍略家の才を存分に発揮し軍勢の数を偽て噂を流す。義経の計略に
はまった木曽義仲は、京から敗走し討ち死にする。義経は、福原を拠点に復権を図る平家の軍勢に
対しても次々に奇策を立案し追い込んでいくが、無謀な作戦の数々に武将たちの間に不協和音も
生じ始める。そして源平合戦最大の攻防「一の谷の戦い」が始まった!



ご近所の鎌倉時代 神奈川の「ゆかりの地」
地元神奈川が舞台となる大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ドラマでは紹介されていない
ゆかりの地が、他にも数多くあります。ご近所を巡り、鎌倉時代に想いを馳せるのも楽しみの
ひとつです。
源頼朝ゆかりの伝承地
二枚橋  川崎市麻生区
頼朝が挙岳したことを知った源義経が奥州の平泉から弁慶たちとかけつけた際、ここを通り
かかり、粗末だった橋を馬も通れるように造り直したという伝説が残っています。橋には、
丸太を並べた上に土が盛られており、横から見るとのし餅を二枚重ねたように見えたため、
「ニ枚橋」と名付けられたといわれています。義経に関する伝説は、日本各地に残っていて、
その人気を物語っています。
神奈川県鎌倉市
亀ケ谷坂
神奈川県鎌倉市。亀でさえ引き返すほど急な坂道だったことからその名が付いたとも
いわれている亀ヶ谷坂。源頼朝が鎌倉入りした当時、北から鎌倉に入る道はここだけだった
といいます。
寿福寺
寿福寺は、頼朝の父・義朝の屋敷があった場所に建てられた、録倉五山の一つです。政子が
比叡山の僧・栄西を招いて創建。三代将軍・実朝もしばしば訪れ、発展を遂げていきました。
鎌倉駅から北へのびる小町道りは、多くの観光客で賑わいます。
しかし、頼朝と義時が鎌倉入した当時は、鶴ケ岡八幡宮の前を東西に走る六浦路・横大路
メインストートでした。この道を中心に、幕府の重要な施設が建てられていきます。



二枚橋
神奈川県川崎市麻生区高石3丁目32。



亀ケ谷坂(かめがやつざか)。
鎌倉市史(考古学編)に、当時の鎌倉における亀ケ谷坂の防衛線としての役割を次の様に
述べている。
「山ノ内に入った敵軍は、長寿寺の脇を経て亀ケ谷坂に侵入する事が出来る。この道が尾根を
切り通した亀ケ谷坂である。現在の切通は後世において深く且つ広く改 修したものである。
当時は現在の切通のはるか上の狭いところを切通道が通っていたので、ここに逆茂木を並べて
陣を敷いて待ち構えていたら敵軍は通る事は出来な い。」と切通の軍事施設としての様子を
説明している。
神奈川県鎌倉市扇ガ谷3丁目.




寿福寺。
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7。



「鎌倉殿の13人 作:三谷幸喜 音楽:エバン・コール 語り:長澤まさみ
三谷幸喜が贈る予測不能工ンターティンメント!
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。だが流罪人・源頼朝と
姉・政子の結婚をきっかけに、運命の歯車は回り始める。
1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。北条一門はこの無課な大博打に
乗った。頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、遂には平家一門を打ら破る。
幕府を開き将軍となった頼朝。だがその絶頂のとき、彼は謎の死を遂げた。偉大な父を超え
ようともがき苦しむニ代将軍・頼家。"飾り"に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。
将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿げ替えられていく。
義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵を取る。源氏の正統が途絶えたとき、
北条氏は幕府の頂点にいた。都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。武家政権の命運を
賭け、義時は最後の決戦に挑んだ---。」



主な登場人物。



伊豆の国市の「​ 大河ドラマ館 ​」👈リンク でも見た出演者のパネルがここにも並ぶ。



そして定刻になり「市民文化会館」の「大ホール」会場に入り指定された席へ。



そして定刻の15時になり「スペシャルトーク」の開演が近づく。
手話通訳者が交代で終了まで。



茅ヶ崎市長、NHK横浜放送局長の挨拶で始まる。
佐藤 光市長がアロハシャツ姿で。



そしてゲスト出演者の「伊東祐清」役の「竹財耀之助(たけざい てるのすけ)」さんと
「江間次郎」役の「芹澤興人(せりざわ たてと)」さんが舞台上に。



「伊東祐清」役の「竹財耀之助(たけざい てるのすけ)」さん。
伊東祐親の息子で八重の兄。頼朝と結ばれた妹のため奔走する一方、父をそばで支え続ける
家族思いの優しき若武者。



「竹財耀之助」さん。



「江間次郎」役の「芹澤興人(せりざわ たてと)」さん。
八重は源頼朝の子を妊娠し、千鶴丸(千鶴御前)を産むが、八重姫の父・伊東祐親に見つかって
しまい子供は殺害された。
そして、八重は父に仕えていた家来の江間次郎という武将に嫁がされた。
源頼朝が鎌倉に入ると、伊東祐親は江間次郎に八重を殺害するように命じる。
しかし、江間次郎は逆に八重を逃がそうとしたため、善児によって、江間次郎は殺される。
その後、八重は北条義時が保護し、未亡人となった。
八重は源頼朝を陰から見守ろうと、官女として大倉御所にて出仕する。
そして源頼朝との仲が復活しそうになるが、その後、八重姫は北条義時(江間四郎・江間小四郎)に
嫁いで、北条泰時を産むと言う物語になっているのだ。
史実では北条泰時は1183年に生まれている。
史料によると、母は御所に仕えていた女房(官女)である「阿波局」(あわのつぼね)とされる。
この阿波局は、生没年・出自などは不詳の女性で、本名も不明。



「芹澤興人」さん。



舞台上には女性司会者とゲスト2名の3席がアクリル板を挟んで。
トークショーはNHKアナウンサーの司会者の問いかけでゲストが回答するQ/A方式で進む。
このトークショーを楽しい時間にしたいと意気込みを話す竹財さん。
芹澤さんは今日はご褒美と思って頑張りますと語る。
司会者が今回トークショーの地ここ茅ヶ崎に来たことがあるかと。
竹財さんは何度か茅ヶ崎駅を通過したことはあるが今回初めて降りたと。
芹澤さんは実家が沼津で、八王子の大学在学中頃、実家に帰る時金が無くて相模線で茅ヶ崎まで
来て、そこから東海道線に乗り換えて沼津まで鈍行で帰宅したとのことで、茅ヶ崎に降りたのは
やはり初めてと。
八重の2番目の夫江間次郎役の芹澤さんにあの新垣結衣さんが妻役だったのはどう思ったかと
司会者は尋ねる。
伊東家の家人であることは認識していましたが、渡された準備稿の台本には名前が載って
いなかったのだと。
その後新垣さんが自分の妻役になると知って、「え!?新垣さん!?」と。
そして巨大スクリーンに善児の姿が。
善児大嫌い!と竹財さん、思い出すと頸動脈が痛くなると芹澤さん。
そして善児に殺された「善児被害者の会」の「談義」で盛り上がったのであった。
「今回もう1人スペシャルゲストがいます」、と司会者。
「工藤茂光」役の「米本学仁」さんが突然に登場したのであった。



座る前に巨体で座れるかどうか確認するかのように椅子に。
「善児ひどくないですか?」と能弁な米本さん。
ドラマ上では工藤茂光が「善児被害者の会」第一号だったと自慢気に語る米本さん。



「工藤茂光」役の「米本学仁」さん。
工藤 茂光は、平安時代末期の武将・豪族。藤原南家の流れを汲む工藤氏の一族。狩野氏の祖で
あり、狩野茂光(かのもちみつ/しげみつ)とも呼ばれる。
勢力範囲は山がちではあったが、伊豆国を代表する牧草地だった牧之郷を領有し良馬を多数
有したため伊豆半島最大の勢力を築くこととなった。
伊豆大島を所領としており、保元の乱(1156年)で大島に流罪となった源為朝の監視役となる。
やがて為朝が流人の身でありながら周辺諸豪族を切り従えて自立の動きを見せたため、嘉応2年
(1170年)にこれを追討し自害に追い込んでいる。
治承4年(1180年)、同じく伊豆国において流人生活を送っていた源頼朝が反平家の兵を挙げると
頼朝の下へ馳せ参じる。石橋山の戦いで平家方の大庭景親・伊東祐親らと交戦するも敗れ自害した。
一説には、茂光は肥満体であったため思うように走ることができず、周囲の足手まといになる
ことを嫌い、外孫の田代信綱に懇願して介錯されたともいう。
狩野氏は古代から安土桃山時代の小田原征伐にいたるまで武家として活躍し、末裔が現代まで
伊豆に多数残り、伊豆名門の一つである。後北条氏に仕えた狩野泰光・狩野一庵や、画派の狩野派
らは、茂光の子孫である とウィキペディアより。



石橋山の戦いに敗れた頼朝は、山中の洞窟に身を潜めた。頼朝はもとどり(髪を頭の上で束ねた
髪形)の中から小さな観音像を取り出し「こんなことなら、ご本尊を持ってくるべきであった。
誰か取ってきてくれ!誰か!」。宗時(片岡愛之助)が「私が参りましょう」と立ち上がり、
北条館に観音像を取りに戻ることに。
挙兵に加わった恰幅の良い伊豆在郷武士・工藤茂光(もちみつ、米本学仁)も「私も行こう。
鎧が体に合わん。いったん戻って(鎧を)取り替えてくる」と宗時に同行した。
北条館まで少しの川辺。茂光は「ここで別れよう。鎧を替えたら、北条館に行く」。宗時は
「鎧が小さくなったのではなく、工藤殿が太られたのではないか。一体、何を食べれば、そんなに
大きくなる…」。川の水を水筒に入れ、振り返ると、茂光が突っ伏している。茂光に駆け寄ると、
背後に人の影。刀を抜こうとしたが…祐親の下人・善児(梶原善)の小刀に襲われた。
祐親にとって宗時は孫だが、善児に命じたのであった。
つまり、大河ドラマでは義時の兄・宗時とともに工藤茂光も善次に殺さたたのであった。
そして​ 「北条宗時」・「工藤茂光」の墓 ​👈リンク をこの2月に訪ねたのであった。



「米本学仁」さん。
米本さんは結婚され、福島におばあちゃんができたのだと。
大河ドラマをいつも楽しみにしていて、今作も見てくれたのだが、
「もう死んじゃったのかい?」と言われてしまったと。
身長180cm、体重180キロの立派な体格で座る椅子が他の二人と同じで爆笑。
ネットで調べると、米本学仁は日本とアメリカのハリウッド俳優。宮城県仙台市生まれ、
大阪府育ち。生年月日:1979年3月9日(43歳)であると。



その後も様々な質問が続いたのであった。
そしてそれぞれの演じた役について知っていたか質問する司会者。
竹財さんは伊東祐清について全然知らなかったと。
江間次郎のことは全く知らなかったと芹澤さんも。
史実にも出てこないので調べようがなかったので脚本通りに演じようと決めたと。
米本さんは工藤茂光は三谷さんが作ったとも言える役とのことで、記録では善児でなく
これ以上逃げられない、と自害したとのことできっと太っていたために逃げられなかったんだ
ろうと、これはぼくの役だ、と思ったと。役作りのために所縁の地である加納城跡と
石橋山古戦場にも行ったと語ったのであった。
その後も大河ドラマと他のドラマとの違い、楽屋風景、手を抜いていないNHKのセット等の話題で
盛り上がったのであった。
そして最後にそれぞれが夢は「NHK大河ドラマ」の「主人公」を演じること と熱く
語っていたのであった。

頂いた資料の中にあった「源行家」役の「杉本啓太」さんんポストカード。
行家は義経と結託し、頼朝に叛旗を翻した。すでに後白河から頼朝追討の宣旨を得ていたが、
味方となる豪族は乏しかった。元暦2年(1185)年11月、状況を察した行家らは都落ちしたが、
その前途は多難だった。翌年5月、行家は和泉国で潜伏生活を送っていたが、やがて地元の
住民らの通報により、鎌倉幕府により捕縛された。同年5月12日、行家は子の光家・行頼と
ともに山城国赤井河原(京都市伏見区)で斬首されたのであった。



そして「八重」役の「新垣結衣」さん。
義時の初恋の人にして、源頼朝の最初の妻。平家を恐れる父・伊東祐親と愛する頼朝との間で
板挟みとなり、苦悩する悲運の美女。
伊豆の国市中条に八重姫を祀った​ 真珠院 ​👈リンク があった。伊東市音無町には頼朝と八重姫が
逢瀬を重ねたという音無の森の​ 音無神社 ​👈リンク、八重姫が千鶴丸を祀ったとされる
最誓寺 ​👈リンク などがある。



バッグも頂きました。



「トークショー」終了後の楽屋?のスナップ写真をネットから。



そして「大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」 スペシャルトーク in 寒川」も行われることを知る。
【ゲスト】
 「梶原景時」役の「中村獅童」さん
【日時】
 2022年7月15日(日)
 開場:午後1時15分 開演:午後2時 終演予定:午後3時30分
【会場】
 寒川町民センター ホール(神奈川県高座郡寒川町宮山165番地) であると。
今回も往復はがきで申し込んだが、競争率はかなり高いのであろうが。



旅友と久しぶりに茅ヶ崎駅前の飲み屋で、この日の反省会を行い帰宅の途についたのであった。


                   ・・・幕・・・





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Last updated  2022.06.12 12:37:37
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