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August 10, 2018
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カテゴリ: 文化
■古典に親しんだことが斬新な世界観の底辺に
鎌倉の大仏で知られる青銅色の大仏さま、その後方に、与謝野晶子の歌碑がある。

鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟(しゃかむ)尼(に)は美男におはす夏木立かな 晶子

実際にはお釈迦さまではなく、阿弥陀さまなのだが、御仏を「美男」と言い切ってしまう迫力は、明治11年生まれの女人の表現とは思われない。大胆で率直な感覚が生きている。
明治中期、短歌の近代化は一気に進み、正岡子規の「写生」説と並んで、与謝野鉄幹(寛(ひろし))が創刊した文芸誌「明星」による洋風で美術的な雰囲気が青年や少女の心を一気に捉えた。
その一人である晶子は大阪堺の菓子の老舗、駿河屋の後妻の娘として生まれ、ごく若い時から店番をしながら、父の蔵書の古典類に親しんで育った。晶子の歌は単に“新しさ”だけでなく、日本のさまざまな古典が、その底辺をしっかり支えていることは見逃せない。「明星」の展開した斬新な世界は、明治維新以降の西洋文化の吸収とともに、伝統的な古典の支えがあってこそ成功したともいえる。
晶子の才能を存分にひき出し、成功させた鉄幹は、背も高く偉丈夫で、女性に対してもかなり奔放だった。章子は堺の旧家から脱出して東京の鉄幹の許へと走り三度目の妻となった。


■創刊者で夫の鉄幹を愛し支えた生涯
当時はまだ女性の地位の低い時代だったが、鉄幹は晶子をはじめ、山川登美子、茅野雅子などの女性陣を表立てて「明星」に新鮮な息吹を吹き込んだ。が、一方では一部男性陣の反感を生み、また西洋美術の裸体画を誌面に載せたのを咎められて発禁処分を受けるなど、現代では考えにくい世間の抵抗に翻弄されたのだった。

子育てと、短歌、詩の創作や古典講義、童話、自伝、古典の現代語訳の執筆、色紙や屏風への染筆などほとんど寸暇もない働きで生活を支えたが、一方鉄幹の影が次第に薄くなり、軋みも生まれた。をの中で晶子は費用を捻出して鉄幹をパリへ送り出す。美術にも詳しい鉄幹にとっては、パリ行きは、永年の夢だったのだろう。
送り出してほっとする間もなく、晶子はじきに鉄幹に会いたくなる。鉄幹もしきりに晶子が恋しくなる。パリに来い、という鉄幹の度々の要請に、晶子はついに耐えきれなくなり、多くの子どもたちを残して、ただひとり、シベリア経由で陸路パリへと向かった。

ああ皐月(さつき)ふらんすの野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われもも雛罌粟(コクリコ)

ここに生活の苦労も忘れ、家庭の絆も忘れて、一介の恋人同士に戻った二人の、新鮮な充実がある。真っ赤な「ひなげし」の揺れるふらんすの野原、二人はそこで互いの愛と必要性をしっかりと確認し合ったのだった。
晶子には多くの古典の現代語訳がある。中でも「源氏物語」は何度も口語訳しているが、鉄幹の役割に到って再々度取りかかっていた「新新訳源氏物語」を完成させた。そのすぐ後に脳出血を起こし、二年後の昭和十七年、六十三歳(満年齢)で永眠した。その生涯を力の限り生きた晶子は、今なお人々の心を熱くするのである。

(おざき・さえこ)


【文化】公明新聞2018.4.1





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Last updated  August 10, 2018 03:19:53 AM
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