浅きを去って深きに就く

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August 11, 2018
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カテゴリ: 抜き書き
死期が近くなった釈尊を見て不安になった阿難が、これから何をたよりにすればいいのかと問うたところ、釈尊は「今でも」「私の死後にでも」「誰でも」と前置きし、「自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法をよりどころとして、他のものによることなかれ」と話しました(自帰依・法帰依)。それが“遺言”でした。覚りを得るというのは、真の自己に目覚めることであり、方に目覚めることです。そこに最高の境地が開けると釈尊は言っていたのです。


【法華経】植木雅俊著/NHKテキスト





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Last updated  August 11, 2018 04:09:04 AM
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