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旅先でふとはいったブティック。 別に何かが欲しかったわけでもなし、 50%OFFなんて文字が目に入ったから・・・ カスピ海のある田舎町はわたしの足が数年遠のいてた間に、 完全なるリゾート地になっていて、 テヘランからやってくる裕福層をターゲットにした、 高級リゾートマンションやら、海外ブランドを扱うモールが立ち並ぶようになってた。 店内をなんの気なしにブラブラと眺め歩いてたとき、 足がふと、とまったのはジーンズ。 ねえ、このLee(イランではジーンズのことをLeeという固有名詞を使って総称する。)は、 太ももの部分にダーツ(darts)、膝にも少しダーツが入っているんだけど、 それではわたしの体型には合わないの・・・別のスタイルのものはない? っと店員に声をかけてみた。 わたしより15歳以上は若いだろうと思われる店員の男性は、 今、店内にあるセール品のLeeは皆このスタイルなんです・・・ っとこたえた。 彼はわたしが店内に入った時から、 わたしをちょっと怪しい客と思っているような素振りがあった。 わたしのような黄色人種顔は、 この国で発展途上国とみられている周辺国の出稼ぎやら、不法就労の民、 あるいはマシャハド・トルクメニスタン等の地方の人々に みられることが今までに何度もあったから。 その種の女がブティックに入ってきて警戒しているのだろうな・・・っと、 それもまあ、、、致し方ないこと。 店員は思い出したように、そういえばひとつだけ別のスタイルのものが残っていたなあ・・・ っといって、太ももにはダーツのはいっていないものを、わたしに差し出したのだった。 これは最後の一つなんで70%OFFにしますよ っと言葉を添えて。 さしだされた薄茶のLeeは少しくたびれた感じで、 もしかしたら、しばらくディスプレイしたときに薄汚れて、 慎重にその薄汚れ感を水で洗い流したのではないか?などとわたしは思ってみたのだった。 気に入って値段がそれにふさわしいものであれば、 そういうことには全くわれ関せず、なのでさっそくわたしは試着してみた。 新品感はなかったけれど、あきらかにこれは海外製品であり、 この国の国内品よりはるかに優れている品が、 この値段で売られていることは、わたしにとっても有難いことなのでわたしは即決した。 そしてお代を払うとき、その店員はわたしにこういったのだった。 今日はイマーム・レザ(シーア派8代イマーム)の生誕祭なのにいかなかったんですね・・・ イマーム・レザの聖廟は聖地マシャハドにある。 ああ。。。そうかこの人わたしをマシャハド地方の人だと思ったわけか。 最初にわたしが入店したときには、 イラン人(トルクメニスタンあるいは、マシャハド)なのか? はたまた、アフガニスタン人なのか? 定かではなかったんだろうけど、そこへわたしを形作ったわけだ~。 ※ 彼の言葉を言い換えると、 (あなたマシャハドに住んでいるのに、 マシャハドで最大の行事であるイマーム・レザの生誕祭がある時期に、 リゾート地のここへ来たんですねっという意味) 彼の中では 日本人 という言葉は全く浮かんでこなかったのだろう........ 確かにわたしは日本人ではなくなってきてるかもしれない。 日本語を第一言語として使っているだけで、 日本人とは言えなくなっているのかもしれない・・・ 今年の7月末でわたしが初めてイランの地を踏んで20年という時が経過し、 数カ月もすれば結婚して20年が経ち、イランには既に15年滞在していることになる。 わたしが生まれ故郷で過ごしたのは18年間。 氏より育ち ならぬ 生まれ(たところ)より暮らし (てるところ) みたいなものが、 これから私の中で更に大きくなっていくのだろう。 ***************** この文章は一部フィクションであり、一部ノンフィクションであります。 店員にマシャハドの人と思われたことは事実ですが、 お買い得品をゲットしたのはわたしではありませんでした。(笑) そして、わたしが万引きするんじゃないかと警戒したのはこの店員さんでなく、別のお店の店員さんでした。 お店はRAZAとH&Mが入ってましたよ。 カスピ海1 posted by (C)maryam f d にほんブログ村
2015年08月31日

いつだってあたしの馬はオーバーヒートするまで暴走する。 そして走ることに無我夢中になった馬は、 どこをどんなスピードで、 あたしを乗せて駆けているのかもわからなくなってしまう。 そんなあたしの馬を固い絆で結びつけて置ける人なんてこれまでいなかった。 あたしにだってできやしないんだもの。 これからもきっと無理。 たとえもの好きな御方が現れて、 きつくきつく綱であたしの馬を結いつけられたとしても、 なんにもならないことを知っている。 いつだってあたしの馬は駆け回りたがり、駆け回っていて、 よほどきつく縛りつけたって、 あたしの馬の口にかけた手綱になんてならないもの。 それでもあえなく断絶した使い物にならなくなった綱が、 切れ端でも残していたらそれをみて、 じゃじゃ馬と化したあたしの心は、 人の心の形態を取り戻すのだろうか? ・・・そんなおとぎ話のようなことはないねえ。 そう、それならいい。 あたしはあたしの馬に口輪をはめよう。 あんたの口には輪なんてはまってないじゃない?! あんたはあんたの口に自分で輪をはめることなんてできないじゃない!! なんて想像力の欠片もない人に何を言われたっていいの。 あたしは全く気にしない。 ダイヤモンドやルビー、サファイヤ、 まして流行りのパワーストーンなんかにゃ、 まったく興味をそそられないあたしの口輪には、 そんな石ころの変わりに、虹の七色をした甘い金平糖をはめ込むの。 じゃじゃ馬の心模様で七変化する虹の金平糖。 そしてあたしの胸ん裡(なか)でこのじゃじゃ馬が、 落ち着き無く長い時間駆け回り続けていて、 血糖値が下がって血圧があがっていたら、 それを一粒、二粒爪ではがして口に含んで、 金平糖が夜空彩る、おとぎの国の夢の世界へと向かわせてしまおう。 そしてどうしても、 停止させなければいけなくなった時には金平糖のかわりに、 じゃじゃ馬の目を盗んで幾つかはめ込んでおいた正露丸をその口へと放り込むの。 さすがのじゃじゃ馬もお腹の裡にあるもの全部排出せざるを得なくなって、 脱水症状起こして止まらずにはいられなくなるから。 正露丸を放り込む時だって、かけはやるあたしの心をこう欺くの。 これは黄金の金平糖に黒糖をまぶしたものなのよって。 舌が痺れるほど甘味なのは、世にも希な金平糖だからなのって。 にほんブログ村
2015年08月30日

機望(きぼう)夜(よ)を 徹(とほ)し街を照らせども 眺むこゝろの夜は明け遠し ********** 機望 (きぼう とは満月前夜の月のこと。 十四夜 待宵月 小望月 とも呼ばれる。)が 夜通し街を照らしているけれども それを窓辺から眺めている わたしの心の夜明けはまだ遠い.... にほんブログ村
2015年08月30日

幾年も逢瀬なかりてわれ咎む 斯くが如く波うち継(つ)ぐは ************** 何年も何年も わたしが逢いに来なかったのを 咎めているのか このように立て続けに打ち据えるように 波が打ち続くのは.... ************ 宿泊先についたときは干潮でしたが、 お昼をいただき 片付けて、 お茶を差し上げ、その後義両親が昼寝し、 目覚めたあと一緒に出掛けましたら、 満潮の刻。 その前の日も雨天、この日の夜は暴風雨だったこともあり、 晴れていたものの波風強く 次々にどどどどーーーーーー っと押し寄せ留まることを知らず、 それはそれはまるで、 2011年の9月以来、 足を運ぶことがなかったわたしを、 咎めているかのように、 少し沖へ入っていこうとするわたしを、 ザッバーーーん ザッバーーーーーーーん っと頑なに拒んでいるように、 感じられたのでした.... にほんブログ村
2015年08月29日

砂浜の足跡を波拭い去り わが海(膿)の痛み潮騒に凪ぐ *********** 踏みつけられた砂浜の足跡を 打ち寄せる波が拭い去っていく.... 感情の波が日々刻一刻と寄せては返す わたしの海であるこころ 膿んだわたしのこころの痛みは 耳に響く潮の騒ぐ音で癒され凪ぐのでした 画像は一切手を加えておりません。 晴天のカスピ海は青であり 碧(みどり)でもあります。 にほんブログ村
2015年08月29日

月影の影に陽ありて煌きけり われもまた彼(か)に然り照らされ ********** あゝこの神々しく煌く月光も月の姿も 太陽が影で照らしてくれているからなのだなあ.... それと同じようにわたしという存在もまた 誰彼という他人様が わたしを背後からそのように、 しっかりと照らし支えられているからこそ 此処にある.... にほんブログ村
2015年08月29日

願はずも荒れし海にも期せずして 天使は日矢をいづれ射し込む ********** 願わなくても荒れた海でさえ 思いもかけず いつか(時が到来したらばおのずと) 天使が梯子のような陽を雲間から射しいれ そのはしごを伝って舞い降りて来る(だろう) ********** わたしが何かを期待したり、 願ったりしなくなったのは、 ”おのずからの力 ”っというものを知ったからかもしれない.... そしてそれは ”大いなる力 ” に他ならない。 にほんブログ村
2015年08月28日

今日から3日間は時化るようで、 一昨日も雨だったそう。 昨日遊んで良かったね〜☆ 短い一泊旅行でしたが波を存分満喫しました。 わたしも服のまま泳いじゃった(笑) これからTehranに戻ります。 にほんブログ村
2015年08月27日

世界最大の湖、カスピ海の海鳴りで目覚めました。ただし本日は時化! 画像は昨日の午後。 本日は帰路に着きます。 にほんブログ村
2015年08月27日

存在とわれ認(みと)むるは 瞬間(とき)といふ風の認(した ゝ)む 一景ならむ **************** 存在と私達が認めているものとは 吹き逝く風が如く瞬間(とき)が したためながら流れうつろう 風景が如きものではないだろうか... そういう意味では われわれの存在とは瞬間(とき)描く 流れゆく雲なのかも.... にほんブログ村
2015年08月26日

われ満ちて欠く想ひの月兎(つきうさぎ) 喜怒哀楽の楽(がく)踏みて舞ふ *************** わたしは満ちたり欠けたり 日々変化する想い、感情という月に棲む兎 そして喜怒哀楽という楽(がく)の音(ね)に合わせて ステップを踏んで跳ね踊っている にほんブログ村
2015年08月25日

かけ登るはんとう棒の先端(さき)で待つ 空と一重に横たはる海 *********** 休み時間を知らせるチャイム 古い小学校の廊下と階段を突っ走ると 校舎は老骨に鞭打つように反応し 窓ガラスの振動がビリビリ音で追いかけて来たっけ でもごめん、悪いけど.... 今、あなたと追いかけっこする気ないんだ ってあたしは胸の裡でこたえた だって........ あたしが目指すのは校庭の東 そこにあるあたしの身丈の3倍はあった はんとう棒だったんだもん 校庭からは海は見えなかったけど はんとう棒のてっぺんに登って はんとう棒とはんとう棒を横に結ぶ細い鉄棒の上 そこがあたしの特等席 そこからは微かに遠くに海が見えたから そして海は 晴れてても 曇ってても 霞んでても いつだって空とその身重ねて横たわってた にほんブログ村
2015年08月24日

言の葉と人名付けりは 秋風に落ち朽ち易(やす)しと わきまへりてか *********** 気持ちや想いを伝える手段である言葉に 言の葉と人が名付けたのは 飽きっぽい、変わりやすい秋の風に 言の葉に乗せた気持ちや想いも あっという間に色褪せて落ちて朽ちてしまう ことをわきまえてのことだろうか にほんブログ村
2015年08月24日

約束を頼みとするをなくなりぬ 言葉はあるも無きに等しく されども…… あってなきわが輪郭も 言の葉に微かに此処に留めらるゝや ********** あってないわたしの輪郭(わたしの存在感)もまた 予定と約束と同じようにあってない言葉で 微かに此処にとどめられているのだろうか ***** 存在感というものは 実際の存在という事実とは また別のところにある ようにわたしは感じております。 相手の意識が認識しなければ 存在感はなく、どっかの誰かと同じで 通行人であって役柄がないような.... そういうわけで台詞という 言の葉 が わたしの輪郭を僅かながらも 此処に留めてくれているのでは ないでしょうかっと.... にほんブログ村
2015年08月23日

約束を頼みとするをなくなりぬ 言葉はあるも無きに等しく ********** 自分がした約束もそうだが 予定を含めた約束というものを あてにすることはなくなってしまった そして あらゆる言葉は幻想........ というのも 私の裡で明確になってきた にほんブログ村
2015年08月23日

上り続きの想いのペダル よろめきながら漕いでいる 登りつめたらどんな景色 待っているかと 期待するでなく ただ身の力続く限り 漕ぐことしか浮かばないから 抜けるような空の蒼 惹きこまれるような海の紺碧(あお) そんな幻想思い浮かべない っていえば嘘になる.... 身体が 手足が 動き進む先がどこなのか 思い浮かべちゃいない とも言えないだろう.... とはいえ 視覚が捉え続けてるのは よろよろゆるゆる 身体と一緒に揺れる 地面だけ それでもペダルを漕ぎ続ける 一体誰だよ 一体なんでだよ ペダル漕いでるやつァーーー なんて自分を突き放しながら ああ それでも何処かで知ってるのさ この先にどんな景色が待っているのか そうさ知ってるのさ この先には 誰も待ってなんかいないってことを 今この荷台に座ってる この世で一番大切な君でさえ この先の何処かでふと振り返ったら 居なくなっているってことも ああ それでも何処かで知ってるのさ この先にどんな景色が待っているのか そこは 生みであって海でなく 虚(そら)であって空でなく 光の海が干潮で 光の粒子が一斉に 煌めく顔をのぞかせる 見渡す限りの干潟ってとこ だってそこは だってそこは 万物のふるさとだから にほんブログ村
2015年08月22日

息子と彼の従姉妹ちゃん2人とともに 公園におります。 陽射しは焼け付くようですが Tehranも枯葉に落ち葉の季節となりました。 風が揺する枯葉の音が カサカサと 公園であそぶ子供たちに踏み潰され カサカサと まるで 命の重さの軽さを笑ってわたしに知らせるように 寂しい音を立てます…
2015年08月21日

冴え光る刀の如き今宵月 闇(病み)を断ち切り われを助けよ ********** 研ぎ澄まされし刀が如く 光冴え渡る今宵の月よ、 夜の闇切り割き 美しき御姿現し わがこころ癒す月よ、 われを癒し救うと思い このこころの闇を、憂さを 一刀両断する 助太刀をしておくれ… ********** テヘランは残暑厳しいです。 サマータイムの午後8時(通常の7時)でも暑かった〜 自転車の息子と坂道をえっちらおっちら わたしは徒歩で汗ぐっしょりに… 今宵の月とは昨日の月のことです。 まだ空は暗くないのに 鋭利な光を放ってました。 このまま闇夜だけでなく 世の闇 、心の病みも 空からバッサリと、一刀両断しとくれ っとお頼み申し上げました。 にほんブログ村
2015年08月21日

茨踏み痛み透りて至る小路(みち) いづれ空へとわれを還さむ ***** 茨の上を裸足で踏みしめ進む途(みち) そのうちに痛みが透り そうして通り至る小路(みち)は いつかわたしを空っぽに還し ふるさとの空へ還すだろう にほんブログ村
2015年08月21日

掌(てのひら)に強く握りし刻(とき)の砂 其は砂なりてうつせみの片(へん) ********** わたしが腕をのばし掴み 掌で懸命に握りしめてたものは 砂だったのだろうか? それとも あんまりにも強く握りしめたから 砂のようになったのだろうか? いや実は はなから砂で固められた まがいものだったのかもしれない そしてそれは 時を刻む砂時計の砂なのかもしれない それがなんであれ 日々と生活と人生と、願望、欲望、野心、信念さえも?・・・懸けて掴み、 かたくかたく大事に、大切に、 掌で握りしめた砂とは わが現身の欠片であり 砂のようにサラサラと落ち 風に舞い散る塵のような 空蝉の片でもあるのだろう… にほんブログ村
2015年08月20日

熱射凪ぎ 薄暮れかゝる街空に 涼やかに月の目を細めたり ************ 季節は秋へと移行しているものの、 未だここの日中の陽射しは、 衣服の上からも熱波を浴びせるようです。 昨日サマータイムの午後8時(通常時間の午後7時)から始まる、 ピラティスのクラスへ向う時のことでした… カンカンと照らしていた陽射しが凪ぎ、 日暮れというにはまだ早い、 街の薄青い空に涼しげに透けた御姿のお月様が、 暑かったひとひを終えるところで、 ほっとひと息つきながらこの街の喧騒を、 目を細めて眺めていらしたのでした。 にほんブログ村
2015年08月19日

言の葉のつゞる能はぬ つゞらをり こゝろ したゝむ 形無き文(ふみ) に 名 ひとつ 記さるれ *********** 言葉では綴ることのできない 幾度も折れ曲がった坂道のような こころが書き記す 内容が(文字で書き表されて)ない手紙には たったひとつ(宛)名だけが記される にほんブログ村
2015年08月18日

カンカンと陽の照らす 茹だるような昼下がりの庭を そんなものはまったくもって なんでもないさと 澄んだ涼しい眼差しでみつめるあなたに 猛烈な暑さを放ち続けたこの夏の日々 来る日も 来る日も 私のこころは どれほど癒されたことでございましょうか しかし今朝 仄かに秋に色づく風に響き透る あなたの美しい声を耳にしたとき わたしは あなたとのお別れを 予感したのでございます 熱き燃える季節が訪れたとき 澄んだ涼しいあなたの御姿と声に 必ずや再び お逢いできますことを…… 軒の下風鈴さま にほんブログ村
2015年08月17日

Somebody was at the door. The door that opens into the bottom of my heart. 誰かが佇んでいた 私の心の独房へと通じるドアの前に ********** 誰もが抱えている ”寂”という名の 心の深淵にある独房 その独房のドアの前で待っていたのは もう一人のわたしである あなただった にほんブログ村
2015年08月17日

夜(よ)の頬を流る涙は 声もなく人にも知れず 煌めき尽きむ 夜の頬を一筋流れる切なき涙は 声を立てることもなく 誰に知られることもなく その一瞬に思いを燃やし煌めき 尽きるのだろう ********** ペルセウス流星群が見られる時期だったようですね。 小学生のとき流星群を眺めるのに夢中になったことがありました。 流星群でなければなかなか 流れ星を見るのは難しいですね〜。 流れる星を涙にみたてた歌を作ってみました。 にほんブログ村
2015年08月16日

声枯らし 叫びてみても 弄(ろう)さるゝ 言の葉ゆゑに 風のまにまに… にほんブログ村
2015年08月15日

遠き夏さゞめく波のむつごとを 刻まれけふも海恋しがる ********** 小学生だった夏 海に抱かれ揺られ 蒼穹をひとり占めしているように 感じたことがあった 湾の周囲には国道が走り 国道と民家を越えた 山の斜面を縫った線路を 周期的に電車が笛をならし走っていく 海猫が空舞う 水平線上にトビウオが跳ねる 耳元をたぷたぷとなぞる 絶えなき漣の甘い囁きとともに そんな情景を刻み込まれたからか… 今日もわたしは 海恋し 海恋し にほんブログ村
2015年08月14日

月影は雲に手とられ逝き去りて 爪先すくむ前途失ひ されどわれ進むほかには道なかり あへて眼(まなこ)を瞑り踏み出す ********** 月影が雲間へと姿をくらまし 闇夜にひとり置き去りにされ道を失い 一歩踏み出す爪先が震えすくむ しかし私には進む以外に道はないので こういう時は敢えて両方の眼を瞑り 中途半端な視覚は失ったものと思い それ以外の感覚に身を委ね 全身全霊を集中し一歩を踏み出す 突然の夜間の停電のとき 闇の空間に敢えて目を瞑って歩くときがある 微かな視覚に頼るよりも はるかに一歩が研ぎ澄まされるから… 原画はお借りしたものです。 にほんブログ村
2015年08月13日

我が家では就寝時、クーラーが不要になりましたが、日中はまだ焼けるような日差しです。 日本は猛暑とのこと、御自愛下さいませ。 この曲はイランでは大変有名。4分の2拍子。Tombakと合わせたかったけれどまだできておりません。 こちらからおききくださいませ。にほんブログ村
2015年08月13日

刻(とき)紡ぐ想ひの指に血の滲む 瞬時去り逝くにあらがふとて ********** 現実は過去へと 今この瞬間さえも 刻々と否応なしに紡がれ逝く… 今という時をいとおしみ 今が過去となっていくことに 抗えば抗う程に 心の中で時を結ぶ指先には 血が滲むのだろう… にほんブログ村
2015年08月12日

さよならと握りしむ手の温もりを 久遠の別れと知りて放ちぬ ******** 父が亡くなる4ヶ月前に交わした握手… 互いに今生の別れと知りつつ どちらからともなく離した手… 今年もお盆を迎えました。 にほんブログ村
2015年08月11日

先日、義理妹3のために作った、伝統的イラン家庭料理。サフランライス、焼き茄子のgheimeh、サラダ、薬味のようなハーブ。茄子はお料理のしたに隠れちゃったけど… にほんブログ村
2015年08月11日

ありもせぬ舞台の上に 感性の歩は小刻みに そら(宙・虚)を踏みしむ 感性という体幹識し ベリーダンスのように 全霊をぶるぶると震わせる わたしの何処かが記憶する 深い意識の底ひそむ ふるさとの海を辿りつつ ことばを探し紡ぎつつ… 画像のおおもとはお借りしたもので御座います。 にほんブログ村
2015年08月10日

Watch "イランの民謡 キーボードとTombak" on YouTube 一人二奏その2 :タップダンスのように早いステップの民謡をキーボードとTombakで… クイックリーな8分の6拍手です。 にほんブログ村
2015年08月10日

洗ひ髪手櫛す母の指しのび 先日髪を洗っていましたら 長く伸ばしたわたしの髪を 手櫛してくれたり 就学前のわたしの髪を洗ってくれた 母の指の感触が思い出されました… にほんブログ村
2015年08月09日

↑先日のサワーチェリーのジャムは飴色玉ねぎとターメリックとひき肉を炒めたものと甘辛酸っぱ風味の炊き込みご飯になります。ターメリックの代わりにサフラン使ったらお味も香りも一層ゴージャスになります。味は、例えるならば 、お稲荷さんの感じかな〜(苦笑) ↓ハーブ数種類とツナ缶で炊き込みご飯。食べる直前にレモン汁、ライムなどを絞るとより美味しくいただけます。 向かって右の画像は、薬味のようにそのままご飯と一緒に食べるハーブです。 コトレットとフランス語っぽい名で呼ばれている、イランのハンバーグのようなお料理。いうなれば、コロッケの具をじゃがいもとひき肉の割合を逆にして、つなぎにきな粉と玉子を入れて捏ねて焼いたものか?すっごくカロリー高いけど、子供たちの大好物で作るとついつい食べてしまう(涙) にほんブログ村
2015年08月08日

村の神社の神木のイチョウは、面(おもて)を空に向け、境内横の狛犬に胸の裡を語りしとか・・・ ああ風は、匂(に)を運び過ぎあの影近づく徴(しるし)告ぐ・・・ まことつまらぬ業を終え継母待つ家路の途、つんつるてんのスカートには傷だらけの膝小僧、瞳にみえるは茶目っ気とおなじ程の寂しさと、まあるい唇愛らしくあの娘は風と競いあい我が懐に駆け寄れり 根元に置かれし廃れた遊器具へと醒めた赤のランドセル、ポンっとむげに投げ放つ あの娘に我差し出(いだ)す最下の枝に腕をかけ幹の突起に足を置き、あの娘は小さな身体の重み両手両足交互に委(ゆだ)ね我が懐(ふところ)へと登りくる、小さな胸には呼吸(いき)弾まして… 今日あの娘は学校で何があったか我知らん 昨日家で継母に何言われたか我知らん あの娘の瞳は深い深い孤独の湖(うみ)の色湛え、我はただただそれのみぞ知る あの娘は小さな身体の重み両手両足交互に委ね我が懐へと登りくる、小さな胸には呼吸(いき)弾まして… わが腕(かいな)は小さき腰抱(いだ)き、いざ手向けん、空と海とがあいみる処 緑の血管透ける頬歓喜でうっすら朱に染まり、琥珀色の瞳の大きく見開かれるを、 我うっとり、うっとり眺むればこのひとときぞ夢心地 日暮れ告ぐる西風は我が思慕冷やかさんと取り囲み、その恥ずかしさで身は震え、我は思わず枝揺らめかす、葉のざわめきはおさまるをしらず 遠く蒼く浮かぶ海 その漣(さざなみ)と 君よ 君よ 耳にしてはくれんか いつか君を空へ、胸にいくつもの傷負う君のなにものからも傷つけられぬよう われいつか君を空へ 君を空へと連れゆかん・・・ にほんブログ村
2015年08月07日

炎の天陽を追ひ馬の嘶(いなな)きて にほんブログ村
2015年08月07日

”脳みそは生まれ落ちるとき、リセットされた状態でこの世に発送されてはいるが、 リセットされた脳は、過去の膨大記憶やデーターを保管しつつそれらを統制している、 マザー(母体)との繋がりを完全には絶たれているわけではなく、 今世といわれる次元から少し意識が離れる 夢 のような時空にいると、 部分的に一時的に過去の記憶ファイルが解凍したり(過去世での記憶、体験、感情などを見知る)、 どこに存在するのか定かではないが、異空間にあるマザー(母体)のデータをも、 共有できるのではないだろうか? そしてある意識は、マザー(母体)との通信だけでなく、 様々な異空間・異次元そのものとも脳に秘められた潜在的な能力を通じて、 時と空間と次元を閃光が如く往来することができるのではないか? そして物心ついてから、現在に至るまでの現世での我々ひとりひとりの記憶は、 その人生が終わっちゃうと、 具体的な経験や陥った状況などという詳細な記憶を、 いちいち記憶するわけではないけれど、 ある重要な出来事の経験をどのような視点でどんな風に見て感じて過ごしたか、 強い感情の波が起こったものだけが、マザーボードに記憶されていきつつ、 輪廻転生を繰り返していくように感じている。” (以上、存在を感じていればいる程に 追記の追記3より) しかし、ある魂(あなたの、わたしの魂)が、 無意識の裡にぴったり寄り添わせている過去世を寄せ集めた経験や記憶さえも、 ”われ(本当のあなた、本当のわたし)”には非ずと、私は感じている・・・ 輪廻を繰り返す個々の魂とその記憶は、 相対性の根本である”我”に固執している限り、 マザーボードに刻まれてきたこれまでの膨大な記憶は有効なのだろう・・・か? これまでの数え切れない過去世での記憶や経験に囚われたくなかったら、 自我という壁を透る必要があるようで、 現世での経験や記憶を 眺める ことで現世だけでなく、 これまでの過去世、そして輪廻転生からも解き放たれるような気がしている。 (注意:自我に囚われない、自我を透るということと、客観、傍観とは明らかに異なる。 主観がなくなれば、客観もまたその存在そのものを失う処にある。) 自意識(我)を超えた意識というものは、いうなれば ・・・ 澄み切った鏡のようで、そして鏡は森羅万象、万物を映す。 我々、誰しも!!の純粋な澄んだ意識という鏡には、全てが存在しているのだろう と私は思う。 ”存在を感じていればいる程に その存在との間に 言葉は 意味も必要性をも 失っていく” 言葉は難しいものであるけれど、 容易に・・・それは”安易に”とも言えるのだけれども、 人に認識を促すものでもある。 それが 理性 とか 合理性、客観性といわれる手枷足枷 の仕業でもあり、 説明のつかないもの、認識できないもの、見えないものは存在しないと 言い切ることまで我々に強いてしまっているのではないか・・・ と、言葉が大大大大 だ~~~~~い好きで惚れ込んでいるけれども わたしはそう思っている。 執拗にもう一度同じことを記す、 我々、誰しも!!の意識という鏡には、 全てが、全てが!! 存在しているだろうと私は思う。 そう思えば思うほどに、 そう感じれば感じるほどに、 見えるものしか信じられない人は ものすご~~~~~~~~~く損しているとも感じている。 そしてそれは、 素晴らしい楽園にいるのに、 その楽園の真ん中にポツンと置いてある、 楽園を真似たちっぽけな箱庭だけをみて、 楽園だと想っているようなイメージなの。 見えないものというのは ミクロの世界、マクロの世界のように 見えないけれど存在しないわけではない っということを知ってもらいたい。 わたしたちの意識のピントがあっていなくて、 その全貌がつかめないだけに過ぎないのだから・・・ ”索む もとむ” 意識を集中することと 意識を解き放つことの 術を索む 現象を ミクロスコープと マクロスコープとで 眺められるように・・・ (つづく) にほんブログ村
2015年08月06日

セタール初歩その5 とTombakセタール初歩その5にTombakを合わせもっと陽気にしてみました。8分の6拍子の曲です、イランの伝統的なリズムです。にほんブログ村
2015年08月05日

意識を集中することと意識を解き放つことの術を索む 現象をミクロスコープとマクロスコープとで眺められるように・・・ にほんブログ村
2015年08月04日

な、燃えそきらめかずとも言の葉よわが胸を裂き綯(な)ひて燻れあっという間に燃え尽きてくれるな言の葉たちよ一瞬の煌きなどなくともわが胸の想いを引き裂き綯うようにして紡ぐのだからせめて燻りつづけておくれ・・・にほんブログ村
2015年08月03日

レンズ豆と飴色玉ねぎ、ひき肉のサフラン、シナモン風味炊き込みご飯 いんげん豆と牛肉、トマトのサフラン・ニンニク風味炊き込みご飯 ↑は、ぐみのみとサフランで炊いたご飯に鶏のササミを割いて加え、玉子とヨーグルトでつなぎ、ケーキのように焼いたお料理 ↓ は、ナスを軽く油で炒め、軽く揚げて香りを強くしたニンニクを入れ、乾燥ミントと砕いた胡桃を入れコップ2の湯を入れ圧力鍋で5分ぐらい圧力を掛けるたものにキャシュクと言われる味噌のような乳製品を溶き入れ、沸騰する直前に火を止めたもの。カーレ ジューシュ というイランの伝統的家庭料理。ナーンを中にちぎって入れて浸して、生の玉ねぎをお供にかじりながら頂く。
2015年08月03日

十六夜の青月(せいげつ)の灯(ひ)は覚束ぬ夢迷ひ路も徹(とほ)し導く今朝も明け方まで十六夜(いざよい)月が夜を、世を照らすうつつのみならず夢路でさえもふらふらと覚束ぬ足取りで迷宮さまようわれ照らし夜の闇(世の 病み)を徹し導くかの如く…にほんブログ村
2015年08月02日

セタール初歩その5 Reng-e maahor短調の曲が続いたので、長調の曲を。途中でラ・コロン という特殊な音が使われます。わたしが自己流でセタールと戯れていたときに、この曲ばかりを弾いていました。初代のセタールは一弦のミとファとソのフレットに指の跡がついてます。ミファソはわたしの小さな手をめいっぱい広げて抑えないと音がでない為です。なかなか良い音がでなかったのが悔しかったので、ムキになって練習したのでした・・・1分半の長さで弾いていますが、1分10秒のリズムで本当は弾きたかったのです。でもやはりミファソの音がぶれるのでした。1分半にしても、一二箇所音がぶれている部分がありますが・・・お時間が御座いましたらお聴きくださいませ。にほんブログ村
2015年08月01日

うさぎさん あなたと逢った 今朝の月 美しい 美しい 青してた ブルームーンは 真実(ほんとう)だった…
2015年08月01日

汗ばみて夢路を終へり有明の月は窓より笑み語らひて画像は今朝の月明くるまでわれを照らし包む君今宵も夢で現(うつつ)で逢はむにほんブログ村
2015年08月01日
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