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神宮外苑の銀杏並木金色に燃えて 秋の暖かな陽光が降りそそぐ穏やかな日曜日 今、真っ盛り銀杏の黄葉 散り敷かれたイチョウの葉っぱふかふかの金色の絨毯に 金色のトンネルのなか 休日の昼下がり人々は三々五々に散策している 若者も 若いファミリーも いいお顔、、、いいお顔、、、ベロベロバ~ァ懸命にあやしているよパパとママ イチョウの葉っぱさん、とお~く、とお~くに飛んでいけ! カサ カサ葉っぱさん踏みしめるといい音するね。 そしてワンちゃんまでも 晩秋の暖かな陽光浴びて戯れている。 何という穏やかな風景何という平和な風景日本の首都の心臓部・神宮外苑の晩秋の休日は豊かで平和そのもの。 この豊かさ、この安穏。 抜けるように高い青い空に 金色に燃え上がる銀杏並木そのの果てにあるものは何か。 2010年日本の秋は東アジアにおける国と国の関係がにわかに急を告げているし、東京の街には明日のない若者や高齢者があふれている。日本の国はどの方向へ行こうとしているか。あの国会議事堂で、何が議論され、何を決めようとしているか。 そして、世界では今、何が起きているか、起きつつあるか、想像力を働かせて思い巡らす時があるか。 この神宮外苑の晴れた晩秋の休日の情景は今の日本の姿をある意味で象徴しているように思える。 私は、日頃、若い中学生や高校生やその親たちと接する時間が多い。その中で、彼らについていつも驚くのは、現在の社会情勢に全く無知・無関心で暢気であるということである。のほほんとしている。自分たちが生きていく社会が、今何が問題で、どうなろうとしているか、思いめぐらす想像力をもたないことには、親も含めて徹底している。自分の狭い世界の中だけで閉じられており、その範囲内で平穏無事であれば良いという考え方で生活している。このような狭い世界観では、未来を切り拓く能力が育たないのではないか。(現状を切り開いていく創造性を身につける必要も感じていない) 若者は就職難とかいっているが、本当にそうだろうか?景気が回復(?)すれば、就職難は解消するだろうか。(私は、解消しないと思っている)現代の社会の直面している問題が何かに思いをめぐらす想像力も持ち合わせないような若者が、社会の中でこのような時代に長く働いていけるだろうか。働く能力を身につけること可能だろうか。はなはだ疑問である。彼らにあるのは、非常に受身的な生活態度であり、整えられた環境の中でしか力を発揮できない。 現在の日本の政治もこの若者たちと全く同じ状態にあるように思う。何をやりたいのかが、ふらふらしていて伝わってこないばかりか、困難に分け入って新しい状況を切り開くという勇気やエネルギーがないように見える。 革命的な改革が必要とされている時に世論や官僚の利権やらにふりまわされているように見える。大衆に迎合している。
2010.11.30
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私の朝の散歩道森林公園はこの一週間で、あっという間に晩秋の装いとなっている。 モミジは一気に紅葉し、クヌギやコナラの木々は黄色を秋のやわらかな陽光を浴びて一層、黄をまして輝いている。、 これでもか、これでもかと秋色の木々が積み重なって迫ってくる。 ナンキンハゼの白蝋の実ははなやかな花のようその背後の木々の黄緑、黄色、オレンジ、朱、茶と微妙に変化して山肌を下りるてくる雑木林 とりわけ、鮮やかな赤秋の陽光に燃える赤 このモミジの向こうに広がる池大道平池 池辺では、南米風の民族衣装の青年2人わんちゃん2匹 ギターとドラムの伴奏で大声で楽しげに歌を歌っている。躍動しています。 太鼓の激しいリズムが水面に響く 紅葉で燃える木々水辺はきらきらと陽光きらめき深呼吸すれば思わずこころ開いて歌が出るわんちゃんもその穏やかで美しい景色になごんでおりこうさん(勝手に駆け出したりしないで、いつまでも、カメラ目線で私を見ています。) 山茶花も暖かな陽光をうけて満開 燃える紅葉した木々たちと競演している。花の蜜を食べにきたムクドリたちが山茶花の大木のなかでけたたましく鳴いて、飛交う。 どこまでも、どこまでも続く山茶花の道 少し、小暗い山道に入れば、ほら、もうフユイチゴの実がこんなにも熟している。 真っ赤に熟した実には荒々しいトゲがいっぱい。 夏には、歩くと足に絡まるほどに茂っていた蔓可愛らしいが目立たぬ小さな白い花をつけていた。 (ふわふわの枯葉の絨毯のなかに、緑の葉っぱの下に、真っ赤な実をつけている。食べるとほのかな甘味、野生のあふれるイチゴの味) 今、その花は、こんなにも、びっしりと、赤い実をつけた。 酷暑の夏にもめげずに。 フユノハナワラビ 落ち葉散り敷かれた土手にひょっこりと現れたフユノハナワラビ 胞子嚢が花のように金色に輝く、枯れた土手に鮮やかなグリーンの葉。冬だけ現れて春になると消えていくフユノハナワラビ 山のなかで真っ先に紅葉するヤマウルシ まだ他の樹木が緑の葉っぱをそよがせているのにひとり赤く燃えるヤマウルシ他の木々が紅葉し盛りの今もいっそう鮮やかな透き通る赤でひときわ目立つヤマウルシ 褐色の実だけが、木にしがみつき寒空に震える冬がそこまで来ている 山里の秋はまさに今移ろう季(とき)この一週間ばかり、風邪で朝の散歩をお休みしている間に秋は一気に進み、終わりへと近づいている。私の散歩道は、県有林のため、管理され保護されているので、美しい四季折々の変化をみせてくれています。自然のもつ恵みを、ひしひしと感じることのできる環境が保持されています。しかし、そのすぐ傍、森林公園と境界をなしている近隣では、山ごと破壊して、狭い一戸建ての建売住宅が売り出されており、その破壊ぶりはすさまじい。一本の木もなくなるまで、山を壊しています。 なぜ、もっと自然と調和した開発ができないのでしょう。
2010.11.29
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毎年、MR.Danjoseは本土寺の秋を撮影していますが、今年は、ライトアップされた夜の本土寺の紅葉を紹介します。 いのち静かに燃えて ライトアップされて夜空にしっとりと浮かび上がる塔 もみじが、ライトに照らされて赤さをいや増して燃え立ち、 黒のなかから湧き立つ紅葉 小暗い 池の面にも 赤が燃え 黒 と 赤 と 黄 だけの 色だけの境内に 静寂 あるばかり グリーンが眩しい オレンジ色も鮮やかに黒の中から浮き立って 本土寺の夜は燃える紅葉色のなかに静まり返っています 冷たい夜のしじまに赤く燃えたたつ葉っぱたちは命の最期を輝かせています。 無音で、はらはらと、大地へと散っています。 花の浄土本土寺の晩秋 ただ漆黒の闇と静寂あるばかり 11月26日の本土寺。モミジはまだ紅葉していない木々もあり、夜の入場料は500円のところ300円で入場できたとのことです。今年のモミジは、木によっては鮮やかな紅葉をしているのですが、一方では、全くのグリーンのまま木や枝があり、個体差がとても大きい。 一斉に紅葉しないという傾向があるように見えるが。
2010.11.28
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秋深し今年の夏の猛暑続きが良かったのかマツタケが50年ぶりの豊作だという 私の家にもそのおすそわけのマツタケが届きました。食べるのがもったいないような立派なマツタケ。しばらくは飾って眺めて過ごしました。マツタケの香り部屋に満ちまさに秋来たり。高齢の私の母のいのちは畑仕事野菜や花を作っている時だけが元気になれるとき。 このみかんも母の丹精込められて実ったもの たわわに実って重いみかんを大地にくっつきそうに垂れて秋の風が枝をゆらしているよ。ナンキンハゼ 私の散歩道・森林公園のナンキンハゼあちこちに大樹となってみごとな紅葉。ナンキンハゼの実は白いロウ状の種子を紅葉した葉っぱの合間からのぞかせて華やかに大樹を彩る。燃え立つ赤を背に蝋燭のように飾り立てている。秋は読書の秋スポーツの秋文化の秋 ことちゃんのピアノ発表会のあとで。、パパ方の闘病中のジイジがことちゃんのピアノを聴きに病魔を押し切って来て下さった。ありがとう、ジイジ!ことちゃん、どんどん成長しています。もう少し頑張って下さいね。孫たちが成長していく姿見届けて下さいね。 枯れた赤茶けた土手にニョキニョキと突き出てきた濃い緑の葉と黄金色の花を朝の陽光にきらめかせているのを見つけた時の驚き。冬のハナワラビだという。蕨に似た葉っぱ(栄養葉)と並んで細かく切れ込んだ胞子嚢をびっしり付けた黄金色の葉(胞子葉)胞子嚢を花と見立ててフユノハナワラビと呼ばれている。冬の間だけ姿を現し春になると消えうせるシダ植物冬蕨は秋の終わりを告げにやって来た。
2010.11.26
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北部アルゼンチン・フォルクーロールを訪ねる旅(その4) アンデス山脈の厳しい自然環境に生きる南米ラクダたち 4000メートル級の山々が続く山道塩湖からプルママルカへの道中の最高地点4170メートルのラモード峠 低いイネ科雑草が生えるばかりの荒涼としたパンパに強い太陽の日差しが降りそそぐ このアンデスの山中に紀元前の昔からインデイオとともに暮らしその衣料原料として、貴重な蛋白源として又ある時には、険しい山道を荷物を運ぶ運搬用の家畜として、人々の暮らしを支えてきたリャマ 現在では、この辺りのリャマは野生のものと家畜化したものが混在してパンパの草原で草を食んでいます。家畜化されたものは、耳にリボンをつけています。 現在では、リャマの毛はアルパカとともに繊維原料として世界の多くの人々が愛好している毛糸となって私たちの身近なところにあります。 アンデスの山中に生きる野性のビクーニャ おだやかで、やさしげな姿のビクーニャだが人に馴れ親しむこと難しくいまだ家畜化には成功していないビクーニャ その優美で気品に満ちた姿 ビクーニャは独立自尊の象徴としてペルー国家の紋章にもなっている。 静かにひとり広大なパンパへと去っていくビクーニャ気高く、 孤高のビクーニャ アンデスのラクダのなかでビクーニャの毛は柔らかな茶褐色、光沢に富み、毛としては最高級の良質なもの。1頭のビクーニャから取れる毛の量は少なくコート1着分に40頭が必要という インカ帝国では 王侯しかビクーニャの服を 着ることができなかったという。 このような厳しい大自然のなかで孤高に生きているビクーニャは人間の乱獲による絶滅の危機にある。 グアナコ グアナコはビクーニャよりやや大型でアルゼンチン、チリの南極に近いパタゴニア地方の山中に棲息している。このグアナコは翌日、訪れたサボテン園の中で1頭だけ飼われていたものです。 天空にもっとも近い場所この地を観光する人々が利用する観光バス 険しい山道、でこぼこの石ころの山道冷たい風が吹きぬける山中強い日差しのパンパこの高原の中をトラックの観光バスが走る以下の写真アルパカは、Mr.Danjoseが30年あまり前にペルーで撮影したものです。 リャマのなかまの繊維は、The fibre nearest to the skyとかThe fibre of the Godなどと称えられ、世界で最も天に近い高原の過酷な気候条件なかで育まれた大自然の贈物です。 アルパカどこかユーモラスで、人なつこく ヒツジに似ているアルパカでも、アルパカも南米ラクダの仲間です。いままで見てきたリャマ科の毛はすべて繊維原料となりますが、アルパカがこれらを代表しています。品質がすぐれ、家畜化しているために、量産が可能ということによります。 南米ラクダたちの棲む環境は海抜4000メートルから5000メートルの高原。昼夜の寒暖差は50度にも達し、強い日差しと冷たい風など過酷な自然条件。 この過酷な気候条件のなか何千年もいのち繋いで今にあるリャマのなかまたち。その毛はこの厳しい環境に適応して生きるために進化してきた。まさに、大自然の神秘がもたらした神のおくりもの アルパカ毛糸の軽さ暖かさしなやかさ、自然色の風合いのやさしさこれらはこの厳しい自然が作り出したものなのです。 アルパカの毛刈り。おとなしいアルパカ、四肢をしばり、頭を抑えるとじっとして動かず鋏で毛を刈り取られています。 毛刈りは、1年に1回雨季の12月から3月にかけて行なわれます。雨季は牧草が豊富で、剪毛後の体力維持増進の栄養源の確保が容易なことと、昼夜の温度差が小さく、剪毛後の体力消耗が少ないため、この時期に毛刈りは行なわれています。 毛を刈り取られた後のアルパカ胸の毛は前掛け状に刈り残されています。風邪をひかないようにという配慮からだそうです。 穏やかで、どこかユーモラスなアルパカ毛刈りの後もよだれかけのようなエプロンつけて思わず笑みがこぼれる。 過酷な大自然で生きるアルパカたち、その厳しさに似合わぬおだやかな満ち足りたやさしげな表情現代の社会を生きる私たちが失いつつあるものを静かに訴える目ですね。 今回の野生ビクーニャの写真に私はとても感銘を受けました。素敵な写真ですね。めったにこのような至近距離から撮影できないのに、幸運にも撮影に成功した今回の写真。その意味からも大変貴重なものです。このような動物がアンデス山中にいるという事実、しかも、絶滅の危機にあるという事実これらの事実を知って驚き、考えさせられました。30年も前のアルパカさんたちをこんなにも鮮明な写真で見ることができるとは、これまた素晴らしい。アルパカ毛糸の原料はこのような環境で、このように育っている動物たちからのものであったとは。 私も、孫たちにかわいらしい手袋でもアルパカ毛糸で編んでみようかな。 そんな気持ちになりました。
2010.11.15
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森林公園もう晩秋 私の早朝の散歩道はこの数日は小寒くまだ十分に紅葉をしていない葉っぱたちが冷たい木枯らしのような風に舞い散っている(朝日を浴びて輝くケヤキの落葉) ケヤキの木々だけは日毎に黄葉し赤茶けて一面ケヤキの葉っぱの絨毯 たわわに実るヤマガキ 公園のヤマガキは鈴なりになって嵐のように強い風に揺れています。 7月には欝としい灰色の梅雨空をぱっと明るくしたトウネズミモチの白い花の群れは今、灰色がかったブルーの実を見事に実らせています。 シャシャンボも実をつけました。 シャシャンボも梅雨のころ煙る雨のなかに白い花を咲かせていた木々です。 ほらアケビもほんのりと淡い紫色に いまにもはじけそうに 熟して巻きつく蔓を風に激しくゆらしています。 甘い乳色の実が割れた果皮から顔だすと待っていましたとばかりに小鳥さんが飛んできて、あっといまにというまにもぬけの殻 (この紫は絵の具ではなかな出せない微妙な色。自然のなかでしか作り出せないはっとする紫色です。) 殻だけになったアケビは必死に蔓にしがみつきただ、木枯らしにゆれているばかり。 公園内に多く植栽され真っ先に美しく紅葉したナンキンハゼ 赤、紫、黄、緑など葉は美しいグラデーションになって鮮やかな色のハーモニー。遂には樹木全体が秋の空に真っ赤に燃え上がる。 (ナンキンは中国からの渡来を表わす言葉。かっては、ハゼノキ同様に果実の種子からロウをとっていた。) そして、実の殻がはぜると白い種子がロウソクのように点々とちりばめられる (このナンキンハゼの木は、白い花がさいたように華やかな大木。左の緑の葉っぱの大木はまだあまり紅葉していませんが、果実はすでにはぜて、白い種子が花のように散りばめられています。小鳥たちが、盛んに実を啄ばみにやって来ます。) アップするとこんなに美しい種子ナンキンハゼの実 (ナンキンハゼの花:7月に撮影したもの) ナンキンハゼの花は7月ごろ毛虫が這っているように穂となって大樹を多い尽くしていた。とてもユニークな花 20mにもなる高木のナンキンハゼの木々のはるか上空を毎朝のように舞う凧 凧作り、凧上げ名人芸のおじいさんこれは中国凧と言うのだそうだ。中国では、このような凧の絵を描く絵描き職人がいるという。 5mmにも満たない細い糸に乗って悠然と森の上空を舞う鳥の種類も多く鷲、鷹、鶴、カササギなど紙と竹ヒゴでつくられた凧なのである。 その大空に舞う凧は本物の鳥とまがうほど。 池には水鳥も飛来しにぎやかになってきた。 水面にも秋が。鴨たちがたくさんやって来て泳いでいます。 、森林公園の池には水面すれすれにカワセミが魚をとらえて低空飛行する。 鮮やかな青、鋭い直線を川面すれすれに残して飛び立つ鳥・カワセミそのカワセミを追ってカメラマンたちが毎朝、熱心に早朝から寒いなか、カメラを構えて列をなす水辺 森林公園の早朝はかくして趣味を楽しむ年配者たちでにぎわっている。 その公園に寒い冬が近づいている例年なら、けやき、こなら、くぬぎ、そして、もみじ などが紅葉、黄葉をはじめ、木々が燃え始めるのが今頃であるが、今年は、紅葉の始まらぬまえに、葉は赤茶けて折から、吹き始めた冷たい季節風に散り始めている。 トウネズミモチ、シャシャンボの花の姿は2010/07/05 梅雨の森林公園の日記で書いています 冨士子婆の近況。大学の公募の推薦入試始まり、この婆さんも私のところに勉強にきている大学の受験生とねじり鉢巻。てんやわんや、プレシャーかかり大変である。さらに、高齢者たちからお呼びがあり、話しの聞き手となり、さらに、さらに、今日など孫のちーちゃん熱出し、保育園お休み。預かることに。あわただしく、老い行く体力に鞭打ち日々が過ぎている。趣味の絵手紙や陶芸にも、時間割きたいがままならぬ。この状態は、喜ぶべきか、哀しむべきか。悠々自適の老後には程遠いが。朝の散歩で出合う、趣味悠々のお方たちをみるにつけて、老後はどのような生活設計をすべきか、老後とは80歳代ぐらいをいうのだろうかなどとあわただしさにまぎれて、考えるこの頃である。
2010.11.11
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こちゃんがピアノで奏でる歌は。 11月7日ことちゃんのピアノ発表会がありました。3歳から習い始めたピアノのお稽古。3年間が経過して、かなり上達しています。ママがお仕事で忙しく、つき切りでは練習を見てやれないのが悩みだそうですが、一応、毎日、数回曲を弾く程度にはピアノに向かっています。 ママと2人三脚の練習風景はお互いに我が強い女ふたり、気の強いもの同士が集まって言い合いのケンカしながらの練習です。 しかし、こんな状態ですが、ことちゃんはピアノが好きです。 年長組の6歳になった頃より急に練習レベルが進み難しい曲に挑戦しています。 今回の発表会でことちゃんの出番は3回もあり、まずはモーツアルトのメヌエットヘ長調を弾きました。モーツアルトがことちゃんと同年の6歳のとき作曲した曲だそうです。家では、完成度いまいちでしたが、本番では、かなりの集中力で、練習よりうまくまとめていました。何よりもことちゃんのピヤノの音は、芯があり、とても伸びやかです。 うまく弾けて、ほっとしてニコニコして退場することちゃん。 2回目の出番は「名曲音楽史」という、ピアノ音楽の歴史をたどるプログラムに出演しました。 クリーガー作曲のメヌエット イ短調をトップバッターで演奏しました。 3回目の出番はピアノ名曲連弾で、スメタナのモルダウという曲を先生と連弾しました。 モルダウはチェコの作曲家スメタナの代表作品。連作交響曲「わが祖国」の中の第2曲。モルダウとは、ヴルタヴァ河のドイツ語名で、ヴルタヴァ河の源流近くから首都プラハを流れ、エルベ河に合流するまでの様子が描かれた音楽で、スメタナの望郷の思いがこめられたとても壮大な曲です。 先生との連弾で、ことちゃん益々リラックスできのびやかにピアノをうたわせていました。 ママと喧嘩しながらピアノ練習している風景からは想像できないことちゃんの姿です。 最後にグレード試験のとき優秀な成績を収めた子の表彰式があり、今回はことちゃんもその授与式に加わりました。 表彰状をもらってうれしいことちゃん。表彰状を貰うのは2回目。6歳ながら、ピアノを弾く手に成長しています。 最後におまけ。妹のちーちゃん、おねーちゃんの発表会に長時間静かに聴くの大変な難行苦行でした。 疲れて、ご機嫌斜め不機嫌なちーちゃん。「ちーちゃんも4歳になったらピヤノやる?」のジイジの問いかけに「やらない、5歳になったらやる」ですって。元気いっぱい、豪快なちーちゃんは、目下奔放に生活しています。ピアノのお稽古は、日々の地味で忍耐強い練習があり、その成果をみんなの前でこのように発表する機会を与えられ子どもながらに「成功体験」をすることは、今後の子どもの成長にとって大切なことではないかと思う。これから出会う困難の数々を乗り切るとき、この体験の積み重ねは必ず生きてくる。 ことちゃんは、まだ練習というほどの練習はしていないが、これからは、おそらく今のような練習では、ピアノはやれないところに到達する。ママが練習を見ることできないレベルにもやがて到達する。そのときそれらを乗り越えてピアノに立ち向かえるか、自らの力で判断を迫られる日が必ず来る。これは、ピアノだけのことではなくあらゆる分野で似たようなことに子どもは直面しながら成長していく。そのとき、この今日の体験の積み重ねは生きてくる。 このような機会を幼い時から与えられることちゃん、今の子供はいいなぁとお婆は思うことしきりである。やっぱり今の日本は豊かなんだ。
2010.11.09
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