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日清のチキンラーメンだよ。*うまそうに見えるCM大賞をあげたい。なぜなら、実際に喰ってみて、これほどまずい麺はないから。油がねとねとのべとべとだし、CMみたいに卵を落してあんなふうに半熟になるわけないっしょっ。あのCMには「これはイメージです」と一言欲しい。それほど犯罪的な不味さなのだ。なおかつ高塩分だから、眼底網膜血栓症の人は絶対に食べちゃいけない。それだけじゃない。高血圧な人だと高脂肪だから脳内に血栓を発症する可能性もある。タバコのCMはなくなったけと、お酒のCMには適量保持のメッセージが入るようになった。だから日清のチキンラーメンには「毎日食べると血栓症になる可能性が大きい」ぐらいの表示はしておいたほうがいいと思うのねっ。というのは、先日職場でこのCMが話題になったのっ。・・・すごくおいしそーに見えるけど、子供が食いたいというのでどんぶりをあたためてイメージ通りに卵をおとしたが、あんなふうに白くならなかった。家族でたべはじめたが、あまりの油ギトギトと塩辛まずさに半分喰って全部捨てた。・・・という報告があり、その周り全員が、「そーだ、そのとおーりだ、あれは不味い、健康に良くない」という声が次々に上がるのでありました。嗚呼、CMはときに宣伝逆効果を招くのです。*サッポロ一番は野菜と一緒に食べることを推奨しているからまだしも、日清のチキンラーメンは食べたことによる健康被害について一行ぐらい書いておかないと裁判で負けるよ・・と警告したくなるほどの不味さだったので報告します。あぁ。しょっぱくてあぶらぎとぎとで、ビタミンBの味ってなんだんだこれっ。。(笑)
2008年06月28日
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「オーロラ」彼女は言った。その隣では「ニューハーフショー!」。おぃらは何だろう。しばらく考えてしまった。生きているトリバネアゲハやモルフォといったら今、死刑署名している鳩山さんと同じ趣味だし、なんのかんの言っても日本は法治国家だから救われているところがたくさんある。無放置国家だったら、すべて経済と一部の人たちの利権のための放置国家になっちゃうからねっ。どこかの新聞社かテレビ局あたりで昆虫趣味の政財界と学者をぜーんぶ集めてそれと同数の未来人である少年たちと一週間すごして対話してみるって企画してみたらおもしろいとおもうなぁ。キーワードは「感動力の伝授」だろう。感動は人を開いていくし、開き続けていく。おぃらははじめから蟲の勉強をしてしまったので、ダニの世界をちらっと垣間見て学生を終わってしまったのがいまの悔いだろう。ダニは熱帯病理学からアレルゲン更には、体内時計と太陽と月のリズムによる交尾に至るまで更には他の生命との共振性、カブリダニが自分の体より大きなハダニにくらいつくあのすさまじさ、人間の皮膚の下を動き回るダニやらその特殊な世界はたぶんIPV6ロボットにむすびつき微細構造ロボットはナノテクノロジーに影響を与えバクテリアとの共生など多面的な地平が開ける学問分野でもある。そのとき。地球幼年期は終わりを告げ、戦争の道具はネットに製造データを残し消え去るだろう。人は何度でも同じ過ちを繰り返す。もう過ちを繰り返せないのだと悟らないかぎり。ところが生命体にとってそんなことは知のはじめなんだよね。間違ったら生き残れない。それが生命なのだから。*農業はいくら機械化され石油を食うといえども、最後の最後はすべて「手間」だ。「手間」の貸し借りが農業と地域経済と家族どうしと人とをつないできた。一人暮らしで隣人の名前も知らない世界は二酸化炭素を増大させ絶望へと至る。「手間」は本質的に売り買いしてはいけないものだ。軍事に似ている。そう、アッシジのフランチェスコもその技術で教会を再建したのだから。*死ぬまでにみたいもの。死のまぎわに見たいもの。そうだ。良寛の書、般若心経がぃいなっ。はじめの緻密さ、末尾のおおらかさ。お経を歌うとはかくのごとしといった真剣さとほがらかさがある。そういえば複製品がネットで売られていたなと価格を見て驚くのでありました。ゲンジボタルの宵はふけてゆきまするぅ~
2008年06月23日
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日本発餓死が現実になった。かつてこの国の農地は1億人を養うことさえやっとだった。それなのにそれを数千万人上回っている。それでもなお、減反は続いているし、離農は続いている。ぢぢばばが里山で食料を生産できるのも「マシン」があるからだ。しかし、そのマシンは石油で動いている。絶望の連鎖が始まったのだ。*民主党の小沢はいまさら内閣不信任を出している。国会の前期にすべきことを今している理由はあきらか。それは、自分たちの議会出席手当を税金からむさぼるだけむさぼってから福田のせいにしようという魂胆だ。小泉は私怨でだれかをやっつけるためにどたばたしたが、言葉は正確だ。「イジメです」そう。いじめだ。それだけですむならいい。小沢があっぽなのは、いじめの上塗りで民主の連中に国会議員の甘い汁をすわせ続けたことだ。官僚の所作をあれこれ出したが、んなこと、おぃらでもできる。それ以上のことをしてはじめて国会議員でそ。おぃらは次回、地元選出の議員を徹底的に質問ぜめにしようと思っている。最後の質問はこうだ。「小沢はうつわだろうか?」*はじめからそうだったように庭を畑にしよう。中国はいろいろ批判されているが、たぶん日本の官僚たちよりは共産党幹部たちは優秀だ。根本的に、人民あっての我という理念は彼によい仕事をもたらすだろう。それは競争原理によらない。ズルしようという人は「競争」を持ち出すだろう。しかし、本当に優秀な人材は「競争」を持ち出さない。なぜなら、競争には敗者がおり、絶望の連鎖は、社会に「呪い」をもたらすからだ。奥田という人が言った。「権力は腐敗する。しかし貧者も腐敗する」そして貧者の腐敗は酷薄を生むと。おぃらは貧者がカネをもって貧者に対したとき、どれほど残酷な行動をするか見た。この目でおぃらは見たのだ。絶望の立場にあったものが宝くじをあててはいけない。そこから不幸の連鎖がまたはじまるからだ。*もし、おいらの予感が的中すれば世界は餓死に向かう。そして第一次世界大戦後のドイツ状態にに足を踏み入れた。官僚どうしのかけひきを報じている場合ではない。絶望のがけっぷちにいること。そして農地法を今の国会でもいいから改正しないととんでもないことになるんだ。絶望へのシナリオは凄いスピードですすみはじめている。債権国であっても、もう。食料は買えないのだ。*もう。食料は買えないのだ。もう。食料は買えないのだ。もう。食料は買えないのだ。
2008年06月18日
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すさまじい地震だった。しかし死者を比較したアキバとだよ。天変地異とアキバ事件を並列してみよう。絶望は大規模地震よりも不幸の連鎖をもたらすのだ。ある新聞では、事件を一般化することに慎重であるべきだと主張して個人に帰すべき地平をさぐろうとしている。しかしネットでは連鎖がおこっている。過敏になった警察が巡回すればご覧の通り、逮捕と少年の補導が続いている。50年かけて開墾した田畑が土石流に飲み込まれる。20年かけて育てた子供たちが揺らぐ絶望の海で飛沫のように犯罪者になる。これを並列して考えてみよう。もちろん、犯罪とは何かということをだ。ランボーはベトナムで訓練を受けたグリーンベレーだったから容易にひとつの町を破壊できる。おいらは子供の時に覚えた鳥やネズミを捕らえる罠の作り方をしっている。もちろんその罠はアキバにはしかけない。それは、マィ・マウンテンで飛べない甲虫オサムシのトラップになるのみだ。繰り返して書いておくが銃刀法を改正しても無意味だ。おぃらは炭を焼く。ナラ炭とドライヤーをつかえば高温は容易に得られる。川で石英を拾えば金床になる。また、石英をやじりにして弓矢を空にはなてば・・その先は言うまい。銃刀法を改正しても、意図を持つ者は縄文時代と同じ手段でツールを手にし、左手にはトイレ洗浄のアレをもつだろう。幼児性のある彼を特殊化しようとしてはいけない。彼は彼らを呼びあつめてしまった。既に。だから一般化しなくてはならない。文系で学部で終わったあんたらは空想もしなかっただろう。理系で育ったあの人が絶望して怒ったら、オウムをはるかに超えて絶望の連鎖を生むのだ。危険を学び社会を保全してきた人たちに社会は報いているだろうか。その給与が痴呆公務員より安かったら、絶望の連鎖はとまらない。だから言っておく。これは一般化して議論すべき問題である。共産主義の中国がすでに人身を奴隷化している。人が人を使い捨てにする、奴隷制度はまだこの国で復活したばかりなのだ。そして、奴隷制度はこの日本という国の地方図書館現場で確実にプレリュードを奏でている。司書に未来はあるのだろうか。
2008年06月16日
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さつきが始まった。そして旧暦5月5日、森を歩くとあちらからもこちらからも巣立ち雛が親鳥を呼ぶ声、親鳥が巣立ち雛を呼ぶ声が聞こえる。なぜか近所のスーパーには笹の葉がならび家ではちまきをつくる。伊達政宗が元服した神社の「さつき」を思い出して空を見上げる。上空は西風、山頂付近は南東風で気流が乱れている。そんな空に向かって植物は伸びていく。太陽暦のひ弱な5月5日ではない。木々の芽はやがてその中心に芯を宿す。そんな節句が5月5日だ。*アキバの事件をどのようにとらえるのだろう。おぃらはあちらこちらの新聞のコラムを眺めテレビのコメントを聞き落胆した。いずれもまだドストエフスキーの深淵を語っていない。容疑者の書き込みを見て思わないのだろうか。あれは「罪と罰」そのもの。そして都市で繰り返される、現れ続ける悲劇がまたおきたのだと。それは自殺ではなかった。殺人だった。マスコミで肥えている人たちは読めないだろうしわからないだろう。それはドストエフスキーという記号は知っていても、その絶望がどれほどのものか身を切られるような思いもキャッシュフローの使い捨てにされた経験もないからなのだろう。たぶん、わかるまい。「貧しき人々」をじっくり読み直してごらん。百均で包丁を売っている時代に銃刀法を云々する連中は盲目だ。傘でもスプーンでも結果は同じなのに。*昨日のNHKの「クローズアップ現代」では株主のゆーことを聞かない日本企業から資金が引き上げられている株式市場という話題だった。東証のだれかさんは、このままだと日本企業は将来買い叩かれると言っていた。バカだな。株主のためのキャッシュフローではなく、顧客にどれだけのものを提供できるか、提供するための従業員をいかに守るかというミニマムを大切にしてきたから中小企業は世界企業になれたんだ。ミニマムな社会よりも株主利益を優先したらいずれ多くのコミュニティーは破壊されてキャッシュそのものさえも、その価値を失うだろう。ここの市場は顧客優先、ミニマム社会優先、われら優先、三方満足、金は過客でよいのだろう。なぜならカネのたまるところには鬼がいて、キャッシュのためなら戦争も辞さないから。だから、世界戦争がおこったんでないかぃ?そしてキャッシュはそのはじめから無から生まれたから無へと帰っていくのだ。アキバに鬼が現れた。おぃらの愛する町にだ。おぃらのいとこも新宿で絶望してアキバに拾われ、今、生きている。誰かは海洋堂から変わったと言うかも知れない。すばらしいと思ったのはテントをおいて献花台をつくってくれた人たち。あなたたちのおかげで、おぃらも魂はそこに飛んでいって泣けるのだ。今。ワン・ゼロの間に、デジタルでは何もない。しかしアナログでは無限大だと言った人がいる。そう。無限大の中には「希望」がある。キャッシュフローというよどみのうたかたではじけては飛ぶ価格たち。金融の証券化を経験しサブプライムの仕掛けを俯瞰するおぃらは思うのだ。第二楽章はまだまだこれから・・とそしてカラシニコフが自伝で書いているように、アイデアと発見は、ものづくりの現場から生まれるんだ。だから、稚拙に思えても、ものづくりを手放してはいけない。ものづくりをキャッシュに置換したら最後、パテントを生む力さえも失われてしまうだろう。おぃらが若かった頃、読んだことがある。アキバを一周すれば兵器が数十は作れると。理系の人間は誰でもそう思うだろうし、おそらくそう思った一人はプーチンだろう。しかし、そうはしなかった。パンドラの箱はゆるやかに開かれたから、しなやかに順応できたんだ。そしてパンドラの箱から出てきたのは、はじめから希望であとから絶望がつづいていたから希望にすがりつづけることができた。旧暦の夏は4月5月6月。明日は、サンコウチョウの鳴く森でうとうとしよう。そして、「里山を買おう」第二部の草案を練るのだ。でぁっ。
2008年06月10日
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