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全羅南道では「住みたい島プロジェクト」として全羅南道の6つの島を選び観光開発に力を入れる試みがあり・・・その6つの島に珍島の観梅島が選ばれました。さあ~~では観梅島をどう開発するか?ということで5月19日~22日まで4泊5日珍島副郡守・観光開発係長・担当職員・私総勢4名が香川県の直島に出かけました。技術の島といわれる直島!そして珍島と交流のある来島!さあどんな旅行だったでしょうか?直島の象徴「赤いかぼちゃ」この城は愛媛の今治市にある「今治城」今治城を建てたのは藤堂高虎全羅南道の順天にある倭城も藤堂高虎が建てたそうです。今治市には来島保存顕彰会のメンバーが居られ直島への訪問もいろいろコンタクトを取ってくださいました。ついでに村上水軍博物館に訪問し職員とハンカット山梨の実家では昔、織物業をしていたので着物は好きでしたが・・・久しぶりの着物姿さあ~~旅行は無事終わり帰りましたが、頭が痛いのは・・・帰国報告書の作成
June 12, 2015
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観光課には刑務所から毎月といっていいほど手紙が届く!今回の手紙の内容は「私は一時の過ちで現在刑務所にいます。 もうすぐその服役期間が終わるので 田舎の全羅道、そして珍島にも足を伸ばしたいと 思っています。 忙しい勤務の中、また歳月号の事故で 苦痛の中におられる珍島住民に 心から見舞いの言葉を捧げます。 一度珍島に訪れたい思いでペンを取りました。 どうか観光案内地図を送ってくださるよう お願い申しあげます」今回の手紙は非常に達筆で文面も達者・・・加えて手紙に貼ってある切手も可愛く折り紙のようで感動してしまった。思わず(どんな人かな?どんな罪を犯した人だろう)興味深深・・・ 観光案内地図はインターネットで珍島郡庁の観光文化コーナーに住所と名前を記入してくれたら送りますし、電話での予約も可能ですが、刑務所はコンピューターも電話も自由に出来ないのでこうして手紙で予約を取りますが・・・珍島だけでなく、各地域にこんな手紙を出して自由になったらあちこち行きたい思いを地図を見ながら希望を膨らませるのでしょうね!
November 13, 2014
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毎年・・・ガイドの補修教育を受けている。研修日数は経歴年数に応じて受ける時間がまちまちだ・・・私は5年未満なので32時間以上の研修を受けないといけない。受ける講義の内容1)全羅南道の生態文化観光資源とガイドの役割2)歴史文化遺産の理解3)ガイドをする現場で活用できる美しい全羅道のナマリ4)全羅南道の写真を美しく写す方法5)観光客を対象にしたレクレーション技法午前9時から午後6時まで3日間の講義を受けた後数日後に全羅南道の西圏域・・・「生態観光資源の活用とストりーテリング」を完島の樹木院で森の解説ガイドから案内をしてもらう。案内をしてもらったあと自由行動!最後はシナリオの発表原稿用紙5枚の分量に各地域の紹介シナリオを作成しメールで教育機関に送付する。この資料は一冊の本にまとめられシナリオ発表の当日各自に配られる。私は日本語担当だから韓国語と日本語のシナリオを提出しなければいけない。シナリオ発表は皆の前にでて原稿なしで(暗記して)5~7分の発表をする。審査は大学教授や韓国観光公社の職員が行い日本語で発表すると、「はい!次は韓国語で・・・」とと2倍の苦痛を受ける。シナリオ提出は7月31日まで発表は8月22日・・・さあ~どうなるか
July 31, 2014
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無事終わりました最後に珍島アジュマメンバーが記念撮影お色気ポーズシリーズ私に色気を出せなんて無理無理これらの写真を娘に送ったら・・・「オンマ~勉強しないで何してんの~」とお小言
July 10, 2014
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忠清南道の論山に出かけました。ガイドの研修がない限り韓国内の旅行なんて夢の中の話です。それに各地域のガイドさんが案内してくれるので中身の濃い研修になります。高麗時代の石仏で、高さ18.12mの韓国内最大の石仏。ウンジン弥勒とも呼ばれる。額が狭く、顎が広台形の顔に切れ長の目と大きな鼻と口。耳は肩まで下っている。頭でっかちな姿と独特の表情が印象深い。朝鮮王朝・肅宗時代の学者である尹拯の古宅で、 重要民俗資料第190号として指定されています。 敷地内には味噌や醤油の瓶が並んでいて、韓国らしい雰囲気を味わえます。 帰宅は夜の10時でした。夫は口を突き出してましたがたまにはいいでしょう~~
June 18, 2014
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ネナラ博覧会というのが毎年ソウル・三成駅のコエクスで開催されるのです。韓国内の各自治体から地域の広報活動や特産品の紹介をするのですが最近は私が出る幕はなく若い職員が出張してました。でも今年は若手がブロク記者団の案内で参加できず急遽・・・私のソウル行きと相成りました。久しぶりのソウルでございます。ん~~10年ぶりかな?こりゃ困った!!地下鉄の乗り方も知らない!!で調べて乗車カードの買い方から宿泊予定の九老区まで路線を確認しさあ迷子にならないように気を張って・・・何しろ田舎者ですからスタート早々失敗しました。木浦バスターミナル付近に車を駐車し、いざターミナルに向かうとターミナルが見つからないとても恥ずかしくて周囲の人に聞けなくて主人に「ターミナル何処?」「お前馬鹿か」怒るどころかあきれ果てて目が点になってるのが解る!まあね~少し奥に位置しているバスターミナルをすぐに見つけましたけど・・久しぶりのソウル!!!人いっぱい!車いっぱい!ゴチャゴチャしてて、文化恵沢はあるけど、ここで住みたいって思わない~でも出張楽しんできました。
March 3, 2014
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珍島の文化観光ガイドは毎年2泊3日で研修に出かけます。今年は済州道・・・日程は10月8日~10日の3日間・・ところがの影響で木浦済州道行きの船が欠航になり仕方なく1週間遅れ10月15日~17日に行ってきました。お宿のレッドウオルハウス!ご主人は珍島の智山面出身!日の出ランド題して・・天使の翼すんません!年増の小母はんなんで・・飛べません!夫婦でガイドしてるので夫も同行しました。済州道は馬も有名ですから・・あちこちに馬がいましたよ~
October 22, 2013
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文化観光解説士の補修教育が羅州であった・・総勢267名・・全羅南道全域の解説士が集まった。いつも珍島内をぐるぐる回って案内している私珍島大橋を渡るのは、木浦に買出しに行くくらい?夏用の珍島郡・・解説士の制服で~す。どうですか?
June 17, 2013
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毎回来られる長野県からの団体客は私が山梨出身なので、親しみがわく・・・珍島の観光地雲林山房のあと、神秘の海割れ海岸に移動する。現在は「神秘の海割れ体験館」建設中で・・完工は2014年末の予定!完成図・・カッコいいでしょう?工事中なのではポンお婆さんの祠前に駐車し5分ほど歩いて海岸道路を行く。韓国のガイドさんの黄色い旗について・・「はい!皆さんこちらですよ~」
February 26, 2013
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なんとまあ忙しいスケジュールだった!実家の山梨に帰ってきたら、今度は長崎出張が待っていた。メンバーは役所から観光企画係長と私観光振興協会と芸術総連合会会長、飲食協会会長の総5名!出発直前まで海外旅行の保険加入や、旅行社の打ち合わせと気の休まる暇がなかった。でも最高だったのは好天に恵まれたこと・・・福岡から軽飛行機に乗り福江空港に到着!空港には韓国の国旗を持ち五島市役所の職員が待っていた。珍島の観光振興協議会が五島の観光協会を視察したいと連絡をしたのがつい1週間前・・・あまり重々しく訪問するのは失礼かと思い五島市の観光協会を訪問後ついでに五島市の観光課に挨拶にいきましょう・・と軽く電話を入れたら空港まで車を回してくださることになり恐縮してしまった。ガイド役のUさんは韓国語を独学で学び福江島を象徴する椿を説明してくれた。椿の花の縁は白く、中央は赤い。色を韓国語で書いて説明してくれる。スケッチブックには福江の人口・産業・魚の名前まで韓国語で説明出来ない部分は手作りのスケッチブックをめくりながら絵で説明をしてくれた。こういう情熱は学びたい・・・夕方は五島市役所の観光課長も同席しての宴会となる。最高の席であった。本当に本当にカムサハムニダ特に観光課長の人気はこの日は福江バスターミナルホテルであくる朝、福江港からの朝日長崎ハウステンボス観光九十九観光ホテルにて熊本・阿蘇山の噴火口(地獄釜)青緑の湖水?は周りの岩石が溶けた鉄と銅の色落ちたら、骨も溶けるというからご注意この後大分の湯布院で最後は大宰府天満宮の梅・・最終日はあいにくのだが雨に濡れた梅もまたいいものである。韓国を出発する前は飲食協会の会長が多少否定的だった。父親が17歳のとき、兄の代理で日本に強制送還され命からがら韓国に帰ってきたが炭鉱での重労働がたたり亡くなるまで苦労したそうだ。だから日本・・というと悪いイメージしかなく・・余り乗り気ではなかった。ところが日本人の親切さ・・・物腰の柔らかさ・・・笑顔・・・これに頭をガツン!!とやられたらしい・・・「俺は井戸の中の蛙だった!」と言って旅行から帰るやいなや周囲の食堂経営者と話し合い月々貯金をして、来年また日本に行く計画をたてたそうだ・・過去は過去として・・日本はとにかく学ぶところが多かった・・・「有難う」を連発される・・案内した私は神経磨り減ったけどこの一言で疲れが吹っ飛び・・来年もガイドの予約をうけてしまった。まあ目出度し・・目出度し・・
February 14, 2013
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全羅南道の文化観光解説師の競進大会があった。各地域から特産品の展示と解説師のユニホーム大会など・・盛りだくさん・・珍島は改良韓服で出場した。ピンクのチョッキが可愛いでしょうさあ私はどこにいるでしょう~か~
December 18, 2012
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Mさんから「また送りましたよ!」という電話があった。Mさんは役所にかかってくる電話の声しか知らない!ご本人には会ったことがない。不思議な間柄である。事に起こりはファッション21とかいうドラマがで放映されその舞台になった珍島の離れ小島、孟骨島に行きたいと日本から珍島の役所に電話をかけてきたのだった。「孟骨島の灯台!」珍島に住んでる私でも行ったことのない島で・・説明をすると「そりゃ大変・・いつとは約束できないが・・ いつか行きたい・・」ということで声だけのお付き合いだった。そのMさんからまたどっさりと本が届く!我が家の息子が日本の歴史物が好きでいつか・・日本語を勉強して読むから(いつのことかしら?)倉庫に保管してくれと・・・それが相当の数になった!福岡から釜山に到着するとすぐに宅配で珍島の観光課あてに送られてくる段ボール箱いろんな種類の本が盛りだくさん・・本と本の隙間には納豆まで入れてくださる・・センスをお持ちのMさんだ!今回は子供の童話集がいっぱいで楽しく読ませていただいている。この場を借りてMさんカムサハムニダ!
November 3, 2012
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観光ガイドの教育で宝城に行ってきた!宝城はお茶で有名で茶の葉を摘み、大きいフライパンで炒めゴザに広げて乾かす過程を実際にしたけど今は葉が美味しくない時期ということで残念ながらお茶は持参できなかった。でも天井に下げて乾燥させる方式はまるで昔の銅貨を紐で結わえてるみたいで思わずシャッターを切った。次は実際にお茶飲み体験~お茶に対する講義を聞き・・・玄関の看板を撮影・・珍島メンバーと一緒に記念撮影・・
October 18, 2012
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「アンニョンハセヨ?ヨングへジャシイッソヨ?」観光課の観光案内専用電話を取るとたどたどしい韓国語・・・・高齢の声の高い日本人男性である。頭の中にある人物の姿が思い出される。「私が瀧口ですが?」「瀧口さん!元気ですか?私・・Kです。今年で82.5才になりました。」やっぱりそうだ~Kさんだ~Kさんは82才と6ヶ月・・・お元気そうなお声に嬉しくなってしまった。でも次の台詞に胸がドキッとした。「私は、もう高齢で人生残り少ないと思いまして・・ 今までお世話になった方々に最後にお礼を言いたくて お電話しているのです。 その節は大変お世話になりました。有難うございました。 私のように珍島の海割れを見たくて 海割れそして明け方の海割れまで・・ 最初は一人で、次は妻と娘を連れて 数えてみたら5回も珍島に訪れましたね~ その度に、恵子さんの車でご案内頂き 有難う・・有難う・・ どうか元気で頑張ってくださいね。 もう指に力が入らないので、手書きで手紙が書けません。 ワープロで手紙を書きますので受け取ってくださいね」数日後、手紙とお菓子が東京から届いた。お礼なんてとんでもない・・こんな遠い珍島まで5回も来られたこと自体が有難い^^カムサハムニダ!!!
June 20, 2012
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全羅南道に住む観光ガイドに招待状が届き先駆けて麗水の海洋エキスポに行ってきた。入場チケット・・私の手ではございません!観光ガイドの会長の手です。ちなみに会長は54歳(余り関係ないか)エキスポの中の大きい家族像エキスポのマスコットの前で・・胸が無いと言われたでもちゃんと子供生んで育てたよ(こりゃまたエキスポとまったく関係なし)
May 12, 2012
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慶尚南道の巨済島に属する外島・・ここは冬のソナタの最後の場面ヨン様が登場する家がある島として知られている!珍島観光ガイドの1泊2日の研修で足を延ばした外島・・空はあいにくのそして時々でも外島は美しかった。主人とパチリ!
May 4, 2012
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珍島と沖縄・・・沖縄は地図を見ると珍島のはるか下に位置している。むかしは船で行き来したそうで・・海流の流れにうまく乗ると珍島から沖縄まで行くと言う。役所専用のバスで仁川国際空港まで沖縄舞踊団のお迎えにいったとき、「沖縄の顔つき」を探した!でもごく普通・・の顔立ちだった。なあ~総勢14名の舞踊団は土曜民俗公演に参加し次の日曜日は雲林芸術村でのお祭りにも参加しすばらしい公演をみせてくれた。でも珍島にいながら沖縄の伝統舞踊を観覧できるなんて最高の幸せである。もちろん見るのも・・聞くのも・・初めてで・・とても新鮮だった。舞台裏で2時間の化粧時間や小道具の数々・・高価な着物の着付けなど・・準備から本番までの全過程を見ながら感謝の思いでいっぱいだった。海外での公演は本当に大変だと思う。でもいっさい手抜きなしで最高の公演を披露したいというその熱意が伝わってくる。携帯で写した写真がアップ出来ず申し訳ない・・限り・・私は風邪がまだ治らずに体調がイマイチ・・来年の4月中旬には逆に珍島から沖縄に公演に行く予定だというので(もしかしたら行けるかな?)と楽しみにしている・・次第・・である。
November 10, 2011
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皆様~~~合格いたしました有難うございます。今回の教育は韓国語が73名(この中で42名が合格)日本語は14名が全員合格(韓国人8名・日本人6名)私は元日本人だから・・ともかく・・韓国人が日本語でシナリオを覚え大学教授や韓国観光公社の職員、そして道庁(日本でいったら県庁ですかね?)の職員の前で発表するのは、本当に大変だったと思う・・この8人は日本へ留学した経験や日本語ガイドの経験者もいてヤリテ!な人達ばかり・・偉い!スゴイ!日本の下関から全羅南道の光陽へ光陽ビッツ号が運行を始めF1グランプリ・麗水の世界博覧会と日本の観光客の受け入れ体制を整えようという・・背景があるための(全員合格)だった!のかな?それだけ期待が大きいのだと思う!14名が団結して全羅南道の発展のため頑張らないとなあ~正直~肩が重い!
September 8, 2011
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あさっては日本語観光ガイドの筆記試験・・昨年の学生は夜中の2時まで勉強したという・・勉強しないといけないのに~~勉強したくない~~観光シーズンも終わりに近づき一息つける余裕も出てきた!だから本腰入れて・・勉強しないといけないのにやる気が出ない・・やたらと周囲の環境が気になり課長の植木に水をあげたり電話機についた垢が妙に目に付き受話器を磨いてみたり要するに・・今するべき勉強をせずに後でしても良いことに時間を投資している・・あああ~~とてもじゃないけど娘に「勉強しろ!!」なんて言えねえなあ~~
August 17, 2011
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先回受けた日本語ガイドの講義を受け残るは試験だけ・・実技は日本語だから(何とかなるけど)問題は筆記試験である。そりゃ問題は全て韓国語!講義を受けた内容から50問題寺院の内容を収めた1冊の本から50問題100点中70点以上が合格という・・涙・涙の物語84名中日本語ガイドを専攻したのが14名で・・その中で日本人は6名!この6名は特別に大目に見てくれる(と言う話しで)寺院の本は無しにし・・代わりに常識問題200の中から50問題を出す!という教授の話に(こりゃ有難い・・)と歓声をあげた!家で常識問題を見たら相当の水準である。こりゃどう考えても高校の常識以上である!判断がつかないので・・同じ職場の学芸研究師に見せた!(彼は全北大学を卒業し、大学院に進学 博士論文は珍島のシッキムクッをテーマにした)「こりゃ私にも難しい・・ 睡眠時間を削って勉強しないと歯が立たないですね~ どうみても大学生水準の常識問題ですよ~」私はこれを聞き試験受ける前に放棄
July 14, 2011
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ここから片道2時間30分の距離にある全羅南道の譚陽郡に通っている。譚陽郡は竹の産地で有名だ。ここで約3週間の全羅南道文化観光解説士になるための教育を受けている。特に今年は日本語ガイドを対象にした教育というので(少々頭が痛い!)私はもう役所でも数年後には退職するしガイドも若手が登場する時期だよ(なんて)・・でも若手の日本人ガイドは子供が5人もいて往復5時間の時間を投資して通える余裕もなく・・仕方なく私が通うことになった。ブログを書き込みする時間がますます無くなり心苦しいが・・体力の限界と肉体の限界に挑戦している毎日である。
June 26, 2011
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先日「ソウルの達人」で有名な女優の黒田福美さんとお会いした。題して美食と歴史ロマンの旅「黒田福美と行く韓国全羅道4日間」大阪文化院でメンバーを募集し100名が集まった。4日間の日程中、一行は丸一日珍島で過ごす。日程は4月8日・・4バス4台の一行は珍島大橋ー昼食ー海割れ海岸見学ー珍島南道国楽院で国楽研修ー夕食ー金曜常設国楽公演観覧海割れ海岸ポンお婆さんの銅像を背景に・・アップでワンシャット・・特に国楽研修はパンソリの中で春香が李夢龍と愛を交わす部分を習った。やっぱり発音がオリョヲヨ~通訳で飛び回り・・写真がありません^^国楽院の公演前に・・黒田さんと記念撮影目が浮いてます・・
April 25, 2011
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12月20日(月)~21日(火)まで1泊2日久しぶりのソウルである。目的はソウル・南山タワーの近くにある韓屋村で珍島の素浦村の芸術団が出演するのでそのPR活動と見学・・・ソウルに向かいながら忠清南道の保寧にある開花芸術公園で一休みソウルの南山韓屋村・・国楽団入り口PR活動・・夕方なので少々寒かった素浦村芸術団の公演(村の一般の住民による公演である)あくる日は昌徳宮の見学!その裏は今年からオープンした後苑今回の景色はこんな感じ・・季節が変わるとこんなに美しい風景が・・後苑のガイドが送ってくれた写真である。
December 23, 2010
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珍島への訪問客は韓屋で泊まりたいというのが第一希望であった。それで雲林芸苑の韓屋に予約をとり釜山からで来られるという4人組のおばちゃまをお待ちした。での会話で韓国ドラマのファンと言われるので(あ~~ヨン様ね!!)と軽く思ったが実際お会いしてみるともっと奥が深く、根が深い方達であった。一般のツアーで出来ない触れ合いと、出会いをしたい・・と単独で計画をたて今回のテーマは「山水画」ということで珍島を選んでの訪問であった。短い時間を有効に活用するため私の自家用でご案内し特に雲林山房という朝鮮時代の南画を展示してある場所をゆっくり見られた。看護婦長をしておられたKさんは「韓国ドラマは心の病の治療になると思うのです。 韓国ドラマを見ながら いっぱい泣き、いっぱい笑うので 硬く閉ざされた心の扉を開く作用をするのです。 心を動かされる、動かさざるをえない 韓国ドラマを私は周囲の人にお勧めしていますよ。」そうかあ~~ただ韓国ドラマを見て楽しがる日本のおばちゃま連を多少軽く考えていた私は反省させられた。日本の韓流ブームは一時期で終わるというただのブームではなのかもしれない。数年前・・珍島挽歌の国際セミナーで「泣きの文化」という題目で日本と韓国の学者の公演が開かれた。もともと日本も葬式には韓国のように大声で泣く文化だったところが「泣き崩れるのはみっともない」とだんだん感情をむき出しにするのを抑えることが美徳とされるようになった。とまあこんな内容であったように記憶している・・とにかく・・またもや観光ガイドの私が逆にお教えを頂いたのであった。
November 23, 2010
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韓国の秋夕というのは日本の旧盆のことである。陰暦の8月15日陽暦では9月22日・・・今年は秋夕の前日韓国在住の日本人が珍島に訪問したいと連絡があった。(内心困ったな~忙しい~)役所は秋夕の前後を含めて3日間が公休日なので案内をすることには問題はないが・・一応・・主婦業をしているので旧盆の祭壇に捧げる供物の準備が大変である。昼間ご案内して夕方にでも準備をするか~と腹を括った。ソウルの漢南ターミナルから珍島への直通バスに乗りFさんが・・来られた。Fさんは・・中国に2箇所・韓国に1箇所の会社を経営するバリバリの社長さんであった。案内をしながら自然にFさんの身の上話しになった・・私の父は軍人でした!中国と韓国に償いをしてほしいそれが父がなくなる時の遺言でした。たぶん軍人という職業がら父は悪いことをしたんでしょうね!それが心残りで償いをしたい・・と普段から考えていたのでしょう。ですからその遺言を守るため私は中国に進出したのです。それが成功し、基盤をつくったので今度は韓国に投資して頑張っているのです。私が亡くなったら会社はそこの従業員に引き渡します。実は会社の職員に珍島出身の子がいてね~バスのチケットもその子が押さえてくれたのです。「もしかしてソウルに住む 日本人と交流されていますか?」いいえ~そいう集まりは好きではないです。とFさんは短く返事をされた!秋夕の前日・・韓国内は民族の大移動道路渋滞が続き・・やっと珍島に到着したFさんとの短い交流は・・深く考えさせられる出会いだった。
September 26, 2010
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海割れ祭りのために一ヶ月ほど週末も休みなく働いた!「ご苦労さん!! ご褒美に交代で1日づつ休んでいいよ~」それで計画を実行に移すことにする!以前ご案内した山梨出身のTさんが「淺川巧を想う会」の連絡をして下さった。いつもは参加したくてもほとんど海割れ祭りの準備に追われ参加できないのだが、今年のお祭りが早々に終わったためこれがチャンスと参加することにする・・淺川巧とは日帝時代に朝鮮語を話し、朝鮮人に愛され、朝鮮の山と民芸に身を捧げ、朝鮮の陶磁器について文を発表し、李朝工芸の美を発見した人である。特に墓がソウル郊外の忘憂里共同墓地にあり韓国人によって保存されている唯一の日本人の墓である。毎年4月に行われているお墓参り 今年は4月10日(土)の11:30~予定では金曜日の勤務を終わり夜行バスで6時間かけてソウルに行き次の日に参加するというハードスケジュールを予定していた。でも役所で1日休暇をくれたのでお墓の近くの町で一泊しゆっくり日程で参加した。共同墓地へのバス停はなく途中で下車し、徒歩で約2キロほど・・レンギョウの花を観賞しつつ・・数年前に来た時の記憶をたどり・・たしかこのあたり・・とお墓を見つける!あまりにも早く到着したのでベンチに座り淺川巧の一生を描いた「白磁の人」を読み返しながら一行を待った。淺川巧の墓の横には兄・伯教が巧の一周忌に建てた青華白磁秋草文角壺がある。小型バスに乗った一行が到着し顕花の儀式が厳かに執り行われる。供茶は浜辺の唄・ふるさと・桜のフルート伴奏で雰囲気を高めた・・来年は「白磁の人・淺川巧」の80周忌にあたる。
April 12, 2010
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昨年の3月に珍島の支石墓調査に訪問されたSさんが今年も同じく3月に来られた。ちょうど日曜日で役所は休みだったが昨年来られた時に実家の亡き父と同じ勇という名前だったのでまるでお父さんのように近く感じていた・・今年も運転手付きのボンゴバンにガイドが同行し韓国内の支石墓の調査をしておられた。昨年案内役だったガイドから珍島内の調査場所の住所を聞いてはいたが素人にはとても場所探しはできない・・これは役所にいる強みで観光課の芸術係りにいる学芸研究者に支石墓の仔細な地図をもらってしっかり場所の下調べをしておいた。だが・・実際に現場に出てみるとお墓の横に突き出ていたり・・お墓の下の階段に使われそうになって放置されてたり・・支石墓の上でゴミ焼きされたり・・さんざんな目にあっていた・・・田の中にポツンと置き忘れたような支石墓も・・案内役のガイドは昨年とは違う人で「これも職業病ですね~ 数日間ご一緒してたら、石をみるとあれは支石墓?と 景色を見るより先に石探しをするようになりました! でも珍島に・・こんなに支石墓があるとは驚きです」これは私も同感!!Sさんが珍島へ支石墓の調査に来られなければただの石ころ・・関心外であった・・から・・ご案内をしたあとSさんからお礼状が届いた。「・・荒れた田畑や山々の端にも、自然の息吹きがあり、 その一石一草に、ある種輝きがあると気づかされ そのへんにころがっている支石墓、見捨てられた岩石の 巨大さの奥に、いったいどんな歴史があるのか あるがままの姿に存在感を感じています・・」歴史の重みを感じる貴重な時と人との出会いであった。
April 6, 2010
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先日、3月1日の海割れ体験したブログ記者団は若い子が多くて・・こんな写真をブログに載せてた名付けて「カエル4兄弟!」
March 20, 2010
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あくる日は朝の海割れを(個人的に)見に出かけた。3月2日海割れピーク時間は6時20分マイナス31(この数字はいくら悪天候でもある程度・・海が割れる・・はずの数字である)だが・・天気が悪いと・・駄目なことを実感した。この日はこのチームがぜひに・・とリクエストしていた鳥島行きが予定されていた!・・けれども・・この天気では・・どうなんだろう?船の出発時間まで途中の南桃石城に立ち寄る。ここは高麗時代に建てられて・・朝鮮時代には海軍の基地として活用された城の前は小高い山で海からは城が見えない天恵の要塞である。城の中には住民が住んでいる!そこで見つけた珍島犬さあいよいよ出発・・船の中は床暖房・・暖かい・・鳥島に到着し待機していたバスに乗り鳥山(トリサン)展望台に向かう・・バスを降りたら・・すごい霧で前が見えない・・展望台に到着し・・たけど・・何にも見えない(ここは周囲150の島々が見渡せる 東洋のナポリ・・と言われている場所・・)仕方ないので・・珍島に帰り・・カキと・・ウコンのマッコリで乾杯・・ツアーのメンバーは珍島大橋の近くで夕食予定・・でも今日も海割れ現象があるので私は別行動をする!!もしかしたら日本の観光客が来られるかも・・心配なので足を伸ばす・・行ってみたら・・日本人はいなくて・・慶清南道からバス1台が来てた!!昨日と今日と2日間朝から晩まで思いっきり動いたのでオーバーヒート・・とにかく寝たい・・私です・・
March 4, 2010
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ペンツアーとは航空会社や旅行業者など供給業者が自らの観光商品や特定観光地を広報するために・・・旅行会社または関連業者を招請して観光すること!このペンツアーを珍島郡庁の文化観光課主催で3月1日の海割れに合わせて行った。これは3月30日~4月1日まで開催される「珍島神秘の海割れ祭り」PRのためのツアーである。チャンサラン広告チーム外国人の韓国観光を専門に斡旋するインバウンド旅行社インターネットブログ記者団総勢約80人を集めてのツアーは各チームの要望に応じた日程を組んで移動する。ポイントは「海割れ祭りのPR」なので全員海割れ体験が目的である。あいにくの雨模様でも珍島犬ショーの観覧ができた・・が・・雨で芝生が濡れてるので足が滑り可哀想・・(珍島犬がサングラスかけてる)さあ~~次は雲林山房雨模様でもなかなかステキでしょう?海割れ時間の前に記者団は船で茅島に・・(私達職員は長靴が足りなくて行けなかった・・残念)それに日本の観光客とも約束してたのでポンお婆ちゃんの銅像前にから海割れ観覧・・長靴を履いて茅島から出発した記者団チームは無事珍島側に到着し・・第1日目は終了・・
March 3, 2010
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最近・・日本からの観光客は珍島観光というより「故郷訪問」を目的とする訪問客が多い!2年前に訪れた京都のKさんは両親が珍島出身だ。2年前は、時間がなく・・まるで雷が落ちたように珍島に「アッ」と訪れ「アッ」と去って行かれた。今回Kさんは約16日間・・珍島に滞在しながらゆっくり~~スローツアーを楽しむと言われる。子育てに追われ・・生活に追われ・・いろいろ大変だったけどようやく心の余裕ができてね・・と話されながら両親が生活した島の息吹きを感じたくて珍島に来られたという!Kさんは韓国から日本に渡り、日本国籍にして日本人として生活している。私とは逆の立場だ!!!神秘の海割れ祭りまで1ヶ月余り・・電話での問い合わせや祭りの準備で観光課の中は戦場である。時間の余裕があれば平日でも案内に出かけられるがとても出られる雰囲気ではない!!それで合間の週末にKさんをご案内した。珍島大橋の高台にある展望台で海苔巻きを食べながら・・話しに花を咲かせた!金骨山のお寺では2年前・・Kさんが住職と写真を写したのでそれを渡しに訪問し・・細方夕日の展望台からはいつも多島海海上国立公園の島々を写真に収めるので今回は展望台から海岸を写した。Kさんの滞在期間中最後の週末は新聞記者を招待しての珍島観光ツアーがあり・・運のいいことに・・Kさんだけ特別に記者団の一行に加わっていいという許可が下りた。一般の観光客と違い記者団には役所側で特別に気配りするので短時間で珍島内のポイントを回る絶好のチャンス・・特にこのツアー期間は海割れ現象も多少あることから中身の多いツアーになる。こんなチャンスに参加できるなんて・・Kさん平素の行いが良いのでしょうね!!きっと
February 24, 2010
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歌人の若山牧水は1927年の5月27日~6月3日まで珍島に訪れた!歌の仲間である福島勉が珍島の郵便局長を勤めていたので誘われたのだ。この若山牧水を研究している作家が珍島に訪問したのは今から10年前のこと!若山牧水が書き残した「朝鮮紀行」を頼りに若山牧水の足跡を辿る取材旅行に同行した。木浦港から珍島に到着した船着場旧郵便局、日本が干拓した場所福島勉の別荘があったという竹林村・・この村の住民からは当時、福島家が日本に引き上げるとき別荘にあった(高価な)食器類をもらい受けた。なんて話しを伝え聞いた。そして・・昨日偶然この竹林村の白黒写真を見つけた!もしかして福島家と関連のある少女ではないかしらなんてことを思いつつ・・「日本の着物を着た日本の少女が店の前でままごとをしている」
February 11, 2010
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韓国の人気プロに「1泊2日」というのがある。カンホドンやイスンギ(個人的にファン)が出てきて、いろいろ体験するのだが・・以前この「1泊2日」に外国人が数人出演したことがあった。人種もさまざま・・韓国語が堪能な人もいれば・・まったく駄目な人もいて・・そのドタバタ劇が何とも面白かった。先日・・またもや広報係りからテレビ撮影の依頼があり珍島の多文化家庭を訪問するという!主人と会話をする場面を撮影し・・外国人もでてきて・・どうのこうの・・というが・・余り深く説明してくれなかった。ところが別名:お化け屋敷の我が家を訪問したのは本当?の外国人・・しかも「1泊2日」に出演したメンバーだった。撮影にきたのは「チェヒョン!サルメ ヒョンジャン」(直訳すると再現!生活の現場?となるけど・・なんか変だな~)これは芸能人や有名人が汗を流してさまざまな仕事をし受けた代価を寄付する内容である。ところがホレギ(珍島犬)が撮影チームに吠えまくるので撮影の邪魔になるからと、主人は珍島犬の散歩に連れ出された・・(そのせいで主人との会話シーンはカット!)撮影内容は外国人のお二人が作った?エイの和え物を多文化家庭の我が家に配達してくれて会話をする内容だったけどわずか40分で撮影終了・・(我が家の部分はカットされそう~)この日の内容は陰暦の正月・・2月14日放送予定・・撮影が終わるまで・・犬の監視をしてた・・我が主人・・(ご苦労さんでした)
January 27, 2010
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日本から・・韓国の・・珍島まで・・お墓参りに来られた方の案内をした。両親が珍島出身で、日本に渡り苦労に苦労を重ね父親は栄養失調で亡くなり母親は女手一人で子供達を育てあげ・・両親の親族を訪ねるため戸籍謄本を片手に訪れた。兄弟姉妹の4人は日本で産まれたので、珍島はまったく知らない。韓国語は末の妹さんが北朝鮮の言葉を勉強したことがあるとかで・・しかし実際来たら珍島のナマリは聞き取りが・・出来ない・・以前1986年頃、長男が釜山から珍島までタクシーで来たことがあり、珍島がどれほど遠く、不便であるか骨身にしみていた・・・それから23年・・久しぶりの珍島はものすごく発展していて・・と言われ~~珍島は良い所ね~~父親の兄の墓は貯水池の向かいにある!土手道は雑草がいっぱいで、水の少ない貯水池の端を歩く・・(内心)こりゃ大変なことになったもんだ・・他人様の墓参りに、オンボロ車で山道を走り加えて、道無き道を歩き・・ズボンには、雑草の実やら種がつき・・でもこれが夏だったら・・やぶ蚊が多く冬は雪が残り・・歩き難い・・まあ~秋の遠足と思えば~~いいか~~道案内の伯父さんは「お墓の整理ができてない」と言ってたけど到着してみるとちゃんと雑草も刈ってあり・・日本からここまで来た使命を果たした・・しかし最近はお墓参りシーズンですかね~先週も大阪のYさんが2年ぶりに親族のお墓参りに来られ野山を歩き回った・・私・・Yさんは日本で韓国2世として生活し韓国語がまったく出来ないのでこうして珍島訪問のたびに通訳とガイド役で同行するけど言葉は使わないと忘れることを痛感するので日本語がサビない?ように日記を書いている・・あたし・・日本の皆々様・・私の日本語サビ防止のためぜひ・・珍島にお出でくださいませ(笑)
October 29, 2009
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暑いですね~~でも暑さに負けず頑張りましょう・・先週の日曜日案内にでかけました!!「大阪府教員労組・韓国歴史紀行」という、ものものしいメンバー達~鋭い専門的な質問をされたらどうしましょう・・緊張しながら珍島大橋にお出迎え・・お若い方からお年を召した方まで年齢層はさまざまで・・旅行社のガイドは、以前から顔見知りの社長ところで先生方の珍島で一番人気は、これ紅酒は度数が高いので展示用のミニ紅酒を5つだけ準備しましたがこんなに皆様のお気に召したならもう少し多めに準備すればよかったのに・・残念!!でした!!!
August 14, 2009
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珍島市内の「郷土文化会館」で毎週土曜日午後2時から珍島に伝わる伝統芸能の公演をしている!珍島郡の文化観光ホームページを見ると毎月初めに「今月の公演内容」を紹介しているが・・ソウルや釜山から時々「シックムクッやタシレギの公演はいつあるの?」(知らない方はブログの左をクリック)なんて問い合わせがあるもんだから・・チェックするつもりで確認する・・すると20日に「日本舞踊団の公演」とあった!さっそく「日本のどこから来るんですか?」と文化会館の担当者に電話した・・「知らない~~」(なんだ???)忙しくて半分忘れかけた頃・・「あの~~明日時間がありましたら 案内お願いできますか?」という韓国女性の電話で(思い出した)郷土文化会館の正面玄関には歓迎のプランカードが・・・館内は撮影禁止でも2階からこっそりパチリ!公演が終わったあとの記念撮影!このあと珍島内を観光して食堂に・・食堂での2次会風景・・お互いの芸能をご披露して・・終わり・・楽しい交流会でした
June 26, 2009
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大阪のMさんからメールが届いたのは昨年の12月26日・・珍島に訪問したいと言われるので珍島の地図をで送り・・珍島に来られたのは5月4日!この日は月曜日・・映画スキャンダルの撮影地である(ヨンさま主演の映画)「雲林山房」は休館・・でも舟遊びをするシーンを撮影した蓮池などは見学できるのでしっかり写真に収めた午後になり・・(今日は珍島高校で日本語授業・・ 海割れ祭りで忙しく授業を2回休んでいるので 今回も休めないわ~)内心心配していた!で考えたのが・・Mさんご夫婦は韓国語が少し出来るので日本語授業に参加して頂いたらどうかしら韓国旅行のいい思い出になるでしょう・・Mさんは快く承諾してくださり・・高校にご一緒した。高校への到着時間は休み時間で珍島太鼓踊りを学ぶ太鼓の音や教室を移動する学生達で周囲はザワザワしている。高校の4階が女子先生の休憩室でここでいつもは日本語担当の先生と打ち合わせをする。階段を上りながら「あっ日本人ぽい~~こんにちは~」と高校生が声をかけてくれる^^雰囲気で日本人と解るらしい・・担当の先生も「面白そう!お願いね!」と非常に好意的で・・すぐ教室に移動した。この日本語会話は高校生の成績に関係なく、日本の文化に親しむ・・というのがこの授業の目的なので・・学生達にも刺激になったと思う!珍島での感想・・日本のどこから来られたのか・・お子さんは?・・そんな会話は授業の中で・・教科書で・・学んではいるけど・・先生じゃなく・・見知らぬ日本人には声をかけにくい・・Mさんカムサハムニダ!!学生達・・とっても喜んでましたよ~この場を借りてお礼をいいます。
May 6, 2009
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釜山に住んでおられる日本人学校の先生から「日本人会報」が届いた^^最後のページは「珍島者語」なにしろ、釜山からもソウルからも同じほどの距離ですから珍島は遠いで~す。だから来られたら・・有難いで~す。
December 2, 2008
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「李舜臣将軍の戦勝地に対する 歴史資料教育用コンテンツ製作に関する撮影の件」海軍教育司令部からの公文書で内容は観光課から実力のあるガイドを紹介してほしい!というものであった。(私はう~~ん!と頭を抱えた)観光課で管理しているガイド達は全員が江華島へ2泊3日の研修中~鳴梁大捷祭りの準備と後始末で担当職員は超忙しく・・この人以前は珍島犬センターにいて犬の扱いには慣れてるけど人の扱いは不慣れ・・ともっぱらの評判?臨時の担当で事務処理は私がすることになっていた。珍島には李舜臣将軍の戦跡地が2ヶ所ある。壁波と珍島大橋の下を流れる海峡である!こんな関係から海軍関係の人物が時々訪問するが私なんかのレベルでは到底対処できない!以前はバリバリの学芸研究員がいたけど契約期間が終わっりソウルに引っ越してしまったし課長も観光振興係長も忙しくて・・適当な人物がいない・・課長がチラチラこちらを見てる(嫌だな~~不安だな~~)気になってはいた・・・が・・「しょうがないな~ ヘジャ氏が案内するしかない~」「よりによって私ですか? 道案内は出来ますが、 海軍の教育用ビデオの撮影ですよ~ こりゃアイロニー!!私では不適格・・ 緊張すると言葉がロレますし~」言ってみたけど・・駄目・・この日の撮影は思い出したくもございません!ので抜きますでもワンシャ(一気飲み用グラス)をお土産に頂きまして・・それは記念に載せておきます^^カップの横腹にアナあり・・アナを指で押さえて一気に飲まないと、酒が流れ出る・・
October 23, 2008
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「エッ!この電話でいいの?」受話器を取ると韓国語の次に日本語が流れてくる。場所は珍島のバスターミナルの前・・だそうです・・「神秘の海割れの場所に行くには、どのバスに乗るのですか?」電話では説明しにくいので「ちょっとお待ちください・・」と車で行ってみると・・・ターミナルの前には日本人男性が3名!釜山日本人学校の教師でした。「日本のどちらですか?」「愛媛の今治です・・」うわ~今治はタオルの産地ですよね^^それに倭徳山との関連もあるので・・雲林山房神秘の海割れ倭徳山龍蔵山城珍島大橋というコースでご案内!!自分の田舎から来られたお客さんのように嬉しいから不思議ですね
August 22, 2008
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「日韓ふれあいの旅」と題して22名が珍島を訪問・・・・・親玉?は九州に住むJさん!メンバーは九州だけでなく関西組、関東組もおられる。珍島の前は光州泊まりよ~~く聞きましたら光州教育大学に訪問してきたと言われます。ええっなんで息子の通う大学に訪問されたの?光州教育大学はむかし光州師範学校でしたこの方々は師範学校の出身で、母校を訪問されたのです。ヘッ!!!ということは息子の大先輩ということで・・それは・それは・なんというご縁!!ご案内にも力が入るというものです
April 23, 2008
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京畿道の九里市で出生した息子は当然ながら韓国国籍である。当時は知らなかったが、小説「白磁の人」の主人公である淺川巧の墓がある共同墓地が家のすぐ裏にあり、よく散歩をした。22年まえの韓国の医療技術に多少の不安はあったが、有難いことに息子は無事産まれた。そうするものであると思い・・日本にも出生届けを出したので息子は二重国籍になった。しかし韓国生活しているから旅券も韓国のものである。いつかはどちらかの国籍を選択するべきとは聞いていた!!しかし何も事は起こらない~~のんきな!のんきな親である。ところがテレビの中継で ○長官候補、息子の二重国籍問題云々・・ 二重国籍をそのままにして・・・ 韓国籍を無くし・・というアナウンサーの言葉に愕然とした我が家の主人、役場に電話をしてきた!聞いた私は心臓が止まるかと思った。日本大使館に電話をすると「エッ日本国籍喪失届けは簡単ですけど たしか韓国は18歳まで国籍を選択するように なってますよね~ そしたら息子さんの韓国籍はないですよ~ それで日本国籍をなくしたら、 下手すると無国籍になりますね~ それは大変ですよ~~ 今することは、韓国側に韓国籍をとれるか 確認をしっかりして、 そのあと日本国籍をぬいても遅くありません」まったくダブルショック!!!光州の出入国管理事務所、「それは大変!! 国籍係りは非常に忙しくて 午後4時半~5時でないと通話できません・・・」現時間、午後3時いろいろ考えましたあ~~韓国の大学で勉強してる息子・・4年になったのに途中で韓国籍を喪失したらどうなるの教員試験を受ける資格もなくなるのかなあ~ドキドキしながら時間を待つ!!担当者に息子の生年月日を伝えると「ギリギリですね~~ 韓国では満22歳の誕生日が過ぎると 韓国籍が喪失し、日本国籍になります」「エッ韓国で産まれ、韓国に住み、 韓国で生活しているのに、韓国籍がなくなるのですか?」「そうです!息子さんは8月9日産まれですから 今年の8月10日に韓国籍は喪失します」「ギャ~~~~」またまた日本大使館・・・「日本の国籍を喪失するまでどれくらいかかりますか?」私自身、日本国籍から韓国国籍になったからこの期間は約6ヶ月ほどと知っている。有難いことに、最近は早くて1~2ヶ月で日本側の手続きは済むそうである。実家の近くに住む妹にして日本の戸籍謄本を送ってくれるよう頼んでこの書類が届いたら、韓国の戸籍謄本(今は家族関係証明書)を翻訳し息子と日本大使館にダッシュあとは時間との戦い皆様!こんなアホな親になりませんように
March 4, 2008
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観光課に見慣れないカップル・・コンピューターの画面を見ていた私は誰がきたのか知らなかった!でも職員が韓国語で「なんとなく日本人ぽい・・」というのでパンフレットを見ていたカップルに声をかけた。「日本人ですか?どこから来られました?」「は~~い大阪です。瀧口さん?」ご主人は在日で、奥さんは日本人・・ご主人のお祖父さんが珍島出身なので自分のルーツを知りたい!訪ねたい!ということで韓国語が出来ないながら珍島まで来られた。Yさんは民団を通じて珍島の戸籍謄本を取りよせ家系図まで書いて準備をして来られた。そこには氏族の名前はもちろん生年月日まで記入されていた。観光パンフレットだけでは細かい地域まで解らないので行政支援課に行き、行政地図をもらってくる。これは韓国語でなく漢字で地名が記入されているので有難い!!!氏族の住所も調べて来られたがほとんど生存者がいない・・らしい・・お墓だけでも行きたいといわれ!!!いったいどこから手をつけていいのやら・・こういう場合、町役場に行き住民係りの職員に聞いたほうが手っ取り早い早々に昼食を済ませ町役場に飛んだだけど町役場の職員も首をかしげ・・解らない~~それで町役場の隣りに住むY氏族の住む村長さんを電話で呼んでくれた。いや~~元気いっぱいの村長さん声もでかいし・・動きも早い・・「日本からお客さん???」と家系図を見て・・そこにご本人の名前を見つけビックリ仰天な・・なんと・・村長さんとYさんはまたいとこの関係であった。もうもう大変なことになってしまった。お互いに感激して、村長さんはお庭の柚子の実をお土産に・・親戚の方はお庭の柿を枝ごと切って日本に持ってけって・・有難いけど~~どうすんの???お墓参りのあと・・村長さんが珍島のバスターミナルまで自家用車で送ってあげたから枝ごと柿事件の結末はどうなったか知りません! 終わり
November 20, 2007
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ああ~~日本人誰もいないのに~外国人の案内というだけで~~日曜出勤だ~い英語なんか全然解んないルーマニア・ネパール・ブラジル・オーストラリア・インド・中国・アメリカ などなど 総勢61名でもね~やっぱり言葉は通じなくてもみんな動物好きで~~珍島犬の綱渡りとか・・説明無しでも、喜んで見学~~特別に珍島郡立民俗芸術団の太鼓踊りと珍島アリランの公演があり木陰での見学・・英語が出来ないのとっても心苦しかった・・・
September 10, 2007
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「土曜日私のオンボロ車でお迎えにいきます~」「DAMASでしょ?」「オモモ~~」「はいお土産」と柿ピー+柿ピーのわさび味まで下さるセンス!!しっかりこのブログ見てくださって脱帽もんで~~すそしてSさんはこんなパンフレットをもってこられました。主催を見たら「日韓海峡沿岸県市道」北九州市・アジアユースカルチャーセンターとありまして・・・これって先日私が通訳で出かけたアレではないですか!日本側、福岡県・佐賀県・長崎県・山口県韓国側、釜山・全羅南道・慶尚南道・済州道いや~~驚きました。特に日本のまんが「ケロロ軍曹」は娘が超大ファンでコッソリ?娘の部屋を公開すると出るわ・出るわ・・上のデカイ(名前知りません)中身はこまごまとしてて、どんなにスゴイか説明を30分してくれました・・お小遣いためて、投資するその熱意にまたまた脱帽・・これを近くで開催したら、娘は飛んでいくでしょう~~日本まんがの人気はすごいものです。Sさん~~これもまたご縁ですね~~これからも宜しく
August 28, 2007
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「ヘジャ氏!私、知ってるでしょ? 日本から親戚がくるんだけど案内してくれる?」「日本からの観光客でしたら、もちろんご案内しますよ」この日は陰暦の4月8日「お釈迦様の誕生日」で公休日である。イエス誕生のクリスマスは公休日なのにお釈迦様の誕生日はなんで公休日ではないのか!という仏教信徒からの主張により1975年から公休日になった。雲林山房・・その隣りには珍島で一番の古刹新羅時代に創建されたといわれる双渓寺がある。お寺では一年で一番大きい行事なので、風にのりかすかに仏教歌が流れてくる。約束の9時45分、雲林山房で日本人2名(正確には在日コリアン3世)を迎える。20代後半のお二人は韓国語が出来ない。話しを聞くと・・・祖父が19歳で日本に強制連行され37歳の時、珍島へ再び訪問したという。(たぶん)その間、日本で基盤をつくり家庭ももったので珍島へ帰ることが出来ず、日本に定住したのだと思う。ここで生活をしているといろんな方との出会いがある。2年前、智山面(町)の農協職員から「日本人の訪問があり、言葉が通じないので 来てほしい」と要請を受け、出かけた時もそうであった。智山農協のすぐ隣りが智山小学校であった。たまたま土曜日で、誰も学校にいなかったので農協に足を向けた!と言われる60を過ぎた初老の日本人であった。「小学校3年生までここの小学校に通った。 父は校長をしていた。私宅は学校の横・・・ たぶん、このあたりだった!」と、今は運動器具のある部分を指差した。落雷で焼けた古木も「この木、覚えてる・・」そして話しは続く・・・終戦を迎え、日本に帰国するとき洋服のポケットに手榴弾を入れて逃げた・・・韓国人が追いかけてきて捕まえようとしたら、手榴弾を投げるつもりだった。だが誰も追いかけて来なかった。懐かしい「珍島」でもあるが苦痛の「珍島」でもある。当時の様子はセピア色した白黒写真のようにおぼろげに頭をかすめるが、今の珍島は、とても豊かで、色鮮やかで、美しい!私には戦争の体験はない!だけどこうして珍島と関連があり訪ねて来られる人に接すると本当に考えさせられる。言うまでもないことだが、韓国と日本の関係は深くて、長い。
May 25, 2007
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先月の下旬、観光課に電話がありまして日本語の上手な男性の韓国人が「撮影に行きますのでよろしく・・」「は~い」と答えましたが「フジテレビのめざまし」とだけ聞きましてあとはまったく内容が解りません!こういう場合キチンと公式文書が届きますのでのん気にかまえておりました。だけど何の音沙汰もございません!ついに約束の前日「明日行きます。午後3時頃・・」「そうですか、来られるのですね~」(公式文書が来ないから上司に報告もしなかったのです・・・)直接お会いしまして理解できました~~ギャグマン二人で芸名が「5番6番」これオーデションの番号ですって・・・5番6番にあやかって5万6千円で韓国旅行をしながら珍島に立ち寄るという内容でした。フトコロと相談しながらの旅行なので予定は未定・・・なのでした。4回シリーズで珍島の放送予定は来年の1月22日とか珍島に関心のあります方は、見てください!めざましの可愛いハンカチを頂いちゃった~~
December 11, 2006
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韓国は秋夕で民族の大名節!陰暦のお盆である。息子は光州から早々に珍島へ帰ってきた。とにかく民族の大移動は10月3日の開天節から始まり、高速道路の混雑状況をテレビカメラが映し出す。そんなテレビを見ながら、ご先祖様にお供えする供物を準備中に(なあ~て偉そうなこと言ってるが、実は子供中心のメニューハムやソーセージを生卵につけて油で焼く、ジョンである・・・)髪を振り乱して準備してたら、携帯電話のベルが鳴る。「ヨボセヨ~~」相手は珍島にあるプリンス旅館のご主人であった。「日本人の観光客が何言ってるか解らない~」事情を聞いたら、今日(10月5日)ソウルからムグンファ号で木浦に席がなくて立ち席でようやく到着し、そこから珍島に直行してきたけど、10月8日には日本に帰国予定・・・だから高速列車のKTXチケットを珍島で予約できないか?顔が青くなりました~~~~だって民族の大移動といわれる秋夕に帰省客と一緒に移動してソウルに一緒に帰ったら、そりゃ大変ですわ~~相手いわく「私は昆虫を研究してまして、人の事情じゃなくて虫の事情で動くんです」まあ、珍島ではチケット購入は無理、また木浦に直接行くしかありませんよ!<第2弾>見慣れない番号だな~と携帯電話を取ると・・・「木浦レンタカーです。日本人の通訳をお願いします」(ああ~~プリンス旅館のご主人が私の携帯番号を教えたのね!)次の日、昨日の日本人がニッチもサッチも行かず、車をレンタルしてソウルに移動を考えたそうで・・でも日本と違い、ソウル乗り捨ては駄目なんです。結局はいつ到着するか解らないバスで移動となった・・・そうで・・・<第3弾>携帯電話のベルが鳴る。年を取ったせいか、熟睡できないのでわずかな音でも敏感に反応するのは主人も一緒である。時計を見たら真夜中の2時30分!電話を取り、私に手渡す主人・・・「モシモシ~あの~ソウルに到着したんですが、 ソウルのタクシーの運転手は英語が通じないですね~ 旅館で休みたいんですが、運転手に言ってください」(そうか無事ソウルに到着したのか!オメデトウ・・パチパチ)でもね~昆虫の事情も解りますが、韓国に来るんでしたら、キチンと下調べをして来てくださいませ!!真夜中に電話されたら、さすがキツイですわ~~
October 9, 2006
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この雑誌が以前から時々送られて来た。内容がとても濃くて韓国各地の情報がいっぱい。数年前にご案内したメンバーから忘れずに送られてくるので読んでは、チェックして勉強していた。表紙を開くと目に付くのが、この憲章である。「唐辛子の会憲章」1)限りなく韓国の風土と文化を愛すること。2)日韓両国の親善と交流に努力すること。3)常にやじうま根性旺盛なること。4)個性豊かにかつ協調の精神を重んじること。5)飲食に徹底的にこだわること。「日本人から電話だよ~~~」 と職員から呼ばれ、走って電話を受けると「モシモシUです。今ソウルから珍島に向かってます。 到着したら連絡します」 覚えのある名前だった。唐辛子の会の雑誌と言われたので すぐに雑誌の後ろページに紹介されている メンバーの一員であることが解った。一行4名と言われるので、私のボロ車でご案内する。でもね~~~~心配なのはドアの調子!!!運転席と助手席は問題ないが・・・後方の左ドアは外からも中からも開かない!右ドアは外からは開き、中からは2~3度挑戦すると開く!まったくのお調子もんで(気分がいいと1度でOK)だが・・・この日は午前中は調子が良く午後にはウンともスンとも・・中から開かなくなった・・Uさん一同は言う!「ケイコさんの車はパトカーみたいですね! 犯罪者が逃げないよう、中から絶対開かない」観光地に到着すると「ほら下りろ!」と助手席のUさんが、 いちいち外からドアを開けて下さる。あ~~~胸が痛むが・・忙しくて・・修理する時間なし・・1泊2日のスケジュール!明日はどうしよう!そしたら夕食後・・帰宅途中で車がガタガタいう~~な!なんとパンクしてた。次の朝、早々、知人のレッカー車を呼んで珍島邑まで引っ張ってもらい、パンクとドアを治してもらった。観光客の皆々様!ドアは開きます!もう警察車ではございません!ご心配なくお出で下さいまし~~~(ただし左ドアだけ正常)右ドアは解体しないと修理不可能・・・この日の観光案内、約束時間が迫り後ほど修理いたします。
May 23, 2006
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男性5名、女性5名の10名が訪れた。カーさんという日本産まれの韓国人がご案内役で釜山からレンタカーを借りての訪問であった。山登りのお好きなメンバーは、韓国の名山にも挑戦され先回は月出山にも行かれたそうだ。珍島で最初の訪問先は珍島郡庁文化観光課!なんとも足らない私にまずあいさつをしたいとのこと・・・観光課長にごあいさつをすれば、私も動きがとりやすいから!「珍島郡庁の正面玄関前にて」「観光課長にごあいさつ」Sさんご一行「珍島、2泊3日旅行」のメインテーマは「神秘の海割れ体験と、珍島最高峰の尖察山登り」お宿は民宿で・・・バンガローなんかでも寝てますから・・・雑魚寝でも大丈夫・・・という注文であったが・・・珍島は夏の海水浴シーズンしか民宿はしていない!無理して頼むことは出来るけど・・・いろいろ考慮して珍島美術館を紹介した。ここは学生数が減少し、廃校になった小学校を改造して観光客が宿泊できるようにしたお宿だ。だけど食事が出来ないのが難点!一日目の海割れは現象が少々弱く、海辺で見学だけしたが、本格的に楽しみたい!という要望で、黄色の長靴を借りておき二日目の午前は登山、午後は午後3時に船を準備してもらい黄色の長靴を履いて茅島に渡り、海割れ現象が起きたら茅島から珍島に渡ってくる!というスケジュールで行動した。私は珍島側で待っていたが、これは大成功だった。(私は知らなかったが)茅島を一周する散歩道があり、最高に楽しまれたらしい「あれはお薦めよ~~~」としきりに言っておられたが、肝心の私が行ってないので写真で紹介出来ないのが残念である。(宿題が出来た)珍島に関するいろいろなアドバイスは的を得ていて非常に有難かった。またぜひお出で下さい~~
May 16, 2006
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