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仕事をしていた頃に知り合ったEさんとお母さんに、何年振りかに会う。二分脊椎の障害を持って生まれた彼女との出会いは、もう40年近くも前になってしまった。「長く生きられない」と言われ、お母さんは絶望し「この子と一緒に死のう」と思ったそうだ。しかし彼女の生命力と医学の進歩は、彼女の命を60年以上つないでくれた。ご両親も年を重ね、お父さんは認知症となり、お母さんも足腰が不自由となり、彼女が老々介護を支えてきた。母「この子に介護されるとは想像もしなかった」彼女「私が親の介護をするなんて、感謝だねー」とにかく、彼女は「どうせ長く生きられないのなら、やりたいことはやろう」と前向きでチャレンジ精神に満ちた人生を送ってきたし、現在も生きている。私はその姿に、本当にたくさんのことを教えてもらったと思う。仕事で出会っているが、その後は彼女のボランティアとして、障がい者の国際大会に行ったり、ニューヨークで開催された「ピアノパラリンピック」に同行し、得難い経験もさせてもらった。というわけで、どちらがボランティアなのかよくわからなくなっている。
2023年09月20日
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エファジャパンというNGOがある。私は友人がこの活動に関わっているので、その取り組みを知った。そして、「本の飢餓」という言葉を知った。クラウドファンディング「本の飢餓から子どもたちを守りたい。ラオス障害児にバリアフリー図書を」この団体が支援しているのは、カンボジア、ラオス、ベトナムと日本。私が20年前からささやかにシャンティ国際ボランティア会の「絵本を届ける運動」で絵本を送っていたカンボジアは、やっと障害を持つ子ども達への教育を考える段階に入ったそうだ。そのことについては、「旅立った布の絵本はカンボジアで活躍中」で少し書いた。今日私が書きたいことは、エファジャパンの活動のことではなく、「本の飢餓」についてだ。「飢餓」という言葉は、一般的に食べ物がなくての飢餓状態をさす。だから、「本の飢餓」という単語を見た時に、一瞬違和感を覚えた。本がなくても飢えないだろう…と。しかし次第に、今の私が本を取り上げられ、文字に一切触れることが出来なかったならと思うと、それはやはり飢餓状態と同じようなものだろうと考えるようになった。趣味の少ない私は、活字に触れていたら楽しみを得ることが出来る。それは、たとえチラシであってもである。もちろん、本当の本が一番良いし、それも自分で読みたいものを選びたい。しかし、この地球上では、それがかなわない子ども達も大人達もいる。それがどのようなことなのか、それ以上は私は想像するしかない。本の飢餓の実感を知らないことの幸せを、あらためて思う。私はしょっちゅう、書評などで読みたいと思う本を図書館に予約する。当市の図書館では、目について気になる本を、自分の「予約かご」に登録し、適時に予約をするシステムがある。すべてパソコンでできるのでとても便利だ。あまり一気に予約すると読むのが大変なので、読み終わりそうなときに次の本を予約する。というわけで、私の予約箱はいつも数冊入っている状態である。そんなふうに、次々と読みたい本があることは幸せだ。ということで、私は本の飢餓とは縁がなく、読んだ本もすぐに忘れるので、このブログにメモしておくように心がけている。そんな私が本の飢餓状態の子ども達に何かをしなければバチが当たるだろう。【追記】本が子ども達にとってどれほど生きるための栄養になるのか、それは日本で想像するのとは異なっていると思う。教育の機会も情報へのアクセスも制限され、もちろん家庭に本がない状態の中で育つ子ども達にとっては、本を通して違う世界や物語に触れ、未知の世界への好奇心を刺激されることは、それだけでも心や頭が豊かに動き、何かを知りたいという思いを膨らませる。当然、知的好奇心は学ぶ意欲につながるだろうし、本に触れることでの楽しみや喜びは、自分の未来への希望を生み出す。私がカンボジアに行った時に、移動図書館で絵本の読み聞かせを聞いていた子ども達の表情は日本で読み聞かせを聞いていた小学生の表情とは全く違っていた。あんなにキラキラした瞳と輝くような笑顔が、絵本の読み聞かせで生まれるなんてと、私は心からの感動に震えた。それだけでも、本を手に取ることが少ない子ども達にとって、本がどれほど生きるための栄養になるのかと感じることが出来た。すべての子ども達にあの笑顔を届けたいと思うが、私にできることはささやかなプロジェクトへの支援だけしかないが、それでも役に立つことがあると思えるのは幸せだ。
2023年03月02日
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私は、なぜかわからないけれど小さい頃から人や社会の役に立つ人になりたいと思っていた。その延長線上に福祉の仕事があり、仕事をすることが役立つ人間の証明のように思い込んでいた。しかし、自分の望む自分の理想と、現実の自分にはいつも乖離があり、そのことにずっと悩んでいたように思う。それでも何とか自分としては中途半端であっても仕事もしたし、仕事をやめたあとも地域活動やボランティア活動で、多少なりとも誰かの役に立ちたいと思ってきた。そう思っているせいか、いつもどこからかお呼びがかかり、嫌でないことは引き受け、気が乗らない時は「頑張ってください」なんて言葉で胡麻化してきた。そんなこんなでいつのまにか70代に入り、ほとんどリタイア気分で過ごしているのだが、それでも時々、以前の関わりの中で協力したりすることがある。ほとんどが自分自身の積極的行動ではないのだが、そんなことでも喜ばれると嬉しいものだ。SNSというツールは、良くも悪くも多くの人が利用しているようだ。SNSとは、Social Networking Service (ソーシャルネットワーキングサービス)で、今のところ私は、ラインとFacebookを利用している。ラインは親しい友人と家族間での連絡のため。Facebookは最初は息子たちの情報が結構Facebook上でやりとりされているようなので、それを見るため登録した。自分自身はそれを使って情報公開するつもりはなかったので、長期間「見るだけ」だった。顔写真なども登録しなくてはならないと知り、自分の顔を出すのはイヤだったので、飼い猫の写真で試したらOKになり、私は猫ちゃんである。最近、結構Facebookで私が気になった情報などをアップしている。さらに、そのような記事には「いいねボタン」を押す。これだけでも、ささやかに誰かの応援になるような気がして自己満足だ。これだったら、今のようにブログを書けなくなってもできると思うと心強い。さらに、クラウドファウンディングなどへの協力も簡単にできる。一昔前でネットが使えない時代は、どこかに寄付しようと思ったら地元の共同募金会で情報を得たり、銀行や郵便局で振り込んだりと面倒だった。その点でも、本当に便利になった。しかし、便利と危険は裏表。詐欺被害に遭わないように気を付けなきゃね。
2023年01月29日
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わたしは10歳、本を知らずに育ったの。 アジアの子どもたちに届けられた27万冊の本【内容紹介】アジアには「本を知らない」子どもたちがたくさんいます。小学校に通えない、図書館がない、内戦や貧困のために読み書きができない人びとがいます。しかし、1冊の本から生きる希望を見つけ出す子どもたちがいます。36年に渡る図書館づくりや翻訳絵本を届ける活動を紹介。いま、あなたにできることがきっとあります。目次 : 第1章 なぜ、わたしは学校に行けないの?/ 第2章 本がわたしに与えてくれた翼―オラタイさんの物語/ 第3章 読み書きができない7億5000万の人びと/ 第4章 図書館がぼくらの村にやってきた/ 第5章 人を育てる図書館/ 第6章 日本発!27万冊の絵本を届ける運動/ 第7章 わたしたちにできること【著者紹介】鈴木晶子 : シャンティ国際ボランティア会東京事務所広報課課長。岐阜県高山市出身。2005年緊急救援室に入職。国内外の災害支援に従事。2007年よりカンボジア事務所駐在。100をこえる小学校の図書室を整備。2010年よりタイ国境ミャンマー(ビルマ)難民キャンプの図書館事業に携わる。2015年より現職山本英里 : シャンティ国際ボランティア会東京事務所事業サポート課課長兼アフガニスタン事務所所長。静岡県浜松市出身。2001年にインターンとしてタイ事務所に参加。2002年、ユニセフに出向しアフガニスタンで教育復興事業に従事。2003年より、シャンティのアフガニスタン、パキスタン、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、カンボジア、ネパールでの教育支援、緊急救援に携わる。アジア南太平洋基礎・成人教育協議会(ASPBAE)理事。2016年より現職三宅隆史 : シャンティ国際ボランティア会ネパール事務所所長。広島県広島市出身。1994年シャンティに入職、海外事業課長、ミャンマー(ビルマ)難民支援事業事務所、企画調査室長、事務局次長、アフガニスタン事務所長、タイ事務所アドバイザーなどを経て、ネパール事務所長、教育協力NGOネットワーク(JNNE)事務局長、開発教育協会理事。2017年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)図書館で見つけて、早速Amazonで購入した。実は、以前に旧友から誘われてこの活動を視察するカンボジアツアーに参加し、その時のカンボジアの子ども達が絵本をキラキラした瞳で夢中になって読んでいる姿に心を打たれた。その頃所属していた絵本の読み聞かせ活動グループや、不登校の子ども達を応援する活動の中で、カンボジアに送る絵本作りの活動を、細々と10年以上は継続したと思う。その活動がきっかけで、中学生のボランティア体験学習に取り入れてもらったこともある。現在はそれらの活動から少し離れてしまっているので、この二年ほどは絵本を届ける運動には関わっていない。これは一人でもできる活動なので、また参加してみようかと思っている。
2020年09月05日
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【Q&A】10万円いつ、どうすればもらえる? 届いた申請書を返送4/20(月) 19:39配信 これは再朝令暮改にならずに実施されるのだろう。せっかくのありがたーいお金ですから、国民は決してそれを無駄にせず、今困っている人のために活用したいと思う。私達は年金生活者で、コロナウィルス騒動で日常生活には困ってはいない。外出機会も減り、無駄遣いも減っているから、支出増はほとんどないか減っているくらいだ。だから最初は、10万円は受け取り拒否しようかと思ったが、すぐに考えを改めた。国に10万円を返したって、雀の涙にもなりゃしない。かえって、政府のバカバカしい無駄遣いに使われる可能性がある。だから、10万円は困っている人や団体・企業に役立ててもらおうと思う。今、クラウドファウンディングでコロナウィルスで大変な状態になっている人たちのために、様々なサポートプログラムが立ち上げられている。私もクラウドファウンディングで何度かサポートに関わった経験はあるが、年金生活者の私としては、せいぜい5000円が精いっぱいだった。しかし、10万円を使おうと思ったら、いくつものプログラムに協力できる。それぞれのプログラムにとっては、たかが5000円でも貴重な金額だろう。そちらに使った方が、よほど社会の役に立つ。ただ、次々と立ち上がるプログラムには怪しいものや、自分の利益追求につながるものがあるかもしれない。そのあたりは、呼びかけの美辞麗句に惑わされずに、できる情報収集を怠らず、しつかり応援したいと思う。10万円をもらうのが楽しみになってきた。新型コロナウイルスサポートプログラム特集
2020年04月21日
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北海道はまた感染拡大状態になり、次の週から市内の公共施設が閉館となるようなので、 いつも印刷作業をするところも閉鎖されるかもしれないと、急遽この日に作業をする。 今はどこでも、マスクをしなければ人が集まる場所には行けない。 私はマスクは息苦しい感じがして嫌いなのだが、今の状況では仕方がない。 仲間と二人で作業して午前中には終わったので、久しぶりにランチでもしようということになった。 少しドライブをして、N町の畑の中にあるファームレストランへ。 ここは結構人気があるようで、通常なら土曜日などは混雑しているらしいが、 この日はすんなりと入店できた。 ここは札幌からも来る客が多いそうだが、さすがに今は来ていないようだ。 テーブルも間隔を広くとっているので、おしゃべりしてもあまり周りに気を使わなくていい。 ということで、ゆったり二時間半ほどランチとおしゃべりを楽しんだ。 お互いに色々と忙しい日々なので、久々の友人との語らいはとてもリフレッシュできた。
2020年04月18日
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父の後輩であり親友でもあった方の葬儀に参列。その人のことも書きたいのだけど、とても懐かしい人に再会したので覚書。またいつ会えるかどうかわからないので。彼女は、私が仕事で高校生のボランティア活動に関わっていたころ、高校のボランティア部員として出会った。元気いっぱいの女の子で、リーダータイプではなかったけれど、みんなの雰囲気をなごませるような明るい子だった。葬儀場で出棺をまつためのロビーでみかけ、一目でその子だとわかったけれど、なにしろ25年ほども経っているのでそれなりの年齢には見えた。風の噂で、シングルマザーとして仕事と子育てに頑張っているようなことを随分前に聞いたような気がしたが、正確な記憶ではないのでそれには触れず声をかけようと思った。「〇〇ちゃんでしょ? 久しぶりだねえ」「あっ、みらいさん!? お久しぶりです」「あなたの高校卒業以来かなあ。元気にしてた?」次の言葉に、私は一瞬戸惑った。「私、元気に見えますか?」昔の彼女のイメージは、もっと天真爛漫に「元気、元気!」というような気がしたので、これは随分苦労してきたのかな…と思いつつ、何とか明るく返そうと思った。「こうやって、〇〇さんの葬儀に来てくれたのだから、元気なんだろうと思って…」故人は長年特養の理事をしていて、彼女はその職員として働いていることはこれも風の噂で聞いていたのだ。「お世話になった人だから…」と言いつつ、彼女は意を決したように今の状況を話してくれた。離婚を期に故郷に戻り、特養に勤めるようになり、その一人息子も最近入籍したこと。でも、色々と嫌なことや辛いことが多かったので、できれば別の仕事をしたいと考えていること。短時間だったけれど、そんなことまで話してくれた。「そうかー、その仕事もなかなか大変だろうね。あの頃、ボランティア活動をしていた子たちが、みんな福祉の道を志したから、その後の福祉の状況を考えた時、みんな苦労していないかと心配してたんだよ」と話す。そして、「自分でこれ以上は無理と思ったら、別の道も探ったらいいよ。お子さんをちゃんと自立させたんだから、これからは自分のために頑張ってもいいんだよ」と。すると、「実は、私運転が好きだから、バスの運転手になってみたいんです」という。「いいんじゃない! バスの運転手が不足しているってことだし、あの仕事もそれだけに大変なのだろうけれど、やってみたいなら頑張ってみなよ。とにかく、まだまだチャレンジするには十分の若さがあるんだから、やりたいことは手をつけたほうがいい。やらないで後悔するより、やってみて頑張って、それでもダメな時もあるけど自分なりに後悔しないで済むよ」そして、私自身がその繰り返しだったんだよと話す。「えー、みらいさんもそうだったんですか?」と目を丸くしていた。その表情は、高校生の頃の表情に重なった。それ以上の話をする時間はなかったが、彼女が自分のためにチャレンジする気持ちになってほしいと思いつつ別れた。
2019年11月12日
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昨年から今年にかけて、長年続けてきたボランティア団体の責任者を次の人にバトンタッチした。数年前から、会の新陳代謝を良くして活動の活性化を図るためにも、役割の交代をしなくてはならないと思い、そのために布石を打ち予定通りにバトンタッチすることが出来てホッとしている。しかし、脱会したわけではないので、今は裏方的役割を担っている。最近、会の活動を理解したいという別組織からの要請で、会の発足当時から関わってきた私も、その説明の場に出る機会が二回ほどあった。できるだけ「補足説明」に徹しようと思っていたのだが、発足当時の思いや、それを継続し続けるために心がけてきたことを話す役割となり、そんな話をしながら改めて気付いたことがある。私がボランティア活動に関わったのは仕事上からが始まりである。もう、35年以上も前のことで、私たちの地域では「ボランティア」は一般的な言葉ではなく、「奉仕活動」と言った方がピンとくるような人たちばかりだった。当時の私が与えられた仕事は、「ボランティア活動の推進、啓発」であり、その時から私は「ボランティア活動」について真剣に考えことになる。私自身が、ボランティアが何なのかよくわかってはいなかったし、当時広く認知されていた「奉仕活動」でなくて、外来語の「ボランティア」を啓発しなくてはならない意味がよくわからなかったのだ。そのことを先輩職員に聞いても、私の腑に落ちる説明はしてもらえず、結局自力で調べたり聞いたりすることから私の仕事は始まったように思う。やがて私は、これからの社会には「ボランティア」という言葉ではなくてはならないのだと納得するようになる。自分なりに理解と納得をしたからには、従来の「奉仕活動」からの止揚を図らなくてはならない。当時は「止揚(アウフヘーベン)」なんて言葉も知らなかったけど、当時考えていたことはそれに近いものだったと思う。つまり、「奉仕活動」に含まれる「社会や組織などから依頼されたりした役割を、無報酬で活動する」というような意味合いから、「自発性」というキーワードを強く意識するということであった。誰に頼まれなくても、自分の内部から湧き上がる必要性や意味付けによって、自分から動くことが大切だというとである。そしてそれは、何の見返りも求めず、自分がやりたいと思い、やらなくてはならいと信じ、それを行動して納得し、かつその相手から喜ばれたりすることが嬉しいという気持ちが大切だということと私は思ってきた。「自分がやりたい」と思うことの中には、思いを共有する人たちとの仲間になりたいということもある。目の前の困っている人の手伝いをすることで、その人の笑顔に心からの満足を得ることもある。まあ、このことについて書いたら長くなるけれど、「自分の心が納得し満足する」ことがとても大切なので、それを見て「自己満足だ」「偽善だ」なんていう人もいたりするが、「自己満足で何が悪い!」という気持ちで私は無視している。「偽善だというなら、偽りでもいいから善いことしてみたら」とも心の中でつぶやいたりもする。というわけで、仕事をしていた時には、特に若い人たちにボランティアの楽しさや喜びを知ってほしいと努力した。退職してからは、そんなことをしていた私がボランティア活動をしないでどうすると思い、誘われたらいやではない限り事情が許す限り関わっても来た。その中で、中心メンバーが入れ替わらなければ会は必然的に活力を失い、ボランティア仲間と言う親睦団体になってしまうことも理解するようになった。だからこそ、私は主たる役員の交代を図ることを、その会での役割と思うことになったのだ。そして、首尾よく役割交代が出来た今は、「目の上のたんこぶ」にならないうちに、この会からフェードアウトする時期を見計らっている。しかし、この二回ほど会の説明やその理念などを説明する機会を得て、フェードアウトの前に仲間たちに今までの私の思いも話してもいいのかなと思っている。特に、中心メンバーにはボランティア活動の意味や、行政や他の期間や組織との連携の大切さなどは、しっかり伝えなくてはならないとも思った。ずっと一緒にやってきたから相手もわかっているはずと思うのは間違いで、理解してもらわなくてはならないことはきちんと言葉で伝えるべきなのだなと。そして、あらためて痛感したのは、様々な公的組織でボランティアに関わる人たちの意識は、まだまだボランティアについての認識は薄く、かつどのようなボランティア活動が地域でなされているかということの情報も共有されていないということだ。「市民との協働」を行政側が言うようになって随分になるが、このままではボランティア活動はかつての「奉仕活動」に逆戻りするんじゃないかと思うことすらある。今の私はその分野まで食い込むことはできないけれど、せめて仲間達には「ボランティアとしての自律・自立と矜持」を意識してほしいと願っている。
2019年10月04日
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某ボランティア団体に、19年所属して活動してきた。年月が経つうちに監査→副会長→会長とズルズルと責任が重くなり、会長になって9年が過ぎた。数年前から、会長を次の人にバトンタッチすべく、その意向は時々例会で話してきたし、いよいよその時が来たと思って、例会、役員会で何とか次の役員体制にできるように説得に努めた。私は、どんな集団も同じ体制で長くなってしまうのは、その会にとって良くないと思っている。それは、役員体制が固定化してしまうと活動はマンネリになりがちだし、その時の主要メンバーの考え方に違和感を覚えても、なかなか別の提案をしにくくなるからだ。それに、団体の活動の活性化のためには、新しいメンバーが入って来やすくなければならない。主要メンバーが変わらなければ、どうしても新しいメンバーが参加しにくくなる。また、ボランティア団体であれば、色々な関係機関との連携も必要だし、主要メンバーになると〇〇委員会やら、□□協議会などへの参加も増え、次第に行政と親しくなってきて、それはそれで功罪がある。それに、立場が変わると活動への責任感や見え方が変わってくることもある。というわけで、数日前の役員会では喧々諤々の話し合いをして、四月の総会での役員改選のための原原案をまとめることが出来た。そしてこの日の例会でそれを提案したというわけである。前回の例会で、「原々案は役員会でまとめ、次の例会に提案する」ということになっていたから、新しく役員に入ってほしい人には根回しもしていなかったので、「想像もしていなかった!」と驚いたり戸惑ったりした人もいたけれど、みんなで説得してお願いして、とりあえず任期だけはと納得してくれた。私自身は、活動上の人手不足もあるので退会というわけにもいかず、一応〇〇役として必要な時には助っ人として活動を続けることになった。とにかく、ずっと気になっていたことの準備が整い、本当に肩の荷が下りた。
2019年03月20日
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乳幼児健診会場での絵本あそびボランティア。しばらく行っていなかったので、久しぶりに赤ちゃんと接する。いつも思うのだが、この無垢な愛らしい赤ちゃんが、のびやかに育ってくれることを祈る。最近は、外国人のご夫婦が赤ちゃんの検診に来ているのを見かけるようになった。また、ベトナムからの里帰りで検診に来たというお母さんにも出会った。あちらの国では乳幼児健診というものがないので、里帰りを兼ねて検診させてもらったという。初めての子なので、順調に成長しているのかどうかも不安だというが、とても明るいお母さんだったので、この人なら外国でもたくましく子育てをするだろうと心強かった。当市では、住民票がなくても柔軟な対応をしているのだなと嬉しく思った。日付指定することを忘れてしまった。これは2月5日の出来事でした。
2019年02月19日
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先週、市主催の「子育て支援関係」の講演会に参加した。私は子育て支援に関係するボランティアグループに関わっているので、役割のような感じで参加した。講師は、北海道では人気の劇団グループのリーダー。しかし私は、そのグループの別の人は知っていたが、この日の講師になった人は正直なところあまりよく知らなかった。だが、若い人には人気があるらしく、市主催のこのような行事の時とは異なり、子育て中のお母さんたちも多いように見受けられた。講演内容については、まあ一般的な万人向けするような話で、確かに話は上手だし面白かった。「子育ては自分育てと夫婦育て」というようなテーマで、子育て中の人に対して「夫婦で助け合って大変な子育て時期を乗り切ろうよ」という感じ。まったくごもっともな話で、そのように夫婦がケンカをしながらも仲良く力を合わせ、楽しんで子育てができるなら、家族として百点だろう。だが、市主催のこのような行事がこのような上っ面の講演だけで楽しんでいいのだろうか。現在は、家族も多様である。格差社会が進み、低所得層も増加しているし、ひとり親家庭も増えている。また、いくら夫が子育てに参加したくても、長時間勤務・単身赴任などで事実上母親一人が子育てを担っている場合が圧倒的に多いだろう。なぜかはっきりとした分析はされていないようだが、発達障害的な傾向を持つ「育てにくい子」も増加中。幼稚園や学校に行けば、ママ友同士のグループ化とそれに派生する悩み事が増え、子どもたちはいじめや管理教育による「学校への行きづらさ」を抱える子も増え、不登校や子どもの自死だって多い。いつもそんなことを気にかけながら活動している私としては、何とも釈然としないことが多かった。そんな気分にとどめを刺すような違和感は、講演後のグループ討議だった。7~8人程度のグループで、「子育ての支援に必要なこと、私たちができること」で話し合いをしたのだが、各テーブルにはその進行役のためなのか、市の職員が入ってきた。しかし、その時の挨拶で私はまずカチンときた。「このテーブルに入れと言われましたので、どうぞよろしくお願いします」ときた。何なんだ、市主催の行事でこんな他人事の言い方は…。しかし、まあそれはその人の謙虚さの表れかもしれないと思いなおし、話し合いに入る。見たところそのグループで私は一番年長のようなので、できるだけ若い人が話す方がいいなと控えめにしていたが、時々は自分の活動も含めて意見も言ったりもした。テーブル上に模造紙があり、各自に付箋が配られ、自分の意見を書いて貼り付けてゆく、今はよくされている方式で、ほとんどは最後のまとめの時間で各テーブルで出たトピックなどを発表するのが常だが、今回はそれがなかった。司会者が「今回話し合われたことを参考に、それぞれの活動に生かしてください」のようなまとめだった。ㇸッ? それでおしまい? つまりは、行政は聞いただけ?この模造紙に貼られた意見はどうなるのか?私はテーブル担当の市の職員にそれを聞いた。「今回の意見はどのように活用されるのですか?」彼は首を傾げながら「さあ~、どうなんでしょう?」。私は再度キレてしまい、捨て台詞のように言った。「せっかくの市民の意見や思いなのですから、ぜひ子育て支援行政に生かすように言ってくださいね!」。彼にはまったく期待していなかったが、せめてそのくらいは担当部署に伝えてほしいと願いつつ…。後日、以前市の職員で子育て関係の仕事をしていた友人にその話をした。「その講師の人選は、人集めのためだけだよ。行政主催のこの手の行事の参加者は、動員された市職員や民生委員が多いのが常。若い子育て中の人を集めたという実績のために、高い講演料を使ったんだよ。その人、若い人にはとっても人気があるグループリーダーだから」(興味や関心の偏っている私は、私はその人が道内で人気があることは全く知らなかった)「テーブルに配置されるのは、たいてい子育て関連部署の課長以上だと思うよ。でも大抵、言われたとおりにやってるだけだから。それでも、最低限この行事の主旨や今後の方向性などは徹底しなくちゃならないよね。それもやってないってことだ」そんな話を聞いて、二度力が抜けてしまう気がした。
2018年11月11日
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20年以上関わり続けてきたボランティアの代表としての、最後の役割を終えた日。終了後、仲間と一緒に「お疲れさん会」のような会食。とにかく、肩の荷を下ろした気分でホッとする。あとは秘密日記に。
2018年08月27日
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土曜日に、ずっと準備に追われていた行事が盛況のうちに終了した。昨日は、金銭的な後始末に追われる。今日は、協力してくれた行政機関等にお礼や報告と、諸々の後始末作業。やることはあるのだけど、とにかくホッとしている。
2018年07月30日
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今回はいつもより参加者が多くて、みんな大変だったようだ。とにかく無事に終了して、来てくださった人も笑顔でお帰りになってホッとする。お疲れさまでした。私も少し疲れました。
2018年07月20日
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明日は子育て支援関係の行事があり、その準備でアタフタ。来週末は、別の団体のちょっと大きな行事のために、ずっとバタバタ。本州のような地獄の暑さの中だったら、私の頭の中のヒューズが飛んでいるだろう。寝ている間に8月になってほしい。
2018年07月19日
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7月に開催するイベントのPRのために、朝から仲間とチラシやポスターを関係団体や機関に配って歩く。午前中は市内中心、午後からは隣町へ。ただポンポンと置いてくるわけではないので、説明したり自分でポスターを貼ったりと結構時間がかかる。とりあえず夕方までに8割程度を終えることができた。続きは次の日に…。
2018年06月25日
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今日も朝から寒いです。7月の末に行事があるので、今日から本腰を入れてその作業に取り組んでいます。その日に合わせて小冊子を作るので、その校正も必要です。事業のためには、関係団体や機関への依頼や確認作業、チラシやポスターの準備など、細々した作業がたくさんある。久しぶりの行事なので、ミスや忘れていることがないように気をつけなくちゃ。とりあえず今日は、パソコン作業に集中。
2018年06月11日
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かつて、社会福祉協議会でボランティア推進の仕事をしていたころに出会った女性から、突然電話をもらった。出会った頃は中学生の女の子で、その後高校生ボランティア→社会人ボランティアとして、一緒に色々と活動した。彼女が結婚してこの街を離れて以来、多分直接会ってはいないだろう。10年くらい前までは時々電話をくれたりもしていたが、現在は年賀状のやりとりのみ。だから、電話で現在の姓を名乗られてもピンとこなくて何度も聞きなおしてしまった。なんでも、年賀状整理をしていて思い立って電話してくれたという。といっても、その前にも何度か電話をくれていたらしいが、私が留守だったとか。以前彼女が電話をくれるときは、いつも何かの悩みを抱えていたので、ひょっとしたら今回も悩みがあるのかと思って聞いたけれど、単に懐かしかったらしくてホッとする。「ところで、〇〇ちゃんは何歳になったの?」と聞いてみる。「えー、もう50歳過ぎたよ。みらいさんは?」「もう少しで68歳になるよ」「えーっ! そんなになるの?! でもそうだよね、私が50歳過ぎてるんだもの」それから少し思い出話や、お互いの知っている共通の知人の話などをする。「あの頃、みらいさんって大人だなあと思っていたけど、今の私より若かったんだね」という。そりゃそうでしょう。中学生・高校生から見たら、30代でも随分大人に見えたことだろう。でも、本当は随分若くて未熟だったんだよ。「今は、何かボランティアなどやってるの?」と聞くと、何もしていないらしい。「これから新しいこと始めるのも億劫な気がするしねえ」だって…。「何言ってるの、50代なんてまだまだ新しいことにチャレンジできる年だよ。でも、どんどん先が短くなるのは確かだから、もしもやってみたいことがあれば迷わず手をつけなさいね」そういえば、50代で私はこのブログを始めたんだった。気付けばもう15年である。その話は彼女にはしなかったけれど、このブログからつながった人もいるし、思わぬ展開になったきっかけにもなっている。未来に何が起きるかは本当にわからない。だから、もしもやりたいことがあるなら、「今からでは無理」なんて自分を決めたりせずに、ぜひ一歩前に踏み出してほしいと思う。「今のみらいさんの話を直接聞きたいなあ。それが私の一歩かも」ですって。嬉しいこと言ってくれるじゃないですか。「わかったよ。でも、こっちに来てくれないと無理だよ。都合の良い時に一週間前には連絡してね。できるだけ都合つけるから」自分より若い友人は大切にしなくちゃと思いながら電話を切った。これから若い人と出会って友達になれるチャンスはあまりないと思うので。
2018年06月08日
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昨日は町内会の花壇づくり。当町内会は市内では古い地区なのだが、ご多分に漏れず個人商店は年々減り、その跡地は空き家、空き地、跡地がマンション化している。マンションの住人はほとんど町内会に入ることがないので、町内の防犯、清掃、花壇整備、交流事業を担うのは高齢者がほとんど。たまーに空き地に自宅を建てた人が、逃げられずに町内会に入ってくれる程度。ということで、午前中の花壇づくりもいつもの人たちばかりである。帰宅してからは、自宅の庭の草むしりに追われる。これから雑草たちとは冬がくるまでイタチごっこである。(雑草という植物はないと、昭和天皇がおっしゃった言葉を思い出す。ごめんね)今日は、町内会のボランティア活動として、市内の老人ホームに贈るタオルや清拭布づくりがあるのだが、世話人をしている会の例会日と重なるので、これからそちらにでかける。冬期間に雪のせいで破損してしまった排水溝を、今業者が手直し中。でかけても大丈夫だというので、よろしくお願いします。しばらくブログ更新していないので、怠け癖解消のためにちょこっとブログでした。
2018年05月25日
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夏に開催する行事の助成金をもらうための審査会が終了。その後、仲間と今後のことについての打ち合わせをして、とりあえず道筋がついたのでホッとする。なんだか順調すぎるので、気を抜かずにきちんと詰めてゆかねば。
2018年04月25日
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今週は少し忙しかった。月曜日の夜は世話人をしている会の例会日。初参加の人が二人来て、お子さんのことで色々なお話を聞く。お住まいの地域の小中学校の様子を合わせて知ることになり、今の学校現場の状況についてガッカリと言うか、愕然とする思いだった。これは聞きっぱなしにしてはいけないことだと思うが、それをどこにどのように伝えて、改善への一助にできるかどうか…。水曜日は別の会の新年会。この会の仲間が先日ブログにも書いた人である。新年会は前から決まっていたので、予定どうりに行ったのだが、始める前に彼女のことを改めてお伝えして、乾杯のかわりに黙祷してから始めた。知らなかった人もいたので少しばかりの動揺があったのだけれど、中高年が多い会なので、それぞれが落ち着いて受け止めながら、人によっては「次は私かもしれない」と思っていたことだろう。ともあれ、まだ命があり、ボランティア活動ができる状況を感謝しながら、故人の願いを受け継ぎながらやっていこうと思ったことだろう。木曜日は、某会の会報作成→印刷→発送を仲間二人で行う。その足で、関係行政三か所に会報を届けがてら担当者と話をする。教育委員会では、月曜日の例会で聞いたことや確認などを、SSWの方二人とお話しする。児童生徒の問題では、SSW(スクールソーシャルワーカー)人が配置されてから、とても話をしやすくなったのでありがたい。どんな職種でも、肝心なのはその人の人柄や感受性、価値観によって対応が大きく異なる。幸いに、現在の方はとても柔軟な人でありがたいと思っている。昨日の金曜日は、今年の7月に予定している行事の講師にお願いしているT先生に、ご挨拶と正式なお願い、そして開催要綱を作っていくための打ち合わせのために、診察前の時間をとっていただき、別のメンバー二人と伺う。直接お会いしてお話をするのは初めてなので少し緊張していたが、先生のお人柄に触れてとてもリラックスしてこちらの気持ちなどをお伝えすることが出来た。その後、少し今後のことを仲間と二人で確認した後、ずっと気になっておつきあいをしている人と会い、デパートの物産展をブラブラしてからランチバイキングをして帰宅。本当は、せっかく札幌に出るのでシネマ歌舞伎を観たかったのだが、残念ながら時間が合わなかった(涙)まあ、なんでもかんでも「ついでに」というのは無理と言うことだろう。来週はきっと、シネマ歌舞伎のためだけに札幌に行くぞ!ともあれ、緊張感漂う一週間が終わり、少しほっとしているところである。
2018年01月20日
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関わっている団体の仲間と、某会合に参加詳細は秘密日記
2018年01月11日
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2日前のボランティア活動会場で、仲間であったNさんの訃報を聞いた。一昨年の秋ごろ癌の再発があり、その後入退院を繰り返していると聞いていた。半年前にNさんと親しい人に様子を聞いたら、「すっかり痩せてしまって…、あまり人には会いたくないみたい」と聞いたので、心配しながらも回復を祈っていた。1月2日に家族が面会して帰宅後に病状が急変し、病院の知らせで駆け付けた時には息を引き取っていたという。まだ54歳であった。新聞のお悔やみ欄の掲載もせず、本当の身内だけでの家族葬だったという。だから、仲間への連絡も遅くなったようだ。しかし、後から聞いたと言ってもそのままにはできないので、昨夜、親しかった仲間たちと一緒にご自宅に伺った。前日から仲間への連絡や供物やお花の手配、送迎のことまでしっかりやっていたAさんが、玄関先で「こんなのイヤだーッ!」と叫んで突っ伏し号泣した。先に入っていた仲間もすぐ後ろの人も、茫然として背中をさするばかり。まだ後続の人がいるし、玄関は開けっ放しなのでそのままにしておくことも出来ず、後ろにいた私がしゃしゃり出て、「しっかりしなさい。ちゃんとお別れしよう」などと立ち上がらせて部屋に押し込んだ。周囲がパニック状態になると、不思議なことに私は冷静になってしまう。本当は、私も一緒に泣きたい気持ちなのにと、自分の変な冷静さが情けなくなるのはそんな時だ。それから約一時間半、ご家族からこれまでの経緯をお聞きしたり、たまたま年末年始の時期に救急車で運ばれたという運の悪さのことも聞き、ご家族はもとより、本人がどれほど悔しかったかと思う。「きっと、自分が死んだなんて思ってないと思う」とはご長男の言葉。娘さんは今年成人式、ご次男は東京で頑張っていて、今年は念願の舞台に立てることになっていたという。どれほど子どもたちの晴れ姿を見ることを楽しみにしていたのだろうと思うと、体が震えるような気がした。本当に命の行方はわからない。いつどのようなことでこの命が尽きるのか、誰にもわからない。せめて生き残った者たちは、その人のことを忘れずにいよう。そして、彼女が生きがいにもしていた活動をつないでいこう。今まで色々な面でお世話になった感謝の気持ちを、また誰かにお返ししていこう。今まで、本当にありがとう。最後まであきらめず前向きに頑張ったこと、私たちも見習いたいと思います。最後は本当に辛かったようだけど、今は楽になったんだよね。これからは、愛するご家族やお身内、そして仲間であった私たちを、見守りながら応援してね。必ずいつか私たちもそちらに行くので、その時まで先に行った人たちと仲間づくりをしていてください。そして、その時が来たら私たちも仲間に迎えてね。そんな思いで、彼女の霊前に手を合わせた。
2018年01月11日
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世話人をしている団体が、来年20周年を迎える。秋ごろから、そのために世話人を含むメンバーで計画案についてその都度話し合ってきた。雑多な夢物語から始まり、おおまかな計画に次第に収れんされてゆき、やっと骨格が定まってきた。そして、児童精神科医でもある〇〇先生に講演をお願いしたいということになる。先生はとてもご多忙なので、なかなかご講演を引き受けていただけないと聞いていたのだが、「やってみなけりゃわからない。とにかくお願いしてみよう」と、久しぶりに手書きの手紙を書いた。もちろん、パソコンで原稿を打ってそれを清書したのだけれど、悲しいかな本当に字が書けなくなっている。しかし、私は「昔人間」なので、「やはり心からのお願いを伝えるには手書きでなくちゃ」と思っている。それでも修正液だらけになってしまい我ながらガッカリしたが、「もう一度清書しても同じことだろう」と投函した。返信用の用紙や封筒も同封したのだが、次の日の夜にはパソコンにメールが入った。早いっ! もちろん、お引き受けいただけるとのお返事であり、具体的な打ち合わせは後日となったのだが、その二回ほどのやりとりも、早いっ!!さすがだなあと思う。仕事のできる人は、やることも早いのだ。あらためてそう思う。実は、現在行政に対してあるお願いをしているのだが、こちらは「遅いっ!」。もう、無視されているんじゃないかと思うほどだ。来週は絶対にこれ以上の放置は許さないという強い覚悟で、再度「お願い」に行く予定。お役所仕事なのか、担当者がダメなのかはわからないが(多分後者)、次の手も考えているところだ。
2017年12月16日
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世話人をしている会の例会日。それに先立って、来年の行事についての打ち合わせをする。その事業が終わったら、この会は卒業しようと思っている。最後のご奉公で頑張ろうと思う。
2017年12月11日
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世話人をしている会の例会日。ちょっと重い話もあったけれど、嬉しい話も聞くことができた。詳細は秘密日記に書いておこう。
2017年11月24日
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懸案事項を終わらせた。まずはホッと一息。
2017年09月19日
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近年、地方自治体の施設の指定管理委託がどんどん進んでいる。これは行財政改革の一環として進められてきたので、悪いことだとは言わない。しかし、公共施設は何でもかんでも民間に指定管理委託というのはいかがなものかと思っている。わかりやすいのは図書館の指定管理委託(業務委託ではない)で、基本的に公共図書館の利用は原則無料で、いくら利用者が増えても収益が上がる施設ではない。そのことで、この数年来図書館ボランティアの一員として行政には厳しいことも言わせて貰ったりもした。でも、時代の流れにはボランティアの声はかき消され、指定管理者に運営が任されることになった。(行政は市民の意見を反映しているというが)まあ、図書館行政職員自体が指定管理になったほうが楽だと思っているように感じて、もう好きなようにしてくださいという気持ちになってしまった。最近、まちづくりや観光に関連する市民団体が、その拠点運営の管理について行政に不信感を抱いているという話を聞き、「ああ、またか」という気持ちになっている。ボランティアというものは、地域の問題に自分たちも行政と共に主体的に関わり、地方自治を支えているという気持ちが、活動の原動力の一つだ。そのことで地域が活性化し、それが自分の仕事にも反映されるという目論見があっても、基本は「地方自治の一員であり仲間」という気持ちが強い。行政が「市民との協働」を掲げるなら、以前から現在まで損得抜きで活動してきた人たちの意見に、謙虚に真摯に耳を傾けるのが大切だと思うのだが…。市民活動の拠点となる施設を作るにあたっては、ここでも出てきた「指定管理による運営」である。地方の市町村で、指定管理を受託するのは(図書館もそうであったが)力のある企業だ。つまり、そこに関わっているボランティアは、指定管理する企業のためのボランティアともなりうる。ボランティア活動の内容によっても違うが、「私たちは企業のボランティアじゃない」と思う人もいる。行政は「運営が行政直営ではなくても、責任は行政だから何も変わらない」と言うだろう。しかし、それはちょっとボランティアの気持ちに添っていないように感じる。だいたい、「民間にしかできないサービス向上につながる」なんて、自分たちの怠けを表明していることに気付かないのだろうか。そのような言い訳を聞くと、天邪鬼な私はうんざりしてしまうのだ。今回のことは、私には事情はよくわからない。しかし、某市民団体のリーダーが「市政への信頼感を失った」と言っていると聞き、私の想像は当たらずとも遠からじと思っている。市民の中に芽生えた「失望、不信」が、今後マイナスに作用しなければいいがと思っている。
2017年01月20日
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関わっている団体の全道の集まりに、実行委員の末席として参加。午前中は講演会午後は分科会で、午後からの分科会では進行役二人の中の一人という立場。この集まりの実行委員の中に、私の苦手な人がいる。自己主張が強く負けず嫌い。自分の考えていることが正しいと思うタイプ。なので、私はできるだけ「当たらず触らず、無意味な衝突は避ける」という態度を心がけているので、今まで十数年、直接衝突したことはない。どちらかというと、私がまあまあ納得できる範囲では、その人の意見を支持する側に居た。しかし、今日はちょっとぶつかることがあり、結局はその人の主張に負けてしまい、はっきり言って、激しい自己嫌悪で帰宅することになる。そこで実行委員同士がもめることは避けたい気持ちが勝ってしまったということだ。だが、その後の経緯を想像すると、あそこは私が自己主張すべきだったと思っている。元々争いごとが嫌いな私は、争わなければならない時にはそのための構えが必要。あの時は、自分なりの考えを整理して理論武装をし、向き合う構えを構築する時間がなかった。だから結局押し切られたのだ。もう…、こんな年になっても瞬時にその態勢を作れない自分が情けない。自己嫌悪や、その後の経緯が心配で悶々としながら帰宅するとき、一緒に行った仲間にそのことを話したら、(彼女は別の場所にいたのでその時の状況を知らない)「それは仕方がないよ。誰だってその場では逆らえないと思うよ。 それに、あの人は貴女にライバル意識が強いから、貴女が抵抗したらもっと炎上するよ」という。私はその瞬間まで、彼女の私へのライバル意識なんて全く気付けなかった。なんとなく、その人は私が嫌いなのかな…とは感じたことがあったが、ライバル意識によるものなんて考えが及ばなかった。思えば、私は幼い頃からその傾向がある。私はライバル意識をむき出しにされると、なぜかとても怖くなってしまう。そうか、私がなんとなく「あの人は怖いな…」と感じる時は、相手が私に対抗心を持っているからなのかもしれない。ハア(*´Д`)…、人生いくつになっても勉強ですね。とは、少しは整理されたのだけど、やっぱりそんな時にはどのように対処したらいいのかと、寝つきの悪い一日となった。
2016年10月02日
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札幌で開催された「〇〇〇相談会」に行ってきた。子ども・若者の問題で悩みを抱える親や当事者の話し合いの会の世話人をしているので、その関係の相談会の相談スタッフとして協力したのだ。毎月二回の例会で参加者のお話を聞いたり一緒に考えたり、それから派生して色々なおしゃべりをする経験は積んでいるが、そんな時でも初参加の人のお話を聞くときはとても緊張するし、その日は疲れるのが常だ。例会とは違って「相談会」となると、参加者も話を聞いてもらうだけではなく何らかのアドバイスが欲しいと思っているはずだがら、その思いに少しでも応えたいと思うと、やはり緊張してしまうのだ。相談者二人と、対応する異なる立場のスタッフ二人の四人で話をする形式だったのだが、相手の言葉や表情に集中し、その人の気持ちを受け止めつつ言葉に気をつけながら必要なポイントを示唆し、かつ自分の内面の緊張を見せないようにするのは、ポーカーフェイスの達人を自認する私でも疲れることだった。それでも、相談に来られた方の顔は少し明るくなっていたような気がしたので、とにかくほっとした。久しぶりに札幌に出たのだから、帰りには少しショッピングでもしようかと思っていたが、ホッっとしたにも関わらず終了後は急に頭痛がしてきて、もうエネルギーは残っていなかった。以前はこれほど疲れる感じはなかったような気がするので、やはり年齢のせいもあるのかもしれない。
2016年09月17日
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昨日は、市主催の行事に参加。自分の意見などを言わなくてはならない役割だったので、この数日ちょっと色々確認したり関係資料を読んだり、自分たちの活動を振り返ったりしていた。時々このようなことがあると、自分自身の学びにもなるし、立場の異なる人の意見を聞くことにもなるので、とてもありがたいと思う。私が本格的に地域活動・ボランティア活動に参加するようになったのは慶應の通信課程での卒業の目処がたってから。だから、現在関わっている団体の活動は16年目となる。町内会活動等はそれ以前から関わっていたが、幸いに夫が退職してそちらに参加するようになったので、今では私は町内会活動は町内の一員として参加するだけ。その他にも、他の福祉関係・教育関係の活動にも参加していたが、10年くらい経たのでそちらは卒業。今は、卒業しそびれている二つの活動に関することだけをやっているようなもの。それでも、16年というのはそれなりの時間で、団体の中での役割も重くなるし、それに伴って色々な事業や研修会、会議やフォーラム、他市の関連団体や行政等との関連事業に参加する機会も増える。その過程で私が学ぶ機会が増えるわけで、つくづく「これが生涯学習ってものか」と思う。そして思う。どんな活動でも、真面目にコツコツとある種の使命感や責任感を持って続けていると、それなりの評価が伴ってきて、さらに活動の輪が広がっていくものなのだと。うまくいかないことも、ボランティア団体にありがちな人間関係のわずらわしさや、自分の思いがなかなか伝わらない自己嫌悪と、「ボランティアなんだもの、もう辞めちゃおうか」という気持ちになることもあるが、真面目に一所懸命思いを伝えようとしていたら、必ず理解してくれて応援してくれる人もいるということを報酬を伴う仕事ではないだけに、純粋に信じられることも多い。そんな意味でも、16年はそれなりの時間だと思う。だからこそ思う。現在大量に地域に存在する団塊の世代の方々には、ぜひご自分の関心に沿った地域活動に参加して欲しいと。その時は、それまでの仕事で培った見識や経験を生かしていただくことは大切だけど、現職時代の地位などにはこだわらず、一人の地域の住民として何ができるかを考えていただきたい。時々、私の世代以上の人たちが地域活動に参加している時、現職時代の役職や上下関係が、そのまま連続していることを感じてしまうことがある。仕事で培った感覚はどうしようもないけれど、すでに教師ではないのに「先生」と呼び合うとか、現職時代の階級名で呼び合ったりするのを見聞きすると、ハッキリ言って「(メ・ん・)?」である。私はささやかな抵抗として、決して自分の先生以外は、誰かを「先生」とは呼びませんけどね。閑話休題どのような活動もある程度続けた方が意味が深まるとは思うが、長すぎると団体にとっての弊害が出てくるのも確か。そろそろ引退時期を真剣に考えなくてはならないと、数年前から布石を打つようにはしている。まあ、私が「もうやめます」と宣言すればいいだけのことだけど、それも周囲の仲間に笑顔で見送って欲しいという気持ちがある。つまり、私の最後の欲かな。
2016年02月14日
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昨日、一昨日と、私が関わっている二つの団体のことについて、研究者と実践者の方とお話をする機会があった。研究者の方は、私が活動をしている官民協働の事業について、ボランティアの立場からの実践経緯やその中で感じていること、今後の課題などについて、行政の担当者を交えてのお話をした。この活動は、活動ジャンルとしては「乳幼児の子育て支援」に関わるものであり、赤ちゃんやそのご両親や家族、とりまく地域や行政が、一つの事業を通して学び合い、成長することの重要性について話し合われたと思う。(少なくても、私はそこがこの事業やボランティア活動の肝だと思っている)現在、行政は「行財政改革」「経費削減」「民間や市民との共働&活用」に取り組まなくては自治体が生き残れないような感じで推進されている。そのこと自体は決して悪いことではないけれど、「市民生活の安心や市民の豊かな生活」には、行き過ぎた競争原理はなじまないと思っている。官民が一緒になって「この町の子どもたちの健やかな成長のために何が重要なのか」を考え、その実現に向かって一緒に知恵と汗を出しながら試行錯誤することが、行政や市民にとっての成長になるのだということを、私はこの活動を通して実感している。私は「決して数字では現れない効果」を、研究者の方には一般の人にもわかる言葉で明示していただきたいと願っている。ボランティアが一所懸命活動していると、行政の人たちはとても喜んでくれるし感謝もしてくれる。そしていつの間にか、「これはボランティアがやってくれるからそちらにお任せしよう」ということにつながりかねない。しかし、本当に乳幼児から始まる市民の成長のために必要な事業や活動は、行政がしっかりと関わり続け、一定の予算づけという裏打ちなくしては、活動が尻すぼみになることは明白だと思っている。私たちはどうしても目先のことにとらわれて、「費用対効果」の数字を求めてしまうようだ。人の成長や成熟を、事業とからめて数字で評価するなんて、土台無理な話だと思う。結果が伴わない事業は無駄と削減されやすいのが常である。その結果、大切なことを次第に見失い、その結果としての問題が起きて、その対策のためにもっと大きな費用をかけなくてはならないことが起きるかもしれない。そのあたりのことを、このようなことをテーマにしている研究者には、しっかりと研究していただきたいと願いつつお話させていただいた。次の日は、学習障害や不登校の子供たちに対する教育支援をしている人とお話する機会があった。私たちは、不登校やひきこもりの親や当事者の「自助グループ」のような活動の世話人をしているので、その立場での情報交換であった。現在は、色々な形で小中学校時代不登校であっても、「本人のやる気と元気」、そして「保護者の経済力」さえあれば、フリースクール、塾、私立中学、通信制や単位制の高校・大学などなど、学ぶための道は色々ある。それでも、近年の低所得世帯の増加や一人親世帯などには、やはり様々な困難があるし、最近しばしば聞くようになった「発達障害、学習障害」などを抱えると、もう一つ学ぶには配慮が必要になっているようだ。そんな話の中で、「どんな子にも学びは必要だ」ということについては、私も同感である。そして、「学ぶ場は学校でなくてもいいのだ」ということでも同感。しかし、その方は「教育・学習支援」をメインのお仕事&活動をしていらっしゃるので、やはり「学び=座学」、つまり学校教育に準ずる勉強をイメージしていらっしゃる。それは仕方のないことだし、子供や親への支援は色々な形がなければ、子供の選択肢もないからそれでも良い。私たちは、人がこの世で生きていくために一番必要な学びは、実は点数で評価できる勉強ではないように感じている。そんな気持ちで仲間の一人が、「一番必要な学びは、自分の個性を知ることですよね」と言った。一般論としては、誰もが共感する言葉であったと思う。そこから、「自分を理解し、思いを人に伝えるコミュニケーション力」が必要だということにもなった。その流れの中で、「自分が支援している子どもに、学習面ではとても優秀な子がいる」と話し始めた。その子は、学習面では問題がないけれど、友達関係を作ることが苦手のようで、学校とも馴染めない状態にあるようだった。あるとき彼は、「君は仲良しの友達はいるの?」と聞いたら、その子が「友達ということがよくわからない」と答えたという。そして、「友達ってことがわからないということがその子の問題」というニュアンスだった。さて、「友達ってことがよくわからない」という言葉は、そんなに問題なのだろうか。もちろん、私はその子のことが全くわからないから、それが本当に問題の本質なのかもしれないけれど、私自身はその子がどのような意味で「友達がわからない」と言ったのかがとても気になった。それは、自分自身の小中学生の記憶と重なったからである。私自身が「友達って何だろう」ととても悩んだ思春期を送ったからである。一人で本を読んだりすることが好きで、クラスメイトとワイワイはしゃいだりすることはない子供だった。低学年の時の担任は、そんな私を何とか友達と遊ばせようとしたけれど、私にはそれが苦痛であった。鬼ごっこも、かくれんぼも、鈍くさくてノロマの私には苦手な遊びだったし、それでもみんなと同調して楽しそうにしなくてはならないことだったから。次の担任はそんな私の個性を大切にしてくれたのか、休み時間に本を読んでいる私を引っ張り出さなかった。しかし高学年になり、自分を客観視できるようになった時、休み時間に本を読んでいるのは本当に少数派になっていた。つまり、遊びには誘われないし、元気に「みらいちゃーん」と呼びかけるクラスメイトは少なかったと思う。それでも、クラス委員をやったりとクラスの中でそれなりの役割を果たしていたので、全く無視されていたわけではない。必要な時には話もしていたし、私のことを「あんたは私の友達」「ずっと友達でいようね」と言ってくれる子もいた。しかし、私はその言葉にとても違和感を持っていたのだ。相手が私を好いてくれているようなことはわかる。それも嬉しくはある。それでも、私はその子が特別に仲良しの友達という感じは持てない。それは彼女に対する裏切りのようにも感じたし、かといって「うん、友達だよ」と言ったら嘘になるように思った。さらに私を混乱させたのは「親友」という言葉だった。どうも親友とは、何でも話せる友達らしい。悩みも喜びも共有できる相手らしい。しかし、私にはそんな友達はいないし、いつも、周囲から浮かないようにと努力しているにも関わらず、どんどん周囲からは浮いていくような感覚がとても悩みであった。そんなこと、当時の私が誰にも言えるはずがない。その後も、ずっと「友達」という言葉に対する違和感は続き、ある頃から私は「友達とは知り合いだ」と納得するようになった。つまり、薄く広い付き合いの中で、必要に応じて深くも浅くも付き合う関係だ。一般的に、それを友達というのかどうか、今でも私はよくわからないけれど。思春期までに自分が親友と思える友を得られなかった私は、私は親友は持てない寂しい人間なのだと40代半ばまで思っていた。しかし、私が人間関係をおろそかにしていたわけではない。そんな自分だと思うからこそ、人間関係の糸は多分人よりも大切にしていたと思う。はっきり言おう。私は「友達って何なのかわからない子供」だった。だから、その少年の言葉に反応した。その子の心にどんな思いがあってそのように言うのかを、もっと丁寧に見つめて欲しいとも感じた。青少年期は、まだまだ自分の気持ちを自分でよくわからないし、「言葉で表現する力」も未熟である。だからこそ、言葉にならない思いを感じる感性が、大人に求められるのだと思う。そして、色々な性格や経験、感受性を持つ色々な大人と出会うことが、子どもの学びには大切なのだろうと。そんなことを考えつつ話したことであった。
2016年02月04日
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全国各地の公共施設の運営管理は、「指定管理制度」が続々と導入されている。「行政に民間活力の導入を」という掛け声の下、国や自治体の財政負担の軽減や、民間の柔軟な運営手法で市民サービスの向上をはかる意味では、決して悪いこととは思っていない。しかし、民間に「丸投げ」して行政責任を軽くすることになる懸念もあるし、何よりもその自治体がどのような方向性で「まちづくり」をするのかという理念がなければ、単なる「財政削減」と「新たな行政の無責任化」につながることにはならないかと、現在の「何でもかんでも指定管理化」のような流れには首を傾けることもある。そんな時、関係しているボランティア団体に「図書館を考えるフォーラム」の案内があった。当市の図書館は「窓口業務の業務委託」をしている。この業務委託導入にあたっても、当時色々な意見が市民から出ていたが、幸いなことにそれはとても良い形となって運営されていると思う。だから、今回のフォーラムは、それをふまえて今後の図書館を考えるフォーラムだと思い参加した。…ところが…朝のテレビドラマの主人公のセリフではないが、「ビックリポン!」であった。フォーラムではなく「指定管理者制度説明の講演会」であった。さらに、「フォーラム」というからには講演会の後に「講演者との討論」でもあるのかと思ったら、単なる「質疑応答」であるばかりではなく、講師「南学氏」は、市民からの質問に対しても自説を押し付けるばかりで、その話ぶりで当市の図書館活動についてもほとんど知らないということが透けて見えた。本当に、行政は何のためにこんな偽装表示の講演会を開催したのかと唖然とするばかりだった。まあ、普段勉強する機会のない「指定管理者制度」について学べたのは良かったが、結局は「図書館の指定管理者制度は、こんな意味でとても必要なのです」と市民に押し付けているように感じたのは私だけだろうか。とにかく、質問しようにもあの講師では、単に自説を押し付けられて「勉強不足ですよ!」と多くの人の前で恥をかかされるだけだと思ったし、そんな講師を持ち上げるような市民もいて、何も言う気にはなれなかった。このような講師としてもレベルの低い人を選んだ行政の見識を疑ってしまう。それでも、私は当市の図書館運営については長年の信頼感もあるので、次の日に機会があったので担当者に思いの丈をぶつけてみた。まずは、「正確で公平な情報を届ける使命のある図書館で、あのような偽装表示は納得できない!」から。そのやりとりの中で、決して私の思っているようなことではなく、意図が講師に伝わっていなかったことと、色々なことが重なってあのような講演会になってしまったということもわかったが、それは私が噛み付いたからわかっただけのことであり、今更参加者一人ひとりに説明をするわけにもいかないだろう。私のように当日の誤解(?)のままに、行政への不信感を抱き続ける人もいるだろうし、反対に「大学の先生様のおっしゃることだからそれが正しいのだ」と、素直に納得した人もいるかもしれない。どちらにせよ、それは「市民と共働のまちづくり」にはマイナスだけである。やっぱり、あのフォーラムと偽装した講演会は失敗だったと反省して、次はその反省を生かしていただきたいものだ。
2015年11月21日
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前日の黒岳登山で足腰が筋肉痛だったが、この日は世話人をしている団体の例会日。この活動は1998年からだから、いつのまにか17年にもなっている。当時引き受けていた「主任児童委員」の活動の一環として関わり始めたのだが、「まずは私が世話人になるね」なんて始めたのに、こんなに長く関わることになるとは…。この会の活動についても書きたいことは山ほどあるのだが、具体的に書く事はちょっと…ということで、このブログでも直接書いたことはないと思う。会の性格は「自助グループ的」なものなので、例会は集まってきた人が近況報告や今困っていること、迷っていることから、自分自身の子供の頃のことから自身の親子関係、夫婦関係、さらに広がって社会問題など、思いがけない方向に広がっていくこともある。私たち世話人(この会では4人、当事者もいれば私のような準当事者?も)の役割は、話し合いが本来の目的から逸脱しすぎないように、参加者が思いを吐き出しやすいように、そして話の中で大切なことに気付きあえるように配慮すること。それと、会場の確保や会報の編集印刷、発送、問い合わせ等への対応である。幸い、良い仲間にも恵まれ、17年間で出会った人達にも助けられながら、現在まで続いている。しかし、ふと考えると、この活動の中で私が学んできたことは自分で思っている以上に多いと思う。43歳で仕事を辞めた時、私は「もうお金を貰う仕事は十分堪能した」と思っていた。当時の自分自身の限界近くまで頑張った気持ちが強く、報酬を貰うという責任に耐えられない気持ちが強かった。それでも、そこまで仕事ができたのは多くの人たちの支えや協力があってこそという気持ちも強かったので、「これからは『お返しの仕事(ボランティア活動)』に徹しよう」と思っていたので、通信教育で学ぶと並行して、頼まれたものはほとんど断らないでやってきたと思う。この日の活動も、その流れの中で始まったものである。それでも、その中で一番私が癒されたり気付かされたりしてきたように思う。思えば、私は積極的に「これがやりたい」という強い気持ちで何かに取り組み始めたことはとても少ない。最初の段階では「福祉の仕事がしたい」と強く思ってはいたが、その職種についてはあまり拘りがなかった。幸い、経済的にもさほど困窮したことがなく育ったこともあり、お給料などもあまり気にしなかった。そのため、残念ながら年金額は低いけれど。(;_;)そんなこともあったのか、いつも仕事は頑張るのだが「私には向いてなかったかも。無理だったのかも」となり、後悔や挫折感に苛まれて退職をしてしまうことばかり。これで私が男性だったり独身だったら、苦しくても頑張ったのかもしれないが、こればかりはなってみたことがないのでわからない。ひょっとすると、家族持ちの男であっても「もう無理!」と辞めて、自分ができそうな仕事に転職したかもしれない。というのは、私は退職してもすぐに似たようなジャンルの職種から誘われることが多く、自分で就職活動をしたことがないという恵まれた縁を持っているようなのだ。(ただ、高額報酬には縁はなさそう)そんなことで、この日も昼間(10時から14時30分)は例会、帰宅して一息ついてから、この会の関連行事の準備作業のために札幌へ。帰宅は10時近かったかな。前日の疲れも残っていたので、やはり疲労感の残る一日だった。
2015年09月25日
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今月中に仕上げなくてはならない、某ボランティア団体の会報作りの一日。メンバーからの原稿と、私のちょっとしたエッセイと、先日開催した行事報告と…。メンバーが描いてくれたイラストも組み込んで…となると、それをスキャンして編集してなどなど、なかなか手間取る。それでも、この会報作りももう10数年経つ。そろそろ「名編集長」になれてもいいのだけど、自分が使える機能だけを駆使する、作業としてはマンネリ化状態なので、「迷編集長」のままである。それでも大枠はできたので、明日は微調整をして何とかなるかな。
2014年11月29日
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今朝のNHKテレビで、「NPOカタリバ北海道」の活動を知った。大学生が高校生を対象に、小グループの座談会形式で語り合うというワークショップ活動で、高校の正規授業として取り入れているようだ。事前に学校の問題意識や生徒のアンケートなどでその高校の生徒のニーズを把握し、スタッフのミーティングを重ね、どのように何を高校生に伝えたいかを考え、その中で自分を見つめて、自分自身の課題を見出してゆく大学生たち。その中でしっかりと自分が伝えたいことをどのように伝えるかを考え、高校生たちの前に立つ時、彼らは素晴らしい先輩へと変身していた。飾り気のない本音の先輩の語りかけが、高校生たちの揺れる心にストレートに伝わり、その心を揺さぶり、自分の中の何かに灯を付ける。その彼らの姿に胸が熱くなり、このような場こそが若い人たちに必要なのだろうと思った。大学生が思わずつぶやいた言葉、「こんな場があちこちにあればいいんだよな」。しかし続いてつぶやいた。「無理だよな」。若者たちが成長するのにこれほど大切な場が、その活動をしている若者たちですら「普通は無理だ」と言わせる現代。彼らの姿に希望を感じるとともに、とてもとても深い悲しさが湧き上がる。間もなく社会人になる彼らが、そのような場を自分の周りにつないでいってくれることを心から願う。せめて私は、多少のカンパでもしようかな。
2012年09月30日
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一昨日だったろうか、テレビで某ボランティアセンターの様子が流れていた。ボランティアの受け入れが始まったら、ボランティア志願者が殺到。しかし、要請が少ないので「三時間も待っている」というボランティアがいた。このような時に、せっかくやってきたボランティアを三時間も待たせてはいけない。被災者たちは「ボランティアを要請する」という手段も、そんな仕組みがあることもわからない。このような時に一番必要なのは、「御用聞きボランティア」ではないかと感じた。何人かチームを組んで、被災地に行ってもらい、必要ならばそこからセンターに情報を流したり、すぐに後片付けを手伝ったりしてもらったらいい。あるいは、ボランティアをどんどん活用してくださいと、ハンドマイクで歩いてもらってもいい。非常事態のボランティア調整は、平時の需給調整とはちがうのだから。私、近くにいたら調整作業を手伝いたい。私は結構、色々とアイディア出したり、暇な人を作らない技術はあると思うんですが・・。
2011年03月23日
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私にもできることが何か見つかったら、行動したいものです。東北地方太平洋沖地震 募金・ボランティア募集の活動 一覧表今の私にできることは募金くらいしかありませんが…。
2011年03月21日
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発足以来関わってきた図書館に関連する子育て支援ボランティア団体の10周年を記念しての記念誌の作成作業をこの1か月ほど続けてきた。本当は昨年中に発行するはずだったのだが、依頼していた原稿やイラストなどがそろわず、ここまでずれこんでしまったのだ。この記念誌は、10年間の私達ボランティアと行政の協働の歩みの足跡である。それぞれ、忙しい人たちによるボランティア作業なので無理も言えず、「まあ、今年度中にできればいいか」と、私の「のんびりマイペース」の性格もあって、なかなかアクセルも踏めなかったわけだが、何とか昨日、印刷業者にデーターを持ち込むことができた。まだ校正作業などは残っているが、やっと肩の荷が下りたという感じである。ニュージーランドのクライストチャーチの地震では、多くの日本人留学生が被災し、現在も生き埋めになっている人が多い。チュニジアの政変に端を発し、エジプト、リビアなどへと民衆の怒りは連鎖し、中国やロシアはその状況にピリピリしているようだ。民主主義と正義という宗教を掲げて世界の独裁を目指しているようなアメリカは、地球規模の地殻変動にさぞ戸惑っていることだろう。そして南半球ではニュージーランドの地震、日本でも新燃岳の大噴火。地球も地殻変動は活発なようだ。地球という土台の揺れは、私たちには「被害を最小にする」という努力しかできない。しかし、かよわい人間が生き続けるためには、お互いが支え合い、協力し合うことしか基本的戦略はない。お互いが足を引っ張り合うことが戦略ではないはずだ。そんなことを、ニュースを見ながら思う昨今である。
2011年02月26日
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今日は、子育て支援関連のボランティア団体の例会日。来月3日に迫った、10周年記念事業の打ち合わせが主な議題。今まで、別の団体で映画会や講演会、コンサートなどを手掛けてはきたが、今回はとても楽チンである。事務局担当の人が本当に一所懸命がんばっているし、それぞれの役割の人たちも、自主的にあれこれと動いてくれている。そして、「この会の人たちはすごいぞ!!」と、あらためて感じている。すごいことの第一は、特定の「仕切屋」がいないこと。それぞれ自分の役割をわきまえながら、自由に意見を言い合って物事を決めていく。女性ばかり(会長だけが男性)のボランティアグループでは、これはなかなか珍しいことと言えると思う。黒一点の会長も、なかなか凄い。自分の気になること、自分の役回り、大切にしなくてはならないことなど、要所要所でちゃんと意見を言ったりしてくださるが、あとはみんなを信じてしっかり任せてくれる。「あとの責任は俺がとるからね」という態度に徹していらっしゃる。これもまた、地域ボランティアではいそうでいないのだ。次に凄いことは、みんなそれぞれ技術や特技があるということ。もともと、子どもたちへの読み聞かせ活動や、保育や幼児教育、学校教育などに関わりのある人が多いので、リーフレット作りやチラシ作り、色々な掲示や展示の準備がそれなりにできる人が多い。つまり、この会での私の役割は、事務局担当者からの報告や確認などに対応し、今までの経験知からのアドバイスが主。それだけではあんまり私の仕事量が少ないので、同時開催する関連図書販売の手筈だけは引き受け、もうひとつ、当日配布のプログラムの原稿作りである。今日の例会の様子を見ながら、私たちの会にとっての今回のイベントは、これだけで十分に意味があるように思った。あとは、当日ちゃんと柳田邦男氏が会場に来て下さること。当日の天候と柳田さんの健康を祈るばかりだ。
2010年06月16日
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12月に入ってから、少し慌ただしく過ごしている。実は、私の関わっている「絵本を通しての子育て支援」をするボランティア団体が、来年10周年を迎える。今までの活動の振り返りと、今後の活動への意欲を高めるためにも、私は10周年などの節目の事業は意義があると思っているので、これをなんとか良いものにしたいと考えていた。毎月の例会では、「どんな行事にしたいか」ということで、会員の希望などを『夢を語る』ように話し合ってきた。その中で、現代社会における「絵本」の意味を語っている柳田邦男さんのお話が聞きたいという希望が複数から出ていた。実は私は、ノンフィクション作家としての柳田さんしか知らなかったので、最初にそれを聞いた時には「へー、最近はそのような方向にシフトしたのか」と思ったが、何冊か最近の著書を読んで、「なるほど」と納得した。そして、柳田邦男さんに記念講演をしていただけたらいいなとは思ったけれど、私たちのようなボランティア団体が実施する行事にお呼びするには、謝礼などで折り合わないだろうとも思っていた。しかし、なんというめぐりあわせだろう。柳田氏と親交の深い方と、別の行事で親しくお話しする機会があり、「だめもとだ!」と、思い切って柳田さんへのお口添えをお願いしてしまった。(私は臆病で慎重なくせに、時々とてもずうずうしくなる時がある)それから、メンバーと一緒に「懇願お手紙」を書いたり、会場となる場所や、関係機関との調整をしたりと気ぜわしかった。自分の中では「このようなチャンスが巡ってきたということは、天がOKと言っている」と信じ、「本当に実現するのか? 私たちにできるのか?」というメンバーに、「きっと大丈夫だよ」と言いつつも、確約をいただくまでは不安ではあった。だから昨夜、柳田さんからの了解のファックスを受け取ったときには、「やったー!」と、思わずFAXを手に私らしくもないガッツポーズをしてしまった。というわけで、これが私へのサンタさんからのちょっと早いクリスマス・プレゼントになったわけだ。さっそく、会場の予約や関係機関への諸連絡など、事務局担当の人に連絡したりアドバイスをしたり・・。この会では、イベント実施の経験は私が一番多いのだ。このような行事を行うには、失敗経験が多いほど役に立つというものだ。その点では、私は普通のボランティアよりは失敗経験は多いだろうと思う。自慢することではないが、これこそ『失敗は成功の母』になる可能性が高い。だがしかし、失敗の経験は不安を呼び起こす材料が多いとも言える。これから七月まで、私の脳裏にはいつも不安が漂うことであろう。それでも、今までもなんとかやってきた。きっと今度も、なんとかなるだろう。何よりも、会員の希望をかなえることができそうだという喜びが、今の私には一番の力だ。というわけで、最近の読書は柳田邦男の本ばっかり。「みんな,絵本から」「犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日」「言葉の力、生きる力」「壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別」「この国の失敗の本質」以上、今月中に読んだ本です。さらに、現在の柳田さんは、絵本作家の伊勢英子さんと再婚されているそうだ。というわけで、伊勢英子さんの絵本も何冊か図書館で手に取った。とても美しい絵で、心いやされる絵本が多い。どちらかというと、大人の絵本が多いのだろうか。本当はご夫妻でお呼びするのがいいのかもしれないけれど、残念ながら私たちの資金力ではちょっと無理。柳田さんをお呼びできるだけで、私たちにとっては夢のようなことなのだから、欲は出さないことにしよう。
2009年12月24日
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≪ボランティアの原点を見る≫昨日は、0~2歳児の乳幼児とお母さんを対象にした、私たちのグループ小イベント。毎年二回、赤ちゃんと一緒に遊んだり、手遊びや読み聞かせなどをお母さんたちと一緒にすることで、子育て中のお母さんたちの育児のヒントや昔話や手遊びの伝承を願って行っている。今回は、16組の親子が参加して下さった。出し物は、メンバーたちがペープサートや手袋人形、お手玉などを手作りし、台本を書いて練習してきたもの。私自身は出演はせずに受付などの裏方を担うのだが、それだけに忙しい中を何度も集まって練習をしてきたメンバーたちに、心から頭が下がる思いだ。もちろん、当人たちは「楽しいし、赤ちゃんと触れあえるのは幸せ」と言っていて、その言葉には嘘はない。「やりたいし、楽しいからやる。同時にやらねばならないとも思っている」というボランティアの原点で活動している人たちだ。もちろん、私自身も基本はそうではあるのだが、私の場合は、本音のところで「やめるにもやめられず・・」という部分があるので、本当に楽しそうに活動している姿を見ると、「自分はどうなのか? 初心を忘れてはいないか?」と反省させられる。ただ、ボランティアといえども、他の人たちに関わる活動をいったん始めた以上、そのことに対する社会的責任があることも忘れてはならない。多分私は、「楽しいから」というよりも、「責任」の部分がモチベーションを支えている。ある程度の年齢になった今は、それも当然のこととして引き受けなくてはならないのだろう。対象年齢が0~2歳なので、出し物によっては低年齢の子や活動的な子は飽きてしまったようだ。しかし、同じ月齢でも、子どもによってはとても関心を持ったり、集中したりもする。本当に、子どもは平均値では語れないと思う。生まれて2年にも満たない子どもであっても、これだけの個人差があるのだ。大きくなってからの個人差が大きくなるのはあたりまえ。それを、平均値で考えようとする現代の教育体制に無理があると思う。蛇足だが、最近乳幼児健診会場に行って、不思議に思うことがある。1歳の誕生前に歩き始める赤ちゃんが、とても多いこと。先日などは、「7か月で歩いた」なんて子もいた。これでは、一歳の誕生日に歩いていない子のお母さんは不安になるんじゃないかと老婆心が湧く。どうして、赤ちゃんが早く歩き始めるようになったのでしょうね。≪選挙その後≫日曜日の市長選挙では、私が応援していた人が当選した。実は、上記のボランティアグループには、落選した人の陣営の人も複数いて、その人たちはまだショックから立ち直ってはいない様子。だから私は、このグループの中では、選挙については語らないことにしている。しかし、その人たちの「敗戦の弁」を聞くともなしに聞いていると、(実は、耳ダンボだけど)やはり「ちょっと認識が違うなあ」と感じることが多かった。それでも、このように「ひいき目」で支持してくれた人たちがいるということは、彼にとっての大きな財産だし、救いだろうと思う。彼がこれからどのように生きていくのかわからないが、できれば、もっと公平に客観的に、今回の選挙のみならず、四年間の市政の総括と反省をし、これからにつなげてくれる側近がいてほしい。いつのまにか「裸の王様」になってしまったようなきらいがあるので、そのことだけが、気がかりだ。(まあ、私が心配する事じゃないけれど、彼を全く評価していないわけではないので。 彼は、市長には向いていなかったと思うけど、議員だったら良い活動をしてくれると思っている)また、この日は複数の市の職員とも話す機会があったのだが、私が想像していた以上に、前市長は職員の中の支持者を失っていたようだ。そのことを、彼はどのくらいわかっていたのだろうか。「裸の王様」になることの怖さを、あらためて感じている。
2009年11月19日
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このところ、結構忙しくしていました。今、やっと一つの会(子育て支援関係)の会報を作成し、ホッとしたところ。先週の土日は、別の会の関係で、全道の集まりがありそちらに参加。その集まりに参加するために、資料などを作成して印刷したりの準備がありました。先週の金曜日には、隣町の中学校の総合学習で、カンボジアとアフガニスタンに絵本を贈る活動の紹介と体験学習の講師。これは、四時間を使ってのしっかりした総合学習プログラムなので、こちらとしてもそれなりの準備が必要でした。並行して、11月に開催する「不登校や引きこもりについての学習会」の案内などを市内や近隣の町にお知らせしたりするための準備など。そして土日は、孫たちが久しぶりに「お泊り」に来てくれて・・。というわけで、先月末にできているはずの「会報作成」がずれ込み、やっと先程完成です。メールに添付して、校正してくれるメンバーに送信し、やっと少し肩の荷が下りました。あ、でも、まだ残っていた。総合学習のために借りたビデオやパネル、そして完成した絵本などを、シャンティ国際ボランティア会に返送しなくちゃ。そのためには、絵本のチェックも必要です。まだまだ、気を抜いちゃいけませんね。
2009年11月02日
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今日の北海道新聞の「現代かわら版」に、2004年に起きたイラク人質事件で武装勢力に拘束された高遠菜穂子さんが、事件後初めてイラクを再訪したということが記事になっていた。そうか、もう5年もたったのだなと思いながら、久しぶりに高遠さんのホームページも開いてみた。イラク・ホープダイアリー「命の時計」高遠さんは、本当によく頑張ってきたなと思う。彼女の、これまでの5年間の報告会は600回だという。私も2度ほど報告会に足を運んだと思うが、最初の時は、身を縮めるように「ご心配とご迷惑をおかけしました」と頭を下げながら、それでもイラクの現実を伝えなければと、わが身に鞭打つような彼女の姿が目に浮かぶ。あの時の、人質になった3人へのバッシングを、私は決して忘れない。あの時の、小泉首相の言葉の冷たさも、私は忘れない。あの事件の後も、拘束されたり武装勢力に命を奪われた人はいたけれど、高遠さん達の家族や本人への、日本国中からのバッシングが影響を受けたのだろう、その家族たちは、不安も苦しさも、正直に表現することをしなくなった。家族が、「助けてください」とも言えなくなった日本が、私は本当に情けなく思っている。強いものにまかれろ、弱い者はつぶされても仕方がない、負けたくなかったら勝たねばならぬ。そんな日本に成り下がってしまったと私は感じている。それでも、高遠さんは負けなかった。その姿に、私は感動する。生かされている命を大切にして、自分にできることを探り、実行する。その意思を支えるのは、自分が見えている悲しみや苦しみの中にいる人への共感。本当に強いということは、こういうことではないかと思う。最近では、新型インフルエンザに罹った海外旅行者へのバッシングもあったようだ。バッシングをする人は、自分では問題の解決に汗を流そうとはしない、卑怯な弱虫だと私は思っている。そんな人間ばかりではないと信じたいけれど、昨今のニュースなどを見聞きする時、あの人質事件からの悲しい流れは、まだ止まってはいないような気がするのだ。高遠さんのイラク再訪のニュースは、ロイター通信が「世界の13900紙に送った」という。しかし、日本ではほとんど報道されなかったらしい。実際、私も今朝の北海道新聞で初めて知った。あの時、一緒に拘束された郡山さんは、「イラクはもう忘れられた」と悟ったという。メディアの世界で働く郡山さんは、肌で感じる。「イラクはもう商品価値がない。自衛隊が撤退して、国民の関心は北朝鮮に移った」(北海道新聞記事より)熱しやすく冷めやすく、大きな声のほうにドッとなびく日本人。その教訓を、私も忘れないようにしなければ。今井さんは、現在大学四年生。あの貴重な体験を、その人生に生かしてほしいと思う。≪あの事件の時に私が書いたブログ(私自身の覚書として)≫2004年04月10日「私にできることは・・」2004年04月12日「まだ人質は解放されていない・・」2004年04月15日「イラク関連(などから)のつぶやき」2004年04月16日「イラクのイスラム聖職者協会に感謝!」2004年04月17日「『ありがとう』くらい言ってよ! 」2004年04月21日 「心の弱さ」2004年04月19日「 北海道新聞の署名記事(もう一つのローカル紙記事も追加)」2004年05月01日 今朝のつぶやき2004年05月21日「高遠さんのこと」
2009年06月10日
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11月8日は、世話人をしているグループの10周年行事として、「○○○を考える講演と映画のつどい」を開催。市内の各方面に協力をお願いして、PR活動やチケット販売など諸々の準備に追われていた。テーマが「不登校」だったので、なかなかチケットは売れず、一時はどうなることやらと気をもんだ。さらに同時に発売するこの会の参加者のエッセイ集などの準備もあり、久しぶりに脳内物質がチカチカと出ているような感覚があった。実は私には、不思議なジンクス(?)がある。このような行事の前に、うなされるような「悪夢」を見たら、その行事はほぼ成功するのだ。悪夢を見ないまま、「まあ、何とかなるだろう」と思っていたら、アッというような失敗などがあって「アチャー!」ということになりがち。今回は、木曜日の時点でまだ悪夢を見ていなかったので、「うーん、チケットの売れ行きも悪いし、これは赤字か?」と思っていたら、その夜にとんでもない電話が来た。私の片腕というよりも、「半身」とも言える仲間からであった。「本州の身内に不幸があって、私は手伝えないかもしれない」。これは、悪夢に勝る大変な事態であった。彼女自身も、この行事には私と同じように苦労してくれて心を砕いていたので、身内の不幸と行事に出られないショックでとても慌てている。「大丈夫だよ、何とかなるから心配しないでね」とは言ったものの、私の内心は、ほぼパニック状態。その夜は、当日の段取りの変更や、彼女の役割の穴埋めをどうしようかと、ほとんど寝た気がしなかった。「あーあ、私の運もそろそろ尽きてきたか・・」と思いつつ、それでも、頭の中で(あの人にこれを頼み、あの人にはこのように動いてもらって・・)と、何とかなるだろうというシュミレーションはできて、覚悟も決まった。しかし、私の運は尽きておらず、ジンクスも生きていた。次の日の早朝、まだ寝ぼけまなこの私は電話の呼び出し音で「悪夢」から解放されたのだ。「あのねえ、友引やら会場の関係やらで、お通夜は月曜日になったの!」こんなことってあるんだろうかと、私は狐にだまされているような気分。私の住む地域では、葬儀がそんなに先延ばしになるなんて絶対に考えられないことなのだ。ということで、最悪の事態ばかりを考えていた私には、それから先は全て「あー、良かった良かった」と思うことばかり。心配していたチケットの売り上げも、目標には達しなかったけれど他の色々な経費のことを考えると赤字にはならなかったし、運営の方も皆さんの協力でスムーズに進行したし、昨日、お金の整理などをした結果は、「これは、成功と言ってよいのではないか?!」とバンザイをしたい気分であった。今日は、これから残っている支払いなどを済ませたり、別の団体の打ち合わせのために出かけるのだが、このブログを講師として来て下さった巨椋修さんにも見ていただき、喜んでいただきたいと思っている。そして何より、葬儀から帰ってきた私の相棒とこのことを喜び合い、ジュースで乾杯したいと思っている。(彼女はアルコールは受け付けない体質なので)でも、お身内の葬儀から帰ってきて、乾杯ってマズイかな?
2008年11月11日
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二週間、ニュージーランドからの日本語研修の高校生のステイを引き受けていたのですが、昨夕帰国して、ホッと一息です。高校で「日本語」を選択している高校生一年生なのですが、190cmくらいで90キロもある大柄な男の子でした。体は大きいのですが、とてもシャイで遠慮深く、スポーツよりも家で絵を描いたり本を読んだりするのが好きなインドアタイプ。その上、その体で「ベジタリアン」と聞いたときにはビックリでした。でも、ベジタリアンになったのは最近のようで、肉と魚関係を除けば何でも「オイシイデス」と食べてくれたので、当初心配していたよりは苦労はしませんでした。ご飯が大好きで、地元の高校に二週間(といっても、正味一週間)通学したのですが、毎日大きなおにぎりを持って行きました。私たち夫婦は、英語はほとんど使い物にならないし、彼の日本語も挨拶に毛が生えたようなものなので、会話にはお互い苦労しましたけれど、過ぎてしまえば何とかなるものです。今回は、10人の高校生を当市のニュージーランド協会で受け入れたのですが、(我が家は会員ではないのですが、受け入れ家庭が足りなくての助っ人でした)男の子はみんなおとなしくてシャイで、物静かでした。女の子達は結構元気で、これは日本も共通しているような気が・・。我が家以外は、結構英語が使える家族がいるようで、ちょっと彼が可哀想な気も・・。見た目の印象とは違い、折り紙やぬいぐるみが大好きで、日曜日に行った小樽では、キャラクターショップで「となりのトトロ」のグッズに大喜び。お小遣いで、小さな「まっくろクロスケ」を買って、ウエストポーチにつけて「カワイイ!」と喜んでいましたっけ。昨日、空港に送っていって帰宅し、彼の使っていた部屋に行くと、可愛いメッセージカードがありました。一生懸命書いたのでしょう。とても上手なひらがなで、お礼の言葉が書かれていてちょっと感激。空港で、引率してきた先生が「この経験は、彼らの人生の大きな財産になるでしょう」とおっしゃっていましたが、(先生はアメリカ人ですが、日本に9年ほど滞在した経験があり、日本語が堪能)感受性の強いこの時期に、このような体験をすることは、とても大きな意味があることでしょう。少しでもお役に立てたなら嬉しいことですが、やっぱり少し疲れました。でも、いつか大人になった彼に会ってみたいですね。その時も、ぬいぐるみや折り紙が大好きかな?
2008年10月21日
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木曜日にコンサートが無事終了し、金曜日はその残務整理。そして土日は、親しいお友達二人と、道南へのバスツアーに参加。江差、松前、函館、大沼公園と巡るツアーで、私たちの一番の目的は、見物よりもタップリと積もる話をすること。その目的は十分に果たすことができた。考えてみれば、友達とのお楽しみ目的での旅行は、私には初めてのことだと思う。旅行の部分でも天気に恵まれ、私は四度目の正直で素晴らしい函館の夜景を堪能。大満足でした。しかし、その楽しさも昨日の帰宅まで。11月の行事に向けて、エンジン全開で頑張らねばということに、今朝、その日に向けての段取りのスケジュールを確認して気付いた。あと一ヵ月半。途中でニュージーランドの高校生も滞在するし、真剣に頑張らなくちゃ!
2008年09月22日
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昨日は、このところ準備に追われていた「ヴァイオリン・コンサート」が無事終了。今回は、自分が気軽に頼める仲間を中心に進めていたので、その分だけ気が楽だったし、助成金なども申請しなかったので、「いざとなれば私が穴埋めすればいいや」とも思いながら、それでも「赤字にはしたくない。まともなギャラを払いたい」と頑張ってきた。さて、結果はといえば、何と、嘘のようにはたまた奇跡のように、ぴったりカンカンの収支決算である。昨日の時点で、「うん、何とか自腹は切らずにすむかも」と思っていたのだが、午前中に集計したら、赤字は約700円。これはもう、赤字とはいえない金額である。それよりなにより、来てくださった方たちは本当に楽しんで感動してくださったようで、それが本当に嬉しい。私がチケットを売りつけた人の中には、「クラシックは眠くなるからねえ」なんていう人もいたのだが、多分眠ってはいなかったと思う。終了後の打ち上げで、伴奏のピアニストが言っていた。「最初から、あれほどお客さんが集中して聴いてくれているという感じは、私は初めてです」。会場もこじんまりとしていて来場者も170人で演奏者の息遣いも伴奏になるようなコンサートだったので、それも『一体感』になりやすかったのだろうけれど、私が感じたのは、ヴァイオリニストとピアニストの息がピッタリ合っていて、そこから発せられる音楽の楽しさや充実感が観客をひきつける力になったのではないかと。会場の後片付けをしてからの打ち上げだったので約一時間半しか歓談できなかったけれど、気が置けない仲間たちと、初対面だけれどとても気さくで大らかなピアニスト、そして体育会系のサッパリとして勢いのあるヴァイオリニストとの会話は、本当に楽しかった。ということで、昨夜は心地よい充実感と安心感で久しぶりにぐっすり眠り、今日は、収支決算も予想以上に良い結果でとても嬉しい。やっている時は、『私って、どうしてこんなことしてるんだろう』と思い、できればこれでおしまいにしたいと何度も思うのだが、色々な人に快く協力してもらったり、感謝してもらったり、そんな中で自分なりの充実感も覚えたりすると、また時間がたって、誰かに「そろそろやらないの?」なんて言われたら、またその気になって「木に登ろうとする豚」になってしまう。悪いことに、経験を重ねてくると「それほど大変な木ではないかも」なんて思ったりもする。さて、一つの木登りは終わったけれど、次の木も目の前で待ち構えている。また、みんなにお尻を叩いてもらって、あるいは押し上げてもらって、何とか登りたいと思います。
2008年09月19日
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「ボランティア」のカテゴリーなのはチョッと違和感があるけれども、関わっている活動で5年ほど前に出会った関東在住の人の息子さんが、北海道旅行で我家に立ち寄り、2日間泊まった。彼は、中学時代に不登校を経験し、その後もその時の傷や自分への自信の無さを抱えながら多分「大波小波」をアップアップしながら大学生になった青年。お母さんの話では、「何としても自分を変えたい」という悲壮な決意で、北海道の一人旅に「青春18切符」を利用してチャレンジしている。実は、北海道に来てまもなく、札幌で彼に会った。その時は、まだこれからの旅に対する不安感というか悲壮感が全身から感じられた。それから三週間、「もし可能なら泊めてもらえませんか」と自分から電話をかけてきたのだが、その時の声のトーンがとても落ち着いて明るくなっているのが印象的だった。そして我家に来て昨日は友人にドライバー役を頼んで近辺をドライブし、色々と話もしたのだが、つくずく、旅は若者にとって必要なのだと感じたものだ。さらに、たまたまその友達のお父さんが東京から北海道に遊びに来ていたため、はからずも、その80数年の人生や、その中で感じてきていることをお聞きしたのだが、私にとってはもちろん、何よりもその若者にはとても貴重な話だったと思う。そのお父さんは、多分この若者がどのような中学・高校生活を経験し、何を求めて旅をしているかはご存じないはずだが、「年の功」というのだろうか、今の彼にとってはとても大切なことを語ってくださったと思う。それを書いておこうとパソコンを開き、リンクしている巨椋修さんの「幸運になる方法2 運・鈍・根 」を読み、思わず「そのとおり!」と画面に叫んでしまった。特に最後の「感謝の言葉やよろこびの言葉を周囲の人と、自分に笑顔で語ってみることを癖にしてください」が本当に大切だと私も思っている。あまりにも不安だったり傷ついたり自信を失った日々が続くと、「笑顔」を作る筋肉が弱まるようで、実は、今回出会った青年もまだ笑顔が下手だと感じた。笑っているのではあるが、周囲の人に「見ているだけで嬉しくなる笑顔」にはならない。こんなことを書いている私自身もエラソーには言えないが、表情筋だって「筋肉」である。筋肉はトレーニングしたら鍛えられる。実は、白状するけれど私自身、何とか人に嫌われないようにとこっそり鏡に向かって笑顔の練習をした時期がある。昔々、ずーっと昔の中学生から高校生の頃である。幼いながら、「笑顔の人は嫌われない」と思っていたのだ。しかしそのせいで、「私は笑顔の仮面を被っている」とまたまた悩んだりもしたけれど、同じ仮面なら「鬼」の仮面より「笑顔」の仮面の方がずっといいと、今では断言できる。笑うことを忘れてしまっていると感じていたら、こっそり笑顔の練習をすることをオススメします。かの青年も、きっと少しずつ笑顔が上手になっていくことでしょう。もともと真面目な性分の人は、「鈍・根」は備わっていると思うので、それに「笑顔」がくっつくようになったら、必ず「運」もついてくると断言します。
2008年08月10日
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先月で、一応仕事の方を一区切り付け、棚上げにしていたことに手を付け始めている。今月は、知人のヴァイオリニスト・伊藤光湖さんのボランティア・出前コンサートの実施。市内のデイサービスセンターと某中学校との調整連絡をしている。その合間に今週末は、母のお祝い行事のため身内が集まるので、目下その「しおり作成」に追われている。これで今週末から来週にかけてはちょっと忙しい。9月には、伊藤さんの本格的なコンサートを開催する。これも、そろそろしっかりと準備しなくては。その後十月中をめどに、関わっている団体の「エッセイ集」の発行準備。それが完成しているはずの11月には、この会の記念行事的な「映画と講演のつどい(仮称)」を開催する。これは、市内の色々な団体に協力いただきながら実施するので、現在の私の頭の中は、複数の色々なことが錯綜している。もちろん、これらは私一人ではできるものではないのだが、他の人たちもそれぞれ忙しいし、このような行事は誰かがコーディネーターを自覚していなければうまくはいかない。それを担うのは、多分言いだしっぺの私しかいないので、「仕方ない、やるっきゃない」の心境だ。でも、これらの活動は、私自身は一銭の得にもならないので、それがとても気楽。やっぱり、お金をいただく仕事は私には荷が重かった・・。
2008年07月07日
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