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国際興業バス「ぷらっとわらび」:ワーゲン・クセニッツ蕨市のコミュニティーバスである「ぷらっとわらび」。2002年の運転開始当初からオーストリアのクセニッツ製(シャーシはフォルクスワーゲン製T4)2台で運行を開始しており、ルート増設に伴い、若干スタイルの異なるもう1台を増備し、計3台で運行していました。(運行は国際興業バス戸田営業所。)当時、詳しくは知らなかったのですが、クセニッツ製は故障が多いらしく、コミュニティーバスにあるまじき余計な維持費が掛かってしまうことから、国内での需要が激減。メーカーであるクセニッツの輸入代理店も2005年に撤退してしまい、維持の困難から早々に国産に切り替えてしまった自治体が殆ど、という事態になったそうです。蕨市においても2007年頃に初代の赤塗装と緑塗装の2台が日野ポンチョに置き換えとなり、増備車オレンジ塗装の1台だけがクセニッツのまま運用されていました。しかし、それも2009年11月末で運用から外れ、12月1日からは同様に日野ポンチョに置き換えられてしまいました。平成20年5月14日 蕨駅西口にて増備車で最後に残った1台のクセニッツ。初期導入の2両とは若干印象が異なっていました。ボンネットスタイルがコミュニティバスらしくカワイイ感じでした。後部に停まっているのは置き換え後の日野ポンチョです。平成20年5月18日 蕨駅西口にて停車中は右側が大きく下がり、ステップが低くなるようになっています。現在のノンステップバスでは当たり前のギミックになっています。後部には車椅子乗車用の扉が付いています。前述のような事情から早いうちに撤退し、普通なら10~15年は使える自動車でありながら、たった5年ほどで廃車・解体されてしまったものの少なく無いようでした。市では税負担軽減のために同車をオークションに出品したようですが、当時のリンクは既に切れており、どうなったか分かりません。この記事を初期掲載した時からも既に16年以上が経過していますので、おそらくは現存していない形式かと思います。このような不出来な車両の話を聞くと、かつてのDD54のような不運な車両が思い浮かんでしまいます。
2026.08.12
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旧型国電 飯田線:クモハ53008飯田線旧型国電シリーズで、洗練されたスタイルで人気があったクモハ53008をご紹介いたします。戦前型2ドア車として誕生した32系電車。そのあとを追うように誕生したのが、電動車を20m化した42系電車です。42系電車は、32系を踏襲したスタイルとなって登場しました。一方、流電モハ52型誕生後の昭和12年に誕生した3次車は、保守や作業で不便であった流電スタイルから前面貫通型に大幅変更され、モハ43の追番が与えられました。しかし、性能はモハ52系と同じもので、52系に分類されるいわゆる合いの子流電の誕生です。狭窓がずらりと並ぶモハ42系とは対照的で、流美が特徴的な2ドアスタイルとなりました。先頭車となるモハ43は、038~041の4両が製造され、両先頭車がモハ43の編成となっていたため、クハは存在しません。038は戦災で廃車となり、040と041は出力アップでクモハ53に形式を変更、039は低屋根化の上クモハ43810となって身延線へ転身しています。クモハ53となった2両のうち、元43041のクモハ53008は、張上げ屋根から標準化改造が実施され、飯田線で活躍しました。最後まで張上げ屋根のまま活躍しいたクモハ53007に比べるとやや地味な存在ではありましたが、ノーシル・ノーヘッダーの流美な2ドア車は飯田線で最後の旧型国電となるまで活躍しました。昭和57年8月10日 辰野駅にて飯田線ホームで折り返しを待つクモハ53008。隣の貨物ホームも車扱いが行われています。当時としては何気ない日常の風景でした。昭和58年1月10日 豊橋駅にてこちらは反対側の起点となる豊橋駅。駅舎は大きく変わりましたが、今も同じ場所から飯田線が発着します。写真を撮っているホームは名鉄と共通で使われていました。2両編成の相棒はクハ47009で、こちらは20m級2ドア車ながら、モハ32系に属するクハ47となっています。昭和58年4月17日 向市場~城西間にてついでに撮った写真なのでいい加減な構図です。渡らない鉄橋で雨の中を待っていて、撮れたのはこの列車の前後部の2カットだけでした。昭和58年2月23日 伊那本郷~飯島間にてクモハ53008+クハ47009+クモニ83×2の4両編成。私の好きな車輌を全て連結しているお気に入りの写真です。同車は「さよなら運転」による最終編成まで使用され、最後を飾りました。KATO クモハ53を出して見る(その2): マル鉄コレクション館
2026.08.11
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211系:東北本線・高崎線(東北貨物線迂回運転)浦和駅の高架化工事が実施された平成。工事規模が大きいため、数回に分けて大規模な変則運転が実施されました。その中で、湘南新宿ラインから撤退していた211系編成が貨物線を迂回運転し、久し振りに区間限定ながら貨物線運転が復活した時の写真をまとめます。平成20年5月28日 列車番号不明平成21年12月20日 いずれも列車番号不明平成23年3月6日 高崎線 列番不明平成23年3月6日 高崎線 928M平成23年3月6日 高崎線 932M?平成23年3月6日 高崎線 921M湘南新宿ライン開業前の一時期には貨物線を走る211系電車がありました。開業後はE231系のみの運転となってしまい、このように端っこを走る姿が見られなくなっていました。まだ211系終焉前ではありましたが、撮りたいときにはなかなか来てくれないのが常。そんな中でやっと撮ることができた少ない写真です。
2026.08.10
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EF641000番台:EF641018EF64シリーズで、今回はJR貨物の1018号機です。平成21年5月23日 2073レ平成22年8月24日 6789レ EF641018+EF641019 平成22年12月12日 2073レ平成24年5月26日 3071レ平成25年5月25日 3071レ平成25年6月1日 5078レ 西浦和~北朝霞間にて意外に撮影コマ数多めでした。1981.7.16 新製2023年度 廃車
2026.08.09
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EF15(東京機関区)牽引:荷2935レ 荷物列車EF15シリーズです。今回は最終回で、東京機関区所属機が荷物列車を牽引していたシーンをご紹介したいと思います。まずは1530号機です。EF15の正面窓には基本的にヒサシがついています。上越仕様のツララ切りタイプのものがありますが、上端が曲線になっているのが一般的です。しかし、30号機は何故か上端が直線になっており、さらにやや高い位置に設置されているため、EF15一族の中でも非常に特徴的な顔をしていました。昭和52年頃 上野駅にて EF1530牽引 荷2935レモノクロとカラーで違いますが、影の位置や汚れの状況から同じ時に撮影したもののようです。EF15と言えばれっきとした貨物用機であり、客車である荷物列車を日常的に牽くことがあるというのをこの時に初めて知りました。これは、隅田川駅から常磐線を経由し、品川駅まで運転され、さらに品川駅から汐留駅発の荷物列車と併結し、東海道本線を下って行ったということです。写真は上野駅停車中の同列車で、隣のホームには169系急行「妙高」が停車しています。昭和52年頃 東京駅にて EF1530牽引 荷2935レこちらも同じ頃に撮影した荷2935レです。やはり30号機が牽引しており、東京駅ではホームの無い11番線に一旦停車し、時間調整を行っていたようです。12番線に停車中の153系は、急行「東海」のようです。【参考写真】昭和51年頃 西川口~蕨間にて EF1530牽引 貨物列車(再掲)過去ログ『EF15(東京機関区)牽引:客車併結回送 』でご紹介いたしました、旧客を併結回送する貨物列車を牽引する30号機です。30号機昭和22年 9月30日 三菱製 新製配置 水上機関区昭和24年 4月10日 高崎第二機関区へ移動昭和33年 8月 9日 新鶴見機関区へ移動昭和38年 3月12日 宇都宮機関区へ移動(借入れにより37.8.11より在籍)昭和43年10月 9日 再び新鶴見機関区へ移動昭和47年 3月15日 東京機関区へ移動昭和54年 5月 7日 廃車次にEF1511号機です。EF15の中でも、廃車になるまで唯一テールランプが改造されず、引っ掛け式のまま残ったカマでした。昭和52年頃 品川駅にて EF1511牽引 荷2935レ戦前型の電機はほぼ引っ掛けテールでしたが、殆どの貨物機は埋め込み式に改造されてしまいました。EF15も埋め込み式テールしか見たことが無かったので、この11号機を初めて見た時はコーフンしちゃいました。地元では沢山の東京機関区のEF15のスジがあったにもかかわらず、1度も見ることがありませんでした。それでも何度か遭遇をしたことはありましたが、不意に出くわすために写真を撮ることができず、このときは運良くカメラを出していたために何とか撮ることができたのです。慌てていたためか、かなりの早切りでした。拡大してみました。EF15は埋め込み改造後のものばかりでしたので、むしろこの引っ掛けテールの方が余程違和感があります。でも、そこが良いんですよね。正面には大型の通風孔も残されており、かなり原型に近かったのではないかと思われます。しかも、貨物機が荷物列車を牽いている訳ですから、なんともレアな記録です。データ昭和26年 6月26日 日立製 新製配置 沼津機関区昭和26年 6月29日 浜松機関区へ異動昭和27年 3月12日 沼津機関区へ異動昭和36年 9月29日 岡山機関区へ異動昭和40年 9月27日 新鶴見機関区へ異動昭和47年 3月19日 東京機関区へ異動昭和55年 2月 2日 廃車
2026.08.08
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JR貨物:EF651068(EF652068)EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651068(EF652068)です。1068号機は、昭和52年度に誕生した増備車で、昭和52年2月9日に落成しています。首都圏の旧型電機の置換え用として大量に増備された後期第一弾として、PS22Bパンタを搭載した最初期のカマとなります。新鶴見機関区に配置され、専ら貨物用として活躍していました。同機は終始新鶴見を離れることがなかったようです。平成22年1月24日 EF651068牽引 2082レ最初にキャッチするのに時間が掛かったためか、既に2色更新色となっています。平成22年6月27日 EF651068牽引 2071レ平成22年11月30日 EF651068牽引 3075レ最初にキャッチしてからは、比較的に効率よく当たっていたようです。平成25年4月6日 EF652068牽引 8050レ少し時間が開いている間に、2000番台化されました。令和3年1月30日 EF652068牽引 遅2080レまた時間が開いてしまい、原色化されていました。令和3年6月26日 EF652068牽引 配8593レ最後に撮影した2068号機牽引の配給列車。2025年度に廃車になってしまったそうです。
2026.08.07
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京王バス:都庁循環東京都庁が新宿副都心へ移転した平成3年。当時はまだ大江戸線など跡形もなく、最寄り駅はJR、京王、小田急、東京メトロの新宿駅となっていました。新宿駅から都庁へは、一番近い山手線からでも10分強の時間を要し、埼京線の新宿乗り入れ工事は間に合ったものの、都庁からは一番遠く、歩く速さにも因りますが15分以上と結構な距離があります。都庁へは健常者ではない方の訪問もあるため、これを考慮して新宿駅西口~都庁~新宿駅西口へ戻る循環バスが設定されました。「都営バス資料館」さんによりますと、当初はまだノンステップの時代が到来しておらず、超低床バスを有する都営バスのみの運行となっていたそうで、平成11年から京王バスが参加し、共同運行になったとされています。以来、25年にわたって運行に参加してきた京王バスですが、令和6年春のダイヤ改正で都庁循環から完全撤退することになりました。令和7年度末で退職し、新宿へ行くことがなくなりましたが、朝の本数が激減してしまったため、何度か挫折感を味わったことがありました。大江戸線の都庁前駅ができたために不便さはあまりないかもしれませんが、一番影響を受けたのは都庁付近への通勤者でしょう。遅刻寸前の都庁循環バスの効果は絶大でしたから。令和2年7月27日 D211514令和3年12月9日 D211514令和3年12月17日 D211514令和3年12月23日 D211514基本的にノンステップ車しか運用されない路線なので、興味もなく写真も撮ったことは無かったのですが、社内の喫煙所が廃止になってやむを得ず新宿中央公園まで行く機会ができ、この頃から復刻塗装の車両が運用されるようになったため、主にスマホで撮影していました。令和3年12月24日 D21513さらに、ちょっと時間がずれてもう一種類の復刻塗装車が運用に入りました。令和4年1月24日 D21151復刻塗装車は主に午前中~お昼交代までの運用で車庫に戻りましたが、日によって午前も午後も違った復刻車が運用に入ることもありました。しかし、いつも同じ場所での撮影に飽きてしまい、帰り掛けに「居たら撮る」くらいしか撮影しなくなりました。令和5年4月12日 D21520令和5年7月11日 D21520そして月日が経過すると、今度は電鉄色のバスも転属してきたようで、異動初期は地上ロータリーでしか見ることがありませんでしたが、時折都庁循環でも見掛けるようになりました。最後の1年は現場メインの仕事のため余り利用することがなくなりました。また、新宿自体も1年の半分くらいしか出勤しなくなったので、あまり撮影する機会もないまま、終期を迎えることとなってしまいました。気が付けば、一般色を全く撮っていないことに気付き、ちょっとガッカリです。
2026.08.06
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伊豆急行電鉄 2100系(アルファリゾート):特急「リゾート踊り子」伊豆急行電鉄に2100系が登場し、基本的には伊東線~伊豆急線内で普通列車として使用されましたが、昭和60年7月より東海道線内にも乗り入れ、臨時特急「リゾート踊り子」として運転されるようになりました。むかしは全くこうした列車に興味が無く、わざわざ撮影に行ったことはありませんでしたが、寝台特急「富士」「はやぶさ」を撮影に行った際、偶然に撮影したものがありました。平成20年12月20日 熱海駅にて 上り 特急「リゾート踊り子」乗車してきた185系普通列車を下車して撮影していたところ、偶然に上りの特急「リゾート踊り子」が反対ホームに到着してきました。完全にノーマークでした。平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて 上り 特急「リゾート踊り子」こちらは横浜線の205系ヘッドマーク付きの写真を撮りに行った際、やはり寝台特急「富士」「はやぶさ」と共に、ちょうど良い時間帯で撮影することができました。これはF-1で撮影したため、少し画質が甘くなっている点で残念。この時代は一番グレードの高かったアルファリゾートのみが充当されていた時代で、この後アルファリゾートが「THE ROYAL EXPRESS」に転用されたことにより、平成28年5月期を最後に運転されなくなってしまいました。※現在のアルファリゾートは、ヘッドマークが無くなってしまったんですね。伊豆急行電鉄:2100系 リゾート21 伊豆急行電鉄:100系電車 伊豆急行電鉄:200系(タイプ3・元国鉄115系)
2026.08.05
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EF641000番台:EF641017EF64シリーズで、今回はJR貨物の1017号機です。平成20年10月11日 相模湖駅にて EF641017ほか重連牽引平成21年5月23日 大宮駅にて平成24年3月26日 8076レ 西浦和駅にて 平成24年4月7日 2073レ意外に撮影コマ数が少なく、しかも地元以外が多いという。1981.7.8 新製2023年度 廃車
2026.08.04
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185系B2編成:特急「踊り子175号」(大宮始発)すべての185系が大宮総合車両センターの所属となり、一部が「踊り子173号」として大宮始発で設定されましたが、設定は湘南新宿ライン経由のみとなっていました。平成27年、上野東京ラインが開業したことで東京始発の送り込みが本線経由で可能となり、定期列車を延長した185系:特急「踊り子115号」が3日間のみ運転されたことがありました。さらに翌28年、大宮始発「踊り子175号」が設定されました。地元で本線を往く185系「踊り子」の存在は目新しく、注目の列車となりました。平成28年2月14日平成28年2月21日平成28年3月13日いずれも185系B2編成を使用した「踊り子175号」です。本来のB編成はグリーン車1両を連結した7連となりますが、同編成については組替が実施されており、グリーン車なしのハザ8連となっていました。特急「踊り子」でグリーン車を連結しないのは、非常に珍しいことです。せっかくの時間ロス最小で伊豆へ直通できる特急の誕生となった訳ですが、やはり結果は思わしくなかったようで、上野東京ラインの開業によるお祭りに終わってしまいました。185系:特急「踊り子」(国鉄時代)185系:特急「踊り子」(東海道線)185系:特急「踊り子173号」(大宮始発) 251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」183系1000番台:特急「あまぎ」
2026.08.03
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E257系5500番台:臨時特急「なぎ」令和8年夏、地元に異色の臨時特急が走りました。それは、臨時特急「なぎ」。国鉄時代を通し、初めての愛称名と思われます。※撮影は、令和8年8月1日です。E257系 OM-52 9010M 特急「なぎ」大宮~館山間の設定で、新宿経由。過去に大宮始発の房総臨時列車の設定は存在しましたが、いずれも武蔵野線経由であり、新宿経由の特急設定は初めてと思われます。しかし、翌々考えてみれば新宿始発の「新宿さざなみ」が毎年設定されていることから、同列車の大宮延長のようなものですね。9010M~9011M 大宮(7:58)~新宿(8:29-31)~館山(10:39)9012M~9013M 館山(17:04)~新宿(19:19-22)~大宮(19:54)異色の列車であり、近年における興味深さではピカイチの列車でしたが、ヘッドマークは「特急」表示。たった2文字のひらがなですら無視する姿勢にガッカリ感最高潮。撮影した後に通過する車内を見るとほぼ満席のよう。しかも一見して鉄ばかり。せっかくの臨時列車ですが、結局は実用性と関係なく乗り鉄の遊び道具に使われているだけのようで、なんとも疑問に思ってしまいます。<
2026.08.02
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ED751(保存車)交流機の先駆けであるED711やED75、ED77、ED78の各トップナンバー車などを保存していたJR東日本ですが、2020(令和2)年に殆どのカマを解体してしまったようです。確かに、東北方面やごく一部の地域しか走っていなかった地味なカマ達ではありますが、子供の頃から交流区間に縁のあった自分自身としては身近な存在であり、実際に接する機会があっただけに非常に残念でなりません。平成2年2月18日 福島駅にて ED751板谷峠で写真を撮った帰り、乗り継ぎの福島駅で見つけて撮影しました。隣にはED771のナンバーが見えますが、多分4両が繋がって留置されていたと思います。いずれも福島機関区で保存されていたらしいですが、新幹線工事や奥羽本線の改軌・山形新幹線の工事などで置き場が無くなり、福島駅まで引っ張って来たのではないかと思われます。1号機は、鋼体の裾までフラット(一枚板のように段差がない)であるのが特徴です。昭和38年12月30日落成の日立製。新製当初は勝田区の配置で、昭和42年に内郷区、昭和59年に長町区の配置となり、昭和62年2月7日付で廃車となっております。活躍期間が23年少々と、近年まで活躍していたED75と比較すると、かなり短命だったことが分かります。レンズの焦点距離や周辺障害物の関係で、端に居たED751しか撮影していなかったようで、すべてが解体されてしまった今となっては、もっときちんと撮っていれば良かったと後悔されます。
2026.08.01
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