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新しくオープンした珍島タワーは珍島大橋を渡ると高台に見えます。鳴梁海峡に関する彫刻品があり風が強くて夏は非常に涼しいですが・・・冬は超・超寒いです。現在入り口の道路が工事中ですので大型バスは通過できません。下の駐車場から徒歩でタワーまで移動してください。(ごめんなさい^^ 団体客のためにケーブルカーを設置する予定です)
October 8, 2014
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今年も愛媛県の今治市から来島保存顕影会のメンバーが鳴梁海峡祭りに招待された。時は1597年、慶長の役日本水軍と朝鮮水軍が戦った・・戦の前日李舜臣将軍は「必死即生必生即死」という名言を残した。朝鮮の船は一隻も失うことなくその10倍を超える和船を打ち崩し和船31隻を打ち沈め、90隻を破損させる世界海戦史に類のない不明の神話を残した。今治市からの一行は日本水軍が埋葬されている(と伝えられている)倭徳山に参拝し・・珍島大橋での海戦再現を観覧し・・珍島大橋から日本兵士を追悼する献花をした。当時10代後半から20代の若い男子が動員されたというから・・胸が痛い・・
October 25, 2012
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今から414年前のこと珍島大橋の下で大きな海戦が起こった・・日本の水軍は・・約130隻立ち向かう朝鮮水軍は12隻+修理した1隻を合わせた13隻どう見ても朝鮮側の勝ち目は無かった・・「必死則生 必生則死」死ぬ決意をしたら生きるし生きようとしたら死ぬであろう韓国の英雄・李舜臣将軍と民衆は一つになり山のように押し寄せる日本水軍に立ち向かった・・激しい潮流の流れを利用した当時の様子を再現したらドラマチックだが現代の海洋技術をしても命がけの戦になる・・だから流れが穏やかな時間に海戦をするので正直・・今一歩・・迫力が無いもっと言わせてもらったら朝鮮側は廃船を修理して戦に向かったと言うが・・何と立派な船・・立派すぎる・・船だけみたら朝鮮側か倭船か区別がつかないほど!映画のようにはいかないが雰囲気を・・お知らせ・・第一珍島大橋は普段車は走らないそこが歩行者天国になり・・海南と珍島の間は第二珍島大橋で行き来する!これはオマケ・・ウコンのマッコリそして可愛いい珍島犬
October 4, 2011
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先日開催された「鳴梁海峡祭り」慶長の役で亡くなった日本兵の慰霊祭も行われた。今年も愛媛県の今治市から来島保存顕彰会の皆様が参加された。まずは珍島郡・古郡面・内山里にある日本人墓地(と伝えられている)倭徳山に参拝し、お経をあげる。珍島大橋付近に水上舞台を設置し倭兵の慰霊祭を行った。後ろに見える白い韓国服の女性は人間文化財、朴ビョンチョンの娘である。珍島シッキムクッは国家指定重要無形文化財に指定されておりこのシャーマンの儀式を見学するため全国から観光客が訪れる。夕方には李舜臣将軍の銅像前で風灯をあげた。来島保存顕彰会の一行は参加しなかったが後で写真を見て感動してしまった。スポットライトに映る映像が本当に美しい・・・
October 25, 2010
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これは先月行われたお祭りのポスターである。カメラがなくて私は写せなかったが、空から見た第一珍島大橋を渡る葬式行列が壮観だったのでご紹介。「倭船を生かして帰すな!!」時は1597年9月16日!日本の慶長の役(丁酉再乱)当時、忠武公・李舜臣将軍が13隻の船で133隻の倭船を撃ち崩たのが珍島大橋の下を流れる鳴梁海峡である。 昨年は主舞台が海南郡側で行われたが、今年は珍島側に鹿津舞台を建設し公演を行った。後ろの龍は頭が回転する。 メインは鳴梁海峡で死んだ朝鮮水軍と湖南の民衆義兵、そして日本水軍の怨みの魂を慰める追慕の挽章(死者を悼む文の書かれたのぼり)の行列である。 私も挽章を持ち一行に加わった。歩いている本人はわからなかったけど空から見たらすごい光景である。珍島の各町から動員された住民達・・珍島挽歌の歌が続く・・珍島挽歌は巫女の音楽と、民謡が一緒に歌われることと女性も棺担ぎの行列に加わることで無形文化財の指定を受け伝承されている。
November 6, 2009
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珍島大橋を渡ると朝鮮の英雄「李舜臣」の銅像が建つ韓国最大の大きさ・・1597年「慶長の役」の戦いを再現!正直がっかりした・・現実感なし・・これはカッコいい!海軍の公演!これらのイベントは10月9日~11日まで3日間全羅南道庁・珍島郡・海南郡が合同で主催した。全羅南道庁の道知事が力を入れているこのイベントは監督がいて、いろいろアイデアを出して企画をたてる。だが頭の中の企画なので、担当職員は頭をかかえた。監督は口で指図する・・公務員は公式文書にして、記録に残しながら動く・・まず予算を立て、その予算内で計画をたてないといけない。業者に仕事を指示して、証拠に写真を取り・・そういう流れを無視して、監督の指示が下る。珍島は海南の公演会場で何しているのかわからない・・パンフレットは前日に配られた・・監督・・道庁職員・・海南職員・・珍島職員とゴチャゴチャで何をどこに問い合わせたら良いのか頭はオーバーヒート!こんなに疲れるイベントは初めて・・日本の神奈川県から来られた観光客を案内するのに珍島大橋を数回往復した!十分なご案内が出来ず、申し訳なかった。こんな中で最高の収穫は李舜臣を描いた「弧将」原作家のサインを頂いたこと
October 21, 2009
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海南と珍島に架かる橋の下を鳴梁海峡と呼ぶ。海が鳴くような音を出すことから付けられた名だ。「鳴梁大捷祭り」は411年前にこの珍島大橋の下での海戦を実現した。見物する観光客・・・朝鮮時代の代表的な軍船「板屋船」を復元!原因不明の出火により全焼(たった一度の試運転、お祭りの本番前に全焼)でも海戦の再現は予定どうり始まり・・なかなかかっこいいけど・・海に落ちた兵士は・・寒いでしょうね~~ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー珍島にはシャーマンの儀式である「シッキムックッ」が国家の無形文化財に指定されている。昨年まではこの時期に珍島大橋の下で亡くなった魂を洗う(慰める)シャーマンの儀式と、珍島挽歌という葬式歌で朝鮮兵士・日本兵士・高麗時代の兵士などなど時代と国境を越えての慰霊祭名づけて「平和祭り」を毎年おこなってきた。この人は珍島シッキムクッ伝授教育保有者の金オヒョンさん・・白くて長い布は魂を引き寄せてくる今年はその内容を濃くして~~韓国内と世界のシャーマンを招待~~北朝鮮の黄海道に伝わるマングテタクッ慶尚道を中心に南海岸に伝わるビョルシンクッ日本からは宮崎県の高千穂神楽これは国家の重要無形民俗文化財に指定されている。写真にはないが、最後は獅子舞いがあった。司会の女性は「見学している観光客の側に行き獅子が大きく口を開けたら怖がらず頭を入れて下さい。運が開き、頭が良くなり・・・」なんて言うものだから、こちらに来ないかな~~でも来ないまま・・儀式は終わる・・(残念・・)そしたら横の小学2~3年生位の女の子がギャーギャーおお泣きを始めた・・(獅子に食われたいのに?行っちゃった)と言っている・・私は走って呼び寄せた獅子に頭を差し出し・・喜ぶ女の子まあ・・ついでというもので・・私も頭を・・これで少しはマシになるかと・・淡い期待を致します・・家で娘に話すと・・その証拠を確認したいと・・高校の数学と英語の教科書を持ってきた・・解いてみて~~まったくしょうもない娘です誰に似たのか???中国はカン族のソクビ巫俗儀式インドの南西部地域に伝わる巫俗儀式蒙古の巫俗儀式各チームの公演は1時間30分づつ長いけど・・こんな機会はないので・・観光案内をしながら・・いったり来たりで見学~~
October 14, 2008
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珍島の碧波には珍島大橋の下の戦いで勝利を収めた李舜臣将軍を称える石碑が建っている。先日4月29日は李舜臣将軍462周年の誕生日だったので石碑の前で記念行事を行った内容を紹介する。午前11時から石碑の内容を朗読し珍島郡守の代理、副郡守の焼香を初めに議員さんや、海軍関係の人々の焼香が続く。約1時間で記念行事は終わり、昼食を食べて解散!でした。
May 2, 2007
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この祈願祭は珍島大橋の下で亡くなった霊魂の歴史・文化・国境を越え、過去~現在までの合同慰霊祭である。11月4日の土曜日、珍島大橋に向かう途中でぽつぽつ雨が降り始めた。天気予報は「夕方から雨」であったが、予報が外れたらしい!だんだん雨は強くなる。位牌の数は、どれほど数多くの戦死者がこの場所で亡くなったかを物語る。強く打つ雨と風は、死者の涙のようだ。この中には倭徳山で亡くなった、来島村上水軍の位牌もある。カンガンスウレ!珍島にはカンガンスウレの保存会が3チームある。全員集れば100名超えるが、今回は2チームだけの参加であった。けれども80名の公演も、なかなか見ものである。カンガンスウレの瓦踏みこの頃には雨が上がり、橋を渡る観光客が足を止めて見学する姿が見える。文録・慶長の役で使われた通信用凧の展示珍島には、この研究をしている住民がいる。本人が直接自宅で凧を製作している。棺を載せる輿である。小さい箱は魂を運ぶ棺である。これは100年ほど前から珍島郡の智山面に保管されている輿。装飾品は死者の人生を現す。生前、楽師だったら楽器を弾く姿を彫るのだそうだ。鶏は朝を知らせる働きものだ。死者は働き者だったという意味をもつ。上の古い棺は珍島邑に保管されている葬與で下の写真は現代式の新しい葬與である。煌びやかに装飾されている。珍島大橋を渡る葬與!東洋一と言われる激しい潮の流れ!棺と挽詩(または挽詞)を燃やす儀式村に保管されている古い輿は燃すことが出来ない。儀式に使われたのは、新しい與である。慰められた霊魂は高く高く上る。涙のような雨が降ったあと、空には青空が見えていた。煌びやかな葬輿は 町ごと住民が準備したものだ高麗時代の蒙古との戦 朝鮮時代の日本との戦そして同じ民族でありながら 今も自由に行くことができないこの国の嘆きを一つ一つ解き放ち心だけでも 魂だけでも国境を越え 民族を越え 一つになるために輿は燃えて 燃えて 燃え尽きた
November 7, 2006
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