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この人たち、説得力がないなぁ~と思ったのが、「説明会」を開催するから学校と保護者の代表の人は来てねというから福島保護観察所での「説明会」に行ったときの感想だった。これじゃぁ、福岡と京都でも失敗した理由がよくわかる。国自らが民間ボランティアまるなげではなく責任をもって更正施設をつくろうという基本理念がダメになってしまうでわないか。更にこのままだと民間の更正施設までもがとばっちりを受けてしまう。そして、帰るところの無い受刑者たちはダンボールを家にするかヤクザに喰われるかそれしかないでわないか。これは社会悪の逆スパイラルである。反対運動の中心になっている人たちの言動を聞くと心寒い。おぃらとしては、たぶん高校のPTA会長としての「立場としての意見」を求められると思うのでまとめておくことにした。----【意見】◆刑を終えた人、もしくは刑をまっとうしたとみなされる人に対して基本的人権にかかわる言動は教育に関係する者は特に軽々であってはならないと思慮する。◆感情的言動によって既存民間のボランティアの方々の長年にわたる労苦と活動を無にすることなきよう、配慮したい。なお、民間施設の一つは高校と幼稚園と小学校と隣接しており、町内会であり、隣人でもある。私たちの子供たちをも見守り続けた方たちであることを再認識したい。◆犯罪とはそもそも個別に発生しその原因はユニークなものである。私は犯罪が発生しつづけることを、社会を構成する一人として、私の痛みとしてとらえる。すなわち犯罪の発生とは、教育と社会活動の失敗である。そしてなおかつ、再犯率の高さとは受刑の始まりから出所に至る一連のプログラムの失敗であり、その二つが失敗し続けていることに他ならない。それこそが反対行動の原因であると考えている。◆受刑者の発生は広い意味において「社会適応障害」の行為が刑法にかかった結果だと認識している。施設ひとつを見るのではなく社会というモザイクの中で見ると実はそこは法務省施設ではなく厚生労働省管轄の福祉施設であるべきという地平も現れる。福祉教育には(特に知的障害者教育においては)ユネスコの「インテグレーション」「インクルージョン」の概念がある。それはエデュケーションとリハビリテーションとノーマライゼーションのトリニティー(三位一体)であり障害者を包みケアし続ける行動である。よって教育にかかわる者として施設建設には反対しない。理由は全国に帰る場所なき彼ら受刑者たちにも人権と幸福な未来は約束されるべきであり「社会適応障害者」が存在することは私自身の痛みでもあることによる。なお、私の意見と別に理念ある方の行動はとどめない。自らの内奥の声にしたがって行動されたい。----実は厚生労働省管轄の知的障害者の施設をつくるときに老人福祉施設は「地元住民への説明会と同意書」は必要ないのに知的障害者の施設には地元住民への説明会と同意書が必要とされている。老人の一部は明らかに知的障害をわずらっているにもかかわらず・・だ。そぃでおぃらたちは地元の町内会長さんをたずね、説明会 開催の回覧板を回してもらい、町内会の会館で説明会をし、その説明会のあと、一週間かけて雪のなか鼻水をたらしながら一軒、一軒訪ね歩き、説明会の参加のお礼をし、同意書に住所氏名を書いてもらい、個人情報保護法の説明をして、一軒一軒百件以上歩き回ったあと県庁にその同意書の写しを届けた。これは「差別」だった。法務省には受刑者の人権のため自らのプログラムの失敗を早急に認めて厚生労働省と連携してほしいよ。そしておぃらは反対しない。反対しないが、今のままでは未来人に対して不十分だといっておく。【文書取り扱いに関して】なお、これは公文書ではなくドラフト(草稿)であること、更に私見であることを念頭においていただきたい。そして、明日、校長に私の所見を届けておき、必要な場合には開示していただくというスキームにしたいと思う。マスコミのかたがたは、そこんとこよろしく。
2008年07月29日
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製造業の深夜交代制度こそ問題なんだ。だからコンビニは栄える。さらにディープにもぐりこむと企業は深夜ビジネスを展開している。24時間、製造を続ける企業を非難せず、なぜコンビニだけを狙いうちしようとしているのか。それはもちろん、そのスキームを作るお役人さまがその程度のことも理解しないでスキームをつくり、なお、あっぽな議員様がそのスキームを掲げて選挙のアピールにしようとするからだ。人は、昼、活動し、夜眠る。夏は朝夕に働き、昼は休む。そんなあたりまえのいのちの営みを崩しているのは誰だ。更に問うのだ、マスコミがどこもとりあげないから。コンビニが栄える原因をつくっている行為そのものを規制しなくてはならないだろう。*更に深刻なのは、この太陽と共に生きることを賃金をふりかざし停止させようと強制する企業たち。これは、実は孤独な群れを生み出す。孤独な人がおいつめられたと感じたら幼い頃に見たあのテレビのシーンがよみがえる。それは「!」人は孤独であってはかわりようがないのだ。しかし、あーあと、毎日がはじまり あーあ と毎日は終わる。希望もなく。そしてある日絶望が宣告され、絶望は絶望の連鎖を生み出す。それほどに単純なことなのだ。物質はすべてある。しかし希望だけがない。*話がそれたからもどそう。コンビニを十字架につけるならば、自らの営みをも十字架に置くべきだろう。製造業は特に。人様の営みをカネで買ってはならない。深夜交代制なおかつハケン中心なんてものがあるからコンビニがあるのだ。温暖化対策するなら、まず議員さんは地元の企業に深夜交代制廃止を訴えるべきなんでないかぃ。。笑。
2008年07月25日
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行く先々では鰻が並んでいたがふと、ネットを覗いたら安来市でドジョウの宣伝をしているらしい。見ておもった。あ。これって里山でネオ・エデンだなって。おぃらが子供だったころ、まだ農薬がギトギトに散布されていなかった頃、じいさんがよく小さかったおぃらたちのため、ドジョウをあぶってくれたっけ。それは、甘辛いしょうゆ味で焼きあがるとサクサクしてとてもおいしかった。原油高騰で国産ウナギも高くなったらしいが、ドジョウならまったく手間がいらない。自然の景観と稲作と山からのしぼり水の生態系を維持すればどこでもいくらでも取り続けることができる。もちろんオイルサーディンのようにも楽しめるだろう。ところでドジョウの種類って何種類あるかわかるかぃ?意外にも研究されつくしていそうでいないのが淡水魚類の分類。大きな川や小さな湖沼などそれごとに調べていかないと遺伝子の正体はつかめない。大変な時間と手間がかかる上、学問的な評価は低い世界だから研究者も育たない。海水系の食物は無尽蔵にも見えるが獲得するまでの手段が今回明らかになったようにエネルギーが伴う。ならばできるだけ獲得するまでのエネルギーが少ないドジョウやタニシ、テナガエビやすでに住人となったアメリカザリガニをディスカバリしてはどうだろうかねっ。ただ、そうすると困ったことが起こる。ブラックバスとブルーギルだ。先日、TBSの「夢の扉」でブラックバス防除の放送があったあとの書き込みを見て思ったよ。偏った番組だとの論者は生命観を議論のツールに使おうとしているように思えてならない。生命観の基本は「いただきます」だ。おぃらはそう思うし釣った魚は必ず食う。淡水性水産物はまだまだ奥が深いし開発の地平も広い。二十年後のおぃらは目の前の水田から、自宅で消費できるだけの水産物を得ているかもしれない。人が生態系を生かし生態系に手を入れ入れ続ける限りそこは人のために何かを生み出す生態系が生まれ続ける。しかし放置すれば、人とはかかわりなき生態系へと帰っていく。水田は休耕してはいけないのだ。
2008年07月24日
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今週から来週にかけてブラックマンデーどころではない動きがあるかも知れない。先物が一気にどすんと落下するのだろうか、チャートが七月初旬から神経質にしかし確実に下がりはじめている。そいでとあるサイトをのぞいたら・・ゴールド万サックスが一バレル二百ドルまでありうると言っているらしいが、これは間違いなく提灯だろう。キャッシュにはもちろん正義は無い。しかし、正義は無いが確実に餓死者は増加している。では悪なのか。人工のデーモンでしかなく、制御不可能になっているのが現状だろう。しかし、意図はあきらかにある。それはサブプライムローンの損失の穴埋めのための資金あつめだ。それは多くの投資者のためではなく一部の人たちのためにだろう。おぃらは考えすぎだろうか。いや、一部の人たちのためにデーモンは養われる。平和の土地が戦場になろうと生物多様性の森がコーン畑やさとうきび畑になろうともだ。慎重に言おう。これは悪なのだと。そして人生までもがキャッシュフローの「ゾーン」に位置づけられ仮想の幸福が与えられる。仮想の幸福には実感が無い。それゆえ砂をかむような夢とその廃棄物は尽きない。*利確の局面に来た。あとは落ちるだけ。それが奇しくもオリンピックの終わりと重なるような気がする。いや、最中におこるかも知れない。山では親鳥がまだ巣立ちしたばかりの子供たちに餌を与えている。ヒタキ類もカラ類も親が子を呼ぶ声は同じ、ジジジという声。そして、目の前の水田のあちこちからはカルガモの雛が親を呼んでいる声が聞こえる。泡だつところから引き上げられた資金は次はどこへ行くのか。少なくとも「あの世」ではない。人々を甘く幸福にするといいつつ、苦さと砂をかむような日々をもたらしつつ。
2008年07月21日
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作者はアキバ人でないよ。昭和10年生まれの大島洋(おおしまひろし)という人。今日届いた本にあった。(三省堂名歌名句辞典机上版1041ページ)そして、おぃらは「犯罪」とは何か考えた。法による「刑罰」とは何か。そして刑は憲法のもとに完成されているのだろうか?「累犯障害者」という本を読み始めていま途中まできたところ。 おぃらがリーマンしながらNPO法人の理事でまったくのボランティアで経理を整理したり就業規則やら規定の整備をしていることはうすうす知っているでそ。そしてある事件があった。それは、田舎町のとしよりの人たちが知的障害者である二十代の彼に酒をのませてよっぱらうのをおもしろがってさらに酒を飲ませて警察のご厄介になったこと。だからこの「累犯障害者」はおぃらにとってはとてもリアルなことだった。それとともに思ったこと。それは、この国はまだ成熟するためのシステムを得ていないこと。まだまだ未熟だ。犯罪者の処遇がどうあるかということは社会へのリトライへの道をどうするこかということでもある。満期受刑者の再犯率が60パーセントを越えている。さらに優良受刑者であるはずの仮釈放者の再犯率は35パーセント。それも五年以内の統計だ。一般の社会システムでいえばそこで「うまくいっていないから責任者が謝罪」ということになるのだろうがそれがまったく無い。ということは、「マネジメントシステム」が無いことでもある。うちの山の神は知的障害者の小学校教育をずーーーっとやってきたから、家にはそういう情報はある。その知的障害者の教育の言葉の中に「インクルージョン」という言葉があった。受刑者に必要なのはこれだと思った。*実は受刑者であっても「個別支援計画」はあるべきなんだ。フランスで幼児をレイプした再犯者にホルモン代謝治療を義務化する法をつくろうとかという動きがあるらしいが実は「対処法」は解決できないであろうことは容易に想像できる。「犯罪」が発生した経緯はすべてユニークであるはずだ。だから個別受刑者にユニークな社会復帰への計画がなければならない。なぜなら、それはこの世界中の人々があこがれるこの美しい真珠のような日本という国のダークネスを明らかにしている統計なのだから。知的障害者の「累犯障害」の話をしたら山の神はいまさら何だと話しをしはじめた。知的障害者と認定されれば障害者年金が毎月八万円以上、今話題になっている年金から支払われる。ところで身寄りが無い知的障害者を後見人がひきとるとしよう。で、後見人が10人面倒みれば毎月八十万円以上になる。三十人をアパートに住まわせれば・・携帯電話の契約をさせる。あっちもこっちもだよ。それで出会い系メールを送信する。振り込め詐欺の口座もだ。カードをつくらせる。それでローンの借金をさせる。期日が来たらなぜ知的障害者に金を貸したのかとごねる。それが彼らのシゴトだ。暴力団によるドロップアウトビジネスがそこにある。福祉の網にかかればおぃらたちがしているような「個別支援計画」をうけることができる。それは東北の田舎の地域の知的障害者の親の会がしっかり活動しているからだ。法務省は処分を受け入れそのとおり処分して社会に返すだけだ。そこに一人も責任者はいない。裁判の結果は知的障害の認定もないし支援計画は厚生労働省管轄だから塀の外だ。だから再犯はおこる。おこり続けて社会不安は解消されない。法を執行する彼らは自らを責任者とは思っていない。先日彼らと会って話しをしてはっきりわかった。執行者は責任者ではない。再犯を防止すめための「法」がないからだ。受刑者にアンケートをとるアセスメントシステムは聞いたことがない。第三者機関をおいたアセスメントシステムがあれば少しは改善されるだろうに。それすらない。問題を明らかにするべきときがきてるんでないかい。だって受刑者は増える一方だしひとりあたり年間かかる経費は三百万円を超えるのだから。そして小泉がごちゃごちゃにしたこの国のダークネスを解消して再生する歩みはここから始まるような気がするのねっ。
2008年07月06日
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本当の七月七日でないよ。毎年あめだよ。だって、今年は六月五日だもん。地球温暖化のことを考えるのなら、暦のことも考えたほうがいい。だって、モンスーンの暦は二つのジャイロがあって成立しているんだから、砂漠の暦とは違う。鳥は太陽の暦で行動する。しかし植物は月の暦で花を開く。その間にいるのは昆虫たち。実は人類は昆虫と同じ二つのジャイロで動いている。*害虫である蛾の交尾行動にあわせてフェロモンを放出するわな(トラップ)をつくろうとした業者がいたのね。「うまくいかないでしょう。」と言ったら、案の定。「ダメでした」という返事が返ってきた。多くの人は昆虫みたいな小さい生物は体内時計をひとつもっているだけだろうと思うみたいだね。だから失敗する。実は昆虫は体内時計をひとつ持っているグループとふたつ持っているグループに分けられる。二つ持っているグループは光の電磁波を吸収して放出することによってもうひとつの時計を持っている。光エナヂの水時計とおもえばいいでそ。さらにこのふたつ持ってるグループはサインカーブの体内時計と光電磁波の吸収と放出による時計を組み合わせて交尾行動をする。なぜかオスとメスは出会うことができる。携帯電話もないのに。(爆)*ここでわかるのは生命とはふたつ以上の回転による時間の制御を受けながら生きているということ。たしかに七月七日は雨がふるから七夕ではない。今年の七月七日は八月七日で立秋だ。確実に晴れるだろう。そもそもモンスーンの行事なのに太陽暦でロマンスを語るのはおかしよねっ。子供たちの短冊は雨に流れるだろう。今年も。心無い暦を読むものによって。・・NHKだよ。笑・ところが仙台市はもちろん、旧暦にあわせている。だって、せっかくの飾りが濡れるでそ。仙台市民は合理的に男女の出会いを祝福してるんだろうね。明治以来の都市生活者は「官」の暦で短冊を書くからいつも願いは雨に流れて届かない。でもね。いいこと教えてあげよう。「地上の星」だ。中島みゆきでないよ。さっき、ふたつのリズムで昆虫は動くっていったよね。実はいま、ちょうどホタルがゲンジボタルからヘイケボタルに移行しつつあるとこなんだ。天上のロマンは雲にはばまれていても、地上のホタルはちょうどロマンの最中みごろ。地上の星、やがては天の星。ホタルなんて清流の昆虫だからいないだろうなんて思わないこと。カワニナが幼虫の餌なんだから実は里の生活廃棄野菜で濁った水がとても大切な生物なんだ。ところが高山に生息するホタルの話を聞いたことがある。その話はまたいつか・・
2008年07月05日
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