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楽天ブログのいくつかの機能が間もなく停止する告知されていたので、ブロガーのみなさんも御存知のことと思う停止される機能は、「足あと」「メッセージ」「BBS」「ブックマーク」など楽天側が決定した事由を以下に引用する。「足あと」「メッセージ」「BBS」機能はブログに訪れた方とのコミュニケーションを目的として作られた機能です。ブロガー同士のコミュニケーションについては、「楽天プロフィール」との連携をはじめとして、mixi や Twitter 、Facebook など外部サービスとによる広がりが活発になっている現状を踏まえ、楽天ブログ内だけで機能する両機能はその役割を終えたと考えています。今後は、「シンプルに記事を投稿できること」「閲覧しやすいこと」というブログの本質的な機能向上を目指し、ブロガー同士のコミュニケーションについては楽天プロフィールをはじめ、FacebookやTwitterなど外部サービスとの連携を強化していく予定です。足あと機能は、楽天同士であればネームが刻まれ、訪問したことがわかるシステムであったが、当初から自分のところへ訪問させるために、闇雲に足あとをつけていくだけのアフィリエイトブロガーたちの温床となっていた。ブログをはじめたばかりの人は、訳もわからず、ご丁寧に訪問ありがとうございましたのコメントを書き込みに行くパターンが多く、つまらないブログの訪問者数アップの下地となっていた。BBSは、記事へのコメント機能があれば、さほど役に立つものとも思えなかったが、やはりというか訪問しましたコメントで埋め尽くされるブログを見ると、出木杉君にドラえもんという感じがしていた。ブックマークは無くなると大変という人もいるだろう。大事な訪問先ならば早めにお気に入り登録などに移しておくことをおすすめする。ここには載っていなかったが、重要なことで、楽天フォト機能の終了がある。楽天フォト機能終了はこちらをクリックフォトは違う形で引き継がれるからよしとして、なぜに動画を自由覧にも載せることができないのかが解せない。外部と連携を取るなら、やはりメッセージ色の強い動画との連携は外せないと思うのだが、いまだに記事投稿のみだからなあ・・・しかしながら、閲覧しやすく、シンプルな記事投稿はこちらも望むところ。投稿の際、もっと簡単に文字色や大きさ、引用記事の背景など手際よくできるようにしてください、お願いします。 出雲大社 あの旅の写真を編集しました
2012年01月10日
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昨今、twitterでつぶやいたことにより、社会的な制裁を受ける事例が目立っている。例えば、飲酒運転、万引き、犯罪予告などの行為をつぶやいてしまったがために、学生ならば退学や停学処分、社会人ならば自他問わず退社するというパターンだ。なぜ、言わなくてもいいことを、わざわざ公衆に向かってつぶやくのだろうか。この問題を、探ってみたい。1、ツイートしたかったのは、知り合いのみだったが・・・このパターンはわかりやすい。一時期ミクシーにおいて、画像の流出や犯罪行為の記事などが取りざたされ、非常に問題となった。限定的な公開という形式ゆえに、自らが行った行為を知りうるのは、許可した者のみと安心して、非常識な行動をわざわざ掲載するというパターンである。twitterにおいても同じことで、自分とフォロワーとの完全な密室の中でやり取りを行っていると錯覚し、見事に公衆に自爆的なつぶやきを拾われる。2、自己主張してみた・・・これは、自己主張が主な動機である。上記はフォロワーとの関係が保たれた中で起きる事象であるが、これは、フォロワーが極端に少ない場合に起こる行為と考えてよい。とにかく、フォロワーを増やしたいという単純な理由で、奇抜な画像を載せてみたり、犯罪行為(真か否かは別として)をつぶやき、注目を得ようとする。3、社会的混乱が目的・・・これは、最初から確信犯としてつぶやいている場合だ。虚偽の犯罪報告により混乱を生じさせようと意図していたり、ストレスのはけ口として、実際に起きたことを暴言もそえてつぶやく。4、ただのアホだった・・・1~3に入らない場合である。端的に言えば、何も考えずつぶやいたら、それが人のプライバシーを侵害していたり、営業妨害につながっていたりするケースと考えてよいだろう。インターネットによる功罪としてのキーワードは「情報」である。私たちは、多くの情報を手短に得ることができるだけでなく、発信できるようになった。20世紀までは、主に発信者はマスコミであって、受け手が発信者にまわることはレアなことだった。これにも功罪がある。今まで泣き寝入りせねばならなかったような様々な複雑な問題が、公に定義され、それについて活発な意見交換が為され、問題解決に大いに役立つ功の面。適当なことでも発信できるため、狼少年が増加し、いざというときに本当の情報が埋もれてしまう危険性が出る罪の面。確かに「情報」の信不信は己の判断で行うべきであるが、多くのケースに当たらない限り、確実に情報を峻別できる能力は得られないと思われる。つまり、「情報」の受け手としての能力と発信者としての能力、言い換えれば「メディア・リテラシー」を積極的に鍛えない限り、社会的混乱から逃れる術はない。小中学校のカリキュラムに組み込むことも検討すべきである。ただ、教える側がどれだけメディアリテラシーを有しているか、はなはだ疑問であるが。つぶやくという簡単な行為も、ネットでは多くの人が触れ、そのつぶやきは永遠に残ることだと思ってつぶやこう。当然だけど、つぶやくも何も、犯罪行為はハナッからダメだよ。飲酒運転で他人をひいてみな、被害者の一生を棒に振り、自分の一生も棒に振るから。 間もなく1000再生です、ご視聴ありがとうございます 厳島神社もよろしくお願いします
2011年12月29日
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みなさん、こんばんわ昨日の原爆に関する日記に多くの方が来訪してくれましたやはり、原子力関連に対する関心が高まっているようです楽天ブログランキング その他楽天ブログランキング すべてのジャンルたまにしか書かなくてすいませんもう少し書こうと思います うそです(笑)
2011年08月10日
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広告書き込みが多かったので、セキュリティを強め、ドメイン禁止、禁止ワード設定を施していましたが、書き込みできねえよ!言論の自由を冒涜するな!との批判をいただきました最近ここに来ないものですから、いちいち迷惑コメントを削除するのが面倒なだけだったんですがね・・・全セキュリティを解除しましたまことに申し訳ありませんでした昨日、久しぶりに楽天ブログサーフィンをしたのですがYOUTUBEが貼れるようになったのですな紹介したい動画があるのですが、貼ってもいいですかな?貼りたいなあ・・・うん、貼りたい・・・
2011年07月24日
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今年の夏はとても短かったですねお久しぶりです、慶次です9月4日に父が逝去しましたガンを二度克服した父も、肺アスベルギルスには勝てず最後は肺炎というかたちで一生を終えました昨年から咳が止まらず、痰に苦しんでいました行年 66歳最後は丸二日、ずっと一緒に過ごせましたさびしがりやの父なので、しばらくは仏前から席をはずせません(笑)もうしばらくしたら、ブログ復活したいですな長い長いお休みをいただき、もうしわけありません
2009年09月17日
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鈍行で山陰線をのぼる途中、風力発電の設備が緑の中に揺れていました日本海側から吹く強風を利用し、クリーンエネルギーを発電しています写真を整理していてあらためて気づいたことがありますそれは、天候にずっと恵まれたこと日ごろの行いといいましょうか、人柄といいましょうか、心の・・・うわっ・・・ぐふっ・・・誰かが後ろから・・・ ・・・ 話を戻しましょう鳥取駅で乗り換えです、待ち時間を利用して、駅から町並みを眺めてみようと、改札を出ましたすると、駅の前で、「砂のお城」を作成中 どうやらこのおっさんのようです リチャード・ヴァラノと茶圓勝彦鳥取市公式ウェブサイト内での紹介山陰中央新報の記事日本海新聞 ぐるぐるカメラクルーが回って、取材をしておりました少し離れたところから、お城をジッと見ていたところ、カメラがこちらによってきまして、フレーム内に慶次を入れようとするではありませんか!!!確かに、これだけのオーラをもっている慶次の、人柄といいますか、日ごろのおこな・・・ぐわっ・・・バキッ!・・・誰かg・・・このときは、まだ未完成でした、写真右側が未完成ですね現在は、完成した作品が公開されております、近くの方はドゾーさて、ちんたらちんたら京を目指し、夕の刻 八月中旬でこの太陽光の斜陽具合ですから、時間がわかろうというもの (写真は京都駅内より新幹線ホームを撮影したもの)気力と体力の限界を感じ、東の京へは、新幹線にてZZZzzz・・・外は旅日記を書いているうちに、すっかり秋めいていました季節を感じさせる日記を念頭においていたのですが、見事にずれまくった今回の旅日記・・・今回の旅日記も・・・でせうか今秋、今冬は上信越、北陸を予定しています(あくまで予定)そして、気が早いですが、来年こそは四国のお祭りに参加する覚悟で臨む所存でありんすじゃあね~、ばいばい~
2008年10月02日
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名城「松江城」に隣接して建てられた島根県庁舎には、次のフレーズがよくにあいます 松江城は慶長16年(1611)初代城主:堀尾吉晴が築城した黒塗りの雨覆板で覆われた実戦本位の造りをいまも残す、名城です 松江城を囲む堀川(内堀)をぐるりと一周してくれる遊覧船が橋の下を通ります、なんとも風情のある情景ですな 三の丸跡、二の丸と上げって行くにつれて、甲高い「ぴ~ひょろろ~」と聞こえてくる鳴声がおおきくなっていきます名城には「鷹」がよく似合います 松江城を眺めながら、堀川沿いに歩いていくと、小泉八雲旧居武家屋敷が立ち並ぶ、「塩見縄手」が続きます塩見縄手は日本の道100選に選ばれている約400mの通りです 右手に松江城、左手に江戸情緒を感じながら、老松が並ぶ塩見縄手を存分に堪能した慶次であります 松江観光を終え・・・いや、まだ陽が高いなぁ・・・ということで、近くの田和山遺跡に足を運びました三重の環濠を有する弥生時代の珍しい集落遺跡である田和山遺跡は標高約50mの山です 山頂には柱が残っていて、ここに建物が建っていたようですただ、人の生活した跡がいまのところ見つかっていません山頂部にこのようなしっかりとした柱の建築物を建てたのはなぜでしょうか?やはり、神殿、神社の類の建築物と考えるのが妥当でしょうか? これくらいの高さの山でも、古代人が生きていた頃の状況を考えると、かなり神聖な場所のようにも感じます写真の道路や近代建築物を排除して心眼でみつめていると・・・ 近くに夕焼けの美しいことで有名な宍戸湖があることから、大雨などの水害時の非常用としての食糧庫とも考えられるでしょうタイムマシンがあれば、行ってみたい 日本国中の隅から隅まで歩いてみたい、そう思わせてくれた島根県の旅でした かえれ竹島! これは日本国政府に対する言葉でしょうな韓国に言う場合は、かえせ竹島! でありましょうから次回、「旅の終わりに」です 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年09月27日
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大きな注連縄ですね、拝殿にかかる注連縄の大きさは周囲4m 長さ8m、重さ1.5トンにもなります、大社拝殿の左側にさらに大きな注連縄があります神楽殿の注連縄です大きさは周囲8m 長さ13m、重さ4.5tという破格の大きさ! 注連縄の先にお金を投げて、挟むことができると御利益があるといわれています、この日も、下から必死で投げ込む参拝者がたくさんいました 上の写真は本殿への最初の門「八足門」です、奥にもうひとつ門が見えます(わかりにくいかな)、あれが「楼門」です楼門を抜けると、本殿です拝殿から右回りに大社を散策しましょう こちらが、「東十九社」です、東というからには西もあるわけで、本殿をはさみ、対になっていますここは神在月のときに、八百万の神々の控え所となります「どこからきたと?」「尾張だぎゃぁ」「讃岐ぜよ」なんて会話でもしていたのでしょうか 「釜社」です、祭神はウカノミタマノカミで、保食神であり、素盞鳴尊の子であるウカノミタマノカミは稲荷神としても有名で、各地で祭られています農耕をはじめとする食の問題はいまも昔も重要だったのです ここから本殿を眺めてみましょう、見事な大社造りです拝殿と本殿の延長線上に「素鵞社(そがのやしろ)」があります、字でわかってしまう方もいらっしゃるでしょう、ご祭神は素箋鳴尊(スサノヲ)です記紀神話では、大国主命はスサノヲの子であるとか、スサノヲの6世の孫などと書かれ、血縁的にスサノヲが上位に位置していますそれをあらわすかのように、素鵞社は一段高いところにつくられ、本殿を見据えるようにつくられていますぐるっとまわって、こちらは氏社です出雲大社の祭祀を受け継いだ出雲国造の始祖である、天穂日命が祀られています ここまでいくと、木なのか何なのかわかりません 大社は山に囲まれ、時折吹き抜ける風がとても涼しく感じられましたこの日も最高気温は35度を越えて猛暑日でしたが、快適快適~ 帰りは、一畑電鉄でぶらぶら揺られて帰りました、味のある車体さて、次回はこちら 山陰地方で唯一天守閣を持つ実戦的城、「松江城」を含む松江をご紹介いたしますここから、番外編 本殿入り口です、ズームで撮りましたキッコーマン(亀甲紋)がしっかり見えます通常は二拝二拍手一拝ですが、出雲大社では二拝四拍手一拝です宇佐も四拍手ですし、ほかにも各地で様々なカミサマの参拝法があるようです(みなさんの地元でもいろいろあるはずです) ばいばい、出雲大社~ それにしても人が多かったなあ 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年09月16日
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さて、それでは大社内に入っていきましょう 正門鳥居をくぐり、歩いていくと右手に「祓社」があります祓戸四柱神(はらえどよはしらのかみ)が祀られるこの社にて身を清め祓い、身支度を整えるのです瀬津比め神(せおりつひめのかみ)速開都比め神(はやあきつひめのかみ)気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)速佐須良比め神(はやさすらひめのかみ)おもしろいことに、この四柱神は祓詞には出てきますが、記紀には出てきません、これはどういうことでしょうか? 身支度を整え、参道を歩いていくと、祓橋に出会います橋を渡らず、左に歩いていくと土俵があります神事といわれる相撲ですが、現在、地に堕ちましたね伊勢神宮も橋を渡ります、現世と神域の渡り橋といわれますが大社もそうでしょう、橋を渡り神域に足を踏み入れていきます写真をご覧いただくとわかるのですが、橋から鳥居がみえますこの鳥居から手水舎、銅鳥居まで参道が続きます、ここは「松並木の参道」といわれています白砂と松が美しく、綺麗な参道でした いろいろな参道を歩きましたが、本当に美しい参道でした 手水舎です、左手右手、持ち替えて左手に注いだ水で口を清め、左手を清め、最後に柄杓を洗って終了~見ていて、柄杓に直接口をつける参拝者が多いのに驚愕しましたこれはいけませんよ、いけません これが有名な銅鳥居です、1666年に毛利綱広が寄進したもので、ここには、「日神者地神五代之祖天照大神、月神者月読尊也、須佐鳴尊雲陽大社神也」と刻まれていることから、出雲大社では、当時は大国主命ではなく、スサノオノミコトが主祭神だったことがわかりますここをくぐると・・・ 拝殿がどど~んとお出迎えしてくれます2008年4月~2013年5月までは、大遷宮のため、大国主命の仮住まいとしてここは使用されます(御仮殿)写真右手に御仮殿の文字が見えると思います、さらにその奥にテントがいくつも張ってありますね、ここが特別本殿拝観者の待ち受け場所となります、まだ8時くらいだと思いますが、それでも、昼過ぎの参拝になると放送していました次回は、少しブレイクタイムをはさみ、拝殿からぐるりと一周しながら出雲大社をさらに紹介していきまっす前回アップした鳥居の大きさにびっくりした方もいらっしゃったと思います、そこで、今年5月に伊勢に行ったときに撮影した写真を並行して載せておきたいと思います、どちらも大きいですねそして、鳥居の形が違いますね・・・ 「上が伊勢、下が出雲」
2008年09月13日
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大社前に着いたのが7時くらいでしょうか、来た道を振り返ると自家用車で来る人々の列ができはじめていますさて、この大社前に「古代出雲大社模型展示館 雲太」が、あります、その昔、平安時代の書物「口遊」の中で、大きな建物の順として「雲太、和二、京三」と記されていますそれぞれ出雲大社本殿、東大寺大仏殿、京都大極殿の順に大きな建物であったことがうかがえます当時の大仏殿が15丈ですから、少なくとも16丈(48m)以上あったと推測されますさらに平成12年に発見された三巨木をたばねた巨大な宇豆柱や本殿遺構の心御柱が高層神殿が、現実に建っていたことを、ほぼ決定づけたといえましょう ここ「雲太」には、模型がかざってあります写真をご覧いただけましたでしょうか、高校生の力作です江戸から現代に至る出雲大社を作成しています さて、これが大昔あったとされる古代出雲大社の模型ですこの階段を上り本殿に参る古代人の心持はいかに?現在の出雲大社の本殿の高さは24m、じゅうぶん大きいのですが、それを凌駕するとなると・・・興味が尽きませんね いぜんにもお話しましたが、出雲大社は遷宮いたします今月から覆いをかけ、観ることのできない建造物が多々ありますその期間、5年、長いですね さて、それでは、出雲大社に参るとしましょうかそういえば行ったときに、托鉢僧が居ました、写真にも写っていますが、わかりますかな?托鉢って、修行だと聞いたことがあるのですが、本当でしょうか托鉢僧を完全無視、スルーした慶次でありますおおっと、時間になりました、今日はここまで! 余談ですが、出雲大社といえば亀甲紋ですね大和から見て、北方を守護する大役を担った出雲縁起のよい亀甲紋には平和の鳩がよく似合います次回、大社内を参りましょうといいつつ、最後の最後に豆知識をひとつ出雲大社にはためく国旗は47m、NHKで流れる国旗です 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年09月10日
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出雲国松江で、当時鍛冶職人をなりわいとしていた三右衛門にかわいい女の子が生まれた、その娘は、やがて出雲大社の巫女となる美しく成長した娘は大社本殿修理費勧進のため、諸国巡業の旅に出た一座の踊りは人気を博し、関が原の合戦がおこなわれた1600年には、京都近衛殿や御所にて、「ややこ踊り」を踊って人目を引き、彼女の名は知れ渡ることとなる江戸幕府開府の年(1603)、彼女は男役を見事に演じ、みなから喝采を浴びた、一座は京で大変な人気を得、四条河原でも勧進興行をおこなった彼女の名は、正確にはわからない、ただ、こう呼ばれていたと伝えられているだけだ、「出雲の阿国(おくに)」と・・・刀を差し、伊達男を演じる阿国の姿は、型破れで異形であったそんな彼女を民衆は、天下のかぶき者と大絶賛する歌舞伎を生んだ、「出雲の阿国」は、1607年の勧進歌舞伎を最後に消息が途絶えるここ出雲では、阿国は晩年は杵築に戻り、尼僧「智月」となり読経と連歌に興じ、静かな余生を過ごしたと言い伝えられている阿国が晩年を過ごしたといわれる、連歌庵ひっそりとしたたたずまいでいながら、小奇麗にしてあり、常に誰かが、世話をしていることがうかがえる阿国との別れを惜しみながら、次の場所へ向かうことにいたしましょう次回、いよいよ「出雲大社」です阿国の墓や連歌庵は稲佐の浜に行く道の途中にあります春は、目前の桜が咲き誇ります阿国の舞には桜吹雪がよく似合うでしょうな 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年09月04日
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今回は、文章がだらだらと長くなってしまいましたつまらないと投げ捨てず、最後までおつきあいいただけると嬉しいですな JR出雲駅です、左側に人がたくさんいますが、出雲大社行きバス待ちの方々です、慶次もこの後並び、バスで大社に行きました大社までですと渋滞に巻き込まれるというので、大社前までをすすめられました、が、その随分前の大鳥居を過ぎてから、渋滞です・・・大社前は道が狭いです、かなりいらいらしました 出雲大社は、またゆっくり紹介するとして、大社を左折してまっすぐ行くと、稲佐の浜に出ます、写真でご覧になったことがあるでしょう こちらが、「稲佐の浜にある、弁天島」ですかつては弁天様を祀っていたそうです、厳島神社の項で書きましたが、弁財天と市杵島姫命は習合しました水の神である市杵島姫命がこのような場所で祀られる理由は十分ですな、現在は豊玉姫命だけを祀っています海神(ワタツミノカミ)の娘であり、山幸彦の妻であります「稲佐の浜」では、ふたつの面白いことをお話しましょうひとつめは、国譲りの交渉の場であるというお話ですアマテラスは三度目の国譲りの交渉に建御雷之男神(たけみかづち)をメインに、そして天鳥船神(あめのとりふね)をサブにつけて、送り込みます二神は、稲佐の浜の波間に剣を逆立て、あぐらをかいて直談判をはじめます、しかし、オオクニヌシの子である建御名方神(たけみなかた)が承知しません、力には自信のあるタケミナカタが、タケミカヅチの手をとり、ふっ飛ばしてやろうとした、そのとき、タケミナカタの手は氷つき、さらに剣に変えられてしまいますさらに、力自慢のタケミナカタのほうが、あっぴょ~んと、投げ飛ばされてしまうのでしたこれには、びびりまくり、ちびりまくりのタケミナカタです、スタコラ信濃は諏訪まで逃げました、そんなわけで諏訪大社にはタケミナカタが祀られていたりします(余談)オオクニヌシは子にならい、国譲りに調印します・・・と、これが記紀神話です、では、「出雲国風土記」における稲佐の浜でのお話を紹介しましょうとあるカミが、出雲は狭い国であるから、広く継ぎ足そうといわれて、遠い新羅の国の余りを「国来い国来い」と引き寄せられたのが杵築の岬で、その時使われた綱は「園の長浜」、そうして引いて来た国を動かないように継ぎ止められた杭が三瓶山だとしています 向こうに陸地がうっすら見えます、ここからぐっと弧を描くように「園の長浜」が続くのです、古代人の生きた頃は、もっとはっきりと陸地が見え、美しい長浜だったのでしょう、まさに国を引く綱のよう記紀神話の息詰まる話より、おおらかな風土記のほうがいいなあふたつめのお話は、神在月(神無月)のころに、全国各地の神様が海蛇(竜蛇さま)に先導され、この稲佐の浜から出雲に上陸するというお話です旧暦10月10日に、ここで神迎えの神事がおこなわれ、八百万の神々を丁重にむかえ、神迎えの道をとおり、出雲大社へ導きますそれにしても、なぜ、神々はこの時期に出雲に集まるのでしょうか出雲大社HPでは、「幽れたる神事」とは、目には見えない縁を結ぶこととされ、縁結び(人と人との縁)の相談をなさるからと説明されていますな出雲大社にカップルで行くと別れるなどといわれているようですが、デマです その人にとって最良の縁者でなければ、別れさせるというのが真意、最高のパートナーか試すにはもってこいの場所なのかもしれません(笑)補足ですが、国譲りの際に現世のことはアマテラス、幽れたることはオオクニヌシがあずかることとなるという記紀神話から、出雲大社は上のように説明していますね・・・出雲さん、記紀神話なんて信じていないくせに~慶次の見解を書くと、長くなるのでやめときまひょさてさて、次回は・・・くにちゃんです・・・ 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年09月02日
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さてさて、山陽本線で倉敷につきました、本来、岡山駅まで出て、その後、瀬戸大橋線で四国に渡るつもりでしたが、なんせ長旅は腰に多大な負担がかかりますよさこい祭りと阿波踊りを見たくて仕方なかったのですが、途中の倉敷で降りて、一休み・・・ 目の前には、第三セクター問題で、閉園が決定した倉敷チボリ公園があります、地方興しの起爆剤もいまとなっては、夢公演(公園)このまま京都まで出て、おうちに帰ろうかと電車を待っていたら、 やくも?? ふぅ~ん、やくもねぇ・・・ 八雲!?ということで、山陰に向かうことにしました 山陽から山陰ですから、とにかく山を越え、山の間をすりぬけ景色は山、山、山ときどきトンネル・・・山、山、山ずっと乗ってても疲れるので、途中で下車して一息つきます はじめて耳にする名の駅で降りて、ぶらっと散策してみますと こんな鳥にでくわしたりします、それにしても天気がいい ふたたび電車に乗り、ぐっすり爆睡ZZZzzz・・・いつの間にか、外はいい時間になっていました実は日本海側って、はじめて来ますそして・・・ 八雲の神々が、それとなく迎えてくれた気がします次回、「出雲」です、慶次は行くまで知らなかったのですが出雲大社が60年に一度の遷宮をむかえるため、本殿特別拝観がなされていました、整理券をもらって、拝観するまでに4~5時間待たされますので、あまり興味の無い慶次君は、いままでとおりの参拝をしましたただ、この遷宮により、9月から約5年間、覆いをつけられ、観ることのできなくなる場所がいくつもあるようですそういう意味では、ふらっと出かけた割には、すべての構築物を邪魔されることなく観れたことは、カミの思し召しでしょうなちなみに、今回の遷宮は、本殿の屋根の葺き替えをするためであり、現在の本殿は1744年に建てられたものです次回の60年後、生きていたら特別拝観したいと思います 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年08月30日
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ご存知の方には退屈な時間を過ごすことになってしまうが、厳島神社の簡単な歴史などをご紹介させていただきたい厳島神社の祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)、田心姫命(たごりひめ)湍津姫命(たぎつひめ)の三女神で、来島鎮座したのは推古天皇のころといわれているが、おそらく、神社のうしろにそびえる弥山に住む自然神との融合人格化が、この頃に行われたとみてよかろう 神名の初見は「日本後記」の「弘仁二年(811)七月十七日条」に、「伊都岐島神(いつきしま)」とあるものだ もともとは、海上や対岸から島全体を遥拝していたが、推古時代から崇拝対象としての社殿を建てたようだ社殿が現在の規模に定まるのは、平清盛のころで、平安時代の貴族の住宅であった寝殿造りを神社建築に移した様式上の特徴を残している 写真は拝殿 本社二棟、摂社客神社(まろうどしゃ)二棟、廻廊二棟、から成り、正面に高舞台、その前に広く張り出す平舞台などが複雑に結合し、社殿の基本部分を構築している 写真は高舞台本社本殿は1571年、毛利元就が建て替え、彼が1568年に造立した能舞台は、西廻廊を見物席とする形で海中に建っていたが、平成3年に台風で倒壊した このようなシチュエーションで能を観られるのだから、贅沢!神社と名はついているものの、実態は贅沢神殿(寝殿)だな到着時はこのように海につかっていた高さ16.6mの木造では最大の大鳥居も、昼近くになると下写真のようになり、ゲストがわらわら 現在8代目となる両部鳥居の代表格、厳島神社の大鳥居がいつまでも生まれ変わり存続し続けることを願いたい一通りまわり、外へ出て、大願寺を眺める 神仏習合により、市杵島姫命は弁才天と同一化し、財運の神となるしかし、明治以降の神仏分離令により、厳島神社の市杵島姫命は、大願寺の弁財天から遊離し、各々独立した崇拝対象となった 水神・市杵島姫命が鎮座する厳島神社が地球温暖化により水没する日はくるのでせうか今度来るときは、腰痛を治し、万全の状態で弥山を登ろうと決心した15の夏のことじゃった・・・(ロープウェーは高いから嫌)高所恐怖症 いえいえ、とんでもございません、また来島したいと思いまふ次は、宮島で一泊し、夕と夜の厳島を堪能したいですなさて、次回は、さっそく明日アップします広島編完
2008年08月29日
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広島駅から岩国方面行き山陽線に乗り、約30分で到着しました宮島口駅、そう、ここからフェリーに乗り、宮島へGO!!フェリー乗り場前には蘭陵王が出迎えてくれる、斉の蘭陵王はあまりの美形のため、威厳がなく戦場においては志気が下がるという理由で、このいかつい仮面をかぶり、戦場に赴き、戦ったといいますこの舞楽が厳島神社の能舞台で舞われることから、蘭陵王は顔となります 広島を始発で出ましたから、まだまだ時間はたっぷりありますフェリーに乗り込み、デッキから宮島方向を見やると、じゃじゃん 海に浮かぶ鳥居が美しい・・・ 海にはくらげがプカプカ浮いてました、さあ、出発しましょう 近づいてきました、10分くらい乗っていたでしょうか 到着しました、観光名所であり世界遺産ということもあるのでせうかきれいに掃除がしてあります、早速、神社に向かいましょう入り口鳥居です、観光グループが続々とあらわれ占領されます、単独観光はこの時期は向かないのかもしれませんな さて、入り口鳥居から右手に見える海上鳥居を優雅に眺めつつ、神社本殿に向かいます、とその前に、まずは左手階段をのぼり豊国神社(千畳閣)へ行きました、秀吉が安国寺恵瓊に命じて建立された千畳閣は広さが約千畳あることから、その名がつけられました、秀吉の死後、豊国神社と名を変え、残存しています高台につくられていることもあり、涼しい風が心地よかったです 同じ高台に五重塔があります、1407年に建立と書いてありますね中には入れませんでした、一般公開している日もあるのでしょうか 千畳閣と五重塔を観て、階段を降り、本殿へ向かいます陽も高くなり、かなり暑くなってきましたクマゼミが、「わしわしわしっ」と鳴いています 次回、「厳島神社を十分にご紹介いたします」慶次といえば日本古来の習俗が専門です、戦争の話題ばかり書いていたので、ヒントなしはつらかったかもしれません反省します・・・お詫びにちらっと次回予告をこれぞ、アートじゃ!!!! 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年08月25日
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何年ぶりかに訪れた大和ミュージアム、今回はデジカメ持参です大和ミュージアム横には、瀬戸内海に沈んだ戦艦陸奥の主砲が飾られていて、その大きさに驚愕すること間違いなしテントの大きさから、大体の大きさを想像していただきたい さあ、中に入りましょう中に入ると、まず10分の1大和模型がお出迎えしてくれる この模型の大きさが26m、本物の大和が264mなので、約1/10モデルだ大和ミュージアムは、ここからスタートして、戦前戦中の展示品が並ぶ階下に行き、そこから階を上るごとに歴史が新しくなって、最上階は未来へと続いている館内は営利目的での撮影は禁じられているが、流されているビデオ映像以外の撮影は基本的に全面解除という、うれしい対応である 階下に行き、大和モデルを後部から撮った写真、迫力ありますここから戦前の展示品コーナー、まずはゼロです マッカーサーは、このゼロがフィリピンに来襲したとき、これだけ航続距離が長く、俊敏な機能を有した戦闘機を劣等アジアの島国でつくられていることに驚愕し、フィリピンをすてることになるやもしれぬと覚悟を決めたといいます これが「回天」です、空の特攻がゼロなら、海の特攻がこの「回天」、この中に寝そべって、ただひたすら敵を目指してすすみ、体当たり考え方としては、追尾ミサイルのように、敵艦を捕捉し、軌道を変えながら相手を撃沈するという現代のレーダー兵器の先進型なんですが、正直、自分だったら、この回天での特攻はいやですここで非常事態が発生しました、デジカメのバッテリーが残り少ない 手前左手に見えるのは、「海竜」です、もともとは潜水艦よりも小さく俊敏な動きで相手を翻弄し、いわゆる海の戦闘機のような役目を目指して生産され、使用されていたのですが、大戦後期は爆弾を積んで特攻する特攻兵器にかわっていきますこの海竜だけでなく、ほとんどの兵器は最終手段体当たりが主となりました、無用の長物となる前に、燃料があるうちに兵器として使用することが最終的な戦い方となっていくわけです館内には、日清日露からの歩み、そして大和建設秘話、また沈んだ大和の海底に眠る映像など、盛りだくさんの内容です時期的なこともあり、この日は多くの子供連れの人々で館内は埋め尽くされていました、そのことと、やはり実際に館に来て欲しいとの思いもこめて、写真はあまり撮りませんでしたデジカメの電池の件もあるのですが・・・そういえば、前々回のヒント、あれは宇宙戦艦ヤマトのイントロだったのですよ、正解者はゼロでした、みなさん、あれほどのサービスヒントが与えられていて当てられないなんて、情けないでは最後に、大和モデルをもう少しご紹介しておきましょう 艦橋付近です、大和最終バージョンなので、対空機銃や高射砲が充実しています、艦橋内部にはエレベーターが設置されており、それを利用して移動していましたん・・・ああっ~!!!! 艦橋にちびすけ発見!!うああっ!!! こんなところにも!!これ、スケール比は同じなので、当時の大和に乗組員が乗艦していると、このような感じになりました それにしても、久しぶりの大和ミュージアム、楽しかったです次回は、「ヒントなし」みなさんなら、わかるはず・・・ 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年08月23日
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暑い! 瀬戸内海が広がる地域ということもあって、電車には海水浴に行くと思われる乗客が多数慶次も海水浴に行きたい・・・という気持ちをおさえ、時間が無いのでそのまま直行する場所は、広島駅から呉線で呉駅下車徒歩ちょっと 快晴! 快晴! 快晴であります!!「呉市海軍歴史科学館」、通称「大和ミュージアム」に行ってきました手前に入り口があり、向こうに見えるのは、海上自衛隊史料館入り口にオブジェとして飾られている、任務全うご苦労様の、「潜水艦あきしお」(全長76.2m 排水量2250t) 近くを走る車と比べてもらえれば、その大きさはわかるはず大和ミュージアムにの裏手にまわると、呉港があり、タンカーが停泊中 実はこの大和波止場には工夫がなされていて、大和を体感できるようになっている次の写真は、大和艦橋位置から前方を見渡した構図である大和の甲板そのままの寸法でつくられており、下には主砲副砲などの位置が書かれており、まさに大和実物大を体験できる歩いているゲストさんの大きさで、巨大戦艦の甲板を想像して欲しい 「打ち方、はじめっ!!!」 思わず声に出そうな光景だまた、右方向を確認すると、海上自衛隊 掃海管制艇かみしま(全長55m 排水量440t)を発見 そして・・・ん? あっ あっ! ああっ!! 第4護衛隊群第8護衛隊に所属する護衛艦「いなづま」(全長151m 排水量4550t) 敬礼であります!!なにぶん猛暑ですので、大和ミュージアムに入りましょうかあっ、この続きは次回ということで 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年08月21日
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この日の広島は35度を越える暑さだったが、昨年よりもなぜだか涼しく感じた、到着時刻は去年とほぼ同じ、駅からまわりを見渡すと何も変わらない広島がそこには存在していたただ変わっていたのは、自分がひとつ歳を重ねたことくらいだろう 駅の目の前から出発している路面電車に乗り、ぶらぶら揺られて平和公園へ向かう別に神妙な気持ちでいるわけでもなく、ただ、ここに来たからには、供養塔に手をあわせたいという想いで、ぶらぶら揺られている 原爆ドーム前にて、まるで原爆雲のような雲が丁寧に迎えてくれたそして、歩道を渡ると目の前には原爆ドームがほっこり顔を出すドーム前でピースをしながら記念写真を撮る観光客もいたまあ、ピースは平和のサインだから、いいのかも 内部はかなり傷んでおり、支柱でささえて現在の状態を残しているするすると横を抜け、原爆慰霊碑に向かう 平和のともし火方面から正面へ向かうと、ドームまでが一直線に並び、慰霊碑からドームが見えるようになっている 今年も多くの人々が、慰霊碑に手をあわせていた そのまままっすぐ歩くと、記念館と資料館があり、ここでは原爆のすさまじさを絵、写真、ビデオ等で展示しているその先には、噴水がある、やはり水を欠かしてはいけないな 噴水が時折見せてくれるマジックに思わずシャッターを押した虹が綺麗だねっとそこからグルッと踵を返し、少し陽が傾いてきた平和公園内を歩き、供養塔へ向かうまだまだ慰霊碑への参拝者は増えている 被爆当時、山のような遺体がここに集められ、火葬されたそういう経緯もあり、この場所に供養塔を建て、あちこちに仮埋葬されていた遺骨もここに集められたのだ軽く水を撒き、そっと手を合わせた しかし、浄財箱って、こういう場所には似合わないなあ夕日がドームを照らす時間になったようだ、そろそろ帰ろうか こうして広島の一日目は暮れていった・・・ 次回、「パァンパパパァンパッパパッパパァ~ン♪」こうご期待・・・(これでわかったら天才だな)*時間もあったので、ほぼすべてのモニュメントを見てきましたが 昨年と重複するので、今回は割愛させていただきました 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年08月19日
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今年の夏はさらに暑いですね・・・などと毎年のようにあちらこちらからきこえてくる・・・夏が毎年、暑くなっているのではありませんみなさんが年齢を重ね、弱ってきているだけそう、だって人間なんだもの by相田みつも腰痛にも負けず、クーラーの誘惑にも負けず行ってきました、こちら世界ランク一位の中国バトミントンペアを破ったスエマエコンビの試合がオーロラビジョンで流れていましたでは、次回より広島編をお送りします気温は35度を上回っていましたが、昨年の広島より涼しく感じました
2008年08月17日
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ほとんどの学生が夏休みに入り、本格的な夏が到来している小学生の頃、午前中と午後に夏休みアニメ劇場なるものが放映され、テレビを見ながら宿題をしていたものであるさて、慶次の小学生の頃は過去のアニメ名作が再放映されており、たくさんの笑いあり涙ありのアニメを見てきた「妖怪人間べム」を見てトラウマになり、「ガンバの冒険」を見て、イタチをかわいいとも思えないようになり、「海のトリトン」では、イルカに乗れるかもしれないと安直な考えを持ち、「はじめ人間ギャートルズ」に出てくるマンモスの肉のうまそうなこと・・・語りだしたらキリが無いのだが、年齢を重ねることにより、これらのアニメ作品が内包していた意味を自分なりに知るようになり、大きな財産となっていることに気づくまた、主題歌(エンディングも)がかっこよかった!!コーラスグループや、水木一郎兄貴のようなひとが、勇ましくうたうアニメソングは、覚えやすく誰もが口ずさめ、かっこよかったのだある種、戦前の軍歌に通ずるところがある、単調で勇ましくかっこいいそういえば、「キューティーハニー」という正義のヒロインが活躍する、ちょっとエッチなアニメがあった作者は永井豪、あの「デビルマン」も手がけた巨匠であるセクシーとキュート両面を併せ持つ、スーパーヒロイン(アンドロイド)、それが如月ハニーだったこの主題歌がまた、かっこよかった前川陽子さんのセクシーでパワフルなヴォーカルが、いまでも強く印象に残っている数年前に倖田來未さんがカバーしたが、オリジナルにはほど遠いというか、ダンスや格好でセクシーさを表現はしているものの、歌そのものでは、前川さんのようなセクシーさは出ていなかった前川陽子さんは、いまでもディナーショーなどで精力的に活動されており、1950年生まれだから、現在、年齢○○歳!!それでいて、あの頃とまったく変わらない歌唱力!!今の歌手の何人が、この歳になって、腹からしっかりとパワフルでセクシーでキュートな声を出すことができるのだろうか・・・みなさんも唖然としてみませんか「キューティーハニー 2005年」「魔女っこメグちゃん 2006年」「キューティーハニー1973当時のオープニング」動画が削除される可能性があります、早めにごらんくださいひょっこりひょうたん島も歌っていたんですなあ・・・前川陽子さんHP 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年07月29日
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6月のあたまに「ぎっくり腰」を発症させ、苦しんでいた20代のころに、はじめてぎっくり腰になり、それ以来、疲労やなにかの拍子に発症させて、苦しんでいる「ぎっくり腰」というと、歳をとってからなる病気(怪我)と思っている方が多いと思うが、まったく的外れな推察であると断言する慶次がはじめてぎっくりになったのは、20代中盤、腰に違和感があるなあと感じていたときであるその日、立ったまま、くしゃみをして、ズキッ!!へなへな~となり、まったく動けなくなったのだいまでは「やばいなあ」と感じたときは、ストレッチやマッサージで腰の疲労をとりのぞき、予防をしていたのだが・・・腰には正座がbetter、いすもあぐらもbadそのためというわけでもないのだが、みなさんのブログ記事を読むのが精一杯で、コメントや自分の記事を書くのはつらかった正座なんて、長時間できんわい!みなさんも腰にはきをつけて 一 夢 庵 風 流 日 記 こいつを買ってみました
2008年07月28日
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4「はい、みんな、宿題を出してください」 先生の甲高い声が、教室中に響いた。 児童たちは宿題の押し花を机の上に出した。どの児童も、他の作品が気になるのか、チラチラと隣や後ろを覗いている。 やはりというか、チューリップが圧倒的に多く、教室がチューリップ畑になったようだ。 教室のざわめきが少しおさまった頃、ほとんどの児童たちは、啓太のほうを見ていた。 先生もゆっくりと啓太の席に歩を進めた。 「あら? 啓太博士はクローバー?」 先生の声は、明らかに期待を裏切られたトーンである。 児童たちも立ち上がり席を離れ、啓太の席のまわりを囲み、不思議そうな顔で机の上に置いてあるたくさんのクローバーの葉の押し葉を見つめていた。 啓太は、うつむいて黙っていた。 その後ろ斜めの席には、同じようにうつむいて黙っている文也がいた。次回、最終話です第一話「宿題」はこちら第二話「レンゲ」はこちら第三話「クローバー」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月13日
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3「文ちゃん、宿題はレンゲの押し花にするの?」「違う違う、オレはこれにする」 文也が指差す先には真っ白くてかわいい花が並んでいた。 「ん? シロツメクサの花?」「違うよ! 啓太、よく見ろよ」 文也は小さな葉っぱを指して、啓太の目の前で四本の指を大きく広げた。 「ああ、葉っぱのほう? クローバーだ、四葉?」「うん、四葉のクローバーを探すんだ」 文也はしゃがんでクローバーを摘みはじめた。一枚千切っては、これじゃない、さらに一枚千切っては、あれじゃないと、ぶつぶつ言いながら探している。 どれくらい時間が経ったのだろうか、陽は少し傾き、大きな桜の木の影は、背がのびてスリムになっていた。 「文ちゃん、どう? 見つかった?」 夢中で探している文也のまわりには、たくさんの三つ葉のクローバーが千切り捨てられていた。 啓太は、少しさびしくなり、そっとそれらを集め、袋に入れ始めた。 「おい、啓太、それ、三つ葉だぞ」「あ、うん、知ってるよ」「四葉じゃないと、幸運は来ないんだぞ」「でも・・・三つ葉も葉っぱだから」「おまえなあ、三つ葉じゃ幸運は来ない・・・」 啓太は文也の言葉をさえぎるように少し声を荒げて言った。 「四葉も三つ葉も、同じ葉っぱだから!」 文也は最初はきょとんとしていたが、啓太の言いたいことがわかったのだろう、バツが悪そうに、口笛を吹きながらお地蔵さんのほうへ走っていった。第一話「宿題」はこちら第二話「レンゲ」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記 花粉が・・・舞っています・・・
2008年03月12日
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2クラスメイトの何人かはすでに原っぱで花を採集していた。 いつもはポツンとひとりぼっちで立っているお地蔵さんのまわりが、今日はやけに賑わしい。 それもそのはず、数ヶ月前に学級会で原っぱの一角にチューリップを植えることを決めたのだが、それがちょうどいい感じに咲いているのだ。 「啓太、いつもの場所に行こうぜ」「文ちゃん、チューリップなくなっちゃうよ」 啓太は自分が植えた真っ赤なチューリップを大切に育ててきた、学校帰りに、毎日のように寄り道をして、その成長の様子をひとりにんまりしてはお地蔵さんに会釈して帰っていた。 「いいから来いよ、また甘いのチューチューしようぜ」「・・・・でも・・・」 文也は大きく手を振り、手招きしている。 (ま、いっか) 啓太は、いつもの場所に向かって駆け出した、文也は華奢なレンゲの花を摘んで、スルッと花房をむいては、その甘い蜜を吸いはじめた。 文也にレンゲの蜜の吸い方を教えたのは啓太である。 啓太は、植物や昆虫が大好きで、これに関しては誰にも負けない自信があった。文也がニッコリ微笑んで美味しそうに蜜を吸っている姿を見て、啓太は少し優越感を感じていた。第一話「宿題」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記 桜の花が開くのを眺めながら桜和菓子をほおばりたい(笑)
2008年03月11日
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「はい、それじゃあ終わりましょう、宿題忘れないでね」「先生、さようなら」「啓太! 先に行ってるからな」「文ちゃん、待ってよ」啓太と文也は三年三組の同級生、学校の宿題で出された押し花をつくるために、近所の原っぱで花・葉を探そうと約束したのだった。「お母さんお母さん、今から文ちゃんたちと葉っぱ探してくる」「葉っぱ? 葉っぱなんてどうするの?」「うん、宿題、それより文ちゃんが来ちゃうよ、おやつ出して」「お~い、啓太、行こうぜ」外で啓太を大声で呼ぶ声がした、文也である。啓太は食べかけのバームクーヘンを口の中に突っ込んで、あわてて玄関に向かった。「お母さん、行ってきます」「暗くなる前に帰ってくるのよ、車には気をつけてね」靴のかかとを踏んだまま、玄関を飛び出した啓太は、右手をぐるぐる回して前を走る文也を追いかけ、原っぱに向かった。昨日の雨が道のところどころに水たまりをつくって、初夏の日差しがそれに反射し、ふたりを交互に照らしていた。第一話完全三~五話へ完結予定 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月08日
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フェイバリットブログに登録させていただいている奥円さんのブログ「八百万の旅人」では、自作の絵が公開されている昨今、自然の大切さを伝えようとするばかりに、美しさを強調する写真や絵が溢れている慶次が山に抱いているイメージをそのまま表してくれている奥円さんの絵が好きだ慶次は、山に畏敬の念を抱いている「流れるのは山か、川か、私か」「お絵かき「山」考」「0209 お絵かき」「八百万の旅人」より一部リンク紹介関連ブログ記事「一夢庵風流日記 日本の習俗 第二十一回 鎮守の森 2005/12/2」
2008年02月17日
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よいお年を~~~また来年、お会いしましょうえ?こんだけって?うん、こんだけ・・・ちょっと、さびしいから一言だけ笑う門には福来るはいそこ笑って、そこも笑って笑って笑って新年を、福を招き入れましょうぞ
2007年12月31日
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夜中にもぞもぞと起き、厠によたよたと向かう勢いよくお小水を済まし、ずるずるとベッドに戻ろうとする・・・なんか眠れない・・・まあよくあることだそ・こ・で熱いお茶なんぞを煎れ、じゅびじゅびとすする猫舌のくせして、熱いお茶が好きシーンとしてさびしいので、テレビをぽちっおひさしぶり~、NHKNHKの夜中の番組が、砂嵐だとお思いのあなたミュージックボックスという番組をご存知ないとみた昨日は70年代と80年代の邦楽が、時代の映像とともに流れていた曲目なんぞも、紹介しておこうか1970年代 邦楽 (1)ジョニーへの伝言 / ペドロ&カプリシャス. (2)学生街の喫茶店 / ガロ (3)木綿のハンカチーフ / 太田裕美 (4)また逢う日まで / 尾崎紀世彦 (5)喝采 / ちあきなおみ (6)岬めぐり / 山本コータローとウィークエンド (7)異邦人 / 久保田早紀 (8)結婚しようよ / 吉田拓郎 (9)私の彼は左きき / 麻丘めぐみ (10)たどりついたらいつも雨ふり / モップス (11)耳をすましてごらん / 本田路津子(12)HERO(ヒーローになる時、それは今) / 甲斐バンド(13)夢先案内人 / 山口百恵(14)キャンディ / 原田真二(15)あなたに夢中 / キャンディーズ (16)個人授業 / フィンガー5(17)いとしのエリー / サザンオールスターズ 1980年代 邦楽 (1) 恋におちて~Fall in love~ / 小林明子 (2) 長い夜 / 松山千春 (3) 星屑のステージ / ザ・チェッカーズ (4) 人生いろいろ / 島倉千代子 (5) ランナウェイ / シャネルズ (6) ルビーの指環 / 寺尾聡 (7) 待つわ / あみん(8) 矢切りの渡し / 細川たかし (9) 太陽がいっぱい / 光GENJI (10) ワインレッドの心 / 安全地帯(11) 恋人よ / 五輪真弓(12) ガラスの林檎 / 松田聖子もうこれだけでおなかいっぱいだが、ここに70年代パンタロン、ヒッピーのような服装の若者がうじゃうじゃ~ボーリングが流行ったのかな? 80年代はビリヤードピンク公衆電話が幅を利かせ、パソコンはでかいでかい大きなサングラスをかけボブカットの若者が公園でフリスビー現代、リバイバルブームで70年代ファッションを模倣した格好をしている若者が多くいるが、リアル70年代はパワーが違う原宿ではたけのこ族がきのこ狩り・・・もとい・・・ダンシングぼーっと見続け、朝の4時になったとさ(注)この番組は、曲目が時々変わり、変則的に流れている・・・と思ふNHKに確認までする気はおきないので、自己責任にて夜更かしすべし 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年12月17日
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「平成19年8月18日撮影」なんじゃ!! JPEGのまま載せられんのかい!!GIFに変換すると画質が落ちるんじゃい!!ねむい・・・またあとで~追伸 いまやってみたら「JPEG」でも登録できた・・・あたまが耄碌しているようで・・・
2007年08月18日
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”死ね 死ね 死ね死ね死ね死ね死んじまえ黄色いブタめをやっつけろ 金で心を汚してしまえ 死ねアー 死ねウー死ね死ね 日本人は邪魔っけだ 黄色い日本ぶっつぶせ”by レインボーマン「死ね死ね団のテーマ」ハチは飛翔昆虫の中でもっとも高度な集団生活を営む種である、地上ではアリであろう、実はアリとハチ、それもスズメバチとアリは近類であり、似たもの同士。繁殖期のみ羽を使用し、地上で生活するアリはハチの進化系であり、あまり知られていないが毒針も持っている。 ここまでは余談社会的昆虫であるスズメバチは単独で行動(えさなどを求めて)しているときに敵に遭遇しバトルを開始すると、一気に戦闘モード上昇、もともと攻撃的な性格がさらに凶暴化する。たとえば慶次とスズメバチが戦って、激闘のすえ、慶次が奴を倒したとしよう、しかし奴はタダでは死なない「俺はこいつに殺された、敵をとってくれ!」といわんばかりにフェロモンを相手に噴射する、このフェロモンをつけたまま、奴が所属した巣の近くを通りかかったが最後、巣からいっせいに出てきた攻撃全開モードの奴らに襲われるのだ。彼らにとっては防衛本能なのであろう、自分たちにとって危険な存在と知らせる手段として、「死ね死ねフェロモン」を浴びせるのだろうが、こっちにはいい迷惑まあ、単独のスズメバチに出会うことは山で昆虫採集でもしているときに樹木にカブトムシやクワガタと一緒にいるのを見かけたり、都市部で出会ったりするくらいだろう、怖いのは巣の近くを知らずに通ってしまったときだ。ここからはシミュレートでお楽しみくださいある日の天気のいい午後、三人文殊くんは山を散歩していました、すると聞きなれない嫌な音が聞こえてきます。「カチッ カチッ」。音の主はスズメバチです。ここで重要な点、この「カチッ」はスズメバチが顎をならす音で、警戒音です。この行動を見かけたら、近くに巣があるので、もとの道を後戻りしましょう。ふてぶてしい三人文殊くんは気にもとめずにどんどん歩いて行きます足音の振動が巣に伝わり、攻撃フェロモン全開になった数十匹のスズメバチがいっせいに三人文殊くんめがけて襲い掛かります、刺そうとするもの、強力な顎で噛み付こうとするもの・・・ここで重要な点、彼らは飛行状態から毒液を目に噴射してきます、直接かかったら失明覚悟。恐ろしい実は幼い頃、三人文殊くんはスズメバチに刺されたことがあります、あのときの仕返しといわんばかりに猛然と向かっていきますが、多勢に無勢、右手をブスリと刺されてしまいました。ここで最後の重要な点・・・「アナフィラキシーショック」という言葉を聞いたことがあるでしょう、これを簡単に説明すれば、一回目に刺されたときハチ毒に対する抗体ができあがります二回目に刺されると、抗体がショック症状を起こし、血圧低下・呼吸困難・意識障害を起こし治療がおくれると死亡するのです。三人文殊くんは幸運にも治療が間に合いました、が! 数ヵ月後、懲りずにスズメバチに仕返しに行きましたとさ・・・ (-人-)ナムナム~今回の大事な点、単独で戦った場合、「死ね死ねフェロモン」を浴びている可能性があるので、着ていた服や履いていた靴を洗うこと。もちろん体も。警戒音を聞いた場合、もと来た道をそのまま戻る。びっくりしても左右に大きな動きはしない(左右の動きに彼らは敏感、遠近感が鈍い)こと、ゆっくりあとずさりし、もし飛来してきたらダッシュ!!刺されたら急いで病院へ! 大丈夫だろうという素人判断はしない!!P.S レインボーマンの原作者であり、死ね死ね団のテーマの作詞者でもある川内康範さんと聞いてピンと来た人もいるのでは? 川内さんは昨今話題になっている「おふくろさん」の作詞者ですな。あとアナフィラキシーショックはハチ毒だけではありません、食べ物や抗癌剤etcアトピーや喘息持ちの方は気をつけてください。ここで出てくる登場人物はフィクションであり実在の人物ではありません同名の某氏は、エレガントで紳士でありますのでまったく関係ありません 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年06月04日
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明治期に日本に「西洋ミツバチ」が輸入された、理由は蜂蜜の生産量である。アフリカ産のミツバチをヨーロッパで品種改良し、飼いやすく蜂蜜を集めるのに最適な飼育バチをつくりあげ、明治期には日本に輸入されたのだ。当然だが、日本には古来より「日本ミツバチ」が存在する、しかしこのハチは当然ながら野生の中で育ってきたので、飼育して養蜂するのには向いていない。ハチミツの収穫量も少ないし、勝手気ままなところがありどっかへ行ってしまう。 逆に西洋ミツバチは、飼育慣れしているため、逃げ出すことはないし、ハチミツの収穫量は日本ミツバチの約5倍ということで現在養蜂の99%が西洋ミツバチの蜜であり、また繁殖力が強いので野生化すると日本ミツバチを圧迫するのだ。こんないいことづくめのようにみえる「西洋ミツバチ」なのだが、おぼっちゃん育ちゆえに、とある天敵にあっというまに巣が全滅させられてしまう。その天敵の名は・・・君の名は・・・憧れの那覇・・・ オオスズメバチ オオスズメバチ数十匹で3万匹ほどの巣を守る西洋バチは全滅させられ、幼虫などは戦利品として強奪される。 西洋ミツバチも抵抗はするものの虚しく響く羽音を残しオオスズメの強靭なあごで噛み砕かれ、力無くズタズタにされるのだ。その凄惨なる状況をマトリックスバージョンでご覧ください → こちら西洋ミツバチの遺伝子には強大なオオスズメバチに対する抵抗の跡が刻み込まれていないため成すすべなく殺され、西洋ミツバチが沖縄や小笠原を除く日本で繁殖することを防いでいる。 生態系の確保。では、「日本ミツバチ」はどうだろう野生化して自由気ままな「日本ミツバチ」もスズメバチに襲われているに違いない、しかし、絶滅せずに日本に今なお元気に生態系の一角をなしているではないか。彼らには遥か古代より戦ってきた猛者たちの遺伝子が見事に引き継がれているのだ。彼らの武器は「死の温度差」である、オオスズメバチが死ぬ温度は45度以上、対して日本ミツバチの死ぬ温度は50度以上、この数度の差を利用して強大な敵を倒すのだ。 実際にどうやるかというと、巣の中に入ってくるオオスズメバチを大勢で取り囲みハチ球をつくり羽を高速で動かし熱を上昇させ、中心にいるオオスズメを熱し殺すのだ その勇姿を見よ → こちら当然だが、真っ先にとびかかり中心部付近にいたミツバチも熱により死ぬ、巣が全滅することを避けるために身を犠牲にして種の保存を守るのだ。 西洋かぶれのチャラ男より、大和男児! ・・・どっちも戦っているのは働き蜂でメスだけどっていう突っ込みはなしねこういうのを見ていると「自然がつくりだす摂理」って凄いと思いますな。*そういえば「摂理」の韓国変態教祖が身柄を中国で拘束されましたね 一 夢 庵 風 流 日 記 「貴重な純日本ミツバチ産のハチミツとみなしごハッチのDVD(笑)」
2007年05月22日
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我が日本は気候が温暖で農耕が発達し、性格的にも温和な民族である川や湖には魚が泳ぎ、動物にしても昆虫にしても平均的に柔和な性格だ。何年か前から、わが国の生態系の乱れが報道で大きく流されるようになった、アリやクモといった昆虫、ライギョやブルーギル、ブラックバスなどの魚類、チョウセンイタチやアライグマなどの哺乳類からヘビやトカゲなどの爬虫類、そういえばミドリガメっていう一時期ブームになったカメがいた、正式名称はミシシッピアカミミガメなのだが、どこでどう間違えたのか、「アカウミガメ」と思い、一日千秋の思いで育てていた御馬鹿な子供の頃を思い出す温暖で柔和な島国育ちの日本古来の生き物は、外来種に捕食され、交配を繰り返すうちにもともとの種は消え去ってしまっていく。 し・か・し !! 世界最強の日本代表の存在を忘れてはいませんか?恐ろしく強いその生き物は、実は慶次がこの世で一番恐れている生き物・・・その名は オ オ ス ズ メ バ チ「なんで、こんな凶悪な面構えなんでせうか?」 慶次はとにかく、「ハチ」が駄目、遠目であってもあの黒と黄色の攻撃的配色を見ただけで、震え上がり、速攻で逃げるそのハチ目の中でも世界最大最強の獰猛戦闘機、「オオスズメバチ」はこの国が誇るスーパー純和種生物である、正直怖くてたまらないけど、かっこええ毎年のようにハチに刺され死亡などのニュースがとびかう活動期は、巣に注意だ、スズメバチは地中に巣をつくる場合が多く、近くを歩いたりして振動が巣に伝わったりしたら、もう大変、一気に攻撃にテイクオフしてくるのだ。草花の観賞のために、写真などを撮るために山に入ることの多い方は要注意スズメバチによる年間の死亡者数は熊よりも多い、そういう意味では山への領域を守る最後の守り神(闘神)なのかもしれない・・・ 日本人よ、圧倒的な大人口による人海戦術を得意とするあの国や、ハナッからなめてかかってくる銃大好きのかの国に好き勝手にやられないために、ときには毒針を出さなければならない、いつもいつも働き蜂や働きアリと揶揄されるばかりでは、能が無い、オオスズメバチに変身だ! 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年05月13日
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プロ野球の阪神は26日、赤星憲広外野手(31)がシーズン中の盗塁数に応じて福祉施設や病院に寄贈した車椅子が、ヤフーのインターネットオークションにかけられていたと明らかにした。23日夜に20万円でスタートした取引は、その後、取り下げられたという。 球団は、24日にファンからの指摘で事実関係を把握したが、寄贈先などへの追跡調査はしない方針。球団関係者は「驚いている。(オークションの)写真を見る限り本物。善意でスタートした事業なので、善意が広がるようにしたい」と話した。03年からの4年間で204台を寄贈した赤星外野手は今後も寄贈を続ける意向だが、「普通では考えられない。球団と相談して再発防止策を考えたい」と困惑していた。【井沢真】毎日新聞 2007年4月26日 シュールに考えれば、こういう事態もありえるわけで・・・それでも、圧倒的に赤星選手の好意は社会の役に立っているのだから、キレることなく、失望することなく、前向きにこの慈善事業を続けていただきたい。 韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領直属機関の「親日・反民族行為者財産調査委員会」は2日、日本の植民地統治に協力した「親日派」9人について、子孫らが所有する財産36億ウォン(約4億8000万円)を没収することを決定したと発表した。 韓国で植民地統治時代の行為によって、財産が没収されるのは初めて。 財産没収の対象となったのは、日韓併合条約(1910年)を結んだ李完用(イ・ワンヨン)元首相ら9人。現在は子孫らが相続している土地約25万5000平方メートルが没収され、韓国政府の所有となる。 同委員会は、2005年に成立した「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」に基づき、昨年8月に発足。同時に設置された「親日・反民族行為真相究明委員会」は昨年12月、406人を日本の植民地統治に協力した「親日派」と公表していた。(2007年5月2日13時18分 読売新聞) ウリジナルな世界がまかり通る、おそろしい国、「カンコク」 なんたって、1910年の話ですよ、それを持ち出して、財産没収日本では、親韓派の某議員を腫れ物にさわるように大切にしているのに(苦笑)日本統治時代の資産を活用し、「なんとかの奇跡」とか抜かしていたかの国の考えは、過去のことをどうのこうのと言いたいわけではなく、実は、「金」かねが欲しいだけニダ~過去の謝罪と賠償と清算というステレオタイプの言葉を繰り返していれば、かねが転がり込んでくるのだから、しあわせな国ですね 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年05月02日
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風邪をひいた・・・薬を大量に飲み、いっぱつ逆転を狙うも薬の飲みすぎに胃をやられ、大きな口内炎が2つも誕生してしまった・・・たしかに熱は下がったし、だるさは解消に向かっている。でもコーラを飲むと口内炎が痛い!美味しいものが食べられない!それだけならまだ我慢できたのだが、乾燥状態にも負け、のどが腫れ上がってしまった。うがいでこの状態を抜け出そうとしたが昨日あたりから、白いのモノが扁桃腺に・・・つばを飲み込むだけで痛い痛い!!というわけでのどの薬を買おうと思う。検索するといろいろあるもんだが、やはり小さい頃のイメージ強烈な「ルゴール」を買ってこようと思っている。小さい頃、割り箸の先に脱脂綿をつけのどにピトピトと塗られた恐怖がよみがえる・・・おえっ おえっとなりつつも、次の日には治っていたあの薬。おお、ルゴールよ! おまえはなぜにルゴールなのか!シャルルドゴールににも似た少しおフランスな名前!「お」をつけて上品に呼べば、「おルゴール」!神よ、あなたはなぜこの薬を地に与えたもうたのでしょうまあ、なんだかんだ言って、のどに突っ込むが嫌なんだけど・・・水に薄めてうがいをするより、治りが早そうだしね。おお、ルゴールよ! (もういい? あっそう・・・)それでは買ってきます・・・ ソフトタイプやスプレーもあるんだなでもやっぱ直塗りでしょ! 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年03月03日
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「もし世界が100人の村だったら」というフジテレビ系列の番組が存在する。一例では、ガーナの幼き兄弟がカカオの実を取る仕事をしていても、彼らはそれがチョコレートになって売られていることは知らない。学校に行くこともなく、このカカオの仕事を死ぬまで続けていくしかない・・・。番組からは離れ、北朝鮮が自由取材が出来たなら、このような番組の格好の材料となる適材国のひとつとなろう。イスラエルの銃を背中に抱える少女も一人っ子政策のために戸籍すら存在せずに生きているか死んでいるかもわからない中国の子供たちだって存在する。果たして、このような番組はなんのために存在するのか、また、このような番組を見て、私たちはどうすればいいのだろうか。慶次にはひとつだけ確実に言えることがある、番組を見ながら、決して「あの人たちと比べれば・・・」などと考えないことだ。また子供にも洩らさないことだ。慶次がインドに行ったとき、片方の手首から先が無い子供がニューデリーのあちこちにいた。彼らは親に手首から先を落とされたのだ。 なぜかって?恵んでもらうためにだ、街行く人々がかわいそうにと何かを恵んでくれるという心理を利用するために親はこのようなことをするのだ。ロシアでのこと、空港に向かって歩いていると何人かの少女が慶次の目の前にかけより自分のシャツをめくりあげる行為をする・・・。 大馬鹿者の慶次はやってはいけないとわかっていながら小額のお金をそっと手渡してしまう、そのチップがあそこにいるロシアンマフィアの手に渡るとわかっていながら・・・。よろしいか、あの人たちと比べれば、私たちは幸せなどと考えるな、他者と比べて自分たちの優越感を認識するような下品な思考は持ち合わせるな。非情に思えるかもしれないが、比べることは常に弱者を探すこと、大人子供関係なく、コミュニティが出来れば「あの人~」と比べる弱さが生まれる。幹がしっかりしていない木々の枝葉は風に揺れ、しまいには幹ごと折れてしまうであろう。まず自分を見つめ、自分のできることをひとつひとつ仕上げていけ、幹がしっかりすれば感情を表に出しても流されることはないのだ。彼彼女たちがパンを食べることが出来た喜びは私たちには想像できない、それは比べることではないし、独立する事象でしかないのだ。などと自分自身に言い聞かせ書きつつ、コンビニの募金箱に小銭を入れてしまう偽善者の慶次であった。*「もし世界が100人の村だったら(フジテレビ)」で挿入歌として 流れるスティービー・ワンダーの名曲を別ブログで取り上げてみました。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月18日
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今日の早朝、何気なくテレビをつけたら「テレビ寺子屋」に斉藤孝氏が出演、これがなかなか面白かったので、ここで簡単にご紹介するとしよう。本日の斉藤氏の話のテーマは大きく分けて2点、1)カリキュラム教育の未履修問題がいま起きているが、履修教育の今昔を比べ、今は子供たちに選択の余地を与えすぎではないのか。2)いじめというものは昔から存在するものであり、お釈迦様も書いている。嫌ではあるが、いじめっこについて行かないと遊んでくれる友人がいないなどというが、腐った人間についていくより独りになっても進んでいくことのほうがいい。2は今日書きたいことと外れるのでサラッと流す、氏は「うざい」「きもい」という言葉を子供が使うようになったら要注意と警鐘を鳴らす。いじめというものは「うざい」「きもい」「くさい」、少し前では「むかつく」、こういった言葉がキーワードで、この言葉を頻繁に使うようになったら、いじめる側かいじめられる側に入り込んでいる場合が非常に多いようだ。次に、自分の目標が見つかった人間はいじめない、というよりいじめている暇がない、そんなつまらないことを考えている暇がないというわけだ。またいじめられる側はいじめっこ達とつるんでいることで遊んでもらえるという場合がみられる、敢えて言う「悪友を断て」と。斉藤氏の講話は、すべての事象にあてはめて話しているわけではないので、ヒントとして捉えていただきたい。では本日のメインテーマ、1だが、これは正直「ハッ」とさせられた。慶次の頃もそうだが、物理や化学、地学に生物、日本史、世界史、地理に政経、数学も代幾に微積などなど、溢れるほどたくさんカリキュラムを勉強させられたわけだが、今はこれらの履修項目が減らされ、さらに未履修まで存在する学校が存在しているわけで、正直馬鹿生産拠点と化した学校である。ここからは斉藤氏の例えである、カリキュラムというものは必要な栄養素であって、あれが嫌いこれが嫌いと言っている子供の言うことを聞くものではない、つまり食物の好き嫌いを言う子供に「野菜を食べないと駄目カルシウムも取らないと駄目」と諭すように、教科も子供が数学が嫌い(苦手)だからやらなくていいよと甘やかすものではないと。昨今の大学受験は3教科や2教科で受験できる低能大学も存在するようで、こんな偏ったシステムにあわせる必要は無い。慶次は思う、果たして受験科目3教科にしたからといって、その専門性が特化し、深い学問を学べ、スペシャリストが産まれたかといえば・・・はっきりいって疑問符。では、教科を以前のようにただ単純に戻せと言うのも芸が無い、教科を料理に例える以上、調理人に求められることもあるわけだ、調理人=教師である。素材を揃えて、それを調理して美味しく提供すれば、それに客は飛びつく、この構図を教育に適用すると、必須教科という素材がある、しかしこれをただ暗記しろ、計算せよ、朗読せよ、これでは意味が無い、いかに噛み砕いたり、興味がわくような授業に展開させていくかが調理人たる教師の役目だ。今の教育は「冷凍食品」を解凍することなく子供達の前に提供しているにすぎない。この苦言はおもしろい、工夫というものはしてもし過ぎるということはない、うまい料理をつくる調理人に高い評価が集まるように、工夫している教師を査定することも必要かもしれない、教師の切磋琢磨も必要と慶次は考える。余談だが、家庭で学校の大切さを教えることも必要であろう、席でジッと授業を受けられない児童、生徒が激増しているようだが、蹴りでもぶっ込んでおとなしく座らせろ。 いまでは生徒を廊下に立たせるだけで「虐待」とかほざくPTA・・・。P・・・パープリンT・・・たわけものA・・・アホこんな風に揶揄されないようにしてくれ、PTAよ。食べ物の好き嫌いを言う子供の健康を心配して苦言を呈すのと同じようにある程度の万遍ない学問へのアプローチは必要なものと割り切ってみませんかこれを読んでくれた勉強嫌いな生徒諸君、基礎学力はどうしても時間が必要であり、成果があらわれるまでにタイムラグが存在する。我慢して地道に精進する期間と考え頑張って欲しい、来年、受験する方をはじめとする、すべての学徒たちに幸あれ*パソコンや携帯が勝手に変換してくれるからといって漢字の読み書きを おろそかにすべきではないぞよ。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月11日
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ええっと、閉鎖しま・・・せん・・・ぷっ。大切ということでもないのですが、先月に別ブログを立ち上げまして、そのお知らせをここでさせていただきます。ベスト・ヒット懐かしのミュージック勝手に自分の好きだった懐かしの音楽をアップしている趣味の世界です、まあ、暇だったら一度くらい覗いてみてくださいよ、まだ開設して一ヶ月程度、曲数も少ないですが、一日一曲をペースにまったり楽しんでいます。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月07日
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~ 寒夜 ~ 杜秉寒夜客来茶当酒 竹爐湯沸火初紅 尋常一様窓前月 纔有梅花便不同 寒夜客来たりて 茶を酒に当つ 竹爐 湯は沸きて 火初めて紅なり 尋常一様 窓前の月 纔(わず)かに梅花有りて 便(すなは)ち同じからず 簡単に口語訳で紹介すると、「寒~い夜に客人がうちを訪ねてきたので、茶の代わりにお酒を出しましょうかいな。 竹で編んだ爐には湯が沸いて、火が真っ赤に燃え出しましたね。 いつもながらの窓から見えるお月さん、でも梅花が少しほころんだので、違って見えるかな」(訳は慶次による適当) 冬の早朝にガラッと窓を開けると空気が澄んでいて遠くの景色までよく見える。同じように、夜に窓の外を眺めると、月や星が闇夜をこうこうと照らし出しており、その幻想的な美しさに惚れ惚れする。 毎日規則正しく運行しつつ、形を変える月はぼーっと眺めているだけでも、なにか妖しげで微かな魔力を持つかのように時間を忘れさせてくれる美しさだが、その窓の横に雪がうっすら積もっていたり、杜秉(とへい)が表現したように梅の花が咲いていたりすると、雰囲気がガラリと変わり妖艶に輝きを増すではないか。 自然がつくりだす「美」には、予定調和を崩し驚愕させるそれが内包されている、ではでは慶次も負けじと風呂あがりのアイスクリームにミントの葉をのっけってコントラストの美を表現してみたりしよう・・・。やっぱりアイスクリームはハーゲンダッツだね ← 欧米か!p.s 本当はオリオン座の話を書きたかったのですが、誰かさん と 話題がかぶったので急遽変更しました。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年01月30日
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”雑草とはその美点がまだ発見されていない植物である”上記はラルフ・ウォルド・エマーソン(米国・思想家)の言葉である。 幼い頃は個々の肉体頭脳にそれほどの特徴の差はみられないが、年齢をかさねていくと足が早い人、数字に強い人、絵がうまい人などなど、様々な美点が表面に表れてくる。最近は、転職が社会的にもかなり認められてきて、新たな職を得て生き生きとした生活を過ごす人たちも多いようだ。 ただやりたいことと出来ることは違う、やりたいことを仕事にして給料を貰えている人は少数ではないだろうか。 天賦の才を発揮するにも努力の期間は必要不可欠、すぐにあきらめては美点はいつまでたっても表に出ることはないだろう。”雑草という草はない。どんな草にも名前があるのだ。”植物学者でもある昭和天皇のお言葉、ひとりひとりの生徒や社員の名前を覚えない教師や上司がいるようだが、恥ずかしいことだと認識してもらいたい。 慶次が学生の頃にも、「今日は8日だから出席番号8番!答えて」、その後も18番28番というふうに授業中一度も生徒の名を呼ぶことなく授業を終える教師が何人かいた。生徒は囚人ではない、最低限のマナーくらい知っておけと言いたい。 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年11月26日
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とあるおっさんが森に入っていきました、奥へ進むにしたがって人工の草道は無くなり手足で草をかきわけ地面を踏み固めながら前へ前へと突き進んで行きました。10分ほど進むとシャラシャラと音が聞こえてきました、自分の身長ほどの草をグッと押し倒すと太陽の木漏れ日が水面(みなも)を照らしキラキラ輝いている美しい小川がふわっと目に飛び込んできました。 おっさん、ポ~ッ。。。ここまで休憩もとらず突き進んできていたので喉が渇いたおっさんは川の水を飲もうとぴょこぴょこと小川に近づいて行きました、頭を川に投げ込みゴクゴク水を飲んで「うぱ~」と顔をあげ一息してあたりを見ると、鹿が少し水を飲んではおっさんを見ています。 さらに上流を眺めてみると熊がバシャバシャと前足で水を叩いてはこっちを見ています。 おっさんは心の中でこう叫びました「おお~、大自然よ! 森の生き物たちよ! みんな仲間、そんな気分だ!!」鹿はこう思いました「見たことの無い生き物だ、もう3歩近づいたら逃げなくては!」熊はこう思いました「侵入者か?あと2歩でなわばりに入りそうだな、入ってきたら熊パンチだ!」人類と動物たちが共存する、仲良くするということはどういうことだろうか、熊と人間が肩を組んで仲良しこよしなどという夢物語はこの世に存在しない。人里にあらわれた害獣は撃ち殺すしかない、動物のテリトリーに侵入し襲われた人間は運命を甘んじて受け入れるしかない。 上手にすみわけをすることが両者が末永く仲良く繁栄する道ではないだろうか、もちろん知能が高いと思われる人間が努力すべき立場であることは当然のことである。ペットに服を着せている飼い主を見るとドロップキックをくらわせたくなる慶次でした。
2006年11月25日
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”給食費を払わない親のせいでいじめられる子供たち” 県内の小、中学校で給食費など徴収金の未納家庭に対し、担任教師が職場を訪問して徴収したり、“取り立て”を競わせる学校があったことが、県教職員組合の調査で明らかになった。未納がいじめの原因になった事例もあり、県教組は鹿児島市で4日から開かれた県教育研究集会で報告。調査結果を40年ぶりとなる「教育白書」にまとめる方針だ。 調査は小、中学校の教職員と保護者に対し8‐9月に無記名で実施。徴収金未納などについて教職員1340人、保護者779人から回答を得た。 徴収金の未納があると答えたのは、学級担任教諭957人中、399人(約42%)。うち83人の教諭が自分で立て替え、132人は督促などを行っていた。190人が未収金のままだった(重複回答)。 督促の方法はほとんどが電話や文書だが、中には家庭、職場への訪問も。「卒業アルバムと引き換え」として、結局アルバムを渡さなかった例や、管理職が「回収できなかったら担任の責任」と発言したり、職員室の黒板に学級ごとの徴収金残高を書き出し、担任に“取り立て”を競わせたりした例もあったという。 未納が原因で、子どもが「食い逃げ」「給食泥棒」などといじめられたという指摘もあった。 また教職員の80%以上が「保護者の経済力が子どもの学力格差に影響している」、保護者の約60%が「教育費を負担」と感じていると回答した。 県教組は「この生の声を通じて教育予算の増額、保護者負担の軽減を訴えていきたい」と話している。=2006/11/06付 西日本新聞朝刊=以前に給食費を払わず遊興やぜいたく品はしっかり買っている親という記事を紹介したときこういう風なことが起こるだろうなあとは感じていた。 理由は簡単で世間の追い風があれば徴収できるという風潮が生まれたから。 ここでデリカシーのない馬鹿学校は上記のようにサラ金取立て屋と見紛うような方針を取ることとなり、教師の本分は何であるかを忘れてしまうのである。なぜ教師が給食費を立て替えるのであろう??教師とはなんであろう??こういうときにまったく機能しないPTAという組織の存在価値はどこにあるのか!払わないということと払えないということは違う、払えない家庭を助けるのは学校ではないPTAが会費を水増しでもしてこっそり補助でもしろ! 払わない家庭に対してはPTA会議で取り上げ、地域と学校が一体となって義務の履行を推し進めればよい。と書きつつ、現実は地域の助け合いの活性化よりも給食費すら払えないというような噂話ばかりで余計に肩身の狭い思いをするのだろうなあと思っていたりする。しかしながら教師とは崇高なるものである、お金の取立てなどという下劣な仕事をさせることは許されないのだ、そして崇高なる存在として子供たちに接する自覚を持っていただきたい。最後の太字の「保護者の約60%が教育費を負担と感じている」について一言・・・教育費と給食費は全然違う、教育費を負担に感じても給食費を負担に感じる親は皆無だ・と・思う、あくまで感想、乾燥、完走。 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年11月06日
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「3等賞だったんだよ!」。運動会のメダルを首にかけ、うれしそうに跳びはねる男の子。新潟県中越地震で車ごと土砂崩れに巻き込まれ、奇跡的に救出された皆川優太ちゃん(4)だ。母と姉を失うつらい経験から間もなく2年、自然に囲まれた魚沼市で家族や近所の人に見守られ、明るく成長している。 将来の夢は「宇宙飛行士」。「お母さんとお姉ちゃんを迎えに行くんだ」。亡くなった母貴子さん(当時39)と姉真優ちゃん(同3)は「お空の上にいるんだよ」と教えられている。 同い年の孫を持つ近くの女性(68)は「優太ちゃんは、うちのより頭1つ分は大きい」。保育園の帰りには女性宅の庭で道草する。先日はヘビに出くわすなり、追いかけ始めた。「『危ないから、やめなさい』言うたら『ヘビなんか怖くないよー』って。あの子は豪傑だよ」と笑顔で話した。 地震の記憶は消えていないようだ。唐突に「暗い中でお母さんとお姉ちゃんの名前を呼んで、我慢して待っとった」と閉じ込められた当時のことを淡々と話し始め、周りを驚かせることも。近くに住む親せきは「覚えているんだなと思って、言葉にならなかった」。 祖父の敏雄さん(70)は「優太のことは、そっと見守ってほしい」と、近くの人に話している。日刊2004年10月23日17時56分に新潟県中越地方においてM6.8の地震が発生、 その後も震度6強を複数回観測するなど、あのときのテレビテロップには常にこの速報が流れていた気がする。 その中でも、土砂崩れにより車が埋まる災害に見舞われた皆川さん母子。画面には三人とも生きているという情報が当初流れたが、その後優太くんだけが奇跡の生存者として助けあげられることとなった。 余震が続く中レスキュー隊の人々も自らの命をかけ、この子を救ったのだ。優太くんが生存できた理由を科学的に説明することは不可能、あのような狭いスペースが偶然つくられ、母や姉が動かない寂しさと真っ暗な恐怖の中でジッと我慢し、陽のあたる大地に戻ってきた彼が、今度は宇宙に飛び立とうという夢を抱いているというのか。もう少し年齢を重ねると、宇宙に行っても会えないかもしれないことに気づくかもしれないいやもう気づいているかもしれない。 優太くんが悲しい現実を受け入れて一歩すすんだとき、亡き母は少し強くなった我が子を、亡き姉は少し強くなった弟に安心してあの世に戻っていくことだろう。 それまでは祖父の敏男さんの言うとおり、そっと暖かくまわりの人は見てあげて欲しい。 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年10月21日
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都留市の小学校で学年主任の女性教諭(47)が、給食時間に立ち歩いていた4年生の複数の児童に「イヌやネコと違うのだから座りなさい」と注意し、近くで聞いていた男子児童(9)の両親が同小に抗議していたことが分かった。同市教委は不適切な発言だったとして学年主任らに口頭で注意した。 市教委と同小によると、7月13日午後12時半ごろ、4年生の複数の児童が立ち歩きながら給食を食べていたのを見回りをしていた学年主任が見つけ、着席して食べるよう注意。児童らが座らないため、言い聞かせるため発言したという。 児童が両親に話し、外国国籍を持つ児童の母親が「動物を引き合いに出すとは日本の教育には限界を感じる」、日本人の父親は「子どもが、自分個人に言われたと思っている」と抗議。男児は同月14日から登校していない。 男児は近く、母親の出身地の海外に引っ越す予定だが、同小の校長は「特定の児童への発言ではなく、誤解があれば解きたい」と話した。【藤野基文】毎日新聞 2006年9月2日「畜生にも劣る」という仏教の影響から生まれた言葉がある、それはそれでいいとして子供が犬猫と比べられたことが嫌なのか、犬猫レベルの教育しか家庭でしていなかった事実を突かれて図星梅干だったのか、怒り心頭で本国へ逃げ帰るらしい校長さん、誤解もクソも無い、立ち食いを教室内でしていたバカ生徒に躾すら出来ない親に対し、はっきりと我が国の将来が不安ですと言い切ってみろ、へっぴり腰が慶次の小学校時代、給食を立ち食いしていた児童はゼロであることを付け加える。給食を時間内に全部食べられず、泣きながら掃除の時間も格闘していた奴はいたが・・・ 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年09月03日
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様々な方々のブログを閲覧させていただいているが、本日は2件ほどご紹介。まず以前「日本の習俗、文化、宗教について書こう」テーマを選んでね、という記事を書いたが、早速、慶次のお気に入りブログの仲間である「ZAGZAGさん」が地元茨城の新盆回りについて書いてくれた。(詳しくはリンク先へどうぞ)この記事で非常に気になった部分は、行事が現代風にアレンジされていくところ、会社や生活スタイルの変化が元来始まった伝統の意義を無視してしまっていく、それは時代の流れとして仕方ないと割り切れるものなのだろうか、以前、祝祭日が連休になるように勝手に第二月曜日に移動するというわけのわからないことに対し物申したが、物事は意義があるから続いているのではないか、だから伝統といえるのだ。形骸化した伝統なるものは、おそらく長くは持つまい。ZAGZAGさんの地元茨城の新盆回りは盆の意義からはずれてくことが懸念される、できれば元にもどして欲しいものだが、なかなか難しいだろうなあ。石岡祭りだけは伝統として14、15、16日に行って欲しいものだが・・・ZAGZAGさんは能の記事を書かれていらっしゃる御仁、初歩的なことから鑑賞日記まで書かれているのだ。 観劇ファンはアクセスすべし。もうひとつ、記事のご紹介、これもお気に入りブログのお仲間、「nhatnhan625さん」の中国事情。 氏はプロフィールの紹介文通り、中国の大学で日本語を教えていらっしゃる御仁だ。だからネットや新聞などの中国報道より全然面白い、中国人の欺瞞を鋭く突く記事を読めるのでおすすめだ。 今日の記事「中国のマナー」は面白かったなあ。交通事情と横断歩道について書かれているが、日本にいては「ん?」と思うようなことが中国では「?」なんだ、ぜひリンク先で読んでいただきたい。 いい加減にしとけよ、イスラエル 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年08月13日
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もうすぐ400000ヒットだそうです・・・慶次のブログはキリ番は「地雷」、災難が降りかかることでしょう。”大切なお知らせと勧誘”ええ、実は慶次がテーマを決めた「日本の習俗、文化、宗教について書こう」というものがあるのですが、三人文殊さんと慶次しか書き手がいない!! なぜだぁぁぁぁぁぁ!!!自慢じゃないが、三人文殊さんのほうがたくさんテーマ投稿していたりする・・・難しいタイトルのようですが、要は日本に昔から根付く事柄を書きましょうというだけの内容だったりします。例えば、お祭り、子ども会の夏休みのラジオ体操、お寺の行事、懐かしい風景、思い出、自分の家庭に伝わる変な儀式、礼儀作法、とにもかくにも、様々な地方にいる方々が日記を書いているわけですから、その地方に伝わることなんかを書けば、それだけで文化・習俗なのです。ということで、みなさん、昔から伝わる文化や習俗のネタを書くときは「日本の習俗、文化、宗教について書こう」をテーマに選んでくだされ。 追記打倒、ニュース! 6万を軽々と越す投稿量。ちなみに日本の習俗・文化は200弱・・・ぷっ。 水難事故が続いております、お子さんをお持ちの方は十分にご注意を!『日本の祭り(ビデオ)』 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年08月04日
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夏といえば扇風機、扇風機を見るとなぜか「ヴァ~~~~~~~」とやってみたくなりますな、その後、当然のように、「ヴァレヴァレはヴュジュウビンヴァ・・・」我々は宇宙人だ・・・定番ですな定番、みんなやってることです、恥ずかしがらずにさあ、あなたも今日から宇宙人だ! (暑さでおかしくなりました) 明けましておめでとうございます、梅雨明けですが・・・ 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年07月31日
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しばらく更新をお休みします、コメント、トラックバックは受け付けない状態に致しますので、お問い合わせやコメントはメールを御使用してくだされ。 そのようなわけで、過去の記事の中からいくつかピックアップリンクしておきますので、お暇なときには目を通していただけたら嬉しゅうございます♪ミスティック・リバースパイ・ゾルゲ文明論之概略/福澤諭吉日本の高校生に土下座を強要大東亜戦争 終戦まで 8月10日「古事記」を読もう 宮崎アニメが好きならば各党 主要政策出揃う 争点は郵政神社へ行こう!! 経済発展の行き止まり? ふと考えたこと防災の日 地震対策 都民必見 米南部を襲った大型ハリケーン「カトリーナ」と日本日本道路公団 ファミリー企業にメスは?! 日歯連裏献金事件 ~単なる賄賂です~三島由紀夫と石原慎太郎姉歯、(株)ヒューザー、倒壊建物問題 ~おじゃまモン~偽善とは・・・ 追記 ホワイトバンドを斬る中国政府・地方政府と農民の実情と変革永田と民主党が突っ走った背景「もったいない」という概念と言葉ルワンダ大量虐殺福田氏が首相になる日 揺れるガス田 1食料自給率は最低です アメリカの穀物メジャーの脅威山口県光市母子殺人事件韓国国定教科書 近代項目を蹴る~ダ・ヴィンチ・コード~少子化と安全に関する意見を送付したい *左サイドバー、フリーページもいろいろメニューを 取り揃えてございます、どうぞお試しあれ。 今年の夏は猛暑でしょうか、冷夏でしょうか・・・できれば酷暑がいい(笑) 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年06月02日
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「神秘家の庵さん」のブログに触発され、ご紹介いたします。現在、白血病を治す特効薬は開発されていません。白血病の特効薬を作るのに白血球を促進するたんぱく質を特定、解析しなければならないからです。しかし、そのためには現在のペースでは長い年月がかかってしまいます。そこで、世界中のコンピュータを利用することによって、そのたんぱく質の特定と解析を短くしようというプログラムが作られました。 (記事全文:白血病解析プロジェクトより抜粋)「参照URL」白血病解析プロジェクトとチーム2ch参加あなたも白血病解析プロジェクトに参加しませんか?白血病解析に協力しよう!*しばらくトップページにも貼っておこうと思います、よろしくお願いします。 昨日、実は胃癌で苦しむ夢を見ました・・・ 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年05月09日
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「え~最近、民家近くまで熊が下りて来て、人を襲う例もあるそうです、 怖いですね、付近の住民の方々は気をつけてください」バン! ・・・ ってなわけでおいらは撃たれたわけ、麻酔銃と思ったら本物のハジキだったんだな、これが・・・痛えさ、でもわかんねえだろ、熊語(笑)「いやあ、危機一髪でした、山菜取りに来てたのですが、いるはずがない熊が 目の前にいきなり飛び出してきたのです、目は血走り威嚇してきました。 これは殺されると思い、隙を見て走って逃げたんですよ、運良く猟師さんが・・・」ちょ、ちょい待てよ、死人に、いや死熊に口無しってか!?お前が、おいらの餌をぶちぶち切り取ってたんだろ、こっちは腹ペコだってのに、色や形を品定めして、駄目なものは足で踏み潰したんじゃねえか。おいらはこの山の7丁目の管理人だから、注意しようと近寄ったら、ギャーギャー騒ぎ出して、石まで投げやがった・・・おいらが立ち上がって、まあまあと手を振ると何を思ったか、小便ちびって走り去る始末、捨て台詞に、「覚えてろよ」だってさ、いちいち覚えてるかっつうの、冬眠したら忘れるってんだよ。 それにしても、一言「ごめんね」って言えないかね? そんでもって追いかけたらズドン!「はい、そうです、明らかに最初から私達を襲おうと狙ってたのでしょう、 休日にリフレッシュを兼ねて、山菜取りに来たのですが、ビックリですよ、 もう少し行楽地として、安全面に気を遣ってくれると嬉しいのですが・・・」あらら、そんなこと言っちゃった、な~にがリフレッシュだよ、こっちは命がかかってんのによ、おまんまが取れなきゃ死んじまうんだよな、これが。子供6人抱えて働いてるおいらの身にもなれってんだ、こんにゃろめ。「こちらの方にも、インタビューしてみたいと思います」「・・・そうですね、行楽地ということで来てくれることは嬉しいんですが、 ゴミは持ち帰らない、時には人の土地に入り込んで作物を盗む人もいます。 面白半分に育った野菜を掘り起こし、そのままにしていく人も・・・」「CM入ります」ちっ!なんでえ、おっちゃんがホントのことを言ってくれてるのにカットかよ、「おいこら、熊五郎、もうよいではないか、天界でのんびり暮らせ」おお、カミサマかい、そうだな、天界なら領土争いとかないんだろ? なあカミサマ「うむ、それに言葉の壁がないのじゃ、思いは念ずれば通ずるぞ、熊と人もな」よっしゃ、天界行くぜと言いたいところだが、残していく嫁と娘達を思うと・・・*この話は、あくまで作り話です。 あ熊で・・・ 大熊座、子熊座ってわかります? たまには、空を見上げてみましょうよ 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年05月07日
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昨日は、お天道様に挨拶をするという古来の習俗文化を書きました、そこで今日は「大人や子供の発想力」について、少し思うことを書き連ねてみたいと思います。よろしかったら、一緒に読みながら、自分なら、こう想像すると答えを出しながら読んで下さい。子供は「いただきます」と言う時、何故いただきますなんだろう?と思うことがあります、では、子供が「なぜ?」と聞いたら、どうしますか、これは子供と仮定しなくても友人に聞かれた場合も当てはまることです、ここで「決まってるから」と答える人は自分自身もなにも考えたことがない、または普段から考える癖がない人だといえます。大人と子供の大きな違いは、経験値と感情を抑えることができるかどうかという点でしょう大人は、経験上、知ってることを頭に浮かべて答えが硬直、または「それくらい知ってるだろう」と、少し横着をします、それは子供には大変なダメージを与えると思います。慶次が子供の頃、「なぜ?」という疑問をいつも持ちました、ただ思慮深いほうなので聞けずに黙っているほうでした、しかし、常に頭には「なぜ?」というクエスチョンマークが浮かんでいるものでした、ですから、よく自分で調べたものです。慶次は、自分で調べる癖(性格)があったから良かったようなものの、疑問をそのまま残す、または疑問を聞いても答えてくれないために、好奇心の芽が摘まれることもあるでしょう。そうなると、もはや、受身の人生に進みます、テレビを見て受身、与えられるまま受身これは悲劇です、ここで「いただきます」を使い、少し具体的に話してみましょう。「いただきます」という言葉、これは目の前に並べられる食事を食する際にかける言葉ですがここから何をイメージするでしょうか、「作ってくれた親の姿」でしょうか、確かにそれも含まれる大切な要素ですが、米の販売員、まあ店ですね、次に米を店まで運搬する人々、そこから米をつくる農家の方々とつながりをイメージできます。これが大切なのは、自分の口に運ばれるまでに、たくさんの人の手を経てきた事実を知ることとなれば、流通の基本を知ることが出来る、そう経済を知ることができるのです。子供にとっては、立派な知識であります、もっと進んでどうやって価格が決まるかまで興味を持つかもしれません、では農家の苦労を知ることはどうでしょうか?すべて想像してください、米つくりの工程を、肥料に気を遣い、夏は台風、長雨の辛さを経て秋には黄金色に実る穂を刈り込むのです、ここで満たされる好奇心はなんでしょうか?農家の方々ありがとう! これは違います、これは礼儀ですから、また後で、好奇心とは、「どうやって米は出来るのか?」そこからスタートして、どうやって守るのか、どうすれば、もっと米を取れるようにできるのかという様々な物づくりに対する知的好奇心魚はどうやって捕れるのか、海や川でどのような生態系を成してしるのか・・・子供は貪欲です、その気になれば、こういう知識を得ようとしますし、一回頭に入るとなかなか忘れません、またこの思考ルーティンは、簡単には崩れません。礼儀の部分ではどうでしょう、母親がつくってくれた感謝だけに終わるのでしょうか?いえ、先ほどの経済的思考が少しでも入っていれば、父母の稼ぎにより「食」することが出来ているんだと理解できることは容易でしょうから、家族のつながりを感じることが出来ます。笑顔の店員さん、運んでくれてた人、すべてにつながりのある関係を心で構築しこの人たちのおかげで、米が食べられると感謝できます、さらに農家の方の努力を想像し自分ひとりでは生きていないということを実感できます、さらに、ここからが重要です。米が取れる「大地」「水」「太陽」と、様々な自然現象が絡み合っていることをイメージしてみましょう、ごく当たり前と思っていたこと、この一つも欠けてはいけないのです。子供の頃に、「いただきます」という言葉から、これだけいろいろ想像を働かしてみると大人になっても、意外に忘れないものです、そしてこの知的好奇心の追求と思考の広がりはプラスになりこそすれ、マイナスには絶対なりません。テレビを全否定するわけではありませんが、イメージしてください、司会者は疑問を投げかけるそれについて説明する、コメンテーターに聞く、答える、このルーティンの中には「私」は入っていません、バラエティ番組も、掛け合いを見て、こちらは参加しません。疑問を投げかけたら、答えようと努力する、一緒に考える、表情を読み取るこういった全ての要素は、テレビにはありません、ですから、人間関係は大切なのです。たまには、「なぜ?」と、つまらないことにも興味を持ってみませんか? ↑ ↑発想力は、脳の柔らかさ、それは年齢では決まりません、好奇心です掲示板のトップの、火鉢を仕舞いました、まだ寒いのに・・・ω((ガクガクブルブル)) 一 夢 庵 風 流 日 記
2006年03月29日
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