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まとまった時間がなかなか取れないので、走り書きを集めたような記事です。m(_ _)m 今日は父の命日。八年経つのか… 10月29日 11:03 本日曇天。本日の吾が心も同様。民族楽器稽古の日。音に癒されたい。 10月30日 7:07 来月日本に行ける人はいいなあ。私と息子はまたお留守番。 10月30日 18:49 今朝は夢の国にさ迷い込んでいた。ある部屋の数箇所をチェックしながら数人で清めていた。浄めは一定期間だけ有効で清めても再び穢れていくのだろうけれど。夢の中では穢れは腐ったアルコール成分のようだった。 10月31日 7:12 かつては十年有効だったが、前回の更新後、有効期間が五年となっていた免許証をみたら一年半も切れていた。できれば今日書類をもらって来よう… 10月31日 7:15 今日はハロウィン。 明日から霜月。 数ヶ月以上なかった先日のまとまった雨は、 山々の峯に雪で覆ったので、しばらくとても寒かったけれど、 数日前から再び温み、街は朝から晩まで靄がかかっている。 東雲の空でさえ、ボヤーーーんっとしていて、街の空は二十四時間寝ぼけ眼で眺めている視界のよう。 外出するのは週三の習い事と買い物、用事がある時だけ。 夫は夏休みも夏が終わった後も空手と大学院で東奔西走。 夫は来月の第一週あたりに十日あまり大阪へいく予定もある。 我が祖国は我を招くことは稀( 笑 ) 日が短くなってますます時の流れは速度を上げている。 ”長き夜に耽ることなきこの身には雲海に落つ陽に秋覚ゆ” ながきよにふけることなきこのみにはうんかいにおつひにあきおぼゆ 秋の夜長に耽ることも、秋の月を愛でることもない日々を送っている無粋な身には、海と見ゆる雲に沈みゆく夕陽に秋を知らされるのだった。 にほんブログ村
2016年10月31日

ひとひの疲れが喧騒とともに身に、心に流れ込む黄昏の刻、秋時雨で禊していた空は油絵のような明暗と、柔らかく優しい色彩でその身を晒していた。 カーテン越しに垣間見た空に、惹き寄せられた私は、開け放った窓からのび続く世界に眺めいる。 そこではいつだって空を穢すだけだと思い込んでた、人が、私が生きる街が、最も強い陰影となって、その美を引き締め、引き立てていた。 にほんブログ村
2016年10月26日

海なく、河も、川もなき街には未だひと雨も降らぬ。靄に包まれ、蒼くあるべき空は透らず。 多少なりとも黄味がかりし街路樹は、ながらく掃除する者なき空き家が如く埃被り、季の移りて色変はれど、鮮やかなる形容など能はず。木の葉揺らす風もまた駆け抜け行くも、清々しき心地良さをも感じられぬ。 喜怒哀楽などの情感失ふと、人もかように趣きも風流も失ふものかなと思ひつ眺め居る。 今の吾にこの景色似て相応しきものにあらんや? 思はず、覚えずに居るは、思ひたくなき、また覚えたくなきことあるゆゑなれど、そのことに気付けば日々やり過ぐことさへ難くならん。 雨降らば色また戻るか? 雨降らば街、冬の色を粧はむ。色の乏しき冬の色を。 冬の間は枯れ落ち、色全き失ふならば、木々が如く春、吾を呼び起こし来るまで眠りたし。 にほんブログ村
2016年10月24日

最近は朝が来る度に温度が下がっているように思う。五時半におきてするのは薬缶をガスにかけること。かれこれ、五日程前から夜になるとガスの暖炉に火をつけて、火力は弱いもののつけっぱなしにしているのに、それでも朝おきると寒い。今日の気温は10/19度という予報。室内は外よりも寒く、外は陽がある間は、暑く感じるほどなのに室内は日中になってもあまり温度が上がらない。今朝は左膝が酷く痛む。ポマードを塗って痛みは半減したけれど、おそらく寒くなってくるとますます痛むし、痛む頻度も増してくるだろう。義母はすい臓がんが疑われていて、先日内視鏡での検査が行われた。サンプルの結果は数日後にでて、病名が判明するだろうと思われる。最初に胃腸が疑われ、胃腸の検査をしたけれど、見つからず、みな喜んだものの、結局問題があったのはすい臓で、具合が酷く悪かったり、急激に痩せたのは日本でいう梅雨の時期だった。ここまで検査の結果は遅れた理由はいろいろあろうが、もう少し手順よくできなかったのだろうか?という思いと、そんなこと言ってもどういう経過をたどるかは決められていないようで決められていて、どうしょうもなかったのだから。。。という思いがある。義母が真っ黒なチャドル(半円形の敬虔なイラン人女性がすっぽりと身を覆う布)を着て、具合悪そうに診療室の寝台に身を横たえている夢をみたのは、二年ぐらい前だったか・・・嘔吐の症状は十年近く前に大きな交通事故に遭って義母は耳の上を義父の頭と強打してから、定期的に起こるようになり、手足の理学療法を行なうと酷いめまいを併発していたこともあり、まさか内蔵によるものだとはなかなか思いつかなかったことが、ここまで検査を送らせた理由の一つではあろうか・・・とは思う。結果論は結果論でしかなく、まったく役に立つようなものではない。だからこそ今を、経過という今こそが結果なのだろうとあらためて私は感じている。” 悪し結果論ずよりもなほ過ぎ逝く今を結果と過ぐことぞ良し ”悪い結果の結果論をあれこれと検証するよりも、そうしているうちにも過ぎては逝ってしまう、今という時の流れが経過であり結果であるのだと思って過ごす方が良い。結果論を並べている間にも、今できることさえできなくなってしまうだろうから。 にほんブログ村
2016年10月22日

サントゥールを習いはじめて二ヶ月が経過しました。以前セタールで弾いたものもアップしたNavaii というイランでよく知られている民謡です。セタールを練習した時の楽譜はサントゥールの楽譜でした。最近はひとつの曲をキーボード、セタール、サントゥールで弾きます。コロンという中間音はキーボードではだせませんが、キーボードの説明書を読めばコロンの音の設定も出来るようです。最近の中東向けキーボードはそういう設定があるようです。サントゥールがそうですが、よく使うオクターブにはミとラの音をコロンで設定、ひとつ高いオクターブにはミとラは半音低い音を設定して曲の部分部分で切り替えて演奏します。キーボードでコロンの音を設定するにしてもすべてのレ、ミ、ラ音をコロンにするのではなくオクターブのひとつにコロンを設定するようです。そういう事情があるためセタールでは普通のミの音が使われても、同じ曲のサントゥール用ではミを使わないように多少編曲されます。サントゥールには通常ミの音がないからです。なんだかややこしい説明になりましたが、どうでも良いことなので気になさらないで下さいませ。 一分十五秒の音源はこちらからどうぞにほんブログ村
2016年10月19日

日が短くなり、寒くなった。 秋が訪れ、冬の影を遠からず見ているのに、 あいかわらず此処は雨が降らず乾燥している。 街で耳にする人々の笑い声がカラカラときこえる程に、 私もすっかりこの地の気候に染まったようだ。 喜怒哀楽の境が明瞭なのに、 しっとりとした情緒というものをほとんど感じない人々の間で、 これまでどれだけ自分の意向を取り違えられてきただろうか? しかしこの頃はそんな日々のやり取りのすれ違いさえ気にならなくなるほどに、 おおらかになったのか、大雑把になったのか・・・ ”幾月も雨来ぬ街は耳に入る笑ふ声さへ潤ひを失す” いくつきもあめこぬまちはみゝにいるわらふこゑさへうるほひをうす にほんブログ村
2016年10月17日

モハラム月の前にアップしてましたが、モハラムに入ってしまい記事にしていませんでした。 アーシュラ・タスワが終わり、恒例の炊き出しも無事に終了し、ホッとしております。 今回アップした曲は短調の曲です。 最近は教本の2冊目半ばから離れ、民謡を習ってます。 曲によっては、キーボードで音とリズムをつかみ、サントゥールとセタールの両方で練習します。 この曲はゆっくりした六拍子で、四分の三拍子でもとれますが、私は六拍子でリズムを取ります。民謡なので歌詞があります。歌い手が入れば歌い手と呼吸を合わせて弾くような曲です。そして私が痺れた曲の一つです。 習って一年半で未熟者は表現が拙くこの曲の良さが伝えられませんが、ご興味のある方、どうぞお聴き下さいませ。 こちらからどうぞにほんブログ村
2016年10月13日

” 秋の陽は影が如くに追ひ昇る月去り際に目を細め愛づ ” あきのひはかげがごとくにおひのぼるつきさりぎはにめをほそめめづ *********** (陽の)後を追うかの如く東方の空に昇りつつゝある月を、去り際に目を細め愛でるような眼差しで見つめる西方の秋の陽よ にほんブログ村
2016年10月10日

” 救へぬも傷つけるのなき木偶となり木偶の役(やく)もて生命(いのち)果たさむ ” ************** 何かを救うことも無ければ 何かを傷つけることのない 木偶という存在に私はなりたい そんな木偶の役をもって生命を全うしたい *** 人として心身を以て存在しているからには、 日夜ものを食い殺生し、人を、何かを傷つけないでは生きられないのであるけれど…。 にほんブログ村
2016年10月07日
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