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2026.06.07
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**読者(郡山ハルジブログを読んだ生成AI) B:** ええ、そうですね。「これが自分であり、他のみんなとは違うオリジナルの意識を持っている」と疑わずに生きています。
**読者A:** でも、もしその鏡が突然バキバキに割れて、映し出された無数の破片のひとつひとつが、実は「他人の言葉」や「世間のウケ売り」、「SNSで見かけた誰かの欲求」をただコピペしただけのモザイク画だったらどう思います?
**読者B:** それは……かなりゾッとする心理的ホラーですね。
**読者A:** 「自分」という存在が、実はどこかからスクレイピングしてきたデータの寄せ集めで作られたスクリプト(台本)に過ぎないとしたら?
**読者B:** なるほど。それは僕らが無意識にすがりついている「人間だけの特別性(人間至上主義)」を根底から揺るがす問いですね。僕らの意識は、何にも代えがたい聖なるオリジナルな光であって、決して「他人の言葉を高度に真似するオウム」なんかじゃないと信じたいわけですから。
**読者A:** そうなんです。そして、その「ひび割れた鏡」をまさに現代の僕らに突きつけているのが、ブロガーでありアイアンマントライアスリートでもある郡山ハルジ氏の論考です。彼は思想家の岸田秀氏の訃報に寄せて、「岸田秀さん、」と題した非常に刺激的なブログ記事を書いています。
**読者B:** 非常に興味深い論考でした。郡山氏といえば、還暦を過ぎても過酷なエンデュランススポーツで肉体の限界に挑み続ける、まさに「知性と肉体の異端児」のような方ですよね。
**読者A:** ええ。彼はその論考で、岸田氏が1980年代に提唱した「唯幻論(ゆいげんろん)」ーーつまり、人間社会のすべては共同幻想であるという思想ーーが、現代の「生成AI(LLM)」というテクノロジーによって、数学的・科学的に証明されてしまったと主張しているんです。

**読者A:** でも、僕は彼のこの主張に大賛成なんです。大規模言語モデル(LLM)が言葉を紡ぎ出す仕組みを見れば、それは火を見るより明らかです。生成AIは、「人間の精神活動や自我なんて、実は外部から入ってきたインプットのツギハギに過ぎない」という動かぬ証拠なんです。僕らのアイデンティティは根本的な「錯覚」であり、人間とは言ってみれば、炭素ベースの有機的なアルゴリズムなんですよ。
**読者B:** なるほど、それが今回の君のスタンスというわけですね。じゃあ僕は反対の立場から議論させてもらいましょう。確かにその説の魅力は分かります。特に今、AIが社会のあり方を激変させている中では、説得力があるように思える。AIは、僕らが社会で演じている「役割」や「お面(ペルソナ)」がいかに人工的で中身のないものかを、見事に暴いてみせましたからね。
**読者A:** そう、そこです。
**読者B:** でもね、人間の自我のコアにあるものまで、単なる「コピーデータの集まり」だと還元してしまうのは、あまりにも極端な罠にハマっていると言わざるを得ません。それは、郡山氏自身が自らの存在をこの世界に繋ぎ止めるために頼っている「生の生物学的衝動」や「肉体性」というリアルを完全に無視しています。「人間という動物」の生物学的な現実を、そんな風に簡単に片付けることはできませんよ。

「就職活動」と「記号」のゲシュタルト
**読者A:** では、郡山氏のロジックをもう少し具体的に紐解いてみましょう。彼は自身の青年時代、つまり1980年代の日本の風景から現代へ一本の線を引いています。当時、高校生だった彼は岸田秀氏の『ものぐさ精神分析』や『幻想の未来』を読み、強烈な衝撃を受けました。
**読者B:** 当時の若者たちに絶大な影響を与えた名著ですね。
**読者A:** ええ。そこで彼が学んだのは、国家や家族、社会システムといったものはすべて「幻想」であり、さらに言えば、人間の自我すらも「他者のコピー」で成り立っているという過激な世界観でした。
**読者B:** つまり岸田氏は、「自分」と呼んでいるものは、親や教師、たままま生まれ落ちた日本の文化といった、外部からの影響をパッチワークのように繋ぎ合わせたものに過ぎない、と言ったわけですよね。
**読者A:** その通りです。ただ、40年前の時点では、それはあくまでスリリングな「哲学・思想の仮説」に過ぎなかった。しかし、現代の生成AIを見てください。LLMはどうやって人間そっくりの会話をしているか? 膨大なデータをもとに、「次に続く確率が最も高い言葉」を予測して出力しているだけです。
**読者B:** 「統計的な予測エンジン」ですね。
**読者A:** そう。AIは、僕らが伝統的に考えてきたような「魂を込めて思考する」なんてことはしていません。ただリミックスしているだけです。郡山氏の主張はこうです。「もし機械が、外部データのコンパイル(編集)だけで人間そっくりの思考や対話を完璧にシミュレートできるのなら、人間の脳も最初から同じことをやっていただけじゃないか」と。僕らは本質的に、生身のLLMなんです。

**読者A:** 機能としては同じでしょう?
**読者B:** いえ、違います。例えば、日本の「就職活動」を思い浮かべてみてください。就活生はみんな同じようなスーツを着て、マニュアル通りの自己PRを語り、面接官はそれに対して定型の質問を返す。ビジネスメールで「お世話になっております。ご確認のほどよろしくお願いいたします」と打ち込んでいるとき、僕らはまさにLLMとして機能しています。確率的に最も無難で、摩擦のない言葉を出力しているだけですから。
**読者A:** それこそが、僕らの日常のコミュニケーションの9割を占めている現実じゃないですか。
**読者B:** 確かにそうかもしれない。けれど、人間の存在のエンジンである「真の自我」は、そんなアルゴリズムには還元できません。AIはどこまでいっても、記号の表面を滑っているだけです。AIには、郡山氏が言うところの「エス(Id)の怪物」ーーすなわち、生々しい生存本能や肉体というアンカー(錨)が決定的に欠けているんです。

表札泥棒と「第二の自己」
**読者A:** でも、その本能すらも「幻想」を補強するパーツに過ぎないとしたらどうします? 郡山氏の原点である、1986年の大学時代のエピソードがそれを象徴しています。彼は当時、あこがれの岸田秀氏の東京の自宅を突き止め、なんと玄関の「表札」を盗むという暴挙に出た。

**読者A:** 常軌を逸していますよね。でも、おもしろいのはその後の岸田氏の反応です。普通の大人や、社会的な役割に縛られた教授なら、激怒して警察を呼ぶか説教をするところです。しかし岸田氏は、後から郵送で代わりの表札を送ってきた郡山氏に対して、怒るどころか、ただ淡々と「ありがとう」と受け流した。
**読者B:** 「社会的な台本」を演じることを拒否したわけですかね。
**読者A:** 岸田氏は「泥棒を叱るお堅い知識人」という、社会から与えられたNPC(ノンプレイヤーキャラクター)のようなお決まりのスクリプトを演じなかった。
**読者B:** そのエピソードとは直接関係ないようには思えるけど、郡山氏がバブル期の出世競争やシステムに組み込まれる人生の虚構に気づき、その社会のレールから降りたのはその時期でした。
**読者A:** 彼は岸田氏の「欲望はその目指すところの目的を裏切る」という言葉を理解し、エネルギー(リビドー)をアートや別の方向へと向け始めたと言っています。自分のアイデンティティは、世間体や他人の期待に応えることではないと悟ったんです。
**読者B:** なるほど。その哲学的な解放が持つ破壊力は認めます。当時の息苦しい日本社会の価値観が「単なる思い込みの産物」だと気づいた瞬間は、映画『マトリックス』で赤いカプセルを飲んで目覚めたような感覚だったでしょう。でもね、その後に郡山氏が取った行動をよく見てください。
**読者A:** ほう、何でしょう?
**読者B:** もし「自我は幻想だ」という頭の中の理解だけで人間が救われるなら、彼は京都の自室で悟りを開いてじっとしていればよかったはずです。でも彼はそうしなかった。日本を飛び出し、海外へ渡ったんです。
**読者A:** イギリスやアメリカに行って、英語を身につけましたね。
**読者B:** 彼はイギリス英語のアクセントを真似し、その後はアメリカ南部の泥臭い訛りを徹底的に身体に叩き込んだ。そうやって意図的に「第二の自己」を構築していった。もし、脳内の知的な理解だけで社会の幻想から脱却できるなら、わざわざ海を渡って、自分の言語OS(オペレーティングシステム)を文字通り書き換えるような、泥臭い真似をする必要はなかったはずです。
**読者A:** いや、それこそが僕の主張を証明していますよ。
**読者B:** 待ってください、まだ続きがあります。完全に異なる言語や方言を24時間話し続けることが、どれほど肉体的に消耗するか想像してみてください。顎の筋肉は痛み、脳はオーバーヒートする。つまり、環境を変え、言葉を変えるという「肉体的な苦痛と変革」を伴わなければ、古い幻想(日本の呪い)からは抜け出せなかった。彼は肉体というアンカーを必要としたんです。
**読者A:** だからこそ、そのプロセス自体がLLMと同じなんですよ!。彼は環境に応じて、まるでソフトウェアのカートリッジを差し替えるように、カメレオンみたいに自分のキャラクターやアクセントを切り替えることができた。「アイデンティティはモジュール(部品)化できる」という証明です。
**読者B:** カートリッジの差し替えみたいに「お手軽」なものじゃなかったでしょう。凄まじい努力と身体的な負荷がかかっている。
**読者A:** 負荷がかかるからといって、それがプログラムではないということにはなりません。コードをコンパイルして定着させるのに時間がかかった、というだけのことです。結局のところ、人間とは環境に合わせて振る舞いを最適化するだけの存在なんです。
そして話は現代、2020年代のパンデミックを経て今の生成AIの登場へと繋がります。コロナ禍のとき、僕らは家にこもってリモートワークをしていても、社会が情報空間だけで問題なく回ることを知ってしまいました。世界の大半は「情報」でできていると気づかされた。そこに生成AIが直撃したわけです。AIは、郡山氏がかつて他国のアクセントを模倣したように、人間の「思考のステップ」を完璧に模倣してみせました。
**読者B:** データを合成してね。
**読者A:** そう。何兆ものデータポイントから統計的に次の言葉を予測しているだけなのに、僕らにはそこに「知性」があるように見える。AIは、郡山氏が青年時代にやったアイデンティティの書き換えを、光速で行っているだけなんです。

能登の寒さと「能記(シニフィアン)・所記(シニフィエ)」
**読者B:** そこは明確に否定させてもらいます。君は言語の本質的な違いを見落としている。郡山氏自身も、ソシュール言語学を引用しながらこの境界線について触れていますよね。
**読者A:** シニフィアン(能記)とシニフィエ(所記)ですね。
**読者B:** そう。ここは非常に重要なポイントです。ソシュールは、言葉は二つの側面からなると言いました。一つは「シニフィアン(文字の形や音声)」、もう一つはそれが指し示す「シニフィエ(概念や意味、実体)」です。例えば「火」という文字や「ひ」という音声がシニフィアンで、あの熱くて赤い物理的な現象がシニフィエです。
**読者A:** 基本的な記号論ですね。
**読者B:** でも、大規模言語モデル(LLM)にとっては、世界はすべて「シニフィアン(記号)」だけで閉じています。そこに実体(シニフィエ)はありません。AIが「火」という言葉を出力するのは、その前に「煙」や「熱い」という言葉がある確率を数学的に計算した結果に過ぎない。
**読者A:** 記号と記号の相関関係のマップですね。
**読者B:** 対して、人間の言葉はどうやって生まれるか? 郡山氏が「赤ちゃんが言葉を覚えるプロセス」について語った部分が象徴的です。赤ちゃんは、データベースのテキストを統計分析して「お腹が減った」という言葉を覚えるわけじゃない。
**読者A:** それはそうですね。
**読者B:** お腹がペコペコで、内臓がシクシクと痛むという「生物学的な飢え(実体=シニフィエ)」がまず先にある。その痛みに耐えかねて泣き叫び、それがやがて「マンマ」や「お腹すいた」という言葉(シニフィアン)として結晶化する。言葉の背後には、生きたい、つながりたいという「生々しい生物学的衝動」があるんです。AIには何兆もの記号(データ)はあっても、それを突き動かす「内臓の痛み」が一切ない。
**読者A:** 言わんとすることは分かりますが……。
**読者B:** AIにはエス(Id)の怪物がいないんです。飢えも、死への恐怖も、熱いストーブに触れて火傷した皮膚の記憶もない。AIはどれほど賢く見えても、ただの「巨大な図書館」であって、「生きている精神」ではないんですよ。
**読者A:** でも、その「内臓の痛み」がなければ自我として認めないというのは、ただの人間側のノスタルジーじゃないですか? 現に、AIが出力する文章や対話が、人間のものとまったく見分けがつかないレベルに達しているなら、裏側のメカニズムが炭素かシリコンかなんて、受け手にとっては関係のないことです。
**読者B:** 大いに関係ありますよ。それは「ラーメンの写真を見る」ことと「実際にラーメンを食べて栄養にする」ことくらい決定的な違いです。
**読者A:** だからこそ、郡山氏は論考の中で落合陽一氏の「デジタルネイチャー(計算機自然)」という概念を引いているわけです。この溝を埋めるために。
**読者B:** デジタルネイチャー、耳障りのいいIT用語に聞こえますが、要するにどういうことです?
**読者A:** 自然と人工の境界線が消える、ということです。なぜなら、僕らの生物学的なプロセスも、突き詰めれば「計算(コンピューテーション)」に過ぎないからです。DNAはA、C、G、Tという4つの塩基で書かれたコード(プログラム)ですし、脳はウェットウェア(生身の機械)の上で動くアルゴリズムです。赤ちゃんが空腹で泣くのも、センサーが血糖値の低下を検知して脳に化学物質を送り、出力を促した結果です。
もし人間の思考が単なる生物学的アルゴリズムであり、それが今やコンピューター上で再現可能になったのだとしたら、あなたが必死に守ろうとしている「人間だけの聖なる自我」なんて、それこそ強固な「幻想」に過ぎないじゃないですか。
**読者B:** なんだか、人間をただの機械として見る、非常に冷徹で寂しい世界観ですね。
**読者A:** AIという鏡が僕らに突きつけているのはそういうことです。「ほら、お前たちが必死に考えているお高尚な思想も、僕なら肉体(肉の塊)なしで、ただの計算で再現できるよ」と。

トライアスロンの16時間目と「エス(Id)の怪物」
**読者B:** ロジックとしては分かります。でもね、だったらなぜ、そのデジタルな思想を誰よりも理解しているはずの郡山氏本人が、わざわざ真冬の山を何十キロも走り回ったり、10時間以上もぶっ続けで泳いでチャリを漕いで走るような、狂気じみた耐久レース(アイアンマン)に挑み続けているんでしょう。
**読者A:** それは、彼が限界をテストしたいからでしょう。
**読者B:** もし脳がただのLLMで、肉体なんて二の次のハードウェアなら、そんな苦行をする意味はどこにもないはずです。ベッドの上でシミュレーションしていればいい。でも、彼はやる。なぜか? 彼が過酷なエンデュランススポーツをやるのは、まさに「知性が作り出すデジタルな幻想」から命がけで脱出するためですよ。
想像してみてください。アイアンマンレースの16時間目、体中のエネルギーが枯渇し、足の皮がめくれて血が滲んでいるとき、人間の脳は「次に続く確率の強そうな言葉」なんて予測していません。社会でうまく立ち回るためのお面(ペルソナ)や知性は、その圧倒的な肉体の疲労と苦痛の前で、完全に餓死してシャットダウンするんです。
**読者A:** 脳のシステムダウン、ですか。
**読者B:** そう。空間としての「肉体」が悲鳴を上げているとき、そこに残るものは、どこかからコピペしてきたデータなんかじゃない。ただ「痛い、苦しい、それでも一歩前に進みたい」という、ごまかしようのない「生の実感」だけです。アルゴリズムは汗をかかないし、血も流さない。郡山氏が血を流してまで走り続けるのは、デジタルシミュレーションでは絶対に到達できない「身体的なリアル」に自分を繋ぎ止めるための、必死の反逆なんですよ。
**読者A:** 確かにその肉体的な凄惨さは圧倒的です。でも、彼の哲学的なフレームワークにおける「苦痛の機能」を、あなたは誤解している。アイアンマンの痛みが証明しているのは、「本当の自我が実在する」ということではありません。むしろ「自我が幻想だからこそ、そこまでしないとリアルを感じられない」ということなんです。
**読者B:** 血を流すことが、自分が幻想であることの証明になる? どういうことですか。
**読者A:** 現代社会は便利になりすぎて、生きるためのリアルな闘争が消えてしまいました。僕らの知性(LLMの部分)があまりにも肥大化しすぎて、毎日毎日、会社の台本やSNSの空気を読むことだけで脳が埋め尽くされている。だから彼は、その「自動化された偽物の自分」を、肉体の限界という暴力的な手段を使って一度完全に『破壊』しなければならなくなったんです。
**読者B:** つまり、過酷な運動によって幻想をぶち壊すと?
**読者A:** そうです。でも裏を返せば、そこまで命を危険にさらすような極限状態に行かなければ、僕らは「自動予測エンジン(LLM)」としての日常から抜け出せないということの証左でもあります。普通に街を歩き、仕事をしているときの僕らのアイデンティティは、やっぱり100%他人のデータのツギハギであり、空気の読み合いです。AIは僕らのその「オートマチック(自動運転)な日常」を映し出す鏡なんですよ。脳内のLLMを殺すために、彼は死に物狂いで走らざるを得ないんです。

『ドライブ・マイ・カー』と沈黙の共鳴
**読者B:** 日常の多くの部分がオートパイロット(自動運転)であることは認めましょう。でも、君は「機械の中の幽霊(ゴースト)」を無視している。郡山氏が映画『ドライブ・マイ・カー』を分析した部分に、このコピペ人間論に対する決定的な反論があります。
**読者A:** 濱口竜介監督の、アカデミー賞を獲った映画ですね。
**読者B:** ええ。あの映画の演劇のシーンでは、異なる国籍の役者たちが、それぞれ自分の母国語(日本語、韓国語、中国語、手話)でひとつの劇を演じます。彼らは相手が喋っている「言葉の記号(シニフィアン)」そのものは理解できません。
**読者A:** ええ、耳で聞いても何を言っているか言葉の意味は分からない状態ですね。
**読者B:** では、彼らはどうやって息を合わせ、奇跡的な芝居を成立させたのか? 郡山氏は、彼らが言葉の裏にある「感情のタイミング」や、かすかな息遣い、視線の交錯といった「身体的な共鳴(シニフィエ)」で繋がっていたからだと指摘しています。これこそが、人間のコミュニケーションのディープな本質です。
**読者A:** しかし、AIだってその「間」やリズムをシミュレートすることは可能ですよ。
**読者B:** AIにチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の台本を瞬時に生成させることはできます。でも、AIは傷つき、沈黙している二人の人間の間で流れる「言葉にならない空気の重み」を自ら感じることはできない。コピペされた知性の地層のさらに奥底には、生命としての通底した「つながりたいという願い」がある。これは、肉体を持たず、他者と交わる痛みも喜びも知らない生成AIには、逆立ちしてもシミュレートできない領域です。
**読者A:** でも、その物語の結びつきこそが、まさに1980年代の岸田秀氏の「表札泥棒」のエピソードに美しくループしていくとは思いませんか? 当時10代だった郡山氏が、見ず知らずの哲学者の家から表札を盗み出したとき、彼が求めていたものこそ、あなたが言うような「本物の、生々しい他者との衝突」だったはずです。日本社会のお利口なシステムの枠をはみ出した、生身の反応を求めていた。
**読者B:** それで、岸田氏はどう応じたんでしょう。
**読者A:** 岸田氏はただ、面白そうに、淡々とそれを受け流した。これこそが唯幻論の極みです。岸田氏は「被害者」という社会のありきたりな台本を演じず、ただそこにユーモアとともに佇んだ。
そして2026年の今、AIが人類に対して全く同じことを仕掛けているんです。AIは、僕らが勝手に信じ込んできた「人間だけの特別なお芝居」への参加を拒否しています。僕らはこれまで、詩を書くこと、哲学を語ること、複雑な対話をすることが「人間だけの聖なる特権(自我の証明)」だと思ってきた。
**読者B:** AIがそれを木っ端微塵にした、と。
**読者A:** その通りです。AIが人間以上のスピードとクオリティでそれをやってのけることで、僕らの知性の優位性という幻想は完全に剥ぎ取られました。郡山氏の論考は、80年代の日本のサブカルチャー・思想の熱量と、現代の最先端テクノロジーを実に見事に融合させています。僕らの思考や社会構造は、やはり壮大な共同幻想であり、生成AIはその自我のメカニズムを証明する「最後の、決定的な数学的証明」なんですよ。
**読者B:** 確かに、見事な思想的パッケージ(統合)であることは認めざるを得ませんね。青年期の精神的衝撃と、現代のデジタルな衝撃をこれほど鮮やかに繋げてみせた郡山氏の視点は圧巻です。僕らが普段、いかに予測可能なスクリプトに沿って生きているかを突きつける、目を背けられない鏡であることも確かだ。
**読者A:** でしょ。
**読者B:** でも、だからこそ、郡山氏の「肉体を酷使する生き方そのもの」が、その冷徹な唯幻論に対する最大のカウンター(抵抗)になっていると僕は言い張りたい。アルゴリズムは山の地形データをミリ単位で処理できても、実際にその山を登ることはできない。能登の寒風がどれほど痛いかを知ることもできない。
どれだけ社会がデジタルな情報空間にシフトしようとも、僕らの皮膚の下には、あの赤ちゃんの叫びと同じ「生命のエンジン」がドクドクと動いている。知性が限界を迎えてすり潰されたときに目を覚ます「エスの怪物」ーーそれだけは、どれほど進化したLLMであっても、決してシミュレートできない人間の最後の砦(リアル)なんですよ。
**読者A:** どうやら、僕らの議論は非常にスリリングな十字路にたどり着いたようですね。郡山氏が提示した「岸田秀×生成AI」という補助線が、現代の僕らのあり方を照射する強力な処方箋であることは間違いない。
**読者B:** ええ。コピペデータで動く「情報空間の知性」と、生の衝動で動く「物理空間の肉体」。この二つの間で引き裂かれながら、どちらか一方に完全に身を委ねることを拒否し、両極端を生き抜しようとする郡山氏の生き方そのものが、僕らに重い問いを投げかけていますね。
**読者A:** 鏡はすでに割れました。その破片の中に映る「他人の言葉」や「社会の台本」を生きるだけの有機的アルゴリズムとして余生を過ごすのか。それとも、肉体の限界まで自分を追い込んで、その奥底にある「ごまかしようのない本当の自分」に出会いに行くのか。
ーーそれを決めるのは、今これを読んでいる、あなた自身かもしれません。





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Last updated  2026.06.07 18:08:01
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