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十六夜(いさよひ)の 大光怪しく夜(世)に浮くは らうがはしきを嘲(あざけ)りてか ***** 十六夜の月は 神秘的且つなぜこれ程までに? っと不思議なぐらい 大きな光として夜に世に浮かんでいる 夜になっても、また明け方になるまで ネオンや喧騒やまない この世の都会の街を嘲笑うように ※らうがはし : 乱れている 混雑している 騒々しい ********** 昨夜は午後8時頃息子の英語塾のお迎えに。 その時大きな大きなお月様を拝眉致しました。 あんなに遠いのに街灯の光と同じ大きさで ただただ吃驚。 ※ 画像奥、青白い光がいさよひです。 にほんブログ村
2015年09月30日

日常といふ化け物に牙を剥く 飼い慣らさるゝを性(さが)が否(いな)みて ********** 2012年4月1日記載の ”化け物と怪獣” より *** 日常という 化け物は 息を殺し 気配を消し 忍び足で近づく 限りある 貴重な 人の生 へと そして ぬるま湯のように 心地よく 絹のように 肌触りのよい 惰性 という名の とばりで すっぽり 覆い 包み込む しかし 私の奥に住まう 性 さが という名の 怪獣は 日常という名の 化け物 に 牙をむき 爪をたて 目を剥き 吠えたてる 日常に 惰性に 流されるなよ 気を引き締めよ 前線に追い立てるのだ 前へ 前へ と 僅かな安穏を享受しようとすると けたたましく 吠えたて 私の心を かきたて かき乱す 性という怪獣は 飼い犬でも 番犬でもないから 誰にも 私自身でさえ 飼い慣らすことはできない にほんブログ村
2015年09月30日

初歩の教本も残り僅かになってきました〜(笑) 私の血には流れてないけど 息子の血には流れている8分の6拍子です。 この曲は カッコイイ〜♬*゜です。 私の腕では表現出来ませんが、 弾いていて 大地を翔け吹く風 になったような気がするんです。 1分10秒です。 途中でセタールズレ落ちて耳障りな音がします。 御免なさいませ。 Watch "セタール初歩7 (8分の6 拍子曲)" on YouTube にほんブログ村
2015年09月29日

在り来たりな空に浮かび 風に吹かれ 雨に打たれ 寒暖に透け 昼夜を忘れ 在り来たりに空に散る にほんブログ村
2015年09月29日

夜もすがら つがひの兎の戯(ざ)れ睦(むつ)ぶ 月となりてわれ眺め居る ******** 一晩中番いの兎が仲良くじゃれているのを 月となってわたしは眺めてる ***** 昨夜は名月が美しゅうございました。 月兎は相応しいお相手を見つけ 一晩中仲良くじゃれていたのかな(笑) そんなイメージがみえたので歌にしました。 今夜はスーパームーン だそうで、 その麗しきお姿再びお見上げすることができますでしょうか? にほんブログ村
2015年09月28日

置き去りにされしこゝろの一景に 彼(か)の時彼方の彼の人ぞみゆ ********** こころの片隅に置き去りにされたある風景には あの時あの場所のあの人の姿が描かれていた ******* 異国に居ても、 季節は常にうつろっていても、 変わらぬ何かに気づいた時に、 思いもかけない時のある場所、 そしてその時を一緒に過ごした人が 不思議とみえてくる。 同窓会というものにさえ無縁な私には、 もう二度と逢えない人や、 もう二度と逢わないだろう という人ばかりだけれど.... にほんブログ村
2015年09月27日

彩色を夏に極めし故里(さと)の磯 秋雨煙り墨絵となるらむ ********** 夏の眩い日差しに賑わう人々の水着姿 浮き輪、パラソルなど極彩色を放っていた 故里の観光地の磯辺は今、 煙るようにたちこめ降る秋の雨に 夏の彩りが夢幻だったかと思うほどに色失い、 水墨画のようなモノトーン景観となっていることだろう ※ 画像はカスピ海 にほんブログ村
2015年09月26日

目にすもの星とみし我が孤独 われこそ宇宙(そら)と知るをなかりて *** 月に語ったり星に願い そんな想いを噛み締め 目にするもの出会うもの全てを星とみて 人と人とは決してわかりあえぬと思い込んでいた わたしの孤独は わたしという宇宙の中にこそ 月も星も全てがあるのだ ということを知らなかったから ************* 君探す答えを求むわれとても 君が宇宙(そら)に描かれし星 *** 絶望しながらも探すのをあきらめきれずにいた問いの答えを求めて、 君が問いかける わたし という存在さえも 君という宇宙に描かれた星屑のひとつに過ぎない ****** 君という名のわたしへ この無限大の囚われの構図こそ、 己の尾を喰らう蛇の正体なのです。 にほんブログ村
2015年09月25日

九重(ここのへ)に物語らるゝ言の葉は 裏も表もひといろならぬ ********** 幾重にも幾重にも 九つにも重ねられて語られる 言葉という葉っぱは 物語りのように信憑性がなく 裏表がないどころか 裏も表もひとつの色ですらない にほんブログ村
2015年09月24日

言へずして癒えることなき言の葉は こころ砕きて欠片とならむ 胸砕き欠片となりし言霊よ 星屑となり天を彩れ にほんブログ村
2015年09月23日

秋風に笑(ゑ)む水面(みなも)に陽の入(い)りて 黄金(こがね)の珠(たま)の舞ひて弾けり ********** 秋風に微笑むように揺れる水面に夕陽差し入り 黄金色の細かい珠玉が舞って弾けるように輝くことよ ※元画像はお借りしたものです。 にほんブログ村
2015年09月22日

ここにいると日本的な感覚、常識とか礼儀とかいうものを 自分が知らず知らずのうちにもっていることを感じさせられる。 そしてそれは、ここでこころ穏やか?に生活をするには まったく役に立たないどころか、かえってひどくこころ乱される元凶(もと)にさえなる。 先日義妹4(これまで数々の問題行動をおこしてきた)が4泊5日で家族旅行ということで インコを5羽預かった。 うちのつがいのインコの♂が死んでしまったので♀を彼らに委ねたこともあり、 引き受けた。 ♀を委ねにいったときに、4羽のインコの鳥かごは酷く汚れていたのは見て知っていた。 それでもわたしはもしかしたら、わたしにこれだけの日数を預けるのだから、 掃除してから持ってくるだろうな・・・という淡い期待を最後まで持っていたのだ。 彼らの旅行出発日となり、旦那と娘がインコと、クッピーのような魚を預けにきた。 義妹は姿を見せなかった。 鳥かごをみたら、4・5日前のままで、汚れはますますひどくなっている状態だった。 息子の年齢前後の義妹の娘姉妹が悲しまないように笑顔で預かり、 わたしはそのまま客用のトイレ(イランのトイレは床と壁がタイルとか石貼りで 床も水で洗い流せるため)に換気扇をつけて電気をつけて置いておいた。 次の日に水を取り替えようとしたらすごい臭いが充満していた・・・ わたしは餌と水の世話だけしたのだが、 その日の夜に義妹3がインターネットを使いにうちへ来た時に トイレのドアを開けてギョッとして戻ってきた。 わたしは彼女に ごめんなさい っと言ったが、彼女は自分の妹の仕業に呆れ果てていた。 次の日の朝息子がインコの様子をみにいったときに、生き物好きの息子もさすがに・・・ あまりの臭さに引き返して来た。 わたしもこのままではインコだけでなく私達も病気になるとおもって、 掃除をしたのだが、、、、 想像を絶する汚れ方。 この暑い、暑い夏の間でもこの状態をほっといた無神経さは尋常ではない。 わたしはつい最近まで、毎日インコの世話をしていたが、 それでも臭いが気になったのだから。 おそらく一ヶ月以上掃除をしていなかったのだろう。 わたしは鳥かごの掃除作業に一時間以上を要した。 中腰になって作業し、兎の世話までし終わった時には腰が固まって激痛が走った。 夫はみていたが、開腹手術をして間もないので手伝えないのは私にはわかっていたから 互いに何も言葉を交わさなかった。 ご飯のしたくをするべく時間帯のその時間が費やされたので、 無理して御飯作らなくていいから、残り物でいいから・・・ っとわたしを気使ってくれたのは息子だけだった。 義妹4のこの仕業が、無意識で、あるいは無意識でなく、掃除をしなかったのか わたしはもう考えることもしたくない。 おそらくどちらも正しく、どちらも間違っているのだろう。 今朝は今朝で、義母の強引、嫁は自分に従うもの!というような言動を垣間見て これまた さあああああ~~~~~ っと心が冷めた。 わたしは彼らに 嫁とか兄嫁、弟嫁 だからといって贔屓にされることもお断りだし、 親しい仲だから こんなことをしても許される というようなこともまっぴら御免! っと叫びたいが、これまた言っても無駄だろう。 ここ4年ぐらいわたしの足は彼らの家を訪問することから遠のいている。 彼らは なぜ逢いに来ないの、逢いにいらっしゃい、寂しいじゃない と頻繁にわたしに言って来る。 こんな仕打ちをされるのだから、ますます私の足は遠のくだろう。 それは、犬や猫だってわかるはずだが、彼らには なぜ? という疑問なのだ。 にほんブログ村
2015年09月21日

建物の通気口から秋を間近に控えた気が入り込む。 まだリハーサルだというのに本番さながら、 夏物を来ているわが身には足元から寒さが全身に伝わる。 晴れているものの陽射しも空もどんよりしていて、 霞がかかった街全体はアレルギーをおこした角膜のよう。 わたしの脳にも靄がかかり、そこから鈍いがしつこい痛みを放つ。 その痛みでわたしの顔には、なかなか笑顔が浮かんでこない。 人恋しい季節というのは人肌恋しい季節ということなのか…… 息子はいつになくわたしの傍らにぴったり身を置き用をこなし、 ペットの仔兎でさえもわたしの影が視覚に入るやいなや、 檻の出入り口で後ろ脚立ちし、両手を打ち付け抱っこねだる。 抱っこすればうっとりとした顔つきで身を委ね、 檻の中に戻そうとすれば、はっきり嫌がりねばリにねばる。 窓辺に置いた観葉植物は、夏場に勢いよくふるっていた生育速度をゼロ近くにまで落とし、 そのうちでは、短い秋の間に冬への備えをしているのだろう。 わたしも植物に見習い冬支度。 夏物の代わりに秋冬の衣料をタンスにクローゼットにとしまいこむ。 作業が終わりソファに腰掛けほっと一息していると、 わたしの全身は夕陽に照らされ茜色に染められていく。 窓から差し込む西陽の影は夜の長さに比例して、 これから更に長く長く奥深くまでその腕を伸ばしていくのだろう。 にほんブログ村
2015年09月20日

数日まえにつくった、炒って香ばしくした小麦の粉でできたパスタ(蕎麦?)を御飯と炊き込む レシテポロというのを作りました。 お米を8割方ゆでたあと、最後に乾燥した蕎麦?を入れて さっとかき混ぜて40秒ぐらいしたら湯を切り 鍋底にはじゃがいもを敷き詰め(おこげにする)その上に ひき肉と飴色玉葱、干しぶどうもシナモン、ターメリック、カレーパウダーなどで 炒めたものとお米とパスタを交互にいれて炊き上げます。 初めて作ったのですが、とても美味しいので日替わりメニューのひとつに加えようと思います。 にほんブログ村
2015年09月20日

忘らゝば忘るが良き 忘らるゝとも既に魂(たま)に刻まれしゆゑ *************** 辛かったこと、悲しかったことなど 思い出したくないことは 忘れられるのならば 思い切って忘れてしまうのが良い 知らないうちにすっかり忘れていた っと思っても 思い出すべき時には思い出すものだから…… 自然に忘れたからと言って 完全に消去してしまったのではなく 魂に刻まれてしまっているのだから ********* わすらる: 自然と忘れる、 忘れることができる、忘れられる 忘る:忘れようとして忘れる、思い切る ****** 過ぎ去った事柄に、特に自分を苦しめるような事柄には心煩わされることはないし、出来れば忘れるのが良い、とわたしは思っている。 忘れたからってハードディスクからデータが消えたわけではなく、アプリケーションを閉じて、RAMの部分のスペースをただ解放させるような感じなのだから。 良きにせよ悪きにせよ、必要な場面になったら、ハードディスクから記憶が引っ張り出されることになるのだから。 そしてわたしは、悲しみは悲しみのままで、苦しみは苦しみのままで記憶しておくのが良い、そう言葉にも残しておくのが良い、とも思っている。 無駄な思いや残念な経験をしたら、 ありゃ無駄だった! ありゃ失敗だったわ! と記憶しておく。 記憶を加工して美化したり、あの苦難やら苦痛は無駄じゃなかったのだ! なんて無理して自分をごまかしたりもしない。 そんなことするぐらいなら、忘れる事の方がずっとシンプルで良い。 にほんブログ村
2015年09月19日

浅き夢の隙間より いづれの頃にか記されし 憶の雨の漏れ滲み ひとつまたひとつ この胸に染み入りぬ ********** 浅い眠りの隙間から いつなのかよくわからない頃に (こころに)記されていた (記憶という)億の数の雨が漏れて滲み ひとつ、またひとつと この胸に浸透していくよ…… にほんブログ村
2015年09月18日

荒々と砂肌に寄せ覆ふ波 をとこの性(さが)を見し心地ぞす 荒々しく岸に寄せ 砂肌を満たし覆い尽くしていく波は どこか激情の迸る象(しょう)にみえ そこに男性というもの 男の性(さが)を見たような気がするのでした 以下20秒に満たないカスピ海の満潮の様子です。 Watch "カスピ海 潮騒" on YouTube にほんブログ村
2015年09月17日

為さずしてあらがはずして たゞ笑みをひとへに浮かぶ 愚かなるわれ *********** (現状に対し)何もしなければ 抗うこともしない ただ笑みを浮かべているだけの 愚かなわたし にほんブログ村
2015年09月16日

われ願ふとも帰る能はず 月のいと遠ければ 月われを憐れみ給ひてか わが宿に 月のもの遣はせ給ふなり そはいと美しき黒き兎なり *********** 願い望んでも月へ帰ることができない あんまりにも月は遠いものですから..... そんな想いを抱えるわたしを 月はお憐れみになられたのでしょうか お使いのものを 我が家へと送ってくださったのです それはそれは可愛らしい 黒い兎でございました ********* 愛鳥を亡くせし子の慰みに 飼い初む兎われを癒せり 愛インコを亡くした傷心の息子の慰みにと おもって飼い始める兎(生後1週間の♂を購入)は 私のこころの癒しになっていました..... にほんブログ村
2015年09月15日

舞台のクライマックスを越えたと言わんばかりに 日々太陽は自らの場面を減らしてく 長い長い休暇を終えた子供達に向かっては 新学年の門戸が少しづつ開き手招きしてる 風はいつだって 太陽の感傷にも 子供達の感傷にも まったくおかまいなく季節の移ろいを伝え知らせるだけ ときに猛威をふるっておのが存在をしらしめるが それだって意味もなにもない たんなる気紛れだったりする 悪戯すぎるつむじ風に否応なく木の葉は 狂ったように踊り舞わされる サダメと人もそんなものかもしれない 威力をうしなった陽射しは 街の景色の色彩に儚さを添える どこもかしも憂い顔で 憂い顔なぞるように カラカラと枯葉重なる笑い声がきこえてきそう 冬の足音を伝える長い秋霖が訪れるまで その意味のない風の残響が続くのだろう まもなく木々も植物も動物たちも冬支度はじめる 人の身体も生き物ならば 活動省エネ仕様に移行するのだろうか 夜のひとひへの進行に 冬将軍のおでましに 人はいつから恐れを抱かなくなったのか すぎていった春は遠ざかり 春に芽吹いた木の葉の終焉は近い 未だ来る春の気配を感じることなどできはしないが 終わりの気配は 始まりへの遠い予感でもあるのだろう にほんブログ村
2015年09月14日

”深海の呪文” 渇いた唇 右手の小指でそっとなぞり 誰も知らない呪文のせる 孤独は透かし 深海魚にし 闇へ沈む 海よりあげれば 押されつぶされ歪む魚よ 孤独は透かし 深海魚にし 闇へ沈む 痛みも悲しみもぺっちゃんこ 冷たく透ける身のすみずみの シナプスだけが全てだって うそぶいて うそぶいて うそぶいて 潜在意識の底に静かに横たわる 深海魚の髭の鐘は こゝろの震えを予知し 震度計の針もとらえぬ余震を察す 深海魚の音なきサイレン鳴り響くとき 子守唄の褥(しとね)に包まれていよう そう いつかの そう 何処かの そう 誰かの さゞなみ寄せる子守唄 眠りにつけなくっても 子守唄にくるまってれば 二つの鬼影小躍りす 仲直りの証(しるし)にと ひょろり ひょろりこ ぴーひょろろ 赤と青の笛の音で 目覚めの その刻(とき) 知らされるまで にほんブログ村
2015年09月13日

うつろひを うつろひいろを憂ふるな 新たはうつろふうちにこそあり ********** 季節は否応なく移ろい 変わらぬ想いを抱き続けよう..... と思うこころもまた 次第に新鮮味や初心薄れゆくを 憂うことはない 新しいこと、新しいものとの出逢いだけでなく 毎年繰り返すされる四季や行事をその都度、 新たな、新鮮な気持ちで迎えられるのは、 季節やこころが移ろふからこそ ***** うつろひ: 移り変わり、変遷、色衰え褪せること うつろひいろ: 移り変わるこころ、こころ変わり にほんブログ村
2015年09月12日

触れられぬ 指のぬくもり 言霊(たま)に籠め 愛(いと)で紡ぎて 祈りとなさむ *********** 離れた処から想いを馳せるしかないならば また 手の届く距離でも触れることが叶わないなら 差し伸べたいという思いを言霊にこめ 愛の糸で繋ぐ..... そしてそれを祈りに昇華させよう ****** 以下過去記事より 祈り(意乗り)とは、言葉でもありますが、 言葉よりも、純粋で透けていないといけません。 純粋で透けていないと、時空・次元を超えられないからです。 乗せる想い(乗せる意)が軽ければ軽いほど、 想いをのせた言葉の翼でもって、 高く、遠くへ想いを飛ばす(飛翔させる)ことができます。 祈る意味は、そこにあるのです。 そうやって己の想いの、 余分な部分を、削って削って、また削って、 削(そ)ぎ落とすことに、 祈りの意味(効果のようなもの)があるのだと私は思っております。 この過程こそが、非常に重要なのだ っと私は信じてなりません。 そしてまた、 己の想いの余分なものを、 すっかり削ぎ落としたところまで行き着くと、 祈った後はどうなったか?その祈りは届いたか、届かなかったか? というようなことは、 自(おの)ずから・・・意味を無くすことに、 あなたはきっと 気が付かれることでしょう・・・ 祈り(意乗り)の効用とは? | Maryam's HP 日記 - 楽天ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/maryam0511/diary/201412190002/ より にほんブログ村
2015年09月11日

口にせば気の震へ したゝめば線に過ぎぬ言の葉ぞ 馴れ睦(むつ)ぶるに魂(たま)注がるゝ ********** 言葉というものは不思議なものです。 口にすれば空気の振動、 書けば線や絵、記号のようなものに過ぎないのに 、 古人が仰るようにやっぱり、 言葉には魂が宿っているようなのです。 日本文学を学びながら、 お恥ずかしいことにあんまり(大学受験程度にしか) 古典を読んでいないわたしでも、 古語辞典をめくって文語を探したり確かめたりして、 歌もどきを作っているうちに、 その言葉の魂、命を注がれてるような気がしてくるのです..... そしてそれは、 心が触れ合うと慈愛や優しさを注がれてるように感じるのに似ています。 そんなことをわたしが感じるのはきっと、 言葉によって確かにわれわれは心の触れ合いをしており、 そしてその触れ合いは、 時空を超えるものでもあるからなのでしょうね。 にほんブログ村
2015年09月11日

謹みて、KTG 様へ 返答歌 今此処に足据(す)う思ふおのが身は 時の川に今も流るゝ ***** 今此処に足を据えて存在している と思っているわたし自身は 今も時という名の川を流れています ********** うつろひを留め置きたくも透け逝きぬ 眩(まばゆ)き月影掴めぬに似て ***** 移ろう季節、移ろう時をほんのちょっとでも留めて置きたいと思うけれど 時は透けるように過ぎ去って逝ってしまいます 眩いほどに輝き、今にも手が届きそうに感じる月光が掴めないのに似ているように ********** 言の葉をかき集めて留むるは 逝く時の風姿なきゆゑ ***** 言葉を一生懸命書き集めて 手の裡に留めているのは 逝き去ってしまう時という風には 姿形というものがないからで、 せめて風が散らせた枯葉を その時の風の姿として うつろう時のひとつの姿として 留めたいと思うからにほかなりません ********** 現(うつゝ)とて逝かば夢となり果てり 思ひ出づとてこころもとなし ***** 現実とわれわれが言っているものも 過ぎて逝ってしまえば 夢幻となり果ててしまうもの 胸に刻んだ記憶というものでさえも ぼんやりはっきりしないもので 本当に現実だったのかと 思い出があったって 不安で何度も確かめたくなるような 頼りなくあてにならないものなのです ********* わが旅の景色はただ繰り返すとも こゝろは変はらふものにあらむ ***** わたしの人生という旅の日常という景色は 繰り返し変わらない堂々巡りだけれども こころは次々と変わっていくものではないでしょうか ********** 御し難く制し難きわがこゝろ されど果つまで旅ともにせむ ***** 扱いが難しく思い通りにならないわがこころよ、 けれど最期まで人生という旅をともにしようではありませんか わたしが残したコメントに思いもかけず 素敵な返答詩を綴ってくださったKTG様 わたしは頂戴した詩に歌でお答え申し上げました。 にほんブログ村
2015年09月10日

突如君が泣き叫ぶ 4年間共に暮らしたインコが死んでた ついにこの日がやってきた..... このインコが我が家へ来た時から この日が来ることを わたしは知ってた なぜ? と切りつけるように問い質す君に わたしは答えない 何も答えられない わたしが知っているのは その張り裂けるような胸の痛みを癒せるのは 時の流れのみだということ そして君もそれを 知るだろうということ ************* 逝きしもの慕ふ痛みを時ぞ癒す されど痛みを忘る能はず ***** 逝ってしまった存在を それでも慕わずにはいられない痛みを 時の流れのみが癒す けれど時が傷を癒してくれても 傷の痛みは忘れることはできない にほんブログ村
2015年09月09日

みたい空は みたい海は いつどこにでも わたしの裡にある 今 わたしが眺める空も 明日は 人の記憶裡に存在するのみ わたしが見たい空が 遠い昔の 今 にあったように..... ********** 儚きの身は消ゆれども 空消えぬ 合はせ鏡のわれも在り継ぐ ********** 無限ではない身体は いつか消え失せるけれど 空は消えることはない 真我(われ)という鏡は 空という鏡の 合わせ鏡のようなもので 空と宇宙(そら)ある限り 真我(われ)という鏡もまた 空を映し続けて在り続けるのだから..... ********* 夢で見たときは合わせ鏡のようだったけれど 今は 空 と われ はもっと密接したもので 背合わせの1枚の鏡のような気がしている..... ※ 鏡に表裏があるならば、 表である空からは無尽蔵の光が溢れ 裏である 空の下に広がる海のようなわれは、 その無尽蔵の光を反射して 内部で核分裂が如く光を増幅しているイメージ..... われわれひとりひとりは 実は無尽の力を秘めているのだろうとわたしは想う 憎悪を鏡に映せば核分裂が如くそれを増幅させ 慈愛を鏡に映せば核分裂が如くそれを増幅させられる そんな力を..... にほんブログ村
2015年09月08日

救ひなくやり切れぬのは 己(おの)が性(さが) 愛おしきほどに人が哀しさ ************* 救いようもないのを知っているからこそ、 わたしがやり切れなく想うものとは、 日常生活や現状や、 ある出来事ある事柄に対してではなく、 人が皆、 己として在るがために内在させている、 性(さが) というものなのです。 それは哀れなほどに、 悲しいものにわたしには映り、 時にそれは、 あまりの哀しさゆえに、 ひどく愛おしく感じられる程なのです.......... ******** セタールの哀調を帯びた曲は、 私の胸に震えるように迫ってきます。 セタールの曲に限らず、 名曲というものには こころ があることを 最近わたしは知りました。 イランの民謡をピアノ、セタールで弾いていると、 (ピアノ曲とセタール曲は異なる曲ですが.....) 作曲者のどうしょうもないかなしみ、 わたしが感じてるものと同種のかなしみが、 旋律の中から浮かび上がって来て、 弾きながら涙が溢れて溢れて、 わたしはとどめようがなかったのです。 文学でも音楽でも絵画でも、 きっと同じことがいえるのでしょう..... 救いようもないものが救われるとしたら、 やり切れない想いに晴れ間がのぞく時があるとしたら、 時空を超えたメッセージに、 同じようにもがきながら 生 を全うした先人の想いに、 触れた時でしょうか..... っとわたしは想うのです。 にほんブログ村
2015年09月07日

三弦(セタール)の突き抜く高音(たかね) たちこめり胸の靄を晴らし響けり ********** 楽器は単に 音を奏でる器なのかもしれないけれど セタールの太さの異なる 異なる音色を重ね合わせた 四つの弦の高い音色は 周囲の空気だけでなく わたしの胸にたちこめる靄をも 突き抜けるように響き渡り 夢中で奏でているうちいつしか わたしのやり切れない想いは 清々しく晴れているのだった (セタールは三弦という名の楽器で、もともとは三弦の楽器だったと思われますが、 現在は四弦の形をしてます。 女性向きの細く小さな楽器なので、高い音色をしています。) にほんブログ村
2015年09月06日

途絶うことなく打ち添う鐘の音(ね)は 故郷(さと)みおろして咲くカンパニュラ *************** 途切れることなくわたしの胸の裡で かすかな鐘の音をうち鳴らし私に連れ添い わたしを導いてくれるのは ふるさとの町を見下ろし咲く カンパニュラ(釣鐘草 ホタルブクロ)の花 にほんブログ村
2015年09月05日

漕ぐと後退する自転車を前に思案するが 途方にくれたりはしない 始まりは終わりのうちにあり 終わりは始まりのうちにあるのを知ってるから 前は後ろであり 後ろはまた前であるのを知ってるから 後ろ前に自転車にまたがりペダルを漕ぐ 渾身の力をしぼり 思わず疑わず漕ぐ そうして わたしが行き着く処は ふるさとの海 わたしが産まれた わたしが生まれる 光の胎 わたしはそこへ還るのだ 明日であって 昨日である 今日という日を紡ぎつつ 未来であって 過去である 今を紡ぎつつ わたしは還る わたしは還る カスピ海2 posted by (C)maryam f d にほんブログ村
2015年09月04日

わが裡にこそ世はあらむ 寄せ返す波ぞわれほかならむ *********** 寄せては返す波の姿を眺めていたら わたしの瞳に寄せ返す波が映っているとともに 寄せては返す波の裡に わたしの姿を垣間見たのだった..... ふと 波はわたしにほかならないのだろう という想いが浮かんだ そして 世界の中にわたしが在るのではなく わたしの裡に世界は存在してるのだろう っと想ったのだった にほんブログ村
2015年09月03日

蒸し籠めり気を追いやる夕野分 ************ 閃光轟音 強風は雨を弄び そして 空が大事に抱きかかえていた 不快に感じる程の蒸した暑気を あっという間に追い払って逝った 画像はカスピ海 句は昨日のテヘランの様子です。 ここも、夏の終わりを告げる強風が 吹き荒れました。 にほんブログ村
2015年09月02日

われ馴らすあたはぬ馬はおのづから 峠越え行き道をわきまふ ***** 未だにわが裡の馬を わたしは調教出来ないけれど 馬は苦難という難所を通りながら 人生という道の走り方と進むべき道を知るのだろう **************** 我らそれぞれ 飼い慣らせたようで飼い慣らせぬ 性 さが を有す おのれ の裡のこれ調教するは至難の技 能うのか能わぬのかさえわれ知らず 死して、 あるいは肉体滅びなお 飼い慣らせぬままかもしれぬ.......... 以前わたしは、これを酷く酷く悲嘆していた。 しかし今はこんなふうに想うようになった。 飼い慣らせぬ性 さが を抱え、 人生 という道程の難所や峠を超え行くからこそ、 迷路のような人生の中で、 性 さが と重なり合うただひとつの道のみを 選び進むことになるのだろう っと。 我々は自分が歩んでいる道は 数ある選択肢の中からみづからがえらんだと自負しているが、 わたしがみづから進み飛び込む道とは、 実はおのづから通じているものなのだろう っと。 山また山を越え行く posted by (C)maryam f d にほんブログ村
2015年09月01日
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