全2件 (2件中 1-2件目)
1
介護ビジネス塾という講座に出席した。僕の住んでいる地域では、この介護ビジネス塾をよくやってくれている。講座に出席するのは初めてだ。とてもワクワクしながら参加した。デイサービスの建築のポイントとすでにデイサービスを始められているかたの事例だった。アメリカにワイズマンという建築士がいる。20年前に認知症ケアと環境デザインという本を出版していて、認知症の周辺症状の緩和に良いとされる環境デザインを研究している人だ。ワイズマンは20年前にユニットケアを推奨している。食堂、談話室等が施設にあるが、それを囲むように居室を作っていくと、利用者が談話室に出てきやすいと言っている。デイサービスはそこに住んでいるわけではないので、食堂、談話室を囲むように居室があるわけではないが、食堂、談話室を中心にして、厨房や静養室、職員控え室などを囲むように作っていくという話をされたので、なるほど、良い環境というのは、同じなんだなと思った。入浴での暖房の風は直に当てない工夫をするや溺死事故が多いので、そういう面での安全性を重視する事。湯を張る方は時間的に改善策はあるが、抜く方は、排水溝の大きさに以上に早くならないので、時間を把握する。早く抜きたいのなら、特注で排水溝の大きな浴槽を作ってもらうなど、あまり、自分が考えていなかった事を話してくれたので、大きな気づきとなった。とても有意義な勉強会になった。
2005年11月16日
コメント(0)
認知症介護の悪いケアを見ていると、利用者を変えよう、変えようと必死になって頑張っている。客観的にみていると、意固地になっているように見える。例えば、認知症の方が汚れた尿取りパットを持って歩いていたとします。認知症でなければ、自分で捨てに行くんだろうと思うだろうし、心配もしない。介護者が「私が捨ててくるから」といえば「ありがとう!お願いします」など、とても丁寧にお礼を言われたりする。しかし、認知症があると「私が捨ててくるから」というと「自分でやります」や「なんで人のものを取ろうとするんだ!」と怒鳴ってきたり「大切なものを捨てるだなんて!」と一筋縄ではいかないことが多い。そんな時に「汚れてるから」「キタナいから」といっても全く話にならず、かえって興奮させてしまう事がある。その時にそのうち離すわ!と少しの間時間をおける人が少ない。(その汚れたパットを持たせている私が他の職員に責められる)自分にパットを渡してくれないから、ストーカーのように利用者を追い回し、無理やり取り上げる。職員が意地になっているから、利用者も意地になって「なんでそんなことするの?」「むりやり取らなくてもいいでしょう」「ばか!」と言う利用者もいる。そうすると職員もパットの取りあいでの格闘で興奮してしまい「あんたがばかでしょう」と職員を忘れているのか、それとも、そんな事いうのが恥と思わないか、その辺の理解に非常に苦しむが、子供のけんかのような事を言う人がいる。この時、当初の目的であったパットを返してもらうという事が忘れられてしまっているように感じられる。どんなに頑張っても人の心は変える事はできないのだ!!利用者の心を変える事はできないのだ!!これは真理である。しかし、唯一つだけ心を自分の思うままにコントロールできる。それは、自分自身の心だ。自分の心は如何様にも変える事が出来る。それが一番簡単で楽な方法だと思う。例えば「これは私のもの」ときっぱり言い放つ人には「ごめん、よく似ていたから自分のものかと思った」と心の向きを利用者に向ける。「誰にだって間違いはあるよ」といって去っていったり「そうでしょう」と顔がほころんで言ったりする。利用者の性格にもよるが、ここまで話すことが出来て、利用者の心が敵対心から開放することが出来ればあとはこちらのもの。「あっこれよく見て!パットだよ。汚れてる。新しいのと交換してくるね」と言っててを出すと渡してくれる。ちょっと大袈裟に芝居をするようにしてもいい。「大切なものなんだから」と言う人に対しては、汚れたパットをどこかに隠す特徴があるので、「なくさない様に大事にしてね」といって、そっとその利用者の後をついていく、大抵自分の居室のベッドとマットの間や布団や毛布の間にしまうので、でも、しまって1分くらいで、パットをしまったことすら忘れてしまっているため、利用者が居室から出た隙を見てパットを片付けるか、「こんにちは」と居室に入って行き、「ごみはないですか?」といいつつパットを探し当て「捨てておくね」というと「ありがとう」とお礼を言われる。全て自分の心の向きの方向性を変えた結果である。認知症のケアにおいて一番大切なのは、自分の心を変える勇気だと思う
2005年11月14日
コメント(1)
全2件 (2件中 1-2件目)
1