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今日は朝から冷え込み、多分5℃くらいまでしか上がらなかったのではないだろうか。午前中は町内会の花壇の花や街路樹の後片付け作業。10時頃には終了したので、雨にあたらずに済んでホッとした。自宅に帰ってから間もなく小雨が降り始めたので、セーフ!という感じ。これから、どんどん冬に向かってゆくのかと思うと、ちょっと気が重くなる。知り合いから「喪中欠礼」のはがきが届く。そんな季節になってしまいました。
2019年11月07日
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前回ブログを書いてから、時々の休日をはさみながらもブドウ収穫手伝いの日々が続いている。今年は今までになく手伝いに行く日々だった。というのは、夫も私も今年から出かけなくてはならない組織の役から解放されたこともあり、息子たちの手伝いを優先させることが出来るようになったことと、例年以上に収穫量が増えたこともある。おかげさまで、来週二日ほどで収穫作業は終えることが出来るらしい。私達は収穫さ作業が終われば帰宅していたのだが、息子たちはそれから除梗やプレスなどをして仕込み作業が深夜まで続く。多分疲労が蓄積されてると思うが、みんな体を壊さず頑張っている。みんなの汗が隠し味となって、良いワインになりますように。昨日は雨だったので、行きたかったシネマ歌舞伎の「ヤマトタケル」を観てきた。途中で二回の休憩を挟んでの大作で、私は連日の作業で疲労がたまっている腰が辛かった。スーパー歌舞伎といわれるものにはあまり興味はないのだが、この作品の原作は哲学者の梅原猛氏が書き下ろしたものなので、一度みたいと思っていたものだった。内容の詳細や感想は長くなるので割愛するが、梅原猛氏の日本の歴史や現代の日本の状況への考え方が色濃く反映されたもので、とても興味深く観ることが出来た。それにしても豪華絢爛・華やかな作品であった。主演の市川猿之助(4代目)の歌舞伎はあまり見ることがなかったけれど、やはり力のある役者だと思った。
2019年10月20日
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9月27日(金) 十勝へのバスツアー参加。 帯広畜産大学・学食での昼食は、「牛トロ丼」。十勝方面では豚丼と並んでソウルフード? 美味しかったのだけど、生肉だし脂身が少し胸にもたれてしまった。 一番の目的は「神田日勝記念美術館」。 「なつぞら」ですっかり有名になったらしいけど、私は以前から行ってみたいと思っていた。 絶筆の「馬」が有名だけど、様々な描き方の作品があることに驚いた。 9月28日(土) 息子のお嫁さんが胃腸の検査のためにクリニックに行くことになっていたが、 夫である息子は他のブドウ畑の収穫の手伝いに行かなくてはならないというので、 何があるかわからないから押しかけ付き添いをすることにした。 結果は「ピロリ菌」がずっと悪さをしていたらしいということで少しホッとする。 ずっと忙しかったので、結構長期間我慢していたらしい。 早く体調が回復してほしい。 帰宅したら、ラグビーw杯の二戦目で、日本がアイルランドに勝利。 ラグビーW杯 4年前の奇跡再び…喝采、絶叫、万歳こだまするスタンド 2019.9.28 19:34 ラグビーのルールはわからないけれど、日本は本当に粘り強いと思う。9月29日(日) 急遽、ぶどうの収穫と選果作業の手伝いに行く。今年はぶどうの状態がとても良く、収穫していても楽しい限り。良いワインになりますように。9月30日(月)シネマ歌舞伎「幽玄」を見に行く。太鼓集団「鼓童」との共演なのだが、本当に素晴らしくて感動。帰宅してからパンフレットで、佐渡と能楽の歴史を知り、鼓童が能楽とのコラボをすることは歴史的必然だったのだと再確認。鑑賞後のランチは、クロスホテルでのビュッフェ。私は知らなかったのだが、ここのランチは女子会人気ナンバーワンとか。確かにおしゃれでメニューも豊富、12時半に予約していたのだが、三時までゆっくりできたのでとても満足でした。
2019年10月01日
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毎日毎日、北海道も30℃越えの日々が続いている。我が家にはクーラーがないので、自宅では扇風機頼りなのだが、その風も生温かい。加えて湿度が高いので、熱い空気が重たくまとわりつく。ということで、自宅にいることは心身共にストレスが加わってしまう。ということで、この数日の過ごし方。7月30日(火)自動車内のクーラーに頼ろうと、最初は目的を持たずにドライブをはじめ、支笏湖から洞爺湖に行こうということになる。洞爺湖の手前の壮瞥町は果樹園が多く、「サクランボ狩り」の旗が次々と見えてくるので、サクランボでも買って行こうかと「藤森果樹園」に立ち寄る。すると、入園料が1080円ということで、これなら値段分だけ食べることもできると入園。サクランボとブルーベリーが食べごろと言うことで果樹園に入ると、予想よりずっと広大な畑が広がっていた。サクランボも種類が色々あるようで、甘くて大きいもの、真っ赤で甘酸っぱいもの、色が薄くても甘いものなど色々である。今年は成りが良いようで、どの木もサクランボが鈴なり。ブルーベリーも記憶では4種類は植えられていて、これもむしゃむしゃ食べ続け、これ以上食べたらお腹が壊れるかもと思うところでやめておいた。ということで、サクランボとブルーベリーでランチ終了。その後、洞爺湖から登別ら向かったのだが、下界は30℃を超えていたのに、オロフレ峠は20℃で霧の中。その後、登別に降りたらまた30℃越えであった。ということで、この日は自動車のクーラーでしのいだ一日。7月31日(水)高血圧の薬が少なくなってきたので、この日はクリニックで少し涼み、その後隣町の図書館で半日しのいできた。しかし、図書館もエコにしているようで、思ったほど涼しくはなかったが、じっとして扇子を使えばしのぎやすい。夜は、自宅の屋根の上が涼しいことに気付き、屋根に寝転がって夜空を眺めていた。それでも、本格的就寝は部屋に戻らずを得ず、やはり寝苦しい夜だった。8月1日(木)前日の病院で味をしめ、この日はメガネの処方箋を書いてもらうために眼科へ。ここでは検査等で結構時間がかかったため、半日たっぷりと涼ませていただいた。使っている遠近両用のメガネがどうも合わなくなったようなので行ったのだが、本当に驚いた結果となった。つまり、前回遠近両用を作った時はメガネ屋さんで検眼して作ったのだが、その時には間違いなく近視になっていたはずなのに、今回は1.2まで見えていたのだ。ということで、老眼鏡を作ることにしたのだか、こんなことってあるのだろうか。ひょっとして、暑さで目の筋肉も柔らかくなり、一時的に視力が上がったのではないかとちょっと心配な気もする。それでも、日常的にメガネをかけずに過ごしているのだし、必要なのは読書の時の老眼鏡なのでそれでいいのだけれど。私は若い頃は視力が良くて、みんなが勉強などで視力が下がる高校時代の視力検査では、なんと一番下の2.0まで見えてしまって、周囲にそんな人はいないので恥ずかしくなり、1.5でやめておいた記憶がある。その眼力の底力が、また復活したのかも。(でも、老化には勝てずしっかりと老眼である)ついでに色々と検査をしてもらった結果、白内障の初期ではあるようだが、そのほかは異常なし。今年に入って妹が白内障の手術をしたので、それが少し心配だったのだ。まだしばらくは、目が悪くなって本が読めなくなる心配はなさそうでありがたい。そして今日。またまた暑くなりそうで、今日はどうしようかと思案中。洗濯物を干してから、また図書館にでも避暑に行こうかと思う。
2019年08月02日
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所要のため札幌へ。詳細は別記。
2019年07月12日
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前日の続きだが、傍聴も結構疲れる。
2019年07月10日
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気になる裁判があり、裁判傍聴初体験
2019年07月09日
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寒暖差が激しい天候が続いていたので、花壇に花苗を植えるのは見送っていた。そろそろ冷え込んでも氷点下にはならないだろうしと、この日は花卉農家に行って花苗を購入してくる。実は、今週末に孫の通う岩見沢農業高校でグリーンフェアがあるので、その時に追加の花苗を購入したいと思い、本日は花壇も少し中途半端に見える状態。そのほかにも、プランターや空いている場所に花を植えて、我が家の庭も色とりどりとなる。現在の庭は、水仙、チューリップ、レンギョウ、カタクリ(黄色)、芝桜などが咲いていて、とても明るくなった。でも、同時にタンポポや踊子草などの雑草に近い花(?)もグングン成長。どちらも花は可愛いと思うが、他の植物エリアにどんどん侵略するので放っておけない。これからは、雑草との追いかけっこが始まる。
2019年05月07日
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5月3日(金) 所属する会の会報作成。 次の日からまた出かける予定だったので、この日にやってしまおうとパソコンに向かう。 ほぼ完成と思った時、なんだか物足りないことに気付いた。 予定していた原稿が二人分届いていなかったので、あわてて電話して依頼する。 四月末を締め切りにしていたので、忘れてしまっていたらしい。5月4日(土) 息子たちの畑の手伝い。朝9時頃から午後4時頃まで。 この日は晴天で気温もグングン上がる。 11時頃、以前からブドウ畑を見たいと言っていた知人夫婦がやってくる。 その後、ブドウ畑の説明や、夫や息子たちを紹介した後、 近く(といっても車で10分くらい)の大型スーパーのフードコートで軽い昼食。 午後からも仕事をしなくてはならないので、食べ過ぎると気持ちが悪くなるので、 せっかく来てくださったのに申し訳ないけれど、そんなランチにお付き合いいただいた。 まだ気温が慣れていないせいか、途中で心臓がバタバタしたりのぼせ前兆になったりで、 休憩しながらなんとか倒れずに頑張りました。5月5日(日) 私より9歳年上の夫は、本当に元気である。 この日も天気が良い予報だったので、 前夜「明日早起きして、北斗市の桜を見に行こう」という。 以前、函館五稜郭の桜を見に行った時、北斗市法亀寺の枝垂れ桜は三分咲き、 松前藩戸切地陣屋跡の桜並木は固いつぼみ状態だったので、 それを一度は見なくてはというのだ。 車を飛ばして行ける時に行かなくては、後で後悔するかもと朝五時に家を出る。 連休で大型トラックが走っていないせいか、予想より早く法亀寺に到着。 その噴水のような桜の木に圧倒された。 戸切地陣屋跡の桜並木も満開。 とにかく、どこに行っても桜・桜・桜であった。 その後、鹿部の間歇泉公園に行き、足湯で和みながら間欠泉を見て、 温泉熱を利用した温泉卵や牡蠣蒸しをいただく。 魚介や卵、野菜や肉などを売店で購入し、蒸す場所で自分で蒸すという方式。 卵はともかく、牡蠣はとても大きくて食べ応えのあるもので大満足。 帰途、森町の道の駅と隣接するオニウシ公園・青葉ヶ丘公園の桜も堪能。 この場所では、さすがに駐車場に入るのに少し時間がかかった。【法亀寺枝垂れ桜】5月6日 なんと夫は、昨日息子たちに買ってきたお土産を届けがてら、 半日だけでも畑の手伝いをしようという。 前日一日運転していた彼に負けるわけにはいかない私は、当然付き合うしかない。 それでも、半日仕事をしたらさすがに、「やっぱり疲れた。お昼食べたら帰ろう」。 パワー全開の三日間でした。
2019年05月07日
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しばらく忙しくしていてブログを書くことが少なかったので、覚書。4月16日(火) 今年の息子の畑の初仕事。 一時期寒さが戻ってしまい雪融けが遅かったので、やっと番線上げ作業。 久しぶりの朝から夕方までの作業で、少々お疲れ気味。4月17日(水) 所属するボランティア団体の総会。 無事に役員が改選され、私も代表を引退することが出来てホッとする。 退会したわけではないので、これからも活動には参加するのだが、 とにかく責任者を引き継げたということには安堵している。4月18日(木) 久しぶりにシネマ歌舞伎をTさんと鑑賞。 今月は「野田版 桜の森の満開の下」 現代演劇界を代表する奇才 野田秀樹が坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を下敷きに書き下ろした伝説の舞台『贋作・桜の森の満開の下』。1989年に“劇団 夢の遊眠社”により初演されて以来、安吾作品のエッセンスを随所に散りばめた壮大な戯曲、恐ろしいほど妖しく圧倒的に美しい世界感が多くの演劇ファンの心を奪い、常に上演を望む声が聞かれる作品です。そんな伝説の舞台が、ついに歌舞伎として新たに生まれ変わり、この度再びシネマ歌舞伎として全国のスクリーンに登場します。多分、大きなテーマが複数錯綜していて、この舞台作品を観たことのある人、あるいは野田秀樹作品をよく知っている人には感動しやすいものだのだろう。しかし、私にはちょっと「様々な要素がてんこ盛り」のような感じで、消化不良のような感じだった。でも、私は中村勘九郎と七之助兄弟が好きなので、その力一杯の演技には拍手である。それと、随所に「歌舞伎役者の動きってすごい!」と思わせるものがあり、出演者全員に拍手。それでも、私たちはやっぱり「新作歌舞伎より古典的な方がいいね」という感じで、来月の「ワンピース」は、そもそもその漫画内容も知らないのでパスすることにした。4月19日(金) Iさんと、別の団体の会報の印刷と発送作業。4月21日(日) 息子の畑仕事。日中は暖かかったが、3時頃から急激に気温低下して最後はとても寒かった。 この季節は、暖かいと思っても寒さに備えた準備が大切と痛感。
2019年04月22日
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9月26日(水) シネマ歌舞伎「海神別荘」鑑賞『海神別荘』作品紹介 海底にある宮殿琅玕殿(ろうかんでん)の公子と、地上の美女の恋を描いた物語。幻想的な宮殿での幕開きに続いて、黒潮騎士に囲まれた美女の輿入れへと、美しい場面が絵巻物を広げるように展開します。公子と美女が対面し、水底の世界の素晴らしさを語り聞かせる公子と、俗世界への未練を残す美女との対話は名場面であり、鏡花ならではの美しい台詞を楽しめます。そして伴奏音楽にハープを用いて、より幻想味を高めているところが坂東玉三郎演出の特色です。玉三郎は泉鏡花に感動し、その作品の舞台化を何本も手掛けている。確かに、泉鏡花の作品は玉三郎と親和性があるとは思うが、私自身は泉鏡花はあまり好みではない。どうしてなのか自分でもよくわからないのだが、人間の美醜の狭間というか、煩悩と純粋性の接点のようなある種の不気味さのようなものが、心地よくないというか…。でも、そのような世界を体現できるのは玉三郎だけかなとも思いながら見ていた。もう一つ、公子役の市川海老蔵がこれまたこの世のものとは思えぬほど美しくて、幻想を現実化させるような気がした。難を言えば、多分舞台だけで見たなら玉三郎も幻想的な美を感じるだけだったと思うが、やはりアップになると役者の実年齢を想起させるものがあり…。舞台で見るのが良いか、シネマ歌舞伎で見るのが良いか、ちょっと微妙かな。9月28日 先日の地震による停電のせいではないと思うが、二日ほど前の朝、テレビが映らなくなった。近所の電気屋さんに見てもらったが、内部のコンピューターのせいではないかとのことで、メーカーに来てもらうことになった。幸い、保証期間中ということで、無料修理でありがたかった。近所のY電気店は、大型店の進出で最近少なくなってしまった「町の電気屋さん」だ。そのせいもあるのだろう、台風とその後の地震以来大忙しのようだ。大型店では対応してもらえないような「困ったこと」を助けるのは、やっぱり地元の電気屋さんなのだけど、私の知ってるだけでも「電気店」は随分閉店してしまっている。大忙しなのはメーカーも同じことのようで、修理に来てくれた人を見てちょっとびっくり。かなり年配にお見受けした。きっと、定年で退職した人が駆り出されているのではないだろうか。技術屋らしく無口な人で、何か聞いても最小限度の言葉しか返ってこない人だったが、「地震以降大変なのでしょう?」と聞くと、「忙しくて…」と本当に参ったというような苦笑いをしていた。それでも、とにかくテレビがついたのでホッとする。9月29日(土) ずっと関わってきた全道的な行事に参加。それに関する会の代表を降りたので、今回はお世話になった人たちへのお礼のご挨拶を兼ねて一日目だけ参加する。全道的に同じような目的の団体やグループはいくつもあるけれど、なかなか後継者に引き継ぐことができず、代表者が変わらない状況がある。だから、「みらいさん、よくバトンタッチできましたねえ」と異口同音に言われる。有難いことだと思うと同時に、やはり団体と言うか組織は、意識的に新陳代謝を図らねばならないとも思う。そのためには、そのことを意識して色々な人に関わってもらったり助けてもらうことを継続する必要があるのではないか。そう思ってもなかなかうまくいかないことも多いけれど、私は何とかバトンタッチできたことを感謝しよう。9月30日 15日に亡くなっていたという樹木希林さんの葬儀の日。内田裕也と樹木希林と言う夫婦は、本当に稀な夫婦だと思う。二人の関係については本人同士が納得していることだろうから何も言う気はないが、その後見た一人娘の也哉子さんの言葉を聞いて、「本当に大変だったよね」と同情してしまった。それでも、本木さんと結婚し、母親が大切にしまってあった父からの手紙を読むことで、長年のわだかまりが解凍され両親への理解とつながったことは本当に良かった。きっと、もう少ししたらこの両親の血を引く自分自身を本当に誇りに思い自分を本当に愛せるようになるのではないだろうか。親子って、本当に難しく大変な関係です。10月1日大型の強力な台風が来ると覚悟していたが、このあたりは明け方に雨が降った程度。北海道の太平洋岸(東側)を猛スピードで通り過ぎていったようだ。当然、被害の大きい地域もあるけれど、この地域は申し訳ないほどあっけない通過であった。また、南方では台風が発生し日本に近づいてきているようだ。これ以上の被害をもたらすことがないように祈るのみ。
2018年10月02日
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決して具合が悪くもないし寝ているわけでもないが、何となく日が過ぎてしまっている。少し日が過ぎてしまうと、少し前のことも思い出せない。ということで、覚えている分だけ備忘録。9月11日(火)一週間帰省していた大学生の孫が、千歳空港から仙台空港に。台風→地震→停電などと、最悪の時期に帰省してしまったことになる。最後にお寿司でも食べさせたいと思っていたが、地震騒動でそれも無理。せめて空港まで見送ろうと出かけたけれど、空港内の売店は閉鎖中。孫も、大学仲間にお土産を買いたかったみたいだけど、それも無理だった。最近我が家でブームになっている「塩トマト甘納豆」4袋を持参したのが、唯一のお土産の品になってしまった。空港内では飲食店も開いていないので、お弁当をあちこちで販売していた。「海鮮チラシ弁当」が孫への送別の品となる。9月12日(水) 8月から、ひょんなことから「二胡」を始めた。一つの団体の代表を降りたのを機に、何か趣味的なものをやりたいなと思っていたが、そんな私の目の前に現れたのが「二胡」。高校時代にマンドリンをやっていたれど、それ以来楽器には触れていない。それでも、若い頃に少しでも楽器を経験していたのが生きているのか、結構曲が弾けるようになってきた。しかし、またまだ音が安定しないし、ギーゴギーゴを脱していない。この日は初級から中級編の曲に移って久々に自分のことで嬉しさを感じた日。9月17日(月) 蕎麦の脱穀。今年は天候のせいか、種を蒔いた時期や土地のせいか、かつてないほどの不作。少しではあっても脱穀はしなくてはならないのでとりかかったが、脱穀後にかける唐箕が壊れてしまった。長男が倉庫から取り出すときに落としてしまったためで、応急手当をしてもものにならない。次男が少し修理してみるというので任せて帰宅。9月19日(水) 子育て支援グループの例会と「わらべうた」の研修会。 日本はわらべ歌の宝庫ともいえるけれど、 それを使って子育てをできる人はどれだけいることだろう。9月21日(金)町内の花壇の除草作業。今回は出てくれる人がとても少なくて、結構時間がかかってしまった。20年前に私が役員をやっていたころは、沢山の人が出てくれて作業もすぐに終わったが、高齢化が進むにつれて、一所懸命やってくれていた人がいなくなり、今は本当に限られた人ばかりが出てくれる。それにしても今回は少なかった。そんな中で一人、初参加の私より少し年配の女性がいた。新しくできたマンションに住んでいる人で、他の市から転居してきたという。「知っている人がいないので寂しくて。これからよろしくお願いします」とおっしゃる。マンションだらけになってしまった町内だが、このような人は本当に稀だ。最近のマンションはセキュリティーが厳しくなり、そのせいもあって町内会行事の回覧板も回せない。当然町内会費も集まらないという状況なので、自ら外に出て戸建ての人に声をかけてくれる人には感激さえしてしまう。そういえば、昔は戸建てで転居してきたら、その区の区長に挨拶に行ったり、隣近所にタオルの1枚など持って挨拶に行ったものだが、最近はそんなこともないようだ。我が家の向かいのマンション(区は違う)に、どんな人が住んでいるのかもわからない。災害があった時など、これで大丈夫なんだろうか。9月22日(土) 札幌の道新ホールで開催された「道新フォーラム」に夫と参加。 参加者のほとんどは私たちのような高齢者に属した人ばかり。保阪さん「明治から150年を総括すべき」 札幌で道新フォーラム北海道新聞 09/23 05:00 道新フォーラム「現代への視点2018~歴史から学び、伝えるもの」(北海道新聞社主催)が22日、札幌市中央区の道新ホールで開かれ、ノンフィクション作家の保阪正康さん(昭和史)、東大名誉教授の姜尚中(カンサンジュン)さん(政治思想史)、東大大学院教授の加藤陽子さん(日本近現代史)が参加。多発する自然災害や天皇制、北海道の役割などについて意見を交わした。 今年で10回目を迎えたフォーラム「現代への視点」は今回が最終回。会場には約650人が参加した。 保阪さんは明治が始まって150年の節目を迎え、「帝国主義的な明治政府によるアイヌ民族政策など負の部分を含めて、150年をきちんと総括すべきだ」と述べ、関東大震災を例に「災害時は人々への正確で迅速な情報伝達が何より大事。人災なのに天災とすり替えることがあってはならない」と指摘した。 熊本県立劇場館長でもある姜さんは16年の熊本地震後、県幹部が復旧・復興で連日のように中央官庁に訪れたことを挙げ、「権限も財源も握られている現状では、被災前の姿を取り戻す復興は期待できない」と、連綿と続く中央集権の弊害に警鐘を鳴らした。 加藤さんは近現代を振り返りつつ「北海道は政府に依存しない自立の道を歩むやり方もあるが、中央に北海道をどうするんだと問うことも必要だ」と語った。色々と興味深いお話を聞けて、面白かった。加藤陽子さんのお話は初めて聞いたのだが、また機会があれば聞いてみたい人である。
2018年09月25日
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9月6日(木)午前3時過ぎ前触れもなく突然がたガタガタっと突き上げるような地震に飛び起きる。携帯の地震情報のブザーが鳴るのと揺れはほとんど同時だったように思う。ガタガタっと揺れた時に、カーテンの隙間から光が見えたような気がしたので、一瞬雷が落ちたのかと思ったが、あの光は停電の瞬間なのか別の現象なのか。かなり大きいようなので、倒れてくるもののない二階の階段上で柱につかまって様子を見る。さほど長い時間ではなかったと思うが、少し収まったので階下に降りるが、その時すでに停電になっていた。懐中電灯を取り出し、ラジオをつける。その後は余震もあるし心配でもあり、さほど眠ることもできずに朝となる。停電ではあるが水道は使えるし、プロパンガスも大丈夫。あまり不便なく朝食をとることが出来た。厚真町の隣町、安平に住む知人にメールをしたら無事とのことでホッとする。この日は、息子たちの畑を動物被害から守るためのネットや電柵を張りなおす作業に行く予定だったが、停電が解消したら行こうと思ったが長引きそうなのであきらめて出発。途中のコンビニでお握りでも買う予定だったのだが、とりあえず飲み物とおやつのような食品を持って出発。ずっとコンビニは開いていなかったが、畑の手前三キロほどの場所にあるセコマが開いていて、沢山の人が並んでいた。田舎の道道沿いなので、普段はトラックや業者の車のトイレ休憩用のコンビニだが、みんなカップ麺や飲み物や菓子類を抱えている。私も飲み物やクッキーやクラッカーを抱えて並んだ。当然ながらパンとかお弁当、生もの系の棚は空っぽだった。我が家の水道は出ていたのだが、息子たちの地域は断水と言うことだった。停電が長引きそうなので、北電は何をやってるんだとみんなでブーブー言い合う。だいたい、この広い北海道なのに、一か所がダウンしたら全部がダウンなんて、素人が考えても危機管理がなってない。息子曰く、「これは北電の陰謀だ! だから原発が必要だなんて言い出したら許さん!」。私も同感である。昼食時間帯までは携帯も使うことができ、友人知人、親せきなどからのメールや電話に対応が出来たのだが、午後二時くらいからメールもできなくなった。(電池切れではない)この日は早めに帰宅し、お湯を沸かして行水。幸いラジオは非常用の手動のものと小型ラジオが二台あるので、それを聞きながら冷蔵庫の傷みそうなものから使って夕食。久々に、蝋燭を取り出し、優雅な夜を迎える。アイパッドのネットも見ることが出来ないし、懐中電灯やろうそくでは本も読めない。何よりも、ろうそくを使っていてうっかり眠ってしまい、余震で倒れて火事になったら大変である。とはいえ、時々起きる余震で目が覚めるので、熟睡も出来ない第一夜である。9月7日期待しながら起きたけれど停電は続く。新聞の厚真の山崩れの写真には本当に驚く。前日は強烈な台風で木が大揺れしていたので、それで地盤が緩んでいたとしてもひどすぎる光景。【北海道震度7地震】「毛布滑り落ちるイメージ」…表層のもろい軽石崩壊 専門家指摘 前日台風も影響か 北海道厚真町では、町の北半分にある山間部のいたる所で土砂が崩れ、道路沿いの集落がのみ込まれた。崩れたのは急傾斜地の表層で、過去の火山噴火で降り積もった、もろい軽石層とみられている。前日の台風や平年を上回る夏の降水量で地盤が緩んでいた可能性もあり、専門家は「岩盤を覆う軽石の毛布が滑り落ちたイメージだ」と指摘した。 国土交通省によると、土砂崩れは厚真町の中央部にある役場から北東側の厚真川本流・支流沿いの山間部で多発。発生数などは現在調査中で、隣接する安平(あびら)町、むかわ町でも起きた可能性があるという。 産業技術総合研究所の石塚吉浩・火山活動研究グループ長によると、軽石は火山の直下でマグマが発泡し、爆発的噴火を起こしてできる。厚真町には硬い岩盤の上に、約40キロ西にあるカルデラの支笏(しこつ)湖を作った約4万年前の噴火による軽石が約4メートル堆積。支笏湖周辺の恵庭岳(えにわだけ)や樽前山の噴火による軽石も約50センチずつ積もっている。 石塚氏は「流出した堆積物に大きな岩や石は見えない。今回崩れたのは岩盤の上にあった軽石層だ」との見方を示した。支笏カルデラの軽石は黄色がかっており、恵庭岳はオレンジ色、樽前山は白っぽい色をしている。堆積物の色合いから、これらが起源と考えられるという。 厚真では地震発生前日の5日に台風21号の影響で12ミリの雨が降ったほか、6~8月の降水量は計570・5ミリで平年値(366・2ミリ)の約1・6倍に上る。石塚氏は今夏の雨量で地盤が緩んでいた可能性を指摘し「もろくて不安定な軽石が毛布のように一気に落ちたのだろう」と述べた。 また、震源に近かったことも影響。京都大学防災研究所の釜井俊孝教授(斜面災害研究センター長)は「浅い部分が共鳴してよく揺れると同時に、それらを突き上げて引きはがすような短周期の上下動が強烈だったと考えられる」と指摘した。軽石層が滑り落ちる斜面崩壊は、平成28年の熊本地震や昭和43年の十勝沖地震でも発生したという。この日は、停電が長引きそうなので、冷凍庫や冷蔵庫にある食材を処理するための台所作業と、久々の手洗いによる洗濯。夫は、私の実家が台風で木が三本折れたので、その処理に行く。台風では実家のビニールハウスとぶどう棚が倒壊したので、その処理作業は9月5日に終わっていたのだが、倒木処理まではできなかったのだ。同じ市内なのだが、実家の方ではこの日の午前中に電気が回復。昼食後に実家に行き、入浴させてもらって帰宅する。入れ替わりのように、息子一家もお風呂に入りにきたが、私たちは暗くなる前に夕食を食べて後始末をしたいので早々に帰る。ラジオでは、停電は8割ほど解消されたと言っているのに、なぜか我が家の地域は後回し?でも、厚真の人たちのことを思えば、停電くらいどうってことないさと自分に言い聞かせる。そして、やっと9時過ぎに電気が回復し、電灯の明るさに感謝しながらテレビをつける。すると、次々に本州の知人などから電話が入る。一息ついてパソコンをチェックすると、このブログへのメッセージやメールが入っていて、それに返信。やっと日常生活に戻ることが出来た。息子たちの地域は、我が家よりも遅い10時頃に電気が回復したとのこと。とにかく、立て続けの災害が続くこの国は、他国からの脅威に備えるよりも、自国の自然災害に備えることの方が重要ではないかと痛感している。イージスアショアやオスプレイよりも、もっと身近な非常時対応に備えたシステムを構築してほしい。もう、「想定外」という言葉は聞き飽きた。また、一般の人たちも、これだけ自然災害があちこちで起きているのに、意外と備えていないのだと実感した。市内のホーマックには、ラジオや簡易プロパン、電池などを買いに走る人が多かったらしい。我が家は、十分とは言えないけれど、それなりの備えをしているということを確認することもできた。しかし、個人の備えには限界がある。今が温かい時期だったからいいけれど、これだけ電気に頼っている現在、二月あたりの厳寒期だったらどうなったのか。厳寒期の大災害の予行練習の地震でないことを祈りたい。
2018年09月08日
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大型の台風が近づいているこの日、庭の草むしりに汗を流す。天気が悪かったり出かけることがあったりで、最近の我が家の庭は放置状態で草ぼうぼう。ずっと気になっていたので、今日こそはと午前二時間、午後三時間作業する。それでもきれいになったわけではないが、とにかく丈の高い草はなくなった。こんな時、心からマンション生活に憧れる。今、我が家の庭はコスモスが揺れている。花壇の花も、半分は花が終わってしまったので片づける。それでも、二種類のマリーゴールドとサルビア(赤)はまだ頑張っている。今夜は台風の影響で強い風が吹き荒れるようなのだが、明朝コスモスがなぎ倒されていませんように。
2018年09月04日
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行事が終わっても色々と後始末仕事があるので、まずはそれを優先しているうちに日が過ぎてゆく。過ぎてしまうとどんどん忘れていくので、とりあえず忘れないうちにやったことだけメモメモ…。7月29日…前日の行事で持ち帰ったものの整理。ザックリとした金銭集計。7月30日…講師などの著書など、書店や出版社からの委託販売などの残りを梱包して送る。7月31日…行事のために共催・協力してくれた行政や団体にお礼まわりと会場費の支払い。8月 1日…本州から帰省している妹と私たち夫婦、実家の妹の五人で、旭川→当麻→中富良野この日の一番の目的は、旭川近郊鷹栖町の田んぼアート。この二日ほど前に北海道新聞にその記事が出ていたので、ちょうど妹も暑さから避難して戻っていたので、早朝に出発。その感想はといえば、一言「すごい!」。稲でこんなに色鮮やかに描けるとは!ここの直売店で売っていた「愛すご飯」がとても美味しかった。その後、当麻鍾乳洞へ。ここに行くのは、子どもたちがまだ小学生の頃以来だから、30数年ぶり!この日は暑い日だったので、鍾乳洞の中の涼しさに感動。外気温は30℃を超えていたのだが、内部は10℃以下。鍾乳洞、すごい!ここは観光客もとても少なく、ゆっくりと中で体を冷やすことが出来た。その後、当麻の道の駅でランチをしてから中富良野のファーム富田へ。ラベンダーの見頃は過ぎていたが、観光客であふれていた。駐車場が随分増えていたことにびっくり。それにしても、中国からのお客さんをはじめ、外国からの観光客の多いこと。この時は35℃くらいの気温に上昇したので、ラベンダーキャンディを買って食べたのだが、周囲には日本人の方が少ないような気がした。とにかく暑いので、早々に観光はやめてクーラーの効く車内に逃げ込み帰宅への途へ。久しぶりに妹たちとワイワイ楽しんだ一日だった。8月2日…実家のお盆参りの日だというので、実家へ。お坊さんが来たのは10時過ぎ。その後、我が家のお墓の掃除に行く。昼食は妹たちと市内のレストランでランチ。この日も暑い日だったので、クーラーのあるお店はありがたい。姉妹が三人寄れば必ず話題は母のこと。これほど話題となる母は、幸せなのか可哀そうなのか。まあ、完全無視されるよりは良いことには違いない。と、備忘録はこのくらいにして、やるべきことをやらなくちゃ。
2018年08月03日
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【22日(金)】会報と7月の行事のための依頼文書等の準備。複数の文書があるし、それを発送するための封筒などの準備に朝から追われる。3時に印刷する場所に行って、まずは私一人で印刷作業。4時に仕事を終えたeさんが合流し、作業の半分くらいは終えることが出来た。【23日(土)】息子たちの畑の手伝い。天気は良いはずであったが、晴れ→曇り→雨となり、少し早い昼食。その後雨が上がったので作業続行。9時から昼食タイム一時間をはさんで4時まですることができた。肌寒いくらいの日だったので、あまりバテずにできて良かった良かった。【24日(本日)】 午前中は買い物、洗濯、22日の作業の続き。午後は、雨続きで草ぼうぼうとなった庭の草むしり。 この三日間は、結構ハードに働きました。
2018年06月24日
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ずっと多忙が続いていて、すっかりブログもご無沙汰である。今日は、どうしても今日中にやらなくてはならないパソコン作業の日なのだが、備忘録くらいは書いておこうと思う。備忘録は、忘れてしまわないうちに書くものだから、わざわざ嘘は書きませんよ。(加計文書関連への皮肉です)4月8日(日) 息子たちのブドウ畑作業の手伝い。 昨秋は剪定前に雪が積もってしまったので、例年よりも作業が面倒。4月9日(月) 知人のSさんと札幌で「北の桜守」の映画を見た後に遅めのランチ。 夜は某会の例会。4月10日(火) 息子の畑作業。残雪の上を、のんびりとキツネが歩いていた。4月11日(水) 天気予報は午後から雨だったが、できるだけやろうとこの日も農作業。 やはり午後から雨となり、途中の温泉で疲れを癒して帰宅。4月12日(木) 夏に開催する行事のために、行政の関係部署二か所と調整&打ち合わせ。 実はその一か所は、昨年度色々とぶつかり合ったので、私も少し緊張。 しかし、さらに緊張しているのは相手側だと感じ、ここは得意の春風作戦。 私は、どんなに嫌な相手でも必要に応じてポーカーフェイスができる技があるのです。 午後からは、実家のハウス建て作業。そして本日、本当はすでに出来上がっていなければならない作業が、上記の状態で棚上げになっていたので、今日こそ「頑張るぞ!」。
2018年04月13日
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もう三月も半ばを過ぎた。とりあえず、2月末から今までのできごとなどをメモしておこう。2月末 知り合いからの紹介で知り合ったAさんのエッセイ集原稿を読む機会を得た。多分、このブログを読んで私が読書好きということをお知りになり、エッセイ集のようなものをまとめるために、感想をほしいということだった。私は読むことは嫌いではないので、嬉々として読んだのだが、冊子体ではないので結構時間がかかった。その感想をまとめて送ったのが今月初め。なんだか一仕事終えたような気分であった。3月6日 子育て支援のボランティア活動日。 10日 高校を卒業する孫の「卒業ライブ」。 孫は、ベースとドラム。なかなかカッコよかった。 12日 〇〇会、例会日。教育行政についてのショックな話題が出る。 「▽□よ、おまえもか!」の気分だ。 話題になった人は、人によって「明確に」態度を変えるのか、 はたまた何もわかってないのか。 13日 札幌近代美術館に「棟方志功展」を鑑賞するため知人と三人ででかける。 14日 会報の印刷と発行作業。 15日 ボランティア団体の、行政との調整会議。 17日 図書館行事に参加。この日のために二冊の本を急遽読んだ。 18日 地元の高校の吹奏楽部の定期演奏会。 今回卒業する子たちは、色々あったと思うがよく頑張ったと思う。 この日は、とても嬉しいメールが入った日。 生きていると、思いがけない出会いや展開があるものだと思う。おかげさまで、やることの多い日々である。この間にパラリンピックがあり、財務省問題があり、色々思うことやブログに書きたいこともあるけれど、時はどんどん過ぎてゆく。パラリンピックについては書きたいことがあるけれど、明日でも書けるかな。
2018年03月20日
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2月19日(月) 読んで返さなくてはならない本があるので、それを見ながらテレビでオリンピック鑑賞(?)「江戸琳派の美」、「世界の街猫」、スティーヴ・マッカリーの「読む時間」と、 写真メインの本ばかり。 テレビと本、時々パソコンの1日。2月20日(火) 思いがけない方からメールをいただき、出版予定の原稿を読んで感想が欲しいとのこと。 人生には何が起きるかわからないとは思ってはいるが、予想もしなかったこと。 メール添付のものだったので、とりあえずプリントアウト。 結構な分量なので、全部読んで感想をまとめるのにはちょっと時間がかかりそう。 でも、とても面白い内容なので、色々な意味でワクワク・ドキドキする。 詳しくここに書けないのが、とっても残念。2月21日(水) 子育て支援関係ボランティア団体の例会。 例会が終わってから、仲間とこの活動が始まった頃の思い出話をする。 最初の頃のメンバーは意欲満々でとても熱く、私はちょっとついていけない感じがしていた。 でも、引き受けた役割があるので、それだけはボチボチやっていこうと思っていたが、 そんな私の消極的に見える態度が当時の中心メンバーの癇に障ったようで、 いつの間にか彼女に嫌われてしまった私。 でも、「ついていけないな…」と感じていたのは私だけではなかったようで、 徐々に無理のないペースに落ち着いてゆき、 いつのまにか一番引いていた私がこんな役割になったとは…。 すっかり最初の頃のことを忘れていたが、色々あったことを再確認した時間だった。2月23日(金) 別の会の例会日。 それが終わってから、昨年9月に行政への質問書提出からの色々なやりとりの最終段階。 私は行政とケンカをする気は全くないのだが、 相手側からみたら「うるさい奴ら」ということになるのかもしれない。 それでも、今回はその経緯を関係する別の部署に「情報共有してほしい」というお願いなので、 対応してくれた人もにこやかに了解をしてくれたのでホッとした。 言うべきことは言わなくてはならないと頑張るのだけれど、 やっぱりこのようなことは苦手だ…。 帰宅してから夫が、「近くの温泉に行こう」というので一緒に行く。 やるべきことも終え、久しぶりに岩盤浴もしてすっきりした。 女子カーリングと、岡潔のテレビドラマを交互に見ていたので、 この日は全く文字を読まずに終わってしまった。2月24日(土) 350枚のプリントアウトした原稿(?)を、目次ごとに整理してクリップ止めをし、 少し読みやすくする作業をした。 でも、今日もあまりはかどらず…。 いつ読み終えられるのかちょっと心配になってきた。 明日は息子たち一家と実家合同の、孫たちの進学先が決まったお祝いをすることになっている。 今日は妹と料理メニューの打ち合わせと買い出し。
2018年02月24日
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平昌オリンピックが始まっている。一応、今の私の気持ちを記録として書いておこう。北朝鮮との絡みも含めて、始まる前から何となく不快な気分のニュースが多くて、このオリンピックを目標に頑張ってきた選手の皆さんには大変申し訳ないが、オリンピック関係のワイドショーのようなものは見てはいない。試合時間も含めて、もっと選手を大切に考えてほしいと思うし、「メダル、メダル」と取らぬ狸の皮算用を見ているような感じも嫌なのだ。きっと選手の皆さんは結果にこだわっているのかもしれないが、私は全く結果にこだわってはいない。とにかく、外野席の言葉にまどわされずに、無事に自分の力を出し切ってほしい。選手が時々口にする「見ている人に勇気を与えたい」とか、「支えてくれる人たちに恩返しをしたい」というような言葉も不要だと言いたい。何で勇気をもらうか励まされるかは見ている人たちのものだしそれは決して勝利の姿だけではないはずだ。何を恩返しと感じるのかも同様で、そんなことを気にしないでほしい。たとえ望む結果が出なかったとしても「申し訳ない-」なんて言わなくていいからね。
2018年02月12日
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本州各地で大雪のニュースが続いているが、このあたりはありがたいことに今まではさほどではなかった。しかし、いよいよ今朝から深々と雪が降り続いている。気温はさほど低くないので、重たい湿った雪である。あまり積もらなければいいのだけれど…。今日から札幌では雪まつりが始まったようだ。できれば穏やかな天気であってほしいけれど。明日は札幌に用事があるので出かけるのだが、人で混みあっているんだろうな。ちょっとは雪まつり会場を覗いてこようかと思う。プロジェクションマッピングも見てみたい気もするが、そんなに遅くまでいられないから無理ですね。
2018年02月05日
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朝から、少し連絡調整のための電話やメールのやりとり。その後は、代表をしている会の例会日。早めに中座して帰宅し、昼食時間に夫の蕎麦を食べに来る人達(6人)の準備。前日から用意していた煮物や漬物でご接待。(年に数回の「良い妻を演じる日」なのである)皆さんが帰られて後片付けをして、ホッとしたのもつかの間夕方からの別用のために出かける。帰宅は8時半。この日は大相撲のことで色々とテレビが騒いでいたようだが、ほとんど目に入らず。私にとってはどうでいいことなのだが、当事者や相撲協会以外でも重大事件ととらえる人は多いようだ。まあ、業界内部の不祥事やパワハラ・セクハラ・暴力等々、日本全体の病の症状とするなら、問題には違いないとは思うけれど…。今朝の新聞を見ていて思ったことは、「横綱審議委員会」ってなくてもいいんじゃないかということ。横綱に推挙するためだけの外部組織だと思っていたので、そうじゃなかったのかと思うと同時に、だったら今まで横綱の態度や取り口に対して何も言わなかった責任はどうなのかと思った。それに加えて、横審に品格を見極める責任を問われ、北村委員長は「日常どういう生活をしているか、稽古場でどうであるか。委員会自体が調査するわけにはいかない。その力量もないし、権限もない」と持論を展開。さらに「品性については協会が判断した上で諮問しており、それを前提としている」と協会の判断を重視する考えを強調した。(北海道新聞)って何なのでしょう。「力量も権限もなく」ただ意見を言うだけなら、テレビでよく登場している「前相撲解説者」など、ずっと相撲界を見続けていて、多分現在も毎日のように本場所や各部屋に足を運んでいる人たちの方が適任だろうに。何なんでしょう、相撲の世界っていうのは…。チラチラニュースを見ていたら、白鵬と日馬富士の関係がアメリカと日本にダブってきた。結局切られるのは、子分の役割を頑張っていた立場なんですよ。
2017年12月21日
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11月8日(水) 午前中は、町内会の花壇撤去作業。 その後、前日から帰省している妹と、近くにできた回転寿司で様子を見がてらランチ。 値段はとても安いし、サイドメニューも豊富なので、 子どもたちにおなか一杯食べさせるならいいだろう。11月9日(木) 安岡先生の講座最終日。11月12日(日) 隣町に新たに発足した〇〇〇親の会に参加。 悩みや不安や焦りを一人で抱え込まずに、同じような体験をしている仲間とつながるのはとても大切。 少しでも協力・連携しあえたらと思っている。11月13日(月) 世話人をしている会の例会。11月15日(水) 上記とは別の団体の例会。金曜日に小イベントがあるので打ち合わせやリハーサル。11月17日(金) 0~2歳児までの子どもと親を対象にした遊びのイベント。 手遊び、絵本、リズム体操、エプロンシアターなど、メンバーが工夫を凝らした出し物が続く。 本当にみんなすごいなあと感心する。お疲れさまでした。11月18日(土) 午前中に、世話人をしている会の会報印刷と発送作業。 とにかく、やらなきゃならないことが終わってホッとする。とりあえずのメモ書き。
2017年11月18日
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なんだかバタバタした日が続いている。冬がヒタヒタと近づいているので、時間があれば庭の冬支度などがあり、何となくのんびりできないのである。大したことはしていないのだが、少しずつの疲れがたまっているのかもしれない。つまり、テキパキとしなくてはならないことを仕上げる集中力も欠如。図書館に返すべき本も読み終えていないし、調べて返事をしなくてはならないこともある。よってブログもチェックのみ。とりあえず忘れないうちに、前回の備忘録の続きだけを書いておこう。10月26日(木) 札幌学院大学講座2回目。 今回は「統合失調症と気分(感情)障害の事例」。 統合失調症は民族や先進・発展途上国にかかわらず、ほぼ100人に一人が発病するという。 感情障害(うつ病・双極性障害など)については、5~10パーセントかそれ以上。 驚いたのは、肉体労働五時間と、精神的なクヨクヨ状態30分は疲労度が匹敵するらしい。 つまり、感情障害は「脳の疲労病」だそうだ。10月27日(金) 実家のハウス撤去や畑の後始末。 この日は世話人をしている会の例会だったのだが、他の人にお願いして完全に欠席。 何しろ、ハウス撤去などは人手がなければできず、 夫や妹、そして天候の都合でこの日しかできなかった。 とりあえず終わって、ホッとする。10月28日(土) 自宅の庭木の冬支度などを夫と行う。 昨冬はブルーベリーやラベンダーなどが雪の重みでバキバキ折れてしまったので、 今年は雪囲いまでではないが補強作業。 温暖化のせいか、雪が年々重くなっているような気がする。
2017年10月29日
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備忘録として、秘密日記のみ
2016年03月06日
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そろそろ花を植えても大丈夫かなと、パンジーやビオラの苗を買ってきて、プランターなどに植え込んだ。今年は春が早いけれど、まだ4月なので花を植えても霜が降りたりすることもあるし、この地域は春の風が強いので、強風で花が折れてしまうこともあるのだ。花壇の花は連休に入ってからにしようかと、花壇を起こしたり肥料を入れたりもしておく。玄関先がパッと明るくなって、いよいよ本格的な春が来たという感じである。
2015年04月22日
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昨日の雪は重かった。1月にしては暖かくて、それはありがたいけれど、そんな時に降るのは湿って重い雪。これから年々高齢化する私達にとっては、気が重いことです。でも、新雪の美しさにそんな気持ちも一瞬忘れます。【補記】携帯で写真を撮り、メール添付でブログをアップした。その後パソコンで確認して、不都合なところを直したのだが、これにとっても手間がかかった。というのは、どうも最近パソコンが不調で、途中ですぐに「不都合が発生したので終了します」とかなんとかで勝手に終了されてしまうのだ。そろそろ、このパソコンも私同様ボケ始めているんだろうか・・。
2009年01月21日
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今朝ははひどい吹雪で、朝玄関を開けようとしたら、吹きだまりでふさがっていて、やっとこじ開けた。昨日は雨まじりの暖かさだったが、ここは北海道だと痛感。夫は、私の実家に除雪に出動し、私は我が家の除雪である。一回除雪して朝食をとってから出てみたら、吹雪でまたしっかり吹きだまりが出来ていて、がっかりしながらまた雪かきである。悪いことに、今日は関わっている会の例会日。当番の二人とも、まだ除雪車が来ないので家から出られないとの連絡。というわけで、今現在、徒歩が可能な私が一人、会場にいるという次第。このあたりも、まだ除雪車は来ていないようだ。こんな日は、誰も来ないかもしれないが、世話人としては帰るわけにもいかず、暇つぶしがてら、携帯でブログ更新である。
2008年12月26日
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上京のため千歳空港に向かう電車の車窓から、コブシの花が、殺風景な林の中にポッと灯りが灯ったように咲いていた。この花の名前を教えてくれた懐かしい先生が亡くなって、もう何年経ったのだろう。発足時から参加しているボランティア団体が大臣表彰されることになり上京する私を、先生がコブシの花を揺らして喜んでくれているような気がした。集団が苦手でベソかきの私を、優しく見守り、認めながら、友達とのつながりを後押しして下さったから、今の私に繋がっていると思う。先生のことは、ブログに書いていなかったはずだ。そのうちちゃんと書いておこう。
2008年04月23日
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ダルビッシュの好投で、楽勝で10連勝と安心していたら、何ということか(~_~;)野球って、安心と油断は禁物なのね。ダルビッシュも、さぞハラハラしたことだろう。何はともあれ、勝ったので良かった良かった。
2007年06月02日
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チューリップも、やっと咲きました。これから、次々と花が咲き始め、木々の新緑の変化が美しい季節です。連休はお天気も良いようなので、美しい北海道の自然を満喫したいものです。
2007年04月28日
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ずっと雨混じりの天気が続いていたが、今日は久しぶりに爽やかな一日となった。それに、休日にかかの違いは大きい。我が町でも、二日間の《花》をテーマにしたイベントが開催され、関係者は毎日天気予報を気にしながら準備していたはず。私も、今日は孫達が来るので、何とか晴れて欲しかった。久しぶりのお日様の下で、子供達も大はしゃぎ。やはり太陽の恵みは大きい。恨めしい思いで天を仰ぎ続けていた農家も、少しホッとしたのではないだろうか。少しこの天気が続いて欲しいものだ。疲れたけど、良い一日となった。
2006年06月24日
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8時から、町内会の花壇の花植え。近隣の商店街、町内会も合わせての作業である。約二時間、天気が良かったので陽射しの強い中での作業であった。このような作業を通して、地域の人たちの連帯感も強まる。その後、今日が休日の友人の誘いに乗って、12時近くから始まる、話題の「ダ・ヴィンチ・コード」を観に行く。感想・・、書き始めると長くなりそうだけど、うまくまとめることもできそうにないのでやめておく。その後、遅めの昼食をとりながら、しばしおしゃべり。楽しい一日だった。
2006年05月25日
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実家に行って妹から、「岩盤風呂」のことを聞いた。「信じられないほど汗が出て、本当に気持ちよかったよ」とのこと。私は汗をかきにくく、そのせいかサウナはダメ。お風呂も「カラスの行水」のようにしなくては、うっかりと気持ちよく浸っていると、のぼせてしまう。妹も、私ほどではないけれど汗をかきにくい方だ。その彼女が、「あんなに汗が出たのは生まれて初めて。寝た状態だから、気分も悪くならなかったし、とにかく後が爽快!!」と絶賛する。そこまで言われると、試してみたくなるのが人情。夫を誘って、早速行ってみた。開店間もないその店は、あと数日間は一時間で1000円。(その後は、90分で1600円になるとか。でも、今日会員になると、その後も1000円で利用できるらしい)タオル地でできた上下の浴衣と、大判バスタオル、普通のタオルそれぞれ一枚と、注意書きが書かれたものが渡される。百円で「環元水」という500mlのペットボトルを用意して脱衣場へ。浴衣に着替えてから浴室に入ると、指定されたブースのような岩盤浴スペースに行き、(1)バスタオルを敷いて腹ばいに寝る(5分) (2)仰向けになって寝る。(10分)時間は、用意されている砂時計で測る。最初の腹ばいでは木製の枕をあごの下にして寝るのだが、結構これがキツイ姿勢。浴室には静かな音楽が流れていて、サウナほどではないけれど結構暑い。(当たり前だけど)それでも、サウナでは五分と入っていられない私だが、全然苦しくは感じなかった。仰向けになる頃から、ジワーッと汗をかいてきた。10分も大丈夫かな・・と心配だったが、具合が悪くもならずに無事に終了。隣のプースの夫を見ると、すでに汗がダラダラ状態。しかし、私はそこまでではなかったけれど、額からも汗が流れているので、私としては上々の出来である。 ↓(3)脱衣場に出て休憩。(5分)脱衣場で鏡を見ると、完全に「のぼせた時の顔」である。私がこのように真っ赤になる時は、かなり危険信号といえる。まずいかなと思ったけれど、心臓もさほどドキドキしていないし、立ちくらみも頭痛もしない。用意していた水をごくごく飲み、顔を水で洗って、一息ついたらもう五分が経過。その後、また(1)(2)を繰り返すのだそうだ。再度岩盤風呂に寝転ぶと、今度は最初よりは早く汗ばんでくる。腹ばいは苦しいので少し時間短縮して仰向けになり、手を見てみると、手の甲からも汗が滲み出ている。こんなところから汗が出ているのを見るのは初めてで、「へーッ」とビックリ。つまりは、常日頃は使われていない汗腺が活動しているということか。今、これを書きながらネットで「岩盤風呂」を検索したら、次のような説明があった。●汗には2種類あって、汗腺から出る汗と皮脂腺から出る汗があります。体温調節のために出る汗は汗腺から出ます。ところが、有害金属は皮脂腺から出るのだそうです。普通のサウナや運動では、汗腺から多くの汗が出ますが、遠赤外線サウナの場合は、体の内部から暖め、皮脂腺を刺激し、皮脂腺から汗を出すことができるのだそうです。そのとき、いっしょに体内の有害金属を排出できるわけです。(2004/5/13 放送 スパスパ人間学より引用)● 神黒石岩盤風呂はまさに「遠赤外線サウナ」と同じですから、簡単に皮脂腺汗をかくことができるのです。しかも、ほとんど常温に近い環境でそれが可能なのです。なるほど、「皮脂腺」が活動したのか・・。とにかく、一度目よりはずっと汗をかいたことは確実。だけど、私は二回目は10分程度で切り上げた。大丈夫なような気はしたが、万一あとで具合が悪くなっても困ると思ったのだ。涼しい脱衣室に戻っても、汗はドンドン出てくる。この汗はシャワーで流さないほうがよいとのことで、浴衣やタオルで十分拭いてから着替える。浴衣を持ってみると、自分の汗でズッシリとしている。確かに、今まで体験したことが無いほど汗をかいたことは確かだ。その後少し休憩してから帰宅したのだけれど、本当に不思議なことに、あれほど汗を出したのに肌がさらっとしている。それでも、何となく疲れたような感じで、夕食後は早めに休んだ。そして、二度目のビックリである。実は、私はこの一年ほど、睡眠リズムの乱れに悩まされている。寝つきが悪く、さらに睡眠も浅く、必ず夜中に目が覚める。一度目覚めるとなかなか眠られず、途中で本を読んだりイヤホーンで音楽を聴いたり、いよいよダメなときは眠剤を服用したりする。それなのに、昨夜はスッと眠ることが出来て、一度習慣のように一時半頃目が覚めたのだが、その後はさほどの苦労をせずに眠り、今朝は充分に眠った後の爽快感を伴う目覚めが出来た。本当に久しぶりに、「熟睡」を味わったのだ。これは、多分あの岩盤風呂の効果であろう。何だか、病み付きになりそう・・。
2004年09月12日
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昨日の続きの作業をしてしまった。少しは涼しかったのだけど、昨日以上に汗がタラタラ・・。実は私は、比較的汗が出にくいタイプで、そのせいでのぼせやすいのだろうと思う。しかし、このところの暑さで、さすがの私の汗腺も活性化したようで、顔からも汗が出始めた。途中で一度家に入り、鏡を見てビックリ!自分の顔からあんなに汗が出ているのを、初めて見たような気がする。作業中に首筋に汗が流れていたのを感じてはいたが、それには顔からの汗も混じっていたらしい。二時間ほどの作業で、Tシャツもグッショリになる。汗が出るせいか、昨日ほどには気分は悪くなかったけれど、やはりのぼせたように顔は真っ赤になっていた。ぬるめのお湯で汗を流し、ついには水で身体を冷やしたけれど、一時間くらいは赤い顔のままだった。暑いのはイヤだけど、ひょっとするともう少しこのように汗を出すトレーニングをしたら、のぼせなくなるのだろうか。汗がスムーズに出ないので、私はサウナが全くダメなのだ。温泉に行っても、カラスの行水をしなくてはならない。折角温泉に行ってもぜんぜん元を取れないので、いつも悔しい思いをしている。もう少し、私の汗腺が上手に働いてくれるようになればいいんだけど・・。でも、汗腺が人並みに活性化する前に、倒れてしまいそうな気もするし・・。
2004年08月02日
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午前中は、明後日の子育て支援関連行事のための準備作業。赤ちゃんとお母さんを対象にしたものなので、色々と細かいことに工夫が必要。といっても、私なんぞは「ネコの手」なので、みんなの周囲をウロウロしながら「いいねえ!」「可愛い!」「すごいアイディア!」なんて、気軽なものなのだけど・・。それでも、帰宅したのは二時過ぎでした。(お腹がすきました・・)帰宅途中で、昔、仕事をしていたころ一緒にワイワイやっていた青年(当時は高校生)とバッタリ。八ヶ月になるという子どものことを話す彼の目じりは、たれっぱなし。私からみると高校生の頃のままの面影なのだけれど、もうそんな年になったんだなあと、年月の過ぎる速さを感じてしまう。帰宅してからは、ある団体の会報作り。やっと昨日、待っていた原稿が届いたので、明日には印刷して発送したい。・・と頑張ったので、とりあえず完成。というわけで、とりあえずの日記となりました。
2004年07月14日
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午前中は、昨日の切開後の処置をしてもらうために、まず病院へ。今日もやはり、高齢者を中心にとても混んでいた。昨日の医師も(実は院長だった)人当たりの良い優しげなタイプだったけれど、見ていると看護婦も検査技師も他の医師も、優しい感じがする。医療機関であり、身体のどこかに痛みや不安を抱えている人が来る場所なのだから、あたりまえと言ったらそれまでなのだけれど、この雰囲気が多くの患者さんを引き寄せているのかもしれないと思った。(ただ、受付の若い女の子の化粧がちょっとキツメかな)それでも、30分ほど待つと私の番になり、処置はガーゼ交換だけでおしまい。実は、最初に乳腺炎で切開したときも、このガーゼ交換を何日も続けたのだが、あれも痛かった。傷口に詰めてあるガーゼを取り出し、新しいガーゼをグイグイと詰め込まれ、私は痛さに思わず身体を引いてしまって、よく「動かないで!」と医師に怒られたものだった。昨日は全くそんなことを忘れていたのだが、今日処置室に呼ばれ、「ガーゼを交換しますね」といわれた時、「あっ、そうだった!」と、あの痛さを思い出してしまったのだ。しかし、どんなにイヤでも、やるべきことはやらねばならぬ。私は、昨日同様かなり緊張してその時を待った。ガーゼがスルスルと傷口から出てくるが、これが思ったより沢山あった。(えー、あの分だけ詰め込むのか・・)とゲンナリしながら身構えていると、チョンチョンと突付くように傷口にガーゼが押しつけられた。そして、「はい、これでいいですよ」。「え? それだけでいいんですか? 昔はグイグイ詰め込まれて痛かったので、拍子抜けしました」と言うと、「あー、昔は詰め込んだんですよね。でも、かえって傷口を傷めたりするので、今はそれほどしないんですよ」と一言。そうか、医療技術も変化しているのだなと、納得。明日もまたガーゼ交換に行かなくてはならないが、もうちっとも怖くない。ゲンキンなもので、何度でもどうぞ、の気分である。その後、延び延びになっていた銀行での振込みや、郵便局での用をすませ帰宅し、午後からの会議に備えて資料を確認しながら昼食。午後一時からは、教育委員会関連の「○○の□□活動推進計画策定会議」に出席。既に三回の会議を開いていて、それを基にして事務局が「素案」を作成したので、今日は一部の委員による素案練り上げ会議である。私は今まで、○○委員会などというようなものに何度か参加させていただいているが、時代は随分変化しているように感じる。従来は、国や道の計画策定マニュアルに沿ったような案が事務局(行政マン)から提示され、我々市民はそれに多少の意見を出して文言を少しばかり変えたり、訂正したりがせいぜいなのに、結果的には「市民の委員による計画」みたいなことになってチャンチャン、が多かったように思う。(計画のための計画というか・・)しかし今回は、最初の三回は「委員の思いや希望」をお腹一杯語り合う会議で、聞いていた私ですら「これをどうまとめるのだろう」と思ったものだが、とにかくプロセスとしては、市民の意見を反映しよう、行政と市民が協働で策定しようという姿勢が感じられた。しかし、やはり行政マンの事務局が作成した素案は、確かに以前の話し合いでのことが網羅されて入るが、結局は面白みのない行政資料のような顔つきになっていた。それでも、事務局が苦労して作成した案であることは間違いがないので、私としてはこれをもっと「具体的にイメージの湧きやすい表現」にしてほしいと提案する積りで、数日前から資料を何度も読んだりメモを書いたりしていたのだ。さて、その会議は・・。何と、午後一時から五時半までビッシリと喧々諤々であった。メンバーは7人と話し合いのしやすい人数だったこともあり、久しぶりに議論をしたという感じだった。私としても、言いたいことや譲れない思い、この計画に込めたい願いなどがあるので、それを色々な部分で主張することになった。今日の話し合いをまた事務局が整理して、次回は本来の委員会が開かれて検討することになる。五時間半、ぶっ続けで何かを考え、自分の意見を話し、他人の意見に耳を傾け、さらにわかりやすく具体性を持った、市民や行政機関・団体それぞれが主体的に関わりやすい計画にするために煮詰めていく作業は、結構疲れるものであった。しかし、このように活発な議論を繰り返すことは、より深く物事を見詰め自分の考えを整理することであり、大切なことの優先順位を真剣に考えることである。やはり、徹底した話し合いと言うのは、そのことに対する意欲付けというか、行動へのエネルギーになるものだ。最終的にどのような計画案になるかわからないが、今日熱く語り合った人たちは、そこで高まった意欲を必ず何らかの行動へと変えていくに違いない。社会が変化するということは、このような一人一人の思いが集まってエネルギーとなり、自分の周囲にその熱を伝えていくことではないだろうか。地方では、このようなことが起きはじめている。腐った組織に任せておいては、私達の生活の質は高まらないと、市民は少しずつわかりはじめている。社会を変えるのは私達一人一人なのだと、少しずつ自覚し始めているのではないか。そして行政もまた、本当の意味での官民協働は、結局は地域を活性化させて財源の節約になることが、わかってきたのだろう。そんな期待を感じることが出来た会議だった。ひょっとすると、選挙も少しは期待できるかも・・と思ってしまった。今の政治のままでいいのか? このまま小泉政権に任せておいていいのか?それを判断し意思表示が出来る貴重なチャンスを、無駄にしないで欲しい。
2004年07月02日
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札幌では、明日まで「YOSAKOIソーラン祭」が開催されている。きっと、札幌市のあちこちで、にぎやかな音楽と元気な踊りが繰り広げられていることだろう。初めてこの踊りを見たのは、多分3回目の時だったと思う。まだ、このイベントがさほど浸透していなかった頃ではないか。その日は、大学の科目試験の日だった。札幌の大通りに近い試験会場で、私は科目試験を受けた。外からは、きっとにぎやかな音楽が聞こえていたはずだが、試験のことで頭が一杯の私は、さほど気にもしていなかったはずだ。試験終了後、駅から大通りにかけての道路がやけに混んでいて、そのあたりから音楽が流れているのがわかった。「なんだろう?」と思いつつそちらに向うと、人だかりがしている。人が混みあっている影から覗くと、若者達が元気一杯に「ソーラン節」を現代的にアレンジした曲に乗って、鳴子を打ち鳴らしながら踊っている。それを見て、「あ、そういえば新聞に書いてあったような気が・・」と思ったことを思い出す。北大の大学生が、高知の「よさこい祭」を見て感動し、「北海道でもこのような祭をやりたい」と思ったことがきっかけだったとか。そのことについては多分後から知ったはずで、初めて見たその時はなんだかよくわからないまま、若さがはじける笑顔に感動した。それ以来、毎年科目試験日と重なることが多くて、試験終了後の晴れやかな気分で「YOSAKOIソーラン」を見るのが楽しみになった。若者達には、そのエネルギーを爆発させるこのような場が、とても大切だと思うし、老若男女が一緒に楽しんでいる姿も素敵だ。私は踊らないけれど、それを見ているだけでも元気が出てくる。年々、その規模はうなぎのぼりに拡大し、今年は札幌市内の25ヶ所でこの祭が繰り広げられているらしい。テレビでも実況中継がなされ、国内はもとより、海外からも参加チームが増えているようだ。この季節は、本州は梅雨時と言うこともあり、きっと多くの人が参加意欲を高めてくださっているのだろう。北海道への経済効果は、どれほどなのか計り知れないことだろう。【追記】実は、何を勘違いしたのか、今日は日曜日だと思い込んでいた。(ボケが始まったかな・・)明日は本物の日曜日で、朝から出かける用ができた。ということで、これ以降、月曜日まで書き込めないと思います。
2004年06月12日
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