2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全4件 (4件中 1-4件目)
1
http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-564.html明日は210日、旧暦の8月に入る。上のURLは、ぶらぶらネットをただよっているときに見つけたもの。カネを払う客は神様ではないのだ。そして、カネとはありがとうございますとか、ごちそうさまという言葉と共に払うものでもある。コンビニでケータイで払うときでさえ。こーゆー連鎖は不幸の連鎖を産み出す。あぁ、おだやかな社会になろうよ・・ぼそ
2008年08月30日
コメント(2)
その人って何度かこのBlogに紹介している、美原凍子さんだよ。夕張に住むその人の作品は朝日新聞の短歌投稿でずっとみていた。いくつかの短歌は記憶している。そば畑いちめんの花白ゆるるあなたに会いに墓地へゆくみちさほひめのおうぎひらひらひるがえりさくらはらはらはらはまほらまもしや、草冠の町に引っ越したのは近所ではないかと思ったら、今日の新聞で驚いた。澪をたどりあなたのもとへ行ったその人は澪をたどり帰ってきたところ、そこはおぃらの妻が小学校にいるところのまさしく近所のようだ。風に結びめをほどく、ならばぜひとも会いたい。なにせ、おいらに短歌の世界の扉を開いてくれたその人なのだから。
2008年08月18日
コメント(0)
蓮の花に蜘蛛の糸をたらす。花の中には地獄があったからだ。そうして、カンダタの物語は始まる。カンダタが「私」だというシカケに誰が気づいたろうか。絶望から希望へ、そして一本の蜘蛛の糸から絶望は連鎖する。検証しよう。それは「リストラ」という言葉だ。バブルの末期ごろ日本長期信用銀行の人と話をしたことがある。彼らはリゾート開発の「債務更改」の稟議書を毎日書いていると言っていた。その言葉こそ「リストラ」だ。債務組戻し。ところがその後に始まりいまもなお使われている「リストラ」という言葉の本質をかんがえると、それは「ダンピング」だった。「リストラ」なんかではない。人材と技術の「ダンピング」が始まった。そして、日本の金融機関から始まった「ダンピング」を見破った大量の技能者たちと「特許保持者」たちは中国に活路を見いだした。それはダンピングを加速し、便利なロウムシャたちが社会の中心にすみはじめた。空前の長期好景気なんてロウムシャたちには関係なかった。なぜなら、それはダンピングされた人たちだったから。人材のダンピングという言葉に違和感を覚えるかもしれない。ならばホロコーストを思い出してみそ。彼らは、「ダンプカー」にのせられ「ダンプ」された。*悲しむべきことに教育界にもダンピングがはじまった。それがPDCAの学校評価制度。つまり学校アセスメントシステムだ。もし、そのサイクルに的確なインプットがなければPDCAの教育アセスメントシステムはからまわりをはじめるだろう。そしてダンピングは継続されることになってしまう。身の回りにある有名私立学校をみてごらん。そして考えてごらん。優秀な生徒は生徒なりにそうでない生徒もそれなりに「ダンピングシステム」に投げ込まれている。誰かのため。そう。ダンピングシステムを作った者のキャッシュフローのためにだ。それをブランドと考える愚かな親たちよ。お受験するがいい。そして「貸しはがし」がはじまった。それは蜘蛛の糸のカンダタの言葉に等しい。貸しはがしをするとき安田信託銀行の支店長は言った。「貸付金を回収させていただきたい。ついては違約金を払うように。」こちらから返済申し出もしないのにかかわらずだ。こんなことがこの銀行の周辺でFグループの周辺の企業に対して行われた。銀行業は相手を生かさなければ生き残れない。にもかかわらず貸しはがしをした。蜘蛛の糸は現実になった。私たちは夢を見ていたのだろうか。幸福な未来をつくるのが私たちの社会人としての使命ではなかったろうか。問題はキャッシュにある。長期売掛債権や貸付金の証券化は金の本来の目的からはずれた。そもそもは感謝とともに支払われるものがオカネだった。コンビニで買い物をしたときに感謝の言葉はあるだろうか。人を見下げるためにカネをつかってないだろうか。そう、ホリエモンは有罪だ。それは、アリガトウという言葉とともに回っているオカネについてとんでもない勘違いをしたからだ。ホリエモンに知恵をつけたやらもだ。そして、石油その他先物に投資して回収している人たち。彼らは「ありがとう」という感謝の言葉とともにオカネを受け取っているか。「恥を知れ」まだ日本の一部にはその言葉が残っている。それは理髪店とコウバ周辺。そして教育界の一部にも。*さあ、シフトしよう。理想は高ければ高いほどよい。それは「ダンピング」をあぶりだしていくだろう。恥ずかしかったけどうれしかった。秋葉原のラーメン屋さんのカウンターに、でっかい声で「ごちそーさま!」ってどんぶりを置いた長男よ。長男の声よりもでっかい声で、「はぃ、ありがとぉ~」っていう店主にお金を払うおぃらは。うれしかった。本来のおいしいうれしい感謝と共にワンコインが秋葉原で回った。
2008年08月11日
コメント(0)
夜空は晴れている。昨日までの曇り空がうそのように。旧暦の七夕が今日。二十四節気でも立秋で秋なんだけど。さすがにこおろぎが鳴き始めた。俳句の本を眺めていたら、七夕が秋の季語であさがおも秋の季語。なんでだべ。・と思ったら、春は一月二月三月、夏は四月五月六月、で、秋は七月八月9月だから、今、太陽太陰暦の七月七日だから秋のちょうどはじまりなんだね。明治以降の季節の理解とちがうのがここんとこ。育つのが夏で、肥え太るのが秋。旧暦の夏は、小鳥たちが育つ季節であることはもちろん、秋はこんどはオサムシたちが肥え太り、成虫になる季節でもある。クワガタやカブトもだ。さあ、空を眺めよう。昨日までのつゆあけがうやむやだった空に天の川がみえるでそ。月の舟は見えたかい。山部赤人この夕べ降りくる雨は彦星の と渡る舟のかいのしずくか先日の朝日新聞の短歌を眺めていたら、夕張の美原凍子さんはかつて来た澪をたどり北海道を離れたらしい。今日の空には永遠の澪と月舟。そして草冠の名がつく町は意外に近いかもしれない。市内にはさすが、農耕地が近くにあるだけのことはある。太陽太陰暦がなければ農業はできないし、その恩恵にもあずかれない。市街には七夕飾りが連なっていた。おいらは、学校のPTA新聞に書くテーマを決定した。それは現代における「ダンピングと時間泥棒について」だ。さあ、空をみあげよう。ゆっくりと、目を閉じるまで・・
2008年08月07日
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1