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「カバノキ科」です。はじめイヌシデかと思いました。葉が違いました。(苦笑)そして、「おぃらの山」にいっぱいあります。 「これは花ですか?」と聞かれたら、「花です。しかし花ではありません。」そう答えます。「これは実ですか?」と聞かれたら、「実ではありませんしかし実でもあります。」そう答えざるを得ません。「花序ですね。」と聞かれたら、「そう書いてある図鑑もあります。」「果穂ですよ。」と言われると「その言葉が好きです。」そう答えるでしょう。では、シデとはなんですかぁ。・・「四手」ですよぉ。あの神社のしめ縄からぶらさがってる。ん・・*ここいらでは訛って「スデ」といいます。ナメコ栽培によいのです。サクラより長持ちします。どんな立派なサクラでも5年でぼろぼろ。こいつは5年たっても「カバさん」なのでしっかりしてます。おぃらが山を買ったときに木の所有権を主張した人がこの木とクリの木を最後まで切っていました。そしておぃらに「ナメコに最高だ」と教えてくれたのです。ナメコを買わずに済ませるって、とても重要なことなんです。腐敗とは人に役にたたないこと。醗酵とは人に役立つこと。基本は同じことをしているのですが、呼び方がちがうだけ。では菌は・・植物ではありません。(苦笑)*この「実でもない花でもない」「花であり実でもある」果穂が風にゆうるりゆらゆら、揺られています。夏のあいだもずーっと。ゆうるりゆらゆらです。晩秋に散らすものが現れます。そのとき、こどもたちはゆりかごから飛び出すのです。それが偶然ではなく必然だから驚きです。みぃんな小さくなつて揺り篭に入るとわかるかも。(笑)揺り篭が気に入ったらクリックしてね。人気blogランキングへ
2005年05月31日
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演歌の一面広告が新聞にあったので、つい、じっくり眺めました。そしてしみじみと思ったのですが「暗い」。明るく見せかけた歌の根も暗い。おぃらの知ってる日本民謡は明るいのになぜなんだろうね。ぱーーっ!!と明るく咲いていた。みつけた道が藪で覆われないようにね。草刈しながらね。よいしょっ。とのぼったら目の前にあったよ。ん?カミキリもハムシもアブもゾウムシもハチもいたよ。花の近くで、しばらく心を静かにしていると聞える。蟲の羽音が一定のリズムになって響いた。「わぉむんん。わぉむんん。」羽音の唸りがリズムになって、虫たちは踊る。それぞれが異種な筈なのにどうしてリズムができるのだろう。花は恵みのステージ。そこで「祭り」は陽が落ちるまで続く。蟲たちは花に集まってリズムをつくる。そして園の響きは誰かに伝えられる。花は歌わない。でも蟲たちに歌わせる。誰に何を伝えたいのかな?クリックしてね!人気blogランキングへ!!
2005年05月30日
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花はなぜ・・?花は恵みの形をしているのだろう。そして幾何学的に咲くのだろう。人は花を描くときに初めに○を描いてみた。○をリズムに従って重ねたら、花の「タイプ」ができた。人はそれに驚いた。なぜ・・? 幾何学的に成長し幾何学的に咲く花もあればそうでない花もある。樹木はどこからみても幾何学的ではない。でも、一部の植物はその幹に「らせん」を残している。たとえばトウカエデ。花から枝に下りてみよう。そして幹をもういちど観察してみると・・?「ヘリコイド曲線」が見えてくる。ねじ曲線だよ。植物たちは空に向かって「ねじ曲線」をつきあげている。その植物を真上から見ると「巻貝」の形だ。真上から見るとなぜか樹木も「調和」している。*命が「恵み」の形になるとき。植物は世界を閉じ込める。宇宙を閉じ込めた状態が「花」だ。宇宙のリズムのように幾何学的に調和して花は咲く。できるだけ「単純」でありたいかのように。ツクバネソウは私の山になにげなく咲いていた。草刈鎌の先に花があったよ。とても地味だけど、眺めれば眺めるほどにぢわぢわっと美しい。人はその想いを伝えるときに「**の花のように」と言うだろう。その言葉は伝わる。伝えようとした花には「それぞれの調和」があるから。命の「めぐみ」が調和する。それは花が咲くとき。調和が見えたらクリックしてね!人気blogランキングへ!!
2005年05月29日
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草刈鎌を持って歩いていたら、声がする。ニンゲンの声ではないよ。岩から水がしみだしている方からだ。そして、湿った土の中から次々に鳴きはじめた。声のするところに行って、地面を見ても何も見えない。土の中から鳴き声がする。くぉぉ。。くくくっ。くぁっ。くおっ。一匹鳴きはじめると、次から次へと森の中の合唱が始まった。土の下で。*今、蛙の声図鑑を聴いているとニホンアカガエルのようだ。水田の蛙の声は一般的に知られているけどね。森の蛙の声はちょっとブキミで奇妙な安らぎがあった。水亀さんから教えていただいた「鳥居」について考えていた。テキストではわからなかったから森の「現場」で。鳥の声を聞いて蛙の声を聴いていたら・・ん!もしやと思って調べはじめたら「鳥居」理解の糸口が見えてきました。水亀さんもとい水亀屋さん。いつもありがとうね。*菩提樹の木の下で休んでいたらスズメバチが飛んできた。どうやらおぃらが「巣」につかえそうかじろじろ見ている。立ち上がったら、びっくりして飛んでいった。土の中から声がする。くぁっ。くぁっ。ひゅ。 ぐおっ。草野心平は、森の中で土の中から響き木々に木霊するこの合唱を知っていた筈。また緑の花が咲いていた。それは、また、あ・し・た・明日にクリック!!人気blogランキングへ!
2005年05月28日
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バインダーの手帳には名前が並んでいる。携帯電話にも名前がある。違うのは携帯電話の名前は消してしまえばそれでおしまい。でも、手帳に書いた名前はなかなか消せない。10年前の手帳には沢山の名前の中に存在していた私がいる。今は手帳を捨てられない私がいる。藪を刈り払ったらいっせいに「小さな木」たちが芽を出してきた。実は、これには困った。一本それぞれにかわいいんだけど、思い切らないと、いつまでたっても、「広場」はできないからね。これは植木屋さんになるしかなぃ。ネットで来年から苗木を売ることにしよう。もちろん確定申告はするよ。((笑))小ぶりのスコップを買った。山の中をかついで歩くのにはちょうどいい。値段は980円。実はね。びっくりしたんだ。「こんなに安くてよいのでしょうか。」でも絵筆も鉛筆も安いけどね。高級画材を持っていてもよい絵が描けるわけでもないし。楽器もそうだね。よい料理をつくる人と同じ道具をそろえても同じ料理はできない。でも「消費生活」は上手に嘘をつく。沢山の高級品は並んでいるけど身につくものは自己満足だけ。無から有を生み出す人たちは初め「!」と驚く。つぎに彼らは「?」と思う。そして結論は・・無駄。土を耕作しないで生きている人。物を生産しない人。「創造」を忘れた人たちはいつも不安の中にいる。そこには、「満足」がないからね。創造者たちは「余り物」を市場にだして悠々としている。*長男が世話になっている家族のところに苗木を送った。キクロモジとタラノメの優良品種だよ。どうやら、クロモジの芽の天麩羅は家族を魅了したらしい。昔からの古いつきあいだったんだけどその家族は転勤の結果、今のところに落ち着いているらしい。その場所は大学に通う長男の学舎から歩いて3分ほどのところ。長男はパソコンやらゲームマシンで困ったことがあると「晩ご飯」をごちそうになりながらあれこれ指導しているようだ。先日、メールが届いた。「送っていただいた苗木はしっかり根付きました。」その家族の末娘は長男と同い年なんだけどね。偶然なのか必然なのか。それはわからない。でも数年後、毎年、春の天麩羅パーティーは約束された。私の手帳にあった名前の住所がひとつ変わった。携帯電話ににもPDFにも登録していない「家族」の住所がね。名前を書く行為は心に刻む行為に似ている。簡単に登録された名前はすぐに消える。でも愛された名前は・・なかなか消えない。クリックしてね。人気blogランキングへ!!
2005年05月27日
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おぃらね。はじめは楽天路線でアフェリエイトの商品日記書こうとしたんだけど、あまりにもつまらなくなったし、バウムさんみたいに商品おもしろ日記が書けるほどの才能がないので、「里山買ったぞ」路線に切り替えたのだわぁ。そぃで本当におすすめしたいものだけ「ちびっとおすすめ」に掲載して、あとは、日記に集中していたのね。で、今日、ひさしぶりに蓋をあけました。「うぁっ!4200ポイントも貯まってるぅ!」あーびっくりした。4200円の本が買えます。(笑)*律儀におぃらのページから定期的にホテル予約してくださってるあなた。ありがとうね。本を買ってくださってるあなたもありがとう。ぉお。パソコン買って下さった方。デジカメ買って下さった方。キッチンセット買って下さった方。梅塩ラーメン買って下さった方。皆さんに感謝!それだけじゃなくて、おぃらの生き方や考え方について、そっと「言葉」を拾って下さってる方々にも感謝。寒いね。ストーブつけちゃったよ。*何よりもこんなに沢山の人と出会えたことが嬉しいなぁ。おぃらのわけわかめ日記にコメントも嬉しいよ。ということで。今日は頭の休日にします。(笑)こっちも感謝人気blogランキングへ
2005年05月26日
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日が長くなったねぇ。夕方になっても日が沈まないよ。山の中には灌漑用の沼があってね。ちょろちょろ水が流れているのだわぁ。夜にはいろいろな打ち合わせがごちゃごちゃあるから一休み。風がふいて沼の面は小さく波立って緑を映してキラキラ。*夜のいろいろが長くなって、今帰ってきたら、次男が待っていた。ナマズに餌やったって。いつのまに釣ってきたの。気がつかなかったよ。そういえばキリの花が咲いたね。ナマズが釣れる季節だ。「おとうさん。」「ん・・」「また釣りに行こうよ海。」「そうだなぁ。」また、海でワカメ拾うか。湯を通すと褐色から、さっと緑に輝くワカメね。*水辺では沢山のことが攪拌されている。ゆっくりと。おぃらの頭の中にあるテキストも分断されつなげられていく。急ぐことはない。「恵み」について考えよう。*北斗七星がぐるっと回った。月がのぼりはじめたころ騒々しかった蛙は、今はおだやかに鳴いている。さてと。眠るよ。夢の中で水辺を歩くよ。暗黒から水色へ。そして豊饒へ。・・そういえば、あいつ。どうしたかな。クリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月25日
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「父の夢は宇宙を駆ける巨大な宇宙船を造ること。息子の夢は海を走る巨大なカヌーを造ること---」1983年ケネス・ブラウワー著「宇宙船とカヌー」。究極のアウトドアって宇宙だよ。もひとつ究極のアウトドアって空飛ぶカヌーで海を渡ることだよ。*おぃらがこの本を読んで「うむむっ。」っと思ったのは、息子のカヌーを造るダイソンがカヌーの曲線を計算するときに「円形計算尺」を使っていること。昔あったでそ。ニンゲンがちっちゃくなって、人の体内に入って治療して、ある一定時間内に戻らないともとの大きさに戻っちゃう映画。白黒だぞ。なんだっけ。わすれたけど、とにかく、その映画の中で時間を計算するのに小さい3寸ぐらいの計算尺使ってたのね。計算尺の計算がすばやかったぞ。宇宙船を空に浮かべた技術も計算尺からなんだぞー。あんたの持ってるパソコンは「アポロ計画」に使われたコンピュータより格段の性能なんだぞ。でも、その頃はみぃんな計算尺だったんだ。おぃらも計算尺使ってたの。そして、今でも「大体こんなもんだ」に円形計算尺は欠かせないのねん。100点取る必要はない。大体60点から80点あたりをぶらぶらしていればいいっていう「安らぎ」が計算尺にはあるね。あ。ちっと前までストロボには「計算尺」ついていたでそ。丸いやつ。あれだよ。アレ。*赤いカーソル線を動かしていたら、おや。。なんともなつかしい。おぃら独自の印があった。それはとても大切な「比」だった筈なんだけど。なんだっけ。*父親はNASAで「スペースコロニー計画」をたてている。でも息子の夢は父親といっしょに海をカヌーで渡ることだった。思い出したよ。おぃらが刻んだもの。「黄金分割比」だ。計算尺を覚えたときに計算尺には無い比を刻んだ。だからこの計算尺は「自分だけのもの」だよ。3/5=1.8/3 これが目で見てすぐわかるって快感だぞぉ。で、それがどうなるの・・って聞かれてもなぁ。100点は取れないけれど、失敗はしないな。計算尺があるかぎりはね。ところがパソコンだとね。ちっとした間違いが大失敗になるからね。*1974年のカヌー造船は圧巻。そして、そのカヌーが海に浮かぶだけじゃない。こいでいると海を「飛ぶ」ってのがステキだぁ~!!おぃら、科学ってステキだと思ったのは、素子を手作りしたゲルマニウムラジオを作ったときなんだけど、計算尺で手作りされた科学者の息子のカヌーもいいな。そうだよ。確率論と統計学があったではないの。エクセルのマトリックスの未来予想は失敗するかも。計算尺をぐるぐる回すと成功するかも。デジタルの基本はアナログだぞー。アナログ人間は思考停止しないぞぉ。クリックしてね。人気blogランキングへ!!
2005年05月24日
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「恐怖」は商売のネタだよ。キケンです。アブナイです。ネラワレてます。そして学校は、警備会社と契約して「安全です」をすりかえる。ランドセルに下がっているもの。これが安全を守るって。「バカ!!」「バカの壁」読みなさい。ランドセルに下げたらば、「見守ってます」が「監視してます」にすりかわって「ストーカーしてます。」ってことになるんだよー。山の学校は「へんなヤツ」の情報が流れるとビリビリっとして、同時に村もビリビリッとするよ。みぃんなケイタイ持って監視してるからなぁ。まったく、バカを相手にしてビジネスをさせるバカ。「ミズキちゃん」の安全はカネでは飼えないのっ。(誤変) おぃら、この季節はミズキの木を見るといつも清々するんだわ。「ぉお。咲いている。」ただそれだけなんだけどね。「みぃ~ずぅきちゃん!」安全に必要なのは「バカの壁」の導入だよーー。*ミズキはもちろん「こけし」の材料だよ。「こけし」とか「コマ」って子供相手の商売だった。でも、夢中になったのは大人のほうだったよ。値段も安かったしね。10円玉握って行く「お店」には舐めるのあったでしょ。あの細い紙で、できている。赤だと「あたり」で青だと「スカ」。オメ、しらねぇのかよ。わかったぞ、オメの正体「エイリアン」だな。ぷしゅっ。おぃらの記憶によれば「お子様ビジネス」は「スーパージェッターふりかけ」がその草分けではないかと思う。まるみやだぞ。ん!「鉄人28号ふりかけ」は記憶にないぞ。今は、永谷園の「お茶漬け」だけどね。どっちも「ごはん」相手だから強いぞ。更にぢぃさん、ばぁさんたちは、「買ってあげると喜ぶ」顔が見たくて、そぃで売る方も、「舐める10円」よりは「合体1万円」のほうが儲かる。儲けるために土曜日日曜日の夕方お子様番組は確保すべしになっちゃって、どうしたら、子供の欲望エクスタシーに火をつけて、普段は「くろがねの城」のように固いじぃさんばぁさんの財布からからカネを「流動化」できるか・・戦略室ができて参謀はサラリーマンの部長で(爆)*「あのさぁ。100人いるとその中に必ず一人か二人いるんだわ。蟲が好きな男の子、鳥の羽を集める女の子。アニメキャラより面白いってね。」つまらなそうにテレビ見ていたら、行ってごらんよ。蟲の会、花の会、鳥の会。元気なぢぢばばが大歓迎してくれるよ。そして、「名前」を覚えてもらったらもう安心。不動産に縛られず、職にも立場にも縛られずにましてお隣さんやセンセイにも縛られず鳥のように子育てができるといいね。ミズキちゃん。20年後には5歳になるよ。まだ「卵」だよ。クリックしてね。人気blogランキングへ!!
2005年05月23日
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日差しが強い。自動車の中は暑くなってきた。チャイルドシートの次男は、ぐずぐず泣きはじめた。もうすぐだよ。おうちに着くからね。声をかけたら次男はクルミの苗木になっていた。次男が生まれたときは、そりゃ嬉しかった。山の神は長男が生まれた後、一度流産を経験している。流産したときには指定された生理用品その他いろいろを、夜の開いている薬局やコンビニで買ったっけ。コンビニのおねぃさんは「ニヤッ」としたけど、こっちはそれどころじゃなかった。夜の道を自転車で病院に通ったよ。「卵の日」を経て出産のとき、抱き上げたとき、しっかりした体と骨を指で確認したとき。嬉しかった。そして、今日は山に初めて「植樹」する日。山を買って初めて木を植えるんだ。*「たのまれ仕事」は午前中でかたずけたからね。ぱた、ぱたっ。ぱたぱたっ。と。キーボードを叩く。B/S P/L C/Fがレーザープリンタから「しゅわっ!」と出たらおしまい。規程による直線的因果は結果した。(苦笑)*小さくて軽いスコップを持って山に入った。昨日目印をつけておいたところに、穴を掘った。ササや茨の根は表層を走っている。それよりも少し深いところに根を埋めた。人は箱の中で生まれ、箱の中で育ち、箱の中を移動し、箱の中の箱から価値を見いだし、箱の中でつくられた華やかさに酔い、箱の中で死んでいく。シュールな「安部公房の世界」は現実になってしまった。箱の人に、複雑な世界を複雑なまま心に置くことは無理かも知れない。そして複雑に花は咲く。結果は単純に。 ホオノキの花はマグノリア属だからモンレンやコブシの仲間だ。実はこの花を「見下ろした」写真もあるんだけど、場所がばればれだから「残念」にしておくよ。ホオノキの花を見下ろすと「贅沢」な気分になってしまう。・・・で、ホオノキの花は「食べられる」のかな。(笑)箱の中のあなたへ。また明日から箱で目覚めて箱の中を移動して箱から箱をのぞきこみ箱の仕事をするかもしれない。でも、そのときに風をおくるよ。ホオノキの花に子守歌を歌う。まだ雪が融けていない山の風歌。風を受けたらクリックしてね!人気blogランキングへ「ぽぃ」
2005年05月22日
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山の尾根にはもうひとつの「道」がある。五万分の一の地図を見ると、まだ山脈の枝の一つでしかないことがわかる。サルやカモシカがいつも歩いている道に風が通り抜ける。そして道は守られてきた。その道に立つために登った。*たかが200メートル程なのに気候が一週間違う。「こもれび広場」ではイカリソウが花を散らして葉が伸びているのに尾根ではまだ咲いている。川が運ぶ気流の魔法に動物たちもついてくるのだろう。尾根で一休みしていたら、ニホンザルが現れた。こっちは気流の中で、蟲も顔をめがけて来ないからくつろいで横になっていた。しばらく休んで立ち上がったら、ニホンザルは「なんだよオメ。いたならおしえろ。」そんな顔をして森に消えていった。デジカメ?忘れた。(爆)*むこうから「ぼっぼっ。」と声がする。オオコノハズクだろうか。オオルリとキビタキの声がにぎやかだ。サシバは足音に敏感なのだろう。ある一箇所に足をつけると「ピッツピー」を繰り返す。まだ、誰も知らない「脈」が場所と木と鳥たちにあるのだろう。今知りたいのは、クルミを植える場所の「脈」だ。*ふと、足元を見れば木の皮があった。「もしやこれは・・」だよ。冬を越えた木の皮はボロボロになっている。しかし、皮にはしっかり繊維が残っている。見上げて葉を見るとオヒョウではない。ハルニレでもない。しかし、糸にして編むことができる繊維だ。ちっと疲れていてね。調べる余裕がないよ。(苦笑)見上げると途中まで太いけど、樹冠がフジにからまれていた。隣のイタヤカエデは幼木の頃から幹に食い込んでいる。昨日買った手ノコで、ぎこぎこぷつっと、直径20cm程のフジの幹を切った。新たな昆虫と菌類の循環が生まれるだろう。「清々と伸びろ。呪いは切った。」幹を叩いて声をかけた。*クルミを植える場所を探してまたうろうろしていたら、「スミナガシ」が現れた。♂だ。生まれて間もない羽をしている。今、この時期にスミナガシか・・早すぎはしないだろうか。何度も歩き回った結果、決まった。日向の若々しい植物たちがいる場所だ。よしよし。すべてよし。*安心して家に帰る途中で携帯電話がピラリラ~。おぃらを時給1400円で雇ってるところから。「外部に出す決算説明資料はありがとう。月曜日に内部説明するから資料つくってくれ・・」あ・の・な・・・(爆)そもそも、「事務職員」の「事務」とは何かわかんないからこんなことになるんだよ。それにあんたも「抱え込」んで「褒められたい」が多すぎるからそうなるの。まして時給職員以外の有給職員を放置してるからこうなるの。ま、いいや。ニホンザルがしていたように、空の匂いを嗅ぐ。雨はまだだ。午前中だけだぞ。あとはしらねぇぞ。爆!!カクっとクリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月21日
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明日はまた晴れる。雨が降ってこない。降ってはいるがほんの少し。もし、奥羽山脈の雪の天然ダムがなかったらこのあたり一面枯れているだろう。岩の裂け目からはまだ水がにじみ出ている。そして石灰岩層の地下には、水が流れている。*ある日、誰も入らない奥地で山が半分崩れているのを見た。山はチョークのようにまっしろだった。つまり、ここは大昔には珊瑚礁だったってこと。人がいなければ被害もないからニュースにもならない大きな崩落だった。*明日、山ですることをひとつひとつ確認する。1.縄張り宣言の紐をはずすこと。2.クルミの苗を植える場所の再確認。3.草刈機を入れるポイント確認。4.そろそろウスバシロチョウが出そうだからデジカメの電池確認。暑くなったら昼寝。午後に川が運ぶ風が強くなったら5.伐採された倒木の整理。・・・実は、倒木の整理が一番大変。1年ぐらいほったらかしにすれば少しは腐ってくれるだろうと思ったら・・クリはすごく硬いっす。特にクリの根は芸術品です。腐りません。チェンソーでやっと切りましたが、煙がたちました。一方、スギは簡単に腐ってくれます。チェンソーだと包丁で大根を切る感じです。*ヨーロッパは氷河期に完全に氷河で覆われたため樹木の種類が少ないと聞きました。一方日本は、目の前にある豊かな素材が昭和30年頃まで縄文時代から受け継がれていたのですが、そんなことに価値を見出せないようです。*昨日、柿の花を眺めていたら、隣の竹やぶで誰かさんがタケノコをとっていました。北斜面だと今が旬。おそらくカッコウが来たチベットでは、「春が一週間で今日から夏」という天候だったろう。おいらが見上げる山もまだ雪が残っている。だからスタッドレスタイヤのままだ。*ミラレパの詩は、「めざめ」がない人に理解されるか。悲しむ。その語る場所がわかるだけになおさら。*エデンの庭の「結果の美」だけを得ようとしても与えられない。まして、「イミテーション」を再生しようとしても得られないだろう。ネオ・エデン計画は、「呪いが讃美になる」計画だから。だから失われた足音を「山の木々に」聞かせなければならない。はやく、あしたに、なぁれっ!!クリックしてね。人気blogランキングへ!
2005年05月20日
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柿の花が咲きました。首飾りにしませんかぁ~☆「花の首飾り」、歌えますかぁ~*5月15日から(実はそれ以前から)続けていた水亀さんとの対話は、どうやら「もう一人の私」を生み出したようです。40代半ばにしてまさかチベット密教がこれほど親しく感じられるとは思ってもみませんでした。そして人類が少年少女時代のうちに「通過儀礼」させる意味も見えてきました。多分、私は少年のうちに「般若心経」を暗唱(暗記でないよ)していて知らないうちに密教をしていたんだろうと思います。その過程については確信はもてませんけどね。でも確実にカッコウが頭の中で歌ってるんですぅ~((笑))ちょっと困ったことがおきました。身のまわりのものが「あれもいらない、これもいらない」になってきたんですネ。特に本の山が・・(爆)それともぅひとつ。書こうかどうしようか迷いましたが「鳥葬」がとても美しい光景に見えてきたということです。*インドでもどこでも人がいて花があるところには「花の首飾り」柿の花、最近見てますかぁ。美しいですよ。首飾り作ってますか。作ってあげたい人いますかぁ((笑))。*NHKで「バチカン」放送していたから、「バチカンの庭園と森」も放送してくれるのかと思ったら。ざむねん。「伝えたいこと」の内に入っていなかったようです。そしてなぜPAPAなのか・・それも無くてざむねん。「目にみえるものしか信じない」と・・この先は言うまい。多分、伊勢神宮とバチカンは同じことになってるよ。もう一度自分に問い直してみるよ。なぜ「こもれび広場」なのか。深いところから木霊が返ってくる「人は草原の生物だったから」更に問い直す。「広場にしていいのか」また木霊が返ってくる。「いいよ。鳥たちが種を蒔く場所になるから。里山の「子宮」だからね。」「里山を買ってネオ・エデンにするのは何のため?」・・・「私と、であった人が幸福になるため。」*もう一本の木が決まった。「ヤマガキ」。実はとても小さい。でも谷底に植えると柿渋がとりやすい。場所は鳥たちの巣の近くに。先日草刈していたら、雛が「ひぇ~ん!」と泣いていたあそこだ。取れた柿渋で、花の「ろうけつ染め」しようか。「ハゼ」の木も鳥が種を蒔いてくれたからあるよ。何を描こうか。うふふ。あけびとまつたけにしよう。あの歌も「密教」だから(爆)わかってもわからなくともクリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月19日
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爪を整えてみる。Gパンでこする。バリを取るために。そして弦の上に置く。弾いてみる。指は、あの曲を覚えているだろうか。*はじめ、ケルティックハープの曲はスチール弦で日本に紹介された。あの人は、パトリック・ボールって名前だった。ちょうどその頃、ガット弦でケルトのハープを弾いた人たちがいた。歌いながら弾いた人たちもいたし、自作の曲を紹介する人もいた。その作品のひとつが「Change like the Moon」だ。CDのカバーを開けると、伝説が2つ併記してある。一つはケルトの昔話。もう一つは「天の羽衣伝説」だよ。演奏したイギリスの人は「おもしろいでしょ」と音に乗せてメッセージを発信した。旦那(ドナー)になってね。*ルバート、トレモロ、ハーモニクスなどの奏法を駆使している。最小限にチェロが参加している。とてもシンプルで、一音ごとに花が開くような演奏だった。それから20年以上すぎて、アニメからハープの音が聞えてきた。「よんでいるむねの・・」*爪でギターの弦を弾いてみる。ギターの名は「サクライ」。まだこのギターの出せる音を出し切っていない。もうひとつのギターはクロサワの「ギグパッカー」。麦藁帽子をかぶって散歩して、弾きたいところで弾くのに良いギターだ。こいつにさわるのは1年ぶりだ。上馬正直堂もある。ピッチがちょっと狂ってるけど、ルネッサンスのギター(リュート)曲が安直に弾けるので「おきにいり。」*Change like the Moon大気が変わった。花の季節が終わり、葉の季節がゆき、雨の季節が来る。弦を弾くように、切り株から出た枝を落とす。里山の「荒れた地」が永続する音楽になるように。*「成功は成功のもと」ではない。「失敗が成功のもと」なんだ。だから、「失敗から徹底的に学ばない」人々に決して「成功」は無い。途中まで弾いて忘れた音をもう一度探す。*失敗を恐れる人はチャレンジしない。盗む者に無限からの答えはおとずれないだろう。*成功した森は朗らかだ。はじけるように歌っている。人工林のように沈黙していない。おぃらもギターを背負っていっしょに歌うよ。キリエは終わった。次はグローリアだ!!人気blogランキングへ
2005年05月18日
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「手ノコ」買わなくちゃ。今持ってるやつは、「お庭」用だから「藪の切り開き」には向かない。もう何件店をまわっただろう。「ゴムボーイ」はいいんだけど、落としたら捜すのが大変。赤いやつがいいな。最近は「買う」ことに対してとても慎重になっている。以前は「買い散らかし」「食い散らかし」だったんだけど、3000円しないノコギリ一つ買うのにも、「おぃらの人生、このノコギリにかけていいのかぃ。」なんて思うんだよ。*山を買って100年が「見える」まで3年かかったよ。はじめは、「オマエノナマエヲオシエテオクレ・・」と植物と木々に呼びかけて1年。一年間の推移を見ながら動物や鳥たちがどのように歩いているのかを見るのに1年。植物と動物と昆虫と鳥と花と人間が調和して調和し続ける場所に構想に1年。それは、今、そこに何があるかではなくて、「何が無いのか!」から始まる。たとえばネムノキは全く無い。コシアブラも3本しかない。薪炭と樹木栽培に特化していた証拠だ。それにもかかわらず他の地域では絶滅してしまったものや菌類となかよしなツチアケビがいる。これは「なぜ」か。*一人だから3年かかったのかねぇ。いや。誠実に生命と対話するためには「名前をつけて名前を呼び続け」なくちゃいけない。創世記のようにね。10人いても作業に変わりはないよ。そしてある日見えなかったものが見えてくる。「命はつづいている」から。植物と動物と鳥と菌類と人と。その関係が「仕掛け」になっていて「仕掛け」を使えば快適な森であり続ける。これが本来の森の「園芸」だ。そして園芸は当然文化だ。ワインが文化なようにね。*夕日に水田がきれいだったよ。この「稲作」を発見した人に感謝しなくちゃいけない。メコン川イワラジ川上流地域にはヤポニカ米とインディカ米の故郷がある。そして蛙の声はきれいだ。永遠を語るように。蛙の声を聞いているとおぃらは日本人である以前に地球人だって言いたいよ。あの年、ヤポニカ米とインディカ米を混ぜたエイリアンにね。クリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月17日
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朝、ふがぁ~と起きて二日酔いの頭をとんとんしながら玄関に行ったら。お! 造園屋さんご紹介の「クルミの苗」が届いてるぅ。ふ○○さん、ありがとうね。へーこれが「カシクルミ」かぃ。おぃら、牧野植物図鑑にも原色樹木大図鑑にもなかったから気づかなかった。カシクルミをぐぐってみたら。おぉ。縄文から日本(にっぽん)にあるのですね。なぁるほど。でも、ちっとまてよ。*葉を観察。これは「セイヨウクルミ」の葉である。偶然の一致かな。それとも・・もしや・・だよ。カシクルミは簡単に手で割れるとページには書いてある。こういう種類は「イブの子供たち」が世界に散らばるとき、その途上でみつけて、ずーっと持ち歩いて来たのかもしれない。一方は西洋にいってクロマニヨン人が、もう一方は縄文人が持ちあるいた。可能性はあるかな。でも、植物は変異が大きいから遺伝子レベルで解析しないとわからないけどね。*「タラノメドロボー!!」事件以来、何かいい方法はないかぃなって思ってたんだ。おいらが一番したくないこと。入り口に紐でとうせんぼしたんだよ。そいで、昨日、酔っ払って壊したハンガー直すのに100円ショップに行ったらら。むむむぅ~これこれっ!山を「町の中」にしてしまえばいいんだわぁ。*山の人たち、爆笑するべなぁ。パトカーのマーク入り「万引き見かけたら即通報」そーなんだよ。山の中でも他人の土地に入って盗んだら「万引き」だからね。もう一個めっけた。「防犯カメラ動作中(録画)」この隣に「インターネット【IPV6】」って書いておくべ。ま、山の人と相談して決まったらそうするけどね。ネオエデンがライブドアだから。(苦笑)*さてと。植える場所だ。クルミはイチョウと同じで「強烈な排他的物質」のを出す植物だから。これで笹薮を枯らそう。カミキリムシいたっけ。(苦笑)おいらはね。わざと道路の脇に植えたいの。そうすると、「万引き」でもないし「落としものを拾った」ことになるし、落し物の価値は「届け出る」ほどの価値ではない。たぶん、10年後、実をつけたら山の人たちはこの実を拾って、割りやすくて食べておいしかったら、また種を拾って自分の山に植えるよ。そして、いい足音をしている人のところから、また別な「いい品種」が生まれる。子供たちは、数万年そうしていたように、いや「くるみ割り人形」を持つ子供たちはみぃんなクルミの実を火であぶる。そして、あっちっちの実をふーふーしながら、「ぱきっ!」と実を割るんだ。都市の人はそんなエデンの記憶も忘れているかもしれないけどね。記憶は「山の人」に守られて、数万年そうだったように、これからも数万年「おいしいしあわせ」が広がっていくよ。*あ。造園屋さんありがとう。おぃらが願っていた以上の苗木だったよ。実が落ちたらね、「ヤマトカケル」って名前を書いて沢に放り込んでおくの。一冬越えるときれいになってるから。もちろんアレだよ。ぜーんぶ拾わないで、リスさんとネズミさんともわけあうんだ。グローバルな大企業が簡単に倒産する。それはリスさんとネズミさんを忘れたからだよ。場所は決まった。山の人たちは沢水を飲んでいる。そこは、地元の人以外、本来は立ち入り禁止のところ。そして日々交代で沢水の取水口を監視している。監視のためだけの道路がある。その目の前だ。受ける者より与える者は幸いだからね。人気blogランキングへ。
2005年05月16日
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めぐちゃん、おぃら、どうすればいいんだい?ん・・今年は焼き鳥屋さんをすればいのね。でわでわ、焼き鳥屋さんになります。*スズメの雛の声がちゅんちゅん。だんだん力強くなってきた。巣立ちはもうすぐだね。今日は野外で「親子でつどう会」だよ。ん。。やきそばもかぃ。それは、あっちのおにぃさんにお願いしてね。*え~とね。まずはがんがん炭火おこしてね。そうしないと、外はかりっと中はしっとりした焼き鳥にならないの。うちわでぱたぱた。これが大事なんだ。よーし炭火は熾ったぞ。そして、ぱたぱたしながらだよ。灰を飛ばしながら焼くんだ。*めぐちゃん、いくつになったっけ。え゛。もう22歳かぁ。はやいもんだねぇ。めぐちゃんがダウン症で生まれたとき、美人のお母さんは、覚悟したんだ。ぱたぱたぱた。幼稚園に行くときはいつもいっしょだったし、帰る時間になってもずーっといっしょだったよ。先生方が帰る時間になって夕日がしずむころ、いっしょにかえっていたんだよ。おっと、片面焼けたかな。*めぐちゃんは、よく「あたし、しあわせ」っていうけど、その言葉を聞くと、おぃらもシアワセになれるんだ。めぐちゃんは、はじめか症状がはっきりしてて両親が「覚悟」したからよかったけど、そうでない子供たちもいっぱいいるんだよ。いつも親は思ってるんだ。「なぜこの子はだめなんだろう」って。いろいろな障害が表面に現れないで潜在している人たちって多いんだよ。教室で人数決められて規格化された教育についていけないのがどうしていけないんだろね。ぱた・ぱたぱた。でもね。おっと、やけてきたぞ。塩にするかぃ。タレにするかぃ。*こっちは塩にしようか。あっちはタレね。親が覚悟して認めないと先に進まないんだ。そして決まらないまま大人になっちゃって、どうしたらいいかわからなくなっていることって多いんだよ。めぐちゃんみたいに「あたし、しあわせ」って言えないひとたちがね。おっとここでタレを火に落とすからね。塩でも煙の香りをちびっとつけるとおいしいんだ。うぁぁ。けむい。涙がぽたぺた。やきとりにおっこちる。これじゃ涙の下味になっちゃうよ。ぃぃかい。塩はね。ふりかけるんじゃなくて「打ち付ける」んだ。そうするとかりっとしたところに尖がった塩味がつくからね。びしっ。びしっとだぞ。そうそう。びしっとだ。ぱたぱたぱた。塩が油になじんだらできあがりだぞ。よっしゃぁ!できあがりっ。いそげ。いそげ。いそいでたべろーめぐちゃん、あれ、きかせておくれよ。「あたし、しあわせ」ありがとう!さあ、次焼くぞん。こんなところに泡だつものが・ん!お米のジュースもかよ飲んで食って、おなかたっぷり。え゛今度は二次会かよ。ふがぁ~(泣)人気blogランキングへ!!
2005年05月15日
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がーーー知的障害者の親の歌詞の実さんと皆さんときょうはぺんてこすて。がーーつぶれました。人気blogランキングへ
2005年05月15日
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「むずかしいんだよ。赤い花を維持するのが。」彼は、赤い蕎麦の花を育てている。「蟲だねぇ。」「んだ。蟲だよ。」花粉が赤い蕎麦の花の種を白い蕎麦の種にしてしまう。「めんどくさくなくて、いい方法はねぇだろうか。」「蟲がいねぇ場所だべ。」「どこよ。」「山のてっぺんよ。(爆)」* こっちはまっしろだけどね。撮影した場所は忘れっちまった。*近くで鷹を見た。その鷹も忘れた。*明日は、また山にいくぞ・・とおもったら、電話がぷるんぷるん。。知的障害者の親の会の人から。今回はHELPでなかったよ。・・焼き鳥パーティーするんだ。炭火おこしてくれ。つもる話しもあるから。な。な。火おこしてくれ。ふがぁ。しゃむない。行くよ。。人気blogランキングへ!
2005年05月14日
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私の心の中で少女が泣いていてる。泣きながら叫んでいる。「世界中のみんなが醜くなってしまえばいい。そうなれば私は醜くなくなる。」私の心の中の少女に語りかけたよ。映画「エレファントマン」を見るんだ。最後まで。目を閉じないで。これは、「同情するならカネをくれ」の物語ではないよ。どこまで人は醜くなれるか醜く生まれた少女はどのように生きるかというお話しだ。少女と少年をすりかえていないよ。本質は同じだから。*「大戦略」と「シムシティ」には、はまったよ。ところが大戦略は「原爆ボタン」の裏技を覚えたら急につまらなくなった。そしてシムシティは、放置しても「完全に成長している」状態になったときにつまらなくなった。おぃらのゲーム歴はそれでおしまい。リアルな戦略とリアルなシティに裏技ボタンはない。もし、裏技があったとしたら対空母潜水艦が持っている海図のように「ヒミツ」にしなくちゃいけないからね。*私の心の中にはサタンもいる。サタンは私を嘲笑している。石をパンに変えるように。私は心のサタンに言う。「おまえはコウホネクイハムシを知らないのか!」すべてを知っているサタンは言う。「コウホネ、オゼコウホネを食べるコウホネクイハムシは、簡単に絶滅できる。魂をなくした人にさせればいい。コウホネクイハムシは都市に住む人。コウホネはそこに住む人のステージだ。」「うけけ・・」と笑ってサタンは消えた。都市は多様に分化した生命ステージの「かりそめの姿」でしかない。シムシティのようにいくつも生まれていくつも消えていった。*「受胎告知」の絵があったから、絵から「テッポウユリ」をとりだして少女に渡した。今日は13日の金曜日。愛する我が子が目の前で処刑された。十字架の上で。「私は美しい」だろうか。都市の中で。リカちゃん人形がなかった頃は「こけし」をおんぶしたんだ。母になる準備をするために。その頃は、世界で一番美しいのは誰。シンデレラランキングをクリックする必要はなかった。鏡がなかったからね。(笑)「私の心の中で少女が泣いている。場所は泉のほとり。」10年以上前のこと。そう言ったとき牧師婦人はぶるぶるっと震えた。*心に花を置くといいよ。気に入った「花言葉」をもつ花がいい。ネイティブインディアンがしたように魂を動物に移して心に花を置くと・・もちろん泥沼に咲く蓮の花でもいいよ。*時のむこうがわにいる私は世界が醜くなることを願っている少女に、受胎告知のユリの花を渡した。その花言葉は・・・わかってるでしょっ。(笑)人気blogランキングへ
2005年05月13日
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水亀さん。ずーっと5月8日から考えていてくれてありがとうね。実は、おぃらもずーっと5月8日から考えていたのだわぁ。山の藪の中に見つけた道から聞えた足音、「日本語圏」の人に通じるだろうかってね。*電車に乗るときは、「並ばなくちゃ」いけない。そして始発のホームだったら、電車が到着したら「席の奪い合い」が始まる。そういえば、「譲り合う」人たちって2~3回しか見たことがないなぁ。携帯電話は禁止だし「妊娠中の席」は無い。必要なのはシルバーシートだけじゃないよ。そして電車に乗るおぃらは「詰め込まれている」。ここはホロコーストだ。妊婦に席を譲る「電車男」はいないからね。もし電車の中で、「主よ、罪深い私を許して下さい。」と大声で泣いたら、この国の都市ではどうなるだろう。多分、だれも知らん顔をしている。「うるせーから黙れ!」と怒鳴る人はいるだろうけど。では同じことを、イタリアの田舎でイギリスの田舎でしたらどうなるだろう。必ず誰かが現れる。そしてその内何人かは言うだろう。「あなたの罪をあがなわれたキリストのためにいっしょに祈りましょう。そして教会に行きましょう。」ってね。これは倫理、道徳の問題ではないんだよ。誰にでも生まれながら「罪」がある。それは「アダム」と「イブ」の子孫だから。「聖なる神」は罪を罰する。その罪をキリストは十字架であなたの代わりに受けて死んだ。そして復活して「今も生きている!」。だから罪に泣く人をみかけたら「罪のこの世」に生きている私は「生きているキリスト」がいる教会に連れていかなくちゃいけない。もしくは二人で祈って教会になってしまうおう。クリスチャンは「倫理社会を勉強して」クリスチャンになったわけじゃない。ミニマムなコミュニティーで育てられて、または「電車の中で罪に泣いて」クリスチャンになった。「キリストが今も生きている!」そんなことあるわけ無いと思うかも知れない。でも「世界のキリスト教徒の数」を調べてごらん。彼らは皆「生まれながらある私の罪」も「復活したイエス」も信じている。*映画「AI」は「永遠に愛し続ける」ための少年ロボットの物語だね。そしてその下敷きになっているのはもちろん「ピノキオ」。ピノキオってどんなお話か覚えているよね。木の人形に「魂」が宿って「人間」になるお話しだ。でも、本当はピノキオはそんなお話なんかじゃないよ。ピノキオには自分では知らないうちに「魂」があって「罪」があるあなたで「聖書」にある様々なあの「出来事」を体験して「無原罪」なマリア様のとりなしを得て、黙示録の怒りの日を経て「復活した体になる」あなたの物語だ。ピノキオのお話しの一つひとつは、あなたのための「祈り」なんだ。もう一度読んでごらん。作者の「祈りの声」が聞えるから。*5月8日の日記はおぃらにとって「特別な日」の記録だよ。山の中で「失われた道」をみつけたけど、もうひとつの道は「ホロコースト」への道だったからね。なぜドイツでなんだろう。その精神は・・。ずーっと考えていたよ。たしかにドイツは沢山の国が一つになって二つになってまた一つになったかも知れない。でもウェーバーを読まなかったらわからなかった。それは農地や技術の継承権を得られなくて都市に住むようになった「コミュニティー」出身の特にプロテスタントの人たちが見えたから。彼らは「日々の糧」を得るため必死だったけど「炭を売って得た現金収入を」分かち合うときにはお祈りしてからした筈だ。十戒のひとつ。「奪ってはならない」ように。分かち合っているうちはよかった。そこに「崇高なゲルマン民族」の「教会」で聞いたことのある、あのお話をすりかえたメッセージが語られた。この「すりかえ」はとても重要だ。その結果彼らに「魂」は無い。だから奪っていい。「処分」していいことになった。論理的にね。おぃらの弟は「西ドイツ」から帰って来たときアウシュビッツの話しをしてくれた。人の肌に刺青をしてランプの傘にして脂肪は石鹸にして。でも弟の衝撃は「人間の製品」ではなくその過程にあった。そこには「魂の無い人を処理するマニュアル」があった!きちんと細かく丁寧な「ドイツ製品」のようなマニュアルだったらしい。*水亀さん。八百万の神がいたこの国は「わかちあう」ことはしないで「奪いあう」国になっちゃったね。「奪いかた」は何をどのようにかはそれぞれだろうけど「国会」の裏側は「政治力とは予算奪取(ダッシュ)能力である」とか「簡単な税金の奪いかたマニュアル」があるような気がしてならない。誰から奪ってるって「未来の人」からだよ。国の「借金時計」返済マニュアルは誰も作ろうとしない。確かに簡単マニュアルが売れ筋だね。ファミコン世代の教師は何を教えるのだろう。「人を人と思わない」小さな事件が多発しているね。「処分」された少年少女は「処分」することを覚える。その親たちも。小さな「処分」がこの国では「アウシュビッツ」になる可能性が大きい。いや。もうその中にいるのかもしれない。八百万の神の末裔は結論だけを簡単にマニュアル化して結果を得ようとしているから。マニュアル化されればマニュアル化して「餌」を作る。コンビニの「餌」に「いただきます」はいらない。そこには、つくってくれた人への「うっとうしい」労苦への感謝は無いからね。労苦は原価計算して企業努力して「カネ」で買われたものだから。*「あなたは貴い。私はあなたの名を呼ぶ。」おぃらはまず、タラノメに呼びかけた。トゲがない姿に意思があるように思うから。「ネオ・エデン」で次々に名前を呼び続けた。メグスリノキ、ハリギリ、サンショウ、クロモジ、モミ、イタヤカエデ、ホオノキ・・・なぜ「名前」を呼ぶかって?対話するためだよ。テキストの「文字」情報だけが「山の人」を語ってはいない。植物たちは「山の人」の足音を話してくれることがわかったからね。だから5月8日は「特別な日」。*千の目を持つ存在になりたかった水亀さん。答えは1.2.3.4.のどれだったろうか。どれでもなかったらごめんなさい。「原罪」を書けたか自信ないなぁ。クリックしてね。。人気blogランキングへ
2005年05月12日
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造園屋さんに教えていただいたところに電話しました。銀色のくるみ。手でも割れるやわらかいやつ。ぅうむ。むずかしそうです。ありがとうね。造園屋さん。ふ○○さん。いい人ですね。調べてくださるそうです。*azzurra10さんが、昨日、「風」の話しをしてくれたけど、大切なことを忘れていたよ。それは、Brother wind and Sister airopen my eyes to Vision pure and fairこれは、ドノバンの Brother sun Sister moon の2番目の歌詞の冒頭にある。兄である風よ妹なる大気よ私の目を開いて。ビジョンが見えるように・・*高校3年生の夏、ある寺に一泊した。そのとき、江戸時代かもしれない「地獄絵図」が虫干しされていた。旅する画家は、寺を巡り、○○から紹介を受けた○○で、おたのみしたい。とかいって、寺で食を得て絵の具を「もったいなく」使って墨を使って「地獄漫画」を描いた。すごい迫力だったよ。彼は地獄ではなく「この世」を描いた。その頃私にとって絵とは見るものではなく「読む」ものだった。まだ知られていない旅する絵師は確かにいた。*祭りのとき、少年の私は太い筆で一筆でぐいぐいと龍を描く絵師の前にいた。「ここは、子供の来るところでねぇ!」そう言って、目を金色に染めていた。万の龍の鱗を一筆でじわじわと描くのは芸術家である以前に「職人」だった。そしてレンブラントの絵は「レンブラント工房」の絵だ。レンブラントと弟子たちとでは明らかに筆のタッチが違う。筆にそよぐ風がね。*「根気」か「気合」かそれとも「才能」か。大江健三郎の文章を読むとこんな表現のしかた、こんな書き方があったのかと何度も唸ってしまう。こつこつと、原稿用紙の升目に一文字づつ書き写して埋めたくなる表現に「そうだったのか」と「言葉の美」を感じる。世話になった人が退職するときに私に渡されたものは「筆ペン」だった。気に入った短歌や俳句を見ると書いてみる。スケッチも筆ペンでしてみる。そうするとね。見えなかった光や風が見えるんだ。「メモとは忘れるためにするもの」それは正解だろう。でも、光と風にであったとき、デジカメでは忘れてしまうかもしれないもの。紙と筆はへたっぴでも記憶はリアルになる。*山の人たちは歩いて地図を作った。「古地図」と呼ばれるもの。炭の商人たちはそれをたよりにしていた。明治政府は集めた。そして焼き捨てた。所有権を国家のものにするために、そして多くの「道」が消えた。しかし、植物たちはその道の記憶をしっかり残している。私が見つけた道のように。*open my eyes to Vision pure and fair風はイジワルかもしれない。求めようとした人にだけ見せてくれるから。*◆いのちもてひとに恋せり思ひきり梢豊かにさやぐ葉桜◆橋本喜典作者は従軍の後、サナトリウムで詠んだらしい。それで、フランチェスコとキアラは・・謎のままにしておこうね。羊が歩いた跡は毒草が残る。毒の花園で二人は Vision pure and fair クリックしてね。人気blogランキングへ!
2005年05月11日
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人は飛行機で飛べる。そして歩くことができる。しかし、谷ごとに「閉じ込められた」生物がいる。オサムシ、カタツムリなど。オサムシやカタツムリそしてナメクジなどをゲノム解析すれば外見の形質からは見えない連鎖が出てくるかもしれない。それは、動物に限らない。マムシグサやシラネアオイも「旅に出ない」で、谷や山ごとに変異している。シラネアオイは一属一種で日本特産。他の国には無い。 山を買って嬉しかったこと。それは、ピンクのシラネアオイが咲いていたこと。融雪の頃、小さく咲いて立ち上がる。*毎日2箱吸っていたタバコが0になった。また病院に行ってニコチンパッチの処方箋を貰うよ。私は谷に閉じ込められているのかも知れない。しかし、目的が明確になれば意思が現れる。鬱がひどかったとき、もうあの山には登れないと思っていた。雪が残る青い山を見上げる。13歳の私が初めて登ったあの山にもう一度私は登る。一面ハイマツのあの山だ。今日のように風が強い日は火山礫が飛んで来た。0+∞=∞だから。*毎日、「水」を飲んでるよ。タバコをやめたら酒もやめよう。そんな話しをしていたら彼女は言った。「カケルさん、透明になっちゃうんですかぁ~。」時間はビッグバンから生まれて拡散する。そして臨界に達した時、収束する。死んだ私はエゼキエル書にあるように骨からよみがえる。そして子宮への「死」に向かう。この世界の夢幻。魂だけになって時空を越えた私は今の私をどう見ているのだろう。谷底にあるのか。それともあの青い山に咲く花の隣だろうか。クリックしてね!!人気blogランキングへ
2005年05月10日
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すみませーん。まちがって注文しました。だれか食べてくださーい。でも、もう昼ごはんは食べちゃった。夕方に食べるから置いてください。人数の多い職場だと「出前やら弁当」の数に間違いがどうしても出てしまう。夕方、山の神に「晩御飯たべないよ。」と携帯メールして仕事を継続した。「個人情報保護法」。法を読まずに形式に走ると悲劇が待っているかも知れない。連絡網のない学級とかね。*夕方になって、「あまりもの」の親子丼をいただいたら。ん?。卵に太いミツバが上手に閉じ込めてある。このミツバ。立派だぞ。おぃらの山のやつみたいだ。あれれ・・今の図鑑には「ウシミツバ」ってないのかよ。軟化栽培していないなぁ。うまうま。*せり科の植物の多くはエジプトの古くからニンゲンが好きだった。ハーブにはシソ科とセリ科が多い。セリ科って、自動車じゃないよ。(爆)*長男のところに「光」が来たらしい。プロバイダとIDとパスワードがわからないと泣きそうな声で携帯で言っている。あのな。手順をよく読め。「ほにゃららをほにゃほにゃして、ほゃして。ほにゃしろ。」「ほにゃした。」「そしたら、パスワード入れなおせ。ほにゃだ。」「んーと。これわ。。」「言ったとおりにしなさい。ほゃをほにゃするのっ!」「つながったーー!」メッセ立てろ。今の手順書いておけ。「ぷち☆」MSN Messenger が「ビン!」と立ち上がった。*きーーん。がうがう。ハウリングしてる。つながったなぁ。これで時間を気にして話しする必要もない。何時間でもゆっくりな。ん。おめ。部屋に誰かいるなぁ~!「あっあのー」「はじめまして。おともだちですかぁ。」「はい、アパートの下の部屋です。」「よろしくね。」「よろしくお願いします。で、どちらからですかぁ。」「愛媛県です。」「はぁ~。みかんですねぇ。」「はぃ~。」*聴覚は視覚に至上する。そんなことを障害に関する本で読んだことがあったっけ。ま。とにかくリアルにつながった。山の神とメッセンジャーでつないだら。鼻息が荒いよ。(爆)マイクもっと、はなせー。。(笑)長男と山の神はメッセンジャーでつながった。もう、「どうしてるんだろうね。」とは言わないだろう。*水の流れはワサビに。ワサビの隣にはヤマワサビ。その隣にはミツバだな。よし。スケッチブックに書いておこう。まだクロッキーだ。デッサンにはなっていない。スコップで水の流れを変えよう。樹木と植物と鳥と動物たちが賛歌するデザイン。そこに生命の歴史の旅人である私がいる。里山は「人の足音」がするところだ。親子丼にミツバがなかったら淋しいよ。「声」が聞こえないと淋しいようにね。ああ。メッセンジャーで怒鳴ってるぅ。山の神は怖いぞぉ。(笑)クリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月09日
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「こもれび広場」予定地の笹と茨の刈り込みは終わった。剪定鋏を持って上に行こう。鎌よりも剪定鋏は確実に目的を捕らえる。クマザサの芽を抜き、茨の藪に鋏を入れながら歌う。Day by day stone by stoneそして続きは・・なんだっけ。手ノコギリの切れ味が悪くなっている。クマイチゴの根に当てて2~3回引いて倒す。そんなことをブヨに刺されながら繰り返した。ギコギコとブヨまみれ汗まみれで登って行ったら、炭焼き窯がまた出てきた。一体、この山にはいくつの炭焼き窯があったんだろう。窯の大きさは運べる人の人数で決まる。後ろを振り返るとそこに「道」ができていた。風にオオヤマザクラの花が散っていく。私は道に足音を聞いた。*今年3度目の雪なのだろう。炭を焼く匂いがする。少年が私の前を歩いている。背中のカゴには小さな炭が詰まっている。手はしもやけ。袖は拭った洟でカパカパだ。真っ赤なほっぺたをして歌をうたっている。「もぅいくつねるとお正月。」私は少年には見えないらしい。目の前の踏みしめられた雪の道を歩いて去っていった。見えない私は、また道に音を聞いた。総勢20人の炭を焼く「コミュニティ」の人たちだ。私は一人一人に声をかけてみた。でも私は彼らに「見えない」。教えて欲しい沢山のこと。他の山にはあるのにこの山には無い樹木のこと。マユミの大木のこと。万年青を植えたのは誰。山の神様はいつからあるの。そしてフクロウの巣は。少年が戻ってきた。モミの木を指差すと「コミュニティー」の群れに戻っていった。*Day by day stone by stone..彼らにとって日々の営みはholyだった。それはgloryへの道だから。ミレーは天才的な聖書「漫画家」だ。近所のおじさん、おばさんを聖書の登場人物にしてしまう。みんな笑いころげただろう。「教会のあのお話しが自分だって?」もちろん絵を描くことはミレーにとってholyなことだから。そしてウェーバーは・・「見・え・た・」民主主義は信仰から出発した。しかし、民主主義に信仰は宿らない。それは「原罪」を孕んでいるからだ。かの分離派の人たちはメノナイトの影響を受けながら「民主主義」を行使するとき、「資本主義」の中で活路を見出そうとするとき、この二つをとても「注意深く」扱っただろう。「原罪」に触れないように。holyな毎日からgloryへの人生だから。*少年が洟を袖で拭ったように、私も袖で額の汗を拭った。袖が血まみれだ。いつのまにかブヨがたっぷり血を吸っていたのだろう。これじゃ、「茨の冠」の跡になっちゃうよ。(笑)クマザサの芽を抜きながら時速10mで山を降りた。目の前3mでウグイスが鳴いている。おぃらのこと、熊だとおもってるのかねぇ。でもオオルリは慎重に梢で囀っている。またサシバが縄張り確認に来た。黄色に光るのはキビタキだ。おぃらの目の前のブヨ、喰ってくれ!少年が指差したモミの木の下にも道があったよ。咲いていた。エイザンスミレ。 こっちにも道があるってね。でも、行きたいのは高野山かも。(笑)*「道」から昔の風景が見えてきた。これはgloryになるよ。「ド・ロ神父と出津の娘たち」がしたように。あと一年様子を見よう。そして一気に仕上げだ。皆さんの明日がミレーの絵のようにholyでありますように。クリックしてね。人気blogランキングへ。
2005年05月08日
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雨が上がった。そして思っていたより早く早く雲は切れた。出かけよう。どこへ・・? どこかへ。今まで行ったことのない場所を探していたら、お。道がある。ここから先は行ったことがない。行ってみよう。途中、何箇所か「自動車廃棄物」の山があった。窓を開けて運転していたら「キビタキ」の声が聞こえた。ここは、どこだろう。光を浴びてタンポポの種が開きはじめている。ふと目の前の木を見たら、ぽっ! ぽっ!と花粉を飛ばしている。雨のあと、太陽の光の中で、気持ちよさそうに。ぽっ! これは・・コウゾだよ。でも以前に見たコウゾと違う。雌雄同株だ!*「おらはよ。コゾウんときはよ。コマ回す紐なんて買って貰えなかったからよ。石でとんとん叩いてよ、そうすると、するするっと皮がむけるからよ。それで縄なじりしてよ。コマ回す紐にしたんだ。」山で知り合いのじいさんに「コウゾ」の話しをすると話しが始まった。「それでよ。昔はあっちにもこっちにも「紙屋」があった。豆腐屋と紙屋はよ。作るのが手間かかるからよ。それで紙は障子紙と種子ってあれだ。蚕様の紙を売ると現金収入になったからよ。(延々)」「麻なんか植えられなかったからよ。牛のケツびしびし叩くのによ。普通の縄だともたねえからよ。コウゾでよぉ。それで牛がよ・・(延々)」・・延々と続く話をいつまでもうんうんと聞いていると、「ほれ。この堀、ずーーっと降りたところによ。ちっと広い所によ、シジミいっぱい、いるからよ。んじゃ、さいなら。」*そんな記憶もあったっけ。コウゾがあるということは。人家が近くにある筈だ。少し走ったら集落跡があった。そしてまたうねうね登っていって後をみおろしたら、おお。フジとにクズに覆われている、広大なかつての桑畑!桑も人の足音を聞かなくなって久しいのだろう。あちらこちらに、つるの波間に島のように高くなっている。*ところで。雌雄同株って書いたけど。雄花と雌花はどっちでしょう。桑の実を思い出してね。答えは明日。クリックしてね。人気blogランキングへ。とは言いません。(笑)実は赤いひらひらがあるのが雌花。黒いぼちぼちが雄花。この黒い雄花が花粉をぽっ!ぽっ!と吐くの。眺めてると時間がたつのも忘れてしまう。実は食べられると書いてある本やデータがあるけど、おぃらは絶対におすすめしない。それは、舌につきささるような感じがした「苦い思い出」があるから。でも、葉ならだいじょうぶ。ぱく!赤い実をホワイトリカーに漬けてもいいね。「本物の」和紙はすごいね。何年持つんだろう。嘆きの桑畑の渚にて。蕪村の新しい句が見つかったんだって。クリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月07日
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「斉藤さぁぁん!」そして「佐藤さん!」あなたの名前には「フジ」がついてますよー。そして、フジはおいしいんですよーー(笑)。*うねうねとした山道を登っていると時おり谷底から崖の頂上まで登っているフジをみかける。双眼鏡で根元をみると、その太いこと。一抱えは優にあるだろう。ちょうどいまの季節、開花が始まった。「懸かり藤」は俳句の季語だね。そして古事記には藤の物語があったっけ。蟲も集まる。でもクマバチはおとなしいよ。怖がる必要はない。おいしいんだよ。蔓(つる)も花も。あ。源氏物語藤壺裏仮名手本でないよ。それは18禁だ。(爆)*若い蔓は煮込んでもしっかりした歯ごたえがある。油いためにもあうし「豆の香り」がするから「さりげなく中華」にぃいよ。鶏のささ身をむしって油通しした藤の若い蔓をからめて好きなドレッシングかけるとおいしいよ。ちなみに「ゴマドレッシング」もいいけどおぃらは元祖フレンチドレッシングがいいな。もちろん辛味がきいた四川(スーチョワン)ドレッシング?もいいよ。パスタには?。もちろんあうよ。*でもね。本当においしいのは「花」なんだ。食べたことあるかな?ポイントは「香りのとじこめかた」。氷水を準備しておいて開く直前のつぼみを集めたら、ざるにおいて熱湯をかける。そしてすぐに氷水に浸す。水気を切ったら、シロップをからめて、「シンプルビスケット」に乗せてごらん。シロップにからめた藤の花を3個の100円ヨーグルトに乗せてもいいよ。香りが忘れていた記憶を刺激する。甘みと香りの応用範囲は広いよ。あ。藤花餅、ブランドにするか。(笑)食べたことがないのに「忘れてしまったもの」。現代には沢山あるよ。*花を喰う人。それはヤマトカケル。藤の衣をまとってある日突然現れるかもね。ところでフジを食べるカミキリムシっているんでしょうか。(笑)藤の花の香り。思い出したかぃ。それとも。花に顔を埋めたい?クリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月06日
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「ああいうのを礼儀しらねぇって言うんだよね。」次男の口からそんな言葉が出た今日はとまどってしまった。成績はあまり良くない。それは決められた時間内に決められたことができないから。でも、卓球の「勝負!」は大好きだ。「礼儀」という言葉もそんな中で覚えたのだろう。その店の店員は客と知り合いだったらしい。客の次男は待たされていた。「労働とは何か?」大事故が起きて問われる。答えはあるのだろうか。結論を急ぐとシステム化と個人の心との迷宮に入る。*「おーいカケルさんよぉ~!」「なんだよぉ。」「中古のデジカメ買ったよぉ。みてみそ。」「ほーー!オオタカの営巣だわ!」今のところ、オオタカの営巣場所は5箇所知っている。もちろん仲間内にしか教えない。情報が漏れるとでっかいレンズをつけた連中が集まって地元の人とトラブル起こすから。それだけじゃない。悲しい歴史があるからね。ん?鷹狩りでないよ。*夕刻、わが山をおりて帰ろうとするとフクロウの声がする。「いる」ことは間違いない。デジカメを持った友人はまた言ったよ。「みてみそ!」かわいぃなぁ。でも接近しすぎだぞぉ。そういえば、我が山のあの木の底が抜けたあの洞(うろ)。砂利と木屑を入れておこう。「天然巣箱」が復活するかもしれない。春がおちついたらサシバの営巣を高い所からみおろしてみよう。カッコイイよ。サシバは。いつも思うよ。鳥たちよ「しっかり子育て」を教えてくれてありがとうってね。祭りの夜店でニワトリの雛を買ったこと、思い出したよ。ちいさくて、やわらかくて、あたたかかったね!手のひらのあたたかさ、思い出したらクリックしてね。人気blogランキングへ!!
2005年05月05日
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「見てごらん。空の鳥。」イエス様が言ったとき、おびただしい数の鳥が空にいただろう。イスラエルは渡り鳥の中継地点だからね。そして人と宗教の交差点でもある。イエス様が山でメッセージを語った場所はブッシュではなく「緑の野」だと思うんだ。今日は笹薮と茨の「ブッシュ」をかたずけた。疲れたよ。*遠藤周作は「死海のほとり」の中で唯一正真正銘、歴史家も考古学者もイエス様が処刑された場所と認めているのは「ゴルゴダの丘」と書いている。カトリックの彼はフランスに留学して信仰世界の豊かさを知っていただけに、あまりにも荒涼としたその場所に絶句してしまったのだろう。彼は里山に家を建てた。そして近隣が「カタツムリみたいなブルトーザー」に荒らされたのを怒った。*実はね。うちの山にも十字架があるんだ。木ではないよ。植物だ。しかも丁寧に名前がつけられている。その名は「ジュウモンジシダ」。 天麩羅にするとそのままうまいよ。この味はワラビやゼンマイよりも「よかった」。アクが少ないかも知れない。子供たちは、油鍋に衣をつけた「ジュウモンジシダ」を入れて「ジュワッ!」としてたべている。こっちはブッシュの征伐にへとへとなんだけど。(笑)*ふと思うんだ。日本で売られているワラビやゼンマイや山菜と名がついているもの。特に真空パックの漬物にされたり缶詰になったり瓶詰めになったいるもの。高速道路のパーキングエリアや道の駅にあるもの。本当に「日本の山菜」なんだろうか。山菜ロンダリングされるとわからないよ。ヤマウコギの大株に傷つけないように刈り払いは終わった。跡には伐採された倒木がうねうねと腐っている。地元の人が通りかかった。そして昔、ここは畑だったと聞いた。畑の復活かぁ。笹薮を簡単に根絶する方法は鎌を持って歩くしかない。ちょっとつらいけどやってみるか。藪を払い、復活しよう!クリックしてね。人気blogランキングへ!
2005年05月04日
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サンショウを求めて彼は私の山に来た。今年はスコップを持ってね。「どうよ。こいつ。それからこのサンショウ。」「いい株だなぁ。素直だし。2本貰っていいの?」「ぃいよ。掘りなよ。「ニシンのサンショウ漬け」できたらメールしてね。」*彼がサンショウを掘っている間、私は鳥たちの気配をうかがった。ヤマガラは静かになった。シジュウカラも。サシバはさかんにピッツピーと鳴いている。おや。オオタカだ。ケッケッケッケッと鳴いたあと、ビェーンと雛の声が聞こえる。営巣している。ヤブサメがいる。おお、ツツドリも来たか。サンショウを掘る彼はたちまち汗びっしょりになった。彼はニコニコしながら山を下りた。さ・て・と。私が買った里山の「こもれび広場」予定地には「閻魔の髭」のような笹薮がある。そして「呪いの茨」もね。また、剪定ハサミで200坪あまりをちょきちょき切り始めた。鎌だと切り口が斜めになって危ないし、草刈機は大切なものを見失う可能性があるからね。そしたら。おお。出た出た。クレマチスだよ。 先日「アネモネ」で学名のおさらいをしたけど、これは日本のクレマチスだ。山ではまだつぼみだけど里の我が家ではもう、薄緑色だよ。「ボタンヅル」もクレマチス。ハンショウヅルもミヤマハンショウヅルもクレマチスだけどこの緑のクレマチスは何なんだろうね。図鑑で調べてネットで調べてみたよ。「トリガタハンショウヅル」もしくは「アズマハンショウヅル」と呼ばれているもの。同種だとされているけど四国産とはあきらかに違うね。これがわが山には群生している。「幽玄」なクレマチス。「閻魔の髭」の笹藪は草刈機を入れてもいいぐらいにチョキチョキ整備した。ブヨが目をめがけて次々に突っ込んで来る。花粉症用のゴーグル買おうか。そしてブヨを払いながら「呪いの茨」の藪をまたチョキチョキはじめたよ。ぉお。また出た。トゲのないサンショウ。*休憩して鳥たちの気配を伺った。サシバが来た。テリトリーが気になるのだろう。蟲に喰われ菌にまみれた枝にとまったその瞬間、枝が折れて谷に落ちた。サシバは気まずそうに「ピッツピー」を繰り返した。だいじょうぶだよ。見なかったよ。(笑)*鎌倉の禅僧たちは驚くほど短期間のうちに未来を構築したね。修行の合間の手入れだけですばらしい庭園になっている。花に聞き、樹木に訪ねながらわが山の手入れをしよう。帰り道に咲いていた。人が花を美しいと思うのは、なぜなんだろう。一枝、髪に飾ってあげたいね。少女に。山吹の君へ。ヤマトカケル与利。クリックしてね!!人気blogランキングへ!
2005年05月03日
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子供の頃、みがきニシンはキライだった。というか、魚全般が食べられなかった。内陸部だといい魚屋さんが近所にないからね。ところが、11歳の春だったと思う。両親が共働きだった私は初めて海を見た。海は広くて大きかったよ。そして、釣れたての魚を近くの家で刺身にしていただいた。促されるままに恐る恐るたべたら、おいしかった!その日から魚が食べられるようになった。今ではみがきニシンをカリカリに焼いたのをむしゃむしゃ食べるのが好き。でも「みがきニシンの山椒漬け」はううむ。。*サンショウはの実は和のスパイス。「木の芽」と言えばサンショウのこと。どうしてウナギと相性がいいんだろうねぇ。お互いに待っていたかのようだ。サンショウを図鑑でしらべてみると一部朝鮮半島にも分布しているようだけどほとんどが日本に分布している。葉を手のひらで空気をおしこめるように丸くポン!とするんだと、何かの料理番組で見た覚えがある。確か私の記憶ですとタケノコご飯に乗ってたような気がする。あれ。。それともあの幻の水で作った豆腐だっけ。今、読んでいるみんなにも、サンショウにはいろいろな思い出があるだろうね。「あれ?おいしい!どうして?」そう、あなたに訪れたあの日のことだよ。ある日を境に若芽の香りがたまらなくなる。きっとこの香りは縄文から弥生に引き継がれたんだろう。*パチパチ、剪定ハサミで笹薮をかたずけていたら、おや?これ・・トゲがないぞ。 図鑑で「アサクラサンショウ」というトゲがない品種があることは知っていたけど。まさか自分の山にトゲなしがあるとはねぇ。葉をちぎってポン!としたら、おお。いい香り。コレワツカエル!♂だろうか♀だろうか。もう少し様子を見てみよう。別の藪に入っていったら。わぉ。私の背丈を越えるサンショウの木。そういえばこのあたりは人家の跡だ。山は人恋しいのだろうか?*実で佃煮を作ったことあったっけ。ソーセージを焼いてナイフで切れ目を入れて佃煮を押し込んで食べたらおいしかった。あの佃煮、また作ろうかな。京にはサンショウの皮の佃煮があるらしいけど、どんな味なんだろ。毎年、今の季節になるとメールが来る。「山でサンショウの葉」取らせてほしいって。あちこちの山でサンショウの葉はみかけるけれどこの山のが一番彼にとっては良いらしい。彼が作りたいのは「みがきニシンの山椒漬け」。これほど作る人の熱意が味に反映される料理もないだろうね。初めて別の人が作ったものを食べたときは「うむむ。」だった。真空パックのお土産はどれもいまいち。しかし、彼が作ってくれたものは違った。五月の山からおりて来る風の野で食べたとき。「これって、こんなにおいしかったのかよ!!」彼は故郷の誰かからその味を受け継いだんだろう。もしかすると「にしん鉢」を持っているかもしれない。山に呼ぼう。そして、あの味、つくってもらおう。眺めのいい場所で、風にふかれて冷酒を置いて。*メイとさぁつきちゃぁあん!の5月だね。みんなにも5月の恵みがありますように。クリックしてね!人気blogランキングへ!
2005年05月02日
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今日も山へ行ったよ。行く途中、もしやと思った。地元の人たちは町の人たちが「盗る」と言っているけどまさかね。何箇所か、連休中に地元の人たちが山菜売り場の店を出している。3箇所回ったら。うが。DNA鑑定しないとわからないけど我が山の「そっくりさん」が一般のタラノメの倍の値がつけられて売られている。疑いだすときりがないけど「困った」。もし犯人が地元の人もしくはその関係者ならなおさらね。警察に届け出て逮捕なんてことになったら付き合いや折り合いがうまくつけられなくなってしまう。実は、私の「怒り」は都会に住む弟にもタラノメを送ってあげたかったこともにもあった。はじめから自然のもの。ニンゲンの所有者で管理者は私だけど、たまたま私だっただけのこと。*「こもれび広場」予定地は200坪ぐらい。まだ、一面の笹薮だ。地下は水が流れている。その上の斜面には50坪ほどの水が地下にしみこんでいく平らな場所がある。そこも笹薮。今日はここを手入れしよう。草刈機を買おうかどうしようか迷っている。でもこの程度の藪なら剪定ハサミで十分。一本一本切り始めたよ。花は私に語りかける。「いつまでもイカリソウ?」ってね。 この花が咲く前のやつを生でぱくぱく食べると、中国の伝説の羊のように。おっと、それはさておき。剪定ハサミでパチパチ気長に藪を整頓していたらおお。ヒメギフチョウの食草、ウスバサイシンの大きな株ではありませんか。一部に食痕がある。これを焼酎につけておきますと伝説の・・おっといけね。(笑)*「種をまく人」の物語を思い出した。小さな本だよ。その村は荒野にあって木が少なく、村の人たちはいつも炭を焼く木の奪い合いをし、ののしりあっている。「種をまく人」はその荒野にひたすらドングリを蒔きつづける。やがて種は芽を出し森になり、森は水蒸気を集め、荒野に雨がふり豊かな森になったというあの物語だ。今、この国の山の人たちの現金収入は少ない。そして冬になると何も出来ない。昔は冬は炭を焼き、つるを編み、機織をして現金収入を得ることができた。そして山に植えた「杉」は机上の学者と国が推奨した約束だった。すべては失われた。かつて誇り高かった山の人は冬には山をおりて最低賃金のギリギリのところで将来なく時給で雇われている。更にある程度の資産があり夢を持った若者は狡猾に騙され、すべてを失う。所得格差は文化と人としての誇りさえも奪うだろう。そしてこの国は、いつの日か失ったものの膨大さをも忘れて刹那的にビジョンなき政策を朝令暮改のように繰り返す国になるかもしれない。ちょき、ちょき、剪定ハサミで藪をはらっているうちに次第に心がおちついてきた。「聖なるかな、聖なるかな。ここはネオ・エデン。」ニンゲン用の罠はいらない。火と廻るケルビムの警告だけでいい。ぱち、ぱちぱちっと。おお、笹藪はきれいになった。ここに何を植えようか。ひらめいた☆手で割れるほどに柔らかい殻の「クルミ」がいい。子供たちはクルミが大好きだ。ここに植えると落ちたクルミがころころ「こもれび広場」にころがっていく。冬を越えれば臭くない。沢山の地元の子供たちが私の山のことを「クルミの山」と呼んでくれればそれでいい。そしてリスやアカネズミが食べた残りを捜そうよ。地元の人たちも子供たちも足しげく通いたくなるような所にしよう。水分が多いからヤマウドを植えてコゴミも植えよう。Day by day stone by stone 一歩ずつ一歩ずつだ。まだ怒りそう?花は語りかける。もう、怒りはない。悲しみもない。絶望もない。私は木を植えるから。それは未来に託す「希望」だから。そして「夢」だから。クリックしてね。人気blogランキングへ!
2005年05月01日
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