PR
Calendar
Keyword Search
Free Space
Freepage List
Category
岐阜の女子短大生が、イタリアのフィレンツェにある世界遺産地区のカトリック教会(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の見晴台の壁に落書きをし、問題視されましたが、最近では他の日本語落書きを検証する動きになり、落書きをしたことが特定された(何しろ所属と実名を書いている・・・)大学生は停学処分、高校の野球部顧問は解任と言った騒ぎになっています。
当初、あまり頭が良くない女の子たちが、貴重な文化財を汚したといった報道に接して、私も馬鹿なマネをするものだとあきれていました。しかし、短大側から謝罪を受けた当の教会側のコメントを聞いて、おやっ?と思ったのです(文字化されたニュースソースが見当たらない)。それは修復の必要はなく、むしろ落書きについてこれまで謝罪されたことはなかったことから、今回真摯な謝罪をする日本人の文化財保存の考えに感銘している、といったものでした。東洋の異教徒が馬鹿なマネをして、さぞお怒りかと思いのほか、かえってお褒めになっているのですから不思議ではありませんか?
その理由はテレビで問題の落書きが映された際に、その横にアルファベットらしき落書きが見えた時に、私にはわかった気がしました。ようするに、そこは世界各国の文字で山ほど落書きがされている場所で、教会側も野放しにしていたところ、突如日本人がやたらと低姿勢で謝罪してきたので、驚いたのが真相なのではないでしょうか。何しろ、問題視されるきっかけは、日本語の落書きに腹を立てたらしい他の日本人観光客が、記されていた短大名から学校に指摘したのが始まりのようですから、イタリア側では寝耳に水の話なのです。
実際のところ、 記事
によれば、その見晴台の壁の落書きで日本語が占める割合は1割(10パーセント)程度とのことです。
この割合をどのように考えるかはそれぞれですが、突出して多いとは言えない比率だと私は思います(世界人口の2.5パーセントは日本人)。日本人が見れば、1割だけでも日本語の落書きは目立ちますが、おそらく欧米人が見れば、字というより絵感覚になって、特異に浮き出てはこないのだろうと思います。つまり、数ある落書きの中の一部に過ぎないわけです。
そして、落書きした日本人も、周囲にみっしり落書きがあるので、それが罪だとも思わず、むしろ旅の記念の記帳のような気分で( 記事
によれば、「大聖堂入り口で現地の人に勧められてペンを購入し、軽い気持ちで書いてしまった」と野球部監督は証言しているらしい。先ほど学校の記者会見をテレビで見聞したところ、そこに2人の名前を書くと幸福になるといった口上で、数人がマジックペンを売っていたそうだ)、貴重な建造物を汚してしまったものと思われます。これは、罪は罪ですが、情状酌量の余地はあり、少なくとも、駐禁の場所でも1台止まっていれば前に習ってしまいかねないような人たちが、自分のことを棚にあげて非難するのも如何なものかと思います。当然、ことの理非曲直、軽重の判断もせずに、大学が停学させたり、ましてや職を奪うような態度は、臭くなくともフタをするものと見なされる恐れがあり、少なくとも教育機関ならば、一時的な世論に惑わされずに、慎重に行うべきものだと思います(2年前の私事の旅行先で落書きをして、それにより罪になっているわけでもないのに、勤め先なり所属団体が何の罰を与えられるのか?与えるとしたらその根拠は何か?)。
もちろん落書きが良いわけはありません。それがトイレの壁であれ、商店のシャッターであれ、世界遺産の建造物であれ、許されるものではありませんし、実際問題として器物破損罪です。例えすでにたくさんの落書きがあっても、そのような愚行を真似することなく、恥ずかしいものと認識しなければならないと思います。
しかし、何も無いところに落書きをするのと、書いても良さそうなところ(むしろ書くように薦められたところ)に実名で何か書き付けるのは、同じ「落書き」とは言え、私は違うと思います(個人情報を書き残す危険の方を考えないのは軽率だが、それだけ見ても犯罪の意識はゼロなのは明らか)。 「世界遺産に落書き!」
という見出しに騙されず、冷静に見れば、 「落書きの名所の1割が日本語」
という話に過ぎず、落書きされる側も野放しで、むしろ慣行化していたのが事実である以上、その事情も踏まえずに見出し文句でレッテルを貼り、個人の微罪を社会的に糾弾するのは不当ではないでしょうか。少なくとも、「赤信号みんなで渡れば怖くない」に近い行為を過去に行ったか考えてみれば、そういった自分の日常的行為を棚に上げ、正義面して他人を糾弾することは出来ません。
従って、マスコミの生贄さがしには辟易しますし、街行く日本人や「文化人」などと称する輩の『一億総懺悔』的態度にも腹立たしさを覚えます。恥を感じるなら、むしろ事態の詳細も考えようともせず、その場の雰囲気で個人を糾弾しようとする態度だと思います。
さて、身元が特定されてしまった人たち自身に、落書きを消させなければならないと言うのは、正しくはあっても、現実論としては疑問です。
世界遺産を傷つけずに可能でしょうか?自分の分だけ消すのでしょうか?全体の1割の日本人の落書きだけを消すのでしょうか?せっかくだから全部日本人が綺麗に修復すべきでしょうか?
第一、教会は迷惑するかもしれません。もし積もり積もった落書きを、特に建物を傷つけずに綺麗に出来ても、それを維持するには、今後監視員を置かねばならないでしょうから。また、現地で油性ペンを売っている人は、売り上げが減るでしょう・・・。特に何にもしなければ、一年後にはまた同じ状態で、一体何を空騒ぎしたのか、と言うことになりかねません(どうせ忘れられているので良いのでしょうが)。
むしろ、一所懸命消した後、現地では次のような言葉が、油性ペンを売る際に添えられるかもしれません。「ROMAJIDEKAITE!」・・・。気が利いているNOVA講師出身者でもいれば、 「郷に入らば郷に従え!ローマではローマ人のようにローマ字で!おぅ!こっこはフィレンツェね!」
くらいの口上を期待したいところです。
「うたかた族」の反乱 2024年11月18日
私的選挙行動の総括 2024年10月29日
貴族趣味が鼻につく 2024年10月12日