JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.06.06
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カテゴリ: JINさんの農園
次に訪ねたのが県道209号線・観音崎通りの向かいにあった
「浄土真宗 東教山 乗誓寺(じょうせいじ) 」。
横須賀市東浦賀1丁目20−10。



寺号標石「 浄土真宗 東教山 乗誓寺 」。



浄誓寺 寺域案内 江戸豪商墓地他案内図 」。



「掲示板」には、「 乗誓寺 曽我兄弟 由緒



乗誓寺 曽我兄弟 由緒
乗誓寺の開基は、了源(曽我十郎の子、河津三郎信之)。この了源は、藤原鎌足を祖とし、
第十八代の末裔で、父は曽我十郎祐成、母は大磯の虎御前である。
鎌倉時代、源実朝に仕え。多くの武功により恩賞として相模国平塚の地を賜り、親鸞聖人が
関東教化の折、その教えに帰依し出家、了源と称し、鎌倉時代(安貞元年 一ニニ七年)平塚に
阿弥陀寺を建立、親彎聖人真筆十字名号を本尊とした。この本尊は親鸞聖人の直弟子であった
真仏(京都本山・仏光寺)に下附された貴重な本尊で浄誓寺に現存する。
その後、室時時代(寛正六年、一四六五年)、近江(滋賀)に土一揆の争いが起こり、比叡山衆徒に
より大谷本願寺が破却され、越中、越前、加賀、山科、摂津、紀伊などで一向一揆が勃発した。
この為に当寺の相模(平塚)の阿弥陀寺の住職空浄は、碩学(有名な学者)の誉高かったため、比叡山
の衆徒に攻め入られるとの報を聞き、本尊を奉じ、平塚を逃れ、室町時代(文明元年 一四六九年)
に浦賀の地に移った。
その当時の浦賀は、人家もまばらてあっが、一向一揆て共に戦った全国の人々が住職・空浄を
慕って浦賀の地を訪れ、特に紀州・鷺森本願寺などの門徒や雑賀衆の人々が浦賀に移住し、
江戸時代には賑わ町となった。その後、寛永十四年( 一六三七年)に西本願寺第十三代良如上人は、
一向一揆て活躍したその当時の住職・空浄の功績をたたえ、この浦賀の地を訪れ、「阿弥陀寺」を
改め、「東京山 乗誓寺」とう寺号を授kけた。さらに、江戸時代後期の浦賀は、浦賀奉行所を
はじめ、黒船ペリー来航、咸臨丸のアメリカ渡航等、全国的に有名な地となり各地から人々が
訪れた。
江戸の文化を伝えたのは、乗誓寺が中心となり、政冶、経済、教育、芸術等、多くの著名人を
招き、浦賀の人々の学問所として貢献した。当時の乗誓寺は、十間四面の本堂、山門、庫裡、
郷学校舎、宝物殿、茶室、鐘楼堂、奥の院(阿弥陀仏)山頂水屋、日本庭園等が寺域内に
存在した。
尚、浄誓寺の住職は世襲制により脈々と継承され、曽我兄弟十郎の子孫である。」



境内の石段・スロープを上って行った。



正面に巨大な本堂が現れた。



右手には石碑や案内板が。



横須賀市指定重要文化財
絹本著色阿弥陀如来像 」案内板。



絹本著色阿弥陀如来像



横須賀市指定重要文化財
 絹本著色阿弥陀如来像
             平成十六年一月二十六日指定
本画像は浄土真宗形式の阿弥陀如来画像で方便法身尊像と通称されるものです。
画面は少々損耗していますが、像容に大きな改変の形跡は無く、はぼ当初の姿を伝えています。
肉身には金泥を塗り、面貎、手足の輸郭を細線で丁寧に描き、その画技は秀逸です。
また、衣の線や文様に銀泥を用いているのは本画像の特色で落ち着いた趣に仕上がっています。
画風から室町時代初期の制作と推測され、浄土真宗形式による阿弥陀如来画像の早い時期の作例
として注目されるとともに、横須賀市域に遺るところの少ない中世絵画としても貴重です。
                             横須賀市教育委員会」



上:「乗誓寺 曽我兄弟 由緒」と下:東教山乗誓寺由緒 浄土真宗本願寺派 本山 京都 西本願寺」



東教山乗誓寺由緒 浄土真宗本願寺派 本山 京都 西本願寺
当山の開基は、平塚入道了源なり。了源は、藤原鎌足十八代の裔、曽我兄弟十郎祐成の子。

信之は、源実朝に仕えて、武功多く恩賞として平塚の庄を賜り、積年の仇敵に感ずるところありて、
親鸞聖人の教えを受けて出家し、了源と名乗り、安貞元年(西暦一二二七年)平塚に一宇を建て、
阿弥陀寺と称し、親鸞聖人真筆の十字尊号を以って本尊とす。
歴代相続後、文明元年(西暦一四六九年)比叡山の京都西本願寺の破却を知り、当時住職の空浄は
平塚をのがれ、当地東浦賀に一宇を建て、阿弥陀寺の本尊を移す。
元和元年(西暦一六一五年)空覚代に再興す。寛永十四年(西暦一六三七年)良如上人御巡教の折、
東教山乗誓寺と賜る。
大正十二年、関東大震災により、大本堂、庫裏、鐘楼堂等倒壊しも、昭和五十年本堂を再建、
同五十九年庫裏、鐘楼堂を建之す。今や、ここに堂宇漸く整うに至り之を建て報恩感謝とす。
尚 当時の歴代住職は、世襲制により脈々と継承され、曽我兄弟十郎の子孫なり。
      昭和六十三年  春
             東教山 阿弥陀院 乗誓寺
相模国 阿弥陀寺
開祖平塚入道了源より  第二十四代 浦賀乗誓寺より  第十七世住職 曽我宗允
  乗誓寺  寺宝」



ここにも、掲示板内と同じ「乗誓寺 曽我兄弟 由緒 乗誓寺第二十七代住職 曽我宗光」が。



「東教山 乗誓寺  浄土宗本願寺派 本山 京都西本願寺
曽我兄弟 ゆかりの寺」



「曽我兄弟・虎御前の墓~箱根」をネットから。



「乗誓寺の歴史と主な宝物」。



「親鸞聖人御絵伝(桃山、江戸時代)」をネットから。



「一向一揆、蓮悟書状(室町時代)」。



曽我兄弟仇討八百年記念銅像 」。



曽我兄弟 十郎 五郎 」像。



「相模国 阿弥陀寺 曽我兄弟 十郎の子 僧:了源」



曽我兄弟仇討八百年記念銅像再建
安元ニ年(一一七六年十月)工藤祐経が、伊東祐親に対し、所領争いの恨みから、伊豆、伊藤南方の
山麓で待ち伏せし、弓矢を射った。その矢は、河津三郎(伊藤祐靖)に当たり、兄弟の父は
亡くなった。
その後、母は、相模国曽我の庄(小田原市)の曽我祐信と再婚し、幼い兄弟は、曽我の庄で成長し、
元服して、兄は曽我十郎祐成、第は曽我五郎時致と名のった。
そして、建久四年(一一九三年五月ニ十八日)に源頼朝により、富士野で巻狩りか催されることと
なり、この報を知った兄十郎(二十ニ才)、弟五郎(ニ十才)は、父の仇討ちの好機とし、臺雨の
闇夜を利とし、工藤祐経を襲い、父の仇討ちの本懐を遂げた。この仇討ちは「曽我物語」として
有名である。
尚、乗誓寺の代々の住職は、世襲制により脈々と継承され、曽我十郎の子孫である。
                      平成ニ十七年七月十三日 孟蘭盆会建立
           銅像像再建願主 乗誓寺第二十五代住職 曽我宗光
           由緒銘板寄贈者 当山 総代 木村鎮男殿 
                          為、先祖代々供養」



本願寺と乗誓寺(鎌倉、戦国、江戸時代)
●鎌倉時代(浄土真宗本願寺)開祖親鸞聖人(元仁元年一ニニ四年)開宗は、関東地方布教のため
相模(平塚)に滞在していた時に曽我兄弟兄十郎の子がその教えに帰依し親鸞の弟子となり僧了源と
名乗った。平塚に阿弥陀寺を創建し、初代住職となり後に浦賀に移り乗誓寺となる。親鸞聖人
五老僧の一人である。
●室町戦国時代は蓮如上人( 八代)の「一向一揆」の時代となり本願寺勢力が全国的に拡大し
支配者(武士)と平民(農工商)との争いが続き「下剋上」といわれる「土一揆」(寛政六年、
一四六五年)の乱となった。この争いは近江、琵琶湖で地主の比叡山(天台宗)と借地人(本願寺門徒)
民衆との争いとなり、比叡山の衆徒により京都大谷本願寺がニ度にわたり破却され京都では
「応仁の乱(応仁元年一四六七年)で騒然となり」◯◯◯◯「文明の乱(文明六年、一四七四年)の
始まりは越前の守護大名富樫一族の争いから本願寺がその乱に巻き込まれたが、幸いに勝利した。
その後長尾、畠山(能登)の戦いと続き、当時の「一向一揆」の頭領は本願寺の蓮悟(蓮如の子)
(石川県金沢本泉寺住職)によって戦いの火蓋が切られた。その檄文「蓮悟書状(永正三年
一五〇六年)が乗誓寺に送られて来た。この蓮悟の重要文書は乗誓寺に現存している。
さらに「一向一揆」の戦いは、越前の吉崎御坊から京都郊外山科本願寺へ、さらに攝津大阪
石山本願寺(現在の大阪城)へ。この決戦は織田信長との戦いで本願寺は苦戦し籠城したが敗北し
◯◯◯援護を受け紀州和歌山の鷺森の本願寺を構えた。その後図らずも京都本能寺にて明智光秀の
謀反により織田信長はあっけなく滅びた。次に天下を取った豊臣秀吉の時代には京都に本願寺の
領地を与え西本願寺は現在に至っている。
この激動の「一向一揆」時代を共に戦った本願寺 八代蓮如上人と平塚阿弥陀寺 八代空浄(学者)
は京を逃れ空浄は平塚にも攻撃の手が伸びるとの報を聞き急遽浦賀に避難した。そして浦賀乗誓寺
の初代となり現在に至っている。浦賀に移ってからは(文明元年、一四六九年)現在十八代平塚
阿弥陀寺からは、二十七代曽我兄弟十郎の子了源から代々世襲制によって脈々と継承されている
歴史がある。空浄が浦賀に移ってから数年後蓮如上人が浦賀を訪れ(文明七年、一四七五年)共に
厳しい時代を無事生き伸び会えたことに感涙したと伝わっている。この時に境内に植樹された
銀杏(イチョー)が、現在大樹となっている記念すべき銀杏の木である。(樹齢五百八十年)
●江戸時代には徳川の天下となり平穏な全国統治によって、庶民の文化が栄えた江戸の文化は
浦賀に伝わり紀州の鷺森本願寺の門徒や雑賀衆の人々が浦賀に移住し豪商の町となった、三浦半島
一の豪商宮井一族(宮与)を始めほとんどの豪商が乗誓寺の門徒となり墓地、墓石を見てもその
財力を知ることが出来る江戸の文化は乗誓寺を中心として伝えられ多くの文化人を招き文化交流の
場となった。また当時の浦賀港は物流の中心として栄え、西岸から見た写真には乗誓寺の本堂が
威風堂々と聳え庫裡、鐘楼堂が写っている。この賑わいの町浦賀に西本願寺 㐧十三代、
良如上人が訪れている。」



日本庭園 鷺吟の庭
当寺の「鷺吟の庭」は中国李白の詩「 魚躍青池満鷺吟緑樹低 」から名付けられた。
・・・・・・・・・・・・・・・
鷺の鳴き声という意味があるとのこと。
山々に囲まれた自然豊かな庭園には日々・・・
白、青サギ、クマゲラ、キツツキや種々の野鳥や、タヌキ、リスなど、動物達が
訪れる自然に満ちた風情ある名園である。」



観音像 であろうか、 台石に山号・東教山が刻まれた石仏 が安置されていた。



再び「 乗誓寺 寺域案内 江戸豪商墓所他案内図 」。



そして次に訪ねたのが「 宮井与右衛門の墓所 」。



江戸時代の豪商墓所
屋号、宮与(本家)
宮井與右衛門
※宮井家一族の墓所は外塀周辺にあり」と。



宮井与右衛門(宮原屋)
   出身地 紀伊国有田郡滝川原村(宮原)
江戸時代から明治期にかけて、「宮与」の名で浦賀屈指の干鰯問屋であった。紀州宮原から浦賀
への出店がいつであったかは詳らかではないが、十八世紀半ばにはすでに浦賀を代表する問屋と
なっており、多くの義援金により東浦賀村の年寄役に就任した。与右衛門は代々の通り名であり、
明治三十一年には四代目町長に就任し、町政にも貢献した。」




宮井家(宮与)墓所法名図 」。



墓所入口から、 右:三代 中央:初代 左:二代 の墓石と。



三代当主 宮井教遵



初代当主 宮井教念



二代当主 宮井教誓



五代当主 宮井教淳
六代当主 宮井教意



手代の墓。



この石仏は?



そして「本堂」の前に。



本堂正面。



本堂の内陣。



本尊阿弥陀如来像  をネットから。



本願寺第八代蓮如上人 お手植の銀杏の木 」。



銀杏の大木の根本に石碑が二基。



本願寺第八代蓮如上人 お手植の銀杏の木 」碑。



本願寺第八代蓮如上人五百回遠忌記念
蓮如上人は、中世(文明年中・一四六九年)の歴史に残る、北陸一向一揆の時代に西本願寺門主
となり北陸に領主に対し民衆抑圧をいさめ、争いなきよう導かれたがやむなく戦乱となる。
その後・上人は幾多の労苦を重ねながら、諸国をめぐり、門信徒の教化につとめ、本願寺の中興の
祖といわれている。
この蓮如上人は、この浦賀の地にもご巡教にこられこの銀杏(いちょう)(樹齢約五百年)の木を
お手植された記念すべき木である。
 平成十年(一九九八年)遠忌記念
   平成八年四月二十五日建之
 寄贈者  ・・・・・・・」




本堂のわきを通り、階段を登っていくと「 鐘楼堂 」があった。鐘楼堂の建立は梵鐘とともに
昭和五十九年、京都の嵐山の近く



下からズームして。



梵鐘
重量は五百貫(約二千トン)で、鐘の周囲には
百八の乳頭と呼はれる突起が付いている。この乳頭の数は、人問には百八の悩みがあり、
鐘を打っことにより煩悩が消え去るということに因むものといわれているのだ。



境内の新緑のモミジ葉を見上げて。



陽光が差し込み、新緑の葉が輝いていた。




                               ・・・もどる・・・




                 ・・・つづく・・・







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Last updated  2024.06.06 06:16:05
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