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土曜日はシーア派の初代イマーム アリ の生誕祭。今日はその妻であり、聖モハムマドのひとり娘である聖ファティマ(ペルシャ語音ではファーテメ)のためにサマヌを炊きだしました。大きな鍋の濃い線のところまであったのですが、器に移す作業をして、しばらくたってから撮影いたしました。サマヌは小麦をもやしのように発芽させたもののエキスを、一昼夜かき混ぜて煮詰めてドロドロにします。かき回し続けないと焦げるので、大きな鍋ですと底からかき混ぜないとこげますし、炊き出しのなかでも大変な部類にはいるものになります。非常に甘いのですがこの甘味は,小麦から滲みだし、濃縮された自然な甘味なのです。むちゃくちゃ甘い!っと感じるだけ濃縮されているわけですから、少し食べただけで腹持ちがするのです。にほんブログ村
2015年04月30日

思考、気持ち、心も波のように常に流動的であり、風向きみたいなもんと私は考えている。心と吾、わたしを同一視するのであるならば、わたしと捉えられているものが、流動的なのだろう。だから私は、”わたし”という存在を実に怪しいものと思うのだ。もしも、心がぶれないことを尊い と言うのであるならば、サーフィンのあの格好だからこそ っと私は思う。波という流動を土台にあの美しいフォームをとっているからなのだろうっと。そして、心という土台の上にわたしが、あの美しい立ち姿を保てたらいいなあ・・・と望み願うわけなのだ。 猛(たけ)る波その上に立つ麗しき姿の如く吾あらまほしにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月30日

わたしは常にわたしでありながら一瞬前のわたしではなく一瞬後のわたしでもないその様は打ち寄せる波のようでありまた刻々と変化していく空と雲のようでもあるまたその様は太陽系を組織している惑星が如きわたしのいくつかの重き要素がそれぞれ一定の周期を保ちながらも刻一刻 刻一刻と同じものは有り得ない星図を描くようでもある・・・画像:GianFerdinand (フリー素材より)わが裡をも 惑星どもは刻々とふたつとはなき星図描きてにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月29日

イラン風パスタは茹でたあと、ひと手間かけて、鍋底に油とナーンやジャガイモを敷いて蒸します。この経過で美味しいお焦げができます。ズッキーニでもできます。人参でもOKです。大変美味しゅうございます。お試しあれ!にほんブログ村
2015年04月28日

”動く手足はわがものなれどわれを流すは時の波…”流れに逆らい荒波に抗うのはもうまっぴら御免!私は私を流し私は流されたい....流れの方向は一切 お・ま・か・せ何時だって時の流れの中にいるでしょ?できるだけそのことは考えたくないけどさ毎日月と日の行路を見せられてるんですものふと気がついたらあらもうこんな時間? って意思とか意志じゃなくって時に流され 促されアタシは手足動かしてるだけでいいの心は出来るだけ動かさないしたとえ心が動いてもそれを眺めていたいのよにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月28日

人生も波乗りならむ其の時にならぬとみえぬ風向きぞ在り人生も、常に流動的な波の上にバランスをとって乗るサーフィンのようなものではないかしら?波に乗る瞬間にならないと、わからない、見えてこない風向きがあるから。予定やら、スケジュールほどあてにならないものはないっと、此処にいるとつくづく思うのです。状況は刻一刻変化している波のようなもので、人生とは、その時その場所その状況という波に乗る、サーフィンではないかしら?っと。そしてそこには、何時だってその時にならないとわからない風向きがある....にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月27日

昨日、八百屋にいったら葡萄の若葉が売ってました。以前すんでいた家には、庭に葡萄の木があったのですが、今の家には庭木がなくなってしまいました・・・ぶどうの若葉をイランでは、ロールキャベツのキャベツのように、具を包んで煮物 Dormeh にします。具はお米、黄色いお豆、多種のハーブ(おそらく7、8種類)、ひき肉、玉葱、卵、干しぶどうです。それを飴色玉葱とトマトピューレの出汁で煮ます。甘酸っぱくするためにお砂糖とお酢を入れますが、わたしは青い梅のようなもの Gojesabz があったので、それを酸味に使用いたしました。義両親が、イラクのカルバラから戻って来ました。このお料理は、義母の大好物なのです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月27日

ことのはにこゝろゆるゝはかけゆきぬかぜのねとかにときめくにゝて言の葉に 心揺るるは駆け行きぬ 風の音と香にときめく に似て言葉にこゝろ揺れるというのは吹き去っていってしまった風の音と風が一緒に運んで来た香りにときめく瞬間に似ているにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月26日

常に吾こゝろの揺り籠 揺すらるゝ朝な夕なに 春夏秋冬生 とはまさに常に心刺激さるることわたしはそれを厭わないにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月25日

グラグラ煮立つドラムの音は機関銃抱え放たれつつ鈍く光る自嘲の雨は辛苦の花びら散らしつつそれは西の地平線にむけられた銃口で東の地平線にむけられた真紅の薔薇で怒りと哀しみ寂しく刻む怯え震えるドラムの音は西と東の月と陽へ誰もしらぬドラムもしらぬ吹き抜け音伝う風だけがドラムの音色が怒りと哀しみ恐怖知る前の 己への郷愁に似た 慕情であると知っているのを 駱駝の骨に彫られた象さんにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月24日

この文章は、永久再生・傍観と善悪 共存としての在り方の続編にございます。ねえ君僕がこれから語る言葉も奇妙な世界のキテレツ噺さ・・・ねえ君僕は小学生の頃から部屋やトイレの中に入るとそこには誰もいないはずなのに何かの気配を感じることがあったんだ誰かにみられているような気がして誰かが陰に隠れているような気がして僕は座っていてもお尻がむずむずしていてもたってもいられなくてとんでもなく落ち着かない気分になったものさそしてしばらくキョトキョトと四方八方 首を振っていると僕の瞳は 一匹の小さな蜘蛛 の姿を捉えるのさそうだったんだ この小さな一匹の蜘蛛の警戒本能やら恐怖心がどうにもこうにも落ち着かない気分に僕をさせていたという訳なのさねえ君 わかってくれるかい?目の前に広がる 今ここ というこの空間に共存しているのは人だけではないのさ目に見えるものはもちろん小さすぎて目に見えないものから大きすぎて認識できないものまで光 宇宙 空 風 山 木々 草花 虫 細菌やウイルスかつてはこの世と言われる世界に在ったけれど肉体をうしなったエネルギーというものまで異なる意識レベルの万物と共存しているのさ君 僕の語る言葉をイメージしてくれたまえ今 ここ という目の前の限られた空間には幾重もの異なる次元の世界が十二単が如く幾重の透けてみえない幕のように存在している っとねえ君目の前にある なんの変哲もない日常風景その風景のなかに溶けて透けてごらんなさいな!すると だんだん見えてくるのさ蟻や蜘蛛のような存在の意識世界から宇宙の先の先の先にある意識世界までがさ・・・そうさ君が目にしているこの限られた空間とは際限のないミクロの世界と際限のないマクロの世界とを含有してるんだそして君も 僕も 誰もが その首にぶら下げている超高性能映写機の存在に気が付きさえすれば限られたちっぽけな世界と君がすっかり思い込んでしまっている眼の前の世界を際限なくズームインでき際限なくズームアウトできるのさそう 君の意識はひとつではない君の意識はひとつであって幾重なのさ君の意識を空間のなかに溶かし透かしてしまえば君の意識はひとつであって幾重になっていくんだよそして 幾重になった君の意識は限りないミクロの世界も限りないマクロの世界もズームアップとズームアウトのフォーカスで一瞬にして自由自在に行き来することができてしまうんだそうだよ・・・空間とは 己のしっぽを喰らう蛇の姿をしているってことに気が付きさえすればそして君の意識がその姿をちょっと離れたところから眺め眺めているうちにそれを映す光となってしまえばその蛇という存在を超高性能の顕微鏡で観察するのも超高性能の望遠鏡で観察するのもまったく自由自在となるわけさにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月23日

以下は 貧富とは関係のない優雅さ という文章の続きです。 楽であることは、楽しいことを奪ってしまうのかもしれません。人とは案外強いもので現象に辛さがあると、それでもなんとか辛い現状の中にも、楽しみを見出そうとする心の働きが有るのでしょうか…逆に現状が楽、安穏であると、人が自己や自己の人生についつい求めてしまう、存在や生きるということの意味や価値を見いだせなくなってしまうのかもしれません。時は常に流れて行きますが大事なのは、時の過ごし方や使い方ではなく、その時々の意識の在り方ではないか? と。 現状が過酷であっても受容する、受け容れるということには、底知れない深さをわたしは感じます。深さは精神的余裕をうみ、心に波風が立たない穏やかさを滲ませるのかしら?否、受容というものに測り知れない深さをわたしが感じるのは 、精神に深みをうみ、たとえ心に波風がたっても制御可能となるからでしょう。そして受容と、善悪を基にしている言動とは、懐の深みが異なるようにわたしは感じるのです。 のどかさ、穏やかさ、しなやかさというのは、抵抗や摩擦、圧力に対する 受容 という、ひとつの力 なのでしょう。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月22日

真実の不在という真実!!・・・・・・・・・いやなに決して君のことを言っているわけではないよ本当だああ本当さ…にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月21日

割れてしまいそうな空っと君がいうその空の下に僕はいない僕はあの空をそんなふうに眺めた君の本意が知りたくてその空は 割れるのかい?それとも 割れないのかい?っと尋ねたんだその空があまりにも澄んで美しかったら割りたくなる人もいるかもね…美しいものを破壊したらそこに満足感はあるのだろうか割れてもステンドグラスのように綺麗なら破片に価値があるのだろうかそして もし君がこの空を割りたくなるのならその理由はどこにあるのだろうか僕は矢継ぎ早に君に尋ねたのさ今にも割れそうなものを割りたくなるのはどうしてなのかもし割ったならばその後は捨てるだけなのか割れたものを裡にしまっておいたら怪我させられてしまうのかそしてまたその割れてしまいそうな空をいろんなものに置き換えて僕の裡で考えてみたりしたわけさ割れてしまえと君は言うその君の破壊衝動は空が割れるものならという前提が君の裡にあるからだろうか或いは空は割れないものだからという前提があるからだろうかもちろん割れた後のことはわからないし割れてしまえと思うことと実際に割ることとは全く別のことなのさ空を眺めるだけにしても割れそうなものと関わっている或いは割れそうなものを裡に含有してることはある何かしらの感情を人に抱かせずにはいられないのだろうかねえ君衝動は駆られるものだけど衝動というのは自分の一部のようでその実 自分 個人 個性とは最もかけ離れた本能のようなものかもしれないよなにはともあれ破壊衝動をつねに抱きながらも割れそうな空ではなく割れてしまいそうな空と君が言い表したことに僕は 心惹かれたわけなのさ....にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月20日

東南の方向の山の斜面は 緑が萌えているようです。 去っていった冬は、なんと表現していいのかわからないのですが、 え?去った??? って 冬将軍様はお出ましになられてたんでしょうか??? と尋ねたいような・・・冬将軍様がなんか急に面倒くさくなっちゃって、 遠征したくなくなったのを、うまくごまかされたような冬でございました。 そして、例年よりもひと月以上遅くおとづれた雨季は、 イランに暖かさと湿り気をチョッピリもたらしているのかもしれません。 数週間前の、突然の暴風雷雨に大きな雹には驚きましたが・・・ 異常気象のような現象は、日本だけではなく、ここテヘランでもなんとなく感じられます。 ここ数日は、穏やかに晴れていると思ってみていると、 晴れているけれど、春一番のような突風が吹き荒れたりもしてます。 窓を閉め忘れると、ひと吹き、ふたふきで家中が埃だらけになって、 大変なことになります! 春なれど なほも冷たく吹き荒るる 風に若木の枝の撓(しな)ひて 春とはいうものの それでもまだ冷たく 時に吹き荒れる 気紛れな風に まだしっかりとしていない若木の細い枝(と枝の若葉)は 翻弄されつつもしなって 風圧に必死に耐えているようにみえます。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月19日

先週の水曜日は、義姉1のところで晩御飯をご馳走になりました。riceだけで3種類も作ってくれました。白米・そら豆とディルの炊き込みアルバル(サワーチェリーの甘煮とひき肉と玉葱)の炊き込みそのほかにチキンのトマト煮、ドルメ(ピーマンにriceとハーブ、お豆、ひき肉などを詰めて煮たもの)サラダ、ハーブ(薬味のように生のままで食べる)、オリーブの漬物、本日多忙により、手抜き更新にて失礼。にほんブログ村
2015年04月19日

本日は曇っていましたが画像がごとく、PM2:30現在、霞のなかに陽が差しています。休日のイラン、今日は朝ものんびり起床して、ゆっくり朝食をとり、ゆっくりと家事をこなしています。ブロ友Nakaさんのインドの御画像を拝見して、(御記事はこちらから)最近感じたことがあります。Nakaさんが撮(うつ)される画像の主人公たち(人・風景・自然・町)は、歩き方(動向)にしても、座り方(存在)にしても或る時の流れを感じます。そして、穏やかさ とは 穏やかな状況 とは別のものなのだな・・・といういうことを感じたのでした。その日の水を確保するのにも数時間を要するような、彼らの生活は決して穏やかだったり、のんびりしたものではないのかもしれません。でも彼らの表情や立ち居振る舞い、そしてその景色の中での時の流れは、のどかで、穏やかで・・・実に ”優雅”なのです。のどかさ、穏やかさというものには、貧富とは関係のない、優雅さがあったのです。そしてまた思ったのです。穏やかでない状況にあっても意識において、穏やかで在ることは可能なのだろう・・・っと。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月17日

晴れ 雨 曇り と 日々刻々と変化する空 吹き抜ける風 射し込む光 それらを感じているわたしは いつどこにいても ひとりではない ここが雨でも あなたの場所が晴れていれば それをわたしが感じていれば わたしのこころは晴れ渡る わたしが海をみられずとも あなたの瞳が映していれば わたしのこころは大海原となる 感じているわたしは いつどこにいても ひとりではありえない 本日曇天のテヘランでございます。 ここんところイランとサウジアラビアとの関係が険悪です。 メッカ巡礼の少年に、 空港職員が性的な嫌がらせをしたという事件が引き金となっています。 イランからは巡礼渡航禁止が当面なされることになりました。 イスラム国家であるイランがこのような処置をとるというのは、 かなり深刻な状況だろうなと、、、、政治に疎い私でも感じられます。 以前からペルシャ湾をアラビア湾とするように世界に働きかけていたアラブ。 この地図での名称の問題も再浮上しているようです。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月16日

陽を受け いろつき ほころびて ひらき にほひて 咲きみだれ 散りて ただよふ 花ごころ あゝ この花ごころを たれかしらむ たれかれも常なきものと こゝろ知る なほも今をぞ春と咲きなむ 人は誰でも (桜花と同様)常なきもの 変化を常とする存在であると このこゝろは知っていても それでも今という刹那を 春と思い知って 咲き誇るように生きたいものです にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月15日

そうだよ 君の意識はひとつじゃないんだ 次元の異なるいくつものレイヤーのような 複数の君という意識が存在することを 君はいづれ知ることになるだろうよ・・・ そして 複数の次元の異なる君の意識も 複数の次元の異なる僕の意識も あり続けるし 何処かで共存しつづけるんだよ そうさ 僕は君でありたいのさ 君は僕であって欲しいのさ だから 僕はね 僕はね 僕はね 水や風のように在りたいんだよ 僕が在る 僕の意識が在る ことで どうしたって影響を与え 影響を受けざるを得ないのなら 僕自身も含め 万物を 透かし 流し続けたいのさ 良いも悪いも 風に流し 水に流し 鏡が一瞬一瞬の動向を映し続けるように 一瞬たりとも留まっていたくはないんだよ そしてそれが 僕が希求する 共存としての在り方 なのさ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月15日

その 死 と呼ばれる瞬間から 現実 といわれるこの世界は 今 君が 記憶とか 幻想とか と言っているものと 同じものとなるんだよ 今君が抱く 善悪だけじゃない 合理性も 生理的も 個人的も 平等も 今まで 現実 と想っていたものの全ては 幻 となるのさ 眠っているときを考えてごらんよ 眠っていたって 意識 はあるんだ 眠っているとき この世界 を察知できず 夢の世界を認識できるだろ? あるいは目覚めたときに 夢をみずぐっすり眠れたと認識できるだろう? 眠っている夢の世界は個人的なものじゃない 夢の世界でも 僕たちは 何かしらと 誰かしらと 関わりをもって存在せざるを得ないのさ 君はきっと 僕をキチガイだと思っているね その通りさ 僕はキチガイさ そう思われることなんかもう慣れっこだし どうでもいいことなのさ 夢みているときは 僕たちにとって夢の世界こそが現実だよ 目覚めてしまうと人は 夢の世界を夢と認識するか はたまた忘れてしまうだけなのさ 死も然り ずっと覚めない夢の中にいることになれば 君の意識は 夢の世界を現実と認識するようになるだろうよ 僕にとっては 肉体が消滅したって終わりじゃあないのさ 肉体が消滅したあと ある意識は異なる世界を認識していくんだ 僕たちの意識は確かに”ある世界”を認識しつづけるんだよ しかも 君の意識は”ひとつじゃない”のさ 次元の異なるいくつものレイヤーのような 複数の君という意識が存在することを 君はそこで知ることになるだろう にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月14日

ねえ 在る という事実を 君はどのように認識してるのかい? ねえ 事実とか 現実とか いうものは ”作っているもの”に過ぎないということに 君は気づいているかい? 今 ここに ある という現実性 は 飽くまでも 現実性 であって 現実 ではないのさ そう 自分といわれるものも 世界といわれるものも 作っているのは君自身なのさ 考えてごらんよ 生まれたての赤ちゃんは自意識がないから 赤ちゃんはこの世にいながら 自由も 平等も 個人も 善悪も この世も 自分自身も その存在を認識することも 知覚し察知することもできないじゃないか? これと同じように 君のある意識の次元が変わってしまって この世の次元と異なってしまって 今まで認識していたこの世というものを 意識が察知できなくなったら この世界は君の中から消滅するのさ それを僕たちは 死 と呼んでいるに過ぎないのさ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月14日

想いを紡いだ 千の 万の 言葉が 大して思い入れのない 成り行き上の行為ひとつで 意味を失うことを知った 千の言葉が意味をなくすとは 千の言葉の遣い手さえも消えることだった 想いを紡いだ千の言葉も その遣い手も 雲散霧消 してしまったのだ そこにのこったのは 行為という現象だけだった にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月14日

そう いつの頃からか 僕の中から 善悪が透けてしまったのさ 足場は流れてしまったのさ 前後左右上下を決める 基点が崩れてしまったのさ もしも 僕に善悪という拠り所があるのだとしたら 足場でもなく 基点でもなく 摩擦 抵抗のできるだけ少ない”方向”と言えるだろうか? 僕はね 重力さえも感じたくないんだよ 本当は・・・ ねえ君 知ってたかい? 眠っていても共存してるんだ 眠りは決して個人的なものではないんだよ 眠っていたって 意識 があるだろう? 意識 がある以上 空間は存在してるんだ そしてその空間で共存してるんだ 決してひとりなんかじゃないんだ 君はきっと信じてくれないだろうけれど 死んだって同じことなのさ 僕たちの ある意識 はずっと ず~~~~~っと 存在し続け 空間の何処かで 誰かと何かと 共存しているのさ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月14日

僕はね パワーストーンとか 宝石とか ダイヤモンド 金銀細工の腕時計 アクセサリなんかには ちいとも目がいかないけど ここ数年 鏡 というものにひどく心惹かれるんだ 鏡はね 映し出すものであるけれど 映すだけじゃないのさ ただそこに在って ただ映すだけなのに 受身だけじゃ決してない 光を集め その光を増幅させて 反射させることができるのさ これは或るひとつの力 と僕は感じてるのさ ねえ 君 君が言うように 鏡は水鏡を模して人が作ったんだろうね 僕はね 水や風のように在りたいんだよ 僕が在る 僕の意識が在る ことで どうしたって影響を与え 影響を受けざるを得ないのなら 僕自身も含め 万物を 透かし 流し続けたいのさ 良いも悪いも 風に流し 水に流し 鏡が一瞬一瞬の動向を映し続けるように 一瞬たりともとどまっていたくはないんだよ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月13日

耳に額にシトシトと春の雨はふりそゝぐ時に激しく息遣ふ首筋伝ふ温かき呼吸(いき)は切なく吹きかゝり甘くさゝやき いざなへり春の雨はふりやまぬふりやまぬふりやまぬ両の肩にまとひつきつゝみおほひて ふりそゝぐ背を向く肩に なきそゝぐにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月12日

ねえ君 僕は思うんだ在るということは何も働きかけなくてもただそこに在るだけで影響を与え また別の存在の影響を受けていることだって・・・悠久の時の流れの中ただそこにポンっとあるなんの変哲もないひとつの石その石はみずから動いたり 姿をかえることはなくとも風受け 雨受け 波を受け 姿を変えある時 つま先にひっかかって僕を地面に転ばせて大怪我させたりするんだよ在る というのは そう言う事だと 君石 は 意思 なんだよ僕たちのもっている 意志や意思は無形ではあるけれど 石 なんだ意識 も同じ意識は 意思が 気 になって弱まって無意識や潜在意識強まって意識的・顕在意識となるんだろうだから僕がただボケっとここでバカみたいな顔して つっ立っているだけで実は僕は周囲に影響を及ぼしているんだそしてまた僕は周囲の影響をも受けているのさそしてその相互の影響関係というものを言葉にしたら共存 ということなのだろうっと僕は想っているんだにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月12日

目に清けし 莢割きしゅん(春・旬)の 匂ひたち めにさやけし さやさきしゅんの にほひたち にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月12日

半年以上前からだったか?わたしが15年以上前に書いたペルシャ語の簡単な会話のページをご覧になって、お知り合いになったKさん。イランにいらっしゃりたい、、、ということでペルシャ語を少しでも覚えたかったようでした。その後、ハングアウトのチャット機能をつかってたま~~~~にペルシャ語を教えて差し上げていました。そういう方は結構いらして、でも 行きたい と強く思っていらしても、実際に来られるかどうかは別の次元のことで、まあ、5年後でも来られたらいいわね・・・ ぐらいにわたしは考えておりましたが、今年に入ってから 4月にイランにいきますので!!っとご連絡が。ご縁のある方はこうなんです。お話を伺ったら ↓ こちら の旅行会社をご利用になられて、テヘランでホームステイをなさって、ホテルにも宿泊されて合計4?5?泊ぐらいなさって明日おかえりになられるということでした。テヘランに着いてお休みになってから、次の日ぐらいにはイスファハンに行かれたようで、イスファハンからテヘランに戻られた次の日の昨日にお昼を一緒にいかがですか? ということでお誘い申し上げました。そして、KさんのガイドRさんは、本職はガイドさんではなく、旅行会社をご経営のようで、夫は空手関連で選手団の渡航の手続きをすることが多いので、これまた嬉しいご縁をいただきました。わたしの隣にいる息子の従姉、親戚中で一番の綺麗どころで、英語も堪能なM嬢 にも就職のお話をいただきました。でも私達の住居区とは東西の端っこと端っこのため、就職するのは難しいでしょうけれども、このご縁で彼女の世界が広がっていくといいな、と思ってます。Kさんとはイラン行きが決まるまで、お仕事やら、ご年齢やらご出身やら、何一つお伺いしておりませんでしたが、このご旅行をきっかけにお互いに素性を明かし合いました。Kさんは、なんと!このご旅行のために今までお勤めだった某テレビ局のお仕事を退職なさったとかで、そこまでのイランへの思い入れにわたしはびっくりしてしまいました。 画像は前菜を頂いた後に撮影。ガイドさん以外は皆 ディルとそら豆の炊き込みご飯と羊の首の部分の煮込みをいただきました。ガイドさんはティラピアというお魚のフライ。前菜・副菜はスープ、サラダ各種、ピクルス各種、ヨーグルトの和物各種などをサラダバーのような形でいただきます。デザートバーもありましたが、私達はいただきませんでした。KさんとガイドのRさんとお別れした後、私以外のものは、このあと美味しいアイスクリーム屋さんにいって、サーティワンのようなアイスクリームを数種食べました。 その後のことを書くと、、、日本の皆さんは仰天されると思いますが・・・このあと義姉2宅へいってアーシュ レシテという野菜と豆のうどんをいただいてきました。・・・食べ放題の一日でした(^_^;)にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月11日

まずは 蛇を眺めるんだよそう 眺めるだけさ…(カテゴリ 奇譚 ”永久再生 ” より。)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ねえ君僕がこんなことを書いてがっかりしているかい?傍観 は ずるい ことだと感じるかい?僕だって最初から 傍観 してたわけじゃないさ僕の最初の崩壊は君の国の正義が僕の国の悪僕の国の正義が君の国の悪であることから始まったんだ君が知ってるように僕は もともとは君の国の人間だったからねそして正義の根底がみるみるうちに崩れ始めたんだ善悪とは 立場 という 拠り所 によって変わるものでその拠り所は 絶対とは程遠いグラグラ揺れる天秤のようなものと知ったのさ空間は 己のしっぽを喰らう蛇の姿をしてる っとある日突然気付いたようにねでも… 気付いたからってどうってことはないさ君が言う様にいくら考えてみたって答えなど出てこないことも同時に知ったさ 思い知らされたさでも敢えて....敢えて 僕の裡に 善悪 というものが残っているとすれば…共存としての在り方 だろうか?そしてそれは在ってないような在り方 と言えるだろうか?にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月10日

殊に 本能に関することは 量でなく質を重視せねばならぬ 量ではなく質を! 本能の要求とは 量や数によって 完全に満たされるということは まずありえない したがって 大量 数多 を激しく欲する場合は 病に冒されているか 中毒であろう また まったくそれ(本能の要求)を絶ってしまうことも 違った意味での弊害や病を 誘引する引き金となり得る ********* 画像はササン朝時代の砦跡らしい。 この下には金銀財宝が.... という伝えがあるが定かではない。 しかし、わたしが空想を掻き立てられるのは確か。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月10日

記憶は光を在処(ありか)とす … っという言葉を最近頂戴した。 その御言葉に二十歳の時、 忘却はこの世で高貴で美しい精神作用 っと言葉を紡いだことを、 わたしは思い出したのだった。 おそらくわたしは忘れるのではなく、 深淵に沈めるのだろう。 こゝろの深く暗い水底(みなそこ)へと。 なにはともあれ、 どれ程の、如何様の記憶が沈められていようとも、 こゝろの水面(みなも) に光があたったら、 輝いていて欲しくはあるが・・・ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月09日

ねえ君 蛇の腹の中にいたんじゃ 時空を舞台にしたスペクタクル映画の 永久再生機能からは いつまでたっても抜け出せないんだよ 君が蛇になっちゃったって もちろん ダメさ え? それじゃ どうすりゃいいか? 簡単さ まずは 蛇を眺めるんだよ そう 眺めるだけ そして 摩擦にも 抵抗にも 重力にも 透けて 滑稽な.... 滑稽だけど懸命で 実に愛おしいその蛇の姿を ちょいと離れたとこから映す 光となるのさ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月09日

ねえ君 死ぬのは怖いかい? 僕だって死は恐ろしいさ でも僕は 死がすべての終わりだから恐れてるんじゃないよ 死は誕生へと続いてるからさ 死の続きには生があって 生のその先には また死があるんだよ やっと終わったすごろくがまた振り出しに戻って 一から出直し それが永久につづくって考えたことあるかい? こんな恐ろしいことないって 君は思わないかい? ねえ君 この蛇はたんなる蛇じゃないのさ この蛇は尾っぽと一緒に 時間も空間も全部ひっくるめて 噛み付いてけっして離しゃしないんだから・・・ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月08日

つかのまの逢瀬の別れの薄紅の 花の泪は音もなく落つ 一年に一度春のわずかな期間の 桜と人との逢瀬の惜別に流れる薄紅色の泪は、 まるで人に知られぬよう桜が忍び泣くように、 音もなく次から次へと落ちてくる にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月08日

光 を 受け 光 を 与える その目印であり その媒体となるのは 青空。 澄んでいる存在 青空をみつけましょう。 そして、青空でありましょう… にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月07日

日本の味をテヘランで… 駅の売店の味ぐらいにはなっているかな? piyazche と geshnizを浅葱とミツバの代わりに。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月07日

永久再生(一) ねえ君 知ってたかい? 世界の果ては 世界の始めに 続いてるんだよ だって地球はまあるいだろ? ううん 地球だけじゃない 宇宙も ブラックホールも 異次元の世界だって そうなんだ 空間はまさに 己のしっぽを喰らう蛇の姿をしてるんだ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月07日

わたしがふたゝび言葉に絶望し奈落の底で声を殺して慟哭し続けた夜が明けると二度とふたゝび有り得ない飛びっきり素敵な男性(ひと)から貴女の紡ぐ言葉 好き と告白されるわたしという天秤の一方は地獄の壁に突き刺さりもう一方はマッハ速度で極楽浄土へ昇天するそうやってわたしのど真ん中の蝶番(ネジ)に大打撃与え緩みと歪みを指摘するいつもの宿命(さだめ)の荒治療・・・T氏へおそらくあなた様御自身も、なんでこんな展開になったんだ?っと、思いも寄らず、わけもわからず、突如指から発せられし御言葉はわたしにとって、大変、大変大きな意味がございました。今 という時を最大限に活用して物事を提示するのがさだめ ではないか?とわたしは想いました。ありがとう月並みな言葉でお恥ずかしゅうございますが、この言葉以外にわたしには思い浮かびませんでした。明けるまで美しいまあるい可愛らしい月が夜空に柔らかい光をさし続けた朝に記す。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月06日

街を少し離れ郊外へ出るとこんな風景が....土壁なのかレンガなのか?此処には住めないけど、魅力的ではある。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月05日

名も知らぬ野の花に癒さるる去年(こぞ)の花より種を出で風に吹かれ土に眠り酷暑極寒に耐へ 我に顔みせむとここに咲く斯(かく)も美しき其のこゝろにわれ満たさるる にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月05日

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2015年04月05日

今年は大変良いお天気に恵まれました。 お昼を持ち寄り夕方まで屋外で過ごしました。
2015年04月05日
イランの民族楽器セタールで弾いてみました。イランからのファイルアップロードの都合でこちら をご覧くださいませ。
2015年04月04日

4月2日の木曜日は、イランのお正月13日目で国民ピクニックデー。 正式な名前は自然に親しむ日ということで、日本で言うとみどりの日でありました。 そしてまた、国民の祝日となっております。 前日から丸焼きの下ごしらえはしていたものの、 この日わたしは朝8時半からお料理作り開始して、 12時半にようやく準備完了。 メニューは鶏の丸焼きと、 ハムとチキンのフィレ、卵、人参、ピクルス入りのマカロニサラダ、 それに色とりどりのサラダ。 主食はお米でなくパンにいたしました。 これで海の見える丘へいけたら最高だったのですが・・・ 残念ながら、テヘランには海はござらぬ。(;_;) イランの北カスピ海の方、はたまたずっと南方ペルシャ湾方面へいかねば・・・ 予報ははずれ、風は少し冷たいものの、 日差しは焼け付くようで、雲ひとつない上天気でございました。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年04月04日

夜桜ラン・・・ アッキーのブログより画像を拝借いたしました。御記事は こちら 湯浴みして色づく肌や夕櫻 その艷やかな背な月抱(いだ)き湯浴みして火照った肌のような色をして咲く夕櫻のその艶やかな背なを抱くように月が顔をみせている にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月03日

雲 流れ風 流れ雲と風 空を流れ雲と風と空を眺むこゝろもまた刻一刻と流るるを観るにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月03日

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2015年04月03日

~微笑んでみせたのは~微笑んだのは思いやりじゃない哀しみを隠すため隠すのはあなたからじゃない自分自身に…泣き叫ぶのか 微笑むのかその場にならなきゃわたしにだってわかりゃしない瞬間によってのみ自分を知る瞬間を眺める事によって・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月02日

蒼天を桜見上げて万歳す吾が傍らに若き日の母わたしが4・5歳の頃の思い出です。亡き母は今のわたしより10歳も若かったのでした。坂の下よりもっと遠くに真っ青な海がありました。その場所は夏になると彼岸花が真っ赤に燃えるようでした。極彩色の記憶の河はとめどなくわたしの裡を流れていきます。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年04月01日
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