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私の生まれた日 今、私の散歩道は日毎に芽吹きの萌黄色からまぶしい新緑の林に変貌しつつある アケビの蔓からは葉っぱがぐんぐん伸びて散歩道に覆いかぶさるように葉を茂らせ始め可愛いらしい花を咲かせている (アケビの蔓茂る散歩道。黒紫色の花をつけている。秋になると、果実が熟し厚い皮が裂けて、多くの種子が露出する。果肉は乳色の白。甘い) アケビの花をアップするとこんな花 黒紫色の花びらのように見えるのは 三枚のガクと円柱形の雌しべ。その下にある数が多くて小さいのが雄花 人目にはつかない地味な花たちが初夏の林では次々に咲きそのいのちを繋ぐ営みをしている サルトリイバラ (ユリ科 スミラックス キナ(中国の) スミラックスはギリシャ語の「引っ掻く」という意味。昔から葉っぱはお団子を包んだ。人々の暮らしの中で生き続けてきたサルトリイバラ) アップするとこんな美しい花 これはサルトリイバラの花の雌花淡い黄緑色が美しい 1週間後には花は、もうこんなに実となっていた 秋には赤く実って 小鳥が啄ばみにやって来る その葉っぱの付け根は勢いよく巻き髯が伸び美しい紅いろの力強い巻き髯伸びて木々に巻きつく生きるそのいのちあふれる色 目を凝らさないと見えないほどに小さく地味な色の花たちが初夏をつげる林ではひそかに息づいている 見上げれば淡い紫に煙るヤマフジの花見事に咲き乱れ 新緑の燃える林に大木のヤマフジが燃える大きな丸っこい蜂クマ蜂がぶんぶんうなるヤマフジの咲く道 散歩道の途上の家々の庭の藤棚から爛漫と咲きこぼれる藤の花 (知り合いのお家の庭一面に咲く見事なヤマフジ。夏には葉っぱ生い茂り、涼しい風を部屋に運んでくれる藤棚。クーラーいらず。) 辺りには芳しい藤の花の香り満つ めぐり来た藤の花咲く頃私の生まれた日1943年4月28日 (私の誕生日に母に送った絵手紙。老いて孤独な母と共有できる感情。母にとっては、そういう人々もめっきり減ってきた。) 敗戦色濃く若い前途ある青年達が次々と学徒動員され特攻隊となってその短い生涯を絶ち斬らざるをえなかった日々。 1942年:塩、みそ、しょう油、衣料品の配給制:「欲しがりません勝つまでは」の標語。1943年:英語の雑誌名使用禁止、英語の野球用語使用禁止。 こんな時代に私は生まれた。私が生まれた時私の父も四国の連隊におり恐らく死と日々直面する暗い不安のなかにあったのではないか。その父が連隊で藤の花爛漫と咲くの見て「フジコと命名せよ」とデンポウが来たという 明日のいのち分からぬ日々に誕生したいのちフジコ巡り巡りきて67回も淡い紫に煙る藤の花さく季節が来た 役所の広報のお知らせなどで高齢者という言葉盛んに使われているが、私自身もその年齢になっていることに、我ながら驚いている。高齢者とは80歳ぐらいからでいいのではないかと最近では思っているのだが。 家族の誰も私の誕生日が今日であること気付いていない。私自身も敢えて気付いて欲しくないので黙っているが。(私個人としては年取ることは楽しいこと。歳重ねるごとに見える景色異なり、味わいは一層益す。素晴らしいことと感じて日々くらしているが。)しかし、私の親たちや同世代の年寄りたちの現状みると必ずしも年寄ることが幸福で良いとは言いがたい。 高齢者たちの孤独や死いろいろ身につまされ考えることは多い。 私たちの世代は親たちも含めてどこかで狂って、今に来たあの戦争をどう受け止めどう生きるかという総括の仕方がどこか間違っていた。 戦争へと国民を駆り立てた同じ土壌でしか親たちは生きていなかった。長いものにまかれろ式の生き方自らの知性で考えて生きる自立した個の欠如。戦後を生きてきた基盤はあの戦時下と同じ農村の半封建制のまま。社会のシステムだけはどんどん近代化している。 とりわけ高齢者たちはその歴史の激変に翻弄され孤独で悲惨な最期を迎えている人が多い。 そして今再び戦争をやりたい人々がうごめいているあの戦争は正しかったと声高に叫ぼうとしている人々がいる5月3日は世界に誇る不戦を高らかに掲げた日本国憲法が施行された日 現実とは何か今こそ眼凝らして世界に起きている事実を見る必要がある。
2010.04.28
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ことちゃん 6歳のお誕生日おめでとう 2010年4月19日最高気温22.3℃ 最低温度10.1℃曇天 ことちゃんの生まれた2004年4月19日は日本列島は春雷とどろく激しい暴風雨の日であった。激しい雨風が産院の窓を打っていた。 6歳の年の日本列島は4月になっても雪に見舞われる地方あり気温も最高気温が10℃以下の日あり曇天や雨の日多く野菜は生育せず、高騰している。寒い日続くかと思いきや急に夏日の初夏の陽気と異常気象なのである。 最近のことちゃん(保育園のお庭で)(園庭で軽やかに長縄飛びに興じていることちゃん。) 社会では、親による幼い子の虐待や殺し 引きこもっている青年の親殺しなど痛ましい殺害事件を聞かない日がないといっていいほど閉塞感漂う日本なのである。 若者たちが希望を持てないばかりか老い行く祖父母たちも先行き不安で心もとない (ばあばの絵手紙。園庭で長縄飛びで遊ぶことちゃん、奥にいるずんぐりむっくりの赤ちゃんは妹のチサです。) ことちゃん6歳の年の日本の社会はこんな状態なのであるがことちゃんはしなやかにすくすくと成長している。 ことちゃんにとってのこの6年間は これから人として成長していくための大切な土台地中深く張る根っこの部分だ。 ことちゃんの足 (靴のサイズは19です。大きな足です) 土踏まずがしっかり出来つつあり、しなやかに飛び跳ねしっかりと大地を踏んででこぼこ道も歩ける足4キロも5キロも山道を自分の足で歩ける足 この足はことちゃんの確かな成長の証だ。 これから出会うであろうさまざまな困難にも立ち向かえる足確かなる歩みができる足これからも健康で丈夫な身体がしなやかなこころの素であること肝に銘じて育てて欲しい育って欲しい。 ばあばが作った誕生カードのパズル(36ピース) この絵は現在のことちゃんの心理状態を表わしています。中央のドレスを着ている女の子がことちゃん大きく描かれている真ん中がママの顔遠景にパパと妹がいます。 ことちゃんはママが命というところがありママがいないとさみしく不安になり何も出来ません。昨年はママが学会で発表するなどの出張が3回ほどありました。昼間はまだ気丈に耐えていますが日が暮れるとシクシクと泣き出します。泣けて泣けて涙が止まりません。(ばばとじじではママの役目ができないこと思い知らされてちょっとさみしいやら安心やら複雑)妹のちーちゃんに「こっちゃん泣いてるねぇ。ちーちゃん泣かない」などと言われるているありさま。 ママも後ろ髪引かれて、安心してお仕事できません。 保育園では最近のことちゃんは集団のなかで、他のお友達のことを思いやったりして行動できるようになってきたという。(それまでは、自分が中心であったが) 集団の中で背伸びして緊張しているのか家庭では、甘えん坊でママとの距離がうまくとれないでいます。 来年は1年生ママとの距離を少しづつとれるようになることも必要では。 このノンタンのパズルは妹のチサのためにばあばが作ったもの(25ピース) ちーちゃんは姉のことちゃんとはかなり異なり元気もの、神経も図太い。おおらかちーちゃんが好きで得意なことパズル2歳になったときから妙にパズル得意 なかなかよい図柄がないのでノンタンの絵本からばあばが描いて作ってみた。(著作権違法かな) パズルとしてうまく機能するかどうか始めての試みでまだ未定であるが、ことちゃんの誕生日にちぃーちゃんにもプレゼントのおすそ分け。 ことちゃんへのばあばの誕生プレゼントは 福音館の月刊誌:こどものとも&かがくのとも各1年分3歳のときから続けているプレゼントです。 毎年、孫の誕生日に誕生を祝う記念にプログをかいているが、ことちゃんのはもう6回目となりました。その年月の経つ早さ。あっという間という感じです。ことちゃんが成長して、これから20年ぐらい先に、祖母が記録したこの記録を読んでくれること願いつつ、役立てばいいなぁと思いつつ書いている。ことちゃん誕生から書いてきたこの記録、これからも命ある限り書くことにしよう。
2010.04.22
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マカオで最も古い教会・聖アントニオ教会と最も古い公園・カモンエス公園の間にある広場カモンエス広場 16世紀のポルトガルの国民的詩人・ルイス・デ・カモンエスの名前を冠したこの公園には19世紀前半に据えられたカモンエスの胸像がある。 (公園内の丘にある3個の岩からできたトンネル状のほこらの中にカモンエスの胸像がある。台座には詩の一節が刻まれている。) カモンエスは16世紀初頭の数年間をマカオで過ごした。「ここに地果て、海始まる」の一節で有名な代表作「ウル・ルジアダス」を、この地で執筆した。 公園の噴水の周囲にはその「ウル・ルジアダス」をテーマにした10枚のモザイク絵がある。 これは そのモザイク絵の一部である。この公園でもモザイク絵がカルサーダスというポルトガル独特の技法による敷石となっている。 カモンエス公園は中国系の人々がよく集まる広場老人が昼寝をしたり、将棋に興じたりとマカオ市民の憩いの広場として市民の生活のなかに深く入りこんだのんびりとした雰囲気の公園である。 マカオ世界文化遺産の最も北に位置するのがカモンエス広場であるとするなら、最も南の方角ペニャの丘にあるのが、 リラウ広場 (リラウとは、ポルトガル語で「山泉」という意味。この広場にもカルサーダスの石畳) 初期にマカオを訪れたポルトガル人たちはペニャの丘から湧き出る水の豊かなこの地を定住地に選んだ。 マカオを訪れたポルトガル人にとって第二の故郷となったリラウ広場 リラウの水飲みし者 この地を離れがたし されば、この地を故郷とするや または、必ずマカオの戻らんこんな詩が残っているという。 リラウ広場界隈には 17世紀のマカオの風情が色濃く残っている。 マカオ世界文化遺産の最南端に位置するマカオ最古の中国寺院・媽閣廟(マァコッミュウ) 正門、中国式鳥居と4つのお堂から成り、1つのお寺に異なる神々を祀っている。 阿媽と道教の神、一番上の観音閣には仏教の観音が祀られている。 女神「阿媽(アマ)」とは、中国南部や台湾などで、広く信仰されている航海の女神である。 これは、観音さまを祀っている観音閣どこか日本の観音さまのお寺の雰囲気漂う懐かしさ 1つのお寺に複数の神や仏を祀るというこの共生の姿。多様性。西洋のキリスト教文化とも共存して生きるマカオこのごちゃ混ぜさこそマカオの今の繁栄のエネルギーなのだろうか。日本では信じられないあり方である。 「媽閣廟」は中国語で発音すると「マァコッミュウ」と言い、マカオの地名の起源とされていると言われている、という。 ポルトガル本国のカルサーダスカモンエス公園のモザイク絵は、このような本国の技法と同じ敷石ですね。 マカオの数々の広場には、今まで見てきたように、中国返還時敷設されたポルトガルのカルサーダスという敷石がいたるところで見られた。これらは、ポルトガル400年余りの統治を現代にとどめているだけでなく、様々な宗教が共生し生活する歴史がここには刻まれているのではないだろうか。宗教や人種の対立や争いが悲惨な暴力的な争いに発展し、その暴力を断ち切ることが出来ない現在の世界に対して、マカオの世界文化遺産の数々は共生して平和に生きてきたお手本ではないか。 文化をこのように継承してきたマカオには現代が学ぶべきもの多いと思いました。このマカオ今昔シリーズは、8回にもなってしまいましたが、私は、このシリーズを書く中で、日本とマカオの歴史的な関りにとても興味を持ちました。その中で出合った本司馬遼太郎著:「南蛮への道」この本についてもいずれ紹介したいと思っています。
2010.04.20
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マカオの「アクロポリス」聖ポール天守堂跡の小高い丘 恋愛巷という洒落た名前をもつこの路地の奥まった所に聖ポール天守堂のファサードが垣間見える そして、その路地は美しい石畳この石畳の通りの終わりは聖ポール天守堂前の広場 大三巴街 天守堂に通じる街奥に見える天守堂の巨大なファサード天守堂に登る階段前はカルサーダスの広場 小高い丘の上にある聖ポール天守堂跡1602年から1640年にかけて聖母教会として建築されたゴシック様式の巨大な教会建造にあたっては、中国人は勿論のこと島原の乱で祖国を追われた日本のキリシタンもかかわったという。 この小高い丘には1609年、東洋初のキリスト教大学となった学院があり、後には日本人キリシタンのための専用修道院が開講されていた。(日本のキリシタンたちの歴史がこのマカオと一体になって発展していたとはとても感銘をうけた。日本の百姓たちが、狭い村世界のなかに益々閉じ込められていたとき、このように世界に窓を開いて生きていた日本人たちがいたとは素晴らしい。)さらに、天守堂の右手にはモンテの砦がある。 モンテの砦1617年~1626年にかけて、イエスズ会との協力で築かれたマカオ最強の防御施設砦には、大砲、軍部宿舎、井戸、2年間の攻撃に耐えうるよう兵器工場の貯蔵庫がある。 (大砲のレプリカ) この丘の 聖母教会、聖ポール大学、モンテの砦など 全て「イエスズ会」の建造物であり、 当時にあっては、この丘はまさに マカオの「アクロポリス」であった。 聖ポール天守堂と並んで建つ小さな中国式寺院ナーチャ廟 ナーチャとは母親のお腹に3年半もおり、その間に道教の僧から特別の力を与えられた神童。西遊記にも登場するやんちゃな男の子の神さま。1888年、この地域に疫病が蔓延したため、その厄払いにこの廟が建てられた。 (キリスト教とは全く異質なこのような信仰が同時に存在して共栄するというマカオの特異性、雑草のようなたくましさとでも言うべきか。) ナーチャ廟&旧城壁1569年、ポルトガル人の居住が始まった頃に造られた古い城壁。(ポルトガル人は自分たちの生活圏を守るために周囲に城壁を築く習慣があった。) この城壁の様式は西洋風、材料と手法は東洋風。この城壁にも西洋と東洋の文化が融合し、共存している。即ち土砂、わら、カキの貝がらを混ぜ木製の枠に流し込んで押し固める。時間の経過とともに壁は強固になる。このような城壁は、西洋の石造りのように大砲の弾をはじき返すのではなく、呑み込むようにとどめる。西洋の石造りより防御に適しているという。 その城壁の前の広場ポルトガル独特のカルサーダスの石畳がここにも見られる。観光客に混じって、犬を散歩させている人がいる広場。3匹も犬がおり、ほほえましい。 94%が中国人であるというマカオ世界遺産に指定されている歴史市街地区はほとんどがキリスト教文化の建造物や広場であるしかも、そこでは日常生活も営まれている。ということは、ほとんどの中国人はこのキリスト教の文化と深くかかわり受け入れて生活しているのだろうか。ナーチャ廟にみられるような道教の寺院も所々にあり街に溶け込んでいるという。 この共存の仕方が私には理解できないものがあるが。 ポルトガルの長い統治が残したものは観光資源としての歴史的な市街地区だけではなく精神的な文化として、中国人のなかに同化してしまっているのだろうか。私はこの点をもっと知りたい気がした。 ポルトガル本国のカルサーダス ナーチャ廟&旧城壁前の広場の石畳はこの下の写真・ポルトガル本国のカルサーダスと全く同じですね。 次回、マカオ世界遺産(その4)はカモンエス広場を予定しています。このシリーズ7回目となりました。次回で完の予定。
2010.04.17
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異常な寒さ続く日本列島 この1週間は雨の日多く、日照時間も少ない上に異常な寒さ。最高気温が9℃前後、北風が冷たい。東京の今日(15日)6.3度。 (寒さに震えながらもドウダンツツジが咲き始めた今日の散歩道) 葉物の野菜類が芽をださず、成長せず野菜は高騰している。 (グミの花も今朝はかなり咲き始めていた。寒くても花々は時期を忘れずやって来る) 4月初めの庭 さくら満開のころのお庭は百花繚乱、色々草花咲き乱れまさにお花畑その賑やかなお花畑の庭の隅っこに草むら茂っているグリーンにまぎれてうつむいてひっそりと咲いているクリスマスローズ もう花期の盛り過ぎ針を鋭くのばしているのは、めしべが成長したものどんどん大きくなって種子となる。花びらはガクが変形したものというクリスマスローズ元のガクにもどるのかな。花びらは淡いみどりに変身してシンプルな花の姿で 芳しい香り満つ春の庭に咲き満つ。 (花蘂の外側の菅のようなものが、本来の花びらであったという。花びらは退化してこんなかたちに) 頭垂れ咲くクリスマスローズ覗き込めば華やかな花蘂その精巧な造り妙なる色 春のにぎやかに華やぐ庭は ムスカリ、ハナニラ、パンジー、タンポポ、スミレ、ホトケノザ草花たちが一斉に花をさかせる。その草むらのような庭の片隅に咲く貝母百合(バイモユリ) (ユリ科バイモ属。中国原産、球根が2枚貝のようになり鱗形から貝母の名あり。薬効は咳止め、止血、解熱など) 貝母(バイモ)は別名アミガサユリともいう。俯きかげんに咲くその花の内側は編み笠模様濃い紫色の幾何学文様葉の先をくるくる巻いて目立たないが可愛げな花 薬用植物として日本にはやって来た雑草に負けずにたくましい花 賑やかな華やぐ庭でその存在は目立たぬながらも静かに自らを主張している 芽キャベツ 庭の片隅の野菜畑には 芽キャベツもぐんぐんのびて花を咲かせた。 タラの芽 堤防の土手はまさに春たけなわ芽吹く草、木の芽タラの木は芽吹きのとき粉をふいたような淡いグリーの若葉濃い赤紫の芽 鮮やかな色いのちあふれてぐんぐん伸びる 初夏の準備を始めている花々ざわめく 私の散歩道 ソメイヨシノはほぼ散り、花蘂と若葉のさくら並木となっている散歩道八重桜が満開となりつつある。濃いピンクの八重の花びらが雨にぬれて重い 椿の大木が見事な枝振りでたわわに咲く。風に枝ごとゆれてゆらゆら揺らぐ椿さくら吹雪くなか椿の紅が一層鮮やか こんな豪華な椿がさくらの花吹雪の背景となって揺れる 花吹雪と椿 ソメイヨシノが散り去ると雑木林は燃える若葉のみどりに輝く白山桜の咲く季へと確実に移ろっている 萌黄色の若葉の林に山桜の白が輝く 私の散歩道は寒さに震えながらも花々や木々は刻々と初夏へと変わろうとしている 明日はさらに日本列島は寒波に見舞われると予報している
2010.04.15
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セナド広場から聖ポール天守堂跡へ マカオの街は西洋の古代ギリシャから連綿と続く街の造り人が集う広場が街の中心にある様式がそのまま今も残している しかもポルトガル統治時代の名残をしっかりととどめるポルトガル独特の石畳カルサーダスがマカオを独特の景観にしている セナド広場 (カルサーダスの石畳の広場は春節祭の準備で華やぐ。正面に見える白い格調高い建物、行政府でもある民政総署) 華やかに春を迎える春節祭の準備中の セナド広場 古くから街の中心の広場セナド広場数々の祝典やイベントが華やぐ広場 (広場の正面には白い建物・民政総署が見える。両サイドにはネオクラシック様式の歴史的建造物が見える。華やかな南欧の雰囲気漂う) 波打つ美しい石畳の広場この広場を取り巻く数々の建造物パステルカラーのネオクラシック様式の歴史的建造物に囲まれた華やかな広場 民政総署 セナド広場に面して建つ政府機関民政総署白を基調とした南欧風のネオクラシック様式のこの建物は16世紀末からずーとポルトガる統治の行政の府であった。そして中国返還後の今も、市民生活に直結した行政事務を行なう役所があり議事堂があり重厚な図書館まであり、その全てが市民が利用している生活の場でもあるという。 仁慈堂 セナド広場に面して建つ純白の美しい建物仁慈堂1569年アジア初の慈善福祉施設として設立されたもの。西洋医療を取り入れた病院、孤児院、養老院などを備えていたという。(この建物を設立したカルネイロ司教は、日本とも関係深く、日本への布教のため 来日したという) 現在は1階は公証役場 2階は仁慈堂博物館になっている このネオクラシック様式の建造物や文化財に取り囲まれた南欧風の華やかな雰囲気漂うセナド広場から聖ポール天守堂跡まではカルサーダスの石畳の続く歩行者天国となっている。 聖ポール天守堂跡へ行く途上にある聖ドミニコ教会 (高温多湿の気候のため、大きく開け放つことの出来る濃いグリーンのよろい戸が鮮やか。南国の教会らしい) メキシコから来たドミニコ会修道士3人によって1587年に建てられた、木造の簡素な礼拝所がその始まりという聖ドミニコ教会 現在のは、1828年に再建されたもの。コロニアル風バロック様式のファサードは純白の漆喰で繊細に装飾されマカオのファサードの中で最も美しいといわれている。聖ドミニコ広場 カルサーダスを敷き詰めた聖ドミニカ広場ヤシの木の植栽と波打つ文様の石畳ドミニカ教会の大きく開くグリーのよろい戸南国の雰囲気漂う聖ドミノカ広場も市民の生活の場であり、観光客で賑わう場でもある。 カルサーダス前回にも書きましたが、マカオの街に独特の雰囲気を作り出している敷石は、ポルトガル特有の石畳です。中国へ返還される際、ポルトガルはマカオで稼いだお金は一切持ち出さないという協定により、稼いだお金を使い切るために本国から大量の石材と石職人をよんで、現在あるような石畳を敷設して、その450年に及ぶ領有の記憶をマカオにしかりと刻み込みました。次の写真は、そのポルトガル本国のカルサーダスです。 マカオのカルサーダスもこれらポルトガルのそれと遜色ない立派なものだとわかりますね。 次回はマカオ世界文化遺産(3)聖ポール天守堂とその周辺をアップします。マカオシリーズは今回で6回となってしまいました。後2回ほどで完結できそうです。「マカオ今昔物語」としてカテゴリーを独立させましたので、関心のおありの方は1回目からどうぞ。
2010.04.12
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この1年の到達点とこれからの目標 陶板 教室の後半は陶板や置物などを制作することがカリキュラムであったので私は前回紹介した「陶人形・ちーちゃんと長靴」と陶板を中心にした作品を作った。この陶板も、孫のことちゃんの家をテーマにした。2人の幼子がママの後を追いかけて暮らしている様子である。 働くママの家は忙しくて、いつもてんやわんやの大騒ぎでも、どこか楽しさ溢れ活気に満ちているそんなマイホームであって欲しいという願が込められています。 次に挑戦したのが電動ロクロを使い、器を作ることですがこれは、いまだに四苦八苦ロクロという道具を使いこなすには程遠い状態ですが、とりあえず、そのなかで何とか器らしくまとまったものが次の3点です 志野湯呑み茶碗 この辺り(土岐・多治見)の伝統的な釉薬・志野を使ったものです。比較的よい色が出た作品です 次の2点は、瀬戸地方の定番釉薬黄瀬戸に織部を使ったもの抹茶碗のつもりで作りましたが、抹茶碗といえるかどうか?写真では実物の色が余り出ていませんがもう少し黄色がつよくでています。 湯呑み茶碗です黄瀬戸と織部の釉薬です 以上が陶芸教室1年生の私の到達した地点です。 来年の目標は、ロクロの道具を使いこなすことができるようにすること。さらにこの地方独特の「染付け」技法を使った絵付けの作品に挑戦することです。 次に、何年も陶芸をやり続けておられる先輩たちの作品を紹介します。作陶技術が私のレベルとは全く異なることが作品からも一目瞭然。 マグカップ カップの形も洗練されていますが釉薬も凝りに凝っています自宅に電気で焼く釜までお持ちの方の作品です 編み物をするおばあちゃん この作品も力作です。陶芸を始めて6年あまり。椅子も毛糸の編み物もすべて陶器です。細かいところまで行き届いた作品です。 可愛らしい靴これも陶器で造ってあるから驚きです 同じ作者の箱蓋と下の器をびったりサイズを合わせて焼き上げることはとても緻密な計算、技術がいります 文様もなかなかシック。 葉っぱは緑色に塗ったそうですが焼き上がりはその色が出ずと言っておられましたがこれはこれで、又、味わいのある作品に仕上がっていますよね。 パンケース この作品は使っている土といい、釉薬といいほぼプロです。 人形 この作品もほとんどプロこの地方は陶磁器が地場産業なのでその関連の仕事をしたり、家業の人が多く作品も素人とは言いがたいものがあり学ぶべきもの多くありますが、素人の私としては、売る必要はないので、初々しい斬新さを失わない心に訴えかけるものが造れるよう努力して行きたいというのが作品展を見ての私の決意ともなりました。
2010.04.07
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初めて陶芸に取り組んだこの1年間教室の1年間の成果をまとめる作品展が4月1日~4日に開催された。1年生の私も参加。その作品のひとつ、陶人形。孫のチサがモデル。 ちーちゃんと長靴 赤い長靴 ちーちゃんの長靴 ばあばが買ってくれた長靴 保育園のお庭の水たまり 浮かんでいるよ 青いお空に真っ白な雲が 赤い長靴 お空をお散歩 じゃぶじゃぶ 白い雲に乗って 赤い長靴 お空をお散歩 どろんこ長靴 楽しかったね お空のお散歩 こんな気持ちを土に込め、形を作り、焔に包まれ、色づけして出来上がった作品です。3ヶ月ぐらいかかりました。土からこのように造形できるとはすごいこと。土の柔軟さ、自由さは感動ものです。 その人形を別の角度からみるとこんな表情をしています 正面からみるとこんな顔に仕上がりました 生まれて初めて人物を立体的にとらえて造形してみて色々な経験ができとても学ぶこと多い作品です。 指導して下さっている先生がとてもすぐれており、私の内面にあるものを目覚めさせ引き出してくださいました。 とりわけ苦労したのは幼い子の肩のかたち先生から子どもの肩の造り、骨格はどのようになっているかよく観察しろと何度もアドバイスをしていただき肩の造りは何度もやり直し、なんとか幼子の肩に近づきました。 この人形を作り始めてから人間や動物を観察するときの視点が変化しました。しかし、観察すればするほど難しく人物や動物は描けない状態に今なっています。(1月に亡くなったパピヨンのユメを描けたらなぁ) デッサンに全くの素人一度も学んだことの無い私には人物や動物を描き、更にそれを立体化することは難しい。 先生にそのことをお話するとデッサンを勉強したらということになり今度の5月からデッサンの勉強グループにいれてもらい勉強することにしました。 デッサンを学ぶことにより物の観察力が、さらに広まり深まればもっと生きることも楽しくなるのではと期待してワクワクしています。 これは、陶芸教室に学んだおかげ私にとっては最も大きな収穫の1つです。 残されたいのちを更に豊かに生きるまたひとつの楽しみが増えました。 次回は陶芸作品展(2)で私のその他の作品と他のお仲間で先輩の方々の素晴らしい作品を紹介します。
2010.04.05
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花冷え厳しい4月のはじまり ダンホセ夫妻は3月末日奈良・京都のお花見を楽しみました。訪れたのは、奈良の安倍文殊院・聖林寺・長谷寺と京都の醍醐寺。3月30日は、私の住む東海地方では、最高気温が9度、最低気温は0.4℃と寒のもどり厳しい日でした。概ね3月の最後の週は、日本列島全体が冷たい雨をともない、冷え込み厳しい日が続き、春遠しという弥生末日となりました。わが地方のサクラは、3月18日に開花宣言されましたが、いまだ3分咲き、開花をためらい、足踏み状態。そんな中、奈良・京都地方も、花冷え厳しい状態だったそうですが、驚くことに、すでにサクラがかなり見ごろとなっています。京都の醍醐寺この寺は枝垂れ桜多い名所ですがサクラはすでに見ごろ寒さにめげず咲き乱れています(醍醐寺の参道)ご覧のとおりのお花見客に溢れサクラも爛漫(醍醐寺・三宝院のしだれざくら。JR東海のコーマシャルにも登場しているさくらです) 厳しい花冷えの空に見事に咲き誇り春(醍醐寺・清滝宮本宮)サクラと椿の花の競演見事な醍醐寺椿の紅、葉っぱの濃い緑、淡いピンクの色のハーモーニー 奈良の長谷寺(桜井市)のしだれざくらもこんなに見事に咲き誇っている(長谷寺の御所桜)しかし、葉が芽吹く前、先駆けて咲く早春の花々もまさに、今爛漫と咲く長谷寺サンシュウの花中国、朝鮮が原産のサンシュウ享保7年に薬用樹として渡来し、長く日本の風土に生き続けて今ここにある。サンシュウの黄や町古く人親し 大野 林火サンシュウの黄サクラのピンク見事に溶け合う長谷寺の春爛漫 ハクモクレンとサクラの競演(長谷寺のハクモクレン)サクラのピンクとモクレンの白競演乱舞して花満ちる長谷寺のハクモクレン見事な大樹花冷え厳しい大空に白を乱舞させて咲き満つ長谷寺の今年の春はハクモクレン、サンシュウ、サクラと入り乱れ咲き競う緋寒桜も咲く 寒緋桜(カンヒサクラ)まだ寒い3月上旬頃に緋色の花を咲かせる。九州南部では旧暦のお正月ごろに花を咲かせるので元旦さくらの名もある寒緋桜その早春の桜も枝垂れ桜と競演している早春の花もサクラもどっと一斉に咲き花冷え続く寒さ厳しい春(華やかな春の花々競演する長谷寺の3月末日)奈良・聖林寺(国宝・十一面観音像で有名。藤原鎌足ゆかりの小さな寺)春を告げにくる花レンギョウも今、盛りと咲いて鮮烈な黄レンギョウはアメリカでは早春の花その名もゴールデンベルフキノトウは伸びて花を咲かせている(聖林寺には山桜ももう満開)葉が出るのと同時に花咲かせる山桜はや咲いていた奈良の里山奈良・安倍文殊院(安倍仲麻呂や陰陽師・安倍春明ゆかりの寺)(仲麻呂歌碑:天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも) ボケの花も今盛り寒中から咲き始め花のない枯れた冬の庭に色を添える木瓜(ボケ)真っ赤な緋色これ以上の紅はないといほどの鮮やかな紅寒を耐えるエネルギーが一気に爆発したような激しい紅俗謡に「器量よけれど、わしゃぼけの花、神や仏にきらわれる」というのがあるそうな。木瓜には棘があるので、神や仏にはお供えしないことを謳っていると言う。それなのにこの安倍文殊院の庭には見事な木瓜の花咲く木ありはなまた「ぼけ封じ祈願」をやっており、老若男女で賑わう寺だというこれはユーモアか笑えないもの哀しさ 4月1日:今日も雨。冷たい雨。私の散歩道のさくらはまだ2分から3分咲き。まほろば奈良の山里の春は一斉にどっと花咲く春一気に華やぐ里私の住む地域では、サンシュウやレンギョウの花は既に無く、新緑になっている。ハクモクレンも醜態な白をさらけだして、地面に落下それに比べ、奈良の里は、早春の花々もまだ咲き競っている暖かで穏やかな春の日々が待ち遠しい4月のはじまりである。
2010.04.01
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