JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.11.07
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カテゴリ: JINさんの農園
歩行者専用の「江の島弁天橋」を渡る。
左側は自動車専用の「江の島大橋」。



「沿革
この橋は明治24年 満潮時砂浜であるところと島とを結んだ橋として、作られ、
江の島
棧橋と呼ばれていました。
明治30年に至って橋を片瀬州鼻まで延ばし、大正11年に県営となるに及んで渡橋料金
2銭也がとられました。しかし橋が長いので一度暴風に遭へば流失するような状態で、
昭和24年には更に橋脚を鉄筋コンクリートパイル、上部は木橋として作り直され、
その後、江の島弁天橋として親しまれてきました。昭和32年に至って湘南海岸公園施設の
一翼を担ひ、この近代的な橋梁に生れ変わったものであります。

昭和33年7月 神奈川県」
長さは海上部分が389m と。



この写真は昭和初期の頃のもので、当時この橋は「江の島桟橋」と呼ばれていたそうである。
砂浜部は板が敷かれていたことが解る。


   【https://hamarepo.com/story.php?story_id=1066】より

そして海上部は丸太が組まれ。



   【https://hamarepo.com/story.php?story_id=1066】より

「江の島弁天橋」から「江の島」を見る。



「境川」河口の「片瀬漁港」先端にある「白灯台」。
その奥に「烏帽子岩」。



日帰り温泉施設 「江の島アイランドスパENOSPA」。



カップルでの撮影スポットにはハート型のキャンドルオブジェが。



ラグジュアリースパリゾート「えのすぱ別館」 入口の建物の壁にあった絵画タイル。
牡丹、菊等が豪華に描かれていた。





路面には天使の羽が生えた少女の姿が。



歩いて来た「江の島弁天橋」を振り返る。



ドラゴン広場のハートのオブジェを正面から。



「青銅の鳥居」。
江の島弁財天信仰の象徴である青銅の鳥居は延亨4年(1747)に創建された。
現在のものは文政4年(1821)に再建されたもので、約200年の間、潮風をうけながら
その姿をとどめているのだと。




波をイメージした模様の灯籠が土産物屋の前に並んでいた。



今年の花火大会(3分☓5日間)のポスターが貼られていた。



こちらはこの日の目的の「湘南キャンドル2022」のポスター。



右手に「創作ちりめん「布遊舎」江ノ島店」。



そして「江島神社 大鳥居」。



その先に「江島神社 瑞心門」。







7/23(土)〜8/31(水)開催された「江の島灯籠2022」のライトアップ。
以下の3枚の写真は友人から送られて来たものです。




大変好評。2年目の今年はスケールアップ!瑞心門〜階段〜辺津宮まで広がったエリアで
「天女と五頭龍の恋物語」をフィーチャーし、今年のモチーフ「花火」を加え、さらに
華やかに“光の絵巻”を演出して江の島の夏の夜を彩ったもだと。



ここ瑞心門では「江ノ島誕生」 「五頭龍」 「天女降臨」 「天女と五頭龍の出会い」
「五頭龍の御加護」加え、新たに「花火」のモチーフによって厄災を祓う気持ちと
現代の美しい江の島の夜を表現したのだと。



門の両側には唐獅子画が。
右側は青の唐獅子。



左側は緑の唐獅子。



「瑞心門唐獅子
片岡華陽 筆
中央アジアからもたらされたライオンが古代中国で幻想動物として描かれ、我国には
密教曼荼羅の中の唐獅子が9世紀に渡来し、定着していきました。
以後、仏法のみならず邪悪なものを退け、国家鎮謹を祈念する形代として飾られるように
なりました。
この瑞心門唐獅子は御祭神の守護と合わせてご参拝の皆さまに厄災なきことを祈願して
飾りました。
平成7年4月初巳日 江島神社
奉納 東京 中村明」



石段を上ると正面に「弁財天 童子像」。



「弁財天 童子像 建立之記
平安時代中期に撰述せられた「江島縁起」は、天地開闢のことより説き起し、
東海道相模国江ノ島が 天下の霊地たるを記述せられている。
縁起に曰く、「欽明天皇13年卯月12日、戌刻より23日辰刻に至るまで、
江野南海湖水湊口に雲霞暗く 蔽いて、天地震動すること十日に余れり。
諸々の天衆龍神水火雷電山神類夜叉羅刹、雲上より 磐石をくだし海底より塊砂をふき出す。
その後、竭雲収まり軽霞まきしりぞいて、海上に忽ちに 一つの嶋を成せり。
即ち江野にまぞらえへて、これを江野嶋という。
天女、雲上に顕れ、 白龍、十五童子を従へ、この嶋上に降居したまへり」とあり、
弁財天が江ノ島に祀られることと なりしを伺い知ることが出来る。
折りしも当神社御鎮座1450年を迎へ、記念事業としてこの縁起に基づき、
弁財天顕現の一場面を、篤志者の御浄財を以て石像にて奉製いたし、
弁財天の無量無辺不可思議の功徳を後の世永く称え奉るべく、祈念建立いたすものなり



「杉山検校の福石」



そして「江島神社 辺津宮」。



「江島弁財天」。



「八坂神社」。



「八坂神社
御祭神 建遠須佐之男命
例祭日 七月十四日
旧称  天王社
御祭神の建速須佐之男命は八岐大蛇退治で知られる日本神話の英雄で、神仏習合時は牛頭天王と
呼ばれました。
疫病を始めとするあらゆる災難からお守り下さる神様で、江島神社に祀られる三女神の父神でも
あります」



「藤沢市指定重要無形文化財
江の島 天王祭
令和ニ年(ニ〇ニ〇)四月一日指定
八坂神社(江島神社境内社)の江戸時代以来の例祭。腰越で祀られていた神体(建速須佐之男命)が
大波に流されたのを、江の島の大海士(素潜り漁師)が海中より、すくい上げて祀ったと伝わります。
この伝承を再現したのが、今日では毎年七月第ニ日曜日に行われる神幸祭(神興の海上渡御・
東浦祭典・小動神社渡御)です。その前後数日間の一連の祭礼が天王祭で、「かながわの祭り50選」
に選ばれています。
祭祀の始まりを再現する形態が、伝承通りに江の島島内の魚師を主体として伝えられていること、
特殊神饌として調理した麦を供した後、参脂者に振る舞うことに特色があります。
神興渡御の際に先導して奏でられる「江の島囃子」は、神奈川県の重要無形民俗文化財に指定
されています。」



「稲荷社・秋葉社」。
八坂神社の隣にある小さな社。江島神社の末社だと。
豊受気毘賣命(とようけひめのみこと)と火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)が祀られている。
江の島随所にあった小祀(秋葉稲荷・与三郎稲荷・漁護稲荷など)を合祀した社とのこと。



「江の島ヨットハーバー」を左眼下に見る。
海の先に「七里ヶ浜」。



「中津宮」参道にあった 江戸歌舞伎「中村座」が奉献した石灯籠。



七代目尾上菊五郎、五代目尾上菊之助親子の手形モニュメント。
平成十一年(一九九九年)九月七代目尾上菊五郎、五代目尾上菊之助出演の「江の島大歌舞伎」が
盛大に開催されました。当地ゆかりの「弁天娘女男白波」を演目とし、菊之助が演じた
弁天小僧は大いに観衆をわかせました。
開演に先立ちお練りで弁財天に詣でた際、菊之助御自身の手植えにより献樹された「しだれ梅」で
あります。



「江島神社」の「中津宮」。
853年(仁寿3年)、慈覚大師(円仁)による創建と伝えられている。
1689年(元禄2年)に改築。
1996年(平成8年)には、全面的な改修が行われ、元禄改修時の社殿が再現されている。
江戸時代には、商人・芸人の信仰を集めた。
祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。



エスカー2出口。



エスカー3乗り場。




                               ・・・​ もどる ​・・・


                 ・・・​ つづく ・・・





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Last updated  2022.11.07 11:55:06
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