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「運」とは?
東京大学教授 安藤 宏
よく「運がよかった」とか、「運が悪かった」という言い方をする。けれども「運」というものは、もともと決まったものとしてあるわけではないし、偶然に左右されるものでもない。本来それは、自分の力で見つけ、呼び込んでいくものなのではないだろうか。
私の身を置く学問の世界で言えば、たとえばある分野で活躍している人から、実はもともとそれは自分が本来やろうとしていたことではなく、たまたま機会があって引き受けてみたのがきっかけだった、などといった体験談を聞くことが多い。乗りかかった船、とでも言ったらよいのだろうか。そして多くの場合、その鍵を握っているのは、貪欲な知的好奇心であるように思うのだ。
例としてあげるのはおこがましいけれども、私がまだ大学院生だった頃、ある学術誌から突然原稿依頼の電話がかかってきた。執筆予定者が急遽書けなくなったので、太宰治について、一週間で四〇枚(四百字詰め原稿用紙)の論文を書いてほしいというのである。まだ研究者として半人前で自信もなく、ここで不用意な仕事をしたら自分へのマイナス評価が決定的なものとなってしまう、とずいぶん悩んだのを思い出す。結局清水の舞台から飛ぶような思いで引き受けたのだが、それが、その後太宰治の研究に深入りしていくきっかけにもなったのだった。
仮に二つの選択肢があったとき、安全策よりも、自分にとってチャレンジングな方をとる勇気、とでも言ったらよいのだろうか。例えば学生たちとつきあっていて、彼等が一冊本を読むごとに世界観を変え、それが将来の志望に跳ね返っていくのを見るのは実に楽しい。「運」は、自分の周囲に至る所に堕ちている。それが拾えるかどうかは、ひとえに知的好奇心とチャレンジ精神にかかっているのだと思う。
【言葉の遠近法】公明新聞 2023.7.5
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