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知識は開かれるといくらでも「付く」。そして知恵も「付く」。しかし、開かれていないと言葉や絵図のげんこつで頭をなぐる繰り返しになってしまう。そんな大量生産的教育を受けていたから次男の今の状況はとてもよくわかった。おまえは、開きかけたつぼみだ。なごり惜しく炭焼きの窯作り名人と別れなければならなかったのは、三者面談があって、その時刻までに、次男の教室に行かなければならなかったからなんだ。「わからないんですよ。」担任の先生は言った。その言葉でわかった。それは最近になっておぃらも気づいた。もしかするとこいつは底知れない能力があるかも知れない。長男はへらへらと人間関係をつくるが次男はまとめてひらく。つまり、「悟る」タイプだ。子供のころから口数が少なかったので心配だったが、明らかに最近、次々と悟りを開いている。英語の成績だけが極端に伸びている。オーストラリアに行った。ただそれだけで英語の世界に開かれている。テスト問題には次々と体当たりしているが、はじめが開かれた問題は全問正解していて、開かれなかった問題は「砕けて」いる。つまり零点だ。*山の神はその仕事のはじめから知的障害者と呼ばれている児童の教師で、よりそってきたおぃらはそのうめきがわかる。親といっしょに社会に向かって開いていく作業が始まる。その計画は緻密に入念に一人ごとに計画されていく。結婚したとき、初めてみた通信簿は「驚き」だったよ。それは、全体のいくつではなく、個別の開放の通知だったから。密教にある「悟りを開く」ということが「塾」によこどりされてしまった。だれかさんたちが「保身」とか「国旗」とか言っているうちにだよ。ところがまだ「悩む文字」を書く人たちは「悟って」いないのだろう。*石でつくられた炭焼き窯に手足が生える。そして窯は山を移動する。その周期は20年から30年だ。おぃらは仙人から「石のみつけかた」を教わった。それは鳥になって空から石の脈を見下ろすことだった。悟れば簡単なのだが、悟ることができなかった人たちは亀にならなければならない。つまり、周辺の樹木を「炭」にしたら、次の場所へ「分解して」、最良の石でできた最良の窯を粘土とともに数十人で背負うのだ。そして「モデルを組み立てるように」炭窯をコピーする。石のみつけかたを「悟って」いればそんな苦労はしなかっただろうに。実は、石窯の亀が山を歩き始めたのは近代の里山なのだろうと思う。「効率」が要求されると「本質」は失われる。これは聖書の運びに似ている。国語聖書だったかそれともトーラだったか忘れたが、その民は家族ごとに聖書の節を暗誦している。聖書が禁じられたら目の前で焼き捨てる。支配者は安心するが、言葉は心に暗誦されている。そして「文字を書く人」が暗誦から次々に聖書を新たに完成させていくという物語だ。どこにあったかわすれたが。。「古巣」に行けばわかるかもしれないが、まだもどる気分ではない。*ブーメランは単純な構造をしていて複雑な法則を超えて手元に戻ってきたね。単純に・・そう言ったとき、次男は目をきらっと光らせた。「悟ったな・・」さてとこれからが学びのはじまりだ。実はこれは高校受験のためなんかじゃない。一生つづく楽しみの始まりだ。そしてその時が来たらこの日記を読みなさい。(笑)*生まれたての次男を抱き上げたときはそれは嬉しかった。とても骨が「がっしりとしっかり」していたから。悟りの教育でしょ。ゆとりよりも。知育よりも。悟ってなくてもクリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月30日
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ηλιοs(ヘリオス)太陽。黙示録でまっくらになった太陽だがまだ明るい。τροπη(トロポー)回転、回帰、特に太陽が一年かかって帰ってくる道筋。そして「ヘリオトロープ」はいつも太陽をみあげてぐるぐる巡っている。花は太陽をみあげているから。更にτροποs(とろぽす)は方法とか「仕方」という意味になる。炭窯を作る彼を見たときなぜだろうと思った。彼は踊っている。踊りながら炭窯を粘土と石とで組み上げている。すべての動作には意味があり、その動作は寄り添う者だけが悟る。炭窯が途中まで作られていた場面を見たとき、「なぜだ?」頭が「はてな」で埋め尽くされた。あまりに炭窯は教科書で習う「子宮」に似ている。そしていびつな形は卵の形をして3:5だ。間に4をはさむと直角だね。(笑)積み上げる石の高さは「このぐらい」と彼が言ったとき、黄金比になった。*炭窯をつくる彼の近くで「東はあっち、西はこっち、山はあっち・・」と言ったら、彼はわずかに角度をずらした。「西はあっちだ・・。」80歳で中学校を卒業したときから、ずっと炭を焼いてきたそうだ。*炭焼きをする彼らはなぜ同じ顔をしているのだろう。おぃらが時間がなくなって、鉢(窯の天井)が完成しないうちにおわかれの挨拶をしたら、にこにこと窯の頂から見下ろしてくれた。この笑顔と炎を見つめる細い目は、「悟った者」だけが知っている。おぃらに炭焼きを教えてくれた「仙人」の顔に近い。このような人には、まともに質問してはいけない。謎をかけるように問いかけると、謎をひらくように答えがくる。そんな質問を何十年もされてないじいさんは響くのがうれしいのだろう。「悟られっちまったんでわ、わがんねなっ。」と、笑顔で謎の答えを返す。そして柴を結びながら孤独を訴えたからよりそった。しかし、時間に至福の時は奪われた。もし時と出会いが許されるならば彼が求める石を拾い柴を切り、鉢の石によりそうただろうに。*石で組んだ炭窯の煙突を眺めて、そーだったのか。。とまた思う。炭窯の煙突は卵管なのだ。だから重力と戦うために先が細く下が太くなっている。窯の煙突から煙が排出されるのではない。逆だ。煙突からすべてを浄化する「ナニモノカ」が窯におりてくる。そこに運動が生まれる。その運動をきちんと捉えた者にだけ「特別の炭」は与えられる。ここいらは、テキストの限界だね。あとは体で覚えるしかない。踊るように炭窯を組み上げた彼のように、踊るように炭を焼くのだ。そして祭りは動作の完成になるのだが。20世紀は踊りと祭りを勘違いした世紀なのだろう。調和して美しくないから。*「しまった、悟られたかぁ~」とか「大学の先生たちがつくった炭ができない窯」とかの話をきいているうちに予感がした。今日は分かれる。しかし、じいさんよ。炎の前でまた出会う。そのときは、子供の頃に聞いた「深い訛り」で、「深い言葉」で聞くだろう。「子宮口」はそれはそれは微妙な構造だったから。亀の話からはじめよう。炭窯が山を登った話だ。これならうふふだべ。ぢぃさんよっ。(笑)もちろん亀にはもうひとつの意味があります。うふ。クリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月29日
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体験参加している彼は釣りが好きなようだ。だから、おぃらが5年前に炭焼き窯の上に「パイプオルガン」用においてた竹を見せたら目の色が変わった。飴色の竹が数十本あるにだ。うふ。煤と油を竹で磨いて落としたらどーだい。おぃら、時間と暇があったこれでバンブーオルガンを作るにだ。資料もそろっているし、あとはおぃらの病気が開放にむかっていくとき、へらへらとホラふきながらオルガンをつくるにだ。バンブーパイプオルガンでドビッシーはどうよ。カケスの羽を拾い、蟲の羽を拾い、カワセミの羽を拾うのね。そして貝を拾い、砥石で磨いたら飴色のパイプにぺたっとはりつけるです。そのオルガンの隣にはプサルタリーという楽器があるです。これらを古典調律にするです。それはおぃらの夢です。*朝、煙をみたらおお。よいです。とてもよいです。ききわけのない優秀な地方公務員が「悟りなさい」という言葉に従ったのです。窯の中を粘土を崩してちらっと覗いたら・・うふっ。できている。「オレンジに輝く炭しかも竹」。これほど上出来の竹炭ができたのは空前絶後。指ではじくとキーーんと音がします。つまり窯のふたをあけて精錬もしっかりできるほどに完成されてたってことなのですね。*出したあとの炭窯にピザトーストをいれて。サトイモをアルミホイルてくるんでいれて。さつもいももだに。*そいで鍋なのだが、コンソメ味で昨日は終了したから昆布とトマトジュースとベーコンが入った出です。更に贅沢なことに・・山からほってきた自然薯が沸騰する鍋に入り、3分を経ずに碗にもどりました。すなわちこれわ。コンソメスープの鍋にトマトジュースが入り表面だけ煮えたヤマイモが碗をただよっているってことなのですね。「悟りなさい」(笑)しゃきしゃきさくさくと食べてるうちに、彼らは炭を出して煤灰をかけて叩いて楽しみはじめた。そうなのだ上出来の竹炭は木琴になる。おぃらが昨日、「悟りなさい」といい続けてよかった。しかし、かれは強情だからまだ自己流をはじめるだろう。しかけをつくろう。チベットのラサにいけばありきたりのようなそのしかけを・・あ・鍋にソーセージとヤマイモを忘れたのでまたいつかクリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月27日
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炭焼きをしているとボーイスカウトとかガールスカウトの少年少女が歩いてきて去っていく。100人いるとその親は20人ほど。年にそのうちの5人ぐらいから質問される。「何をしているんですか?」「炭焼きをしています。」そして更に100人に1人は参加を希望する。炭焼き体験にね。*火をたく。鍋をつくるためなのだ。そして窯には木が入っている。おぃらは「無粋なやつ」に何度も「悟りなさい」と言ったのね。だって、ゾロアスター教が日本に上陸したのと炭焼きはたぶん同時期だろうとひそかに思ったから。クリスマスはゾロアスター教の冬至の祭り。だから火をたいて太陽をよびもどそうとしたんだから、古カトリシズムは否定できなくて「キリストの誕生日」にしてしまったんだ。だって、羊飼いがこんな寒い季節に外にいるわけないっしょ。たぶん誕生日は5月から6月なのだ。論理的ではなく意固地になるととんでもない過ちをおかすのだ。それは中世にムスリムが犯した過ちと現代の小泉の過ち(マッチポンプ協定があるなら別だが)は同一になる。でも、最近、「政治のうふふ」が見えるようになったので、りりりです。(笑)*そいで、おぃらが煙を眺めながら窯の中を透視しようとすると、「煙突にデジタル温度計」とか、「窯の中にカメラ」とか言うもんだから言ったのです。「悟りなさい」彼は自然科学を理解する数少ない優秀な地方公務員だということはわかるが、「悟り」の道に開かれていない。だからなのだ。「みえたか!!」実はこれは極めて緊迫した状況なのだに。火が火ではなく炎でもなくなり窯に閉じ込めるチャンスのみきわめがきたのだが・・「みえたかっ!!」「みえねぇ。」「悟ったか!!」「わがんねーー。。」この炎が見えないと炭焼きはできないのね。んでも数値化データ化にこだわる彼にはみえなかったよーで、よかったです。あと一年ぐらい、「みえたかっ!!」「みえねぇ。」「悟ったか!!」「わがんねーー。。」ができるって楽しいことです。*さてと。長男のところに鍋がとどいたようです。これも「悟ったか」なのでうふふなんですね。教えるってたのすぃ~なっ。炎の○ん○んを○宮の奥まで入れて炎を○わさない○良い炭はできません。炭焼きをしている人はわかるでしょっ。明日は炭出しをれぽするです。クリックしてね! 人気Blogランキングへ!!
2005年11月26日
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ひるめしを食べながら朝日新聞を読んでいたら・・?なんだんた・・これわ・・???ブッシュ大統領が中国の教会に行った話しなのだが。おかしい。変だ。ブッシュは南部バプテストのプロテスタントだからミサに行く筈はない。そともプロテスタントでミサのある教会が中国にあるのだろうか。日本の普通のプロテスタントなおぃらはカトリックのミサには行かないからね。頭に???が残った記事でした。記者さん、プロテスタントでミサする教会があったら教えてほしいっす。それとも言語がそうなっていたら、それも教えてほしい。これから、おぃらの大嫌いなクリスマスがはじまるから。*「社会鍋」というのはいい言葉だよ。鍋はソリューションするから。長男に誕生日の鍋を送らなければ。手紙をそえて。こんなふうに。-------成長を過ぎて、メンテナンスに入った体は食べることによって守られる。冬の食事は時間をかけてゆっくりとするのは、縄文の教え。人と交わりながらね。そうして日本原人たちは冬を越えてきた。「鍋」だ。一人で食事をしてはいけない。小さな小銭もわかちあえば個人の小さなものが鍋でおおきな満足になる。時間をかけて人と交わり、食事を楽しむ人を友としなさい。そうすれば、冬の人生は守られる。-------考えてみれば火をかこみあぶること。鍋で煮ること蒸すこと。発酵させることは料理の3要素なのですね。*不思議なことがおこりました。昨日までぶんぶんとアブが飛んでいたような耳鳴りが消えました。海に行ったからなのかもしれません。現在は、蚊のはばたきぐらいになったのです。ということは、心と体にねじれがおこってるのですね。「神の手」と呼ばれる人のうわさを聞きました。その人に触れてもらおうと思います。耳の「ジンジン」これからどうなるやら。冬は鍋でそ!!クリックしてね!人気ブログランキングへ!!
2005年11月24日
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今日は次男と「海に行く」と約束した日。玄関先に「クリシュナムルティ」の本と携帯電話を忘れたのに気づいたのは走って30分ほどしてからだった。ま、いいか。宿題の「カリスマ」をまとめてみよう。そうキモチを切り替えて走行すること一時間。海についた。ウミネコがたくさんいた。そしてテトラポッドではウミウが羽を広げていた。本当にウミウかって追求されてしまうと自信がないのですが。ウミウです。*潮風の防波堤を歩きながら繰り返すメモ。書いて消して消して書いて。彫刻のようなバランスがとれるまで。空はおだやかだが風が冷たい。「場所をかえよう・・」次男はこのままだと一尾も釣れないと思ったらしい。空の色が夕焼けに変わりつつあったから。防波堤に沿って移動して、日暮れ直前にメバル2尾ゲット!!はじめの1尾のときは、飛んできたよ。中学校2年生でもうすぐ身長180cmだもんな。身長と少年のアンバランスがなんとも「我が子」だ。*おまえは本からもネットからも沢山の情報を得るだろう。しかし、他人がしたことはおまえがしたことではない。今日は本から得た情報を沢山ためしたようにその唯一によって魚が釣れたんだ。でもおとうさんは、ちびっと憂鬱なのね。なぜかと言うと、クリシュナムルティの本を玄関に忘れたからなんだ。*ま、みなさん。待った人は待ったかもしれないし、そうでない人にとってはカリスマかもしれません。左手にある「いのちのふしぎ」の「カリスマ」をクリックすると読めます。カリスマの次は・・こればかりは「うふふな気分しだい」です。カリスマが気に入ったらクリックしてね!!人気ブログランキングへ!!
2005年11月23日
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「炭焼きの釜はどうしてつくるのですか?」聞かれたらこたえる。山で石の脈を探します。河原の石ははじけてしまいます。山で石の脈をさがすと同じような石がごろごろ出てきます。石の脈を捜す方法は鳥に聞きます。そして粘土のありかは蛙に聞きます。心を森に沈めれば静めるほどに饒舌な響きの一部が聞こえます。明鏡止水。「どのようにしてつくるのですか。」また聞かれたら答える。山に炭釜をつくるということは、教えではありません。悟りの伝授です。だから、高さとか幅とか広さとか無粋な質問をする人には答えることができません。*そんな無粋なおぱさんが来たので恋に炎は始まって48手のうらおもてと炭焼きの方法はその2乗にあるのだと煙にまいて、質問をやめて釜の前で長く沈黙したあとようやく悟ったらしい。そいで、炭焼きの方法はボルシチより難しいと言ったのですが、もちろんそれはボルシチをたべるたびに炭焼き釜を思い出させる対話のテクニックです。*おじさんが来たら、里山の子宮は炭釜であなたのほっかほかをインプットすれば炭ができて山はリサイクルされるのだとまた煙にまきます。ところが・・水源を守るための森は伐採してはいけないと法律で決まっているようです。しかし、おぃらはこれは「真実を知らない馬鹿」が作った法律だと思うのですね。リサイクルされる森の隣の炭釜は「水」が不可欠ですから。今、里山に残っている炭窯の跡には必ず「水源」があるはず。それは「煤灰」とは違う別な用途があるからなんです。つまり、炭焼きしていれば水源の保全のために木を植えてその木が杉だったから広葉樹の復活をしようなんて三重な税金の無駄遣いはもう許しませんてことです。・・・「チクるぞ。」*マンションが基準を満たしているとかいないとか、そっちの話は馬鹿と馬鹿がしてればいいが税金はつかわないでおくれ。なのですね。今日の小泉さんの顔に沢山の悩ましい表情の裏の「うふふ」が見えたからね。そぃで、ボルシチなのだが土鍋がよいですね。サツマイモのオレンジ煮も土鍋がよいです。つまり、ネオ・エデン計画は限りなく縄文から弥生をたどる道なのだと知識としては話しを悟ってもらわないとはじまらないんだな。(笑)知恵は鍋によって悟られる・・そーだと思ったらクリックしてね! 人気ブログランキングへ・・
2005年11月21日
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2037年のある日、16歳の少年が公園で本を読んでいた。隣にいた15歳の少女は「ジュッジュ」と声を出して踊りはじめた。そこに小鳥たちが群がった。遠くでじいさんが言った。「書を捨てよ。闇のわざを受け継げよ。」ネオ・エデン計画は着々と進行していたのだが、いかにして子供たちのエクスタシーを解放するかということでヤマトカケルは一人で悩んでいたのだが。ある日のこと。そのねーちゃんは、恥らうことく言うのでした。「覗きたいんですよ。覗けるっていいでしょ。カケルさんならできるでしょっ。」あぁ。そーか。そうなんだ。*少女は暗い部屋から泣きながら飛び出して来た。母親は暗い部屋からニタニタと笑いながら出てきた「変なおじさん」をキッ!と睨んだ。母親「あなたは何をしたんですか。」オレ「娘さんのあそこを開いたんです。」娘 「わたし、たべられちゃった。」オレ「そうなんです。このこは、いまたべられました。」母親「・・・」オレ「魂を動物にうつしなさいというのはネィテブインディアンの教え」少女は雛に魂をうつしたのです。それは大成功。しかし、巣箱は蛇に襲われて雛は食べられてしまったのです。これが、「食べられる教え」なのですが、これだけで200ページぐらい稼ぐ人はかせぐでしょうけど短気なおぃらはムリッ!!*要するに、おぃらの山にはフクロウがいるのだけど、そこに巣箱をかけようかという話があるのねん。だったら、その巣箱にIPカメラ、もしくはWebカメラ+パソコンを搭載してフクロウの雛とライブチャットはどうよ・・なんてことになってるのだわ。参考書とソフトウエアはある。防犯24時ダウンロードソフト見れば、あっ!。15年前の新宿歌舞伎町が巣箱になっただけだって。(笑)ちなみにおぃらは15年前の新宿歌舞伎町には行ってません。行ってないんだら、MOF担なんて知りません。(笑)ボトルが高い場所にある理由も知りません。(笑)*そいで、今日は皆さんにご相談。Webカメラを巣箱の中に入れたいのね。そいで、巣箱の中は「暗い」でそ。だから、ルクス値が低いカメラほど良いと思うのですね。それと、接続するパソコンは中古の予定だから、できるだけ低脳に対応してほしいのね。ここいらになると、バランスになってくるです。価格.com で、だいぶいろいろながめたのだけど悩みは増すばかり。未来の少年少女たちのため、「IP巣箱プロジェクト」なんだが。おすすめのWebカメラがあったら教えてくださいましっ。クリックしたらサボテンとお話できるかも・・クリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月19日
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「天使にラブソング2」をみてしまった。これってフランシスコ会だったのですね。そうか。田園調布カトリック教会に仲間はいるがしばらく、話は。して。。いない。あの教会は今、改装しているげど、戦争のあと焼け出された子供たちのために焼いたパンの釜がまだ残っているそうだ。そしてある日、回廊を巡ったら図書室に入った。今なら素直にそこで一年を過ごすことができただろう。しかし、そのとき私は閉ざされていた。でも、フランシスコの像の前で腕を広げるポーズはしたが。。フランシスカンであると自称すれば、SIERRA DESIGNの マウンテンパーカーをまとえばそれでいい。そして規約は「なし」だ。どれほど多くの人が「規約なし」という会則に迷っただろうか。そして教会ビジネスは確実に成立する。*正直におもうのだけれど、「語る人」だけが評価されてはいけない。描く人。歌う人も評価されなくちゃ。でもね。「才能が評価されないシステム」をつくってしまったんだよ。だから一部の彼らは地下道で歌う。そして評価する人が集まる。その循環を誰かは「非行」と言う。自らをとじこめて他人をも閉じ込めようという連鎖はいけない。開放されなくちゃね。開放にクリックしてね! 人気ブログランキングへ
2005年11月18日
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家庭菜園の広さが8000坪になると、あちこちに目印をつけておかなくしちゃいけない。突然変異で出たトゲの無い♂のサンショウとかここはシラネアオイだとか、ここいら300坪はカタクリ園だとか。そんなことを計画して草刈機をビンビン回す。*おいしそうな紅葉でそ。手前がクロモジ、奥がコシアブラ。ここで「記憶」をびんびん働かせるんだ。*草刈しながら思ったのだが草刈なんかする必要はないんだ。知的障害者と呼ばれている彼らに賃金を払って歩いてもらえばいいんだ。道はおのずからできあがる。「歩いてもらう仕事」ができた。それではそれといっしょに車椅子を運ぶ仕事も作ろう。手順化してマニュアル化して失敗したらPDCAをころがすんだ。誰かが歩いていると草刈をする必要は無い。草刈機を買うよりもぃぃかもしれない。8000坪という広さと山の上下は軽い運動にちょうどいい。歩いて上って降りただけでその日の体調が明確にわかる。「いよいよだ。完成の時は近づく。」*ネオ・エデン計画は今まで自分の手で握っていたけど「開放された人」に渡そう。彼は歴史にその名を残すだろう。「その名を正しく使えば」という条件つきだが。ストーブをつけて月の光のなかでぼんやり思う。エデュケーション、リハビリテーション、ノーマライゼーションをエクスタシーによってインテグレーションする「ネオ・エデン計画」はカリスマの花を咲かせることができるのだろうかと。内奥から声がする。これは私に起こった「はてしない物語」のはじめだと。私は私一人だけではこの世界をサバイバルできないのだ。*私は何のために生まれてきたのか・・答えがある人は幸い。クリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月17日
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彼女は、そんなことは絶対にしない筈なのに、ゴミ箱の中に会社で履いていたサンダルを捨てて去っていった。送別会の日に箱に入って包まれた何かをもらった。しかし、その箱はまだ開けていない。病気はその箱をもらったときから始まったのかもしれない。彼女が会社を去る一年ほど前、彼女は屋上で言った。「会社の雰囲気が悪くなりましたね。」私は言った。「ごめん。オレはナニもできないんだ。」*「あまくだり」が来る場所は来た親分によってガラガラ雰囲気が変わる。でも、企業内技術者であると自らを割り切っていればそんなこと、どうでもいいんだ。スケベな奴は、オメたちなんでみんなで海にいかないんだ。海に行ったら水着だぞ、水着だぞガハハハと笑う。しかし、仕事をするときゃ共同体、一歩会社を出たら他人と割り切った関係がどうやらきにいらないらしいし、みんなおぃらが指示するとパソコンに向かっているのも気に食わないらしい。ある会社の従業員が「社長が怒って手がつけられません。助けてください。電話代わります。」という電話に出て、あらぶる社長を3分で静めてしまったのも気に食わないらしい。「しまった。」そう思ったときは遅かった。ガンつけられた。*履歴書の写真を見たとき、うーん70点。なんて思ったよ。すんでいるのは市内から20キロぐらい離れた山の中にある3軒の中の一軒だった。そいで、いっしょに仕事をはじめたある日、指で記憶する能力があるのを発見して、「これはすごい」と思った。そう思ったので、当時はウインドウズ95だったけど、「「ショートカット」を覚えない。」とマニュアルを開いた。3日もしないうちに彼女はショートカットでエクセルとワードを操作しはじめた。「プログラムの基本はループとジャンプと条件判断だ。それでマクロをつくってみ・・」そう言ったら、翌日にはヘルプをコピペしながら自分用マニュアルをつくって自分用マクロを組んでいた。ある日、彼女に語りかけた。税務会計と企業会計の違いとすりあわせ、そして税効果会計が別表五(一)のどこを拾ってPLに返すかエクセルでテーブルをつくったから考えるように。売掛債権を証券化するときに将来価値から現在価値を割戻しするからFVからPVを合理的に求めなさい。私が問題を出すと彼女はいつもニコニコしてうれしそうだった。毎日が発見の連続だったからかもしれない。*記憶はからっぽだが、彼女のための送別会の花を買いに行ったのは自分だったと思う。のどの奥から声がでてきた。「おーーん。。おーーん。。」フクロウみたいな声だ。山の神ははじめは驚いたが今はほっといてくれるからありがたい。酒を飲む。飲んでも酔えない。そしてのどの奥から声が出てくる。涙はほおをつたって止まらない。「ぉーん。おーーん。ぉーん。おーーん。」第三者の目である私は「声に出して泣けるからまだだいじょうぶ。」と言う。*青色申告書が書けてB/S P/L C/Fのフローが書ければとりあえず一人前だ。そしてネットワークの組み方、サーバー管理のしかた要求事項の作成方法。いつもいっしょに悩んで考えて答えを出してきたんだ。彼女が捨てたサンダルを「燃えるごみ」の箱から「燃えないゴミ」の箱に移した。そのときから、酒を飲んで「ぉーーん」を繰り返すようになったんだ。*「お元気ですか・・・」と言った彼女の隣には私と同年輩のおそらく目配りからすれば「基本から自分で考える」女性がいた。彼女といっしょに仕事をしているのだろう。そして彼女はあなたにとって宝物のはずだ。何か問題が起こったら彼女は適切に方向づけをするだろうから。思い出したらまた「おーーん」が出てくる。サンダルを手に持ったとき。私はある決心をしてしまった。そして「里山を買おう」に続くのです。「おーーん」とクリックしてね!人気ブログランキングへ
2005年11月16日
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半径が∞の円を描いてみよう。これは草原の生物だった頃のニンゲンが見た地平のひとつ。そいでは、空間に∞の半径の球をうかべてみよう。それはこんな形になる。悩ましい「行動」をする植物がいる。それはこいつ。「センボンヤリ」。現代の日本語で言えば「全然おかしい」。正しくあろうがなかろうがんなこと関係ないのだわっ。*植物の意思を定量化して数値化できなれれば科学ではないのだろうか。ぶりかえしておもうのだけど水亀屋さんが「タンポポの種は空を知っている」という言葉は正解だと思う。同じキク科でロゼットをつくるセンボンヤリもそうだから。あきらかに空を意識して∞に測定しようとした結果を保持しているとおもうのだが。んでそういうことを考えると、これは「ガクモン」になったり「メシのタネ」や変なビルで変なエクスタシーを撒き散らしているセレブの仲間になれるのかといえば、だめ。科学が自己解体して定量化の呪縛と定性化の認識を超えたところで開かれないと、「センボンヤリ」の意味はわからない。*音楽を12音に閉じ込めてしまったバッハは偉大だけど失われた可能性は大きい。次々と現れ続ける調律からでる音楽への耳を閉ざしたかもしれないからね。*そいで、おぃらはセンボンヤリの「なぜ・どうして」がわかるのですかと問われたら正直に答えるしかない。おぃらの頭には半径∞の球があって、センボンヤリは獲得した適切な球であるような外見の「タネのあつまり」を咲かせている。◆タネが「咲いている」◆一度花を咲かせ、改めてタネを咲かせる欲張りな植物なのだね、センボンヤリは。。*今日、おぃらは会ってはいけない人に会ってしまった。彼女は言った。「お元気ですか・・?」今書いているだけで胸が痛む。というか、こころにセミコロンがぐりぐり出てきた。「花を買ってきてね」と頼んだ彼女が4年ぶりに現れた。彼女はつるつるの美少女ではなくしわしわがちっとでて・・そして領収書を持って来た瞳はそのままだった。続きは涙で書けないから明日書きます。クリックしてね!人気ブログランキングへ!!
2005年11月15日
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プログラムはルーチンを作ることから始まる。ルーチンワークは条件で分岐されて結果になるから。そして沢山のルーチンを書いていくとそこにどうやら「幹」らしきものが見えてくる。誰もがそこで失敗するんだ。自分が中心だと幹があるように見える。しかし、沢山のルーチンの「ぐるぐる」が全体を構成している。プログラムを組むとはそういう作業だから、「やれ」と命令されて「できました」と報告されるものではない。多面的なものを一面的に評価はできないのに、彼らは誰かのせいにしたがる。それは無能な立場ある人だ。*あってはならないことをまずは計画してしまうのがまずは間違い。その間違いにカネを注ぎ込む計画をして間違いはねじれる。更に自分で解決すればいいのに他人を巻き込もうとして更にねじれる。結果的に被害者が続出する。目の前を通り過ぎるカネは自分のものではないのにある日、「毒」が入ると彼らは狂いはじめる。でもよい時代になったものだ。インターネットがあると「チクリ」ができるからね。針を一刺しして死ぬこともなく、ネット喫茶で「ちくっ」として、なにげにふるまっていればいいから。*過去の記憶をかみしめながら、復活しない記憶を幸いにして空をみる。「すばる」が曇ってみえない。おぃらの頭が曇っているのかそれとも空がくもっているかならのか。のどが痛い。酢でうがいをしよう。ずしんと寒さが来たから。おろおろと毛布にもぐってぱたぱた。キーボードを打ちながらうとうと・・おーい。冬の準備はできたかぃ~クリックしてね!
2005年11月14日
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6年ほど前、家でくつろぎながら、メシアンの「幼子イエズスに注ぐ12のまなざし」を聴いていたときのこと。吹奏楽に燃えていた長男は、「この曲ナニよ・!!」というので教えた。ピアノ連弾のこの曲は乱雑な音の連続の中からひたすら調和を目指している。「しかけ」を聞き取ることができたね。それが12という数字になっている。カトリックのメシアンはいつも祈りと調和を考えていた。そして、鳥の声を音符に採譜していたんだ。それだけじゃない。あきらかに「遊んで」いる。*音楽は突然生まれる。なにも鳥の声を聞き取るだけではないし、風景から切り取ることもできる。エナガの四分音符が松の枝に並んだらその瞬間を読んでみる。地面に落ちているホオの葉は四本線の音符にしてグレゴリオ聖歌になるか読んでみよう。ためいきの紅葉が落ちるビブラートを感じて伐採する一本の木を選ぶ。青年に問いかける。「磨製石器を作って、一本の木を倒してみないか・・」と。作業にはリズムが必要だ。そしてまた音楽が生まれる。今日、おぃらにそそのかされて一本の木を倒した青年よ。はじめはノコギリを押して引いて力づくだったが、慣れたらリズムをとってたことを忘れないように。世界は音楽で満たされている。しかし、体験することなく開かれることはない。ベートーベンの音楽には「貧乏ゆすり」のような「タタタタ・・」がある。しかし、第9番の交響曲で彼は大成功をした。彼は死んで神に呼ばれて復活した人の物語を曲にしたのだ。おぃらは、「ヤオヨロズの神」や「政府の特定目的に作られた神」の前に立つ曲ではないとおもうのだに。この曲には「黙示録の完成」がある。そして耳が聞こえない彼は木と木の葉を見て書き取ったかも知れない。「これだ!」と。内奥にはいつも音楽がながれている。そして強制的に聞かされたりもする。しかし、木の葉がまばらになっていくこの季節に、残された木の葉と小鳥を眺めて音符にしてみようよ。ヤナーチェクもそんなことをした人のような気がする。草と銃弾を音楽にした名作は重すぎる。*森の中で枝を線にして木の葉と小鳥を音符にするとき。私はもういちど私にもどる。メシアンは遊びかたがうますぎる・・そんなことを感じた夕刻にはごっそりナメコがわさわさと・・(笑)キノコの浮いた味噌汁は曼荼羅の音楽なのかな(笑)クリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月13日
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造園屋さんなら知っているかもしれない。「パラダイス」その言葉の起源は古代ペルシャ語で、果樹園、庭園という意味がある。おらわしんじまっただぁ~かどうかわからないけど、ネオ・エデンこそパラダイスなのだろうと思う。*じんじんする耳鳴りは止まらないけどそのまま、山を巡り歩くとカラ類が混群をつくっているのがわかる。シジュウカラとエナガがいる。目を閉じて耳鳴りはするが「耳で空をみあげる」。数は30羽から40羽の間。右の松の木から中央のコナラの木に移り、左手(西)のハリギリの木に移動した。移動しながら声を出しているから一固体ごとの識別ができる。「そこだ!」と思った場所に双眼鏡を向けたらあたり。エナガやシジュウカラは立体的な空間把握を常にしている。人は平面的にしているのは草原の生物だったから。今、飛んだエナガの視線になってみる。これは極めて「広角」だ。そして枝と枝との間から目標の枝を見つけて重力を友として舞う。森に特化した鳥とはそのような生物なのだと改めておもうのです。*そして、里山は今が「目をひらいてよく見る」べきとき。高い山にのぼり、バードウォッチング用の望遠鏡で、あっちの山、こっちの山をじっと見つめる。見つめると開かれる。夏の緑には隠されていた本当のおいしい山が出現する。今年の山の色づきは悪いが・・見える、見える。斜面ひとつ、ハリギリの山を見つけた。冬の終わりに半切に倒せば春にはおいしいてんぷらになる。たぶん、山のふもとには小さなひこばえがいっぱいあるだろう。更にじっと見つめる。おお。むかご山めっけた。今年はもう間に合わないから来年にしよう。ふと足元を見たら、ムラサキシメジでないの。(笑)*紅葉を楽しんでるかぃ?そこにひとこと付け加えよう。紅葉は、パラダイス(Παραδεισοs)かぃ?こればかりは、目が開かれないと見えないんだな・・(笑)おぃらについておいで。ぽんぽんと木の幹を叩き、葉を見せてしおりにする。見続けて空をみあげて、虹を見る。そうだよ。虹の季節が始まった。いつもの年より10日遅れだ。四季の巡りをその体に宿した秋の虹の日に春への目が開かれる。それは毎年繰り返してきたことだ。我慢とか忍耐とか努力とかいう言葉はすべて捨ててしまおう。すべては「気楽」に完成されなければならない。そうでなければ「毒」を宿している。*畑を過ぎたときに尾羽に白いものがちらっと見えた。エンベリザだ。カシラダカだ。小さな小鳥がいつのまにか北国から渡ってきている。もちろん海を越えて。小鳥を見て思う。おまえたちは、祭りをしているのか。それとも呪われているのかと。そしていよいよ、次の満月を待つ季節になりました。月光の空を渡る黄金のハクチョウと今年は会えるだろうか・・毎年夢ばかりみているので今年はカメラにおさめたいな。夢の風景にクリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月12日
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もうこの年齢になったらできることは限られている。しかし、大黒屋がロシアに行ったようにおいらもこの言葉の大陸を渡ることができるかもしれない。ひとことひとことをもう一度丁寧に解いていくんだ。解いたときに、「権力の言葉の羅列」らしきものが見えてきた。アンティオキアのイグナチオはトマスによる福音書に言及している。そして、彼自身は気づかなかったかもしれない。キリストは死んだそして復活した。それは想定外の場所にキリストが復活したってことだ。「異端」はそうしてはじまった。そして継続して生まれ続ける異端こそがカトリシズムの存在理由になったのではなかろうか。答えは簡単だ。70人訳のギリシャ語の旧約聖書ができた。そしてローマ、エジプト世界で辺境にあった彼らは言葉によって世界宗教への道を歩んだ。しかし、問題が起こった。「顕現は現れつづける」から。イエスは思ったかもしれない。「顕現は現れ続ける。死んでも死なない。テキストによって継承される。」しかし、教えを受けた者たちは固定的な絶対的なものにしなければならなかった。だから、「復活」を使ったのかもしれない。更におどろくべき黙示録なんだけど、これはちびっと勉強をほりさげてからにします。「あの優秀なひとたちがなぜ・・」ってことにならないよーに。。(笑)福音書か。自問自答してみる。「マニュアル」とは違うな。。なすべきことが徐々にみえてきたようですクリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月11日
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山の神が朝、宣言した。「今日は次男が通っている塾に行く日ですからねっ。面接するんですからねっ。」(ふう。)そして行ったら「どうしてこんなに急に勉強好きになったんでしょうね。」と言われた。そうか・・おいらは思ったよ。。「開かれた」んだ。*11月8日の朝日新聞に大江健三郎の「伝える言葉」がある。そこには「知る」と「わかる」という小さな見出しがついている。チベット仏教のゾクチェンに関するの本をずーーーっとながめていたから「わかる」根本的な間違いは親、教師、塾のセンセの我欲を社会的価値観と知識とすりかえておしつけることにある。そして、「開く」ことをわすれているのだ。知恵とは開くもの。そして知識はそれに沿うものなのだろう。たぶん、ダライラマは知識を受け取る前に「開かれて」いたはずだ。そうでないと遠い過去の言葉と現代とを自由闊達に連結することなどできないだろうから。いれかわりたちかわり、次々と開く者が現れて彼は開かれていった。*さてと。おぃらも自由にむかって開かれよう。恵みを受けて恵みを伝える、あの人工衛星のアンテナのように。そして自分に語りかける。(もうすこしだ。もうすこしですべてがつながる・・)そのためには、そうだ・・カラマツのまつぼっくりが必要なんだ。。さがそうよ。花のかたちをね。クリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月10日
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どうやら、ぶりかえしがきたみたいだ。ボールペンを握って伝票に向かっているといつのまにか頭を抱えている。耳鳴りがひどくてジンジン音がする。伝票一枚を処理して処分することを続けていると感覚が麻痺してくる。耳鳴りと肩こりはそれに抵抗している。解決する方法はない。おぃらは部品なんだから。*慎重に考える。「努力してはいけない。がんばってはいけない。」そして「不条理の結果起こる現象を静かにみつめるのだ。」彼らは有頂天になっているが伝票一枚で地獄に落ちる。ニンゲンをマシンにしてあたりまえという社会がかつてあっていまなおそれををひきずっている人たぢがいる。それは「どぶ板」をわたって来た人たちだ。頭をパコパコたたいて「開け、開け」と誰かが言う。しかし、板をわたって来た人たちは知識を詰めこんだ人が優秀で、知恵を開いた人たちは自分の役に立たないからどうでもいいとかんがえている。知恵を開くひとは、パソコンからテキストが印刷されないと、DOS窓を開いてPingを打つ。技術者を奴隷と思っている彼らは何かしていると思う。しかし、その努力さえもしなかった人は「できてあたりまえ」をおしつける。彼らはいつも知識において開かれることなく、形式を処理してきた。だから、突然「自分で考えなさい」といわれると彼らはパニックに入る。抵当権と根抵当権に関して質問する人がいたから、本を渡して読みなさいといった。彼は言った。「オレにこれ一冊読めというのか。」私は彼の幸福のために言った。「読まないと私の間違いはすべてあなたの間違いになります。」*どぶ板をわたった人たちはうふふなコミュニティーをつくる。その話もまたいつか。さてちメッセたてるか。長男よ。おとうさんは今日、バカな人にバカなしつもんをしてしまった。どろどろから富津によどんでますが。。 クリックしてね! 人気ブログラン銀ぐほ・・
2005年11月09日
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残酷な雑誌の記事を見た。「仕事は一番忙しいやつにたのめ」この一行を書いた奴は鬱の患者たちから弓矢をひかれなければならない。そしておぃらは思うんだ。「おぃらを殺そうとしたのはオメだなっ!!」*テストの点数をとるのと仕事とは違う。でも学校教育はいつもテストの連続だしいろいろな資格試験もテストだ。ここで、じーーーっと「テスト」をみてごらん。とてもとても長い孤独な時間の連結がある。勝ち抜いた人が勝者になって一番になってほめられるんだ。学校と社会が生み出しているのは、孤独に能力をあらわすのが人の価値だということなんだ。そういうシステムになっている。・・で、こんなシステムをつくりあげたのは、誰だ?テスト産業だ。古代中国の時代からあるからだぁれもナニも疑わないで「個人の」能力をはかる手段にしている。しかし、組織の能力は搾取する者によってはかられる。古臭い話題だけど「労働とは何か」原稿用紙に書くテストをしてあげようか。(笑)*おぃらは「百姓」という言葉を使ってはいけないと子供のときに教えられた。しかし、実は「百姓」のほうがシステムを維持して搾取する支配者よりも利口なのだわ。まだわかんないのかな。あなたの一言がパニックの連鎖をひきおこして「百姓」という言葉を生み出したんだ。百姓たちは孤独なニートにされてしまった。教育システムの中で。互いに協力しあうことは評価されないから。孤独でいたほうがつかいやすいのだ。まとまったら扱いにくい。一番になった人はその悩みをかかえながらクラスで一番、組織で一番、なにをしても一番、おらっちの息子も娘も一番 なにもかもが一番。一番の孤独な奴隷にされしまっている。資格商売をしている人に孤独な人が多くて百姓に「世間知らず」といわれるのはそのためなのだろう。*エクスタシーは孤独をさまよっている。開放されないままに家庭の中でも孤独なんだ。そして医師はときどき、とんでもない判断を下して家族は長いさまよいをしたりする。悩むのだ。悩むことを他人にまかせてはいけない。手に悩みをもって悩むのだ。そうすれば悩みの本質がわかる。わかったとき、すべては溶解されて体がその悩みを覚える。それはとても幸福な悩みなんだ。ブルーな月曜日だったけど・・指と指がふれたとき悩みは平方根になるかもしれない。クリックしてね!人気ブログランキングへ!!
2005年11月07日
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すきっと割り切って悩みを楽しむなんて心が豊かでないとできないだろう。「おしん」はどうして中東で人気なんだろうな。人類に共通した何かがあるからなんだろうけど、もう一度見てみたい。なぜなら、それは山の中で病院にいけずに失明した憤怒の形相をしたこけし職人の隣に、清々とした笑顔のこけし職人がいたことを思い出させてくれるからだ。悩みを恐れるか、楽しむか。二重に回帰して明らかになるだろう。しかし、人生は短く永劫のように長い。*いつもいきあたりばったりだけど、今日はちびっとだけ計画的に動いた。まずはキノコ山の状態確認。ひとあめふらないとだめだべなって思ったら、関西からメールが来て雨がふってるとのこと。これで「よし」がひとつ。キノコの木を雨水を受けやすいようにすこしだけ並べ替えた。多分だれも気づかないだろう。カニ罠を池にしかけたらすごい数のザリガニの子がたちまちとれた。それを持ってじぃさんといっょにいるねーちゃんに見せたら、二人同時に「カラアゲ・・」で爆笑。アメリカザリガニは今、子供だけどとてもおいしそうなのねん。罠をしかけた目的はメダカの調査だったのだけどそれはさておき、そうか、アメリカザリガニを聖水で毒出ししたら、ネオエデンのメニューになるなっ。昆布塩とサンショウをぱらりでどうよ。あ。いけねっ。また書いてしまった。ま。いいか。目的のメダカは入ってなかったけど泥をごしゃごしゃまきあげたら出現した。なんだ。トラップ必要なぃでわないの。でも、ま、おらっちの新メニューができたからよかったよかった。爆!*4時の約束はネッツトヨタだった。だからその時間までまた、ぐるぐるとめぐり歩いた。人生とはまっすぐに目的にむかって歩むことではなく、ぐるぐると歩き巡り本来の私に出会うことだ。だから、おしんのようにおかねもうけを少女時代に目的にしたらその目的の周りをぐるぐるとあきまわるのが人生なのだ。そぃでおぃらのように倒れる独楽みたいにブーメランのジャイロな本質を探す人生は、ぐらぐらしながら出会った人を幸福にしていくのだ。たぶん、そうなのだ。おぃらとであって不幸になった人はいない。ま、そんなふうにスズメウリの実を眺めてときどき「むかご」の下で傘を広げてばさばさして沢山のむかごを集めた。むかごはお金ではない。だから呪いが封印されていない。どぶ板をわたる人たちの物語はまたいつか書こう。*トヨタで愛車スターレット走行距離10万キロをみてもらったら、ベアリングがやられたと言う。本当か嘘かわからないけど、そうして呪いは解かれていくのだ。要するに分解してみないとわからないってことだ。だから部品名が出てくる。しかしまだ、根本の整理ができていない。おぃらの山に笹がではじめたから一気にからなくちゃいけない。だから思ったよ。「晴れの日を休日にしよう」その日は一日を山で過ごしてクリスマスの準備をするんだ。そして炭窯を山に復活させるんだ。机上で森林の行政計画をしてる連中は何もわかってない。炭窯こそ里山復活のカギなんだってね。起承転結の卍の中心は水であり、火なのだから。そして泥釜じゃない。その土地の石を掘ってその土地の粘土で組み上げた釜こそ立派な石釜だ。大きさは家族の大きさに比例する。仙人からその技を伝授されたおぃらは願いがあるところに行くだろう。しかし、呪われた世界はきらびやかで、路傍にはゴミがみちあふれている。*姉よ、妹よ、兄弟たちよ。ゴミにおかねがかかるとなったとたんに里山がゴミに満ち溢れる国になったこの現実をみてくれ。(笑)誰かが言った軽い一言がこんな国をつくったんだぞ。たぶん。ゴミが道にあふれているこの国は下品だ。そうおもわないかぃ。つながっていたはずの何かが切れたんだ・・それは水がまずくなったあの頃からはじまつた。組織力にはまいりましたが・クリックしてね!人気ブログランキングへ!!
2005年11月06日
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我が愛する20年以上つきあってる床屋さんはおぃらの8000坪の山の話を聞きたがる。実は近くに温泉が出ていてとおりすがりに見ているのだそうだ。でも、おぃらの山の入り口にはチェーンとロープがあって中に入れない。だからいつも見ながら何があるのだろうと思っているらしい。彼は里山の育ちだし奥さんも里山の育ちだ。でも二人が生まれた場所はヒ・ミ・ツ。なぜなら。うふっ。*「カケルさんの山にキノコ出ないのかい。」聞かれると答えるよ。「毒キノコはいっぱい出るよ。」煙にまいたあと一言追加。「ちびっと出るよ、ヤマドリ。」長男はキノコが嫌いだし、おぃらもキノコは好きだけどとことん追求はまだしていない。そして、次男が自由研究で「キノコ」を選んだとき、あ。これは長い旅の始まりになるなと思ったよ。知り合いに「キノコ p**o」でぐぐると出てくる人がいる。初めて会ったときはもうすっかりキノコネットの有名人で、更にまたキノコのセンセイを紹介してもらったのだけど、山が忙しくなってきて、ちっと会うのはおやすみしてるです。ちっと有名人ですからないしょです。(笑)山渓カラー名鑑「日本のきのこ」ってよい本です。あ。アフェリエイトあとで貼ります。貼りました。それと山渓フィールドブックスの2冊を薦められたのは、キノコ学会の事務局をしている人を訪ねたときのこと。会いに行く途中の高速道路の松林で、キノコをいくつか拾っていったよ。その中のひとつが、かの有名な「カレーの匂いがするキノコ」。ニオイチチワタケだったのね。説明しながらうれしそうに、ぐるぐるのうずまきがほらね、たてに裂くとほらね、匂いがほらねと、まさくしこれはキノコ学会の事務局をするために生まれてきたような人だとおもったのですわん。別れぎわ、ちっとおぃらは彼がうらやましくなった。彼っていつもキノコでうふふなんだろうなって。でも、今は思うのだわ。持続するうふふにしないと限りないうふふにならず、他人もうふふにできないってことが。*「○×ダ△ゴ」っていうキノコをさ。子供の頃よくたべたよ。愛する床屋さんは言う。煮て食うとうまいんだよね。それがね。。話が始まった。話をうんうんと聞いているとどうやらキツネノチャブクロみたいだ。ところがその話を更に聞くとどうも違う。とてもいい香りがして土の中にできるそうだ。どうしてそれが土の中にあるのがわかるかというと、それは○が○○なので○○○だから○なんですよ。おぃら、さりげなくうんうんと話を聞いてやったねっ!なにげに今日、山の神に聞いてみたです。「今日、休日出勤でそ。PTAの人に聞いてみ。ナニゲにだよ。」帰ってきたです。話を聞いたら。。(笑)ビンゴです。とてもよい香りがする土の中にできるキノコがうふふ。これから先は○だから×なんです。*そういえば、こんな話を聞いたことがある。あるキノコ好きの医師が、とある山の中の老人の往診をしたそうだ。人々が診察する部屋の外に集まりだした。臨終が近い。医師は老人に聞いたそうだ。「もうすぐだぞ。おしえろ~。。」老人はさんざん世話になった医師の目をじっとみつめて言った。「教えねぇ~。」床屋さんの出身地と山の神の勤務地でわかったんだよね。でもまだ地元の人は気づいていないだろう。土の中にあるよい香りのするキノコの価値について・・(笑)3500円の散髪代を払って得た価値は、はかりしれず・・情報が集積されてすっかりおぃらはうふふふなんだ。食べてみたいでそ。◆土の中にできるよい香りのするキノコ◆今日も一位めざしてクリックしてね!人気ブログランキングへ!!
2005年11月05日
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たくさんの人がこのページを通過して行った。すげーなぁ。一年でこんなにいるんだ、サクラのアクセス数ではないからね。何かを探していた人が、自分のチャット体を思い出して自分のチャット体でBlog発信してるみたいでうれしいな。それともそれはおぃらの思い込みなのかな。宣言しておくべ。「平成チャット体」という言葉をつくったのおぃらですっ。(笑)そして「平成チャット体」は日本語を変えます。いや、もぅ、変わっている。おぃらのページを見た人が自己主張の方法を変えたからね。かってな思い込みだろーって?そのとおりだろう。んでも、おぃらが書いている内容は晴れときどき雨そして起承転結をかたくなに守ってるんだ。砕いて撒き散らしてひきつける文章作法はちっとは使うけど苦手かも。でもまっ。書く楽しさを味わったよ。みんなクリックしてくださってありがとうね。明日はなんと出勤命令がでました。そして、時給雇用者のおぃらに保険証が届きました。更に年金もです。*10年ぐらいたったある日におぃらは言うかもしれない。「そのとき私は臨時職員でしたがその法人の中枢の核にいました」と。周りの人たちはインターネットを使いませんでした。責任逃れのためです。と。そぃでおぃらの計画はちゃくちゃくと進むニダ。(笑)二位になったから一位になりたい。おともだちに教えてクリックしてね! 人気ブログランキングへ!!
2005年11月04日
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こつぶでぴりりと辛いのがサンショウだけど、どうやら、イノシシの飼育を考えていたらこれは豚肉の世界史を変えるかもしれないと思いはじめた。*一日を気楽に過ごす方法。それは「藪こぎ」なのね。目印になるテープや色つきヒモを30本ぐらい腰につけたら、さあ探検のはじまりっ。腰につけてるのは、なたと選定鋏とノコギリなのだわ。これでがけっぷちまで旅するのだわ。やぶこぎの基本は「先が見えないから気をつけろ」なのです。んでまた、なんでやぶこぎかって・・(笑)・・キノコなんですっ。 き・の・こっ。そしてもうひとつの目標は、おぃらの山にある「メグスリノキ」だったのですが・・今年は変だ。ほんとーに変だ。だって、メグスリノキが紅葉してないのにコシアブラが紅葉している。いつもはその逆なのだ。更にウルシが黄色に紅葉している。これまた異常だ。おぃら、短い人生だったが毎年山を見ていてこんなこった、はじめてだ。もっと教えるべ。10月30日には「チッチゼミ」が飛んでイトトンボが交尾しながら飛んでいた。11月は虹の季節でなけれはいけない。雨が降り日がさす。一日にそれが何度も繰り返される季節なんだ。でも、それがないのだ。*藪をこぎながら次々と若枝に目印をつけていったよ。これはコシアブラ、これはイワガラミ、これはイヌシデってつぎつぎと。そうしていたら、目に飛び込んできた赤い実。そうか。春にみつけた株は♂だったのか。こっちが♀ね。一口がじったら、アレだよ。イライラしてるときに紙を引っ張るCMがあるでそ。もと金忘の。あれよりもすごい刺激でいいです。深夜とトラックの運転手さんには・・梅ぼしと・・おっといけね。おぃらカネのなる木なんだぞ。うふっ。*ひとつ思いついたのはイタメシにあいます。オリーブオイルのオイルサーディンには欠かせない素材のひとつになるでしょう。近い将来。で、オイルサーディンをパンにはさむとき、レタスの葉にオイルサーディンを乗せたらこのサンショウの実を1/4に割って種は捨てて皮を残します。その皮をなにげに規則正しくオイルサーディンに入れるです。あ。オイルサーディンのつくりかたは書くといっていつまでもかかないのでごめんですからそのうちかくです。ろくろ首でまっててくださいましっ。ひとつできあがりっ。もーひとつは、イノシシが話題なのでベーコンです。ベーコンは自家製の塊をつかいます。燻製です。ベーコンは八角などで香りづけしたおぃら特製のものです。そのベーコンの塊に1/4のサンショウの実を入れるです。つっこむんです。そうしたら、ベーコンに衣をつけて炭火で焼くと、こんがりとじわじわが強調されます。心の恋人がいるとヤキモチができます。そーです。これをやきもちで包むのです。仕上げは海苔でまきます。これでもーひとしなかんせーです。*本日発見の特選素材を使ったサンショウの料理。オイルサーディンか、イノシシベーコンか。あなたわどっち。。(笑)でも、本当は煮干をかじりながらふっと齧るのがおいしぃんだよね。そしてヒミツをおしえてあげるです。白菜の浅漬けにちびっと入れるとすっきりした味になるです。ゆずのあまったるい味とはまたちがったものになるです。こぃであなたは浅漬け女王になれるです。(笑)ま、どっちでもぃいけど、驚くべき香りですっ!!サンショウレシピにクリックしてね!!人気ブログランキングへ!!
2005年11月03日
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おぃらのおやじは、ゴルフバックを抱えたおぃらを見たとたんに逆上してしまった。そして、一週間後、ゴルフバックは家に無かった。「どーしたんだ。」と聞かれたから「貰った。」と行った。本当にもらぃもんだよ。山の神のばぁちゃんが無くなったとき、集まった連中は広場でゴルフを始めた。怒ったのは山の神のおやぢだった。ゴルフ好きはとんでもない場所でとんでもない行動をするというのはおいらわかってるのねん。だって、それまでビンボーだった公認会計士がゴルフを始めたら、おぃらの前で傘を振り回して、おぃらをちらっ。ちらっ。とみたんだ。20年前。その目はきらっと光ってたが「おれはオメらとはもー違うんだからな。ゴルフするんだからなっ。」とすがるように言っていた。彼は公認会計士だから負債についてはよくわかるだろ。しかし、心に負債をつくって埋め続ける生活にゴルフを通して入ったなと直感した。そう。彼は山奥で育って高校生活はバイトしながらアパート暮らしだった。大学にいったら誰とも付き合わずひたすら資格をめざして東京に出た。一度目は失敗した。家族を説得して墓を継ぐ約束をして二度目に合格したが。墓を継がず監査法人に入った。うわさの監査法人だよ。そいで、彼は「様」とか「センセイ」と呼ばれるバカになった。初めて会ったときは、おりこうさんだと思った。二度目にあった時には、この地方でおぃらより利口な者はいないとゆーよーなごーまんな会計士になっていた。そぃで、青色申告書のあーだこーだを電話で3時間ぐらい話したら「おぃらについてこれたのはあんたがはじめてだよカケルさん」なんてゆーんだ。会計を特権だとおもったのだろうか。実は、彼の庭には里山の木が多い。いくらキンキラな世界をみせられても、育った土地とその空気はどこまでもどこへでももちはこびたくなるんだ。だから庭があるんだ。風のために。*両親が作った庭をみていると、何を表現したいのかわからなかった。でも今はわかる。成金の地主から受けたトラウマの処理に一生を費やしているんだ。これは死ぬまで続くだろう。そしてあっちの成金、こっちの成金の庭の真似をして生涯を過ごすとしてもま。いいのだ。いちぢくの葉とジーパンに何の違いがあろうか。そしてパリコレにも。おぃらはどうしたいか、はっきりとまっすぐに見えている。「野菜ときどき花」が正しい。*彼はじまんげに言った。「クレーンでカエデを庭に運んだんですよ。そしてね・・」数年たったら、種が芽を出したそうだ。公認会計士の彼は言った。「種がね。芽をだしたんですよ。ごっそりですよ。」ああ。彼は一本の値段を計算していたんだ。そーなんだ。あなたはゴルフのクラブを握り、立場を握り、「センセイ」を握りなさい。自分いがいは全員バカでおぃらの頭の回転についてこれるやつはいないと思いなさい。しかし、あんたが一言いったとき、おいらは別表四と五-一から16-2を含む付表までBSとPLを同時に展開していたんだ。そしてあんたが数学ができないことも見抜いていたけど呼んだんだよ。なめんなよ。「センセイ。」青空に玉がうかんで穴をめざす。生命現象とはそうしたもので、絶対に不安定なのに安定に回帰していくんだ。ゴルフはたのしいだろな。昨日のような日には。でも苦いだろな。もたれあって立つ生活は。尾崎さん。再生めざしてコツンとしてね。こっちはコツンとクリックしてね!人気ブログランキングへ!!
2005年11月02日
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指さして「ポワしなさい」と言うのは簡単だ。しかし、おぃらはいつも狂養を撒き散らすオオカミ少年だってみんな思っているんだろなっ。だから箱根の山でひとかかえある大木を手鋸で倒した話とか泊まりがけで山ひとつ裸にしたよ。うふっ。とか鹿児島でポンカン園をひとやま作った話もみんな信用しないだろな。でもこのままだと箱舟はアララト山に着くな。せっかく買ったジャッキを箱に入れたまま現場に持って行くんだもんな。普通危険なことをするときは誰かの言うことを聞くものだが。現地で組み立てるかぃジャッキ。ま。いいかっ。船は山に登るのだコリントの市民たちよ。うふっ。 今回のテーマは混雑してる松山で松を伐採したときに必然的に発生する「かかり木をいかに始末するか。」がテーマなのだけど、本来は「かかり木」を出さないためにはいかにすべきかなので本末転倒だとわかっていてもおぃらは、うんぅんと話を聞いてうふふと笑うんだ。それは山のてっぺんには蟻地獄があって誰もが一度はその罠にはまる。磨製石器の時代からくり返された儀式なのだ。はまらないとわからないからね。 これは教えないほうがいいのだ。どーせおぃらは煙にまくのがだいすきなんだもんっ。火と燃えるケルビムやチベット密教のゾクチェンにある「太陽や月のように、リクパの光をつうじて輝きわたる、あるがままで完璧なもの」という金剛の詩のようにおぃらの出番は準備されているのだ。たぶん。努力しないで吉祥の詩(カッコウ)をうたいながら深呼吸するのだ。そうすると地表を離れて浮遊するのだ。あ。オメ、浮遊を信用してないなっ!指さしてポワするぞっ。 そいでおぃらはふだんは箸より重いものは持ったことはないし字はへたくそだからパソコンでパコパコだから。あ。オメ・・変なこと想像したべ。このリズムがエクスタシーなんだ。パコ。ゆっておくが、存在を離れることなんだぞ。εκ(エク) 接頭語 離れる 除去。στασιs(スターシス) 存立 存続。そして、 εκστασιs(エクスターシス) 忘我と訳されているんだ。消しゴムで消して立つってことだぞ。あ。オメおぃらの頭の中に何かあると思ったべ。でもソドムとゴモラから逃げるときに振り返ったおいらは塩の柱になってからっぽになったから色即是色で空をはさまないと転生できないんだ。シャーリープトラよ。つまりπαρθενοs(パルテノス・童貞)でないから二重にからっぽなんだ。書いてることが意味不明だが、人類の未来のためには、どーでもいいが大切なことなのだ。 ふぅふぅ、へぃへぃいいながら現場に到着して、一本伐採。ありっ。きれいにばたっと倒れちまった。混雑してるところ(カオス)でもう一本、チェンソーでWinしたらどーだい。完全無欠な多面チベットの水晶のようにまっすぐにできたよ。かかり木。ま。これをどう始末するかひっこんで見物するべ。始末って大事なんだぞ。 みぃんな、危険なことを次々とはじめた。思ったとおりだ。世界はこうなっているんだ。議論は混乱をよび混乱は勝手な行動を招き危険は増幅しそれでもなお一本の木の危険を甘くみてる。そしてぺたぺたと木に触り続けてる。危険の頂点は木のロープで引いている最中に木を抱えることにある。腕がつぶれる、頭がつぶれる、ジャッキのワイヤが跳ねてメガネを割って失明する。そんなことが同時多発的におこるのだ。伐採は、命を絶つのだから呪いをもらう。呪いの木に触れる時間は短ければ短いほどよい。しかしおぃらはその時をまっているのだに。μακαριοιマカリオイ(死のない至福)はマタイの山上の垂訓だもんなっ。あ。そろそろ混乱と危険が頂点に達したニダ。そろそろエンジンかけるニダ。頭に血がのぼってる午前11時、エンジンチェンソーをしゅるるぼ、しゅるるぼして、WinWinぐふっ。すべては想定どおりだ。見事だ。たぶん呪いと混乱はこの形になるようにしてなったダニ。この三角形はニンゲンの軽い一言の混乱と樹木の悲鳴がおこしたものだ。命を絶つ前にすべきことはなかったか。そして先頭に立ちたい議論は三角形を人類の不幸を招く形になっている。これは松の木ではない。十字架なのだ。おぃらはまっすぐに進むのだ。あ。誰かが足元の木につかみかかってる。離れろ。けとばすぞ。呪いを受けるのは一人だけでいい。人類の中の一人だけにおぃらはなったから、キリストなのだ。呪いの中心にチェンソーの刃を入れる。誰か三分に満たない時間を計っていたか?。 誰も計っていなかったら時間は久遠なのだ。こうして至高のダルマは机上の空論を越え自然に自らを解脱した。 いくっ。すたーしっす。(訛って松)。。 そしてハロウィンは終わり、万聖節が始まる。 親分、原稿あげました。クリックしてね!人気ブログラン菌具へ!!(苦笑)
2005年11月01日
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