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ユメ讃歌 この数日は気温が20度前後にまで上がり冬から春へと急転換するという異常気象である 昨日など、激しい雨が終日降り続き強い南東の春一番の嵐となった 今年の冬はこの地方は寒さ厳しくその寒さが12月末ごろよりずっと持続したそのために春の芽吹きは遅い この数日は季節はずれの暖かさに誘われたかやっと椿の花が咲きはじめた私の好きなヤブツバキがやっと咲き始めた 早春の明るい雑木林に濃い厚いみどりの葉っぱの合間から可愛げに咲くヤブツバキその紅の可憐さ厳しい冬の寒気に鍛えられた紅の深さだま冷たき 早春の風にゆらゆらと揺れてるよ (生まれて初めて動物を描いてみた。ユメを描いたつもりであるが、犬は難しい。描けない。) あっけなく、静かに逝ってしまったユメユメちゃんのお棺に蕾かたい椿の枝をいっぱい入れたね。黒々と青い葉っぱのみどりに囲まれて深い眠りのなかにいたユメ 厳しかった冬あの固い蕾はやっと咲いたよ春がきたよ 春を告げる梅の花もやっと冬の眠りから醒めて ユメと歩いた散歩道に甘いかおりがこぼれているよ 冬のシャリンバイ(車輪梅) シャリンバイ(車輪梅)の植栽続く道も小鳥たちがクロガネモチの鈴なりの赤い実やサザンカや椿の蜜を啄ばみにやって来た。シャリンバイのはじけた実からイチゴジャムのようなつややかな紅紫の果肉を啄ばみにやって来た 今年もシャリンバイは夏には梅の花に似た白い花を咲かせ秋には茶褐色の実をいっぱい付けて又、冬がめぐり来るだろう ユメのいなくなったこのシャリンバイの咲く道にも今年も四季はめぐりくるだろう ほらクロッカスが (クロッカスを植えた鉢ということを忘れ、水もやらずバルコニーの片隅に捨て置いた鉢から、ひょっこりと花を咲かせクロッカスを見つけたときの驚きと感動。思わずごめんなさいと謝った。なんという健気で強い命) 枯れ草の大地から忘れずに春を告げにきた 暖かな早春の陽光にその花びらをきらめかせて 春を告げにきた ユメが1月22日に突然に逝ってしまってから、もう一匹のシーズー・アンナも体調悪く、アンナももうダメかと思う日があり、我が家は老犬の死やら介護やらと暗い日々を過ごしていた。老夫婦二人は、犬たちの姿に明日のわが身を見ているのである。わが身の死への旅路の練習をしているようなものである。犬たちが私たちに与えてくれている予行演習である。 しかし、このところの暖かさに誘われて、アンナも元気を少し取り戻し、私も、やっと物を創作する気分になってきた。陶芸教室も先週は後半に製作した作品の素焼きをした。窯だしも終わり、絵付けに入った。これらにやっと向き合う気分が戻ってきた。春が私のところにも忘れずにやって来ている。
2010.02.27
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マカオ昔(1960年代)1960年代の日本は、戦後の混乱から、朝鮮特需によって、本格的な復興をとげ、高度経済成長を遂げようとした時代である。戦前の価値観とは全く異なる、大量消費文化に突入。農村の労働力が集団就職して都会へと大量に流れこみ、農村の崩壊が急加速した時代である。所得倍増のかけ声に、アメリカ流の豊かな消費生活に憧れ懸命に仕事した時代である。1960年代の中国は、共産主義建設の路線をめぐって文化革命の嵐が吹き荒れていた。マカオはポルトガルの統治下にあり、政治的にはその革命の嵐の外にあったといえ、経済的には、沈滞していたといえるのではないか。マカオを象徴する世界文化遺産1960年代の サンパウロ天守堂 1602年~1640年にかけて建造された聖母教会。「ローマ以東で最も傑出した教会」と言われた壮麗な教会。施工には、中国人のほかに長崎から幕府の弾圧を逃れて渡った日本人のキリスト教徒たちも多く加わった。東洋におけるキリスト教布教の拠点として、大きな役割を果たしてきた。日本のキリスト教史にも重要な教会である。現在は1835年火事で焼失して聖堂の正面ファサードのみである。 2010年の聖パウロ天守堂は天守堂へと続く階段やその脇の道は、植栽され、美しい公園となっている。 春節の飾りも、更に華やかさを添えている サンパウロ天守堂から見下ろした坂道1960年代の坂 人影もまばらで寂しい坂道。 バックの街並みも家屋は廃屋のよう、空も広く開けている 今のサンパウロ天主堂から眺めた坂道 人、人、人観光客で混雑し賑わっている麓の街も高層ビルが林立1960年代サンパウロ天守堂に続く道 観光客というよりも、マカオに住む人々の生活の日常の光景 同じアングルからの今 人の賑わいや道路脇の建物も豊かさや活気が溢れているエネルギシュな街 1960年代のモンテの砦(サンパウロ天守堂の右手の位置する防御施設。1617年から1626年にかけてイエスズ会との協力で築かれた。中世のヨーロッパの城砦の文化を持ち込んだものといえる) 火炎樹が立ち、子どもたちが坂で遊んでいます。 この斜面は、現在は公園として整備されガジュマルの大木に覆われサンパウロ天守堂からモンテの砦は今では眺望できなくなっています。 1960年代 モンテの砦からのサンパウロ天守堂の眺望はこんなに開け、対岸の朱海市も見渡せた 同じポイントから撮影したサンパウロ天守堂 高層ビルが林立し対岸を見渡せないだけでなく手前も公園の樹木によって天守堂の階段や坂は見えなくなっています この写真は1960年代ペニャ教会が立つ「西望洋山」という更に南に位置する丘からモンテの砦を撮影したもの 2010年 ペニャ教会の立つ丘より麓の高級住宅街を撮影したもの木陰から垣間見える左端の茶色の建物は現在のポルトガル領事公邸 同じアングルから撮影した 1960年代の景色 中央の建物が現ポルトガル領事公邸40年前は旧ベラ・ビスタ・ホテル マカオは16世紀から、西洋と東洋を結ぶ貿易の中継地として盛衰を繰り返してきた。西洋列強の外交官や商人たちの社交場リゾート地としての特色を持ち、カジノも其れと共に発展した。1960年代のカジノ 2010年不夜城のごとく夜も休むことない街カジノ 美しく整備修復された街並み 40年前のマカオの町並み 人影もまばら 西洋と東洋を結ぶ、ある時は、海のシルクロードとしてまたある時は、東洋へのキリスト教布教の拠点として西洋と中国を融合し共生した400年余りの歴史を生きて来た マカオは今、その歴史の文化遺産を観光資源として、中国本土から膨大な人々を招き寄せる観光の街として、驚くべき発展をとげ活況を呈している日本にもカジノをつくり、街を再生せよという政治家がいる。猿真似の付け刃で、カジノを導入して街や村が真に再生は出来ないのでは。マカオの歴史はその事を物語っている。即ちマカオの観光、カジノの街としての繁栄は長い歴史の継承としてあり、突然に今出現したものでないということである。この意味で、マカオの今の盛況はその歴史的必然なのである。1)マカオに咲く亜熱帯の花々 2)マカオ今昔物語(その1)(その2)に続き、次回は マカオの世界文化遺産(1)を紹介します。
2010.02.24
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マカオ昔(1960年代)2・24日の(その2)の追加記事1960年代の中国本土は『文化革命』の嵐が吹き荒れていました。香港やマカオはイギリスやポルトガルの統治下にあったため、直接的に革命下あったわけではありませんが、朱江を命がけで泳いで渡り、香港やマカオに逃げようとした人々が途中で命を落とした幾多の痛ましい事件がありました。 その犠牲者たちの霊を鎮魂するための「南無阿弥陀仏」という文字が彫られた石碑の写真は文化革命の嵐がマカオにも無縁ではなかったことを示しています。 「西望洋山」から西湾湖方面を撮影したもの1960年代は、高層の建物なく遠く湾まで眺望できた朱江にも通ずる湾である 2月24のマカオ今昔(その2)は制限字数(1万)を越え、記事内に挿入できないため、別付けで追加しました。1960年代は私たちの年代にとっては、まさに嵐のような日々、青年期の迷いや悩みの日々であると同時に、生きるエネルギーにも溢れていたように思います。 マカオの記事を書くことで、わが青春の日々が蘇ってきました。今の若者たちの閉塞感を思うとき、胸中複雑、感慨深いものあります。 大きく世界に目をむけ、21世紀の壮大な人類の歴史の発展に想いを巡らすならば、私たちの青年期よりもより大きな可能性が、又一方で開けているのが現代という時代ではないかという想いに駆られています。
2010.02.23
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マカオの今(1) マカオは西洋の大航海時代、ポルトガル人のジョルジュ・アルバレスが香港とマカオの間の小島に到着した1513年から、西洋文化の入り口として、栄枯盛衰を経てきた。日本にとっても、信長の時代から、西洋への最も近い入り口であった。 マカオは1999年、ポルトガルから中国に返還されて、特別行政区となって、11年が経過した。即ち、中国は返還後50年間は、行政に口を出さず、マカオ人の自治を認めるというものでる。 街の財政を潤すカジノ マカオは今、カジノと観光で賑わい活気に満ち満ちている。 マカオはポルトガル統治の時代から、西欧列強の外交官や商人の社交場として、リゾート地としてしての様相を呈していた。賭博が収益基盤として、合法化されたのは1880年代。カジノの街としては、100数十年の古い歴史がある。 2002年、カジノの営業ライセンスの自由化により、ラスベガスの業者を含む7社に認可されて以来(其れまで地元企業の一社)、現在のようなカジノ景気による繁栄の街にマカオは変貌した。 (まさに不夜城。豪華なカジノホテル) 2008年にはカジノの売り上げはラスベガスを抜いて世界一。カジノからの収入は1日37億円にも上るという。(政府収入の70%を占めている)マカオが中国本土の一部となったことにより、中国本土から、賭博目当ての観光客がどっと押し寄せるようになったことが、売り上げ激増の背景にあるという。ガイドさんの話によれば、「日本人は冷静だが、中国人は生まれつき賭博好きだから、当分客足が絶える事はないでしょう」とのこと。 マカオの街の人口はわずか50万人強。この人口でこの財政の豊かさ。その富、他の国が羨む福祉都市を実現しつつある。 (春節祭の飾りつけで、賑わいを見せるマカオの街の中心にあるセナド広場) 例えば、豊かな財源は次のようなことに使われている。 1) 個人所得税がない 2) 3歳の幼児教育から高等学校まで、無償義務教育 3) 老人手当ても手厚い。「ケーキ手当て」と称して65歳以上の老人に8万円支給 4) ポルトガル領時代の22の歴史建造物が2005年に世界文化遺産に登録れ、古い建物が綺麗に修復され、観光資源として価値をあげている等である。 セナド広場&民政総署:春節の飾りつけの背景にあるのは、南欧風の洒落れた建築・民政総署、市民サービスを行なう行政府でもある。 ポルトガルの長い統治の歴史を留めて、マカオを象徴するサンパウロ天守堂跡と春節の飾りつけ、西洋と東洋の文化が現代に生きている。 世界文化遺産の数々が観光の街としての賑わいをかもしだすマカオ 春を迎える飾り付けと、桃の花が満開の街に観光客が溢れている そのサンパウロ天守堂のすぐ下で見かけた「恋愛巷」通り粋な名前の路地「恋愛巷」恋人たちの小道、囁きの小道といったところか。 美しい路地に修復されている (恋愛巷通り。西洋と中国が溶け合って美しい) 街角には、こんな張り紙もみられた。豚インフレエンザの予防接種の場所を示すポスター 豊かな財政を反映して、新インフレエンザ(猪流感)の予防接種は無料である。(因みに、日本は1回3000円の自己負担である) (正面玄関の中国語「醒目仔」は「Smart Kids」:下の横文字はポルトガル語。explicacoes「個人授業」という意味もあり、マカオの子どもたちの日常を少し垣間見ることができますね。) ある学校の近くには補習塾らしきものが軒を並べていた。 その学校の掲示板には「硬筆習字コンテスト」の優秀作品の掲示が。 マカオの子供たちは、簡略字化された漢字の元字体:「繁体字」を今も習っているとはすごい。今も、かわらず昔の漢字を学習している。これは、中国がマカオの特別行政区としての自治を保障し、その文化を尊重している証でもある。 その学校から、ジャージ姿の生徒たちが、先生に引率されて、列をなして出てきた。 マカオは土地が狭く(人口密度世界第3位)、学校に運動場がない。 体育は公営の運動場や体育館を借りて行なうという。この生徒達は 今、まさに近くのそんな施設に向かおうとしているところ。 マカオの今は、カジノ景気と観光で、めざましい発展をとげ活気に溢れていました。しかも、古い文化遺産が大切に保存修復され、現代に継承されている。子供たちの漢字習得のありようからも、マカオの今の活況が、伝統的な文化を大切にし、継承し発展させていることが窺えて興味深い。この生きざまは日本人の私たちも学ぶところ大である マカオの昔:1960年代Danjoseは、40数年ぶりにマカオを訪れ、その変貌ぶりに驚き、数々の写真に今のマカオを収めました。40数年前に訪ねたときに、撮影した貴重な写真が保存されていましたので、次回は、「マカオ今昔(2)」を今のマカオとくらべつつ、1960年代のマカオの街並みを紹介します。 次の記事も併せてお楽しみを。 1回目(2/15)マカオに咲く亜熱帯の花々
2010.02.21
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ユメ賛歌 1月22日、12年あまりを毎日共に散歩したパピヨンのユメが突然に逝った。余りのあっけなさ、あまりにも穏やかな最期12年間、共に通った野の道早春の芽吹きのときも、花爛漫のときも、まぶしい新緑のときも、紅葉や枯木の林のなかでも、すべてがユメと共にあった この紫陽花が、枯れてもなお美しい姿で木枯らしのなかに立っていたとき傍らにユメがいた 冬の百日紅 冬空の青に向かって枝々を伸ばし、濃い褐色の実をいっぱい散りばめて寒風にざわめいていた百日紅の実 この時も私の傍らにユメはいた静かにわたしの傍らにいた ゴボウ太い根っこ、もじゃもじゃの髯根柔らかでゴボウのかおりがプーンとして煮ても、いためても、揚げてもおいしい冬のゴボウ もじゃもじゃの髯根っこはから揚げにするとぱりぱりとおいしいよ いつも野菜を購入している自然農法の青年の農園に野菜を受け取りに行くときも傍らにユメがいた その日もいっしょに キャベツの葉っぱをパクパク食べて 「まぁ、ユメちゃん!お野菜食べるの?」 と言われてた 道端の水仙も肌刺す木枯らしのなかですくっとまっすぐに立って気品に満ちて咲いていたとき その水仙咲き競うときユメは私の傍らにいた穏やかに静かに私の傍らにいた そして、散歩小径に蝋梅の芳しい香り満つときユメは私の傍らにいた もうすぐ春暖かくなったらもっともっとゆっくりと野の花や草と野の虫たちと遊ぶはずだったときユメはわたしの傍らにはもういない 長い厳しい冬から草木が目覚め始めようとしている前にユメは醒めることない眠りについてしまった この喪失感 春は遠い 突然ユメがにあっという間に逝ってしまってから、まもなく1ヶ月になろうとしている。冨士子婆の受けている心のダメージはかなり大きい。ユメと共に10年余通った散歩道はどうしても歩けない。胸が締め付けられ気分が悪くなる。もう大丈夫と思っても、やっぱり、同じ道はだめである。その代わりに朝の散歩道を前とは真反対の方に変更し距離も長くした。朝、1万歩、距離にしたら6~7キロぐらいを歩くことにした。ユメちゃんがくれた健康維持のためのプレゼントと思って、頑張って続けている。以前の散歩道より更に山道深くなった。そのため、寒さも厳しいのか、まだまだ、春遠く木の芽も眠りについている。
2010.02.16
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Mr.Danjoseのマカオ・香港旅行 亜熱帯の花々咲くマカオ 高い丘に聳える聖ポール天主堂跡ポルトガルの統治下に長い間あったことを留めるマカオの象徴とも言うべき石造りのファサードその教会の前面だけが残る壮大な聖堂跡 ガジュマルの気根が空中にぶら下がり生い茂るその旺盛な生命力の背景に巨大な聖堂跡。マカオの街の栄枯盛衰とともにたたずんできた聖堂が生い茂るガジュマルの大木のむこうに霞んでいる このすごい気根、亜熱帯に繁茂する生命力が溢れている 真夏には、涼しい木陰となって市民や観光客の憩いの場となる大きな木、ガジュマル (リラウ広場:ガジュマルの木が茂り涼しい木陰をつくる広場、地面には、ポルトガル独特の美しい石の舗道・カルサーダス敷かれ、その歴史のなごりを留めている。) 街のあちこちに咲く赤い花頷き姫芙蓉 蕾のときは、上を向いているけれど、だんだん下を向いて咲くからうなづきの姫芙蓉というという 花びらはこれ以上開かない英名はSleeping Hibiscusアオイ科のヒメブッソウゲ属;冬の間が花期 可愛らしい数々の名前をもつ花沖縄の子供たちは、この花の甘い蜜を吸って遊ぶことからCigaretto Hibiscusという呼び名もあるという マカオの街角や公園に茂り赤い花をさかせている そして明るい黄色の花が街のあちこちに茂り咲き競っていたモクセンナ (学名:Cassia surattensis マメ科カワラケツメ属。熱帯アジア原産の小高木) ガジュマルの大木の下で競っているかのように生い茂るモクセンナ モクセンナは薬効もあり、痛風や糖尿病に樹皮や葉を煎じて服用するという。 街路樹に公園に日本の桜の木のようにマカオの街に咲く花バウヒニア(洋紫荊) バウヒニアは香港を象徴する花香港の旗のデザインにもなっている花熱帯から亜熱帯に分布するマメ科の植物さくらが日本を代表するように香港のシンボルマークでもある花バウヒニアアップするとこんなにあでやか花バウヒニア マカオの冬は、いかにも亜熱帯の地域らしく鮮やかな色の花々が街に咲き濃い滴る緑の葉っぱ茂り、賑わいと繁栄のエネルギーに満ちていました。 ダンホセ夫妻は1月26~30日40余年ぶりにマカオを18年ぶりに香港を訪れました。最近のマカオ・香港の変貌ぶりに驚きつつも楽しい旅となりました。 その驚きや感動の数々の写真を次のような3回に分けて紹介します。1)マカオの花 2)マカオの昨今(Danjoseが40年前に撮影した貴重な写真で町並みを紹介します。3)マカオ世界遺産
2010.02.15
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春を告げる花たち今年の冬はことのほか雪が多く、厳しい寒さの日が多かった。私の子どもの頃の冬はこんなであったと思い出させてくれる肌を刺す木枯らしの冬となった 2月4日の立春も 日本列島は厳しい寒波に見舞われ 各地で積雪し、日本海側は大雪となった この2日ばかりは春を思わせる陽気となって、木々が冬の眠りから醒めて、芽吹きを促す春の雨となっている。 埼玉県長瀞町宝登山のロウバイ園 Danjose夫妻は、ここ数日の陽気に誘われて埼玉県秩父郡長瀞町の宝登山(ほどさん)山頂付近にある蝋梅(ロウバイ)園を訪れました。雄大な奥秩父の山々を遠景に、約500株2000本の蝋梅が次々に咲き競っていました。 蝋梅や雪うち透かす枝のたけ 芥川龍之介 半透明でロウを引いたように艶やかな花弁その向こうにある残雪の白その黄色と白のとりあわせその枝ぶりの妙まさに龍之介の歌のごとまだ浅き早春 でも陽光の明るさは春の予感をはらんでロウバイの花びらはまだ弱き光を透かして明るい青に溶け込む まだ浅き春 寒梅の紅ももやる山々の青に白に映え 白梅もやわらかな明るい陽光に映えて芳しい甘い香りを放つ ほら福寿草も 暖かな光に誘われてその明るい黄を黄金に輝かせて大地からむっくりと現れて春の訪れが近いと告げている 早春に「まずさく」からマンサク あるいは「豊年満作」のマンサクに由来するとも言われているマンサクの花 枯れた冬景色を突如として黄色に色づけするマンサク マンサクの花が咲くと春の訪れを実感する 枯れた葉っぱと花が共存して冬から春への移ろいをその一本の木のなかに体現しているシナマンサク 枯れた木々たちが命のうごめきを始めている林のなかで真っ先に春を告げにやってきた マンサク 今、山や野では木々は淡く紫色に煙って芽吹きの準備をしている
2010.02.10
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