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ああこの人を喪う 相田良雄
君は少年の時に、鈴木家の養子となったのであるが、鈴木家は、遠州森町で駄菓子製造を業としておった。君は報徳の教えを聞きながら、駄菓子売のような一文商売は好まなかったので、製茶の仲買をしておった。19歳の時に、荷物の宰領をして横浜に行くこととなった。当時始めてできた小蒸汽船に乗って駿州清水港を出帆した。他の人達は、この船が初航であるから危険に思って乗り込むことを躊躇したが、君は人がやらぬことならば、自分は飽くまでやるという負けぬ気象7分と、始めて蒸汽船に乗るという好奇心3分で乗り込んだのである。ところが相模灘で大風雨に出会(しゅっかい)した。ひどい荒れで、船は木の葉のように翻弄される。船員は風と波とを防ぐために必死である。飲むことも食うこともできず、いずれも死を覚悟した。三日(みっか)三夜(みや)海上に漂って、辛うじて横浜に着いたので、半死半生(はんしょう)の体(てい)で上陸した。君はひとまず某氏の宅を尋ねた。某氏は「船酔いなどは山に登ればすぐなおる。食事の用意をしておくから、山まで行ってこい」と言われた。これほど疲れているのにと思ったけれども、強情な君のことであるから、言われるままに山に登ってきた。そこで粥をすすって休息した。某氏は疲れ切った人に安心させると取り返しのつかぬことになるから、気を休ませぬために山に登らせたのであった。幸いに命ひろいをした。君はこの航海で既に死を覚悟したのが助かったのであるから、この後、いかなる艱難に遭遇しても、19歳の時に死んだはずであったと思って、その艱難に打ち克って来たとのことである。
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.11.19
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.11.18
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.11.17