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2025.04.30
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記巻之5   【8】小田原領中興國安民の道を開業す その1

報徳記&二宮翁夜話198

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「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。
安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。
現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。
神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。

報徳記  巻之五

【8】小田原領中に興国安民の道を開業する

小田原候が逝去され、下は百姓に至るまで赤子が慈母から離れたように、悲歎にくれていた。
嫡子の讃岐候は父君に先立って逝去されており、嫡孫の仙丸君が幼年で世を継いだ。
家老の辻と吉野以下は、先君の遺言を奉じて、領村の再興を先生に委任しようとして、評決した上で、天保9年先生に命じて言った。
「野州三村を再復し百姓を撫育した良法を小田原領中へ移し、永安の道を開くべし」


「先君は寛仁にあらせられ、国民を安んじようと政治に心思を尽くされ、かってしばしば私にこの事を問われました。
『私が思うに、
小田原上下の勢いは、これを四季にたとえると秋冷の時に当たります。
秋は春夏生々の五穀が皆熟し、一年中で豊かなことは秋を最上とします。
世人は、この時に当たれば、後日の艱難を考えることなく前日の艱苦を忘れ、ただ目前の贅沢を快しとします。
これが凡情の常であって遂には貧苦を免れない理由です。
小田原上下は先年困窮が極って、高禄の重臣であってもその日の活計に困しみました。
しかるに最近ようやくその困窮を免れて、しいて領民の租税を増し借債を償わないで、水草が根がなくて花を開いているような事態に及び、贅沢を常とし節倹を憎んで、なお、この上の豊富を望んで不足心がやみません。
いささかも後難を憂うる心がありません。
このような人情にあたって、上を損し下を益し、節倹を行い永安の道を確立することは困難です。
ああ、時は既に秋に当たっていて、いかんともすることができません。
君はこれを憂えられ、臣をして永安の道を立てようとされますが、人情の背くところ上下の時勢に反して道を立てることができましょうか』と言上した。
先君は沈吟して、やや久しくして言われました。
「汝の見る所は時勢的然である。
現在は行うことができないといっても、嫡孫の仙丸の代には行うことができようか。
汝は今よりその備えをなし、後年は必ず永安の道を開いてくれよ」と命じられた。
私はその行うことが困難なことを知ってはいましたが、先君が国家を憂労される事はこのようでした。
しかるを後年といっても、なお困難であると言上すれば、君の苦心を安んずることができません。
やむことをえず、
『後年仙丸君の時に至るならば行れる時も至りましょうか。
成不成にかかわらず臣の分量をば尽くしましょう』と言上しました。」



【8】小田原領中興國安民の道を開業す

小田原候逝去(せいきょ)し玉ひ、下(しも)百姓に至るまで赤子(せきし)の慈母に離れたるが如く、茫然として悲歎に迫れり。
嫡子(ちゃくし)讃岐候(さぬきこう)は父君(ちゝぎみ)に先立ち逝去し、嫡孫(ちやくそん)仙丸君(せんまるぎみ)幼年にして世を繼(つ)ぐ。
是(これ)に於て大夫(たいふ)辻(つじ)吉野(よしの)以下先君の遺言(ゐげん)を奉じ、領邑(いふ)再興の道を先生に委任せんとし、既に評決して、天保九戊戌年(つちのへいぬのとし)先生に命じて曰く、
野州三邑(いふ)再復百姓撫育(ぶいく)の良法小田原領中へ移し、永安の道を開くべしとなり。

先生謹(つゝし)みて命を受け、然後(しかるのち)端(たん)を改めて大夫(たいふ)以下に謂(い)ひて曰く、
先君、寛仁にして國民(こくみん)を安んずるの政(せい)に心思(しんし)を盡(つく)し、曾(かつ)てシバシバ臣に此の事を訊問(じんもん)し玉ふ。
微臣(びしん)思へらく、
小田原上下(じやうげ)の勢い之を四時に譬(たと)へんに秋冷(しうれい)の時に當(あた)れり。
夫れ秋は春夏(しゆんか)生々(せいせい)の五穀皆熟し、周年中(しうねんちゆう)の豊饒(ほうぜう)なること秋を以て最上とす。
世人此の時に當(あた)れば後日の艱難(かんなん)を慮(おもんば)らず前日の艱苦を忘れ、惟(たゞ)目前の奢侈(しゃし)を以て快(こゝろよ)しとす。
是凡情の常にして遂に貧苦を免れざる所以(ゆゑん)なり。
小田原上下先年困窮極り、高禄の重臣と雖も今日(けふ)の活計に困しめり、
然るに方今(ほうこん)漸々其の窮を免れ、強(し)ひて領民の租税を増し借債(しやくざい)を償わず、水草(みづぐさ)の根なくして花を開けるが如くなる時に及び、奢侈(しゃし)を常とし節儉(せつけん)を惡(にく)み、尚(なほ)此(こ)の上の豊富を望み不足心(ふそくしん)息(や)まず。
聊(いささ)か後難を憂ふるの心有らず。
此(こ)の如くなる人情に當(あた)りて、上(かみ)を損し下(しも)を益し、節儉(せつけん)を行ひ永安の道を確立すること豈(あに)難(かた)からずや。
嗚呼(あゝ)時既に秋に當(あた)れり、如何(いかに)ともすべからず。
君之を憂ひ臣をして永安の道を立てしめんとし玉ふといへども、人情の背く所何を以て上下の時勢に反し道を立てることを得んや
 と言上す。
先君沈吟(ちんぎん)良(やや)久しくして曰く、
汝の見る所時勢(じせい)的然(てきぜん)なり。
方今(はうこん)は行ふこと能はずと雖も、嫡孫(ちやくそん)仙丸の代には行はれんか。
汝今より其の備へをなし、後年(こうねん)必ず永安の道を開くべし
 と命じ玉ふ。
某(それがし)其の行はれ難きことを知れりといへども、先君の國家(こくか)を憂勞(いうらう)し玉ふ事是(こ)の如し。
然るを後年と雖も猶(なほ)難からんと言上せば、君の苦心を安んずるの道なし。
已(や)む事を得ず 後年仙丸君の時に至らば行はるべきの時も至らんか。
成不成(せいふせい)に拘(かゝ)はらず臣の分量をば盡(つく)すべし
 と言上せり。





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最終更新日  2025.04.30 00:00:20


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